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2014年03月31日

『就活は最強の教育プログラムである』稲増 龍夫/法政大学自主マスコミ講座(中央公論新社)

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「伝説の自主ゼミの全貌が明らかに」


 本書は、「伝説のゼミ」としてその名を知られる、法政大学自主マスコミ講座のこれまでの軌跡をまとめたものである。


 同講座は、稲増龍夫教授を中心に1988年に立ち上げられ、これまでに送り出されてきた卒業生のうち、現在では1000名以上がマスコミ業界で働いているという。よく知られたところでいえば、元フジテレビで現在はフリーアナウンサーの小島奈津子氏も同講座の卒業生である。


 同講座自体に関心のある方は、公式のHPやブログも参照するとよいだろう(HPのURLは、http://www.jishumasu.com/index.html 
ブログのURLは、http://ameblo.jp/jishumasu/)。

 同規模私大である筆者の勤務先においても、その名は広く知られており、「こっちか法政かで迷ったんです、だって向こうにはあの『自主マスコミ講座』があるじゃないですか」という学生も後を絶たないほどである。


 本書ではその『自主マスコミ講座』の運営ノウハウが惜しげもなくふんだんに記されている。土曜日を中心に、かなりの長時間にわたって、ボランタリーな運営がなされていること、受講生の多さ、指導の手厚さなど、改めて驚きをもって読み進めつつ、特に強い印象に残ったのは、「内部規律」を徹底させているということであった。


 すなわち「私語は問題外なので言うまでもないが、教室に来たら一番前から座ること、授業時間中は飲み物を机の上におかない、遅刻したら休み時間になるまで途中入室はできない、講座中は講師や先輩に会ったら必ず挨拶をする、などのルールを定め、徹底させた」(P60)のだという。


 読者には、一見、大学という空間の、ましてや自主性を重んじる集まりのありようとは相いれなさそうな「規律」に感じられるかもしれない。だが、その自主性とやる気の高さを、さらに「高濃度」に純化していくためには、時にあえてこうした工夫も必要なのだろう。


 たしかに、基本なくして応用はありえないわけで、「本当に自由な表現活動をしたいのなら、作家やアーティストになればいいわけで、誰に遠慮することなく独自の道を究めればいい。しかし「組織」の中で「個性」を発揮していくには、バランス感覚が大事」(P61)という主張には合点がいく。


 だが、本書6章でも触れられているように、「若者のマスコミ離れ」とともに、同講座の受講生もいよいよ減少し始めているのだという。


 評者も、もちろんいつまでも現在のマスコミだけがその特権的な地位を保持できるとは到底思っていない。だが、その業界の人々が保持する情報発信のありようや、それこそ同講座が持ち合わせてきたような人材育成に関してのノウハウは、きちんと蓄積したうえで、インターネット時代においても、語り継いでいくべきではないかと思う。


 本書は、まさにそうしたニーズに合致しており、広くメディアに関する業界を志望する学生や、それに関連した教育に携わる人々に是非お読みいただきたい一冊である。


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『オタク的想像力のリミット―“歴史・空間・交流”から問う』宮台 真司【監修】/辻 泉/岡部 大介/伊藤 瑞子【編】(筑摩書房)

オタク的想像力のリミット―“歴史・空間・交流”から問う →紀伊國屋ウェブストアで購入

「再び「オタク・オリエンタリズム」を超えるために」

 本書は、2012年2月28日の書評空間でも詳細させていただいたオタク文化に関する論文集『Fandom unbound : Otaku Culture in a Connected World』(Yale Unversity Press)の日本語版にあたるが、大幅な加筆が施されており、ぜひ改めてここで評しておきたい。

 サブタイトルにもあるように、本書では今日隆盛を極めるオタク文化について、社会学的な理解を深めるため、「歴史」「空間」「交流(=コミュニケーション)」といった三つの視点からなるそれぞれパートを設けており、さらに日米の一線級の研究者たちの論文を収録したという構成については、英語版とあまり変わるところはない。


