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2014年04月19日

『ケータイの2000年代―成熟するモバイル社会』松田美佐・土橋臣吾・辻泉【編】(東京大学出版会)

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「モバイル社会はどのように成熟していくのか」

 日本社会でケータイの本格的な普及が進んだのは1990年代中盤以降のことである。すでにそれから20年近くがたとうとしており、今では大学生たちも、ほぼ100%がケータイを持ち、そのほとんどもスマートフォン(スマホ)となっている。

 こうした驚くべき技術的な進歩の一方で、その利用者である我々、あるいはこの社会はどのような変化を遂げてきたのだろうか。それは果たして、この新しいメディアを十二分に使いこなした成熟した社会といえるのだろうか。


 本書は、2001年と2011年に行われた全国調査の結果に基づいて、こうしたモバイルメディア利用と社会変化の実態について検討を行った論文集である。実証的な調査結果に基づき、手堅く経年変化をとらえた内容は貴重なものといえるだろう。


 成熟という点でいえば、序章で筆頭編者の松田美佐も述べているように、ケータイに対する評価がこの10年間でようやく落ち着いたものとなってきたことが指摘できよう。


 「携帯電話の普及によって犯罪は増加した」「携帯電話の普及によって公共のマナーが悪くなった」といった項目について、「そう思う」「まあそう思う」を合わせるとかなり高い割合の回答が寄せられていたのが、2011年では10%程度の減少が見られた。


 だが「災害が起こったとき、携帯電話は役立つ」という項目についても、2回目の調査が行われたのが東日本大震災後であったこともあってか、大きな減少が目立っていた。つまり普及からしばらくの間寄せられていた、(肯定/否定の両面における)極端な期待は、まさに相対化されてきたといえる。


 しかしながらこうした評価面での「落ち着き」の一方で、この新しいメディアの利用とともに社会の成熟が増したのかといわれれば、やや心もとないところもあるようだ。


 例えば評者が記した8章では、こうしたメディアの普及とともに、コミュニケーションのチャンスは拡大し、特に友人数の増加など、パーソナルネットワークの変化と強く関連してきたことが示唆される一方で、それが互酬性の規範や一般的信頼といった社会関係資本の醸成とは必ずしも結びついていないことも伺えた(むしろ一般的信頼については低下の傾向すら伺えた)。


 さらに辻大介の記した3章においては、PCを中心とするインターネット利用が市民的な参与行動と関連する一方で、ケータイを中心とするインターネット利用においては、あまり関連せず、「民主主義デバイド」が拡大する危険性すら危惧されている。


 むろん、何をもって成熟した社会とするかという定義によっても話は異なってくるため、終章で土橋臣吾も指摘するように、我々の「社会に対する捉え方」そのものを相対化しながら、こうしたモバイルメディア込みの社会のありよう(モバイルな社会性=モバイルソーシャリティ)を考えていくことも今後は重要となってくるのだろう。


 その点でも貴重な成果といえる本書を、ぜひ多くの方にご覧いただきたいと思う。


 また一点だけ、本書に参加したものとして追記しておくならば、今後におけるこうしたメディアの利用実態調査に関する困難についても触れておきたい。


 2001年の段階では、ケータイの普及率もまだ100%近くには達していなかったし、ケータイの利用とPCの利用とを明確に区分しやすかったのだが、今日では先ほども触れたように、スマホや各種のタブレットの普及なども進み、非常に複雑な状況にある。


 したがって2011年の段階ですら、こうした複雑なメディア利用状況を、質問紙で尋ねることには相当の困難が伴ったのだが、もし今後もこうした調査を継続しようと思うと、さらなる困難が待ち受けていることが予想される。


 この点は今後も課題とすべき点だろうが、そもそもこうした点が、困難な問題点として存在しているということ自体が記録として残され、語り継がれるべき知見であり、その点でも本書は、調査方法論上においても、貴重な成果といえるだろう。


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