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2010年11月28日

『バナナの皮はなぜすべるのか?』黒木夏美著(水声社)

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寄り切られてしまいました

 ネットの普及によって、大学などで学生にレポートを書かせるとネット情報の「コピペ」だらけだという。せめて情報を書き写すだけでもなにがしかの勉強になるだろうからと、レポート作成は手書きでやらせて、ワープロによる執筆を禁止しているところもあるらしい。

 ネットを利用してできあがった本という意味では、この本もそうである。ある晩、鬱々とした気分で道を歩いていた著者が、道ばたに落ちていたバナナの皮を見つけて、ふと、バナナの皮ですべって転ぶというお約束ギャグはいつからあるのだろうという素朴な疑問をもった。その疑問への答えを求めて著者はネットや本の海を探索することになったというのだが、どうなんだろう、情報が簡単に得られるということは、情報の一つ一つがまさにただの「情報」と化してしまうことだ。苦労してえられた情報ならば、そこへたどり着くためのさまざまな物語があり、その苦労ゆえにこそ、得られた情報には独特の輝きが生まれるものである。ネット情報で大丈夫か。

 それにだいたい、『バナナの皮はなぜすべるのか?』という人を食ったような題名は何なのだろう。たぶん『ツルはなぜ一本足で眠るのか』あたりからだと思うが、シンプルかつ素朴な疑問をそのままタイトルにした本が増えていて、それでも、1本足で眠るというツルの生態なら、あるいは鳥好きの人が読むかもしれないが、「バナナの皮」の話なんて、「どうでもいいですよ」(@だいたひかる)感が漂いまくりである。

 だから、筆者は一部で話題になっているらしいこの本を読み始めるまで、少しく不安だったのである。トリヴィアルな情報は満載だけれど、要するにただの「調べ学習」みたいのだったらどうしよう。それに、ユーモアにもあふれている本らしいのに、バナナの皮ではないが、笑いがすべっていたらどうしよう。

 ところが! そのテーマと題名から、けたぐりだの、小股すくいだのといった技が出て来るものと予想していたのに、実際に読んでみたら、意外なことにこの書き手は正攻法の押し相撲で、こちらは、じりじりと土俵際へと寄られて、気がついてみたら、土俵の外に寄り切られてしまった、という感じなのだ。しかも、相手のあまりのあっぱれでまっとうな取組みに、土俵を出たその瞬間に相手に拍手を送りたくなったほどだ。いやあ、黒崎さん(って、私、この方、全然知りませんが)、私が悪うございました。

 むろん、調査が行き届いている、ということがある。アットランダムになるけれど、すこし挙げていくならば――、チャップリン、バスター・キートンといったバナナでもって見事にすべって転んでみせた役者たち。「笑い」とはそもそもなんであるかということからベルクソンの名前も。力をこめて紹介されるのは、テレビドラマ、漫画、小説作品、俳句におけるバナナの皮の扱われ方。ちょっとシーリアスな方面では、鶴見良行の名前や、中南米における植民地主義の話題も。そのほか、バナナの皮を路上に捨てるマナーの悪さゆえに、バナナの皮ですべって怪我をしたり、美観をそこねるという観点から、バナナの皮を捨ててはいけないというような法律がいまでも存在していることまで、なんの役にたつのかわからないけれども、それはそれは、すごい情報量である。巻末に人名索引と作品名索引がついていて、おおざっぱに数えてもそれぞれ360とか380ぐらいの固有名詞が出てくる。ネットなくしてこのような調査は不可能だったろう。

 黒木さんは表象文化研究のようなタッチで、事実を事実として淡々と積み重ねて記述していくのだが、感動的なのは彼女の静かな興奮が伝わってくることだ。たとえば、バナナの皮ですべるという「ベタな」笑いが子ども向けだけでないことを語ったところ――
 

実際、ベタな笑いは子ども向け作品だけのものではない。二〇〇六年に放映された実写ドラマだけでも、『富豪刑事デラックス』第五話では走り去る車を追おうとした三枚目の山下真司がバナナの皮ですべり、『特命係長 只野仁』スペシャルには大事な植木鉢を運ぶ高橋克典がバナナの皮ですべるものの逆立ちして鉢を足でナイスキャッチするギャグシーンがあり、香港が舞台の『喰いタン』スペシャルでは東山紀之がラスボスを倒した直後にさっき自分が捨てたバナナの皮ですべって「誰ですかこんなところに置いたのは、プンプン!」と怒る。
 バナナの皮ギャグが使われた邦画もいくつか製作されている。たとえば『ザ・スパイダースのバリ島珍道中』(一九六八)では、階段でバナナの皮を踏んですべった田辺昭知が左足を骨折する(バナナを食べていたのは堺正章)。『0093 女王陛下の草刈正雄』(二〇〇七)ではエンドロールの後に「絶対にマネしないで下さい」という注意書きがわざわざ表示される。また、オダギリジョー監督作には『バナナの皮』(二〇〇三)という短篇があるが未見である。

