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2014年01月31日

『我妻さんは俺のヨメ』原作:蔵石ユウ/漫画:西木田景志(講談社)

我妻さんは俺のヨメ →紀伊國屋ウェブストアで購入

「再帰的な自己形成という新たな成長物語」

 本作品は、講談社の『マガジンSPECIAL』で2011年から連載が開始されたのち、現在は『週刊少年マガジン』で連載中の少年マンガである。

 主人公の青山等は、バレー部でも補欠のさえない非モテ男子高校生だが、なぜか10年後の未来では、学校一の美少女にして全校生徒あこがれの的、我妻亜衣と結婚していて、時々その未来へとタイムスリップしながら、日常生活を送るといった設定になっている。


 もちろん、なぜ非モテの主人公が、学校一の美少女と結婚できるのかといった点については、今のところ納得のいく説明はなされていないし、なぜタイムスリップできるのかも謎である。


 さらに、ちょっとしたきっかけで未来が変わった際にも、我妻亜衣以外に何人か登場する、美少女の誰かが結局のところ結婚相手に収まることになっており、本作品を、少年の都合のいい妄想を描いた作品だと、言い切ってしまうことはできるだろう。


 あるいは、ヒロインは同級生ではあるがしっかりものなのでお姉さんキャラであり、(主人公が想いを寄せはしないが)美形の妹や、他にもハーフの美少女、腐女子の隠れ美少女など、王道を行く萌えキャラがちりばめられているので、それだけで少年たちの関心を引き寄せるには十分であるといえるかもしれない(つまり、同級生との対等な関係性の恋愛を回避している点で、結局のところ恋愛に向かう少年のメンタルの軟弱さを露呈した作品だと言ってしまうこともできなくはない)。


 だが、あえていうならば、本作品は、それだけで済ませてしまうには惜しい魅力も兼ね備えているように思う。


 それは、ごく近未来を想定しながら、主人公が少しづつ自分の姿を変えていこうとする姿勢であり、はるか先の未来を見据えながら、壮大な夢をかなえていこうとするこれまでの少年マンガとは、明らかに一線を画しているように思われる。


 そして本作品のほうが、今日の社会にふさわしい、新たな成長物語を提供しているのではないだろうか。


 この点は、例えばドラえもんと対比するとわかりやすいかもしれない。ドラえもんでは、はるか先の未来からやってきて、のび太がジャイ子と結婚する予定であったのを、しずかと結婚するように書き換える。ちなみにドラえもんの作中では、しずかがのび太を結婚相手に選ぶ理由は明確に描かれていて、ドジでどうしようもないのび太を見守るために結婚するのだと、しずかが説明するシーンがある。そして何よりも、ドラえもんという存在がいることが大きな特徴だといえるだろう。


 一方で本作では、準拠点ははるか先ではなく、10年先とごくごく近未来なのがいい。というのも、それは少し想像力を働かせれば、現在の自分にも見通せなくはない未来だからである。そして、ドラえもんが登場しない代わりに、すべて独力で今の自分を変えながら、未来を変えていかなければならないし、その分だけ、未来は不確定で、しばしばその姿を変えていくことになるが、主人公は決してあきらめることなく、周りの人の未来をも、できるだけ良い方向に向かうように努力し続けるのである。


 今日のように、流動性の高まった先行きの不確かな社会においては、かつてのような確固たるバラ色の未来が保証された成長物語ではなく、むしろ本作のような、常に可変的な自己を再帰的に形成していく成長物語こそが求められているのではないだろうか。そして、この点においてこそ、本作を評価しておきたいと思う。


 他にも本作品には、興味をひかれる描写がいくつもあった。特に印象に残っているのは、クラスでも評判のイケメン君が、実は内面では空虚さを抱えていて、むしろ非モテのオタクたちこそ充実した日常生活を送っているのではないかと羨んでいるシーンであり、これは非常に今日的で、(評者が長らく非モテ人生を歩んできたためかもしれないが)説得力があった。


 たかが少年マンガと思わず、興味のある方にはぜひお読みいただきたい一作である。


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