« 2007年09月 | メイン | 2007年11月 »

2007年10月31日

『幼なごころ』ヴァレリー・ラルボー著、岩崎力訳(岩波書店)

幼なごころ →bookwebで購入

「「ローズ・ルルダン」がいい!

 ぼくが高校生の頃は、まだ旺文社がたくさん文庫本を出していた。田村義也の装丁で内田百閒を出していたのもこの文庫だったし、海外文学のほうでも、ブラジルの作家ジョルジュ・アマード『老練なる船乗りたち』や、ウィリアム・フォークナーの『征服されざる人々』といった作品が出版されていて、せっせと買い集めては読んでいたものである。ただ、買い損ねてしまってあとになってとても後悔した本が1冊あった。フランスの小説家ヴァレリー・ラルボー(1881-1957)の『めばえ』である。

 そのラルボーの短篇集が、2005年、訳者が替わり題名も『幼なごころ』となって岩波文庫から出た。20年ほどのあいだ日本語で読めることを待ち続けていた本だった。

 10篇の短篇を収める。どの作品も、5,6歳から13,14歳ぐらいまでの、思春期前の少年少女たちが主人公の物語だ。ラルボーは子供のころ病弱で家に引きこもって過ごさざるを得なかったという。そのせいか、夢見がちの少年少女の話が多い。家庭教師が来ないといいなあと強く願いながら、部屋にあるマントルピースの大理石に「顔」(の模様)を発見し、その顔からいろいろな夢想をする少年の物語(「《顔》との一時間」)。公園で出会っただけの青年に恋をしたつもりになって性的な夢想までしてしまう少女の話(「十四歳のエリアーヌの肖像」)。描かれている世界はとても小さい。丁寧に読まないとその繊細な味わいを見逃してしまいそうな短篇ばかりだ。

 印象深いのは幼い時代の恋愛話である。たとえば、ラルボーの代表作とも言われる「包丁」。好きになった女の子のジュスティーヌの指に傷があることを知った裕福な家の少年エミールが、彼女の指の傷と同じ箇所をみずから包丁で切ってみようと思いたち、じっさいにそれを行動に移してみたお話である。好きな女の子と誕生月が同じだとか、好きな食べ物が一緒だったとかと同じように、少女の指と同じ場所に傷をつけたらそれだけその子に近づけるのではないかというような「幼なごころ」はたぶんどういう人にとっても思い当たるふしがあるはずだ。

 この本の冒頭に収められている「ローズ・ルルダン」にも、これと似た話が出てくる。この短篇は寄宿学校の「陰気で無口な」少女ローズ・ルルダンが同じ学校の少女に恋する物語である。その少女はプロシャからやってきたローザ・ケステルという名前の子なのだが、ローズの愛情の形はこんなふうに現れる。

そのころのことです。彼女に感じていた愛情が、大人のひとたちにはきっと滑稽としか思えない形をとってあらわれました。彼女とほとんど同じローズという名前だったことに、わたしは大きな誇りを感じていました。そしてもっと似るように、宿題を出すとき「ローザ・ルルダン」と署名しはじめたのです。
 
 「包丁」では指の傷の痛みの共有で表されていたものが、今度は名前の同一性というフェティシズムへと変奏されているわけだ。フェティッシュな欲望はさらにエスカレートする。
また別のとき、三時の長い休み時間を利用してローザ・ケステルたちの寝室に上がっていき、彼女の替えの上っ張りを着込んだこともありました。….そのときの細かいあれこれが全部、いまでも目に見えるようです。三つの高い窓も目に浮かびます。人けのないベッドの列を見張っている三人のきびしい白衣の婦人のようでした。小さな町の諦めきったような空が、彼女たちの空ろな目を通して入ってきて、ワックスをかけた寄木張りの床に、青みがかった水たまりのように広がっていました。
 
