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2008年10月20日

『小銭をかぞえる』西村賢太著(文藝春秋)

小銭をかぞえる →bookwebで購入

劇画時代の私小説

 「私小説界の救世主」などとも言われる西村賢太については、この「書評空間」でも阿部公彦氏がこの作家の本質を見事に切り取っているので、筆者が屋上屋を架す必要はないような気がした。ただ、西村については、芥川賞受賞候補になったさいに「書いていることはいつも同じ」という批判があった。先日も、ある学会でお目にかかったアメリカ文学者のW先生に「西村賢太はおもしろいですよ~」と申し上げたら、少し呆れたような顔をされてしまったので、どこがおもしろいか、お手紙を書くつもりでやってみようと思う。上に掲げた最新刊の『小銭をかぞえる』だけでなく、『暗渠の宿』『どうで死ぬ身の一踊り』(両方とも2006年)、『二度はゆけぬ町の地図』(2007年)の合計4冊を、ここに挙げた順番で一気読みしたこともあり、『小銭』についてのみの書評ではないことをお断りしておく。

①「エピソード1」
 W先生は西村賢太はお嫌いですか? 先日お目にかかったときには、呆れたような顔をされていましたが。わたしはあんまりおもしろいものですから4冊まとめて読んでしまいました。

 『スター・ウォーズ』という映画がありますね。時間的に先行するエピソードが「エピソード1」という形であとになって製作されるということがありますが、あれと同じような体験をしました。読んだ順番が良かったということがあるかもしれませんが、4冊まとめて読むと、「エピソード1」「エピソード2」を観るような愉しみがありました。たとえば、最新作の『小銭をかぞえる』のなかに「焼却炉行き赤ん坊」という中篇があって、そこに「馴染みのソープランド嬢に入れあげて最終的に百万円の大金を騙し取られた」という一節がちらりと出てくるのですが、その顛末については『暗渠の宿』収中の「けがれなき酒のへど」で詳しく語られていて、なるほど、そういう話だったのかとわかるし、表題作「暗渠の宿」に出てくる藤澤清造なる私小説作家の墓標のエピソードは、その墓標を手に入れる経緯を描いた「墓前生活」(『どうで死ぬ身の一踊り』)と一緒に読むと良いという具合です。

 西村賢太の4つの作品集は「スター・ウォーズ」みたいな続き物としても読める。同じような内容の作品が複数書かれているのではなくて、1つの続き物の作品があって、それがエピソード1、エピソード2に分かれていると考えたほうがいいように思いました。

② 「いつも同じ」の効用
 いま『スター・ウォーズ』の名前を出しました。私小説にハリウッド映画という取り合わせは我ながら「?」と思ってしまいますが、意外に、西村の作品の性格を浮き彫りにしているような気がしないでもありません。

 4冊の作品集をまとめて読んでみると、なんとなく、「水戸黄門」みたいな感じがある。たとえば、結論部だけをまとめてみると、「焼却炉行き赤ん坊」は同棲している女と喧嘩をして幕、「小銭をかぞえる」も女が最後に泣いて終わり。「けがれなき酒のへど」はゲロを吐いて終わり。「暗渠の宿」は現実としては幸せで終わりますが、幸せよりは不幸の予感がしっくり来るらしい西村は、やっぱりここでも、女をぶんなぐってしまうかもしれない予感を書き込んで結末としています。「墓前生活」はまあ普通の終わり方ですが、「どうで死ぬ身の一踊り」も「一夜」も女と喧嘩して終わり。なにがあっても、幸せそうなエピソードが書かれていても、いろいろな寄り道的なエピソードがあっても、「どうで最後は喧嘩と女のすすり泣き」という安心感(!)があるし、苦笑もしてしまう。お約束どおりに作品が終わるところが、「水戸黄門」的でもあるし、ハリウッド的とも言えるような気がします。

