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『東京夢譚』鬼海弘雄(草思社)

東京夢譚

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「なつかしさという紐のこぶ」

曇りの日も、晴れの日も。こんな日は、いい写真が撮れるかもしれない。写真家は、「○○に行ってみるか」と家を出る。すれ違う人や犬や建物を観察しながら、頭の中は時と場所を超えてゆく。「Web草思」に連載していた「東京ポルカ」に大幅に筆を入れ、写真も、30年にわたり撮り続けてきた「東京シリーズ」からさらに選んで加えている。まんなかの濃いめの色のクラフト紙に刷られた21の文章を、前後に120点の写真が包み、本は角背上製本に仕立てられた。給水塔や橋、ビルなど、都下それぞれの場所のランドマークをとらえた写真は正面や見慣れた角度からとらえられることはなく、それらをめざして渦を描くようにして歩く写真家を、俯瞰で追ったコマ撮りの映像が浮かぶ。渦を描く歩行ーーよく晴れた冬の日の朝、誰よりも早く起きて足跡ひとつない真っ白な田んぼに「渦巻き」を描くのがうれしかった。よけいな足跡をつけないように外から内へ描くのがナラワシ。できるだけ大きな渦になるように最初のひと丸の目測をつけるのが大事で、あとは中心に向かって一気に走り込む。朝日に輝く一面の雪を、家族に気づかれないように起きて踏むことや、朝ご飯のあとに友達を呼んで、自慢の「渦」を提供して遊ぶのが楽しかった。写真家も外から内へと歩みを加速させながら、そこに「夢譚」をみたのかもしれないという夢想もいい。

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多摩川近くの旧街道を歩いていて出会った風変わりな古道具屋の話が出てくる。これでもかこれでもかと敷地いっぱいに商品を並べぶらさげた店頭とその隣の「しゃれたヘアデザイナーサロン」に目を奪われるも、キッチュはなるべく撮らないことにしているからとカメラを向けるのをあきらめている。ところがやおら店主が出てきて、写真を撮ってくれとせがまれたあげく、駄賃だと300円を握らされる。風変わりな古道具屋ーー数年前まで暮らしていたあの町の、あの交差点のあの店であることがすぐにわかった。まさにあの町のランドマークで、知らぬひとはいない。店主はよく通りに出ていたし、駅前のバス停のベンチでもときどきみかけたが、こちらもあれほど眺めていたわりに一度も話しかけたことはなかった。引っ越し前の最後の休日、近所を散歩しながら撮った写真にはこの店も写っているが店主はいない。なるほどおっちゃん、強烈なおっちゃん波動を受けるワクがこっちになかったもんね。でも今なつかしく思いまして、それで初めて話かけているところです。

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たまたま知っている場所が写っているからとその写真に興じてしゃべっているひとの話を聞くのはつまらない。「なつかしい」というコンビニエントな台詞も個人史トークに応戦する言葉ではない。姉とふたりでなにか昔話に興じていたとき、姪が突然「○○ちゃんも早くなつかしくなりたい!」と言って割り込んできたことがあった。幼い彼女をほっといて、「うわーなつかしいー」とかなんとか言ってたのだろう。まだなつかしむほど生きてないもんねー大人になるほどなつかしいことばっかりでうんざりだよと笑ったけれど、増え続けるなつかしさに彼女が憧れたその気持ちはなんだったのだろうと思い返す頻度も高まる。なつかしさについて写真家・鬼海弘雄はこの本で、あとがきにこう書いている。

なつかしさとは固まってしまった時間への一方的回顧ではなく、本来しなやかなもので、今という時間の端から紐をゆらすと過去や未来までつながってゆれあう関係性だと妄想をいだいている。

たしかになつかしさは、まだ見ぬ先の気分をも言い当てる。

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生家を離れて暮らした土地はどこも、その場所でなければならない理由はなにもなかった。執着する必要もないから、近所はすべて散歩道で、暮らした家はその休憩所のようなものだ。どんな土地もよく歩いて写真も撮るが、撮れば撮ったで撮りっぱなしで、それぞれの土地へのいとおしい気持ちは空回りしている。こんなことではいまにすべての土地に見放されてしまうだろう。だけど家を建てるとか暮らして税金をおさめるとか、あるいは知り合いを訪ねるとかいう物理的な接触でしかその気持ちを埋められないわけはない。写真家はあとがきでこう続ける。

誰でもが自分の体験を通して、いま立っているところからすこしだけ踵をあげ、たがいにもう少し生きやすくなる「世界」への、ゆるやかな眼差しをつむぎだすものだという錯覚をもっている。他人への思いのつながりの無いところには、きっとなつかしさが生まれるはずがなく、共感も生まれるはずがないのだから。

なつかしさは永遠につながる紐で、できたこぶにぶつかったひとが「なつかしい」と言う。

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おりしも大辻清司の写真展があって、なじみの場所の写真にはなつかしさも覚えた。特定の場所を作品に記すことは実験の要素であったに違いなく、のちになつかしさで見られることも予想していただろう。『写真ノート』(大辻清司 美術出版社1989)でなつかしさを言い当てたこの一節は愉快である。

私の息子が十三、四歳ごろに「ぼくがむかし子供のころ……」と思い出を話して懐かしがったことがある。私はあっ気にとられ、次いで、笑い出しそうになるのをこらえるのに苦労した。



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