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『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』国書刊行会編集部(国書刊行会)

書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録

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もっとストイックなドラコニアをという欲ばり

そもそも2006年が読書好きにとってとんでもない「驚異の年」になったのは、松岡正剛『千夜千冊』(求龍堂)『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)二点の刊行のせいである。貪欲な博読家松岡正剛が毎日毎日書きだめ、編集工学研究所の電子環境から数年がかりで発信したものに、千冊の区切りをつけて猛烈に加筆して巨大冊子体に変性せしめた異様な企画は、十万円にも手が届くものであるにもかかわらず、早々に重版した。

大企画は大企画ながら、故澁澤龍彦蔵書の目録は一万余点の書目の一覧表であって、一点一点がレヴュー・アーティクルとなっている『千夜千冊』と比べようがないが、1960年代から幾つか山を迎えつつ世紀末にいたるあたりの書物界について雄弁に証言してくれるという点では、両者何径庭も遜色もない。

澁澤邸書目は全体何のジャンルなのだろう。数年前、ぼくは以前書いた推理小説関係の文化史評論を『殺す・集める・読む』という一冊にまとめて、編集者ともども仲々の野心をこめて、幾つかの関係の章を狙ったことがあり、特に江戸川乱歩章狙いだったのを、『幻影の蔵-江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』にもっていかれた。乱歩の蔵書目録とあって、此方に勝目などあるはずはなかったにしろ、「批評」部門なのになぜ「目録」と同じ土俵で甲乙つけられるのかと、釈然としない。いろんな賞で全部次点に終った。

蔵書一覧て、そんなに面白いものなのか。たとえばかつて本狂いという伝説のあったぼく。図書館の司書まがいの仕事をしたこともあり、図書館派である。勿論、他の人間と異なる専門的分野の本は自分で蔵する他はなく、愛書家蔵書家一人前くらいの本は、別に一軒、床の頑丈な家をそのために借りたことはあるが、もともとためこむのに向いたたちでないらしく、その上に家内のごたごたや、子供たちにも空間を次々と宛がわないといけないという子沢山(愛書家には致命傷)の身ということもあって、新千年紀を越えたあたりからは、とにかく当面喫緊の本以外は買わないというばかりか、蔵書を解体し、多くは近所の公共図書館何館かに寄贈したり、売り払ったりした。

澁澤邸蔵書目録は、付録の、龍子未亡人による読み手としての故人の思い出話が爽やかで小気味よい。本と中身のことで神の如き記憶力を誇った澁澤氏が、日常生活の中では一人では何もできない「博士の愛した数式」状態であったという逸話の連続が、ささやかながら全く同族のぼくなどからみて、そうだそうだと、甚だ痛快なのだ。この思い出話で、澁澤氏が本を買うことにいかにストイックで、一旦買った本についてはいかに大事にし、どこに置いてあるか完全に把握していたかという話が、いかにもと感じられて実に面白かったが、ぼくが死んだ後、少なくとも二人の女が(複雑な事情あり)ぼくと本の付き合いについて、これときっと逆のことを言うのだろうと思って、ひとり苦笑してしまった。

若き日の澁澤氏の手元不如意はよく知られている。その頃読んだ本が、この目録にどう残っているのだろう。もうひとつの付録が、故人に一番近しかった松山俊太郎・巖谷國士両氏の対談で、これで印象的だったのは、書いているものの割に蔵書が少ない、というより、どこかでちらりと見た雑誌の片々たる記事といったものを巧みにつないで文章にすることが多かったのではないかという話である。この一万五千にも近い本や雑誌の集積が澁澤氏の書きものを支えたには違いないとしても、これがそのまま澁澤氏の書の趣味を反映しているともいい切れない。そこが残念。

痛烈なのは、知人(あるいは澁澤ファンにすぎないもの書き)からの寄贈本をチェックしマークを付けた工夫である(ぼくの本なども随分ぼくから送ったものである)。架蔵点数が一番多い三島由紀夫中井英夫埴谷雄高種村季弘など、皆友人なので、互いに寄贈し合っている。だから寄贈のマークが付いていても澁澤偏愛の本はいっぱいあるわけなのだが、「ストイックな」澁澤氏が敢えて身銭は切らなかったであろう寄贈本も実は随分混じっている様子だ。一定量処分はしたということだが、本はもらったものでも大事にしたと龍子夫人の言葉にある。本当は一寸膨満気味な一覧表だ。

勿論、澁澤氏にとってぎりぎり大事な本と著者たちはすぐチェックできる。澁澤邸の本棚毎に書目を追う仕掛けだが、結構混沌たる部分があるのを、巻末の索引が救う。花田清輝林達夫は全集があるのに、花田と仲が悪かった吉本隆明は果然少ない。熊楠や石川淳は全集が2セットもあるとか、蓮實重彦はあるのに柄谷行人は一点のみとか、中沢新一四方田犬彦はあるのに浅田彰ゼロとか、フーコーやルフェーヴルはいっぱいあるのにデリダ皆無とか、澁澤趣味がよくわかって実に面白い。海野弘とかコリン・ウィルソンとか、猛烈な学知を巷へと開く書き手が好きだったようだ。

悲しむべき1987年8月(逝去)以前の一番娯しみ多かった読書界のエッセンス。それ以降の寄贈本一切排除という礒崎純一氏の編集方針や良し。

「創作ノート影印」には、撫でながら、はまった。

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