 西村賢太という男はほんと困ったやつです。DV男だし、風俗好きだし、女性に嫌われる条件はすべてそろっています。不潔きわまりない、という点も女性から疎まれるところでしょう。「潰走」(『二度とゆけぬ町の地図』)には、押入れに尿瓶代わりにしたコーヒー牛乳1リットルのパックが置いてあると書いてあったし(捨てろよ)、「腋臭風呂」という短篇は、表題からして、もうそれだけでウッとくる感じ。性格的にも相当問題あり。だいたい、こいつはセコイ。「焼却炉行き赤ん坊」を読むと、西村が凝っているという藤澤清造という作家の全集本を編集するために、同棲相手の女の実家から300万円を借り、それでも足りなくて印刷所へ渡す前金をさらに50万円女に無心する。ほんとうは30万で十分なのにビフテキなど食べてみたいと思って少し多めに借りたりするのがセコイ。ところが、何にいくら使ったかについて領収書も出しなさいと女に詰め寄られたために、西村は逆切れしてしまうんですね。それから、女にいっとき逃げられて、女の実家まで連れ戻しにいくシーンでは、食欲がないとかいいながら、女と入った喫茶店で、焼肉丼などを注文しちゃうようなのが西村賢太の本領なのです。ちなみに、このとき、女が注文するのがボンゴレ・ロッソ。この選択のアンバランスさに、2人の哀しいすれ違いの原点が見える気がします。

 ダメ男小説という分野がありますね。あれはダメ男がいつしかその純情無垢な精神のゆえに聖人のように見えてくるところにミソがあるわけですけど、西村は聖人にはならないし、なれないんです。ひどい男だな、としか思えない。それにもかかわらず、彼の書くダメ男ぶりからは目が離せないのが不思議です。たとえば、「どうで死ぬ身の一踊り」で、カツカレーを食べる西村を同棲相手がさして悪気もなく「豚みたいな食べっぷりね」と呟いたところから喧嘩になるシーンがあります。
 

……その何気ないはずの言葉に対してわき上がってくる激しい怒りをどうにも抑えきれなくなり、スプーンをカレー皿に放るとそれを持って台所へゆき、半分近く残っていたのを流し台の中に叩きつけてしまった。そして傍らのガスレンジの上の、カレーの鍋も、流しの中にぶちまける。熱い液体は四散し、私の服にも飛沫がかかった。
 無言でテーブルのところに戻ると、動きを止めて驚きの表情をあらわにしている女の皿も?み、それはそのまま台所内の壁めがけて投げつけた。 
 どうしたの、なぞ、泣き声を絞り出した女の髪を引っ?んで、椅子ごと床に倒し込む。
 「この馬鹿野郎、さっさと台所を掃除しろ!」(中略)
 「早く始末しねえと、壁紙がシミになるだろうがっ!」と叫ぶや、その、女の頭を足蹴にした。
 大仰に倒れ込む女に、余計と嗜虐感にも似た怒りを煽られ、続けて肩の辺や腿の付近に足蹴を食らわせたが、それがふいに女の横腹に深く入ったとき、女は、「ギャーッ」と云う凄まじい悲鳴を上げた。

 これ、まさにDVの現場ですけれど、わたしはここでなぜか笑ってしまったんです。「どうしたの、なぞ」の「なぞ」ってところで「クスリ」と笑ってしまったし、だいたい、このDVシーンは陰惨といえば陰惨だけど、あまりに過剰で、劇画的じゃないでしょうか。赤い血がブーッと出、足蹴りがグワシッとかバシッとかメリリとかいう擬音語と一緒に書かれているみたいな感じです。映画で言うと、大林宣彦監督の『ハウス』で首がポーンと飛んじゃうシーンにも似た「わざと大仰」な趣きがあって、ここはたしかに顔をしかめるべき箇所だと思いつつも、そのじつ、わたしの素朴な反応は「笑い」だったのです。

 西村賢太は「最後の私小説作家」みたいな言われ方をしているし、『暗渠の宿』のカヴァーなんかを見ると、いかにも昔風の私小説作家の本みたいな渋さをアピールしています。その点、角川書店の『二度はゆけぬ町の地図』の装丁たるや、なんでこんな装丁なの?というような、青色の、バカっぽい装丁です。でも、編集部がつけたであろう「これが平成最上のエンタメ私小説だ。」というキャッチコピーも含めて、わたしは西村の資質はこちらのほうに近いと思っています。