 寝室に忍び込んだローズの、背中が嘘寒くなるような緊張に満ちた場面が目に浮かぶようだ。してはいけないことをしているという後ろめたい思いは、三つの高い窓すらも自分を監視する白衣の婦人のようなものとして幻視させる。そして、そのあとの「諦めきったような空」とか、青い空が「青みがかった水たまりのように」床に広がっているとか、といった表現も非凡だ。こういう一節を読むと、つくづくラルボーは才能のある作家だなあと思う。

 こんなふうにして、(「薔薇」の名前を持つくせに)地味な女の子であるローズは熱烈にローザを愛するのだが、ある事件をきっかけにローザは転校し、ローズの(少なくても自分としては)心ひそかなつもりの恋愛は成就することなく終わりを告げる。

 さて、この「ローズ・ルルダン」、いまは大人になっている女性の思い出話という形の物語であるが、読み進むにつれ、なんとなく感情過多で芝居気たっぷりの言葉遣いに、時々おやと思う。たとえば、こんな一節だ。

わたしは、じっとこらえた涙の味が好きでした。仮面のような顔の裏側を通って、目から心臓に落ちていくように思えるあの涙の味が好きでした。宝物のようにそれを拾い集めていました。一日の旅の途中で出会った泉のようでした。
 
 こういうのを読むと、英文学畑のぼくは「おフランスしてるなあ」と思ってしまうのだが、それはともかく、この芝居気たっぷりの言葉遣いには理由があるのだ。この語り手はじつは有名な女優であることが最後のほうになって明らかにされるのだ。そのことが分かったとき、ローズがローザの上っ張りをこっそりと着込んでみるシーンで、「わたしが扮装をしたのはそれがはじめてでした」という、そこを読んでいるときは意味がわからなくて素通りするほかなかった表現が、ああそうだったのか、と合点がいくことになる。

 彼女は、女優になってから寄宿学校のあった町を訪ねたりもし、無口で陰気な少女であった自分が陽気になるきっかけとなったローザのことを懐かしく思い出す。彼女は、自分とローザについて、「ふたりの少女がおたがいの腰を抱きあい、腕を組み、手を握り合っている」と回想するのだが、そんな仲むつまじい関係がじっさいに存在したというふうにはぼくには読めなかった。むしろ、ローザはローズなんかには鼻もひっかけなかったようだし、彼女は寄宿学校の女性教師のほうに気持ちが向いていて、ローザが転校したのも女性教師との不適切な関係ゆえのことであったはずだ。ローザとの思い出はローズのなかで現実よりはたぶん少しだけ甘美なものになっている。

 それにもかかわらず、大人になったローズは思い入れたっぷりにみずからの少女時代を語るのだ。

幼なかったころの、なんの変哲もない古い日々の色や音や形! 小鳥のさえずりでいっぱいだった長い夜明け、そのあとに聞こえたわたしたちの鐘の孤独な響き。口にのこる味のように、一晩じゅう眠りの底で花開いていた中庭のアカシア。日曜日の朝、授業のない長い一日を自分の前に感じながら、ひたすら彼女のことを考えていればよかったひとときの、新品のワンピースの制服の真新しい匂い….

 この思い出の底にある気持ちの切実さに嘘はないのだろうが、あまりにロマンティックな表現ではないだろうか。繰り返すならば、ローズは女優なのだ。ローズは上のように思い出を語るとき、すでに女優になりきって、お芝居の台詞ででもあるかように語っているのだ。

 ラルボーは、少女時代の恋愛を思い出す一人の女性を描くにあたり、語り手を女優に仕立てた。そのことにより小説は独特の屈折を見せる。ぼくはこんなところにも「作家に愛された作家」と言われたラルボーの職人芸を見る。

 ところで、どうだろう、この「ローズ・ルルダン」を、女優さんかなんかの一人芝居で舞台に乗っけてくれないものだろうか。



→bookwebで購入

2007年10月03日

『鯉浄土』村田喜代子著(講談社)

鯉浄土 →bookwebで購入

鯉コクを食べに行きたくなる小説(ウソです)

