• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年05月13日

『実体への旅-1760年-1840年における美術、科学、自然と絵入り旅行記』バーバラ・M・スタフォード[著] 高山宏[訳] (産業図書)

実体への旅 →bookwebで購入

彼女に目をつけるなんて流石だね、と種村季弘さんに言われた

バーバラ・M・スタフォード著書・邦訳書-->

この百回書評もあと一回を残すところとなった。取り上げたい本は今年刊のものだけで10冊も積み残しているし、「仲間褒め」を頼んでくる友人一統もいて、あの「千夜千冊」最終段階の松岡正剛さんの苦労が、文字通り十分の一くらいはわかった。が、この7月に最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の邦訳が出てまたひとしきり大騒ぎになるであろうハリポタの最後のあらすじ同様、この書評欄も最後の一冊は前から決まっている。

最終回の前に今回、大著の多いバーバラ・M・スタフォードの著書の中でもとびきりの大冊『実体への旅』を紹介したい。これを書き始める5分だか10分だか前に、ちょうど訳者あとがきを校了したところだ。本年7月末~8月初めに書店に並ぶはずだ。ぼくが見て最高の本だと思うし、相手を一番わかるのはこの自分だと思えばこその千両「訳」者であるはず(たぶんそうでないケースが多すぎるから上手くいかないのだろうね)。訳文を批評の対象にしなければ、こういう書評もあり得るだろう。

スタフォードについては、展覧会のカタログということで厖大な図版いちいちにクレジット交渉が義務付けられるのに嫌気がさした“Devices of Wonder”一点を除いて、規模の大小にかかわらず、そのすべてを自分の手で訳そうと決心した。こんな相手は長の翻訳家人生でも初めて。愛すべきタイモン・スクリーチの著書ですら、あるタイミングから翻訳者は自分で他に見つけてという話にした。

それほどの相手なのだ。ぼくと周辺のわずかな人間のみ知って夢中になっていた「アルス・コンビナトリア」だのマニエリスムだのが、18世紀身体論と結び付けられ、やっと1980年代に流行を見始めたカルチュラル・スタディーズ系身体論の汗牛充棟の世界から一点図抜けた怪物となった“Body Criticism”(邦訳『ボディ・クリティシズム』)をもって、初めてある程度のスタフォード・マニアがうまれたというのが実情だ。見たこともない図版が200だ、300だと詰まった造本に魅了されてのことだが、読み出すとそれをそっくり文字化したようなハイブリッドな「とんでる」内容なので、ドツボにはまるか、ゲロ吐いて横向くかだ。

この書き手、何者?と思い、慌てて前著“Voyage into Substance”『実体への旅』)、処女作“Symbol and Myth”(『象徴と神話』)を買い求めたマニアは、きっとぼく一人ではあるまい。

いわゆる景観工学・景観史の人々が一介の「英文学者」高山宏の名にたえず触れざるを得ないのは、1980年代にひょんなことでぼくが始め、徹底してやったピクチャレスク論のせいだが、やってみて驚いたのは、万事に遅い日本洋学界のみか、本場英仏でのピクチャレスク研究の遅滞ぶりだった。火付け役とされるDavid Watkinの“The English Vision”でも1982年。結果的にワトキン本に依拠することになったぼくの『目の中の劇場』が1985年。その只中に問題の“Voyage into Substance”『実体への旅』)。大、大、大ショックの一冊だった。

ピクチャレスク美学を、ヒトの側のサイコロジーを自然に押しつけて捏造したニセの「自然」と括り、それを突破するものとして、王立協会はじめ西欧諸科学アカデミーに宰領された(キャプテン・クック、ヴァンクーヴァー、ラペルーズ等の)「探検家」たちの「現場で」「直(じか)に」現象と対峙する「事実の文芸」と称すべき単純直截の目と言葉がうまれてきた、とする。聞いたこともない探険家たちの紀行報告の文章、見たこともない現地風景のスケッチといったディテールの面白さが、あっという間にハバーマスやブルーメンベルクの百年単位の壮大な近代史ビッグ・セオリーに絶妙にマッチさせられていく。

これだけ自在な超学者は、これから先も20年、30年、出てこまい。種村季弘氏を連想させるが、「さすがフェリックス・クルルをうんだ独墺圏の出身者。詐欺ではかなわないね」という見事なスタフォード評は、故種村氏の口から。流石だ。ウィーン出身の超の付くアートフルな書き手。「詐欺」とも訳せる「アートフル」がスタフォード鍾愛のキーワードであることなど、スタフォード・マニアにいまさら断るまでもあるまい。


バーバラ・M・スタフォード著書・邦訳書

1. Symbol and Myth : Humbert De Superville's Essay on Absolute Signs in Art
2. Voyage into Substance : Art, Science, Nature and the Illustrated Travel Account, 1760-1840
3. Body Criticism Body Criticism : Imaging the Unseen in Enlightenment Art and Medicine
ボディ・クリティシズム ボディ・クリティシズム-啓蒙時代のアートと医学における見えざるもののイメージ化
4. Artful Science Artful Science : Enlightenment Entertainment and the Eclipse of Visual Education
アートフル・サイエンス アートフル・サイエンス-啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育
5. Good Looking Good Looking : Essays on the Virtue of Images
グッド・ルッキング グッド・ルッキング-イメージング新世紀へ
6. Visual Analogy Visual Analogy : Consciousness as the Art of Connecting
ヴィジュアル・アナロジー ヴィジュアル・アナロジー-つなぐ技術としての人間意識
7. Devices of Wonder Devices of Wonder : From the World in a Box to Images on a Screen
8. Echo Objects Echo Objects : The Cognitive Life of Images

2008年05月02日

『富豪の時代-実業エリートと近代日本』永谷健(新曜社)

富豪の時代 →bookwebで購入

こんな領域横断もありか、という驚き

明治後半から昭和初年にかけての、現在の日本の基盤を築いた半世紀という、いま日本で学者をやっていて一番面白がるべき問題を(「文学」を入口として)探ることができる本を、当書評欄でここ数回、続けて取り上げてきた。蓋を開けてみると皆、いわゆる博士論文が世間に向けて出版された大著ばかりというのも、長い間「学者」をやってきてしまったぼく自身の限界を示すのかもしれないし、逆に、誰も見向きもしない、つまらないものの代名詞のように言われてきた博士論文にも時代の流れで面白いものが出始めた、喜ばしい兆候かもしれない。

大喜利(おおぎり)とでも言える一冊を見つけたので、それを推輓して博論傑作選に一応のキリをつけたいと思う。それが、京都大学大学院に提出されたこの論文。「ただし、研究者だけではなく、近代日本の富裕層や金銭的な成功者に関心をもつ方々にも読んで」欲しいということで、大幅加筆を経ての『富豪の時代』である。

東大のシンボルといえば安田講堂だ。ちょうどぼくなど大学生であった頃、学生闘争で占拠され機動隊突入、一度だけ入学式で見た美しい内装が大破し水浸しになっているのに直面して、一時代の終わりを感じたが、それというのも名の通り、これが「富豪の時代」の風雲児の一人、安田商店安田善次郎の夢、というかメセナ感覚の所産たる寄付の講堂だったと聞かされていたからだ。改装されて機能的にも象徴的にも全然別ものになったわけだが、今の東大生にとって、この講堂はなお、自分がなるべき存在への夢の「表象」たり得ているのだろうか。それにしても、赤門という江戸時代の大金持ち、加賀百万石の所有物だったものをくぐって、明治・大正の「富豪の時代」を象徴する安田講堂に対い合う東大(という場所)とはいったい何だろう、とこの本を読みながら、「学」と「富」の関係ということまで含めて、いろいろ考えてしまった。

三井・三菱について何がしか知らぬ人はいまい。それに安田善次郎、大倉喜八郎、森村市左衛門といった実業界の超エリートを加え、彼らがビジネス・エリートになっていった過程、そして「紳士」と呼ばれ、まだよくは見えなかった「新時代」のシンボル(文字通りの“representative men”)として「表象」されていった経緯を、やはりそこは博論、ハウトゥー実業書の軽薄とはかけ離れたところで緻密な統計処理と一次資料の累積で丁寧に追う。少し前なら経営学・経営史分野の仕事だったものであろうが、著者もはっきり意識しているように、やられているべきなのに実はまるでやられていないスーパーリッチたちの研究をしようとすれば、経営学だけではとても足りない旧套諸学の混淆と再編成が必要なので、いわばこの本は、本人たちが時代突破の意力のためマージナル・マンであるしかなかった異能群像を相手に学のマージナルを行く方法的な試みの現場という(実はもっともっと過激に主張して欲しい)二重の側面を持っていて、それが魅力だ。

