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2011年08月31日

『理系白書―この国を静かに支える人たち』毎日新聞科学環境部(講談社文庫)

理系白書―この国を静かに支える人たち →bookwebで購入

「科学技術への信頼を取り戻すために」

 日本社会について、いったいどのような点を誇りと思うか、というアンケート調査の結果を眺めてみると、興味深い結果が見られる。政治や歴史と答える割合は低いが、経済はやや高く、そして科学技術の発展について誇りに思うという割合が目立っているのである。

 しかしながら、東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、この割合は残念ながら低下してしまうのではないだろうか。敗戦後の復興から高度経済成長期、そして低成長期を経た今日に至るまで、この社会の根幹を科学技術の発展が支えてきたという信頼は、脆くも崩れ去ろうとしているのではないだろうか。


 私は専門の学者ではないものの、おそらくあの事故をめぐっては、政府や東京電力の対応に代表されるように、組織論的な不全として明らかにすべき問題点と、純粋に科学技術の問題点として明らかにすべき点とがあるように思われる。


 そして、後者の問題点について、長期的な視点から本腰を入れて取り組んでいこうとするならば、今改めて振り返るべきなのは、「若者の理系離れ」という現象ではないだろうか。科学技術に支えられた社会を、改めて安定して営んでいくためにも、それを担う後進の育成は必須であろう。


 確かに「若者の科学技術離れの傾向」は、実はすでに問題視されてはいた。科学技術白書では1993年度版において始めて特集が組まれ、それ以降、シンポジウムが開かれたり、あるいはその問題点を扱った講義科目が放送大学でも設定されるなど、散発的にではあれ、この現象に対する対策は進められてきた。


 そして今こそ、信頼していたはずの科学技術が、未曾有の大事故を引き起こしてしまった今こそ、まさにこの現象に対する対策に、真剣かつ大規模に取り組まなければならないのではないかと思う。


 そのために大いに役立つのが、この『理系白書』という著作である。元々は、毎日新聞科学環境部による連載記事を元にして、2003年に講談社から単行本として出版されたものだが、2006年には講談社文庫に採録され、また第一回科学ジャーナリスト大賞も受賞した著作である。


 2007年と2009年にそれぞれ『理系白書2』『理系白書3』といった続編が出されており、いずれも、質の高い取材力と確かな文章表現力に支えられて、安心して読み進めることのできる著作となっている。


 科学技術の未来を憂う全ての人に、とりわけ若い人々に、理系文系を問わず、読んでいただきたい著作である。



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『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学』ロビン・ダンバー著/藤井留美訳(インターシフト/合同出版)

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「友達は無限には増えないもの?」

 本書は、進化心理学者として著名なオックスフォード大学教授、ロビン・ダンバーが専門的な見地を織り交ぜつつ記したエッセイ集である。

 論じている対象は、友人関係や言語に始まって、文化や倫理・宗教世界、そして科学や芸術に至るまで実に幅広い。ダンバーの基本的な視点は、こうした諸現象を、人間という動物の進化、あるいは環境への適応行動という観点から理解するというものである。


 原文もウィットにとんだ軽妙な文体で書かれているのだろうし、あるいはそのテイストを損なわない上手な翻訳によって、楽しく読める1冊となっている。科学に関心のある高校生、あるいは中学生あたりでも、十分に楽しめそうな内容である。


 さて、ダンバーが著名となったのは、本書のタイトルにもあるように、「ダンバー数」と呼ばれる、気のおけないつながりの人数について、定式化したことによる。


 その根拠となっているのは、とりわけ霊長類における集団の大きさが、その脳の新皮質の大きさと強い相関関係にあるということであり、別な言い方をすれば、その複雑な集団社会の形成が、他の生物に比して、霊長類における大きな脳の発達を促してきたのだという(社会的知性説)。


 そしてこの観点からすれば、人間の「ダンバー数」は150人程度なのだという。


 社会学者の立場からすれば、一見、この定式化は非常に乱暴なものに見えなくもない。気のおけないつながりの人数が、脳の新皮質の大きさによってのみ規定されているのだとしたら、なぜ友人の多いものとそうでないものとがいることになるのか。


 あるいは、高度にメディアの発達した社会とそうではない社会、もしくは集団主義的な社会と個人主義的な社会とで違いは生じないのか、といった批判がただちに頭を掠めることとなる。


