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2011年07月31日

『プロフェッショナルパイロット』杉江弘(イカロス出版)

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「「想定外」に対応できてこそプロフェッショナル」

 飛行機に乗っていると、着陸がスムーズにいく場合とそうでない場合とがある。天候に左右されることもあるが、さしたる風も吹いていないのに「ドスン」と大きく弾んで着陸するときもあれば、悪天候でも比較的スムーズに着陸するときもある。

 本書によれば、これはパイロットの力量による違いであるという。いかなる状況でもスムーズに着陸させることのできるパイロットは、しばしば「天才」としてもてはやされるが、著者はこうした力量はむしろ後天的なものだと主張している。

 「そもそも飛行機が出現したのは、六〇〇万年の人類の歴史の中でもごく最近の出来事で、その操縦に関して持って生まれた天性のものなどあるはずがない。自分自身の経験から言っても、同期入社の仲間で最初から最後まで操縦がずば抜けて上手な者はおらず、個人の訓練での努力や日常フライトへと姿勢の差から、ある時期から能力差として固定される性格のものである。また、訓練やラインフライトでプロフェッショナルなパイロットとの同乗によって突然開眼することも少なくない」(P153)

 だが一方で、こうしたプロフェッショナルなパイロットの育成は、近年おろそかにされつつあるという。というのも、最新鋭の飛行機においては、ますますオートマチック化が進み、ある程度の訓練を積んだパイロットであれば、誰もが同じように操縦できるようになりつつあるからだ。


 しかし著者に言わせれば、こうしたオートマチック化は、トラブル発生時においては、むしろ逆説的に、より重大な決断や判断をパイロットに迫ることになるのだという。


「一昔前の航空機では、高度計や速度計の一つに異常が発生しても墜落するという事態にまでは至らなかった。しかし現代のアドテク機(=アドバンスト・テクノロジー航空機 ※補足評者)では、一つのトラブルが自動操縦システム全体を異常な状態に陥れる……。そこで飛行マニュアルに書かれていないことや、訓練では経験していなかったことが発生するとパイロットは混乱し、天候やエンジン等が正常であっても、機をアンコントロール(操縦不能)状態にしてしまうことになる。」(P235~236)

 いわば、システムが発達しオートマチック化が進めば進むほど、一見、人の手を要する領域は減り、プロフェッショナルという存在も用済みであるかのように感じられる。しかしながらその一方で、万が一の非常時に対応するためにこそ、むしろプロフェッショナルの存在が、本当は重要度を増しているのだという。


 筆者は、総飛行時間が2万時間を超え、機長としても1万時間無事故表彰を受けている現役のパイロットであり、まさに日本を代表するプロフェッショナルであるだけに、その言葉は説得力に富む。


 また、本当はプロフェッショナルという存在が必要であるにもかかわらず、システム化や合理化が進むほどに、その存在がおろそかにされているという問題点は、まさに複雑化した今日の日本社会にもあてはまろう。


 例えば、東京電力の原発事故に関する報道を耳にするたびに、まさしく不在であったのは、原発に関するプロフェッショナルではなかっただろうか。本来、そうあるべきであり、また監視をする役目を担っていたはずの原子力安全・保安院などは、省庁内部でのたらいまわし人事のすえに、専門外とも言える人物が担当している始末であったのは、周知のとおりである。また、非常事態に対応できてこそのプロフェッショナルであるにも関わらず、今なお繰り返され続けている言葉は「想定外」である。


 その一方で、その危険性を数十年も前から察知し、一貫して警鐘を鳴らし続けてきた研究者たちは、長らくまともに相手にすらされてこなかったのだという。強いて言うならば、この人たちだけが、原発のプロフェッショナルと呼びうる存在であろう。


 本書は、現代社会のシステム化・オートメーション化が進むほどに、むしろ逆説的に、プロフェッショナルな人間が必要になることを説得的に述べた著作であり、もし航空会社が運行される便の機長を事前に知らせるサービスを導入したなら、まちがいなく「この人が操縦する飛行機に乗りたい」と思わせる著作である。


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『島秀雄の世界旅行 1936‐1937』島隆 監修 ・高橋団吉 文(技術評論社)

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「東海道新幹線のルーツを辿る紙上旅行」

 島秀雄といえば、十河信二とともに「新幹線の生みの親」として、鉄道好きでなくともその名が知られていよう。国鉄の技師長を務め、新幹線以外にも数々の名車や名機関車の開発に携わった技術者である。

