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2013年04月30日

『テレビという記憶―テレビ視聴の社会史』萩原滋 編(新曜社)

テレビという記憶―テレビ視聴の社会史 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「歴史化されるテレビ」

 本書のサブタイトルは、「テレビ視聴の社会史」であり、テレビを歴史的な視点からとらえようとする先鋭的かつ意欲的な論文からなる論文集となっている。

 評者は、まずこの、テレビという存在が歴史化されるという分析視角に、大いなる感慨を抱かざるを得なかった。それは、この社会における、一定年齢層以上の人々には共通するものであるだろう。それほどにテレビとは、いつもすぐそこの、身近な現実に存在するメディアだったからである。


 さて、テレビを歴史的な視点からとらえると言った場合、すぐに思いつくのは、番組の内容の変遷を追ったようなものや、あるいはテレビという受像機の技術的な歴史ではないだろうか。


 だがサブタイトルにもあるように、本書の視点はそれらとは異なっている。むしろ、この社会が、そしてこの社会の人々が、テレビというメディアをいかにまなざし、受容してきたのか、そしてそこからどのような記憶を紡ぎだしてきたのか。さらには、それが今後どのように変化していくのか。まさに今やっておかないととらえ損ねてしまうような重要な研究課題を、社会史という視点から描き出しているのが本書の特徴である。


 確かに、テレビがこの社会において、きわめて大きな位置づけを持ったメディアであったことは疑うまでもない。そして、今日ではインターネットの普及が大規模に進んできた。動画サイトを好むような若者たちは、テレビのことを「オワコン(終ったコンテンツ)」などと呼ぶこともあるが、主要なメディアの入れ替わりとは、きっとそんな単純に進むものでもないのだろう。


 かつてテレビの普及が進んだ後も、ラジオが一部で生き残ったように、メディアの勢力図の中で、なんらかの棲み分けが進んでいくのではないかと思われる。


 その点で、特に本書の後半で展開されている、若者たちやネットユーザーを対象にした、クロスメディア的な利用行動調査の結果は興味深い(7~10章)。そこからは、やはりテレビが単純に「オワコン」として姿を消していくのではない、これからのありようが、ほのかに垣間見える。


 そしてもちろんのこと、年長世代にはなじんだ話である、かつてのテレビ黄金期における視聴と記憶の形成に関する分析も興味深い(1~6章)。アイドルや、「仮面ライダー」などのヒーローに夢中になりつつ、やがてリモコンの登場とあいまって「ながら視聴」を覚えていった世代としては、まさに自分のことを分析されているような感覚がしてしまう。


 そして、終章では「「ポストテレビ時代」のテレビ」のありようまでが示唆された本書は、日本のテレビ研究において、今後も参照され続けであろう大きな足掛かりと呼ぶにふさわしい著作だと思う。


 今までのテレビにも、そしてこれからのテレビにも関心のある方に、広くお勧めしたい著作である。


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