 「バナナの皮ですべって転ぶ」というお約束ギャグがこんなにもたくさん登場するということに黒木さんは驚歎し、そのギャグの変奏ぶりに感動している。固有名詞の畳みかけるような羅列には彼女の心の高ぶりが感じられる。もう一つ、この文章で驚いていいのは最終行、「~という短篇があるが未見である」とさりげなく書かれている点だ。ここだけ「未見」と書かれているからには、彼女はほかの作品については「実見」したということなのである。バナナの皮で転ぶ山下真司の姿も見たのだろうし、逆立ちして鉢を足でナイスキャッチした高橋克典も見たのである。ここに引用した文章の直前には、バナナの皮を投げつけるだけの技「バナナスリップ」でゴーグルファイルがすべる『大戦隊ゴーグルファイブ』や、主人公たちがバナナの皮ですべったのがきっかけで温泉が見つかる『ポケットモンスター 金言編』第百六十七話といった子ども向け作品も紹介されている。こういうのも黒木さんは全部、ぜーんぶ、見ているのだ!

 黒木さんがこの本を書くにあたって頼りにしたのはネットの情報であったかもしれないが、彼女の目は、ネットの情報の先で、読まれたり見られたりすることを待っている個々の作家たちの具体的な作品にまでちゃんと行き届いている。個々の作家たちは、バナナの皮といういかにも陳腐なものを扱いながら、人を笑わせようとして、ああでもないこうでもないと工夫をこらす。彼女が見ているのは、その職人たちの技芸であり、そこに傾注された情熱のほうだ。じっさい、「バナナの皮」というテーマをどう変奏させているかを見ていると、はっきりとその人の作家性というものが垣間見える。たとえば、『ドラえもん』に出てくる次のようなエピソードを見てみよう。

…のび太が、落ちていた空き缶で転んで水たまりにダイブ、服を濡らして遅刻してしまう。憤慨するのび太にドラえもんが出したのは「ゴム・カム・カンデー」。これを食べた人がゴミをポイ捨てすると、ゴミ箱にきちんと捨てるまでそのゴミに追い回されるという。バナナの皮をポイ捨てしたジャイアンを見かけたのび太とドラえもん、さっそくジャイアンに「ゴム・カム・カンデー」を食べさせると、バナナの皮は生命を得たごとく動きまわり、ジャイアンを自らすべらせて腰振りダンスで挑発する。ジャイアン、「バナナの皮のくせにオレ様をどうする気だ」と怒るものの最後はズタボロ、ようやくしおらしくバナナの皮をゴミ箱へ。

 この要約を読むだけでも、「そうだよねえ、藤子・F・不二雄って、こういう物語を描く人だよねえ」と思うのではないだろうか。平明で、穏和で、品格があって、飽きのこない笑いを描いて、少年漫画の王道を歩き続けてきた藤子の作風の特徴が、このバナナの皮のギャグの扱いにはっきりと見て取れる。この本が、ネットを使った「調べ学習」にならなかったのは、すぐれた文化・文学研究が一様に持っているところの、細部への眼差しがあるからである。

 そんなわけで、不安感から始まった筆者の読書は、ページを繰るごとに、うれしい驚きと感動へと変わっていた。そして、「あとがき」。黒木さんはこんなことを言っている。

これまでで最も印象的な出来事といえば、やはり一連の作業の原点となったあの光景だろう。暗く寒い夜の終わりに落ちていた、光に包まれたバナナの皮。あのときの私にとって、それは単なる光景以上の、笑いの神からの啓示とさえ思えたのだった。人生には、ときには暗く寒い夜の底を歩き続けなければならないこともある。しかし、暗ければ暗いほど、寒ければ寒いほど、その足元にバナナの皮が落ちていたときの喜劇的効果は大きい。あるいはこうもいえる。どんなに暗く寒い夜にも、バナナの皮が闖入する余地はある。黒一色で塗りつぶせる夜はなどない。私たち一人ひとりの心の中には、そして人の世には、バナナの皮のようなたわいもないものを楽しむことのできるゆとりが常にどこかにある。そしてありがたいことに、笑い作りを職業にする人々はいつの世にもいるのである。彼ら笑いの職人たちには、どうかこれからもがんばってほしい。そして私自身も、笑いの精神を忘れずに生きていきたい。

 筆者はこの書評の最初のほうで「寄り切られた」と書いた。自分が寄り切られたとはっきりと感じたのはこの文章においてである。感動的な人生論でもしているかのような顔をして黒木さんは語っているけれど、むろん、この一節は笑って読むのが正しい。「光に包まれたバナナの皮」だの、「黒一色で塗りつぶせる夜などない」だの、中学生の紋切り型作文の末尾のような「私自身も、笑いの精神を忘れずに生きていきたい」という言い方だの、マジメとオフザケが入り交じる黒木さんのユーモア感覚に、筆者は大笑いし、感動した。そして、大笑いして気づいたのは、この本じたいが、意識的か無意識的かは定かではないが、結果として、「バナナの皮」ギャグの、ちょっと手の込んだ新ヴァージョンになっているということなのであった。暗く寒い夜、心を暖かくしてくれる、あっぱれな本である。ホントです。



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