強みは金持ちの表象論に徹している点で、よくある(当然自己美化のウソだらけな)富到立志伝の累積のようなアプローチとは無縁。たとえば江戸後期に初めて金持ちをそうでない人種と分けた「長者番付」なるジャンルの延長線上に、交詢社の名が象徴する明治20年代、30年代のいわゆる紳士名鑑の類を置く。この交詢社自体、あの福沢諭吉が維新の無の中から今後の社会ヴィジョンを託すためにひねり出したリーダー養成の社交機関であったことを、この本で初めて教えられた。「学問ノススメ」の人物の社会的「発明」の強力なトンデモ発想に改めて驚かされる。

「明治20年代から30年代初頭にかけては、『日本紳士録』など、多種多様な人名録が刊行された時期である。人名録ブームとでもいえるほどの刊行ラッシュが生じ、人名録は同時代における刊行物の一ジャンルを形成したのである」という着眼が良い。誰を富豪、「紳士紳商」とするかという基準が面白いし、難しいが、時々の納税法の変化との関係の分析など、富豪の社会史が着実に記述されていく。メディアが金持ちイメージをつくり、金持ちと言われた本人がメディアとの関係の中で金持ちに「なっていく」ダイナミズムが経済ジャーナリズムの成立、「姻戚関係のパターン」「天覧芸への便乗」「茶会サークルの成熟」など興味津々たる目次で次々展開していく。博論が傑作へ飛躍したと言っておく。

一時の荒俣宏の産業考古学(『黄金伝説』他)にも、『経営者の精神史』に行き着いた山口昌男の歴史人類学にも系譜しそうな、人文学と社会学の<はざま>を行く画期書。時代の趨勢か、「明治」大学国際日本学部という<はざま>をウリにしようという世界に属すことになり、経営学の人々を同僚にハテこれからどうするか思案ナゲクビのぼくに、まさに旱天慈雨の如きインスピレーションを与えてくれた。

因みに、新同僚となった(元)仏文学者鹿島茂氏が新学部開設記念講演会で渋沢栄一の事跡について喋る。交詢社人名録にぼくも鹿島センセーも載っている。たしかこの紳士名鑑も今年で終わる。いろいろ時代であるなあ、と感慨深い。意表つかれるとは快いものだと久しぶりにせいせいした。リニューアル前の電通『アドバタイジング』誌で「デパートの解剖学」や「メセナの時代」を編集したぼくの感覚、「経営史学」的に見ても間違いではなかった。

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2008年04月18日

『流行と虚栄の生成-消費文化を映す日本近代文学』瀬崎圭二(世界思想社)

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難しそうだが読むととても面白い博士論文、続々

ほぼ一年続けてきたこの書評シリーズでは、極力、評者自身の個人的な経験と近づけたところで議論することを心掛けた点に功も罪もあるはずだが、新刊、瀬崎圭二『流行と虚栄の生成』など、ひとしお個人的感懐なくしては読めない本である。著者より恵送いただき、ハテと思って読み出してナルホドとすぐ得心がいった。

日露戦争直後から第一次大戦期への、ほぼ大正時代と言ってよい期間を舞台にする百貨店(特に三越)の商戦略と、それに大いに助長された「虚栄の女」という表象とを、大所小所からあぶりだす好著である。三越や白木屋が発行していた宣伝誌を克明に点検しているという意味で資料的価値があるし、陳列商品やショーウィンドウの前で人々(特に女性)が示し始めた新しい身振りを興味津々で点綴する文学作品群のしっかりした分析を伴ったアンソロジーとしても、今後の研究の基礎となるべき遺漏なき充実ぶり。漱石の『虞美人草』の藤尾は誰しも思いつくだろうが、『三四郎』の美禰子も「虚栄の女」タイプだったのか、そして問題の時期、問題のタイプは大谷崎、当然『痴人の愛』のナオミに行き着くのだが、『改造』1922年(大正11年)3月号発表の「青い花」など、なかなか渋めの同類作など、百貨店文学といったものを再考する時、落とせないと思われる作品群のあぶり出しが丁寧で、貴重。また、付録に一覧表まで付く三越の『花ごろも』『時好』『三越』、白木屋の『家庭のしるべ』といったPR誌に載った「文芸関連記事」への着目が素晴らしい。

大所小所と言ったが、小所というのがこういう大正期の埋もれた面白そうな一次資料だとすれば、大所はルーマンの『社会システム理論』(〈上〉〈下〉)だったり、もちろんフーコーだのボードリヤールだのの大きな理論だったりする。世間的にはなんぼのもんじゃいと小バカにされても仕方のない、課程博士などといって基準のバーが低くなったシステムのせいでますます増えそうな類の博士論文も多いが、そういうものばかりでないよと言いたくて、既にこの書評欄でもいくつか取り上げてきたが、本書も東大提出の課程博士論文。主査小森陽一、副査にぼくの友人、ロバート・キャンベル氏などを含む審査を通って、山本武利・西沢保共編の名作『百貨店の文化史』を出している世界思想社から加筆単行本化された。

明治三〇年代から刊行され始めた呉服店/百貨店の機関雑誌は、望ましい外見のあり様を流行として紹介するための媒体であったというよりも、ここに語られ、表象されるものこそが流行に他ならないという流行と媒体との緊密な関係を構造化しつつ、月刊という一定の速度のもとに、流行を目に見えるものとして国民国家という共同体の内部に共有させていくような媒体であった。

全巻のキーワードたる「流行」というもののでき方、あり様を見事に突いた結論で、本書前半は、このことの立証に充てられている。この引用文の直後は、こうだ。

言い換えれば、流行なる現象は所与のものとしてあるのではなく、こうした雑誌メディアこそが流行を目に見えるものとし、それを実体化していくことになると言えよう。しかし、こうした流行の可視化と存在の認知は、それを語る媒体にのみよっているわけではない。例えば、流行とは何かと問いかけ、それを分析の対象としていくような知の力学は、それが知の言説としての保証を伴って互いにその差異を訴えつつ増殖していく内に、現象としての流行の実体を担保することになるのである。そこに、流行は流行として認知され、その認知に基づいた自律的な言説の運動の維持が生じていることになる。その言説の運動の中で、常に確保され続けているのが、零度としての流行という現象であることになるだろう。(p.125)

ン?である。三越が森鴎外はじめ時代の<知>を取り込んで「学俗協同」路線で成功した面白い商戦略を言おうとしているのだが、それにしてもこれはずいぶん厄介な日本語だ。博論の約束事でもあるのか。同じことを初田亨氏の屈指の名作『百貨店の誕生』は実に単純な言葉で、倍の説得力を持ってやっている。

しかし、百貨店をめぐる商略とメディアの問題がここまで発展的な研究段階に入ったのを見るのは、個人的にも驚きであり、嬉しくもある。西武系列の流通産業研究所に言われてぼくが百貨店を「文化的」現象として分析し始めた1885年頃は「研究」と呼べるようなものは絶無で、あきれ返った。ぼくの『パラダイム・ヒストリー』(1987)、『世紀末異貌』(1990)が火をつけ、山口昌男『「敗者」の精神史』(〈上〉〈下〉)(1990)や鹿島茂氏のデパート王ブシコーの研究につながっていった。はじめに個人的な感懐と言ったのはそのこと。ぼくの仕事はいつもながらに鼻であしらわれたが、ぼくの訳したレイチェル・ボウルビー『ちょっと見るだけ』は威力のある本だった。さすがに20年の経過、学の成熟かくあらんか、と嬉しく読んだ。『ちょっと見るだけ』も存分に使ってくれていて、ありがとう。

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2008年04月08日

『イギリス炭鉱写真絵はがき』乾由紀子(京都大学学術出版会)

イギリス炭鉱写真絵はがき →bookwebで購入

炭鉱、写真、絵葉書の「普通考えつかないような結合」

港千尋さんなど写真を撮る人の文章は巧いものが多いが、今どきの写真論となるとどうもパターンに入っていて、最後は必ずベンヤミン、バルト、ソンタグの三題噺に結び付けられてチョ~ン。しばらく写真誌や写真論の類から遠ざかっていた。唯一の例外が、2005年秋にメトロポリタン美術館で催された「完全なメディア、写真とオカルト」展の大カタログ“The Perfect Medium”くらいだが、やはり心霊だのオドだのエクトプラズムだのの写真は、写真論の「王道」に成り上がってはいけないところがある。やっぱ怪しすぎっ!

