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2012年02月28日

『不安の種+』中山昌亮(秋田書店)

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「ジワジワとくる、「説明のつかなさ」が怖いマンガ」

「とにかく怖いんですよ。何とも言えないんですけど、後から来るんです」と、学生から進められて読んだマンガである。

 なるほど、と思った。たしかに、最初読んだときは「それほどでも?」という些細な印象しか残らないのだが、心に残った何かしらの引っ掛かり(スッキリしなさ、といってもよい)がきっかけで、2度3度と読み返しているうちに怖くなってくる。そんなマンガである。


 そこには、いくつかの特徴が指摘できる。まず、一つ一つのストーリーが短いということ(おおむね2~4ページ程度)。次に、最後にそのエピソードが起こった(あるいは、言い伝えられてきた)場所と年代が記されていること(まれに不明な場合もある)である。そこからは、これらのエピソードが、我々の生きている現代の日本社会において、ごく身近に起こったものであろうことが想像される。


 そして何よりも最大の特徴は、「わからないこと=説明がつかないこと」だらけということなのだ。


 ごくごく短いストーリーの中で起こる、不可思議な現象については、その背景や原因について、まったく何の説明もなされない。なぜそのような目に合うのか、なぜそのような現象が起こるようになったのかが、まるで分らないのだ。しかし、本書に収められたエピソードの多くは、「自分にもある!」というように、多くの読者が共感を覚えてしまえるようなものばかりである。


 子どもにしか見えない「オチョナンさん」と呼ばれる謎の存在についても、それが幽霊なのか妖怪なのかすら作品中では説明されないが、なるほど、そんな存在が子どものころには見えたような気もしてくる。


 あるいは、誰もいないはずの隣室から壁をたたく音が聞こえたり、(作中では「屋鳴り」と呼ばれているが)誰もいないはずの2階から階段を下りてくる軋みが聞こえたりといった体験は多くの人が持ち合わせていることだろう(評者も、前者は人から聞いたことがあり、後者は自身でも経験がある)。


 もちろん、こうした怪奇現象や怪談の類が、昔から存在してきたことは言うまでもないのだが、かつてと異なるのは、とにかくそれが「説明のつかない」ままに放置されているということなのだ。


 いわば、価値観を共有できた時代ならば、それを神仏のせいにしたり、霊のせいにしたりして、ある意味で「納得」した形で、共に怖がることができたのだろうが、これほどに価値観の多様化した時代にあっては、「ただ単にわからないこと/もの」があふれ出る一方になるのだ。


 評論家の宇野常寛氏の言い回しに倣うのならば、怪談についても、「巨大なる恐怖の対象(≒ビッグブラザー)」に説明を求められた時代が過ぎ去り、「個別分散化した端的なわからなさ(≒リトルピープル)」が遍在する時代になったのだといってもよい。


 本作品は、そんな今どきの怖さをじっくりと味わうことのできるマンガであるが、一度手に取ると、つい読み返してしまうので、本当に読みたいと思う人だけが読むことをお勧めする。



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