 鯉コクという料理がこんなにすさまじいものだとは思わなかった。この短篇集の表題作「鯉浄土」によれば、生きた鯉を「攻める」(っていう言葉を使うのだそうですが)場合、鯉を目隠しし鼻先をガツンと一撃したうえで、包丁による「処刑」を行なう。
ガッシ!と包丁の刃が頭に打ち下ろされた。骨が断ち切られる音がした。
そのとき、鯉がキュッ、キュッと二度小さな声で鳴いた。それからあおりを食って反りくり返った。太い首だから一度では落ちない。ガツン、ガツン!と容赦ない刃が食い割って、鯉は自分の血の色で目玉まで染め抜かれる。

絶命の瞬間、鯉が鳴くとは知らなかった。そして、いよいよ調理。

鯉の血が洩れてべたべたしたビニール袋を流し台に置いて口を開けた。ずっしり重い鯉の切り身が滑り出したとたん、ギラッと光ったものがある。真っ黒い大目玉が流しに現われた。大目玉、大目玉、大目玉…..。それがびっしりと連なっている。

 大目玉というのは、鯉のウロコがそう見えたということなのだが、なんだか悪い夢を見そうだ。

 「鯉浄土」は、胸部大動脈瘤の手術をひかえている、語り手の「ダンナ」のために、造血に効くという鯉コクを夫婦一緒になって作る話なのだが、医者からは、ダンナの動脈瘤が破裂すれば、血が1メートル半も噴き上がることになろうと脅かされる。語り手の「私」の目には「血の噴水」が浮かぶ。鯉の血と、破裂するかもしれないダンナの血の噴水は、「私」の脳裏でいつしか重なっている。そういう「私」は、鯉を煮込んでいる間も、さらにエスカレートして「嫌な話を思い出し」てしまう。「手無し娘」という昔話だ。継母が美しい先妻の娘を下男に殺させようとするが、下男は娘の両腕を切り落とすものの、命だけは助けてやる。

倒れた手無し娘の腕の付け根から血の束が噴き出る。娘は痛みをこらえて呪文を唱える。

 手はなくとも 血はめぐるな
 手はなくとも 血はめぐるな

 ここまで来ると、ちょっとしたスプラッター小説だ。村田喜代子の短篇がいかに「えぐい」世界か少しは分かっていただけるだろう。でも、この短篇、不思議なことに「えぐい」だけではない。どんどんとエスカレートする「えぐさ」に、そこまでやるか、と笑ってしまうところがたくさんある。村田は、考えてはいけない残酷で悲惨なことを次々と考えることに、倒錯した喜びを感じているかのようだ。そして、これがいちばん不思議なことなのだが、「鯉浄土」から受ける印象は、悲惨でもなければ暗くもなく、どこかしら浄土の平安さえ感じさせるということである。

 「私」は、手無し娘の話には後日談があって、娘には新しい腕が生えて、美しい結婚をするのだということも思い出す。手無し娘がそうであるなら、血が1メートル半も噴き出すかもしれないダンナの体の手術にも希望が持てるのかもしれない、ということなのか。その一方で、鯉コクの鍋は相変わらずぐつぐつ噴いている。

じっと耳を傾けていると、鯉は死んだのでなくて、まだ生きて鍋の中でぐつぐつと何か言っているようだ。  いのち。いのち。ワタシのいのち….。  鯉の呟きが洩れている。  私はひき込まれるように聴き入った。

 短篇の末尾である。鯉も手無し娘も動脈瘤を患うダンナも、血まみれのなかで蠢いているかのようで生々しい。しかし、「ワタシのいのち」というひそやかな鯉の呟きに耳を傾けるシーンには、奇妙に静まり返った、浄土的ともいっていい平安がわずかに滲んでいる気がする。あ、これが村田ワールドなのか、と思う。この味わいはちょっとほかに例が思い浮かばない。

