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2012年10月31日

『雑誌メディアの文化史-変貌する戦後パラダイム』吉田則昭・岡田章子編(森話社)

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「雑誌文化の過去・現在・未来」

 本書は、新進気鋭のメディア論者たちによって編まれた、雑誌文化に関する論文集である。

といっても、単に雑誌メディアの現状に関する記述を寄せ集めただけではなく、むしろ幅広い視野の論文集となっているのが特徴的である。それゆえに、このメディアのこれまでの経緯と特徴、そして現状と問題点、さらにこれからの展望といったように、過去・現在・未来にわたって、実に見通しのきいた著作となっている。


編者の手による序章でも記されているように、日本社会において雑誌文化は独特な発展を遂げてきたと言ってよい。


それは、一つにはテレビや新聞といった極めて規模の大きいマス・メディアとは違って、読者との共同体を形成しつつ、適度な細分化によって、個性的な文化を育んできたということである。ファッション、音楽、スポーツ、その他の趣味・・・といったように、代表的な文化ごとに、それらを代表する雑誌の名前がすぐに思い浮かぶことだろう。


 さらに、マンガ雑誌などが典型的だが、編集者たちが多くの創作者予備軍を抱え、さらに適宜育て上げていくことで、一定水準のコンテンツが安定して供給されてきたという点もある。


 いわば、インターネット時代の今日において、おそらく最も大きな打撃を被り、すでにいくつもの大きな雑誌が姿を消しつつあるものの、それでも雑誌メディアは、コンテンツ産業に関するノウハウやスキルが集積された宝の山であり続けているのである。


 こうした宝の山が、ゆるやかな形でインターネットへと継承されていくことになるのか、それとも多くが途絶えてしまうのか、あるいは雑誌メディアが多少なりとも形を変えて生き残ることになるのか、それは実際に未来が訪れてみなければわからないというのが確かなところであろう。


だが、他のメディアとのメディア・ミックスであったり、海外進出の際の版権の問題等、雑誌メディアの新たな動向が掘り下げられている、本書第Ⅱ部が、評者にとっては新鮮で特に興味深かったということを記しておきたい。


 というのも、雑誌論というと、ともすると名物編集者の記したノスタルジックな読み物ばかりを連想してしまうのだが(それはそれで歴史的な資料として読みごたえはあるのだが)、そうした既存の著作とは一線を画して、バランスのいい学術的な論文集となっているところに本書の価値があるものと思われた。


 雑誌の新たな動向を探る著作という点では、仲俣暁生『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)などと合わせて読みたい一冊である。


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『ULTRAMAN』清水栄一:原作、下口智裕:作画(小学館クリエイティブ)

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「メジャー化する二次創作と「大いなる虚構」は両立するか?」

 本作は、誰もが知る特撮作品『ウルトラマン』の二次創作である。

 舞台は、ゼットンに倒された初代ウルトラマンが宇宙へと帰っていってから数十年後。ウルトラマンと同化していた科特隊ハヤタ隊員の息子、早田進次郎は、父から受け継いだウルトラマン因子の影響で、生まれつき特殊な能力を持ち合わせていて、それゆえに新たな敵との戦いへと巻き込まれていく・・・というのがあらすじである。


 おそらくこうした二次創作はこれまでにも多々存在してきたものと思われるが、本作が一線を画しているのは、「メジャー化した二次創作」ということである。すなわちそれは、同人誌のような限られた市場にだけ流通する作品ではなく、一般の店頭でも売られているということなのである。


 昨今では、手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』の前史ともいえる部分を描いた、『ヤング ブラック・ジャック』(脚本:田畑由秋、漫画:大熊ゆうご)など、こうした「メジャー化した二次創作」が増加傾向にある。


 こうした傾向は、かつて東浩紀が『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)で指摘した「データベース消費」が、まさにメジャーなものとなってきたことを物語っていよう。


すなわち「データベース消費」とは、この社会における「(理想や夢といった)大きな物語」の崩壊に伴って起こった、創作活動や作品の受容をめぐる新たな動向である。


つまり創作活動やその受容の主たる目的が、「大きな物語」を志向することにあるのではなく、むしろ多様化し散在するいくつもの「小さな物語」を、時々においてデータベースから呼び起こし、せいぜいその組み合わせの妙を楽しむぐらいのことに変わってきたということである。


こうした動向は、もともとはオタク系文化や、特に同人誌などで先駆的に見られてきたものだが、それが今日では完全にメジャーなものとして定着しつつあるということなのだろう。

