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2012年09月30日

『メディア文化とジェンダーの政治学-第三波フェミニズムの視点から』田中 東子(世界思想社)

メディア文化とジェンダーの政治学-第三波フェミニズムの視点から →bookwebで購入

「新たなジェンダー論からメディア文化をとらえた待望の一冊!」

 本書は、十文字女子学園大学講師の田中東子氏によって書かれたアンソロジーである。評者は、本書を著者よりご恵投にあずかったが、無論、それだからと言ってここで取り上げるのではなく、ほぼ同世代に属するメディア文化研究者の待望の一冊として、本書を高く評したいと思う。

 本書が描いているのは、主として今日の日本社会における(若年)女性たちが織りなすメディア文化の実態である。


 コスプレやスポーツファンなど、いくつものユニークな対象が取り上げられつつ、そうしたふるまいを当事者の視点に内在しながら、的確に描き出していく記述は、ざっと一読するだけでも十分に楽しめるものである。

 加えて評者は、本書を「二つの距離感」の絶妙なバランスの上に成立した著作として受け取った。それはすなわち、ジェンダー論であることを銘打ってはいるものの、かつてのようなラディカルなフェミニズムに全面的に与するものでもなく、またかといって、それに対する急進的な反発としての、いわゆるバックラッシュと呼ばれる動きに与するものでもないということである。


 だから本書は、ものすごくわかりやすいという人がいる一方で、ものすごくわかりにくく複雑だと思う人もいることだろう。


 評者のように、世代的な共感を強くするものにとっては、ものすごくわかりやすいのだが、上記した「二つの距離感」とそれらへの長々しいエクスキューズがわかりにくくて仕方ないという人もいることと思う。


 だが、複雑化する今日の社会において、説得力のある文化研究とはこういうものなのだろうなとも思わずにいられない。社会が複雑化し、多様な文化が入り乱れる状況において、まずもって聞き入れられやすい言葉とは、当事者性をもったものである。


この点で本書は、女性文化を対象に女性によって書かれた当事者性を持った著作ということができるが、かといってそれが、それ以前の女性たちとはまた違った立場取りによって書かれた(または書かれなければならない)著作であることも明確に述べられている。


それこそが、先に述べた「二つの距離感」に関するエクスキューズにほかならないのだが、多少面倒ではあっても、こうした立場取りを明確に言語化することが、今後生き残っていくための方策なのだと思うし、本書はそれをなし得た著作だと思う。


同じような立場取りに基づいて、今日の女性たちの文化を多様な視点から面白く記述したものとして、以前に『女子の時代』という著作を評価したが、本書はそれに加えて、こうした立場取りを理論的に詳細に検討し、明確化している点において(特に本書1~3章の内容)、さらに高く評価できるものといえよう。


先行するフェミニズムやジェンダー論のラディカルさ、あるいはその達成を知的財産として継承しつつ、さらにそれを使いやすくカスタマイズして、自分たちの世代の文化の記述に当てはめていくアプローチ、いわば「抑圧される女性」という立場から、「文化的な一クラスターとしての女子」という立場への変容に基づいた文化研究として本書は評することができると思われるが、今度は、男性文化についてこのような研究をしてみたいと、評者は強く思わされた。


ぜひ、女性男性問わず、文化に関心のある多くの方にお読みいただきたい一冊である。


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『文化と外交-パブリック・ディプロマシーの時代』渡辺 靖(中公新書)

文化と外交-パブリック・ディプロマシーの時代 →bookwebで購入

「立ち遅れる日本の文化外交に対する警告の書」

 先日、とある大学で文化社会学について話をしていたとき、受講生から次のようなコメントをもらった。

 すなわち、その概略を記すと、「文化のような表層的な現象を研究することに何の意義があるのか」というものであった。おそらく、経済や政治のようなことがらこそが、社会の本質であり、文化はせいぜいの日々の余暇にしか役立たような、表層的なことがらではないのか、という疑問なのだろう。