人物を撮り風景を写したれっきとした写真を、その置かれたイデオロギー的状況から克明に論じ尽くす堂々の写真論で面白いものがないとまずいのだが、ここに数年来の傑作が登場した。それが乾由紀子『イギリス炭鉱写真絵はがき』だ。筑豊の元炭鉱夫・写真家、本田辰己氏とのコラボレーションで名を上げた著者が、その目を20世紀初頭の英国に転じ、絵葉書の黄金時代(1900~1918)が英国石炭産業の全盛期と重なることの意味を問い、その結びつきがつくり出した様々なメディア的事象を追う。英国へ行って炭鉱関係者たちと親しく交わり、厖大な量の炭鉱絵葉書を収集した地に足の着いたフィールドワーカーの筆は、飽くまで事実やモノに即(つ)いて生き生きと具体的で、今までに何点か取り上げた博士論文と同じ正格の学問的手続きを踏む堂々の論の運びながら、息をつがせず一挙に読ませる。バルトの「プンクトゥム」論あり、ブルデューの「階級的ハビタス」論あり、多木浩二あり、柏木博あり、とかく読んで面白いのだ。

まず、豊富に掲載される鉱夫や炭鉱事故の写真、絵葉書を飾る男女の労働者の姿そのものが面白い。と感じる時、きみ、僕はまさしく当時、中産や上流の人間が炭鉱写真を集め愉しんだ視線をそっくり追復していることになるだろう。写真の抱える階級性と権力構造への目線が一度もブレない、しっかりした写真論である。たとえば、こうある。

 イギリスの初期写真史を包括するヴィクトリア朝の拡大する視覚が、「科学性」や「客観性」という信仰のもとに、戦場や植民地のほか世界各地の観察、研究、国内の社会調査、ドキュメンタリー、慈善などを目的としていたことはよく知られている。ジョン・タッグは、写真と歴史の章でロラン・バルトが指摘した、写真の「かつてそこにあったもの」を「証言する力」を取り上げ、それは「複雑な歴史的産物」であり、「ある特定の制度的実践」と「歴史的諸関係」のなかでのみ行使される、それゆえに、写真を囲む歴史、社会制度、権力関係に注目することが重要であると述べた。このことを念頭に置けば、19世紀後半のイギリスほど直接的に写真のあり方が社会のそれを体現した例も少ないだろう。(p.36)

こうして英国中産階級が社会的弱者、犯罪者、植民地の原住民、病人、狂者、そして労働者階級をひたすら好奇の目で対象化したスペクタクル志向の視覚文化が強く浸透した。「写真は、社会のヒエラルキーが大勢の上昇志向によって震撼した時代における、中産階級が<他者>を再認識することによってみずからの存立基盤を確認するための道具」となる他ない。今あるべき写真表象論としては当たり前の言い分のように思われもするが、これが実にしっかりしていればこそ、たとえばジョナサン・クレーリーの言う「観察」は「さまざまな約束事や価値に対し、自分の視界を一致させる行為」のことだとか、同様に絢爛と拡散するスーザン・スチュワート『憧憬論』(“On Longing : Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection”)のキーワード「スーヴェニア」について「ある場所にちなむ品ではあるが、その起源的な場所にあっては余り価値なく、ある場所への、そしてある場所からの移動によってはじめてその意味が保証される」品目だと言い切って、どんどん自分の論に取り込む異様な頭の切れを示す。炭鉱労働者の移動がこうしてスーヴェニアをただの思い出の品、お土産以上の何かに活性化し得る、それこそが炭鉱労働者自らが、もはや単なる対象ではなく収集・消費する側に「参入」し始めた新しい段階としての炭鉱写真の意味なのだ、という議論につながる。

バルトやベンヤミンレベルの写真論の使い方が巧いのは今や当たり前かもしれないが、「会社の巧妙な細工」としてうまれた労働者の「類型」化の議論にメアリ・カウリングの究極書『人類学者としての芸術家』(“The Artist as Anthropologist”)を、またノスタルジーの議論にスチュワートの『憧憬論』ただ一点を持ってくるカンのよさは並みのセンスでないとみた。しかも、炭鉱労働者たちが命を与え直したスーヴェニア絵葉書によってスチュワートのスーヴェニア観が越えられていくという展開の仕方で、ポストモダン批評のバイブルとさえ言われる『憧憬論』をさえ、きちんと組み立てられた自らの論に拠ってバッサリ、という膂力に感心する。

「クレイ・クロス社の広告絵葉書シリーズ」「ウィガンの女性炭鉱労働者の絵葉書」「ハムステッド炭鉱事故の絵葉書」等々、ローカルな一次資料の駆使はひたすら読んで面白いが、「他者」を「類型」化することで安全なものに変えてしまう構造に対するカルチュラル・スタディーズの切れ味、同じように風景を無害な書割に変えてしまうピクチャレスク美学と、それを切り裂く「プンクトゥム(傷)」としての「山」の分析の切れ味。現在、文化史記述として望み得る批評の最高の快楽を惜しみなく与えてくれる傑作だが、手間暇かけて集めに集めた、煤煙で汚れた無数の絵葉書たちの精彩が、傑作をもはや古典に変えたと断言する。

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2008年03月25日

『博物学のロマンス』リン・L・メリル[著] 大橋洋一、照屋由佳、原田祐貨[訳] (国文社)

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書評がなにやら企画趣意書になってしまう相手

マニエリスム・アートがヴンダーカンマーを諸物糾合という自らの表現意思の最もわかりやすい象徴として展開してきたことは、既に何点かの本に触れて述べてきたが、1990年前後まで主たるマニエリスム研究書は大体ドイツ語圏で出され、英語圏ではマニエリスムが些かなりとも肯定的な意味で普通に使われるということがなかったため、ヴンダーカンマーの歴史が英米にはなかったかのような印象があった。これはとんでもない誤解なので、その辺を一番包括的にしっかりやってくれているリチャード・オールティックの大著『ロンドンの見世物』(〈1〉〈2〉〈3〉)を、仲間うちを語らって寄ってたかって完訳した(小池滋監訳、井出弘之・高山宏・浜名恵美・村田靖子・森利夫訳)。

既に周知のところとなったかと思うが、“Wunderkammmer”という語は、英語では“cabinet”という(丁寧に言うと、“cabinet of curiosities” あるいは “cabinet of wonder”)。早くも17世紀初めにトラデスキャント父子が「ノアの箱舟」と綽名された大型キャビネットをロンドン近郊に設立・運営していたことを、このオールティックの大冊は面白く縷説している。他の様々な見世物と絶妙に絡み合いながら、このキャビネットが19世紀に入って、かの有名な第一回万国博覧会の会場設計や陳列の理念に壮大に活かされた、というところでオールティックのポピュラーカルチャー論は終わる。万博に限らず博覧会一般を指す“exposition”(大阪万博がエキスポ70と呼ばれたのもそのためだ)が辞書的意味の本当に広い定義域全体に亘って19世紀全体のキーワードと化した、と一段と大きい議論にレベルアップしてくれるフィリップ・アモンの“Expositions”を、ついに意を決して、ぼくは訳し始めた。19世紀のさまざまな展示空間と文学言語の関係を語らせれば比類のないこの名作完訳をもって、オールティック以来の「キャビネット」文化史邦訳プランを一段落させるつもりだ。

