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『トオヌップ』小栗昌子(冬青社)

トオヌップ

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「遠野郷のはるか昔に眼差しを注ぐ」

まず目を引かれたのは、写真集の表紙に載っている男の顔だった。眼光が鋭く、見るものをはっとさせる凄みがある。ただ「濃い」とか「個性的」とか表現されるものとはちがう、生活の起伏や歴史が刻まれた顔、人間の営みの原初に立ち返らせてくれる顔である。

本のタイトルは『トオヌップ』だが、これもはじめて聞く言葉だった。北海道の地名に響きが似ているなと思ったら、予想通り、トオ・ヌップは「湖のある丘原」を意味するアイヌ語だった。

だがその場所は北海道ではなく、東北地方にある。いま私たちが「遠野」と呼んでいる、柳田国男の『遠野物語』で全国的に有名になった岩手県の盆地は、大和朝廷に支配される以前は「トオヌップ」だったのだ。タイトルを「遠野」ではなく「トオヌップ」とし、この男の写真を表紙にもってくることで、この写真集の視点が示唆されている。

最初のページには遠野郷を俯瞰した写真が載っている。雲間から差し込んだ光が、山に囲まれた平原と、蛇行する川を照らし出している。見ていると、ここが湖だった太古の時代がありありと目に浮かんでくる。と同時におなじ場所に立って、おなじ風景を眺めた人のいたように感じられてきて、不思議な感慨が湧いてくる。

天狗の面と装束をつけた若者、光の差し込む森の木立、古代人の墓と言われている巨岩、冬の凍てつく川、霧の降り立つ野の写真などがつづき、農家の納屋が現れる。天井からさがった無数の細長いものはタバコの葉だ。このようにタバコの葉を屋内で乾燥させている光景は他のページにも出てくるが、人の存在を凌駕する力が天井から放射されているようで、何度見てもぎょっとさせられる。

宮沢賢治の『風の又三郎』のなかに、「なんだい、この葉は」と専売公社がきびしく管理しているタバコの葉を又三郎がちぎって、地元の子供たちを恐れさすシーンがあった。遠野と宮沢賢治の生まれた花巻とは遠くない。同じ釜石線で結ばれ、昔からタバコの栽培が盛んだった。鉄道の北側には神楽で知られる早池峰山がそびえ、近隣の人々の精神的な支柱となってきた。写真集には神楽の写真も収められいる。

炭窯の中に膝を折って座っている炭焼き職人、雑然とした納屋に独りぽつねんといるおばあさん、台所の床で足をのばして笑っている女の人、両手を腹の上に重ねて床の間に腰かけ目をつむる婦人、杖をしかと握って切り株に座るおばあさん……。だれもが黄泉の国の人影を背にして立っていて、物語のなかから現れ出て、いまにも何かを語りだしそうだ。

ある土地の魅力を写真で綴った写真集は数多くある。だが、この『トオヌップ』には、遠野の人と暮らしを伝える以上のものがあり、それはいったい何によってもたらされているのだろうと思った。

著者の小栗昌子の仕事を知ったのは、写真集『ひまわり』を見たのが最初だった。彼女は遠野の茅葺き屋根の家で暮らす病を背負った姉弟と知り合いになり、ふたりのつつましくも美しい暮らしぶりに惹かれて写真を撮りだす。それを一篇の物語のように編んだのが、2005年に出た1冊目の写真集だった。

そのとき、写真表現としては目新しいものはないにもかかわらず、描きだされたものの豊かさと確かさに瞠目した。一点一点に、物を見ることを通して獲得した作者の考えが滲み出ていて、オーソドックスな手法に秘められた写真の潜在力を、改めて知らされた思いがした。2冊目に当たる本書もそうで、モノクロ写真のセレクトと順番に、直感と思考がうまくかみ合った構成力が感じられる。

小栗は東北出身ではなく、1972年、名古屋の生まれである。遠野に旅して深く魅せられ、10年前からここに移り住んで写真を撮りだした。「その時に出会った、夏の雲や風、お祭り、力強く生きる人達。……私は心の中にある芯が揺さぶられ、ひとつの蓋が外されたような気がしたのです。そして同時に”この場所を撮りたい”と強く思いました」とあとがきに書いている。

自然の中の暮らしや、狭い共同体での人間関係は、なにもかもが思い通りには運ばないだろう。むしろ、矛盾点や解決不可能な問題に直面することのほうが多いかもしれない。だが小栗はそのような現実には触れず、彼女が「美しい」と思うものだけにカメラを向ける。その美しさとは、視覚的な美ではなく、与えられた生をありのままに受け入れる人の営みの尊さ、その生命が発する輝きと美しさだ。

ひとつの場所をとらえようとして、あまりにテーマを広げすぎて、隘路に落ち込むことがよくある。また肯定的な事柄には必ず否定的な側面もあって、それらを斟酌するうちに考えが拡散してしまうことも少なくなくない。このように一つの場所をストレートに力強く賛歌することは、簡単なようでいてそうではない。

素晴らしいものを、素晴らしと、たしなみをもって語る勇気が、この写真集の品格を作っている。ここにあるのは、だれもが還ることのできる永遠の「美しさ」であり、それはストイックな創作行為によってのみ、浮き彫りになるのだ。


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