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2013年07月31日

『鬱ごはん』施川ユウキ(秋田書店)

鬱ごはん →紀伊國屋ウェブストアで購入

「個食化した自己」

 本作は、主人公である就職浪人生・鬱野たけしが、一人ぼっちで鬱鬱としながら食事をとるそのプロセスばかりを描き出したマンガである。

 今月(2013年7月)に紹介したマキヒロチ氏の『いつかティファニーで朝食を』(新潮社)と同様に若者の食事光景を扱った作品だが、比べるまでもなく、本作の方が圧倒的に暗い。


 だが、『いつかティファニーで朝食を』が、28歳女子たちの自己の再生というリアリティを描き出した作品とするならば、本作もやはり説得力のあるリアリティを描き出した作品と言わざるを得ないのだろう。


 前者が、(朝食)女子会を開ける程度に友だちに恵まれているのと比べ、本作の主人公にはめぼしい友だちがいない。その上、内定が決まらないままに大学を卒業して就職浪人生活に入ってしまったため、日常生活のほとんどを孤独に過ごさなければならない。


 それでも、どうにか一人の人間の生活が営みうるのは、まさに現代の日本社会が徹底して個人化しているからなのだろう。いまや、ほとんどのことを、他者の手を煩わせることなく、自分だけですることが可能となっている(コンビニやスマホなどはそのための必須のインフラである)。


 だがいかに個人化した社会であっても、否応なしに「他者(ないしは他の存在)」と関わらなくてはならない行為もわずかに残されており、その代表こそが食事といえる。


 「他の存在の命をもらって食事をしている」といった宗教的なメンタリティにまでならずとも、自分の肉体に対して、外部から物体が物理的に入ってくるプロセスは、やはり「他者」とのかかわりを通して、自己の存在を見つめ直させる機会とならざるを得ない。つまり食事こそ、個人化(した自己)と向き合わされる再帰的な過程なのだ。


 だから本作で面白いのは、食事中に主人公が繰り広げる自己との対話だ。他に誰もいない部屋の中で、黒猫の形をした「妖精」と主人公が繰り広げる対話は、まさにG・H・ミードのいう「主我と客我」の概念を思わせるが、それが食事中にこそなされるというところが、まさに現代的なのだ。


 現代社会における個食化という問題点を指摘した著作としては、岩村暢子氏の『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房)などが知られているが、本作は、個食というプロセスそのものの内実を深く描いたものとして興味深く読める。


 決して、明るく元気づけられるような内容ではないものの、深く考えさせられる作品として、本作をお勧めしたい。


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『白書出版産業2010』日本出版学会(文化通信社)

白書出版産業2010 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「出版の大転換期を考えるための「事典」」

 本書は、2004年に日本出版学会によって出された『白書出版産業』の続編、または改訂版にあたるものである。前作が1990~2002年の間の変化を対象としていたのに対して、本書は1999~2008年の10年間を対象としている。

 大きくは、「Ⅰ 産業」から「ⅩⅠ 関連産業」に至るまでの11のジャンルに分かれつつ、さらに73からなるトピックが取り上げられ、それぞれについて、詳細かつ最新のデータに基づいた考察が展開されている。関心のある人は、興味の惹かれるページから、好きなように読み進めるだけでも学ぶところが多いだろう。


 さて、この10年間は、末尾で本書の編集にあたった木下修も述べているように、まさしく、活版印刷技術の発明に匹敵するほどの革命的な変化のあった時期といえる。


 主としてその内実は、デジタル化・電子化の進展と、それと並行した出版市場の長期的で継続的な規模縮小であるといえるが、実はこの2つ、大きく関連しているのは事実だが、だからといって、完全にイコールな現象でもない。


 というのも、これまた木下が述べるように、出版産業にもいくばくかのプラス要因は実は存在しており、例えば「情報ネットワーク化、デジタル情報技術の進歩、大型書店の大量出店と売り場面積の増加、新しい巨大流通センターの設立・稼働、「朝の読書」の実施校増加、子どもの読書推進法の実施」など、需要の創造や市場の拡大につなげうる動向もあって、「出版産業は依然タフであり市場はダイナミズムを失っていない」と思われるからである(P231)。


 先月(2013年6月30日)の書評でも、松田奈緒子氏の『重版出来』(小学館)という作品を、出版業界の浮沈が掛かったマンガだと評したが、同作品にせよ、そして本書にせよ、現状を冷静かつ客観的に見つめ直し、その問題点を前向きに乗り越えていこうというスタンスがある限り、出版という文化が、何らかの形で残り続けるのではないかという希望的な観測もほのかに感じられなくはない。


 また、メディア論的な観点から言っても、新旧のメディアの入れ替わりとは、古いものが全て新しいものへと移り変わっていくというよりも、むしろ選択肢が増加する中で、古いメディアも新たな役割を得て生き残っていくことのほうが多い(テレビ登場後のラジオを考えると分かりやすいだろう)。


 もちろん、だからといって出版界が楽観的でいられないことは事実だが、本書は、こうした出版界の現状や問題点を知る上で、格好の著作であり、その網羅性、データの豊富さ、あるいは内容の重厚さからして、「白書」と呼ぶよりは、「出版学事典」と呼ぶのがふさわしいような著作である。ぜひ関心がある多くの方にお勧めしたい一冊である。


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『いつかティファニーで朝食を』マキヒロチ(新潮社)

いつかティファニーで朝食を →紀伊國屋ウェブストアで購入

「「28歳・朝食女子」たちの群像」

 これもいいマンガだった。正直に記せば、あまり深く考えずに「衝動買い」したのだが、大当たりだったと言ってよい。いや、正確に言えば、評者は食べることが大好きなので、タイトルに「朝食」が含まれているだけでの、「反射買い」だったことを吐露しよう。

