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2012年11月30日

『毎度!浦安鉄筋家族 』浜岡賢次(秋田書店)

毎度!浦安鉄筋家族 →bookwebで購入

「今に生きる、古き良きギャグマンガの王道」

 「研究しています」と胸を張ってまでは言えないけれども、私にとって、マンガを読むことはほぼ欠かせないライフワークとなっている。

 漫画家を志した兄の影響もあって、生まれた時から数百冊のマンガに囲まれて育ち(小学生時代、当時の学研の『学習』にそのことを投稿して記事になったこともある)、今でも書店ではマンガコーナーに必ず立ち寄るし、大学生協の書籍部はなぜマンガを置かないのだろうと長年思い続けてきた(最近では置くようになってきたのだが、まだまだ少ないようだ)。


 また最近は、進んで学生たちからおすすめのマンガを聞き、それらを読みあさるようにしている。年若い世代のリアリティを理解するには、おそらくはそれが一番の早道だと信じてもいる。だから、ストーリーよりもキャラ重視で、やたらと一話一話が短く完結したマンガであったり、大きな物語よりもいくつものパラレルワールドが同時に展開されるようなマンガや、それこそBL的なものにも目を通している。

 
 だがそうした「若作り」なふるまいに疲れた時にこそ、振り返って読み返したくなるのが、本作『浦安鉄筋家族』である。90年代前半から続いているマンガであり、現在では、「毎度!」がついた第三期の連載が続けられているが、基本的にその内容や設定については、当初から変わるところがない。


 すでにTVアニメ化されたこともあり、多くの人が知る有名なマンガをここで改めて取り上げたいのは、やはりそれが(ギャグ)マンガの王道を行っていると思うからである。


 やや個人的な思い入れのこもった書き方になってしまうが、上記したような昨今の流行のマンガは、社会の変化も感じられて、それはそれで面白いのだけれども、やや複雑すぎて読んでいて疲れるというか、素直に入り込みにくいのも事実である。


 それに対して、『浦安鉄筋家族』は極めて単純明快であり、とにかくマンガなのだから、「”絵”で笑わせる」というその一点に特化していると言ってよい。実写や、あるいはアニメであっても表現できないような、マンガだけにこそできるような、次のページを見開いた瞬間の「絵」のインパクトだけで読者を爆笑させるという、その魅力にあふれたマンガなのである。


 著者も時々言及しているし、あるいは作中にもときどき登場するけれども、それはまさに、かつてみたドリフのコントを彷彿とさせるようなギャグ(マンガ)である。


 昨今の、アドリブ・トーク重視で、その場のノリでなんとなく失笑をかいながら成立するような収録されたバラエティ番組とは違って、生放送で一つの失敗も許されないような状況下で、何度も繰り返されてきた練習の上に成立する、まさに名人芸のようなものともいえよう。


 評者は高校生のころから本作を読み続けているのだが、なかなか今の若い世代や子どもたちには伝わりにくいかなとも思いつつ、自宅内に放置していたところ、今では妻だけでなく小学校低学年の息子までもが愛読するようになっている。


 また大学の講義でも、こうした新旧のタイプのマンガ作品やバラエティ番組の違いについて触れることもあるのだが、意外に多くの若者が、古いタイプのものを好むと答えたりもするのである。


 私が少年時代に好んで読んだマンガの作者たちは、手塚治虫も藤子・F・不二雄も赤塚不二夫も、もはやこの世にはいないけれども、まさに古き良きギャグマンガの王道を今日に伝える本作は、末永く続いてほしいと思う次第である。

 
 最後に余談だが、作者も自ら評価をつけているけれども、本作は面白いときとそうでないときとの差が激しいのも特徴的である。昨今に発売された単行本でいうならば、『毎度!浦安鉄筋家族』の5巻は、まさに「絵で笑わせる」エピソードのオンパレードで、稀に見る傑作集であった。だが、そのインパクトと比べると、最新刊の6巻はややトーンダウンの感が否めない。しかし、こうした「好不調」の波があることも併せて、本作は大いに愛すべきマンガである。


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『男性不況―「男の職場」崩壊が日本を変える』永濱 利廣(東洋経済新報社 )

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「男の生きづらさを社会の変化から読み解く一冊 」

 いつ頃からかは失念してしまったが、大学で成績をランキング化すると、女子学生がほぼ上位を独占するような傾向が見られるようになって久しい。個人的な体験から言っても、少なくとも10年以上は続いている傾向と思われる。

 そのため、成績上位者の表彰を行おうとすると、共学であってもあたかも女子大であったかのような光景が繰り広げられることとなる。もちろん成績は公明正大につけられているのだから、そのこと自体には何の問題もないのだが、一方でいかに男子学生をエンパワーメントしたらよいのかという点は、大学教員のみならず、多くの方が頭を悩ませているところであろう。


 この点については、最近の女子学生はやる気のあるものが多くてよい、ということ以上に、おそらくは男性学生がやる気を出せるような社会ではなくなりつつあるという深刻な社会背景があるものと思われる。


 さて、本書『男性不況―「男の職場」崩壊が日本を変える』は、まさしくそうした男性たちが不要な存在となっていくような社会の変化を的確に描き出した好著である。


 著者は冒頭でこう述べる。「過去数十年間で、労働市場における日本の男性の価値は相対的に低下してしまったのです」と(P3)。


 具体的に言うならば、かつて男性たちには、「一家の大黒柱」という言葉があったように、高学歴層であればホワイトカラーとして、そうでなくとも製造業や建設業などで、広く活躍する職場が存在していた。