 いちばん最後に収められた「惨憺たる身体」も忘れがたい。父親の三回忌に集まった親族たちが、まじめ一本やりだった父がつけていた手帳のなかに、異様な言葉がひしめき合っているのを発見する。子供たちの誕生日などを律儀に書き留めているほかに、テレビショッピングで買った「辞書付き漢字電卓」を引いて書いたと思しき、いわゆる「身体比喩」の語彙がそこにはたくさん記されていた。口ガ裂ケル 肉ヲ斬ラセテ骨ヲ斬ル 鮫肌 血デ血ヲ洗ウ…..。そんな禍々しい言葉が、本書では、1ページ半ほどゴシック体の黒々とした文字で続く。この過剰さがまた村田ワールドなのだ。

 さて、父親は戦争へ行った世代だから、こういう壮絶な身体語彙は戦争体験に関係しているのかもしれないと思い浮かべているうち、語り手の「わたし」が最後に思い出すのは、骨を焼いたときに見た父親(舅)の喉仏だ。喉仏は、人が両腕をまわして合掌しているように見えるから、つまり仏の坐像に似ているからこの名前がある。その喉仏という身体語彙を、舅は手帳に記していなかった。今まで見たことのないような完全な形の、白く焼き上がった舅の熱い喉仏の骨を、想像のなかの墓前に供える。

 お義父さん。もう一つ書き忘れていましたよ。喉仏。

 「鯉浄土」と同様に、ここでも、惨憺たる身体の言葉の羅列の最後に、ほのかに明るい浄土が微かに見える。殺生する罪深き人間たちの、存在するだけですでに壮烈なる生のありようと、その果てにある浄土を一瞬だけ幻視させる村田喜代子の作品は、まるで日本の中世説話みたいな、素朴で、しかも壮絶な物語だ。

 合計9篇を収める短篇集。「からだ」「庭の鶯」「力姫」といった名品をここで紹介できないのが残念。


→bookwebで購入

2007年10月01日

『山の民』(上)(下)』江馬修著(春秋社)

山の民〈上〉
→山の民〈上〉を購入
山の民〈下〉
→山の民〈下〉を購入

ホヤの物語

 江戸時代、飛騨高山あたりの貧しい山の民は、飢饉の年がやってくると、ホヤを食べて飢えをしのいだのだそうだ。ホヤとは、三陸あたりで取れる、独特の臭気のあるあのオレンジ色をした腔腸動物のことではない。ホヤとはヤドリギの別名で、そもそも海のほうのホヤは、このヤドリギとの形態的類似性からその名が取られているのだという。山のホヤは団子にして食べる。ホヤを採集してきたら、枝だけにして、それを煮しめたうえで臼でつき、粕をとって精白する。それをソバ粉やヒエの粉とまぜて団子にするのだ。ただし、ホヤ餅はまずい。そのうえ体にも悪い。
 ホヤは一般には昔から飢饉の食物であって、補食の中でも最悪のものである。というのは、ホヤは有毒なのだ。それでこれをつづけて食べていると、顔が上蔟の蚕のように透けたように青白くなり、しまいに全身に浮腫がきて命が失われる。

 ホヤを食べ続けて顔が青白くなってしまうことをホヤヌケという。ホヤヌケとなりながら、命を失う危険を冒してホヤ餅を食べて飢えをしのがねばならなかった山の民が、日本には存在した。たかだか150年前の話である。

 この本は、こういう貧しい山の民たちを抱える飛騨高山が体験した江戸末期から明治初期の「御一新」を描いた歴史小説である。島崎藤村が『夜明け前』で描いたのも同じく山間部の木曾馬籠であったが、『山の民』はもう一つの『夜明け前』だ。物語の中心は、維新後、高山の知事として赴任した水戸出身の梅村速水が、江戸時代からの旧習を次々と廃止して急速な改革を断行しようとするも、高山の人々はそれに反発、ついには一揆にまで発展してしまう。のちに梅村はその責任を新政府から問われて獄死することになる。歴史上、「梅村騒動」などといわれる事件を扱った小説である。