万博が博物学趣味の文化的結晶であることは、既に松宮秀治『ミュージアムの思想』を知るみなさんに説くまでもない。19世紀が「博物学の黄金時代」であり、特に英国でそうであった事情は、1980年代までほとんどまともに喧伝されておらず、ぼくとしてはリン・バーバー著『博物学の黄金時代』を邦訳紹介して、ぼくなりのキャビネット文化史邦訳シリーズの決定打とした。歴史書翻訳にあるまじき(?)文章の凝りようで、当時売り出し中の作家、村山由佳氏に訳文を褒めたてられたのに驚き、かつ嬉しかった。『不思議の国のアリス』でも、冒頭いきなり、退屈だからヒナゲシで花輪をつくろうとするアリスの身振りについて、中上流の倦怠婦女子に唯一公認されていた消暇法が博物学であったことを知るか知らないかで、対応は一変。章ごとに珍妙なモンスターどもに遭遇する少女主人公の物語自体が童話化されたキャビネット・オヴ・ワンダーズでなくて何だ、という視点で、ただいま『アリスに驚け』を脱稿寸前である。主たるアイディア源がリン・バーバー。

ところが、『博物学の黄金時代』は現在入手不可で、みなさんに読んでいただけない。ハテ困ったと思っていたところ、もう一人のリン、リン・L・メリルの『博物のロマンス』(原書“The Romance of Victorian Natural History”)はなお読めることがわかった。ヴィクトリア朝に信じ難いほどの博物学狂いがあった面白い現象を、ほとんどリン・バーバーと同じ材料でカバーしてみせる。フィリップ・ヘンリー・ゴス、チャールズ・キングズリー、ヒュー・ミラー、そして大喜利は当然ラスキン。

エピソード豊かなくだけた語り口では断然リン・バーバーに軍配が上がるが、リン・メリルの場合、訳者大橋洋一の名で見当がつくように、「現代思想」寄りの読者をも満足させるカルチュラル・スタディーズのアプローチが次々と繰り広げられる。「文化帝国主義」としての博物学という松宮流の着眼は言わずもがな。特徴的なのは、細密・細部への一文化規模でのこだわり(detailism)という衝迫の下に、細密と言えばこれしかないラファエル前派の絵とテニスンその他の精密詩学、そして博物学を同一線上に並べた展開で、ポストモダン文化論の隠れたバイブルと囁かれた才媛スーザン・スチュワートの“On Longing : Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection”のエッセンスをいいところ取り的に持ってきて、たとえばキャビネットがコレクションする対象の配列こそ「遊戯の形式、注視と文脈操作からなる世界内部に対象を新たに枠付ける形式」、即ち「憧憬」の産物、欲望の産物と言い切る。こうした記号論的分析は悠々たる語り部リン・バーバーには完全に欠けているところで、現代批評の切れ味を堪能しながらミュージアムやキャビネットの歴史の整理もしたい、という贅沢な読者には、もうこれしかないという一冊。国文社がハリエット・リトヴォ『階級としての動物』他、批評の名著邦訳に異様にテンション高かった頃の一冊だ。この際、“On Longing ”訳も(一度流したが)改めて仕切り直してやるべきかな、と強く思わされた次第だ。

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2008年03月21日

『美術館の政治学』暮沢剛巳(青弓社)

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「オー・セゾン!」。改めて「熱いブクロ」を思いだした

この本は2007年4月初版。同じ月に横須賀美術館ができ、その直前に国立新美術館が開館していた。六本木ヒルズや東京ミッドタウンといった新しい文化の中心が出発する時、美術館とそこで開催される展覧会のクオリティがPR効果を発揮し、誰もこういうあり方を不思議とさえ思わなくなっている。一体、今や都市文化の代名詞と化したこの「ミュージアム」とは何なのか、広い意味での人文学さえはるかに越える超の付く「横断的」アプローチが必要な相手なのに、全体を見渡す手掛かり、概説書がない。前回読んだ松宮秀治『ミュージアムの思想』は「ミュージアム」を西欧中心の「思想」、イデオロギーそのもとして捉え、西欧におけるその発生と意味を説く点ではほぼ完璧だったが、後発の日本のミュージアムについては、そういう西欧流を模倣する歴史が批判されるべきだと言うばかりで、実態や処方箋は守備範囲ではなかった。いわばそこを補う書き手として、こういうニューミュゼオロジーという新動向に通じ、かつ経営的側面からミュージアムを考えていく感覚にも優れ、「第一人者」(ご本人は「人一倍自覚的」という言い方をされている)を任じる暮沢剛己氏の『美術館はどこへ?』と今回の『美術館の政治学』は貴重だ。

ぼく個人もこの数年、石原都知事が個人的にもリキを入れた美術行政と関わらざるを得ない立場で、東京都歴史文化財団と接触し、都立の大学と都立の各ミュージアム施設との制度的・教育的連繋の可能性を探らされてきたが、導入予定の指定管理者制度なるものにピリピリし出したミュージアム側の「守り」の態勢を前に、結局たいして積極的な提案もなし得ぬまま、それ以上の勉強を諦めた。「採算」や「収益率」が先行して、それ以上、話が進まなくなるのだ。大学でもそういう情けない状況の進行に日々さらされているものだから、同じことが美術館でも起こっていることを知って妙に共感し、それ以上「ご迷惑」をお掛けできないと考えたのだ。『美術館の政治学』は、雑誌「美術手帖」に2004年から一年一寸連載された記事をまとめたもの。まさしくその頃、大学改革の騒ぎの中で、ミュージアムの教育能力をどう取り込むべきか考えろという課題を負わされたぼくは、この暮沢連載を、ほとんどすがるように貪り読んだ。切迫感をもって読まれる本がいつもそうなるように、今回単行本化された本書も掛け値なしの名著だ。

ミュージアムと「政治学」となれば当然出てくる万国博覧会と遊就館に、それぞれ一章が割かれる。「戦前から地続き」の皇紀二千六百年博覧会実現をという悲願がいかに大阪万博を支えたパワーになったか、という分析には改めて驚いたし、坪内祐三『靖国』で既に充分びっくりさせられた戦争博物館(遊就館)が高橋由一絡みで本当は美術館としても素晴らしいはず、という指摘にも驚かされた。柳宗悦の日本民藝館の平和主義と、裏腹のオリエンタリズムの「偽善」という指摘はひりひり痛い。歴史に関わる章では、ミュージアム蝟集の神話的トポスとしての上野公園、その彰義隊怨念の地の130年に亘る「敗者」のトポス論が、典型的敗者として東京国立博物館創建に文字通り一命を賭した町田久成の事跡を含め、実に面白い。山口昌男や坪内祐三の筆かと思う展開である。

しかし、政治史におけるミュージアムを論じた先の4つの章以上に面白いのが、第5章、第6章で、それぞれ、「セゾングループの文化戦略」中に占めた西武(セゾン)美術館の位置、またNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)の栄光と閉館の危機を扱っている。美術館とアートブック専門の大書店が合体した池袋西武アール・ヴィヴァンやリブロの世界は、西武(セゾン)美術館開館から閉館の1975年~1999年に「知的」人生のほとんど全部が重なるぼくなどにとって興奮して死にそうな神話空間だった。「私事で恐縮だが、私が1980年代後半の東京で過ごした学生生活は西武セゾン文化との蜜月時代だったといって過言ではない。」と始まる暮沢氏の熱い文章は、冷静な研究書を一挙にどきどきする「読み物」に変える。「セゾングループの文化戦略」(pp.128-134)は、都市文化の可能性に賭けようとする人間にとっては長く忘れ難い文章になるだろう。周知のように西武系文化事業の「黄昏」はショッキングな出来事だったが、流れは森美術館の「アーテリジェント・シティ」構想に引き継がれると暮沢氏は見ているし、メディア・アートを核にした同様にハイブリッドな新時代文化の熱狂状態をつくり出したICCの先見性を讃えた文章も熱っぽい。

構想力かジリ貧か。地方のミュージアムの苦闘と成功の報告と、独立行政法人化他の採算優先、愚かなハコモノ行政への苦言。こちらの冷徹な分析もよくできている。ちゃらちゃら「視覚文化論」などやる前に、あるいはやる一方で、必ず一読すべき最強にリアルなガイドブックである。椹木野衣や北澤憲昭、吉見俊哉や北田暁大、そして浅田彰の偉さが改めてよくわかる。

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2008年03月18日

『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)

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美術館が攻撃的で暴力的だなんて感じたこと、ある?

