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『もうひとつの国へ』森山大道(朝日新聞出版)

もうひとつの国へ

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シケた日にはこんなふうに日記を書けるようになりたい

「もうひとつの国へ」なんて、きざなタイトルで反吐が出る。帯にはもうひとつのきざ。

「火曜日、記すべきことなし、存在した。」というのは、ジャン・ポール・サルトル「嘔吐」のなかのワンフレーズである。


こう書き出して、次に寺山修司の「過ぎ行く一切は比喩である」を引き、ぼくにとっては今現在も比喩だと言い、古いマンションの一室の鉄パイプ製のベッドで目覚め頭痛薬やチョコや缶コーヒーや煙草を連れて大きなテーブルにゆき、足を投げ出してリビングの換気扇や彼方の高層ビルやキッチンのメモに目をやり、「冴えない朝の時間(ルビ:メニュー)の向こう」につながる「日常という名の迷路」へ「モードを切り替え」、「ぼくの仕方もない一日」の始まりを書いてみせる。きざなパーツの連鎖ながら写真家・森山大道の語り口がきざをぎざぎざにひきさいてしまうのは、写真と暇以外の全てに向かうけだるさが通低しているからだろう。

写真以外の用向きである文章を書くのも、けだるいに違いない。まして写真についてでなければ——。ジェームズ・ボールドウィンの「もう一つの国」を「パクって」タイトルにしたというこの本は、発表してきた文章のなかから写真に関わりのないものを選び、さらにいくつか書き足したものである。当然言い出したのは著者ではなく、しぶとい一人の編集者にもとめられて「脇の甘いぼく」が「負け」、ゴリッとしない文章にうんざりしつつ、そのかわりに最近撮った未発表の写真を中心にしてあわせることで「なんとかゴリッと」仕上げたという。

     ※

森山さんは「ことごとくファジーでレイジー」なナマコに日頃憧れていて、そのわけについてはちっともけだるくなくこのなかに書いている。主義という名の片寄りを嫌い、陽当たりの悪い場所にナマコは終日寝転がっている。正体不明と周囲には思われ、すなわち徹底的に個の個で在る。森山さんはいわば陸に上がったナマコであり、つまりカメラをさげたナマコなのだが、そうは言ってもナマコそのものではないので、写真と暇以外の全てをけだるくやりすごすことがかなり大事なことと思われる。けだるくやり過ごせていない時間のこともさもけだるく書いてみたりして、「オレの内部の純情」を隠すポーズや照れは、ちょっとおばさんみたいにすぼめる口元から感じてしまう。

究極の憧れをナマコとして、カメラをぶらさげたナマコこと森山大道のように私も○○したナマコになりたいが、○○が埋まらない。欲しい○○が見つからなければ○○でないことを消去してゆくしかなく、たとえばシケた一日が過ぎたとひとりごちる夜だか朝には、森山大道がシケた一日を書いたのを真似てみたくなる。いつか懐かしむための記録でも誰かを攻めて自分に言い訳する物語でもなく、救いようのない一日をただ書いて捨てる。日記でもブログでもなくきちんと求められることでいやいや書いたとしても、人目に触れること、それでこのひとは捨ててきたのだろう。私は2600円+税で、巨匠写真家森山大道が書き捨てたものをせいぜい買うのだが、たいした拾いものなのだった。本って馬鹿みたいに安くて驚く。

表紙カバーと帯は淡いクリーム色で、天地からちらりとみえる表紙の朱色が美しい。開くと見返しの灰色の三方からちらりと見える表紙の朱色がやはり美しい。装丁:坂川事務所。


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