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2013年11月25日

『懐疑を讃えて』ピーター・バーガーほか著、森下伸也訳(新曜社)

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「福田恆存が快哉を叫ぶ、かも」

本書の訳者とは、関西大学の同じ学部で3年間ほど同僚だった。本書を訳者からいただいて、しばらくたったときキャンパスで訳者に出会った。「売れている?」と聞いたところ、「さっぱり」というさっぱりした返事だった。「こんなよい本が」と驚いた。訳書刊行後1年半以上たっているが、ここでとりあげさせていただきたい。

著者のピーター・バーガーは、アメリカの社会学者。本書を入れて『社会学への招待』など邦訳がすでに13冊もあり、日本でもよく知られている。共著者のザイデルフェルトはオランダの社会学者。邦訳書に『抽象的社会』などがある。バーガー社会学の魅力は、古今東西の逸話、名文句などを要所にはめ込んだ博雅な教養が達意かつユーモアのある文章となっているところにある。かくて、読者はバーガー・ワールドにぐんぐん引き込まれる塩梅となる。

本書が日本の読者にややとっつくにくいとしたら、第1章(「近代の神々」)が宗教がらみで導入されていることが関係しているかもしれない。世俗化の最先端をいく日本の読者との間に隙間があるからかもしれない。しかし、宗教は道徳や世界観と切っても切れない関係にあるのだから、本書の導入部になんら問題はない。むしろ米英の読者には、そうだからこそ最初から引きつけられるという彼我の違いがある。だが、たとえ第1章がとっつきにくいとしても、ここを越え、慣れることで2章あたりから、俄然引き込まれるはずである。

本書のキーワードは「相対主義」と「ファンダメンタリズム」である。近代化は、ウェーバーやデュルケームなどの社会学者が言ったように、世俗化つまり宗教の衰退化をもたらすわけではないが、信仰と価値観の多元化つまり相対化はもたらす。多元化と相対化は相対主義=多元主義をもたらす。「事実などというものは存在せず、――あるのはただナラティヴ(語り)だけ」というポストモダニストたちの言い草はそうした潮流に棹さしさらに(絶対的)相対主義を蔓延させるに与っている。それが極まるところレイプ犯の「語り」と犠牲者の「語り」は同等の妥当性をもつと主張することになってしまう。相対主義は寛容さをもたらすが、多面で、人々の間に他の人も自分と同じように規範をまもるという信頼が消えることで、なんでもありの「デカダントな社会」になっていく危険性を秘めている。

ここにもうひとつ厄介な趨勢が加わる。多元化=相対化による相対主義は不可避的ではあるが、一方的ではないことである。相対主義の結果としてかえって「絶対的なもの」への郷愁が生まれる。相対化の弁証法が働くのである。宗教的原理主義や「利己的遺伝子」のような科学的合理主義「神」のファンダメンタリズムが生まれるからである。ここで著者は、「利己的な遺伝子」論をかの「予定説」(永遠の選びは、この世で人がなにをするかによってではなく、あらかじめ神によって予定されている)のポストモダン版とするが、言い得て妙という他はない。

相対主義は懐疑の過剰であり、ファンダメンタリズムは、懐疑の欠落である。ファンダメンタリストは、「狂信家」(トゥル・ビリーバー)とみなされるが、相対主義者も懐疑を絶対化する狂信家を心中に棲まわせているというわけである。

こうしていよいよ、現代病である相対主義とファンメンタリズムをともに乗り越える道が開陳される。ここは、短い要約ではなく、本書の第5章(「確信と懐疑」)以下を直接読んでいただきたいが、懐疑に対する懐疑によって人間の尊厳などの人類の普遍的価値に到達しようとする営みこそが人間の条件であるとする。そのために「懐疑に場所をさく政治」つまり「節度の政治」こそがふさわしい、と具体的かつ説得的に語られている。

本書は言う。「狂信に抵抗する人々は、みずからは狂信家となることなくてそうしなければならない」。その態度は、節度とユーモア感覚だと。その意味で、同じ著者と訳者による『癒しとして笑い』(新曜社)を本書と併読することを薦めたい。

本書を読みながら、福田恆存の教養とは節度であり、ユーモアは「その人の教養を物語る」という言明を思い出した。福田は自分の生き方は保守的であるが、自分は保守主義者というようなものではない、と言っている(「私の保守主義観」)ことも。福田が存命で本書を読んだなら、快哉を叫ぶだろう。そう思うのである。



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2013年11月11日

『物語岩波書店百年史2 「教育」の時代』佐藤 卓己(岩波書店)

