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2013年01月31日

『東京高級住宅地探訪』三浦展(晶文社)

東京高級住宅地探訪 →bookwebで購入

「理想の住宅地のなれの果てを歩き回った記録」

 本書は、消費社会研究家の三浦展氏が、東京西郊のいわゆる高級住宅地について、いくつもの文献を参照しながらその成立の経緯を辿るとともに、実際に歩き回った記録に基づいてその現状を記したものである。歴史的なものだけでなく、実際の住宅の写真も含め、資料もふんだんで、大変興味深く読み進めることができる一冊となっている。

 田園調布に成城といった、誰もが憧れる東京の二大高級住宅地に始まる各章を読み進めていくと、不思議なことに「憧れ」や「欲望が焚きつけられるような感じ」ではなく、むしろ一抹のさみしさが読後感として生ずることになる。


 むろん、これらの住宅地が現在でも一定の人気を博していることは事実である。だが、かつてこれらが急速に成立した時期における人々の熱望や、あるいはそれを今に伝える当時の住宅は姿を消しつつある。場合によっては、広い宅地は代替わりに伴って、小さく分割されてしまっているところも多い。


 言うなれば、現在において、これらの住宅地を歩き回って見えてくるのは、かつての理想郷の「なれの果て」であり、それゆえに本書を読んでいても「もののあはれ」さすら感じられるのだ。


 改めて、本書を読んでいて感じたのは、日本における住宅地の開発が「ここではないどこか」あるいは「ないものねだりの憧れ」をずっと追いかけるかのように続けられてきたということである。これら西郊の高級住宅地は、住宅も過密で湿度も高い東京東部の低地から見た理想郷として、戦前から開発が進められてきた地域である。だが、その「ここではないどこか」を追い求める熱狂のベクトルは、現在ならば、タワーマンションの上層階に住みたがるようなものといったほうが近いのだろう。


 こうした移ろいやすさについて、三浦氏もあとがきで以下のように述べている。


 「つまり、郊外住宅というものは、近代化という特殊な歴史状況のなかで、ごく一時的に必要とされたものであり、これからの時代には主流たりえないし、家族を入れた住宅という箱も、ただ使い捨てられていっただけであると言うこともできるだろう。」(P218)


 いわば、「不動産」という文字とは裏腹に、こうした住宅は、まさに消費の対象として使い捨てられていったのだと言っても過言ではない。そして、「不動産」を消費する動向は今なお続いているのも事実であり、そこにはむなしさを覚えざるを得ないのである。

 私自身は、(各章末のグルメガイドなどは純粋に楽しみつつも)本書をどうしてもそのようなものとして読んでしまったのだが、むなしさだけではやりきれないと感じられる方々は、今後の三浦氏の研究動向に注目されるとよいだろう。三浦氏は、シェアハウスや中古住宅のリノベーションなどにも着目しつつあり、これまでとは異なった消費行動に関する成果を、遠くない将来に読むことができるものと思われる。


 あるいは、氏の他の著作と読み比べるという点では、かつて本書評欄でも取り上げた『スカイツリー東京下町散歩』(朝日新書)と対比するのも面白い。同じ東京とは思えないほどの東西の違いが、そこからは浮かび上がるはずである。


 あるいは、東京という都市を理解するという点で言えば、都市社会学者たちの手による重厚なデータブックである『新編 東京圏の社会地図 1975‐90』(倉沢進・浅川達人編 、東京大学出版会)などと対比させるのも面白いだろう。この著作は、いわゆる自然地理学的な地図ではなく、居住階層などの社会的属性に基づいた空間分布を図表化したものであり、まさに三浦が取り上げた西郊の高級住宅地は、この「社会地図」でも、はっきりとその傾向を見て取ることができる。


 「社会地図」を通して俯瞰的な視点から眺めるのと同時に、三浦氏の2つの著作を通してリアルな視線で見つめたならば、今日における東京という街を、より立体的に理解することができるに違いない。


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