 本書は、その島秀雄が1936年から1937年にかけて、鉄道省の在外研究員として、海外視察旅行に行った際に撮影した、膨大な枚数の写真の一部に説明を加えたものである。コラムなどの文章は、『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(小学館)の作者でもある高橋団吉氏が担当している。


 1年9カ月に及んだこの旅行は、横浜から船で出発し、中国や東南アジアを経て、マルセイユに至り、1年近くヨーロッパ各地を視察した後に、南アフリカを訪れ、さらに南米各地を巡って、アメリカを経て帰国するという、文字通りの世界一周であった。


 帯文にもあるように、「第二次大戦前夜、そして機械文明絶頂期の記録」である本書は、ただ眺めているだけで、時がたつのを忘れてしまうほどの魅力がある。ベルリンオリンピックの開会式や、ニューヨークの摩天楼など、機械の息吹を感じるような時代の様子は、よくアニメでも描かれることがあるが、私にはこれらの写真の方がはるかにリアルに感じられる。また、高橋氏のコラムも実に説得力のある読み応えのある文章ばかりだ。


 実は、島秀雄はこの10年前にも海外視察に出掛けており、さらに父の安次郎も、20世紀初頭に3回ほど海外視察に行っている。だが、とりわけこの1936~1937年の海外視察が重要なのは、その途上で、後の東海道新幹線に至るアイデアを思いついたからだという。


 それは、1937年の4月、オランダのロッテルダムに船が寄港した際、ライン河岸を走る近郊電車が行き交う光景を眺めながら、おぼろげに浮かんだイメージなのだという。


 当時、あるいは今日に至っても、多くの鉄道においては、機関車が客車をけん引する「動力集中方式」が主力であった。だが、動力を機関車に集中させることで、そこに重さも集まるため、路盤の脆弱な日本の鉄道には不向きであった。そこでむしろ、全車両にモーター(M)を取り付ける「動力分散方式(オールM式)」が後の新幹線では採用されることになるのだが、その原点とも言うべき着想は、この旅行時に浮かんだものだという(島自身は、この方式を「ムカデ式」と呼んでいたという)。

この点について、高橋氏はコラムで以下のように記している。


ムカデ式すなわち「オールM式」は、いたって単純である。天才的な閃きが生み出した発明でもないし、複雑な思考と技術の集積でもない。合理性を率直に推し進めていけば、徹底的に考え抜くことさえできれば、誰でも辿り着くことのできる普遍性をもっている。
しかも、お手本は目の前に転がっていた。近郊電車や路面電車は世界中の主要都市で走っていたのである。(P188)


 このように、新幹線が「天才」による突然のひらめきや発明によるものではなく、地道な努力の積み重ねによって、半ば必然的に生みだされたものであるという指摘は、まさに正鵠を射たものだというほかないだろう。


 そして島秀雄が、余人を寄せ付けない驚異的な天才であったというより、むしろ実直な技術者であったことは、本書を読み進めればおのずから明らかとなっていく。例えば、この視察旅行は、後世からするならば、新幹線の着想を得た機会と評されるのだが、むしろ当時の島自身の考えの多くを占めていたのは、新型の蒸気機関車の開発であり、そのために同じ狭軌(1067㎜)でありながら、高性能の蒸気機関車を走らせていた南アフリカの鉄道の視察こそが最重点課題であったという。そのため、残された写真を調べていくと、ヨーロッパ各国の名機関車をほとんど撮影せず、むしろ南アフリカの蒸気機関車ばかりを撮影していたという。


 このように本書は、歴史的な資料としても一級品の価値を持つといえるが、ここに掲載されているのは、残された写真の一部に過ぎないという。また本書ですら、コストの面で見合わなかったために、幾度も刊行が見送られてきた経緯があるとプロローグ(P10)には記されている。


 巷では、鉄道ブームといわれ、関連するイベントや博物館などにも多くの人が集まっているというが、本書やあるいはそれに関連した未収録の写真、さらにはそのほかにも貴重な歴史的資料の多くは、十分な検討や保存をされないままになっていることが多い。


 だからこそこのブームも、一過性のものとして終わらせてしまうのではなく、むしろ今日の日本社会の来る由縁をじっくりと掘り下げていくための、きっかけになればと願わずにいられない。そしてそのためにこそ、鉄道好きもあるいはそうでない人も、本書のような著作と、向き合っていただきたいと思う。



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『カレチ』池田邦彦(講談社)