物語岩波書店百年史2 「教育」の時代 →紀伊國屋ウェブストアで購入

「岩波文化の実像と虚像をたっぷりと描く」

本書336頁(第8章「午後四時の教養主義」)に岩波書店主催の文化講演会についてふれられている。1958年6月後半に新潟市・両津市などで開催された、とされている。実はこのとき(6月22日)、会場両津中学校でこの講演を聞いていた1人がわたしである。高校2年生だった。岩波新書で知っていた清水幾太郎の姿をこの目で見、肉声に接したいと参加した。

大学2年生までは、文庫といえば、岩波文庫、新書と言えば岩波新書、総合雑誌といえば『世界』という岩波ボーイだった。1960年代あたりまでに学生生活を送った人には、岩波書店をめぐるそんな思い出がそれぞれにあるだろう。本書はそんな在りし日の思い出を振り返りながら読め、若い世代には、近代日本の知的文化の歩みをその象徴である岩波文化の実像と虚像から知ることができる格好な書である。

本書の内容に入ろう。本書は、1930年代から60年代までの岩波文化と岩波知識人を描いている。戦中期の出版文化や読書文化、言論統制、そして、戦後の平和問題談話会など、読者が岩波文化として思いだすものに目配りが十分なされているが、論述の焦点は、「教育」である。国民国家とは『教育国家』にほかならず、岩波書店は、「紙上の大学」として「教育国家の中核メディア、帝国大学とその機能を分有していた」からである。

しかし教育をめざしたといえば、岩波書店よりも「私設文部省」といわれた講談社を思い浮かべるだろう。そこで、著者は、大衆教育を目指した講談社は「初等教育局」(同時代用語では「普通学務局」)で、学術書中心の岩波は「高等教育局」(同時代用語では「専門学務局」)に該当するという。量的には前者が多いが、社会的威信では圧倒的に後者であろう、と。「高等教育局」の岩波書店であればこそ、岩波の講座などの執筆者は東京帝大や京都帝大などの官学教授が中心だった。

しかし、東京帝大や京都帝大の教授であれば無条件に執筆陣に加われたわけではない。岩波講座が帝大の講座よりも知識人に権威があったのは、帝大教授であれば、誰でもよいというのではなく、「帝大の無能教授を意識的に排除したためである」という卓見を披露している。たしかに、そうであればこそ、岩波が官学アカデミズムの権威を借用しながらも岩波アカデミズムがそれを上回るかたちで聳え立っていたわけである。

しかし、戦後は、岩波のまなざしは「子どもへ、家庭へ、教育へ」向けられ、「岩波少年文庫」などで講談社をしのぐ岩波「初等教育局」を設置したような恰好になった。戦後最初の「岩波講座」も『岩波講座 教育』(1952~53)全8巻であった。戦後啓蒙とは、大衆啓蒙だったからである。

しかし、こうした教育戦略が奏功したのは60年までではなかったか、と著者はいう。『岩波講座 現代教育学』全18巻が刊行されたのは1960~62年だったが、この講座の読者カードをみると、都会より地方、とくに僻地で読者が多かった。都会の教育関係者には、読まれなくなっていたのである。『世界』や『図書』の読者カードによって読者層をみると学生、教員、公務員が多い。ビジネスマンは少ない。60年代からの岩波文化の衰退は、教育の時代から経済の時代になったからであろう。

本書には、岩波文化に対して人々が抱いている多くのイメージが資料をもとに覆されている。『日本資本主義発達史講座』が売れたのは、左傾学生よりも、大蔵省などの官庁方面だったこと。事前検閲は検閲強化というよりも出版社がリスクを避けるに都合がよかったこと。非常時になって出版事業は1942年までは空前の好景気にわいていたこと。岩波にも、時局便乗出版物も多かったこと。陸軍省は恤兵(じゅっぺい)品(戦地の兵士の慰問品)として岩波文庫を大量注文していたことなどなど。さらに忌憚なく岩波の社史の間違いも指摘している。

丹念な資料収集(「遠心力」)と斬新な解釈(「求心力」)という二物をそなえた著者一流の才覚が通念砕きの速射砲となり、まことに巻を措くあたわずとなる。

本書をよみながら、評者はこんなことも思った。これから岩波文化なるものが持続できるとしたら、経済人などの実務家に訴求力ある本を出せるかどうかにかかっているのではないか。ビジネス書と岩波文化という、「鰻と天ぷら」のように食い合わせが悪いものにどう立ち向かうかであろう、と。

なお、本書でも数か所にわたって引用されている村上一郎『岩波茂雄』は、12月上旬に講談社学術文庫で復刻版(『岩波茂雄と出版文化―近代日本の教養主義』)が刊行される。歯に衣を着せぬところは本書と同じである。解説は評者が書いているが、本書と併読していただくと、幸甚である。



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