 これが集中講義の初日に出てきたことに多少驚きつつ、そうした発想こそがまさしく表層的なのだということを熱弁していったのだが、残念ながら当該の学生は2日目以降来なくなってしまった。


 だが、「経済一流、政治は二流、文化は・・・?」と言われてきた日本社会において、こうした発想は決してこの学生だけに限ったものではないのだろう。
 


 評者は社会学者であり、社会学者は社会現象の記述や理解を主たる仕事としているので、ことさらに「役立つ」ことや、「○○すべきである」といったべき論に与することを潔しとはしない。だが今日の社会において、文化(およびその研究)がいかに重要なものであるのかという点について、それをある一側面からわかりやすく教えてくれるものとして本書を評したいと思う。

 本書は、今日の国際政治において、文化がいかに重要なファクターであるかという点を、パブリック・ディプロマシーという概念を用いながら説明している。パブリック・ディプロマシーとは、いわゆるオフィシャルな外交とは違って、文化の交流などを通じ、公的機関だけでなく民間機関も交えながら、他国の国民や世論に働きかけていく外交活動のことである。


 例えば、先進的なヨーロッパ諸国の文化センターにあたるものが日本国内にも多々存在する。フランスであれば日仏学院があるが、そこでなされているのは、いわゆる「カルチャーセンター」のような講座であったり、たんなる語学学校の授業ではない。表面的にはそのように見えるかもしれないが、知られるようにフランス社会にとっては、他国民にフランス語を伝えることは、開かれた文明そのものを伝えるという意義があるのである。


 あるいは本書によれば、近年では勃興著しい中国によるパブリック・ディプロマシーの展開に目を見張るものがあるといい、その典型例は、太平洋の小さな島国に対する支援に見られるのだという。かつては日本からのODAが展開されていた国々に、いま急速な勢いで中国からの支援がなされ、文化施設や体育施設が建設されている。それはこれらの国々が、規模は小さいけれども一つの国家(あるいは国連加盟国)として対等な一票を持ち合わせており、それらを取り付けることで国際政治の主導権を握ることができるからだという。


 こうした観点からすれば、尖閣諸島問題についても、それが重要でないとまでは言わないにしても、小さな島をめぐるその争いにだけ傾注することが、いかに表層的なことがらに過ぎないかが理解できるだろう。


 本書は、こうした国際政治の最先端を垣間見せてくれるが、かといって煽りたてる調子ではなく、むしろ冷静な文体で、その歴史的な背景から、学術的な意義、問題点にまで踏み込んで、バランスのよい視点から書かれているのも大きな魅力となっている。


 ぜひ多くの方にお読みいただきたい一冊である。


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2012年09月29日

『メディアオーディエンスとは何か』カレン・ロス/バージニア・ナイチンゲール 著  / 児島和人・高橋利枝・阿部潔 訳(新曜社)

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「メディア論を通した、「われわれとは誰か?」という問いの軌跡」

 「われわれとは誰か?」という問いが、急速に重要なものになりつつある。それは、「日本人である」「労働者(サラリーマン)である」「○○党支持者である」「若者である」云々といったように、それまで当たり前のようになされてきた答えが、急速にその自明性を失いつつあるからだ。それは、この社会のありようが根本から大きく変化しつつあることの表れでもある。

 1980年代以降、急速に浮上してきたオーディエンス研究とは、メディア論の視点から、こうした問いに答えようとしてきた軌跡であったと位置づけることができる。そして、本書『メディアオーディエンスとは何か』は、まさしくそうした軌跡を、幅広くバランスよくまとめ上げた好著である。


 さて、オーディエンス研究とは何かと言われれば、端的には、それまで「受け手」と呼ばれ、マスメディアに隷属する存在と見なされていた人々について、対抗的な「能動性」を認めたり、あるいは多元的に現実社会を生きる存在であることを問い直していった研究であるということができるだろう。


