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2014年01月29日

『新京都学派』柴山 哲也(平凡社新書)

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「学問の世界のフィールドワーク」

 京都学派とは、西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎など京都帝国大学の哲学科を中心にして集まった哲学者の学風として、昭和初期に生まれた呼称である。戦後になると、桑原武夫に率いられた京都大学人文研究所の学者たちがジャーナリズムで活躍したことから、京大人文研に連なる人材を「新京都学派」と呼ぶようになった。わたしに新京都学派という呼称の憶えがあるのは、一九六五年の小松左京の論文からだが、もっと前からいわれていたのかもしれない。

 いま一九六五年といったがわたしの大学四年生のときで、河野健二、上山春平、加藤秀俊、井上清、梅棹忠夫などの先生については、学内非常勤で教育学部や教養部で授業を聞いた。もっとも学内非常勤といっても教養課程や教育学部のことであったからかもしれない。同じ京大でも文学部には、京大人文研の、とくにジャーナリズムで活躍していた先生が教育学部ほど学内非常勤で出講していなかったのではなかったか。というのもわたしがあるとき文学部の先生に新京都学派と目される先生について、「おもしろいですね」と言ったときの反応が、「あれは新聞記者だよ」と吐き捨てるように言っていたことを憶えているからである。だから、アカデミズムの殿堂とおもっていた文学部の先生は、もしかすると、新京都学派などという呼称は元来の京都学派を汚すものとして気に入らなかったかもしれない。そんなことも思い出した。

 一九八七年には洛西の地に国際日本文化研究センターが開設されるが、この開設のリーダーが桑原武夫と梅原猛の新京都学派であり、研究員には京大人文研所員や新京都学派の面々がなった。そこで本書は京大人文研と国際日本文化研究センターを新京都学派の牙城として描いている。新京都学派の代表的学者の研究を専門外の人にもわかりやすく説いていて読みやすい。

 新京都学派のルーツである桑原の学問については、「西欧、中国、日本の基層文化の三角形の三つの点を自在に移動しながら(日本の文明について)思考している」という指摘や桑原には「米国の影が薄い」という指摘になるほどとおもった。著作からの新京都学派の紹介だけではなく、著者は学芸部記者としてこれらの学者をインタビューしたことなどで親しくつきあってきた。そのときの話を「あるとき桑原はこんなことを言った」というように織り交ぜている。今西の家にいって、犬にほえられて立ち往生した話なども入っていてリアルである。その意味では、本書は著者のフィールドワークの成果でもある。京大人文研の大衆文化研究班が、岩手県北上山脈の村に出かけていって「農村における美人の調査」などをおこなったことなど、まだまだ硬いアカデミズムが強いときに画期的な研究がなされていたのだとあらためておもう。

 著者は観察者だけのフィルド・ワーカーではなく、ジャーナリストとして仕掛けも用意した。国際日本文化センターが開設のころ、アカデミズム史学者たちがこぞって反対していた。そこで著者は「朝日新聞」紙面に紙上討論会を設けた。ドナルド・キーン氏だけが賛成で、あとは反対の論陣をはった。反対者の中には鶴見俊輔もいた。鶴見はこう言って反対した。国際日本文化研究センターは、「(中曽根)首相に学者たちが直訴して実現した。私は好ましくないとおもう。・・日本人だけに日本が分かるという観念を断ち切ることが必要。(後略)」。しかし、この紙上論争によって国際日本文化研究センター設立をめぐる賛否の流れがかわったというから、著者の仕掛けの功績は大きかったということだろう。

 こうして新京都学派は時代の寵児になった。桑原や梅原、梅棹など類まれな研究組織指導者がおり、所員に才人を集めたことによるが、時代もまたこれに呼応していた。日本が豊かになり、欧米の研究の訓詁解釈学のような輸入学問や先進国の学者の「竹馬(に乗る)学問」にあきたらなくなっていた。まさに昭和戦前期の京都学派が時代の寵児になったのは、「近代の超克」のように日本の独自性やアイデンティティをもとめていたことによってだが、それと同じような状況ができたことによる。さらに、戦後、エリート文化でもなく大衆文化でもない「中間文化」(加藤秀俊)の厚みがまし、成熟しつつあったことをサポーターとしながら、また新京都学派の研究がそうした中間文化を成熟させていくという好循環のもとに花咲いた。新京都学派が凋落し、その欠を埋めるものがないのが、現在であろう。いまとなっては、こう問わざるをえない。いったいあの好循環はなぜ生まれ、何故終焉したのだろうか・・。


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2014年01月20日

『近代日本と「高等遊民」』町田 祐一(吉川弘文館)