現在、大新聞の文化欄の過半がミュージアム(美術館/博物館)の催事案内で埋まっている。落ち目と言われる人文方面でも、いわゆるミュゼオロジー、展示の方法論・社会学だけは、美術史を巻き込む形で、ひとり元気に見える。我々の文化がほとんど無自覚・無批判に「美術館」と「博物館」に分けて対峙させてしまった西欧的「ミュージアム」とは何か、コンパクトに通観した傑作を、日本人が書いた。ミュージアムの歴史の中では典型的な非西欧後進国である日本だからこそ、「コレクションの制度化」をうむ「西欧イデオロギー」をきちんと相対化できた、画期的な一冊である。

そういう本である以上、キーワードが「帝国」であることはすぐ想像できるが、何となくというのではなく、「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であるという指摘と、我々がイメージする19世紀列強の帝国主義をはるか遡るハプスブルクの神聖ローマ帝国という包括的長射程の「帝国」とその文化戦略を相手にする腰の据わり方で、類書を抜く。

類書は実は多い。本欄お馴染みのヴンダーカンマー、クンストカンマーが「視覚政治学」の一部に取り込まれていく話がメインだから、1908年刊のフォン・シュロッサーの最初の驚異博物館論から、エリーザベト・シャイヒャー『驚異の部屋』、クシシトフ・ポミアン『コレクション』、フランセス・イエイツ『十六世紀フランスのアカデミー』、ロイ・ストロング『ルネサンスの祝祭』(〈上〉〈下〉)、R・J・W・エヴァンズ(本欄第2回目に新刊紹介)『魔術の帝国-ルドルフ二世とその世界』(現在、ちくま学芸文庫〈上〉〈下〉)およびトマス・D・カウフマン『綺想の帝国』と、本邦の欧風文化史書の黄金時代を築いた(二宮隆洋氏のいた)平凡社、工作舎による精神史・文化史路線の名著好著が片端から出てくるパノラミックな疾走感は、流石のぼくにして完全に脱帽だ。凄い。

こういう西欧でのミュゼオロジー史の急激な隆盛がほとんどまともに紹介されていないことを怒り、一定の状況紹介と資料紹介をしたのはぼくだ、という自負と確信はある。「政治の視覚化」についてもぼくは『目の中の劇場』収中の「星のない劇場」他の文章で、ルネサンス宮廷文化の「劇場政治学」「視覚政治学」の華やかな現状(フランセス・イエイツ、ロイ・ストロング、スティーヴン・オーゲル)を紹介した。1980年代半ばのことである。しかし別に威張るほどのことでなく、ぼく自身ポンポン出すだけで、もうひとつ大きな視野でまとめ損なっていたものが、この松宮書一冊に全てまとめ上げられていることに、心底感動した。ぼくなりの戦略があって訳したリチャード・オールティックの『ロンドンの見世物』(〈1〉〈2〉〈3〉)もリン・バーバーの『博物学の黄金時代』も、片端から引用され、批評されている。

「邦訳のあるもののみ」と粋な素振りの「参考文献」リストを見て唸った。たった4ページのリストだが、活字組みからも山口昌男『本の神話学』巻末の文献リストを想起させ、著者の抜群の着眼を改めて思い知らされる。おぬしできるな、と。素晴らしい資料をただアハアハと楽しむのが限界というぼくなどと決定的に違って、ポミアンやブレーデカンプらの新しく見えるミュゼオロジー研究にさえ、「自分たちが新しい「文化帝国主義」のイデオローグ」と化していることに気付かないのが浅はかにもおそろしいと、透徹した目を向けていて、これで松宮<対>タカヤマの勝負は決まった。メタヒストリーの視野と次元が違う!

エヴァンズの名著中の名著『魔術の帝国-ルドルフ二世とその世界』(〈上〉〈下〉)の次くらいに、エルスナー、カーディナル共編『蒐集』(高山宏監訳)をたくさん引用してくれていて、ここでも報われたと嬉しい反面、あらかたの論文が「ミュージアムとコレクションの制度化という思想のなかに深く内在した文化的帝国主義」に自らも染まっていることに気付いていない、その「独善性にあきれるというより、驚きさえおぼえてしまう」と指摘されて、紹介者自身が今頃なるほどと深く感心し、着眼の次元の彼我の差に戦慄を覚えたほどである。

もうひとつの大きな特徴は、あくまで王権論に徹した点で、「神聖ローマ帝国の皇帝権と領邦君主の地域支配権」のせめぎ合い、王権と教権の確執のあわいに、「戦う王」ならぬ「考える王」の「新しい威信装置」としての宮廷コレクションが圧倒的に充実していった、とする。自らの弱体を補償しようとした「ハープスブルク家」諸皇帝の「レノウァティオ(帝国革新)」理念が独墺から英仏各宮廷に広がり、現在のユネスコのミュージアム法にまで伝わった、とする。何という射程の長大!先般紹介した菊池良生本と併せ、メディア史におけるハプスブルク家の位置に豊かな再考を促す精神史の名作である。

ごく最近落掌した山路勝彦『近代日本の植民地博覧会』は、ヨーロッパの「ミュージアムの思想」を日本がいかに朝鮮や台湾、関東州に向けたかを鮮烈に追うもので、今回、改めてこの『ミュージアムの思想』を併せ読み直すこととなった次第である。吉見俊哉『博覧会の政治学』もだが、こういう「エクスポジション」をめぐる政治学ということで、次回、もう一冊、名作を取り上げよう。

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2008年03月14日

『古代憧憬と機械信仰-コレクションの宇宙』 ホルスト・ブレーデカンプ[著] 藤代幸一、津山拓也[訳] (法政大学出版局)

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ブレーデカンプに新しい人文学への勇気をもらう

ホルスト・ブレーデカンプ(Horst Bredekamp、1947-)ほどその全貌を知りたいと思わせる書き手も少ない。マニエリスム奇園(ボマルツォその他)を調べても、ライプニッツの「組合せ術」を調べても、文学と図像の関係を追ってみても、ガリレオ・ガリレイの奇想科学を追ってみても、新しい人文学かくあるべしと考えてカリキュラムをどう立てても、どこかで必ずブレーデカンプの名に出くわす。日本ではさらによく知られたメディア文化学のフリードリヒ・キットラー星雲圏の輝かしい星のひとつであるらしく、そうした新しいドイツ人文学の核たるベルリン・フンボルト大学ヘルマン・フォン・ヘルムホルツセンターの最重要メンバーの一人だ。オーガナイザーとしてもこの頃実によくその名を聞くし、ブレーデカンプのキーワード「文化技術(Kulturtechnik)」は、新千年紀に改まって以降、急に活性を帯び始めた人文学全体のキーワードになった感がある。

とにかく、今後、人文学の人間の持つべきヴィジュアル感覚の模範といえる仕事をする。ライプニッツ・モナド論を記憶劇場、世界劇場という「演劇的」モデルで捉える。かと思えば、マニエリスム期の奇怪な彫版師ジャック・カロの何気ない図版に「サッカー」の起源を看取し、もともと厖大な図像の記憶庫でもあるらしい彼の「ヴィジュアル・アナロジー」を介して、いきなり奇態な図像学の本一冊ができあがる(ブレーデカンプのゲリラ的奇書『フィレンツェのサッカー』。訳者原研二氏が、好きで好きでたまりませんという面白い解題を書いている)。エルネスト・グラッシが開いたマニエリスム的映像文化論に応答する問題のライプニッツ論“Die Fenster der Monade”も原氏の訳で年内には日本語で読めるようだ(産業図書)。

実に目の離せぬブレーデカンプは、ぼくと同い年。感覚的に近い『想像力博物館』の荒俣宏氏とも同い年、ということになる。原研二氏はふたつ下。要するにドイツ団塊世代人文学の典型。

