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『断片からの世界-美術稿集成』種村季弘(平凡社)

断片からの世界-美術稿集成

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種村季弘の「散りつつ充ちる」

澁澤龍彦の蔵書目録が故人のエッセンスなのかもしれない。引用とアンソロジーが全てと御本人が仰有っていた通り、書名のみずらりと並び続けていくのを、読み手がたどりつつ自分なりにさまざまな脈路をつけて、自分なりの「澁澤」をつくりあげていく作業自体が即ち澁澤世界だから、である。

澁澤蔵書のさらに数倍も大変であるにちがいないが、たとえば山口昌男蔵書目録完成の暁にも、似たようなことが起こるだろう。厖大な相手を精査したあと、澁澤なら「魔的なものの復活」ただ一篇に収斂するように、山口なら有名な「失われた世界の復権」に帰着するだろうという、なんだかネオプラトニックな読書のエマナチオといったあり方も二人よく似ていて、面白い。「魔的なものの復活」を書かせた「H氏」とは間違いなく林達夫であろうし、山口エッセーの背後にも「チェチェローネ」林達夫の「精神史」がある。

そういえば、「現代思想」全般を毛嫌いし、「パラダイム変換」という時代流行語を嘲っていた澁澤が、ではパラダイム論の急先鋒の感のあった山口昌男を嫌いかと思えば、蔵書目録を見て明らかのごとくに、17点といえば断然多い方で、要するにロジェ・カイヨワミルチャ・エリアーデを読むように、フォションやシャステルを読むように、引用とアンソロジーの術(アルテ)において互角の相手のアネクドータル、というか話すること自体、楽しくてたまらんという語り口を楽しむ中に、山口昌男を数えていたということで、至極納得がいった。『書物の宇宙誌』を眺めて一番大きな印象を受けた点のひとつである。

筑摩書房の山口昌男著作集第一巻に改題を付けた今福龍太氏の山口学アンソロジー論はさすが山口山脈(山口組?)随一の気鋭の一文だが、そっくり澁澤の文業にも当てはまるものと見た。アカデミーにいようがいまいが、結局アカデミーの周縁より、そろそろ死に体(たい)のアカデミーを衝くという位置にいて、知がぶのみ中の若者のバイブルだった。

とまで記せば、種村季弘は?と問うのはごく自然の流れだろう。澁澤には礒崎純一あり、山口に川村伸秀あって、先達の所有した書の名までいちいち言えるのは驚きだが、種村に「種村季弘のウェブ・ラビリントス」というウェブサイトがあって、著作データを管理しているという噂を聞くだに、さもありなんと思う反面、ちがうなあと感じてしまうのが面白い。

これは鹿島茂に対して荒俣宏の持つスタンスとも思えて、なお面白い。古書の利用について荒俣が、読み終われば本のマーケットにもう一度投げ込むのが当然と言い放ち、現に厖大な本の離合と集散を氏が実践している現場をこの目で見てきた人間を心底驚駭させたのは、実際感動的ですらある。著作もう三百に近いと思わせる荒俣にしろ、百点は遺したはずの種村にしろ、その読んだ材料の仔細を別に知りたいとは思わない。捨て聖の風情が、好き嫌いはあろうが、ぼくには格が一段上のように思われる。体調を崩した山口氏の介護の人が、先生を書店に連れて行ったところが、「夢遊病者のような手つきで」次々と新刊に触れ、買っていくのに驚くと仰有っているのを聞いて、非常におかしかった。書痴書狼にだって、はっきり二種類あるか、と。

種村季弘のエッセンスとは何か。それぞれがひとつの世界を切り開き、地平を変えたという意味では、『怪物の解剖学』、『薔薇十字の魔法』、そして『壺中天奇聞』三点に尽きる。前二著、独訳成れば、そっくり「種村化」中の現下の「メディア革命」プロジェクトのドイツ人たちさえ改めて呆然という名作だろうし、ぼくなど安心して江戸・東京に相手をシフトできたのも『壺中天奇聞』一巻を懐に抱いてのことである。

しかし結局は、どの一冊、いやどの一文をとっても、種村ミニマル・エッセンシャルであるという印象が強い。この人に「全集」は合わない。翻訳まで「全集」として出た澁澤。二人、本当は根元的にちがう、とつくづく思うのだ。

死後まとまった何冊かのうちの一点、『断片からの世界』が良い。「外国人美術家について書いた単行本未収録作品による美術評論集」(「編集後記」)。書くもの全てに出てくるマニエリスムについて故人がプロパーに書いたものが少ない中、貴重なG・R・ホッケ邦訳二点の抜かりないあとがきを収め、西欧文化論をどう日本文化論にシフトするかの模範的実験となり得て、ぼく自信、『黒に染める』刊行の勇気をそこに汲んだ傑作、『みづゑ』全巻を通しての記念碑的一文、「伊藤若沖-物好きの集合論」を収めたという点だけでも、究極。狭隘な美術史家のいうマニエリスムと隔絶した今日に生きるマニエリスム・マインドにこそ関心ある読者には、これ一冊で旱天の慈雨だ。しかも種村氏の第二の「学問的」寄与たるノイエ・ザハリヒカイト(Neue Sachlichkeit [新即物主義])の一連の手堅い論もあり、1960年代同時代の仲間の仕事への熱いオマージュもある。種村エッセンス。しかも他人がつくったところが凄いのである。澁澤ではあり得ぬことだろう。

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