 だが、日本語での読者を特に意識して行ったのは、今、日本社会においてオタク文化を考えることの意義を強く訴えた序章を新たに記すとともに、監修者として宮台真司氏を迎え、オタク文化に至る歴史を総合的に紐解きつつ、今後を展望する1章および終章を加えたということである。


 評者と共編者の岡部大介氏が記した序章でも触れたことだが、オタク文化は、今日では一見人口に膾炙したかに見えて、未だにその深層についての理解は進んでいないように思われる。


 いわば日本国内においても、「『とりあえずアニメが好きです』って言っておけば、話のネタになる」といったように、表層的なコミュニケーションツールには成りえていても、その文化としての来たる由縁や、詳細な実態について知りえている人々は多くないだろう。


 また諸外国においても、いかにオタク文化がグローバルに評価されているとはいえ、その受容や研究のされ方を見ると、極端にいえば「ゲイシャ・フジヤマ・シンカンセン」といったものと同列に、珍奇なものとしてステレオタイプにまなざされているだけではないかという印象がぬぐえないのも事実である。


 こうした意味において、オタク文化は依然として国内外の両方面から「オリエンタリズム的な視点」にさらされていると言わざるを得ない。

 本書では、こうした状況を打破すべく、主として社会学的な視点を元にしつつ、先に述べた「歴史」「空間」「交流」という三つのパートから理解を試みようとしている。


 そして新たに加わった終章においては、その未来についても展望しており、いわく「オタク・オリエンタリズム」が乗り越えられるのは時間の問題で、それはオタク・コンテンツが持つ「文脈の無関連化機能」によるのだという。


 さらに本書には、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』、北田暁大氏の『嗤う日本のナショナリズム』、森川嘉一郎氏の『趣都の誕生』といった必読文献からもそのエッセンスが採録されており、まさに監修者の宮台氏をして、「さらなるオタク研究のために、考え得る限りで現在最良の論集」(2014年3月25日7:53のツイートより)と評した内容となっている。


 広くオタク文化に関心のある方に、ぜひお読みいただきたい一冊である。


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『黒鉄ボブスレー』土屋雄民(小学館)

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「ガンバレ、町工場!」

 本作は、『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中のマンガを単行本化したものであり、作者の土屋雄民氏はこれが初の連載作品だという。
 タイトルからもわかるように、本作は、下町ボブスレープロジェクトをベースにしたものである。


 同プロジェクトについては、昨年末に関連する書籍が発売され、紀伊國屋書店のウェブサイト「注目の本・書評で読む」でも、『下町ボブスレー―東京・大田区、町工場の挑戦』(細貝淳一著/朝日新聞出版)と『下町ボブスレー―僕らのソリが五輪に挑む―大田区の町工場が夢中になった800日の記録』(奥山睦著 /日刊工業新聞社)の二冊が紹介されていたので、ご記憶の方もおられるだろう。(http://www.kinokuniya.co.jp/c/20131225145017.html)


 改めて記せば、下町ボブスレープロジェクトとは、大田区の町工場が中心となって、ボブスレー競技のそりを制作し、外国の有名メーカーと対抗しながら、オリンピックでの採用を目指すというものだ。残念ながら、先日のソチ冬季五輪では採用に至らず、日本チームは外国製のそりを使うことになったが、今後も2018年の平昌冬季五輪での採用を目指して、改良を続けていくという。


 すでにNHKでもテレビドラマされているが、本作は待望のコミカライズである。連載が長く続いて、若い世代へとその魅力が伝わることを願いたい。


 さてその内容だが、まずもって、土屋氏の泥臭い感じの絵柄がいい。男臭く、汗と油臭く、やぼったい感じの町工場の雰囲気がよく伝わってくる。けれども、そこで働く人々は職人気質で、技術については一流のものを持ち合わせている、といった展開もいい。


 しいて言うならば、今のところ本作では、あくまで男臭い職人気質の町工場の世界が描かれており、女性の登場人物はサブキャラの位置づけにあるのだが、あくまでノンフィクション路線を重視するならともかく、男性だけではなくて、想像力にあふれ高い技術も持ち合わせた女性が出てきても面白いのではないだろうか。