③西村賢太の未来予測
 こんなダメ男が、自分の生の最後の拠り所にしているのが昭和初期の作家、藤澤清造です。読む作品、読む作品、西村はなんどもこの藤澤清造について触れていますし、奥付けのところに入っている著者紹介欄にはかならず「『藤澤清造全集』(全五巻、別巻二)を個人編集」と書いてあります。彼の人生は藤澤清造のまわりを回っているといっても過言ではありません。この藤澤って人、よく知らないんですが、西村の小説を読んだせいで、とにかくそういう作家がいたことについては、インプットされました。そうだとすると、西村の小説というのは、すべてこれ、「藤澤清造プロモーション小説」だったのではないかと思うほどです。

 彼の小説は今そこそこ注目を集めていますから、いずれ、めでたくお金が工面でき、藤澤清造全集が発刊される日が来ることでしょう。でも、事前PRは成功しているとしても、ほんとうに、この全集、出るのかしら。「腋臭風呂」を読むと、文芸誌に作品が掲載されて「少しはまとまった額」の原稿料が振り込まれたと書いてあります。ところが!「全集作成の支払いにあてるべく、百円たりとも使うまい、と誓った」のだが、「急激に唯物的な欲求解消への思いにどうにも抗えなくなって」、「一度だけ、女を買うことにした」とあるからです。逆にいえば、私小説作家・西村賢太の未来は限りなく明るい、ということではあるのですが。

 4冊あるうちで、どれがいちばんおススメかというと、最新作の『小銭をかぞえる』でしょうか。とくに「焼却炉行き赤ん坊」は、キラー・ニシムラの暴虐ぶりが芸の域に達しています。キャッチフレーズ風にいったら、劇画「ザ・私小説家」の「ぬいぐるみ殺害」の巻。はっきりいって、それはもう、ひどい、ひどいお話です。笑うことができるか、それとも西村の暴虐に憤慨するか。西村の好き嫌いの試金石として、この作品はうってつけです。


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2008年10月10日

『バーデン・バーデンの夏』レオニード・ツィプキン著、沼野恭子訳(新潮社)

バーデン・バーデンの夏 →bookwebで購入

ドストエフスキーに会いたい

 このツィプキン(1926-82)の小説は、ロシアの文豪ドストエフスキーについての小説である。ツィプキンは医者であり、その方面では活躍した人らしいが、ソ連体制下で「危険分子」などともみなされていたようだ。小説家としては、この作品があるのみらしい。こういう小説が出版されたのも、昨今のドストエフスキー・ブームと関係しているのだろうか。

 12月の冬、語り手(作者自身がモデルだろう)は、ドストエフスキーの夫人であったアンナの日記を手に、モスクワからレニングラードへと向かう列車に乗り込む。列車が走る中、語り手はアンナの日記を読んでいるのだろう、ドストエフスキーをめぐって、あてどない想念を展開する。本文が220ページほどあるのに段落が11個、平均すれば、22ページに1個しか「。」がないので、文字通り目が離せない小説だ。語り手の連想はあちらこちらへと飛ぶので、一つの直線的な物語のようなものを読者が頭のなかに描くのは難しい。読後に残るのは、ドストエフスキーの人生の、あのとき、このときの、断片的な姿である。

 そのようにして読者に提示されるドストエフスキーとは、どういう人物か。

 それは文豪のきわめて人間的な姿である。大作家にふさわしいような威厳のある姿では全然ではない。博打にうつつを抜かして借金に苦しみ、もうこれが最後だと言いながら、妻のアンナにお金を何度も無心し、すってんてんになっても、やはり博打から足が抜けないドストエフスキーである。お金を無惨にすってしまって、彼はアンナの前にひざまずき、手をとって口づけをし、ただただ涙を流して謝罪する。それは、ドストエフスキーが自分の体験をもとにして書いた『賭博者』の世界そのままである。面白いのは、このような賭博の話のなかに、ふと、作家としてのドストエフスキーの本質のようなものが垣間見えることだ。負けがこみ、身内が熱くなっていくなかで、ドストエフスキーは考える----

