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2011年11月29日

『アラサ―ちゃん』峰なゆか(メディア・ファクトリー)

アラサ―ちゃん →bookwebで購入

「リア充か否かが問題ではない、関係的自己の生きづらさが問題なのだ」

「リア充」という言葉がある。元々はインターネットから生まれたスラングであり、「リアル(の生活)が充実しているもの」といった意味で、当初は決して肯定的な意味合いで使われていたわけでもないようだが、現在では恋人が居るものを妬んでラべリングするときなどにも広く使われるようになった。

 この用法にならうなら、筆者は「非リア」で「非モテ」の道をまっすぐに突き進んできた人間である。だからこそ「リア充」で「モテ」になることが、若者が幸せになれることなのだと、長らく思い込んでいた。


 だが、本書が教えてくれるのは、恋人がいたりセックスをする相手がいたりする(ここでいう「リア充」と定義できる)ものたちであっても、決して幸せではなく、大きな問題点や生きづらさを抱えているということなのだ。


 やや抽象的な言い方になってしまうが、コミュニケーションが得意か否かが重大な問題なのではなく、日々の膨大なコミュニケーションの渦の中で、自らの立ち位置を探し続けなければならないつらさ、いうなれば関係的自己の生きづらさのほうが問題なのだ。


 別な言い方をすれば、コミュニケーション漬けの現代社会において、むしろ一定のコミュニケーション能力があるほうが、苦労をするということだ。

 象徴的な例として、本書のP48「好きな食べ物はなんですか?」と題するマンガが挙げられよう。男性からそのように尋ねられた時、素直に自分の好きなものを即答すればよいものの、相手の受け取り方を考慮するあまりに考え込んでしまって、なかなか答えられないという、以下のような場面である。

アラサ―ちゃん:ホットケーキ……だと、フツーに女子っぽくなっちゃうし、ヨーグルトは
なんかエロっぽいよね……
馬刺しだと男前タイプになるし、それは絶対に避けたい!
じゃあ、えっと……桃?桃はエロタイプに入るのか?白桃はエロいがすももは?

男性:アラサ―ちゃんは?

アラサ―ちゃん:今考えてるからちょっと待って!!

 このように、常に自分の立ち位置を気にしながら逡巡しつづけるのが、主人公のアラサーちゃんなのである。


 評者自身も、年齢的には(ギリギリ)アラサ―であり、末っ子だったということもあって、空気を読みながら立ち位置を気にするというこうした振る舞いは、世代的にも非常によくわかる。まさしくこういう立ち位置こそ、アラサーっぽいものだ。


 だがさらに興味深いのは、主人公も含め、明確な名前を持たないということだ。名字も名前もなく、ただ「アラサ―ちゃん」や「ゆるふわちゃん」、「文系くん」や「オラオラくん」といった、まさしく「キャラ」としてのみ存在する。


 どこで生まれて、どんな学歴・職業で、どんな家族構成でといったような、その人だけの「入れ替え不可能」な背景(設定)は一切登場せず、むしろ、お互いの関係の中だけで、意味づけられていくような立ち位置、つまり文字通りの「キャラ」として、登場人物が出てくるのが興味深い。


 そのように「入れ替え可能」な、どこにでもいそうな「キャラ」として登場人物がパターン化されているからこそ、「こういうことって、よくある!」という風に、このマンガが説得力を持つのだろう。


 だからこのマンガは、特定の登場人物に感情移入をして、物語世界に入り込んでいくようなものではない。むしろ「キャラ」同士の関係性のパターンを楽しむもの、いわば、若い世代における、コミュニケーション指南の絶好の教科書と言えるものと思う。


 例えば、「アラサ―ちゃん」と「ゆるふわちゃん」の間には、本音では憎しみ合いながらも、一方ではお泊りもしたりして離れられないといった複雑な関係性がある。そこからは、いわゆる「女子の友情」の実態を、特に若い男性読者に学びとってほしいと思う。


 もう一点だけ、本書を高く評価する点があるとすると、こうした関係的自己の生きづらさに対する処方箋が示唆されているということだ。


 常に立ち位置を気にして、なかなか自分の振る舞いが定まらないという悩みは若い世代に共通するものだ。だが、「アラサ―ちゃん」の、そして著者である峰なゆか氏の振る舞いには、こうした問題点への処方箋が表れているように思われる。


 それは端的にいえば、「さらけ出す」ということだ。「アラサ―ちゃん」は、立ち位置を定めるのに逡巡しているけれども、その逡巡それ自体、あるいは悩む理由を全てさらけ出している。そして、だからこそそこにはタフさが感じられる。
 

 比べて他の登場人物は、表層的に「キャラ」を取り繕うことにだけ専念していて、きわめてひ弱な印象を覚える(一見、女性に対して強気な「オラオラくん」であってもだ)。


 どうせ、表層的な「キャラ」を通してしか他者と関われないのなら、むしろその「キャラ」を選び取る自己をさらけ出すことで、そこには一定の深みが生じることになる。


 分かりやすく言えば、「この人、表面上だけで「キャラ」を作っているんじゃなくて、なんか考えているな、結構強い人なんだな」と思われるようになるということだ。


 以上、書評という性質もあって、やや理屈をこねくり回してしまったが(こういうのが空気を読んだ「キャラ」づくりだろうか)、本書は楽しみながら読めるエッセイ風4コママンガである。


 ちょっぴりエッチな内容も含まれているから、相手に勧める際には少し注意が必要だが、ぜひ老若男女、幅広い読者にお読みいただきたいと思う一冊である。



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