その一方で、こうした「メジャー化する二次創作」の中でも、本作は突出した課題を抱えた注目作なのではないかと思う。 


それはすなわち、「メジャー化する二次創作」と「大いなる虚構」が両立するのかどうか、ということだ。二次創作の方向性が、異性キャラに対する萌えであったり、あるいはその人物像への掘り下げのようなところへ向かうならばともかく、本作では、正義の味方であったウルトラマンが再び(といっても今回は姿をだいぶ変えて)登場し、そして敵も登場する。


こうした「敵-味方図式」は、それこそ「理想」や「夢」といった「大きな物語」が存在していた過去の社会ならば共有されやすかったものだが、はたして「データベース消費」が広まっている今日においては、どれだけの広まりを見せられるものだろうか。


いうなれば、これまでの二次創作は、そのほとんどが複数のオルタナティブストーリー(ズ)にあたるものであり、「大きな物語」が崩壊した時代における「(多数の)小さな物語(たち)」を描いてきたわけである。そこに果たして「大きな虚構」を描くことは成立するのか、単行本ではまだ第一巻しか刊行されていない本作の行方を、今後も注意深く見守っていきたいと思う。


実は同じような期待は、『ケトル』誌2012年10月号(太田出版)で評論家の宇野常寛氏も述べていたことである。


この点について、さらに別な表現で述べるならば、1990年代後半以降に放映された『エヴァンゲリオン』は、かつての「大きな物語」を描いたアニメ作品の残滓あるいはその引用をノスタルジックに眺めていた年長世代と、アダルトチルドレンな主人公のありように感情移入していた若年世代との、二層のファンのマッチングによって大きなブームを呼び起こしたと言われている。


本作は、それと同じパターンで受容されることになるのか、それとも「メジャー化した二次創作」という全く新しい境地を切り開くことになるのか、昭和特撮世代として、大いに今後を期待したいところである。


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2012年10月30日

『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』土井隆義(ちくま新書)

友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル →bookwebで購入

「友だちが地獄化するという“逆説”の面白さ~「現代社会論の古典」として」

 本書は筑波大学大学院教授で、社会学者の土井隆義氏による新書である。2008年に出された著作なので、今さら新著紹介として取り上げるべき対象ではないが、改めて「現代社会論の古典」としてここで取り上げてみたい。

「現代社会論の古典」とは、マーケッターの三浦展氏による言葉だが、なるほど三浦氏の著作にも、『下流社会』(光文社新書)など、エポックメイキングな社会現象を取り上げつつ、それが後の世でも面白く読めるような著作が多々存在する。


 そして、本書『友だち地獄』こそ、まさしく大学生たちにとってはそのような著作なのだろうと思う。事実、各地の大学教員から伝え聞くところでは、図書館の社会学書コーナーにおいて、おおむね多くの本はきれいなままに並べられているのだが、本書だけは繰り返し読まれてボロボロになっているのだという。


 あるいはそろそろこういう書き方をしても許されるタイミングだろうが、入試問題にも数多く使われた著作であろうし、評者も、推薦入学者たちのレポート課題の対象として本書を指定したことがある。

 さて、すでに多くの書評で指摘されてきたことだろうが、あらためて本書の一番の面白さを振り返るならば、それは元々、楽しいもの、心安らぐべきものであったはずの友人関係が、むしろ若者たちにとって極めてストレスフルなものへと変容を遂げているというその逆説的な内容に他ならないだろう。


 本書以前から、若者の友人関係をめぐっては、心理学的な研究と社会学的な研究との間で興味深い論争が繰り広げられていて、「希薄化説」対「選択化説」とも言われたその要点は、以下のようなものであった。


 すなわちメディアの発達などによって若者の友人関係が次第に希薄なものになっていくという、あたかも一般的な常識をなぞったような心理学的な主張に対し、浅野智彦や辻大介といった社会学者たちは、実証的なデータに基づきながら、若者の友人関係は希薄になるどころか、人数の面や満足度において増加傾向ないし高い水準にあり、むしろ選択的に様々な相手を使い分けているのだと主張していたのである。

 そしてさらに、本書で土井氏が指摘しているのは、こうした一見恵まれた友人関係こそが、若者たちのストレスへと転じていくという逆説的な状況なのである。


 若者を対象にした各種のアンケート調査が明らかにしているように、特に90年代の中盤から2000年代初頭にかけて、彼らの生きがいや熱中すべきことがらについて、ダントツのナンバーワンに挙げられていたのは、「友人といること」であった。


 だが、何か明確な目的を達成することとは違って、「仲の良い友人といることを楽しむために一緒にいる」というふるまいは、やがて自己目的化し、徐々に息苦しい閉塞的なものへと代わっていくであろうことが想像に難くない。