 そもそも、メディア論という言葉自体が比較的新しいのだが、「マスコミ論(マスメディア論)」という言葉が主流だった時代には(あるいはいまでもその思考から抜けきっていない人も多いのだが)、マスコミ万能論がまかり通り、「受け手」と呼ばれた「われわれ」にはあまり注目がなされなかったという経緯がある。


 だが、1980年代以降、カルチュラル・スタディーズと呼ばれる研究の潮流の中で、こうした「受け手」の中に、マスコミに対抗する「能動性」であったり、あるいはその属性によるバリエーションの多様さが見出されてきた。


 今となっては、当たり前のように思われることがらだが、いわば日々メディアを利用する「われわれ」という存在が、単なる「受け手」ではないものとして注目されるに至ったということができるだろう。


 そしてその背景には、マスコミ中心の時代から、インターネットのようなインタラクティブ性の高いものを交えた、複雑なメディア状況が到来したことも強く関係しよう。すなわち、来るべき次の時代へと向けて、メディア研究は今、極めて重要な問いのいくつかに直面しているのである。


それは、概略以下のようなものだということができよう。


まずもって、マスメディアやインターネットを交えた複雑なメディア状況における利用者のことを何と呼ぶべきなのか、あるいはどうとらえるべきなのか。そして、「われわれ」は、こうしたメディアをいかに使いこなすべきなのか、あるいはこれからの社会はいかにあるべきか、あるいはそもそも「われわれ」とは、いかなる存在であり、今後どうなっていくのか。


こうした重要な問いが浮上している中で、メディアを利用する「われわれ」に対して、いまだ和訳が定まらずに用いられてきた「オーディエンス」という概念は、いうなれば、マスコミ中心の時代からその次の時代へとこうした研究を橋渡ししていくための、仮の呼称なのだということもできるだろう。


また本書も、今後の社会を見据えたメディア論の大きな進展へとつながる、重要な橋頭保の一つとして、位置付けることができるだろう。


メディア論におけるこうした研究の方向性への台頭について、「オーディエンス論的ターン」と呼ぶこともあるが、本書では、それ以前のいわばマスコミ万能論の時代の効果研究の歴史にまでさかのぼりつつ、さらに経済、政治、文化的な複数の側面から「オーディエンス」という存在について検討を行っている。こうした多方面へと配慮の行きとどいたバランスの良さこそ本書の長所であるし、さらにそうした配慮は、来るべき新たな時代へのオーディエンス研究の展開を盛り込んだ最終の第7章にまで及ぶものである。


 本書のこうした特徴は、とりわけ共著者のバージニア・ナイチンゲール氏が、批判的なメディア研究の一潮流であるカルチュラル・スタディーズの論者として位置づけられつつ、その中にあっても一方的な批判に傾注することなく、むしろ「オーディエンス」を文字通り丹念に記述することを通して、その実態の正確な把握をすることを訴えてきたスタンスから来るものだということができるだろう。氏はこのほかにも、未邦訳なものを含めて、オーディエンス研究に関する重要なアンソロジーやハンドブックを刊行している。


 また翻訳書としての特徴を言うならば、本書は、こうした領域に関する国内でもトップレベルの研究者による翻訳がなされているため、非常に読みやすくわかりやすい。加えて、的確な「訳者解説」だけでなく、「用語解説」までついているので、初学者であっても十分に読み進めていくことができる。


 このように、これまでの状況を踏まえながら、来るべき新たなメディア社会を考えていくための重要な一冊として本書をお勧めしたいと思う。


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『仕事を遅くする7つの常識-「やめる」だけでスピード10倍アップ』松本幸夫(経済界)

仕事を遅くする7つの常識-「やめる」だけでスピード10倍アップ →bookwebで購入

「「忙しい病」の方々に贈りたい、「手抜き」のコツ」

 「『忙しい忙しい』って言っていれば、なんでも許されると思っているんじゃないの?」と言われ、ドキッとする人は少なくないだろう。評者もその一人だ。

 「忙しさ」を美徳とし、できるだけたくさん抱え込んで、日々仕事に追われること。そのことに自己満足を覚え、実はそのほうが効率が悪いのにもかかわらず、なおやめられない人のことを、ワーカーホリック(仕事中毒者)と呼ぶ。