マニエリスム論の洗礼を浴び、ヴィジュアル蔑視の時代的抑圧を免れた最初の世代が「驚異博物館(Wunderkammmer)」「芸術博物館(Kunstkammmer)」にまず共通の関心を持つのは、当然だったのだ、と今にして思う。そのことが、ブレーデカンプの『古代憧憬と機械信仰-コレクションの宇宙』で、実によくわかった。マニエリスムの諸物収集空間がベーコン流教育哲学と共存しながら、ピラネージの時代に、いわば非合理が合理と分離される場に変えられていく経過を追う。訳者解説を見ると、この作品によりブレーデカンプは、1982年にハンブルク主催のアビ・ヴァールブルク賞を受賞したことになっているが、ドイツではホッケがやり、ノイバウアーがやり、『マニエリスムとロマン派』他のマリアンネ・タールマンがやったことのスマートな整理以上のものには見えない。ほぼ同じ頃、同じことをスタフォードが『ボディ・クリティシズム』でやったアメリカでは、みんな驚愕してブッ飛んだ。さすがにイタリアはエウジェニオ・バッティスティやアダルジーザ・ルーリがいて、先進のレベルを行っていた。

いまや凡百の、という形容詞も必要かとさえ思える驚異博物館研究ブームだが、その中に改めて置き直してみると、やはりブレーデカンプによる本書は一段出来が違う。四六版162ページといえば小著の部類だが、エッセンシャルだ。集められる珍品にアレがある、コレがあるというカタログ部分に興のあるジャンルではあるが、17~18世紀の(フーコーのいわゆる)「エピステーメー」発現としての収集・分類空間としてのヴンダーカンマーのありようを示すという骨格に収斂させようとして、どうでも良い瑣末なデータはぎりぎりカット。古代憧憬と機械信仰という組み合わせでマニエリスムを論じたイタリア人、マンリオ・ブルーサティン『メラビリアの技』の絢爛冗舌と比べて、なんとありがたいドイツ的簡潔。本格の論なのに、要するに新書クラスの紙幅。キットラーにしろブレーデカンプにしろ、そんじょそこらの人間とは次元が違う。

ブレーデカンプ的な部分は最後の10ページ足らずに集約される。「フーコーの砂像」「チューリングの『テープ』」なる短い文章は、新人文学を志す人は全部暗誦して然るべき名文である。マニエリスム論を今に生かそうとすると折り合い不可避なフーコーの「人文科学の考古学」への<否>が「いいの?」と言いたくなるほどバッサリで爽快だ。そして最後の数行。

デジタル化されたイメージの世界は、芸術史の知識なくしては評価できない。芸術史としても400年にのぼる歴史の中で、恐らくはもっとも重要な挑戦を受けている。芸術史はかつてクンストカンマーありきと確信しつつ、この未来の課題に出会うことになろう。

ちゃらちゃらとアニメ学科やマンガ学部を速成すれば事足れりといのでは、きっと長続きはしない。あるべき「芸術史」への明快な指標。ちなみに原書原題は「クンストカンマーと芸術史の未来」である。勇気をもらった。

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2008年02月15日

『ドイツ文化史への招待-芸術と社会のあいだ』三谷研爾[編] (大阪大学出版会)

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ドイツ文学かて、やる人、ちゃんとおるやないの

ドイツ起源の悠々たる文化史(Kulturgeschichte)を英米圏でマスターし、それをドイツ文化史の側へ恩返しし、カフカ研究を一新したマーク・アンダーソンの『カフカの衣装』(1992)は、例によって英米と独に相わたる上、完全に新しいタイプの「学際的」著作だから、邦訳が急がれるにしろ、一体誰がやるか興味津々だったところ、三谷研爾氏がおやりになり(共訳ではある)、鷲田清一リードによる大阪大学大学院文学研究科が新人文の台風の目になりつつある新しい地図の確かな拠点のひとつが、この人であるのかな、と思っていた。

「いまや若い人たちには縁遠い存在となってしまったドイツ」にもう一度関心を持ってもらおうというオーガナイザー三谷氏の言い分はわかる。ぼく自身関わっている幾つかの大学で、若い人たちの文学離れは目を覆うばかりのものがあるが、とりわけドイツ語がひどいのは何故だろう。思うに、研究者の独りよがりの怠慢と保守保身の感覚に一因があるのではないか。英語と違ってドイツ語は初学という学生がほとんどなのに、ドイツ語教師は、教師としての立場が保証されている(フランス語の世界でも、しばらく「知の最前線」をデリダやドゥルーズが「にぎやかし」ていたため、「頑張っている!」という幻想は確かにあった)ためか、全くサービス精神を欠いている。

部外者なりに見て、この十五年ほどドイツ人文学の動向のスピードと絢爛は一寸凄いものがある。先回、菊池良生氏の最新刊に触れてそのことを書いたが、そうした動向の適当な紹介者がなかなかいない現状はあまりと言えばあまり。唯一例外が田中純氏だが、彼だって表象論の人。ドイツ文学・文化史研究者はどうなっているんだ。と思う時、必ず脳裡に閃くのが、『カフカの衣装』に目をつけた三谷氏のことである。

それで今回作。三谷氏含む12人が分担執筆して独墺を含む広大な中東欧世界の文化史を17世紀から21世紀の今に至るまで概観し、「ドイツ文化史」げ「招待」しようというフェストシュリフト(論叢)である。いろいろな事情から、論叢形式の本が大流行で、本欄でも既に何点か取り上げたが、結局はオーガナイザーの構想力と、分担決定のイニシアティブが成否を分ける。それが弱いと、ひょっとしてかなりのレベルの寄稿エッセーが孤立して死んでしまう。この点から言えば、この『ドイツ文化史への招待』は実に見事な成功作と見た。

序では「中東欧」という地域を設定し、「文化」とは「芸術を軸として作り手と受け手、制度、意識がたがいに関連して織りなす活動のまとまりをいう」とし、「社会と文化、政治と芸術がときに相携えて、ときに鋭く対立しながらすすんでいった歴史を、あくまで文化や芸術の側から考えて」いきたいと述べる。一見、誰にでも言えそうなことだが、なかなか。この枠組みがないと各論文は四散してしまう。

第一部は「市民社会」がつくられていく時に印刷メディアや発掘された歌や口承文化が果した役割をテーマに5篇。四分五裂の「領邦」が雑誌文化や読書の普及を核に統一されていくプロセスを巧く描いた吉田耕太郎「啓蒙のメディア」は、菊池氏の郵便論と重ねて読んだせいもあって、実によくわかった。活字文化とくれば口承文化は?と思うとちゃんと「声の始源」(阪井葉子)が用意されており、民謡の発見が「イデオロギー装置」としての混声合唱協会をうむというところまでくると、音楽をめぐるビーダーマイヤー期の男女差別の印としての「ピアノのある部屋」(玉川裕子)が扱われ、一見関係薄に見えた昔の女流博物図絵師マリーア・シビラ・メーリアンを巡る赤木登代論文(「近代への飛翔」)が扱うロンダ・シービンガーのいわゆる「科学史から消された女性たち」のジェンダー問題につながっていたことがわかる。書き手が互いに何をどう書いているか知悉して、前の章で誰が言っているように、というスタイルで書いているので、コントロールの利いたバトンタッチが行き届いている。巽孝之編集の論叢について言ったのと同じことを、三谷人脈と三谷編集にも感じる。メディアの介在がナショナリズム勃興に決定的だったドイツと言えば、真打ちはやはりワーグナーだろう。藤野一夫「祝祭の共同体」がそれを務める。

第二部は「中東欧」の「文化」といえば避けて通れぬユダヤ人の存在を、樋上千寿氏の明快な概論(「聖書の民」)と、同化ユダヤ人といえばこの三人と言うべき作曲家メンデルスゾーン(小石かつら「対話から同化へ」)、詩人ハイネ(中川一成「境界の文学」)、そしてカフカの簡素な評伝(三谷研爾「存在と帰属」)で構成。これだけ限られた紙数で同化ユダヤ人問題のほぼ全貌を洗い出せていることに感心した。

