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2011年05月20日

『震える舌』三木 卓(講談社文芸文庫)

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「詩人の目」

 『震える舌』は、詩人であり小説家でもある三木卓氏が1975年に発表した長編小説だ。幼稚園児だった愛娘が破傷風にかかったときの実体験をもとに、娘の闘病を父親の視点から描いたものなのだが、さすが「詩人の目」とでもいうか、ハッとさせられるような表現が随所にちりばめられていた。


 ある日、「わたし」が家に帰ると、一人娘の昌子の様子がおかしい。食べ物を口にしないどころか、口を開けようともしない。話しかけてもほとんど返事もせず、ただ椅子に座ったままだ。

 部屋は二本の二十ワットの昼光色蛍光灯に照し出されていた。部屋の物たちは淡く重なりあった陰影をつくっていた。それらは在るべきところにあった。そのなかに昌子もいた。昌子は小さく見えた。いつもなら彼女はそれらにむかって積極的に力をふるい、影響をあたえているはずなのだった。しかし今は逆にとりかこまれて攻撃を受けていた。物たちはひしめいていた。(p.17)
 プリンの蓋をあけ、受皿に移した。食卓の上はきれいに拭われていて、昌子の前には何もおかれてなかった。〈遊ぶものなしでこどもがじっと坐っている〉と思った。(p.18)

 これは発作が起こる前、まだ病名が破傷風だと判明する前の、痛みに耐えている娘を描いた部分だ。嵐の前の静けさを思わせる、今にもピンの一刺しではじけそうな、緊張感にあふれた文章だ。

 その後、昌子の病状は急速に悪化していき、病院での治療が始まっても一向に好転しない。
 舌の痙攣、全身が反り返るような発作の連続、そんな苦しむ昌子の姿は壮絶だ。舌を噛み切らないようにと歯を次々と抜かれ血まみれになった娘を見て、「ああ可哀想なやつだ」と父は泣く。
 自らも破傷風に感染したのではないかという不安にさいなまれながらも看病を続ける「わたし」、終わらない凄惨な光景に精神がおかしくなる妻。「わたし」は娘の死を覚悟し、そして自身の発病、家族の崩壊をも想像する。今にも消えそうな命、夫婦関係、社会的な立場、しかし自分ではどうすることもできない無力感。

 そんな中で、「わたし」の思考は、破傷風菌というものの存在、それが置かれている状況へも延びていく。
 破傷風とは、破傷風菌によっておこる死亡率の高い感染症で、この作品に出てくる医者によれば、「破傷風菌は、嫌気性菌ですが、これは地球上に酸素ガスのない極めて初期の時代に生まれた古い菌」(p. 107)なのだという。太古に生まれた破傷風菌は、普段は酸素ガスによって片隅に追いやられているが、ひとたび大気から遮断された人体に入ると、増殖し猛威を振るいはじめるのだ。

 あるとき、世界からの侵入を防いでいる薄い一枚の皮膚が破れ、傷口がひらき、光が射しこみ、世界の要素が零れ落ちる。傷口は閉じる。その時有毒な酸素ガスの渦からのがれた菌は増殖をはじめる。われわれよりも遥かに古い、この地球の主人たちは、環境の変化に怨恨を抱いているのだろうか? 新参者で成りあがり者の人間を培地にして、その中に古い地球を見出して増殖するのは、かれらの復讐なのだろうか?(p.108)

 〈なぜ菌は昌子を苦しめるのだろう?〉幾度か繰返した問がまた心に浮びあがってきた。〈古い地球を昌子に見出したなら、なぜそこで平穏に暮そうとしないのだろう? たとえ新しい地球に対する復讐であるとしても、宿主である者を殺してしまっては自分らも死ななければならないではないか?〉(p.126)

 死への階段を一歩一歩上っているような娘を見つめながら、その体の中で増殖を続ける破傷風菌の意志を想像し、地球の歴史を見てしまう目。少し冷徹すぎる気もするが、このような視点は、三木氏自身の体験、幼少時に大病を繰り返し、また兄を病気で失うという過去からきているのかもしれない。
 この三木氏自身の体験は、本書の中でも「わたし」の話として少し触れられている。そしてそれが、作中ではほんの少ししか登場しない「わたし」の母の言葉を、とても印象深いものにしている。息子たちの大病や死、それらを母親として見つめてきた祖母が、一進一退を繰り返す孫(昌子)を見舞ったときの言葉だ。

 母親は椅子から立上がると寝台の枕もとに立ち、孫娘をじっと見つめた。「大丈夫だよ。なんとかなるよ」彼女は呟いた。「こんないい子なんだもの。わたしの勘でわかるよ」そういって、そっと昌子の手にさわった。しかしわたしは、いつも母親が「死んでしまった子はみんないい子だよ。母親にとっては」といっている言葉を思い出していた。「おんなじ苦労のくりかえしだねえ」彼女は感傷的な声でいった。「あんたらの番だねえ……」それから彼女はゆっくりした足どりで部屋を出ていった。(p.140)

 「あんたらの番だねえ……」多くの肉親を看取ってきた者の、血、運命、宿命を感じさせる、重い言葉だ。

 また、本書の終盤、数日ぶりに夫婦そろって帰宅する途中の二人の会話が絶妙なのだが、それは読んでのお楽しみということで、ここでは書かない。
 闘病記でありながら、それだけに収まらない、重層的なイメージを与えてくれる素晴らしい文学作品だった。いいとは聞いていたけれど、もっと早く読んでおけばよかった。不覚。


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