 本書は、そんな「忙しい病」に取りつかれた「ワーカーホリック」たちに贈りたい、「手抜きのススメ」の書だ。それこそ、「モーレツ社員」がもてはやされた時代ならば、このような「手抜きのススメ」などありえなかったことだろう。


だが、評者が社会人となってからのここ10年の間でさえも、仕事をめぐる大きな変化を感じざるを得ない。特にそれは、2つの大きな変化にまとめられよう。


一つ目は情報化による処理の効率化と、それによって逆説的に生じた仕事総量の増加だ。つまり、PCやインターネットの普及に伴い、一つあたりの仕事をこなす効率は大幅に改善された。だが、労働時間全体が変わっていないのならば、効率化がなされた分、総量としてこなす仕事はかえって増えてしまっている。あるいはこの点は、余裕の生じた時間を、余暇として楽しむほどには、この社会はいまだ成熟していないということでもあろう。


二つ目は、新たな社会状況に対する組織の不適応ないし適応不全によるものだ。大学で言えば、およそ二十歳前後の若者相手に学問だけを教えていればよかったのが、就職活動や日常生活への手厚いフォローを求められるようになり、さらにその範囲が、社会人学生や留学生へと広がりつつある。このように、組織が未だ適応しきれていない問題の場合、往々にしてその負担は一部の人間に集中することになる。おそらく一般企業でも同じようなものだろう。


このように、不可避に生じつつある仕事の過剰負担については、組織的な改善策をもってすべきであろう。事実、昨今の春闘においても、デフレーション下ということもあってか、賃金のベースアップ要求以上に、こうした過剰負担軽減に重きを置いた要求をする労組も出始めていると聞く。

だがそれ以前に、個々人の「心がけ」の面において、改善できることも多々あるはずだ。それこそが、本書のタイトルでもある『仕事を遅くする7つの常識』であり、「手抜きのススメ」だ。


詳細を記して、本書を手に取る妨げになってはいけないので、ここでは要点の紹介にとどめるが、その主張の骨子は、「忙しさ」を美徳とせず、過剰に抱え込んだりしないで、むしろ効率を重視した仕事をすべきである、というものである。


上記のように、不可避に過剰負担が生じる社会状況ならば、個人が緊急避難的になしうることは、「(不必要な仕事を)やめる」ことでしかない。だからこそ本書には、『「やめる」だけでスピード10倍アップ』というサブタイトルがつけられている。


「10倍アップ」はやや誇大広告に思われなくもないものの、本書が唱える7つの常識の中で、評者が特に気に入ったのは次の二つだ。


すなわち一つ目は「常識1 仕事が速いと思われるな。次々仕事を頼まれる」である。一般的には、数をこなすことで信頼を勝ち取り、次の仕事につながっていくものと思われがちだが、それが行き過ぎて「熟考時間」すら奪われることになると、かえってクオリティが落ちかねないという警告がなされている。


そして二つ目は、「常識3 ノーを言ってみなければ相手の真意はつかめない」である。かつて、日本の人々の「ノー」と言えなさを取り上げたベストセラーも存在したが、やみくもな自己犠牲を美徳とするのではなく、きちんと責任を持った仕事を成し遂げるには、時にはっきりと「ノー」を告げることが重要なのだという。

「ワーカーホリック」の人達からすれば、およそ本を読むすら惜しんで仕事をしたいのかもしれない。だが、本書は読みやすい新書版であり、全体を通読したとて、さほどの時間を要するものではない。あるいは、その時間さえ惜しいのならば、せめて目次に列挙された「7つの常識」の文言にだけでも目を通してほしい。それらが与えてくれるヒントは、決して損をするようなものではないはずだ。


本書を、その読書にかけた時間以上に実りのある時間を読者に与えてくれる一冊として、ぜひお勧めしたい。


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