 「友だち地獄」とは、まさにこうした現象のことであり、本書では土井氏が長年積み重ねてきたフィールドワークの成果に基づいて、その実態が記されている。

 評者は、出版とほぼ同時期に本書を土井氏からご恵贈いただき、あっという間に面白く読んでしまったのを覚えている。


 このインパクトのあるタイトルについても、土井氏は当初あまり好まれなかったとも伝え聞くが、若者の友人関係をめぐる、まさにエポックメイキングな変容を記述する上では、的確なものではなかったかと思う。


 そして今日では、これまたいくつかのフィールドワークの知見からは、もはや若者たちがある意味で「ローテンション化」しており、友人関係を含む日常生活の全般的なことがらに対し、以前ほど強い期待を抱かなくなったがゆえに、無理に「空気を読」んだり、そこに「友だち地獄」を感じなくなりつつあるのではないか、といった仮説的な見通しも提起されつつある。


 こうした見通しが、どこまで正鵠を得たものかは、今後の検証を待たねばならないが、いずれにせよ本書は、若者たちの友人関係とその変容を理解する上で、今後も参照され続ける重要な著作と言えるだろう。


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『武器としての決断思考』瀧本哲史(星海社新書)

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「「正規戦」ではなく「ゲリラ戦」の兵士となるために 」

 本書は、京都大学客員准教授であり、同大学で「意思決定論」「起業論」「交渉論」などの講義を担当する瀧本哲史氏が記した、若者たちを啓発するための著作である。

 氏には、本書『武器としての決断思考』のほかにも、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)、『武器としての交渉思考』(星海社新書)などの類書が存在するが、やはり学生に対してならば、本書から読み進めることをお勧めしたい。


 大学に勤務する自分自身のことを振り返ってみても、学生たちを啓発することは至難の業である。単純に「がんばれ」とか「やる気を出せ」とか、はげませば済むだけの話ではなく、そもそも「自分のことを自分で決める」という思考回路を持ち合わせていないことが多いのだ。それも、このことが彼ら自身の問題によるものというより、おそらくはこの社会が長らく抱えてきた問題であるからこそ、根が深いのだ。


 一例をあげよう。秋口になると、大学内では翌年度に所属するゼミナールを探し求めて、学生が動き始める「(就活ならぬ)ゼミ活」のシーズンを迎える。


 幸いにして、評者のゼミにも幾人かの学生が、関心を持って質問に訪れてくるのだが、近年よく聞かれる質問で、どうにも違和感がぬぐえないものがある。

 それは、「先生のゼミではどのような人材を輩出したいと思っていますか?」あるいは「先生のゼミを出ることで、自分はどのような人材になれるでしょうか?」というものだ。

 このように、自分自身の行く末を、所属する大学のゼミナールあるいはその指導教員に丸投げしようとする発想が、どうしても私にはなじめない。

 もちろん、個人的にこういう学生が好ましい、こういう社会人が多くなればよいといったイメージは持ち合わせてはいるものの、それを指導学生に押し付けようなどと思ったことはこれまではなかった。


 それどころか私自身は、大学という場は、むしろ逆だったのではないかとも思う。それぞれに個性があり、自分の主張のあるものが集まってきて、教員に対しても、学問というフィールドにおいては対等にぶつかり合いながら互いに研鑽し、そして世に出ていく・・・、大学とはそういう場ではなかったのか。

 
 とはいえ、ないものねだりばかりしても仕方がないので、上記のような質問をされた場合は、とりあえずありきたりの回答をすることにしている。


 また時代が時代であるならば、ある程度は、それにあわせた教育を施すこともやむを得ないのだろうとも思い始めていた。


 そんな折、本書と出会い、まさにこれは今の学生に最適の入門書だと思った次第である。


 本書の主張は極めて単純明快である。一言で要約するならば、「自分のことは自分で決めろ」ということ、そのことの重要さ、あるいはそのために必要なテクニックなどを、きわめてわかりやすく、記してくれている。


 かつての大学ならば、こうした内容は当然の前提としてスキップできたものなのだろうなと思わなくもないものの、それでも、今日においては大学生の必読書として読んでほしい一冊である。


 同じく瀧本氏が記した類書である『僕は君たちに武器を配りたい』の文中の表現に倣うならば、混迷を深め、先行きの見通せない現代の日本社会で生き抜くことは、まさに正規戦ではなくゲリラ戦を戦うことにほかならず、本書はそのための武器を手にするまさしく第一歩に他ならない。


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