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2014年01月20日

『近代日本と「高等遊民」』町田 祐一(吉川弘文館)

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「近代日本の宿痾」

芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「露悪家」「月並み」などとならべて、「高等遊民」が文壇で流通するようになったのは「夏目先生から始まってゐる」とある。しかし、言葉の誕生だけで言えば、漱石が高等遊民という言葉を使う以前に、中等学校を卒業しても入学難で上級学校にいけないとか、上級学校を卒業しても職がないということが社会現象になったことによって生まれた用語である。浮浪者やルンペン、漂泊者などの(下等)遊民との対比で「高等」遊民という言葉が生まれたのである。

漱石の造形した高等遊民像は『それから』の長井代助に体現されるような人間像である。しかし、単に一定の財産があり、「パンを離れ水を離れた贅沢な経験」をすることができるというだけの意味ではなかった。漱石は金力と権力が荒れ狂う「文明の怪獣」を『野分』や『二百十日』で激しく非難したが、現実社会についてそうした批評眼をもつことのできる知識人として造形されたのが漱石の高等遊民像である。漱石の書簡(明治45年2月13日付笹川臨風宛)には「小説をやめて高等遊民として存在する工夫色々勘考中に候へども名案もなく苦しがり居候」とあるように、自らが描く高等遊民への憧憬が並々ならぬものであったことがわかる。

『吾輩は猫である』の迷亭、『虞美人草』の甲野欽吾、『三四郎』の広田先生、『彼岸過迄』の松本や須永、『こゝろ』の先生は、いずれも漱石のいう高等遊民である。漱石の造形した高等遊民像は、唐木順三が『伊勢物語』で造形されたとして、抽出した在原業平像にも重なる。「身を用なき者と思ひなすことによつて、新しい世界、現実とは次元を異にする抽象、また観念の世界が開かれるといふこと」(『無用者の系譜』筑摩書房、1954)に。漱石は日露戦争前後から頻繁に使われた高等遊民というフォーク・コンセプト(巷間で使用される概念)に特別の意味をこめて作り直したといえる。

本書でいう高等遊民は、漱石のいう一種の理想型である高等遊民ではない。だから、そういう思い込みをもって本書を読み始めると肩透かしをくわされるかもしれない。本書はあくまで当時話題になった高等遊民の一般的な定義(中学程度以上の高等の教育を受けながら一定の職無き人)にそった実証的研究である。

著者の試算によれば、このような高等遊民は20世紀はじめから毎年2万人ほど発生した、高等教育機関在学者の1割から2割を占めたという。このような高等遊民が社会問題化したのは日露戦争前後ころからである。高等遊民が危険思想の担い手になるとメディアで憂慮され、小松原文相による入学難と就職難を緩和しようとする実業教育の振興などの学制改革案となった。また帰農や地方政界への登用などの地方回帰や朝鮮、北南米、アジアなどの海外進出も説かれた。

大正時代には、第一次世界大戦による好景気や高等学校令や大学令による入学難緩和の施策によって、高等遊民問題は解消されたかにみえた。しかしつかのまの小春日和にすぎなかった。ひきつづいて同じ問題が再燃した。そして「大学は出たけれど」「知識階級就職難」の昭和初期に、これまで以上の高等遊民問題が生じた。昭和12年の日中戦争勃発により、高等教育卒業者の需要が格段にひろがり、高等遊民問題はひとまず終了した。

本書は、このように高等遊民の実数を学校種類別や学部別に克明に算出し、それらを社会問題化していった政府や世論の言説を掘り起し、さらにその解決策がどのようなものであり、どのような効果があったかについて丁寧な実証をおこなっている。高等の教育を受けながら一定の職無き人である高等遊民についてのこれだけの実証的研究は、本書にしてはじめてであり、近代日本研究の欠を埋めるに十分の労作である。しかも高等遊民問題は、いまニートやフリーター、大学院修了者の高学歴ワーキングプア問題として再現しているから「古くて新しい問題」である。本書で解き明かされている近代日本の宿痾と重ねて考えられるべきことだろう。

本書には統計データだけでなく、安倍能成や近松秋江(徳田浩司)などの高等遊民の事例研究(第一部第三章「明治末期における資力のない『高等遊民』の事例」)も収められている。安倍が高等遊民の生活難と戦いながら文化・芸術活動にいそしんだことが具体的にわかり興味深いものである。

そうした事例を読むにつけ、安倍能成と同じように漱石の近辺にいた阿部次郎もながらく定職がなかった高等遊民だが、単に職がなかったというより、意にそわぬ職を求めないという気概が邪魔をした気配も濃厚であることが思い出された。「生きるための職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。しかれざれば全然魂と関係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい」(『三太郎の日記』)とあるように。本書で、高等遊民の全体像を描いた著者には、この研究成果をもとに、引き続いて漱石的高等遊民像を位置づけてくれることを切に期待したい。



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