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プロの読み手による書評ブログ

『The Secret of Lost Things』Sheridan Hay(Doubleday)

The Secret of Lost Things

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「ニューヨークのストランドは好きですか」

 1927年に創設された本屋ストランドは、僕のニューヨークのアパートから歩いて15分ほどの所にある。ストランドは日本にも好きな人がたくさんいる本屋だ。置いてあるのは古本と1年以内にでたばかりの「新刊」、それに稀覯本だ。

 僕はアパートの本棚がいっぱいになり収拾がつかなくなると、本をトランクに詰め込んでストランドに売りに行く。本の種類にもよるが、20冊くらいいろいろ持っていって30ドルか40ドルくらい。

 ストランドは入り口の右側が本を買い取る場所になっていて、そのカウンターの後ろで本を見て買い取りの値段を決めるのはオーナーのフレッド・バスだ。僕は以前、彼にインタビューをしたことがあり、娘のナンシー・バスにも話を聞いたことがある。ストランドの店の中を案内してもらい、裏の倉庫や3階にあるレアブックスの売り場も見せてもらった。その時、1632年発行のシェークスピアの本や、ヘンリ・マティスとジョイスのサイン入りの『Ulysses』などをを見せてもらったことを憶えている。

 フレッドが僕のことを憶えているかどうかは分からないが、もし憶えていたとしたら彼はそのことを顔に出さない。僕たちはお互いに知らんぷりをしながら、本とお金を交換する。

 今回紹介する本は、このストランドが舞台となった小説『The Secret of Lost Thing』。著者は元ストランドの書店員で、オーストラリア生まれのシェリダン・ハイ。この小説は彼女のデビュー作となる。

 物語を少し説明すると主人公はタスマニア生まれの18歳の少女ローズマリー。父親が誰か分からず母親も失ったローズマリーはニューヨークにやってきて、アーケードという古本屋に働き始める。このアーケードという本屋がストランドで、ハイはオーナーのフレッドやほかの一風変わった書店員たちの姿をこの小説で描いている。それだけではなく、ストランドの棚の配置や書店員たちの人間関係も描かれていて、ストランドを知る僕にとってはこれだけで結構楽しめるものだった。ローズマリーアルビノ(先天性色素欠乏症)のマネジャーの助手を務めることになり、そこから彼女ハーマン・メルヴィルの手書き原稿の謎に巻き込まれていく。

 内容はスリラーと純文学の中間というところ。メルヴィルの原稿を追うというエンターテインメント性がある一方、登場人物の心の動きや人生も見据えている。難を言えば、いろいろな要素を詰め込みすぎた感があるところだろうか。

 この小説にはメルヴィルの原稿の謎、孤独なアルビノの人生、女性になる手術をするゲイ、子供が行方不明のアルゼンチン人の母親、博学で冷たい心を持つ青年などが登場する。ニューヨークで発行されているタブロイド紙『ヴィレッジ・ヴォイス』の書評では、それぞれが1冊の本になり得る題材だと評していた。

 まあ、そうであっても僕個人としては文章を読むだけでその場面が目に浮かび、人物の姿が見えた。また、結末に向けての最終部分の盛り上がりも十分な迫力があるものだった。ハイの書く英文は読みやすく、日本の読者向きだろう。それに本屋とメルヴィルの手書き原稿という題材から浮かび上がってくる、稀覯本に執着する特殊な世界に属する人たちのことが読める。ストランドのファン、ニューヨークが好きな人、それに本の世界が好きな人にはお勧めの本だ。

 (秦 隆司)

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