 時代の激しく移り変わる時代において、いつだって支配者はみずからの正当性を信じて疑わない。維新のあと、真っ先に高山の地に乗り込んできた竹沢覚三郎も、梅田速水も、梅田失脚のあと高山の知事となった宮原大輔も、そうであった。本書の終わり近く、騒動収束のあと、宮原は役所に地元の役人たちを招いて酒宴を催す。すると、部屋に置いてある花瓶には奇妙な草とも木ともつかぬ植物が挿してある。それは例のホヤであった。宮原は、「当地へ参ってから、山方の百姓どもが、ホヤを食うて辛うじて、命をつないでいるという話をよく聞」き、「下々の食い物も知らぬようでは、正しい政治もいたしかねる」ので、「自戒にするつもりで」飾ってみたのだと地役人たちを前にして誇らしげに言う。役人の一人が、「御仁慈のほどに、みんな感泣いたすことでござりましょう」とおべっかをいうと、宮原は「きょうの宴会のために、特にホヤモチを作らせなかったこと」をさらにいい気になってくやしがってみせる。そういう知事をじっと観察している一人の役人が吐き捨てるように「まずその前に、知事は自分で試食してみたら良かろう。少なくもわれわれはまっぴらじゃ」と心の中でつぶやく。

 山の民にあって、問題は常に貧困の問題である。人口のわりに米の取れない土地柄にあって、いかに飢えずに暮らしていくか。中央からやってきた人間の理想主義、温情主義はほとんど上滑りしている。「われわれはまっぴらじゃ」の「われわれ」は、中央に対しては地方の高山の人びとだ。しかし、村のなかでは支配層にあたる地役人は、ホヤを食べて飢えをしのがねばならぬ山の民たちと自分とを区別している。あんなやつらの食べるものなど「われわれはまっぴらだ」というのである。こんなさりげない一節に、ぼくは、プロレタリア作家としてスタートした江馬修の力量を見る。

 ただし、この小説は支配者のみを断罪する小説ではないことも付け加えておこう。この小説に、梅村の側近として、ほんの脇役という程度の扱いで江馬弥平という人物が登場する。この小説の作者、修の実父である。修は、子供の頃から父から梅村騒動のことを聞いて育ったという。騒動のあと、梅村だけでなく、梅村の側近の多くがやはり獄中で死んでいった。梅村の性急な改革に批判的でありながら、同時に、みずからの意図をつねに悪いほうに悪いほうに解釈されてしまう梅村を同情的に描いているのは、江馬の生まれ育ちと無関係ではありえない。

 それにしても、歴史小説とは不思議なものだ。獄死してもおかしくなかった江馬弥平が生き延びて、明治22年に修を生んでいる。弥平が死んでいれば、修は存在せず、この小説も書かれなかった。だから、この小説は、弥平が生き延び、みずからが体験した梅村騒動を修に語り、その結果、『山の民』という小説が書かれて、いま、ぼくの目の前にあるという、もう一つの歴史的ドラマを包含している。江馬修みずからがこの歴史小説の一部であるかのようだ。

 江馬はこの小説を書くために、地元の高山へ帰り、郷土雑誌の編集に関わりながら、この「わが国で書かれた最もすぐれた歴史小説」(大岡昇平『歴史小説の問題』、1974年)を書いた。思想的な深みにおいて『山の民』は『夜明け前』に及ばないが、維新前後の「山の民」を描くことにかけて江馬は間違いなく藤村を凌いでいる。高山地方における夜這いの習慣であるとか、山の民の暮らしについての、リアリティのある記述は、プロレタリア作家としてスタートしながら民衆を知ることがなかったことへの反省から高山に帰郷した江馬の、作家としての努力の賜物であろう。江馬はこの作品を何度も何度も改訂したというが、いまある『山の民』は、高山での生活で鍛え上げた作品なのである。

 江馬修(1889-1975)といい、この『山の民』といい、世間ではほとんど埋もれてしまった小説家であり、作品である。細々と読み継がれてきたこの小説を少しでも多くの人にも読んでもらいたい。


→山の民〈上〉を購入
→山の民〈下〉を購入