 しかしその上でなお、この「ダンバー数」という定式化には、捨て去り難い魅力がある。というのも、本書の中でも触れられていることだが、高度にメディアが発達した社会においても、決して友人の数は無限に拡大していく傾向が見られないからである。


 例えば、携帯電話のアドレス帳であれば、おおむね最高で1000件程度の連絡先を登録することができるし、インターネット上のSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)を使えば、友人の数はそれこそ膨大に増やしていくことができる。


 この点について、実は評者も若者を対象とする実証的な調査をいくつも積み重ねてきたのだが、たしかに、こうしたメディアの普及当初は、それ以前と比べて若者たちの友人数に増加傾向が見られていた。だが、近年にいたると、その傾向は明らかに鈍ってきたように思われるのである。


 何年かに渡って、アンケート調査で友人数を尋ねて比較してみても、そうした傾向が見られるし、インタビューなどをしていても、「ケータイのアドレス帳は、〇百人というキリのいい登録数じゃなきゃ、いやなんですよ。だから新しい人を登録して、キリのいい数を超えちゃったら、誰かを代わりに消します」といった回答が見られるようになってきた。


 こうした結果にもとづくと、メディア技術の発達は、人間のコミュニケーションに無限の広がりの可能性をもたらしてくれるように見えるけれども、使いこなす側の人間の能力にも限界はあり、必ずしも社会的な要因だけが、人間の行動を規定しているのではないのだという思いを改めて強くすることとなる。


 かといって、社会学者である身からすれば、本書全体を通してその主張をすべて首肯できるかといわれれば、留保をつけざるを得ない部分はもちろん存在しており、例えば男女の性差を本質的なものとして捉えてしまっているところなど、ジェンダー論に代表される社会学的な観点に基づけば、批判すべきところがあまたあるのも事実ではある。


 だがもし、自分自身の「ダンバー数」にももし限りがあるのなら、その限られた数の中で、できるだけ多様性を確保しておきたいとも思う。そうした意味において、新鮮な刺激を与えてくれる本書は、読みやすさもあって大変面白い著作であった。



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『電子書籍の衝撃―本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』佐々木俊尚(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

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「ソーシャル系メディアはコンテンツ系メディアの救世主となりうるか」

 本書については、やや批判的な書評などもネット上では散見されるようだが、評者はその内容を概ね肯定的に評価しているし、電子書籍をめぐる状況の進展(あるいはその遅さ!)に鑑みても、初版の発行から一年以上が経過した今でも、十分に紹介するに足る著作として、ここで取り上げてみたい。

 本書が評価に値するのは、状況の本質を客観的な視点からきっちりと押さえ、その上で、今後に対する指針(処方箋)まで提示しているということである。論じているのが新しい現象であればあるほど、こうしたバランスのいい著作というのはそう多くはない。


 前者について言えば、電子書籍の普及は、あたかも出版文化の破壊であるかのように喧伝されることが多いが、この点を氏は明確に否定している。少し考えればわかることなのだが、今日においても、われわれはやはり本が大好きなのだ(さもなければ、このような書評サイトなど存在するはずもないだろう)。


 あるいは、もう少し正確に言うならば、今日ではそうした形をとっている、コンテンツ(著作物や文化作品)を楽しむことが大好きなのだ。よって、電子書籍の普及で揺らぐものがあるとするならば、それは紙という媒体に印刷された「本」という物体を、再販制度に支えられて安定して販売してきた旧来の流通ルート、それだけであり、コンテンツを楽しむという振る舞い自体に対しては、おそらくほとんど影響はないはずなのである。


 だが一方で、氏はコンテンツの楽しみ方が代わるのではないかという指針をも示している。それは、東浩紀氏の用語に倣えば、コンテンツ系メディアがソーシャル系メディア(SNSやブログなど)と融合していくということである。


 これまでのコンテンツ系メディアは、大まかに言ってマスメディア型のモデルをなしていたといっていい。テレビが象徴的だが、いうなれば「上意下逹」、一方向的に送り手から送り届けられてくるだけだった。


 だが、ソーシャル系メディアの中にコンテンツ系メディアが組み込まれるような取り組みはすでに始まっている。Facebookにおいて、youtubeで見つけたお気に入りの動画を紹介し、友人と意見を交わすといった振る舞いはその典型だろう。本書が取り上げている電子書籍も、こうしたソーシャル系メディアとの連携が、今後ますます強化されていくだろう。