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「「リスク」だけでなく「キセキ」をも語ること」

 本書は、昭和40年代後半を舞台に、当時の国鉄大阪車掌区に勤務する新米「カレチ(長距離列車に乗務する客扱専務車掌)」の日常を描いたマンガである。

 鉄道ブームの昨今、それを題材にしたマンガは世にあふれているが、車輛のデッサンから運行する側の実態まで、きちんとディティールにこだわった作品はそう多くない。この点からも、作者の鉄道に対する造詣の深さがうかがえる。


 丹念に参考文献にあたりつつ、おそらくは実際にあったエピソードなどを下敷きにして作られたであろうストーリーの一つ一つは感動的であり、時に涙をこぼさずにいられない。


 また本書は、いわゆるノスタルジーもののマンガとは、はっきりと一線を画している。その点は、ノスタルジーものが昭和30年代を舞台にすることが多いのに対して、「少し前の社会」である昭和40年代後半を舞台としている点にも表れている。一つ象徴的なエピソードを取り上げてみよう。


 2巻に収録された第14話「列車指令」というエピソードがある。新大阪駅を出発する夜行列車に、翌朝分の新聞を積み込もうとしたトラックが途中で事故に巻き込まれてしまうという話である。発車してしまった列車をトラックは必死で追いかけるが間に合わず、ついに誰もがあきらめかけてしまう。だが、主人公の「カレチ」が思いついた妙案でどうにか積み込むことに成功し、新聞は無事に届けられる。そしてトラック運転手が帰宅後に、自宅に届けられた新聞と牛乳を手に、次のようなセリフをつぶやく。

「当たり前ってのは……実はすげえ事なのかも」(P147)

 おそらく、こうした「少し前の社会」が懐かしいのは、今よりも科学技術が未発達で人情味のあふれる時代だったから、だけではない。むしろ、科学技術の進歩を肌身に感じつつ、その恩恵をリアルに感じられていたからではないだろうか。


 確かにこのエピソードも、人情ものとして読むことができないわけではない。与えられた職責を超えて、なんとか新聞を積み込もうとするトラック運転手、そしてそれを待ち望んで奮闘する「カレチ」や列車指令の国鉄職員たちの姿は感動的である。


 だが、彼らの努力に見合うだけの成果がもたらされた背景には、科学技術が作り上げた精緻な運行システムがあったことを忘れてはならない。


 「○○駅で積み込めなかったら、××駅に△△時までに到着して下さい」といった指示が出せたのは、数分と違わない正確なダイヤで列車が運行していたからであり、そしてそれを支える精緻なシステムが存在していたからである。つまり列車が遅れてくるのが常態化しているような社会では(そしてそのほうがはるかに多いのだが)、このエピソードは成立しなかったのである。


 言うなれば、この「少し前の社会」とは、人間の力で引き起こされた「キセキ」がいくつも存在していた時代だったと言えるし、そうした「キセキ」がリアルに体感しえた時代だったとも言えるだろう。


 さて、ここでいう「キセキ」とは、神が引き起こしたりするものや、あるいは自然界において偶然生じるような「奇跡」とは区別して考えなければならない。そうでなくて、人間が起こす「キセキ」とは、人智を積み上げた上で、それを完全にマニュアル化しないで、時に自分の判断をまじえながら主体的に使いこなしていくときに生じるものである。


 よって本書が描きだしているのは、時に上司や同僚に怒られながらも、主人公の新米「カレチ」荻野氏が引き起こしていく「キセキ」の数々である(ネタばれになるから、これ以上のエピソードの紹介は差し控えよう)。


 翻って、今日の日本社会では、科学技術が進歩しすぎて複雑になったせいもあって、一体、何がその恩恵で、何がそうでないのかといったことが分かりにくくなっている。


 確かに、科学技術が全てを解決してくれると言った、盲目な科学技術信仰や万能論を退ける上では、思想的な成熟のためにも、肯定的にとらえるべき状況なのかもしれない。
 

 これと関連して、原発事故以降、いわゆるリスク社会論が人口に膾炙し、いかなる選択を行っても、潜在的な「リスク」は存在し続けることが自明のものとなりつつある(原発の存続も全廃も、いずれかが100%の正解ということはなく、それぞれに「リスク」は存在しつづけるため、それを比較検討するしかないということが明らかになりつつある)。