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「近代日本の宿痾」

芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「露悪家」「月並み」などとならべて、「高等遊民」が文壇で流通するようになったのは「夏目先生から始まってゐる」とある。しかし、言葉の誕生だけで言えば、漱石が高等遊民という言葉を使う以前に、中等学校を卒業しても入学難で上級学校にいけないとか、上級学校を卒業しても職がないということが社会現象になったことによって生まれた用語である。浮浪者やルンペン、漂泊者などの(下等)遊民との対比で「高等」遊民という言葉が生まれたのである。

漱石の造形した高等遊民像は『それから』の長井代助に体現されるような人間像である。しかし、単に一定の財産があり、「パンを離れ水を離れた贅沢な経験」をすることができるというだけの意味ではなかった。漱石は金力と権力が荒れ狂う「文明の怪獣」を『野分』や『二百十日』で激しく非難したが、現実社会についてそうした批評眼をもつことのできる知識人として造形されたのが漱石の高等遊民像である。漱石の書簡(明治45年2月13日付笹川臨風宛)には「小説をやめて高等遊民として存在する工夫色々勘考中に候へども名案もなく苦しがり居候」とあるように、自らが描く高等遊民への憧憬が並々ならぬものであったことがわかる。

『吾輩は猫である』の迷亭、『虞美人草』の甲野欽吾、『三四郎』の広田先生、『彼岸過迄』の松本や須永、『こゝろ』の先生は、いずれも漱石のいう高等遊民である。漱石の造形した高等遊民像は、唐木順三が『伊勢物語』で造形されたとして、抽出した在原業平像にも重なる。「身を用なき者と思ひなすことによつて、新しい世界、現実とは次元を異にする抽象、また観念の世界が開かれるといふこと」(『無用者の系譜』筑摩書房、1954)に。漱石は日露戦争前後から頻繁に使われた高等遊民というフォーク・コンセプト(巷間で使用される概念)に特別の意味をこめて作り直したといえる。

本書でいう高等遊民は、漱石のいう一種の理想型である高等遊民ではない。だから、そういう思い込みをもって本書を読み始めると肩透かしをくわされるかもしれない。本書はあくまで当時話題になった高等遊民の一般的な定義(中学程度以上の高等の教育を受けながら一定の職無き人)にそった実証的研究である。

著者の試算によれば、このような高等遊民は20世紀はじめから毎年2万人ほど発生した、高等教育機関在学者の1割から2割を占めたという。このような高等遊民が社会問題化したのは日露戦争前後ころからである。高等遊民が危険思想の担い手になるとメディアで憂慮され、小松原文相による入学難と就職難を緩和しようとする実業教育の振興などの学制改革案となった。また帰農や地方政界への登用などの地方回帰や朝鮮、北南米、アジアなどの海外進出も説かれた。

大正時代には、第一次世界大戦による好景気や高等学校令や大学令による入学難緩和の施策によって、高等遊民問題は解消されたかにみえた。しかしつかのまの小春日和にすぎなかった。ひきつづいて同じ問題が再燃した。そして「大学は出たけれど」「知識階級就職難」の昭和初期に、これまで以上の高等遊民問題が生じた。昭和12年の日中戦争勃発により、高等教育卒業者の需要が格段にひろがり、高等遊民問題はひとまず終了した。

本書は、このように高等遊民の実数を学校種類別や学部別に克明に算出し、それらを社会問題化していった政府や世論の言説を掘り起し、さらにその解決策がどのようなものであり、どのような効果があったかについて丁寧な実証をおこなっている。高等の教育を受けながら一定の職無き人である高等遊民についてのこれだけの実証的研究は、本書にしてはじめてであり、近代日本研究の欠を埋めるに十分の労作である。しかも高等遊民問題は、いまニートやフリーター、大学院修了者の高学歴ワーキングプア問題として再現しているから「古くて新しい問題」である。本書で解き明かされている近代日本の宿痾と重ねて考えられるべきことだろう。

本書には統計データだけでなく、安倍能成や近松秋江(徳田浩司)などの高等遊民の事例研究(第一部第三章「明治末期における資力のない『高等遊民』の事例」)も収められている。安倍が高等遊民の生活難と戦いながら文化・芸術活動にいそしんだことが具体的にわかり興味深いものである。

そうした事例を読むにつけ、安倍能成と同じように漱石の近辺にいた阿部次郎もながらく定職がなかった高等遊民だが、単に職がなかったというより、意にそわぬ職を求めないという気概が邪魔をした気配も濃厚であることが思い出された。「生きるための職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。しかれざれば全然魂と関係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい」(『三太郎の日記』)とあるように。本書で、高等遊民の全体像を描いた著者には、この研究成果をもとに、引き続いて漱石的高等遊民像を位置づけてくれることを切に期待したい。



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