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2012年10月17日

『地上 ― 地に潜むもの』島田 清次郎(季節社)

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「ただの一発屋だと思っていました」

 ごめんなさい。調子にのって自滅した、ただの一発屋だと思っていました。
 島田清次郎について、本書を読むまで私が持っていたイメージは、
「大正時代の変人で一発屋。石川県に生まれ弱冠20歳で発表した『地上』が大ベストセラーとなり天才島清と一時もてはやされたが傲慢な性格が災いし皆に嫌われ自著のタイトルを編集者に『我れ世に敗れたり』なんて勝手に書き換えられたりしたあげく発狂し芝公園で凍死。たまたま時流に乗っただけできっといま読んだら文章も稚拙でつまらない作品だろう」
とこんな感じだった。
 しかし、これは誤解だった。実際は、芝公園で凍死ではなく、精神病院で肺結核で死去、だった。いつのまにか藤澤清造の最期と混同していたみたいだ。
 あともう一つ、一番大きな誤解だったのは、「文章も稚拙でつまらない作品だろう」の部分。稚拙どころか堂々たるものだった。

 主人公・平一郎とその母お光が間借りしている遊郭の夏の夜、

白日の太陽の下に照されては、瘠せ細った骨格、露わな肋骨、光沢のないもつれ毛、血色の悪い蒼白な肉身も、夜の無限な魅力のうちに、エレキの白光に照らし出されては、一切は豊潤な美とみずみずしさを現わすのである。くろぐろと宝玉のような光輝をもつ黒髪も美しければ、透明で白い肉身の膚に潮のように浮かぶ情熱の血の色も美しい。軽やかな水色、薄桃色、藤紫色の色彩に包まれた肉体の動揺の生み出す明暗の美しさを何にたとえようか——(p. 90)

 どうです、この文章。弱冠20歳云々ぬきでも、十分読ませる文章じゃないですか?
 最初は軽い気持ちで本書を読みはじめたのだが、すぐに襟を正して、じっくり読むことにした。島清の人並みはずれた観察眼と描写力を随所に感じた。まるでリアリズムで描かれた幻視者の文章を読んでいるような、『苦海浄土』(石牟礼道子)なんかを読んでいるときと同じような感覚、といっては言い過ぎかな。

 「おれは偉くなる」が口癖の平一郎が貧乏に負けまいと勉学にはげみ、いつの日か政治家となって世の中から貧困をなくすという目標に向かって邁進する、という話なのだが、先祖の濃すぎる血縁や仇敵を追って東京に向かう叔母の話などが複雑に絡み合ってストーリーも飽きさせない。谷崎潤一郎と国枝史郎を足して2で割ったような感じ……は明らかに言い過ぎだな。いずれにせよ、これから平一郎はどうなっていくのか!と期待を目一杯あおったところで物語は終わってしまう。

 じつは、この「地に潜むもの」は『地上』シリーズの「第一部」で、本当はつづきがあと五冊あるようだ。ただし第二部以降はひどい出来らしく、本書の解説でも「作品内容の低下と破綻はだれの目にも明らか」で「第二部以下は出版しないであろう」とまで書かれている。

 それにしても、これだけの作品を書いた島清の続編が、そんなにひどいものなのだろうか、と、逆につづきが気になって仕方がなくなった。「この作品は、これ自体で完結している」なんて書かれても……どうにかしてつづきが読みたい、そう思わせてくれるくらい、スケールの大きさを感じさせてくれる作品だった。でも、つづきを読んだら読んだで、きっとガッカリ、後悔するんだろうなあ。


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