 だが、「リスク」だけを考え続けるというのは、どうにも暗くなってしまう。もっと希望あふれる話を、科学技術については考えてみたいとも思う。今日的な問題にひきつけて述べるならば、「リスク」を語る思想的な成熟がもたらされたのは喜ぶべきこととして、それを適切に使いこなした時に、人間は「キセキ」をも引き起こすということを忘れないでおきたいと思う。


 どうにも暗くなりがちな昨今において、本書に描かれた「キセキ」の数々には、本当に心が温まる思いがした。鉄道好きだけでなく、幅広い方々に、今この状況の中でこそ、ぜひお読みいただきたいと思う。


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『ニセドイツ<1>』伸井太一(社会評論社)

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「面白うて やがて悲しき ニセドイツ」

 本書は、かつての東ドイツ(ドイツ民主共和国)社会について、工業製品の紹介を中心に、ユーモアたっぷりに記したものである。

 ドイツといえば、カメラでいえばライカ、クルマでいえばBMWといったように、われわれが憧れてきた工業製品の多くを作りだしてきたことで知られていよう。さらに、日本社会との共通点として、人々の勤勉さや技術力の高さ、それゆえの工業製品のクオリティの高さなども知られていよう。


 このように、我々の多くが半ば当たり前のように抱いているドイツに対するイメージを、本書はいい意味で裏切ってくれる。まず、『ニセドイツ』という書名からして、ユニークだが、その由来について、著者は以下のように記している。


 『ニセドイツ』は西(ニシ)ドイツをもじった言葉で、東ドイツ製品の 「妖しい」雰囲気を強調する効果を狙った題名である。
 東西に分裂した国家ドイツ。それぞれが一国家としての自国アイデンティティを形成しながらも、同根であるがゆえにドイツ的アイデンティティも追及した。つまり、東独は新生・社会主義国家としての自国アイデンティティを新たに創出しようとしたが、結局は多くの部分で過去のドイツの伝統にも頼らざるをえなかった。この未来志向と過去重視の二つのアイデンティティ形成が、製品において微妙に重なったり、ズレたりしたときに、東独製品は独特の魅力を放つのである。(おわりに)

 つまり、先に記したような勤勉なドイツという伝統と、怠惰にならざるを得ない共産主義社会という実態とが、真っ向からぶつかったのが、かつての東ドイツ社会であったのである。それゆえ、東ドイツの製品は、他の共産主義社会と違って、単に技術的に遅れていると言うだけではない、独特の「魅力」を持つのだという。


 本書では、自家用車トラバントを始めとして、いくつもの工業製品がカタログ形式で紹介されており、気の向くままに、好きなところから読み進めることができる。また、製品ごとに付された、ダジャレまじりの小見出しとあいまって(ちなみに、トラバントは「共産主義車の代表格」と紹介されている)、笑い転げながら読むことのできる楽しい著作である。


 だが、笑い転げた後で、ふと我に返ったとき、言い表しようのないさみしさがつのってくるのは、おそらく本書が単なる歴史的事実の記録ではなく、まさに今日の社会に通底する問題を描き出しているからだろう。


 例えば、第二次世界大戦末期、もしも無条件降伏をするのが遅かったならば、ドイツと同様、東日本と西日本に分かれていたかもしれず、「東日本」製の工業製品の特徴を記した『ニセ日本』なる著作が世に出ていた可能性もある。

 あるいは、全体社会のアイデンティティ形成が、二つの方向性の間で揺れ動いてきたという点も、日本社会と共通していよう。今日でこそ先進社会の仲間入りを果たしたような顔をしているが、明治期以来、イギリスやフランス、アメリカといった先進的な近代社会を目標としながらも、長らくは、それになかなか追いつけない後発的な近代社会であったわけだし、と同時にこの点は、欧米とアジアとの間でアイデンティティの居場所が揺れ動いてきたということでもあった。

 このように本書の内容は、単なる過去の記録にとどまらず、むしろドイツ社会に内在する「東ドイツ」という問題点、あるいはそこから連想される今日の日本社会の問題点にまで、射程が及ぶものだと言えよう。


 この点からして、ドイツの現代史、とりわけ「東ドイツ」に関する現代史的な研究は、重点的に探求がなされるべきテーマの一つに思われてならないが、少なくとも日本においては、あまり研究が進められていないとも聞く。

 こうしたニッチなジャンルの実態について、一般読者に対しても分かりやすく、そして面白く記述したところに本書の価値がある。ぜひ続巻の『ニセドイツ2』と併せてお勧めしたい。


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