奇妙なことに、その人たち(=賭博場にいる人たち)の輪舞は哀れだった----彼らは、フェージャ(=ドストエフスキーの愛称)が身を任せたこのくらくらするような落下を体験することもできない運命なのである----屈辱的なのは、中庸や分別にしがみつこうとするどっちつかずの中間的な態度であり----彼らの態度がまさにそうだった----全身全霊を捉え心を動かす思想だけが人を解放し、自由にして、だれよりも高いところへ導いてくれる、たとえそうした思想を実現する手段が犯罪だとしてもだ----あの連中はみな、そうした思想に身を委ねる能力がないだけでなく理解することもできず、つねに打算的な考えで生き、何か勘定したり秤にかけてばかりいる----

 むろん、こういう感覚に身を委ねないと生きている気がしないというのは、典型的な精神的な病い、つまり依存症である。しかし、ドストエフスキーの「悪魔的な」と言っていいような作家としての力量は、ディオニソス的な熱狂と陶酔と、その陶酔の地点から錐揉みのように落下していく感覚をともに描くことができたところにあるはずだ。

 語り手が語っているのは冬。その季節に見合うようにして、語り手が描き出すドストエフスキーは、陰鬱で苦しみに満ちた毎日を送っている。流刑になったさいの屈辱的な体験のフラッシュバック、かつて自分が苦しい愛情をささげた女性の記憶、当時の文壇における孤立。あるいは、自分の懐をあてにしている肉親たちの無心を拒否することができずに、ふだんは夫に従順だったアンナから、「とんだ人類の庇護者がいたものね! いつだって親類の言いなりになってばかりいて!」と言い放たれるドストエフスキー。

 長い長いセンテンスをじっと追っていくうちに、時折、冬の曇り空にかすかな青空が覗く。バーデン・バーデンというのは、ドストエフスキーとアンナの夫婦が新婚旅行で行ったドイツの町で、2人は一夏をその地で過ごした。繰り返し泳ぎのシーンが出てくる。「ふたりはまた泳ぎだし…リズミカルに息をしながら泳ぐふたりは、こうして泳いでいると際限がなく、もう今にも水から飛びだすのではないか、泳ぐのではなく空を飛びはじめるのではないか、カモメのように空高く自由に軽々と舞えるのではないか…」。しかし、これは、泳ぎのシーンではない。夫婦の性の営みが水泳のメタファーで何度も描かれるのだ(アンナの日記に、そういう婉曲表現が出てくるのだろうか)。2人には幸福な時間があり、人生の夏もあったのである。

 しかしながら、語り手は、ユダヤ系ロシア人であるらしい語り手(ツィプキン自身がユダヤ人)は、この偉大な作家についてどうしても納得のいかない問題にもぶつかる。この作家の反ユダヤ主義である。語り手は、作品のなかで何度もその問題へと立ち戻っていく。

私は胸をどきどきさせながら『作家の日記』を読み、反ユダヤ主義団体「黒百人組」のメンバーが口にするのと同じようなこうした議論に、せめて光明のようなものはないか…見出したかったのだが----見つかったのは、ユダヤ人に許されるのは自分の宗教を信じることだけで、それ以上は何もないという考えだけだった----それで、私にはひどく奇妙なことに思えたのだが、小説のなかではあれほど他人の苦しみに敏感で、辱められ傷つけられた人たちを熱心に擁護し、生きとし生けるものすべてが存在する権利を熱烈に、いや激烈ともいえるほどに説き、一本一本の草や一枚一枚の葉への賛辞を惜しまなかったドストエフスキー----そのドストエフスキーが、数千年にわたって追い立てられてきた人々を擁護したり庇ったりする言葉をただの一言も思いつかなかったのはいったいどういうことなのかということである----ドストエフスキーはそれほど物事の本質が見えない人間だったのか。