第三部はモダニズムから現在まで。11名の同志を打って一丸とする三谷という人の真の関心は、知性と知性の交流史――山口昌男氏流に言う歴史人類学的コロニー論――であるはずと思って読むと、三谷研爾「カウンターカルチャーの耀き」、それと雁行してフランクフルト社会研究所と亡命知識人について論じた原千史「越境する批判精神」がそれを担っている。「ドイツ文化史」と聞いて期待したドイツ文化圏に固有の華やかな知性交流史への期待が十分に満たされた。アドルノやホルクハイマーといったレベルでの交流のみか雑誌編集というメディア世界での「交流」がフォトモンタージュをうむ、とする小松原由里氏のハンナ・ヘーヒ論は『キッチンナイフ』一点に絞った細密な解析が楽しい。楽しいばかりでなく、フランクフルト社会研究所が味わった苦しみ(原千史「越境する批判精神」)や、統一後の旧東ドイツの人々が背負うことになった十字架(國重裕「オスタルジーの彼方へ」)についても、十分リアルに伝わってくる。

「招待」のレベルを遥かに超え、全体としてなぜ「公共圏」(ユルゲン・ハバーマス)というメディアの工夫を重ねての意見交換の空間が「中東欧」にとって死活問題だったかの歴史が、実によくわかった。滅多にお目にかかれぬこのレベルの概説書をドイツ語で「クルトゥーア・ライゼフューラー(文化旅行ガイド)」と呼ぶそうだが、その見本のような一冊。

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2007年12月28日

『クロモフォビア-色彩をめぐる思索と冒険』 デイヴィッド・バチェラー[著] 田中裕介[訳] (青土社)

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ロラン・バルトもバフチンもいろいろ

そうだなあ、詩人の平出隆さんとか写真家でキュレーターの港千尋さんあたり、色について書くとこうなるかな、というエッセー。お二人は偶然多摩美の同僚ということだが、「感性」ばかりか相当な「知識」もおありだ。この『クロモフォビア』はまさしくそういう本である。読み易いし、第一、小体(こてい)に見える本だから、肩に力を入れず気楽に読めばと勧めながら、「色彩が西洋文化の運命と一体」(p.27)とか、「色彩の物語には、たいてい何かしら黙示録的なものがひそむ」(p.72)といった基本的認識が決してぶれない壮大な文化論であることに、読後、改めて驚いている。

色を憎んだプラトニズムの長い伝統に、1660年代、ニュートン他の虹とスペクトルの光学が時代の<表象>革命に大いなる力を与えながら、「和音」好きのニュートンが複雑多彩の色世界を結局7色に整理してしまうことで、勢いを得た「他者」抑圧の伝統(つまり近代)が加わったが、1960年代、ウォーホルやイヴ・クライン、フランク・ステラらの全く別の色彩観によって完全に覆滅させられるのみか、あっさり二千色をうみだせる「色彩のデジタル化」によって、言語からの色彩の解放はなお進行中である、とする。

大枠から見れば、ワイリー・サイファーの『文学とテクノロジー』などに近く、ある意味「他者性の回復」をテーマにした予定調和本なのだが、考えてみると、色彩については従来、色<対>線ないし色彩<対>構図という二項対立の中でのみ思考され、色彩が「きわめて特異な他者」であったし今もあるという大きな枠組みでの議論は、この本が最初である。

日中の生活でも夜中の夢でも、私たちは色彩に刺し貫かれている。単に色彩に取り巻かれているのではない。私たちが色彩そのものなのだ。(p.100)

「色彩そのもの」であるはずの我々は、文字すなわち線と化して、色彩としての自らを落(堕)ちた部分、堕落した半分として切り捨て、その切り捨てられた部分は「他者」として「女性、東洋、化粧、幼児、野人、麻酔」といったものと重ねられてきた。というので、順次、女性として、東洋として、化粧として憧憬されつつ軽蔑されてきた色の世界が論じられていく。アンリ・ミショーのメスカリン、ハクスレーのペヨーテは猛烈に多色な幻視をもたらしたが、「麻酔」というのはそのことを指す。「色彩という麻薬」なのだし、エイズで死んだデレク・ジャーマンの見事な一文が引かれているが、「色彩はクイア」なのである。いま現在のポストモダンの批評風土に至る色彩の「黙示録」が、カラーが「隠す」を意味する「コロレム」という語に発し、ファルマコン(癒し)でもあったという古代から蜿蜒と語り起こされる。

小さい大著だが、兎角スタイルが良い。

 芸術についての本を書くことになると私は思っていたが、それは単にこれまで私の書いたものの大半が芸術についてのものであり、色彩についての本では芸術について言うべきことがたくさんあろうと思われたということにすぎない。そうはならなかった。書き進めるにつれて、芸術はどんどん遠ざかった。芸術理論と少なくとも同程度には、文学、哲学、科学に言及し、また絵画や彫刻以上に映画、建築、広告について言葉を費やした。これは充分に正当なことである。色彩は学際的なのだ。他で何かを「学際的」という言葉であしらうのには私は違和感を覚える。私は色彩の異様さを守りたい。その他者性には重みがあり、他者性の商品化には結びつかない。学際的なものが毒抜きされた反学問的なものであることも多い。色彩は反学問そのものである。(p.140)

結構だ。色彩論としても、(白というその名からしてぴったりな)シャルル・ブランという理論家の『デッサン技術の法則』(1867)を手掛かりにしただけでも貴重だし、ユイスマンスの退嬰小説『さかしま』にも、ル・コルビュジエの建築にも、「色」から見た全く意表つく別の文脈が与えられていく。ロラン・バルト、ミハイル・バフチンといった互いになかなかつながりそうにない現代批評の最重要人物たちの仕事が「色」をめぐって見事につながっていくのには目を瞠るばかりだ。バフチンの紹介者でもあったジュリア・クリスティヴァがキーになっているのは、彼女が「東洋」の「女性」であるからだ、とかとか、現代批評そのものが「色」というテーマで逆にぴたりと整理されていくのが絶妙。ヴィム・ヴェンダース『ベルリン・天使の詩』(1987)からなんと『オズの魔法使い』(1939)へ遡及する映像史中の色の議論もよくできている。

リチャード・クラインの『煙草は崇高である』以来の、成功した現代批評の実践本として珍重したい。前に取り上げたトム・ルッツの『働かない』にも通じる批評の達芸。

さらに「色」気が加わっているのは無論のこと。訳者は「高山宏」の仕事を「色」でまとめる面白い感覚の人らしく、訳文も洒脱。いかにもReaktion Booksの本らしい名作である。

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2007年12月11日

『時代の目撃者-資料としての視覚イメージを利用した歴史研究』 ピーター・バーク[著] 諸川春樹[訳] (中央公論美術出版)

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「視覚イメージの歴史人類学」にようやっと糸口

なにかと話題多い映画監督のピーター・グリーナウェイだが、その最新作『レンブラントの夜警』でもって2008年、「文化史」をめぐる動きは賑々しく始まることだろう。名画『夜警』に加えられる「解釈」という営みそのものを、解釈行為の極みたる一探偵(=画家)による殺人事件推理というテーマに映し出した、なかなかにウィッティな作品である。

徹底して画家の「目」にこだわるところからして、歴史家サイモン・シャーマの記念碑的大冊“Rembrandt's Eyes”が決定的なソースらしいことはまず間違いない。2008年のぼく自身の仕事がこの大著の邦訳刊行(『レンブラントの目』)で開始されることもあり、そして『魔の王が見る』はじめ、グリーナウェイがなぜオランダ17世紀にばかりかかずらう「歴史映画」家たるより他ないのかをほとんど唯一、執拗に書いてきた身であってもみれば、どうしても歴史(学)と、歴史をヴィジュアルを介して考える作業との関係に思いを致さないわけにはいかず、随分以前からヴィジュアルを「史料」として大いに取り込む新しい歴史学の展望と問題点を一度総ざらえしてみたいと考えていた。ちょっと参考的に絵をカットして挿入というおそるおそるの感じではなく、全巻の三分の一、いや半分が図版で埋まる研究書を「ヒストリー」の名の下に連発する歴史家が、サイモン・シャーマやバーバラ・スタフォードのように、この20年くらいはっきりその数を増やしている。考えてみれば、この「ヒストリー・アンド・アートヒストリー」(コロンビア大学でシャーマが所属している学科名だ)の大先達二人をプロモートしているのがぼくというわけで、ぼく個人の知的関心のありかをぜひ教えてもらいたいという個人的な思いもあって、取るものも取り敢えず跳びついた次第である。

