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『山の民』(上)(下)』江馬修著(春秋社)

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ホヤの物語

 江戸時代、飛騨高山あたりの貧しい山の民は、飢饉の年がやってくると、ホヤを食べて飢えをしのいだのだそうだ。ホヤとは、三陸あたりで取れる、独特の臭気のあるあのオレンジ色をした腔腸動物のことではない。ホヤとはヤドリギの別名で、そもそも海のほうのホヤは、このヤドリギとの形態的類似性からその名が取られているのだという。山のホヤは団子にして食べる。ホヤを採集してきたら、枝だけにして、それを煮しめたうえで臼でつき、粕をとって精白する。それをソバ粉やヒエの粉とまぜて団子にするのだ。ただし、ホヤ餅はまずい。そのうえ体にも悪い。

 ホヤは一般には昔から飢饉の食物であって、補食の中でも最悪のものである。というのは、ホヤは有毒なのだ。それでこれをつづけて食べていると、顔が上蔟の蚕のように透けたように青白くなり、しまいに全身に浮腫がきて命が失われる。

 ホヤを食べ続けて顔が青白くなってしまうことをホヤヌケという。ホヤヌケとなりながら、命を失う危険を冒してホヤ餅を食べて飢えをしのがねばならなかった山の民が、日本には存在した。たかだか150年前の話である。

 この本は、こういう貧しい山の民たちを抱える飛騨高山が体験した江戸末期から明治初期の「御一新」を描いた歴史小説である。島崎藤村『夜明け前』で描いたのも同じく山間部の木曾馬籠であったが、『山の民』はもう一つの『夜明け前』だ。物語の中心は、維新後、高山の知事として赴任した水戸出身の梅村速水が、江戸時代からの旧習を次々と廃止して急速な改革を断行しようとするも、高山の人々はそれに反発、ついには一揆にまで発展してしまう。のちに梅村はその責任を新政府から問われて獄死することになる。歴史上、「梅村騒動」などといわれる事件を扱った小説である。

 時代の激しく移り変わる時代において、いつだって支配者はみずからの正当性を信じて疑わない。維新のあと、真っ先に高山の地に乗り込んできた竹沢覚三郎も、梅田速水も、梅田失脚のあと高山の知事となった宮原大輔も、そうであった。本書の終わり近く、騒動収束のあと、宮原は役所に地元の役人たちを招いて酒宴を催す。すると、部屋に置いてある花瓶には奇妙な草とも木ともつかぬ植物が挿してある。それは例のホヤであった。宮原は、「当地へ参ってから、山方の百姓どもが、ホヤを食うて辛うじて、命をつないでいるという話をよく聞」き、「下々の食い物も知らぬようでは、正しい政治もいたしかねる」ので、「自戒にするつもりで」飾ってみたのだと地役人たちを前にして誇らしげに言う。役人の一人が、「御仁慈のほどに、みんな感泣いたすことでござりましょう」とおべっかをいうと、宮原は「きょうの宴会のために、特にホヤモチを作らせなかったこと」をさらにいい気になってくやしがってみせる。そういう知事をじっと観察している一人の役人が吐き捨てるように「まずその前に、知事は自分で試食してみたら良かろう。少なくもわれわれはまっぴらじゃ」と心の中でつぶやく。

 山の民にあって、問題は常に貧困の問題である。人口のわりに米の取れない土地柄にあって、いかに飢えずに暮らしていくか。中央からやってきた人間の理想主義、温情主義はほとんど上滑りしている。「われわれはまっぴらじゃ」の「われわれ」は、中央に対しては地方の高山の人びとだ。しかし、村のなかでは支配層にあたる地役人は、ホヤを食べて飢えをしのがねばならぬ山の民たちと自分とを区別している。あんなやつらの食べるものなど「われわれはまっぴらだ」というのである。こんなさりげない一節に、ぼくは、プロレタリア作家としてスタートした江馬修の力量を見る。

 ただし、この小説は支配者のみを断罪する小説ではないことも付け加えておこう。この小説に、梅村の側近として、ほんの脇役という程度の扱いで江馬弥平という人物が登場する。この小説の作者、修の実父である。修は、子供の頃から父から梅村騒動のことを聞いて育ったという。騒動のあと、梅村だけでなく、梅村の側近の多くがやはり獄中で死んでいった。梅村の性急な改革に批判的でありながら、同時に、みずからの意図をつねに悪いほうに悪いほうに解釈されてしまう梅村を同情的に描いているのは、江馬の生まれ育ちと無関係ではありえない。

 それにしても、歴史小説とは不思議なものだ。獄死してもおかしくなかった江馬弥平が生き延びて、明治22年に修を生んでいる。弥平が死んでいれば、修は存在せず、この小説も書かれなかった。だから、この小説は、弥平が生き延び、みずからが体験した梅村騒動を修に語り、その結果、『山の民』という小説が書かれて、いま、ぼくの目の前にあるという、もう一つの歴史的ドラマを包含している。江馬修みずからがこの歴史小説の一部であるかのようだ。

 江馬はこの小説を書くために、地元の高山へ帰り、郷土雑誌の編集に関わりながら、この「わが国で書かれた最もすぐれた歴史小説」(大岡昇平歴史小説の問題』、1974年)を書いた。思想的な深みにおいて『山の民』は『夜明け前』に及ばないが、維新前後の「山の民」を描くことにかけて江馬は間違いなく藤村を凌いでいる。高山地方における夜這いの習慣であるとか、山の民の暮らしについての、リアリティのある記述は、プロレタリア作家としてスタートしながら民衆を知ることがなかったことへの反省から高山に帰郷した江馬の、作家としての努力の賜物であろう。江馬はこの作品を何度も何度も改訂したというが、いまある『山の民』は、高山での生活で鍛え上げた作品なのである。

 江馬修(1889-1975)といい、この『山の民』といい、世間ではほとんど埋もれてしまった小説家であり、作品である。細々と読み継がれてきたこの小説を少しでも多くの人にも読んでもらいたい。

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