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2013年05月31日

『検証・若者の変貌』浅野智彦(編)(勁草書房)

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「90年代における日本の若者の変容を振り返る」

 本書は、1990年代を中心とする若者文化における変容について、実証的な質問紙調査の結果に基づいて論じたものである。

 第1章で編者の浅野智彦も記しているように、1990年代は「失われた10年」とも呼ばれていた。主としてそれは、バブル期に至る1980年代までと比べて、著しい経済的な停滞が見られたことによるものであった。


 また別な言い方をすれば、それは、多くの先進社会が辿る成熟社会化の波が訪れつつあったということでもあったのだろう。近代化が急速に進められた時期(前期近代)を過ぎ、この社会の発展という点で言えば、もはやそれほど大きくは変わらない、どちらかといえば安定した時期(後期近代)が訪れつつあったということだろう。


 こうした点は、2010年代を迎えた今日においてなお、その思いを強くするところだ。しかしその一方で、後期近代の成熟社会とはいかなる社会であり、それをいかに生きていけばよいのか、という点については、まだ十分に理解が深まっていないように思われる。


 そしてその点の嚆矢は、これも第1章で浅野が指摘するように、1990年代に沸き起こった「若者バッシング」に見られるという。すなわち1980年代においては、各種のニューメディアを使いこなした先端的な消費者層として、華やかにかつ肯定的に論じられていた若者たちが、1990年代以降は急速に否定的な論調で語られることになる。つまり、そこに見られるのは、新たな社会の到来に対する強い不安感が、若者に対する批判へと形を変えて噴出したという現象であった。


浅野はこうした状況を、1990年代が若者論においても「失われた10年」であり、偏った状況からしか議論がなされなかったことを批判している。その上で本書では、1992年と2002年に実施された質問紙調査の結果に基づいて、友人関係(4章)や自己意識(5章)、メディア(3章)や音楽・文化享受(2章)、そして道徳意識(6章)といった側面から若者たちの変容について、実証的な検討がなされている。そこから明らかになったのは、一方的な「若者バッシング」で言われているような内容が、データに基づいて検討すれば、決して妥当なものばかりではないということであった(この点の詳細は、ぜひ本書をお読みいただきたい)。


「若者は社会のリトマス試験紙」という言い回しもあるが、本書は、若者たちの様子を、新奇なものとしてだけ面白がるのではなく、むしろ議論の前提から十分に自覚的に振り返りつつ、丹念にそして実証的に描き出しているところに価値があると言える。この点において、日本における社会学的な若者研究のスタンダードと呼ぶにふさわしいだろう。


 そして、2006年に出されたこの著作を、今ここで取り上げたことにも、もちろん理由がある。いまや2000年代を過ぎ、2010年代半ばに達しつつある今日において、成熟社会化はますます深まりつつあるように感じられる。若者たちが、もはや未来にはあまり希望を抱いていないのではないかということを「さとり世代」などと言い表したりもするというが、こうした2000年代以降の若者の変容についても、実証的な社会学的研究が待望されると言えよう。


 本書のもとになった調査は、青少年研究会(http://jysg.jp/)という社会学者を中心とするグループが行ったものだが、同研究会では、1992年、2002年に引き続き、2012年にも同規模の調査を実施している。実は評者もそのメンバーの一員であり、自らも関わる研究会の成果を評するには、やや躊躇するところがないわけではない。

だが、まさにこれからの、2000年代以降の若者を論じるにあたっては、本書は今こそ、改めて検討するに値する著作であると思われる。そして、若者論についても、その時々の新奇な現象だけを単発的に負うのではなく、こうした取り組みを通じて、ロングスパンで論じる視点を蓄積していくことが重要であると考える。


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