« 『増補版 時刻表昭和史』宮脇俊三(角川書店) | メイン | 『中央モノローグ線』小坂俊史(竹書房) »

2011年04月30日

『鉄道日本文化史考』宇田正(思文閣出版)

鉄道日本文化史考 →bookwebで購入

「鉄道文化史という壮大な試みへの序奏」

 先月の東日本大震災は、語弊を恐れずに言えば、首都圏においては壮大な(負の)社会実験だったという側面を持つのではないだろうか。

 評者自身、当日は「帰宅難民」の一人となったが、改めて日常生活を支える社会インフラの脆弱さとありがたさを思い知ることとなった。とりわけ、バスをはじめとする道路交通は動いていたものの、鉄道が全て止まることで、東京という街がこれほどまでに機能不全に陥るものかという驚きを覚えた。


 ことほどさように、日本社会を生きる我々の生活にとって、日ごろほとんど意識されることはないが、鉄道との結びつきには極めて強いものがある。


 例えば、時間に正確な我々の生活は、鉄道が時刻表通りに運行されているということに負うところが大きい。もしこれが、マイカーが主体の生活であったならば、分単位でスケジュールを決めたりするようなことは不可能だったのではないだろうか。あるいは震災以降しばらくの間、毎日のように鉄道の運行状況が変化していたために、人とのアポイントを取るのに大いに苦労したことも思い出す。
 

 こうした時間に関する正確さは、以前にこの書評欄でも三戸佑子氏の『定刻発車』という書籍を紹介した際に触れたように、ただ単に鉄道という技術が輸入されて一方的に植え付けられたものではない。むしろ、それ以前から日本社会に存在した時間感覚と鉄道という技術が共に携わって形成されてきたもの、いうなれば文化的な変化であったというべきであろう。

 さて、前置きが長くなったが、本書が焦点を当てているのは、まさにこうした日本社会における鉄道文化の歴史的な変遷である。そしてそれは、これまで驚くほどに顧みられてこなかったものでもある。


 顧みられなかった理由として、著者は、鉄道がその経済的あるいは技術的な合理性の面ばかりにおいて注目されてきたからだという。確かに、明治期以来の富国強兵・殖産興業政策において、鉄道輸送がいかに経済的に合理的な成果をもたらしてきたか、あるいは戦後復興や高度経済成長の過程で、新幹線に代表される鉄道の技術がどれほどナショナルプライドを高めるのに貢献してきたか、といった点に疑いの余地はない。


 しかしながら、こうした功利的な影響面ばかりが注目される一方で、我々の日々の生活といった、社会のより深淵において、鉄道がどのような関わりを持ってきたのかという、文化的な側面については、ほとんど顧みられてこなかったのである。この点について、著者は序章において以下のように指摘している。

「近代日本人に特徴的なそうした鉄道功利主義や鉄道輸送「軍事化」の動向は国民の間に鉄道をたんに外的手段としか見ない価値判断をはびこらせ、それはまさに「鉄道文化」の対極的概念として、わが国における鉄道認識をきわめて特殊に規定するに至った。日本人の近代化の内面的体験を通じて、鉄道というものを「文明の利器」「開化の便法」としての一元的価値観から解きはなし、近代人の主体的形成にかかわる「文化」の契機または様式として認識する動きはほとんどなかった。」(p21)


 まさに正鵠を射た指摘というほかないが、そののちの本書では、より具体的な議論として、例えば鉄道が導入された際に、知識人や一般民衆がどのように受容したのか、あるいは伝統的な文化との間にどのような断絶やつながりがあったのか、さらには近代教育の中で鉄道がいかなる役割を果たしてきたのかといった、まさしくこれまで看過されてきたようなトピックに次々と焦点を当てている。


 本書は決して安価な書物ではないし、重厚な読後感の残る、まさに学術的な論文集となっている。収録された論文の中で古いものは1970年代に書かれたものもあり、著者のこれまでの研究の蓄積をたどる上でも格好の一冊といえる。


 しかしながら、あえてここで本書を、いわゆる「研究の集大成」というようなものではなく、むしろ日本社会における鉄道文化をたどる壮大なプロジェクトの序奏に過ぎないものだと評しておきたい。


 ともすると、非礼とも取られかねない書評をここで記すのは、評者が本書の著者に実際にお会いしたことがあるからである。ここで個人的なエピソードを交えることにどうかお許しをいただきたい。


 著者の宇田正氏は、追手門学院大学名誉教授であり、過去には鉄道史学会会長も務められ、まもなく御年80歳を迎えられようという経済学者である。しかしながら、お会いした際のお元気で闊達なご様子からしても、そしてまた明治から今日にまで至る鉄道文化を辿るというプロジェクトの壮大さからしても、やはり本書はあくまで序奏に過ぎないものと評したほうが適切だという思いを強くする。


 お会いした際、氏がこのような研究の方向性を思い至った経緯もお聞きしたのだが、これもまた感慨深い。いわく、1970年代の初頭に欧州に長期にわたって赴く機会に恵まれ、その際にかの地における鉄道文化の根深さをまざまざと思い知るに至ったのだという。


 振り返れば1970年代初頭は、日本の鉄道趣味界において、全廃を目前にして沸き起こったSLブームに端を発し、ノスタルジックで内向きな志向性が蔓延り始めた時期でもある。奇しくもその時期に、氏は外遊に赴かれたことで、そうした鉄道趣味界の流れに巻き込まれることもなく、独自のアプローチを深めていかれることになったと考えられよう。


 このことは、昨今が再び鉄道ブームの時期とも言われていることからしても感慨深い。それを単なる一過性のお祭り騒ぎに終わらせることなく、氏が言うように、われわれの「主体的形成にかかわる「文化」の契機または様式」として鉄道を認識していくような、まさしく文化的な営みとなるように、本書を傍らにおいて、じっくりと読み進めることを強くお勧めしたい。
(なお本書以外に、鉄道を文化としてまなざす貴重な書籍として、1986(昭和61)年に宇田氏も編者の一人として、『鉄道と文化』という対談集が日本経済評論社から発売されているが、同書は残念ながらすでに絶版のようである)


→bookwebで購入

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://booklog.kinokuniya.co.jp/mt-tb.cgi/4328