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2011年06月30日

『鉄道と日本軍』竹内正浩(ちくま新書)

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「鉄道は国家なり」


 学問上の恩師とも言うべき人にこう言われたことがある。「社会(科)学を学ぶものは、一度は軍隊と戦史について学んでおくべきだ。なぜなら、軍隊は合理的な近代組織の一つの典型であり、戦史はその実地における活動記録に当るものだからだ」と。その方は、かの小室直樹氏からそう言われたのだという。


 しかしながら今日の日本社会では、軍隊や戦史に詳しい者といえば、「ごく一部のミリタリーマニアのことだろう」といったイメージしかもたれないかもしれない。希有な例外として、東京工業大学の橋爪大三郎氏が「軍事社会学」の講義をされているという話を聞いたことがあるが、そのシラバスにも「おそらく日本で唯一の講義」と記されていた記憶がある(橋爪氏も小室門下のお一人だ)。


 だからこそ、この社会では、組織が非合理的な方向に突っ走ったおかしな失敗が、いまだに後を絶たないのではないか、といったら言い過ぎだろうか。昨今の原発を巡る失敗が、第二次世界大戦時の軍部の動きになぞらえて語られるのも、決して故のない話ではない。

 さて、敗戦後、軍が解体された後に、もっとも軍隊らしい組織として残されたのは、実は鉄道ではないかと思う(もちろん自衛隊は今日でも存在しているのだが、人々により日常的でなじみがあるのは鉄道だろう)。別な言い方をすれば、日本ほど、鉄道に携わるものたちが軍隊のように行動する社会も珍しいといえるだろう。制服・制帽をきっちりと着用し、時間には秒単位で正確で、すれ違う時には敬礼をする・・・といった様子は、日ごろは当たり前に感じていることである。

 だが、他の国の鉄道に乗ると、例えば鉄道先進地のヨーロッパでも、鉄道員たちがラフな格好やフレンドリーな対応をしていることに驚くことがしばしばある。


 こうした点からも伺えるように、そして本書がその中心テーマとしているように、少なくともある時期までにおいては、軍隊と鉄道にはきわめて深いかかわりがあったのである。


 例えば本書でも記されているとおり、日清戦争後の陸軍に、鉄道大隊が創設されたことや、その後の日露戦争が実は鉄道をめぐる争いであったことなどは、今日では忘れられがちかもしれない。特に後者については、日本海海戦ばかりがクローズアップされがちであろう。


 さらには、それ以前においても、国内の幹線鉄道を敷設する際には、比較的平地が多く建設コストを抑えられる海岸沿いを通るか、それとも建設コストはかかっても艦砲射撃にさらされるリスクを避けられる山中を通るか、といった議論が真剣に交わされていた。


 この点に鑑みると、レールの幅だけが異なる中途半端な「ミニ新幹線」があちこちで作られたり、平行する在来線が廃止されたり第3セクター化されて、全国を結ぶ鉄道網がズタズタになっていく今日の状況は、もし明治の元勲が生きていたならばどう思うのだろうか。また国防や安全保障だけでなく、防災という観点からしても、日本経済の大動脈とも言える東海道新幹線のすぐそばに、浜岡原発が立地している現状はどう見えるのだろうか。


 このように、過去を学ぶことの意義は、ただ単に知識を増やすことだけではなく、現状を反省的にとらえ返すための貴重な視点を与えてくれることにあるといえるだろう。


 鉄道と日本社会との深いかかわりが、これまで十分に掘り下げられてこなかったという点は過去の書評の中でも繰り返し述べてきたことだが、本書はさらに進んで、鉄道と軍隊の深いかかわりについて、特に近代化初期段階の明治期に焦点を当てて論じた貴重な著作であり、今日の問題を考える上でも示唆に富むものである。


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