語り手は執拗に問う。そして、こんな作家でありながら、ユダヤ人の文学研究者がドストエフスキーを熱烈に愛してきたのはなぜなのか、みずからもまたこの作家についてこれほど考え続けているのはなぜなのかについて自問する。

 語り手がモスクワからレニングラードへと列車で向かっていたと書いた。列車がレニングラードに着いたあと、彼は、母親といちばん仲が良かったギーリャという老女の家に泊まって、文豪が没した家、いまはドストエフスキーの記念館になっている場所を訪れることになる。ギーリャは語り手と同じくユダヤ人である。そのギーリャがいろんな話をしてくれる。第二次大戦のレニングラード封鎖のときにはネコやイヌを食べるほかなかったこと。スターリン時代に泌尿器専門の教授であった夫のモージャが突然逮捕されたこと。彼女の上司だった有名な化学者がやはり投獄され、やがて国家に必要な学者として特別収容所に送られたこと。それは、ドストエフスキーが没したあとに、ギーリャというユダヤ系ロシア人の身の回りで起こった苦しく厳しい歴史の断面である。

 筆者は、このギーリャの物語は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義に対する作者なりの一つの答えのようなものではないかと感じた。ドストエフスキーはユダヤ人を「民族」とさえ呼ばず、「ポリネシアの島々の未開人か何かのように『種族』」と言っていたと語り手は述べているが、語り手が記録するギーリャの語りは、ドストエフスキーの反ユダヤ言説のそばにそっと置かれた、「個人」としてのユダヤ人の生の営みのように思われるのである。

 しかし、それとまったく同等の重要性をもつのは、語り手が、ドストエフスキーという作家を読む、という行為の可能性を紛れもなく刻印してもいるということだ。ドストエフスキーが死刑を免れ政治犯としてシベリアへ流刑となったのは有名な話だが、思想犯の逮捕、「死の家」への連行という歴史は、ギーリャや語り手が生きている20世紀になっても変わることがなかった。この小説には、名前こそ出ていないが、ソルジェニツィンやサハロフ博士とおぼしき人物を連想する箇所があるが、政治的弾圧という、ロシア、ソ連に堆積している歴史を貫通して、ドストエフスキーはいまもって「われらの同時代人」であり続けている。ドストエフスキーがさらに長く生きていたら、その後のロシアやソ連の政治的抑圧を、ナチスやスターリン時代の反ユダヤ主義を、どう見、どう書くだろう。語り手はそんなことを考えているのではないか。――フェージャ、あなたは、このようなユダヤ人の悲惨さを目撃しても、それでもその反ユダヤ主義を語り続けるでしょうか。そして、帝政ロシアに生きたあなたはその後のソ連をどう見るでしょうか----ツィプキンはそう問いかけているのではないか。そして、そのようにして問いかけられるドストエフスキーは、人類の苦難を引き受けたキリストの姿に似ている。

 作品の最後で、語り手は、ドストエフスキーが亡くなった家を訪れ、「私は建物のすぐそばまで行った----角に表札がかかっていて、『ドストエフスキー通り』と書かれていた----でも私はなぜか名称を変える以前のまま『ヤムスカヤ通り』だと思いたかった」と書く。語り手は、ドストエフスキーの生きた時代へと戻って、個人としてのドストエフスキーと出会い、政治的な困難のなかでいかに苦しみ、いかに自分を支えていくべきなのか、そして日々の生活の不満や不安をも同じ体験をしてきたドストエフスキーと話しあってみたいとも思っているのだ。それは、「まず初めに私には死者と対話をしたいという欲望があった」(スティーヴン・グリーンブラット)ということなのではないかと思う。

 この小説にはスーザン・ソンタグの「ドストエフスキーを愛するということ」という題名のすばらしい解説がついている。この小説が感動的なのは、ドストエフスキーだけではなく、文学作品と対話することの意味、文学作品を愛するということの意味を教えてくれるからなのである。



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2008年10月02日

『兄弟(上)(下)』余華著、泉京鹿訳(文藝春秋)

