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『無人島 1969-1971』ジル・ドゥルーズ(河出書房新社)

無人島 1969-1971

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ドゥルーズの声」

ドゥルーズ無人島 1969-1971』

ドゥルーズガタリと共同で執筆し、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』などを出版したころに発表していた論文を集めた「ドゥルーズ思考集成」の第二巻に相当する。とくに精神分析批判が中心となるのは、まあ予想された通りであり、いくつかの論文やインタビューは、すこしはしゃぎ過ぎなほどに、パパ-ママ-ボクの三角形の批判を展開する。

もちろんラカンが登場してすっかりさかんになったフランスの精神分析が、すべてをエディプス・コンプレックスの三角形のもとで解釈しようとする傾向があるのはたしかだ。しかしこの傾向は一度批判すればそれで十分なものではないかと、つい思ってしまう。だからどうなの、と。

それよりも欲望の理論についてドゥルーズが珍しくゆったりと説明しているインタビュー「資本主義と欲望」が楽しく読める。欲望を欠如として解釈するのではなく、作り出す欲望、想像的な欲望の力を認めることが重要であることを、『アンチ・オイディプス』などよりも明晰に語っていて読ませる。

ドゥルーズマルクスとは違って、欲望の力を下部組織のもとに認めるのだ。たとえば「欲望がいかに下部構造に働きかけるかということ、欲望が下部構造にいかに備給するか、欲望はいかに下部構造の一部をなしているか、そしてそのようにして欲望がいかに権力を組織する、弾圧システムがいかに組織されるか」といったことに注目する必要があることを強調するのである(二五五ページ)。

またこのインタビューは、よく言われるようにドゥルーズが欲望の資本主義を擁護しているわけではなく、資本主義の欠点をしっかりと批判しているという意味でも有益だろう。ブルジョアジーが「革命的な役割」を果たしたというマルクス主義的な見方を否定しながら、ブルショワジーは「民衆の欲望という巨大な欲動を操作し、誘導し、抑圧」するのであり、民衆に革命を起こさせるにすぎないのである(二六五ページ)。ブルジョワジーは「獲物をもっている猛禽類のようなものであり」、労働者を待ち構えて、本原的な蓄積と呼ばれるプロセスで、労働者の血を吸うのである(二六四ページ)。

あと忘れられなのは、ドゥルーズ構造主義を紹介した文章「何を構造主義として認めるか」だろう。ほぼ同時代にあって、フーコーラカンアルチュセールなどの思想に共通する性格をとりだして、構造主義を定義する特徴を確定する。これは構造主義が過去のものとなった時点にいわば「あと知恵」で書いた文章とは違って、その最中、あるいは直後の営みだけに、ドゥルーズの眼のたしかさが発揮された文章だ。いまの同時代の思想を定義することを試みる際にはきわめて参考になる文章として、ぼくたちの遺産となるだろう。

どの文章でも、ドゥルーズの少し含みのある低い声が柔らかく響いてくる。ほんとうにユニークな思想家だったと、改めて思わざるをえない。ただそれぞれの初出の訳を生かしてるらしく、訳者の数はかなり多い。そのために訳文におけるドゥルーズの声の響き方はさまざまだ。くぐもった声しか聞こえないのもあれば、うまく音調を生かした訳もある。できれば一人の声で全体を読みたかったと思うのは、贅沢というものだろうか。

なお著作に収容されなかった文章を集めたこの「ドゥルーズ思考集成」は、全体で四部構成であり、次のようになる。たしかに年代順に構成されているのだが、二つのタイトル「無人島」と「狂人の二つの体制 」を使い、それをまた年代で二分冊にしているので、わかりにくいことこの上ない。あと一工夫ほしかった感がある。

無人島 1953-1968

無人島 1969-1974

□狂人の二つの体制 1975-1982

□狂人の二つの体制 1983-1995

書誌情報

無人島. 1969-1974

ジル・ドゥルーズ[著]

■稲村真実[ほか]訳

小泉義之監修

河出書房新社

■2003.6

■321p ; 20cm


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