 そして、コンテンツの創作や発信においても、旧来のように一方向的になされるのではなく、むしろこうしたソーシャル系メディアの中から、「自然発生的」に芽生えたものが緩やかに共有されていくような、新たなあり方が起こってくるのではないかと本書では示唆している。


 著者の佐々木俊尚氏は、定評のあるジャーナリストであり、本書も氏の特徴がよく出て、満遍なく目線の行き届いたバランスのよい著作となっていると思う。たとえて言うならば、大学で電子書籍について講義する際には、格好のテキストである。


 ただ最後に、一点だけ付け加えるのならば、これは著者に対する要求というよりも、今後に向けての課題として記しておきたいのだが、ソーシャル系メディアに対する期待について、日本社会においてはあまり過信をしてはいけないのではないかとも思うのが正直なところである。


 というのも、やや「上から目線」の物言いとなるが、日本社会では、いわゆる「中間集団」が十分に発達していないのではないかと思われるからだ。
「中間集団」とは、個々人と社会全体をつなぐ橋渡し役を担う中規模の社会集団をいう。例えば、地域共同体などがその例だが、「お上」の主導によって急速に近代化を果たしてきたこの社会では、こうした「中間集団」の形成が十分ではないのではないかという危惧がぬぐいきれない。


 だからこそ、戦時中に結束が強められた町内会などは、個々人と社会全体をつなぐどころか、個々人を社会に縛り付けるための「上意下達」の伝達組織と成り果ててしまったのではなかっただろうか。


 今日のソーシャル系メディアにおける人々の連帯が、コンテンツを「民主的」に楽しむ新たな社会を作るために本当に役立ちうるのか、それとも、結局はマスメディア型の一方向的な「上意下達」の情報を、より効率的に伝えるための経路に成り下がってしまうのかどうか、研究者としても、今後の変化を見据えて行きたいと考えている。



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『”日常系アニメ”ヒットの法則』キネマ旬報映画総合研究所編(キネマ旬報社)

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「“日常系アニメ”に関する総合的研究」

 本書が取り上げている“日常系アニメ”とは、具体的な作品名で言うならば『けいおん!』『らき☆すた』といったような、ごく日常のことを、大きなメリハリもなく、淡々と描き出した一連のアニメのことである。

 いや、ここではわかりやすさを優先して、あえて思い切り価値判断を込めた言い方をしよう。それは、驚くほどに“つまらないアニメ”のことだと。


 もちろん、これは私個人の感じ方であることをお断りした上で記せば、ドキドキハラハラのストーリー展開もなければ、感動的なエンディングもない。ただ、淡々とごくごく日常のことがつづられていくのだ。


 さらに続ければ、1970年代に生まれ、テレビアニメ全盛期に育ち、日常では味わえないような非日常的な興奮を、アニメ作品の数々から得てきた私自身からすれば、こうした日常系アニメがヒットすること時代、実に興味を引かれる現象である。


 あるいは、私と同じかそれ以上の世代の方ならば、こうした実感を共有していただけるのではないかとも思うのだが、一方で、こうしたアニメを好む若者たちに話を聞くと、また大変に興味深い回答が返ってくる。


 いわく、もはや日本社会の行き先は不透明化し、例えば就職活動一つとっても、なかなかうまくいかずに、安定した日々など想像し難い。そうしたリアリティを生きる若者たちにとっては、むしろほのぼのとした“日常的”なものこそが、ありそうもない“非日常的”なものに感じられるのだという。


 これはおそらく、ただ単にいくつかのアニメ作品がヒットしたということにとどまらない、大きな社会現象として捉えて行くべきことなのだろうと思う。


 この点で本書が評価に値するのは、その分析において、総合的な視点から進めているということである。すなわち、ただアニメ作品の内容を批評して終わりにするのではなく、製作者側に対する聞き取り調査やその背景の分析、あるいはアニメ作品の流通経路、そして何よりも、こうした作品が受け入れられる社会背景についての分析といったように、多角的な視点から検討が進められていることが本書の記述をよりシャープなものにしていよう。


 しいて言うならば、こうしたアニメの主たる視聴者やファンに対する込み入った調査がもし組み込まれていたならば文句無しだったのだが、この点は、メディア論者であるわれわれの課題と受け止めようと思う。


 いずれにせよ、本書は面白く読める著作であり、非常によく書けている著作だと思う。たとえて言うならば、学部4年生がこうしたテーマの卒論に取り組みたいといってきたときに、お手本とすべき参照文献の筆頭に挙がってくるような著作だと思う。
 


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