兄弟(上)
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兄弟(下)
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ごった煮の鍋とひんやりした緑豆

 上下2巻で合計900ページほどの大冊だが、こんなに読みやすくていいのだろうかと思うぐらい、読みやすい。作品は「文革篇」「開放経済篇」の2部構成。激動の現代中国を背景にした小説である。一言で要約するとしたら、猥雑で生命力にあふれる喜劇と、吐き気を催すような悲劇のごった煮である。筆者自身、巧みな話術に乗せられて、喜怒哀楽、なんでもありの、ごった煮の鍋を一気に食してしまった。

 文句なく面白いといえるのは、前半の「文革篇」だと思う。主人公は李光頭と、一つ年上の兄・宋鋼である。2人は血がつながっていない。夫を亡くした李光頭の母親(李蘭)と、妻を亡くした宋鋼の父親(宋凡平)が再婚したからだ。文革時代、宋鋼の父は紅衛兵に無残に殴り殺され、その後、李光頭の母親も病で早世し、兄弟2人は身を寄せ合い、助け合いながら生きていく。

 「開放経済篇」になると、大人となった兄弟2人は対照的な運命をたどる。開放経済というのは、日本でいえばバブル経済のようなもの。この時代に成功を収めることになるのは、弟の李光頭である。もともと少年の頃から、妙な商才がある男であった。村の女性用の公衆便所で、村一番の美女・林紅(この人物がやがて兄弟との間の三角関係をつくることになる)のお尻をのぞきにいき、林紅のお尻がどんなだったかを、好色な村の男たちに話をしてあげるといって、高価な中華麺をせしめるような少年であった。大人になってからも、開放経済時代の波にもうまく乗って、日本の古着を大量購入して村人に売って大儲けをしたり、ゴミを大量に買い取って売りさばく商売をして、億万長者の道を歩んでいく。

 一方、成功を収める弟とは正反対に、誠実そのものの宋鋼は、開放経済時代のなかで職を失い、苦しい生活を強いられ、やがて不承不承ながら詐欺師の片棒をかつぐ形で、人工処女膜だの豊胸クリームだの、いかにもいかがわしい商品の行商などで生計を立てざるをえなくなる。

 ストーリーはかなりシンプルといっていいが、とにかくこの小説は、全体のお味がかなりくどい感じである。「こってり感」はとりわけ「開放経済篇」のほうに顕著である。億万長者となった李光頭は、「処女」といたしたことがないことを常々嘆いていた。そこで、彼は、処女膜コンテストなるものを催すことを思いつく。「バカな記者」や「テレビのバカども」や「インターネットのバカども」が集まり、「広告のバカども」や「美しい娘のバカども」が街なかを行ったり来たりする、そのコンテストの当日、村には大量の群衆が押し寄せて、猛烈な熱気を発することになる。

考えてもみてほしい。十万もの群衆が夏の日の夕方、ぎゅうぎゅうに押し合っているのである。十万人の人々が汗を流し、その汗のにおいが我らが劉鎮の大通りを漂いながら発酵しはじめ、我らが劉鎮の空気は酸っぱくなった。十万人の人々が全員二酸化炭素を吐き出すが、そのうち五千は脇のうちの六千にはワキガがあった。十万の尻の穴のうち、少なくても七千の尻の穴を屁をこくが、ひとつの屁ではやまない尻の穴もあった。

 「文革篇」でも悪態言葉やら下ネタがたくさんあったが、「開放経済篇」に至るや、それらの言葉が「開放」どころか「全開」してしまった、という感じだ。食や排泄や性や拝金や権力欲や、あるいは、いかささまやいかがわしさ、インチキ、いい加減なものが、どんどん作品に放り込まれている。

