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2011年06月29日

『「モノと女」の戦後史―身体性・家庭性・社会性を軸に』天野正子・桜井厚(有信堂高文社)

「モノと女」の戦後史―身体性・家庭性・社会性を軸に →bookwebで購入

「ジェンダーを「立体視」する先駆的試み」

ある時期、ジェンダー論とはなんてつまらない学問なのだろうかと思っていたことがある。自分が浅学であることも大きいが、その内容が、とても平板に感じられたのだ。

 例えば、「男は仕事、女は家事」といった性別役割分業に対する批判である。もちろん、改善が進んだとはいえ、それらが未だに解決していない重要な問題でありつづけているということは言うまでもないのだが、正直に言えば「男が悪い」式のありきたりな結論を聞くのに飽き飽きしていた時期があった。


 大学で学び始めた当時は、むしろこうした議論が見開かせてくれる新しい社会問題への視座の気づきに心躍ったものだが、それ以上の目新しい知見を感じることができない日々がしばらく続いていた。そんな折に本書と出会ったのである。


 本書の内容は、さまざまな「モノ」とのかかわりを通して、戦後の女性たちが、いかに自己や他者、そして社会全体とかかわり合いを持ってきたのかを歴史的に描いたものである。「自己/他者/社会」といった3次元から、社会を捉えようとする視点は、はるか昔のドイツの社会学者ゲオルグ・ジンメルにまでさかのぼりうる、オーソドックスなものといえるが、むしろだからこそ確固たるものとなっている。


 本書ではこれを、「身体性/家庭性/社会性」に置き換え、たとえば身体性については、下着類や生理用品、家庭性についてはいくつかの家事用品、そして社会性については、手帳やタバコといった「モノ」を介して、女性たちがいかにそれぞれの社会次元とかかわり合いを持ってきたかという点について、克明に記述している。


たしかに、女性が女性らしく振る舞い得るのは、生得的にその人が女性だからというよりも、こうした「モノ」を介して、それぞれの次元において、女性らしいかかわりを持っているからだといったほうが説得的である。加えて本書が魅力的なのは、こうした「モノ」が一方的に女性らしさを規定していると捕らえるのではなく、むしろそうした規定力と女性たちの意味づけとの相互交渉を克明に記述しているところにある。そこからは、より現実的な手法で、既存のジェンダーを少しづつずらしていくための、建設的な処方箋にもつながっていくことだろう。


これらの点において本書は、これまでの平板化しがちだったフェミニズムやジェンダー論とは、明らかに一線を画す著作となっている。しいて言えば、「家庭性」という次元の設定について、実態に寄り添ったためにそのようなネーミングになるのは理解できるとしても、「(他者との)関係性」「親密性」といったより抽象的なタームにしておいたほうが、この分析概念の応用範囲をより広めることができたのではないかと思われる。


 なお続編にあたるものとして、『モノと男の戦後史』『モノと子どもの戦後史』(いずれも吉川弘文館)もあるのだが、読み比べると、やはり抜群に面白いのは本書である。その理由として、特にひと頃までの男性たちには典型的だが、天下国家や社会のことばかりを考えて、身だしなみや他者との関係性に無頓着でいるような人々については、この立体視のための3次元図式が不要になってしまうからかもしれない。

むしろ、抑圧的な立場におかれてきた女性たちのほうが、それこそ発明王となるカリスマ主婦のように、さまざまに「モノ」とのかかわり合いを工夫しながら、自らの生活を満たされたものとするための着実な知恵をふんだんに蓄積してきたのだともいえるだろう。今後もこうした生活の知恵を克明に記述していく、着実な研究成果が期待されよう。


 本書は平易な文体で読みやすいが、事例が豊富で読み応えのある一冊である。それこそ男女を問わずに、幅広い世代の方に読んでいただきたい。


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