 現代社会を生きる人々にとって、朝食は重要な生活の要素でありながら、軽視され続けているのが現実である。朝食を摂らずに、あるいは摂ることさえできずに、会社に行く大人や学校に行く子どもたちが数多いる。いわば朝食は、現代社会の問題点が凝縮されて表れる一つのスポットだとさえいえる。


 一方で、本作の主人公である28歳女子たちもまた、現代社会の問題点が突出して表れやすい人々である。というのも、女性たちにとってこの年代は、様々な分岐点や転換点を迎える時期だからである。


例えば、大卒の社会人ならば就職後5~6年目を迎え、仕事にも一定の責任や重みが生じてくるころだが、それと同時に未婚であるならば、30歳までに結婚をするか否かのカウントダウンが切羽詰まってくる時期でもあり、逆に早々に結婚退職をしていても、子どもが一定の年齢に達して家事や育児のストレスが高まり、つい働き続けている同年代たちと比較してしまう時期でもある。


 本作では、そうした様々な分岐点をそれぞれに進んだ28歳女子たちが、美味しい朝食を摂ること(の重要性)とともに、自分たちを見つめ直しながら、やがて前向きに人生を歩んで行こうとする群像模様が描き出されていて、非常に好感を持って読むことができる。


 例えば、冒頭では、主人公の麻里子(アパレルメーカー勤務)が、コンビニで買ってすませた朝食を不満げに取りながら、同棲中の交際相手と口論になり、やがて7年付き合った彼氏と別れて、一人転居することを決意する。


 いきなりの暗い展開に読者は戸惑うかもしれないが、自分専用の朝食用の机といすを買いこんだ麻里子は、「朝食・女子会」でこう述べるのである。

 「一人になってみて
  「あぁ これ私 好きだったの」って
  当たり前だったこと 一つ一つ思い出す作業が楽しくて
  自分と久しぶりに出会った気分」

 このように麻里子のエピソードを中心にしつつも、それぞれの登場人物(28歳女子)たちが、自分たちを見つめ直していく展開には説得力がある。それはきっと、キャラクター設定がしっかりしているからだろう。


 惜しむらくは、エピソードごとに出てくる朝食は確かに美味しそうなのだが、時にやや高価なものであったり、(あるいは好みの問題かもしれないが)本当にそこまで美味しいかどうか微妙に感じられるものもあるところである。あるいは、第一巻・第二巻について、表紙のイラストがタイトルのイメージを素直に表現しすぎているがゆえに、本編のストーリー展開とはややずれて感じられると言ったところだろうか。


 だが、それらの問題点を差し引いても、本作は読んだ人が元気になれるマンガであり、多くの方に対して、朝食を大事にすることともにお勧めしたい作品である。


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2013年07月30日

『君曜日-鉄道少女漫画2』中村明日美子(白泉社)

君曜日-鉄道少女漫画2 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「鉄道少年と鉄道少女のさわやかラブストーリー」

いいマンガである。久しぶりに爽快な読後感を味わった。

 本作は、中村明日美子による鉄道少女漫画の2作目であり、前作同様、小田急線沿線に住む、登場人物が織りなすラブストーリーが描かれている。評者の見たところでは、あきらかに前作よりも面白い。
前作では、ケーキ屋の奥にある秘密の鉄道模型ジオラマ・スペースを中心に、そこに偶然集う人々、それぞれの群像が小田急線を舞台に描かれていた。


 舞台設定は、そのまま引き継がれているものの、前作では個別のエピソードがバラバラな上に、舞台設定に鉄道が用いられる理由が判然とせず、無理やりな印象すらあったのに対して、本作では、一人の鉄道好き少女と、彼女に好意を寄せる少年、そして、少女がひそかに思いを寄せるサラリーマンのエピソードだけに絞りこまれている。


 そのために、話の筋が一本通っているだけでなく、何よりも少年の一途さと無鉄砲さがとてもさわやかである。だからこそ本作を読んで感じたのは、鉄道と少年という存在の相性の良さであった。


 実は、熱心な鉄道ファンなのは少女の方であって、少年は、C58とD51の違いも分からないほどに、鉄道には無知である。だが、なんとか彼女のハートを射止めようとして、必死に努力をし、時に失敗を繰り返しながら、それでもめげずに前進を続けていく。


 それと並行して、はじめは怪訝な表情をしていた少女も、徐々に少年のことを理解していくと同時に、ほのかにあこがれていたサラリーマンへの想いをやがて断念することになる。


 最大の見せ場は、たまたま3人が同時に邂逅する機会が訪れ、その直後に、少年がサラリーマンに対して、以下のように告げるシーンだ。

「……あんたさあ もっとしっかりしろよ」
「もっとちゃんとしっかりしろよ ・・・俺もがんばるからさ」

 この、頼りなさげな中にも前向きさを感じさせるセリフからしても、実は本作の主人公は、鉄道に詳しい少女なのではなく、一途に思いを寄せる少年というべきなのだろう。その向こう見ずながらも、筋の通った前向きさ、無鉄砲さが、あたかも爆走する蒸気機関車のようであり、この少年こそが「鉄道」のような存在なのだ。


 一人の鉄道ファンとしていうならば、鉄道とは実物を愛でるものであり、だからこそ少女マンガのようなジャンルとは到底相いれないはずのもの、と決めつけていたのだが、本作を読んで、その印象は全く変わった。このような鉄道の楽しみ方もあっていい。


 (少女)マンガが好きな人、鉄道が好きな人、実に多くの人に本作のさわやかさを味わってほしいと思う。


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