 ただし、この小説には、人間のむき出しの欲望に関する話には事欠かないが、知性や理性に関わる話は、きれいさっぱりない。登場人物たちの繊細な内面などが描かれることはないし、出てくる人はどいつもこいつも(宋親子を唯一の例外として)アタマの悪そうな連中ばっかり。この小説の最後のほうに、日本の小泉純一郎首相の靖国神社参拝に抗議する反日デモに参加しようとする男が登場するのだが、その男に深い政治的意図なんかはなさそうだ。目立ちたい、ありあまったエネルギーをどこかに放出したい、という欲望があるだけである。その男が住む村では、かつて、李光頭が日本から大量に買いつけてきた古着を、みなが喜んで身にまとって、胸の内ポケットの上に縫い取られている「三島」「川端」だの、「松下」「三洋」「豊田」だの、「中曽根」「鳩山」だのといった姓をお互いに見せびらかしたりした時代があった。反日運動も、縫い取られた日本人の名前への熱狂とほとんど同一レベルにしか見えない。

 文革から開放経済へ。そして、親日から反日へ。中国では、極端から極端へと振り子が揺れる。そういう中国を描くには、こってりした味付けをする必要があったのかもしれないが、あまりにもギトギトの油で素材が料理され、しかもなんでもかんでも鍋に放りこむものだから、読んでいるといささか胃もたれがしてくるうえ、小説の結末が、「え、それでいいわけ?」というような後味の悪さもあって、胸焼けまでしそうである。

 しかし、そんななかで、ぜひここを読んで欲しいと思うのは、「文革篇」における少年時代の兄弟2人の「食」のシーンである。

 兄弟の親たちがまだ再婚する前のこと、夏のある日、はじめてのデートをしたあと、みなで食事をするシーンがある。少し長いが引用してみよう。

2人の子供は夏に冷たいものを食べたのは初めてだった。これまでに口にしたことのある一番冷たいものといえば、井戸水くらいであった。今食べているのは冷蔵庫から出してきた冷たい緑豆で、その上に雪のような砂糖がかかっていた。お碗を持ち上げると、お碗の冷たさだけでも井戸水を飲むよりずっと快い。白い砂糖はまるで積雪が解けるように冷たい緑豆の上を濡らし、黒くなってゆく。スプーンを差し込んですくい出したひと匙の冷たい豆が、口の中に入る。心地よくて、嬉しくてたまらない。(中略)一口食べたあと、彼らの口はまるで動き出すと止まらない機械のようになった。フウフウ言いながら食べると、冷たい緑豆がフウフウと入ってきて、冷たさに口がフウフウ痛んだ。2人は火傷でもしたように口を大きく開き、ハアハアハアと喘ぎ、また歯でも痛むかのように、手で頬を叩いた。(中略)彼らの舌はお碗の中をぺろぺろと舐め、残った緑豆もきれいに舐めてしまった。それでも舐め続けているのは、お碗に残った涼しさを舐めているのだった。お碗が舌よりも熱くなるまで舐めてしまってから、ようやく名残惜しそうに手放した。二人は顔をあげ、宋凡平と李蘭を見上げた。 「明日もまた食べに来ようよ、いいでしょう?」 宋凡平と李蘭は同時に答えた。「いいよ!」

 なんて瑞々しくて、美しい描写だろう。緑豆の色合い、ひんやりとした感触、物も言わずに食に夢中になっている少年たちと、そのような体験の共有を通じて近づいていく2つの家族。これと同じ体験があったはずはないのに、自分の子供時代にもこんな体験があったような気がしてくるような、幸福なシーンである。

 ほかにも父親が買ってくれた「大白兎(ホワイトラビット)」という名前のミルクキャンディのよだれの垂れそうな甘さだとか、炒めたり炒ったりして食べたエビの旨さだとか、小説全体のストーリーにどう関係するのかよくわからないが、とにかく、そういうシーンがすごくいいのだ。

 胃もたれがしたり、とてもおいしそうだったりするので、この本をトータルとしてどう見たらいいのか、じつは、今もって判断がつかない。それに、「文革篇」「開放経済篇」という名称からもっと社会小説的なものを期待していたのだが、これまた大きく期待を裏切られた。でも、ミソもクソもごたまぜのこの小説、筆者の期待を裏切りもし、しかもこんな大冊にもかかわらずストーリーがシンプルなくせに、まったく飽きさせない。なんだか妙に後を引くお味の小説であった。




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