 そしてそのほうが、男性中心的でノスタルジックな内容に陥らず、むしろこれからの未来の展望を予感させる内容にならないだろうか。


 せっかくのコミカライズなので、そんな風に多少のフィクショナルな展開も期待したくなってしまう本作を、ぜひ多くの方にお読みいただきたいと思う。


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『ふるさと銀河線 軌道春秋』作画 深沢かすみ/原作 高田郁(川富士立夏)(双葉社)

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「公共空間で交差する多元的現実」

「このマンガ、面白いですよ」

 そういって薦めてくれたのは、地方空港の売店員の女性であった。無論、知り合いでも何でもなく、まったくの初対面に過ぎなかったが、そうした相手とコミュニケーションをする(あるいはせざるをえなくなる)ところに、公共空間の醍醐味がある。


 こうした公共空間の代表こそ、本書が描き出している鉄道の車内であろう。自家用車に乗る場合は別として、いかに個人化、情報化の進んだ今日の社会であっても、どこかに行こうとする場合には、他者と乗り合わせなくてはならない。

 本書がさわやかな読後感を与えてくれるのは、こうした公共空間において、いくつもの多元的現実が交差していく様子をリアルに描き出したところにある。

 決して、ハラハラドキドキの展開があるわけではないし、またハッピーエンドが待っているわけでもない。複数の作品がオムニバス形式で収録された本書において、むしろ取り上げられているテーマは、更年期に、衰退する地方、受験地獄、アルコール依存症、リストラと暗いものばかりだ。


 だが本書に収められた作品は、かつてのこの社会、あるいは鉄道車内に存在していたような、単一の現実(リアリティ)へと素朴にストーリーを収斂させようとはしない。

たとえば、東北地方から東京を目指した「集団就職列車」や、未来への夢を乗せた「超特急ひかり」のような車内をノスタルジックに回顧するのではなく、あくまで本書が描こうとしているのは、それぞれに確固として独立していて、ほんの一瞬だけ出会い、そしてまた分かれていくような人々のリアリティなのだ。

 評者が特に面白く読んだのは、「雨を聴く午後」と「あなたへの伝言」の二作だ。前者は、仕事に疲れたビジネスマンが、ふと以前に住んでいた線路沿いのアパートの部屋を訪れてしまい、そこに暮らす女性のつつましやかな暮らしに逆に励まされるというもの。そして後者は、その女性が実はアルコール依存症で、そこから立ち直るために、夫と別居を続けつつ、無事を知らせるために洗濯物を吊るして、それを夫が車窓から眺めて安心するというものである。

 こう書いてしまうと、何の変哲もない平凡な人々が、それぞれに何気ない平凡な日常生活を過ごしているだけに感じてしまうかもしれない。

だが、そうした平凡な日常が、鉄道の車内で一瞬の邂逅を見せるときにこそ、なんともいえない心温まる感覚を覚えてしまうのだ。そしてそれを最も簡潔にあらわしたのが「車窓家族」という作品だろう。それは、普段ストレスをため込みながら乗り合わせざるを得ない帰宅時の通勤電車の車内で、いつもの車窓から見えるある老夫婦の暮らしぶりを、実は乗客のだれもが気にかけていたことを知る・・・という内容だ。

昨今の社会情勢は、オリンピックであれ、憲法の改正であれ、道徳教育であれ、人々に単一のリアリティを植え付けようとする動向がいささか目立つようだが、むしろこれからの成熟社会のリアリティとは、本書が描き出したように、たやすく単一のものに収斂することなく、それでいて、公共空間で交差し、一瞬ごとの邂逅を見せるようなものになっていくのではないかと思う。

あるいは、そこまで難しく理屈をこねずとも、素朴に鉄道好きの方からさらに多くの方まで、心温まりながら楽しめる本作を、ぜひお読みいただきたいと思う。


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