 しかし今日では、ホワイトカラーにおいては男女格差の縮小が進み、一方の製造業や建設業は産業の空洞化によって仕事そのものがなくなりつつある。一方で、少子高齢化の進む中で、医療や福祉といった対人サービスを中心とする、一般的には女性の割合の多い仕事はますます増えつつあるのである。


 こうした社会の変化について、本書は各種統計データなどを丹念に読み解きながら検証しているため、その内容には説得力がある。


 ただ一点だけ、惜しむらくは、「「女性の地位の向上」自体はよい変化ですが、その影響で男性には困った問題が生じて」(P5)いると記されていることであろう。果たして、女性の地位向上が独立した原因として存在し、その影響として男性に困った問題が生じていると言い切ってよいのだろうか。


 むしろ、何がしかの大きな社会の変化が生じていく中で、その中でたまたま結果的に適応できたのが女性たちで、不適応を起こしているのが男性たちなのではないだろうか。この点は、適切に原因と結果を見定めて、男女間に不必要な対立を招くような表現は避けるべきではなかったかと思われる。


 しかしながら本書は、上記したような興味深い分析が展開された内容だけでなく、末尾に記された「男性不況対策」も含めて、大いに読む価値のある一冊である。よって世の男性全般に広くお勧めしたい次第である。


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『ジャニヲタあるある』みきーる【著】 二平 瑞樹【漫画】(アスペクト)

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「「キャラ化」するオタク 」

 本書は、いわゆるジャニヲタとよばれる、ジャニーズ系男性アイドルのファンたちの実態を、イラストを交えながら面白おかしくまとめたものである。

 勤務先の大学にもジャニヲタがたくさんいるのだが、その中の一人から、「とってもうなづける点が多いので、ぜひ」にと勧められて手に取ってみた。


 なるほど、読んでみると確かに面白い。冒頭にジャニヲタ特有のふるまいの例が50個挙げられているのだが、どれも「あるある」な感じがしてうなづけた。


 中でも、「お互いの担当をほめそやす」(P55)、「隣が誰坦か、横目でチェックする」(P20)、「「当たった」ツイートがクソうざい」(P15)などは、まさにジャニヲタのコミュニケーションの典型例である。


 ここでいう「担当」とは自分の好きなアイドルのことだが(誰坦とは、誰の担当か、ということだが)、ジャニヲタたちは、「お互いの担当をほめそや」して表面上は友好的にふるまいながら、内心では常に「横目でチェックして」いて、相手に自分よりも幸運が舞い込むと(例えばコンサートチケット等があたると)嫉妬に狂うのである。


 だが、こうした個別のふるまいに対する「あるある」という感覚以上に、本書にはさらに大きくうなづける点があるのだ。それは、本書(あるいはその全体的な構成と言ってもいい)が、「キャラ化」ともいうべき現在進行形の社会現象をうまく表現しているということである。


 それは本書の主たる内容が、「(こういう人)いるいる」ではなく、「(こういうふるまい)あるある」という形でまとめられているところに現われているとも言える。


 よく言われる対比だが、「キャラクター」と「キャラ」との違いとは、前者がある一つの像に収斂する統一的な人格であるのに対して、後者は場面ごとに異なりうるふるまいであるということだ。


 さらに噛み砕いて言えば、本書冒頭の50個のふるまいの例を読んでいて面白いのは、それぞれは個別に「あるある」な感じがするのだが、それを読み進めていても、頭の中では、ジャニヲタとはこういう人格だというような統一的な像がなかなか結ばないのである。


 実はそれも道理で、本書でも「ジャニヲタ図鑑」というコーナー(P80~)で、一応人格化されたイラストイメージが示されているのだが、実にそこにおいても8パターンものジャニヲタ像が提示されているのである。


 こうした点は一見些細なことがらに見えるけれども、20年近く前からこのフィールドに注目してきた立場からすれば、意外と見逃せない大きな変化と言わざるを得ない。


 というのも、ジャニヲタにせよ、いわゆるオタクにせよ、かつてならば、それは間違いなく統一された一つの人格としての像を結んでいたからである。


 それは、今でいうならば、非モテで非リア充の人々が、だからこそ虚構の世界の中に現実逃避のためのシェルターを求めているような文化であった。 


 しかし今やこの状況は変わっていて、彼氏がいてもジャニヲタであったり、オタクであるのに彼女がいたりもするし、あるいは一見リア充に見える若者が、ある場面ではとてもオタク的なふるまいをするようなこともある。


 いわば、オタクという文化が、もはや統一された人格としての像を結ばずに、場面ごとのふるまいのあり方へと細分化していくような変化、すなわち「キャラ化」という社会現象こそが、本書を通読すると見事に浮かび上がってくるのである。


 こうしたオタクの「キャラ化」は、リア充でありながらオタクといった存在からも伺えるように、オタク文化の底上げ化が成し遂げられた肯定的な成果のようにも見えつつ、一方で、現実から虚構世界へと向かう原動力とも言うべき、熱烈なルサンチマンが消失してしまうのではないかといった危惧をも抱かせるものである。


 このように、本書はその内容の「あるある」感だけでも十分に楽しめるものだが、一歩引いた視点から、ファンやオタク達の文化の現状とこれからを考える上でも、実は示唆に富む一冊なのである。


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