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2013年12月29日

『ほつれゆく文化―グローバリゼーション、ポストモダニズム、アイデンティティ』マイク・フェザーストン著/西山哲郎、時安邦治訳(法政大学出版局)

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「変化し続ける、プロセスとして文化をとらえること」

 本書は、イギリスの社会学者マイク・フェザーストンが、1980年代末以降、各所で記してきた現代文化に関する論考をまとめたものである。

 本訳書の出版当時、フェザーストーンはノッティンガム・トレント大学の研究教授であるとともに、『Theory, Culture & Society』誌の編集長を務めている。冒頭の「『ほつれゆく文化』の刊行によせて」で吉見俊哉氏も述べているように、本書はフェザーストーンの学識の広さが表れた、視野の大きな文化社会学の理論書ということができる。


 その全体を通して、本書が一貫して問うているのは、グローバリゼーションとローカリゼーションが進み、激しく変動する現代において、文化を研究することの社会学的な意義である。


 たしかに、グローバリゼーションの進展は、一見するとアメリカ一極集中型の政治的なパワーゲーム、あるいはマネーゲームであるかのように感じられなくもない。こうした状況下では、イギリスで新自由主義的な政策を推し進めたサッチャー首相が、かつて述べていた「もはや“社会”などというものは存在しない」という言葉にも、それなりのリアリティを感じてしまいかねない。


 だがフェザーストーンによれば、こうした見方はあまりにも一面的なものだという。


 そもそもグローバリゼーションは、単に政治、経済的なパワーゲーム、マネーゲームだけではなく、もっと多様なプロセスからなるものだからである。具体的には、仮に経済的な動向が、既存の国民国家の枠を超えてグローバルな規模に拡大していくことに先んじていたとしても、やがて人々のアイデンティティの遡及対象となる、新たな社会や文化のあり方が、問われざるをえなくなってこよう。またそれは、既存の国民国家内に限定されてきた社会や文化の概念とは違って、流動性の高い、変化し続けるようなものとならざるを得ないのだともいう。


 そしてこの点においてこそ、フェザーストーンは、文化を動的なプロセスとして、しかしながら一つの自律した領域として捉えていく意義を強く主張している。


 また、別な観点からすれば、グローバリゼーションが決してアメリカ一極集中的に進むものではなく、むしろ日本や中国に代表されるような複数の極に基づいて進むものという主張も注目に値しよう。いわばこれまでの社会像(≒国民国家)が、そのままに拡大して単一の国際社会となるのではなく、むしろ複数の極がそのままに存在し、それらがせめぎ合い続けるそのプロセスの中で、まさにアイデンティティや文化が、重要な問題として浮上してくるはずだというのである。


 フェザーストーンによれば、こうした状況下において、(文化を研究する)社会学に求められているのは、「グローバルな社会関係や創発するグローバル社会といった新しい指示対象を考慮するように、基礎概念を再考する」(日本語版序文より)ことだという。


 こうした主張は、『社会を超える社会学』などの著作において、「移動(モビリティ)」を中心概念に据えながら、新たな時代の社会学を構想しようとする、同じくイギリスの社会学者ジョン・アーリなどの研究とも大いに関連するものである(実際に、フェザーストーンとアーリは、『自動車と移動の社会学』などの共著がある)。


 このように、アジアにもその目を向けながら、グローバルな規模で現代文化を社会学的にとらえようとした著作は、残念ながら日本社会においては多くない。どちらかといえば、等身大のリアリティの記述にいそしむような成果が、多くを占めていると言わざるを得ないのが現状だろう。


 だがその一方で、フェザーストーンの著作にも、一つだけ不満が残る点があるとすれば、記述が抽象的で、わかりやすい具体例を欠く傾向があるという点である。


 評者は、本書を今年度の大学院ゼミの購読テキストに指定して読み進めてきたのだが、受講生たちとともに行ってきた作業の中心は、個々の記述に、その都度あてはまりの良い具体例を探し出していくことであった。そしてその際に、現代の日本社会における文化の事例が、驚くほどに数多く、それも実に適合的であることを学んできた。


 よって、フェザーストーンの著作に、抽象的で具体例を欠くという批判を向けるのは、そもそもが「後出しジャンケンのないものねだり」のようなもので不適切なのかもしれない。むしろ、80年代末から90年代にかけて書かれた論考の中で、すでに今日的な文化状況を見通していたその慧眼をこそ、評価すべきなのだろう。


 そして、本書の様な理論的研究を、実際の日本社会の事例に当てはめつつ、さらに新たな理論的な展開を進めていくことが、我々のような後進の研究者の努めなのだと思わされた次第である。


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