ピーター・バーク自身、そうした新しい歴史学の動向に沿った一人であるのだが、大変平衡感覚のある書き手だから、ヴィジュアルを抱えて突っ走るシャーマやスタフォードの大著群とは違って穏やかな教科書である。古文書類が史学確立のための「証拠」として使われてきたのと同じような意味で史料が「証拠」になり得るか、というテーマに本一巻割かれたのは本書が最初でもあり、ホットな挑発書(かつてのジョン・バージャーの“Ways of Seeing”;初版1972/邦題『イメージ』のような)というより、大人な教科書であるのが有難い。史料としてのヴィジュアルの魅力を言い、そしてその「落とし穴」をも冷静に分析し、その上で平衡のとれた「第三の道」を勧め、最後に芸術社会学がゆっくりとこうした「視覚イメージの文化史」、もしくは「視覚イメージの歴史人類学」に移行していくためにエキスパートが忘れてはならない心構えを箇条書きにしてくれるところで終わるなど、いいのかと思ってしまうほどクールである。

・・・私は読者が視覚イメージを、あたかも決った答えがひとつしかないパスルのように解読するための「ハウ・ツー論」だと期待して本書を手にしたのではないことを願っている。本書があきらかにしようとしたのはそれとは逆に、視覚イメージがしばしば曖昧で多義的だということだ。したがって私たちのアプローチにはあいかわらず誤読の落とし穴が待ち受けているのであり、視覚イメージを読まない方法を一般論化することの方がはるかにたやすいと考えられてきたのも道理である。一方、多様性も何度も繰り返されてきたテーマである。それは視覚イメージ自体の多様性のこともあれば、それらの証拠が科学史、ジェンダー、戦争、政治思想など異なった関心を持つ歴史家たちによって使用されたその多様性のこともある。(p.252)

この一文に尽きている。そしてフローベールの言とも、アビ・ヴァールブルクの言ともされる「神は細部に宿る」という言葉が全巻の締めになっているように、実にさまざまなヴィジュアルの細部読みをバーク自身やってくれる。17世紀オランダの画家サーンレダムが加速遠近法で教会内部空間を描いた「表象」的画家であることはスヴェトラーナ・アルパースの“The Art of Describing”(『描写の芸術』)でよく知っていたが、新教の教会たるべきなのに仔細に見るとカトリックの服装の人物たちが描き込まれているというのは流石のアルパースも見逃していて、そうかこれこそ偶像崇拝、偶像破壊を交互に激しくやった時代なのね、と改めて感心した。こういう具体的な例でのバークの読みが本書第一の魅力で、今まで取り上げた中ではダニエル・アラスの本の魅力に通じる。

それはそれで素晴らしいが、やはりピーター・バークと言えば、余人には手に余る20世紀「文化史」のサーヴェイができる、例えば(バークと非常に近しい気配の『クリオの衣裳』他の名企画者)スティーヴン・バンのタイプの大展望にこそ最大の魅力がある。本書でもそれが大きな魅力で、ブルクハルト、ホイジンガ、ヴァールブルク、フランセス・イエイツ等々、まるで文化史学最高の案内書、E・H・ゴンブリッチのTributesもかくやという壮大な展望をうち開く中に、パノフスキー、ヴァールブルク派の図像学とヴィーン派「精神史」の関係、クラカウアーの映像社会学、アリエス他の「感性の歴史学」、フーコーの表象論、サンダー・ギルマンのメディカル・イラストレーション分析、ギーアツによるヴィジュアル学批判、そして歴史学と美術史学の間と言えば出ぬわけにいかないカルロ・ギンズブルクの「徴候」論、言語テクストがヴィジュアルを束縛する「イコノテクスト」を論じ始めたピーター・ワグナーの仕事・・・と、ヴィジュアルを史料として新しい人文学を工夫しようとしてきた一大系譜学がこの一冊でほぼ通覧できる。当然、歴史を物質文明の細部を通して見ると一番ぴったりくるいわゆる「風俗画」ジャンルで光彩を放つオランダ17世紀がひとつの中核で、アルパース、エディ・デ・ヨンク、そして想像通りサイモン・シャーマが主人公の一人となる。

歴史学とカルチュラル・スタディーズの交わるあたりの整理も適当な分量配分で、「下層から見た歴史」、「読書の歴史」、女性史、そして「他者」史と抜かりなく、しかし差別のステレオタイプをつくり出していく当のものとしてのヴィジュアルを史料に用いることのややこしさという眼目に全てつなげていくあたり、やはりこの著者ならではの見事なフットワークである。歴史学と精神分析批評、構造主義、ポスト構造主義三者との関わりなど、少ないページ数でよくこれだけと思える的を射た簡潔な整理で、何もかも二項対立にしてしまう傾向、いわゆる言語中心の徹底という動向の中でのヴィジュアル侮蔑をきちんと押さえ、そろそろ翻訳刊行されるはずのマーティン・ジェイの“Downcast Eyes”に向けた恰好の露払い役にもなっている。

白眉は220ページから続く7、8ページ。歴史映画の「歴史」とヴィジュアルの関係を説くのにクラカウアーの映像論やヘイデン・ホワイトの「ヒストリオフォティ」論を押さえ、黒澤明やロッセリーニの映画の、歴史映画としての大きな意味を問うていく。『マルタンゲールの帰還』の史家ナタリー・Z・デーヴィスが映画のアドヴァイザーとして雇われることで、彼女自身の史学の方法が一変していくというエピソードが大変建設的、創造的だ。映画はその独自の細部処理によって、(1970年代以降、歴史家たちの間に流通した)「マイクロヒストリーの形成にも貢献」したという指摘は大変考えさせるところが大きい。「羅生門効果」と呼ばれるそうだが、ひとつの事象を別々の個人やグループが別々の見方で見てしまうという曖昧さを映画以上に巧く剔抉(てっけつ)できる世界はない。「目立たぬほどのささやかな動きや、数多くのつかの間の行為からなる日常生活の全体像を明らかにできる場はスクリーン以外にはありえない」(クラカウアー)。となると、ポジティヴな史家ピーター・バークとしては当然「歴史の研究者たちがそうした映像の力を制御し、過去を認識するための映画を自分たちで制作すること」を提言することになる。「歴史家と監督が同じ言葉を使って協力すること」のメリットという現実的提案にはうならされてしまう。ぼくの周囲でこういう発想を一度として耳にしたことがない。

視覚の曖昧、不確定性をよく知った上で云々というクールな議論はダリオ・ガンボーニに通ずるし、視覚文化論と歴史学が交錯するあわいに新しいディシプリンがうまれてくるのを感じる快感は田中純の大冊にも似る。この快感を歴史学プロパーで追ったエグモント、メイスン(シャーマとギンズブルクの弟子たちだ)共著の『マンモスとネズミ-ミクロ歴史学と形態学』の併読もぜひに。

重くならないように啓蒙性が前に出た訳文はさっぱりして読み易い。この世界をメインにした革命的雑誌『リプリゼンテーションズ』を『ルプレザンタシオン』と訳してしまうあたり、少し底が割れたかな。

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2007年11月09日

『歪んだ建築空間-現代文化と不安の表象』 アンソニー・ヴィドラー[著] 中村敏男[訳] (青土社)

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空間はどきどきしている/風船だ、と歌う大理論書だ

先回紹介の『建築の書物 都市の書物』に取り上げられた、現代文化における建築および建築学の位置を知る上で必須の100冊の中で、とりわけ読者に直接手にとってみたいと思わせたに違いないのが、アンソニー・ヴィドラー(1941- )の『不気味な建築』(原題 “The Architectural Uncanny : Essays in the Modern Unhomely”、MIT Press)である。別の本の解説のあちこちに参照対象として顔を出すので、どうやらガチガチの建築論とは少し手並みが違うらしいが何もの?と思う。

ポイントは、フロイト以下の心理学、いわゆる精神分析学が成立した19世紀末ぎりぎりの時期から1930年代ハイ・モダニズムにかけての約半世紀に、モダニズム観念をめぐって建築学そのものが成立したことにある。これは偶然ではないとして、「建築心理学」なる面白いジャンルに分類されそうなこの名著は書かれた。

フロイトの論文『不気味なもの』(1919)は、この十年ほど人文学畑でたぶん一番読まれたものではなかろうか。英語では、というかヴィドラーの英語原書では“the Uncanny”という語が充てられる「不気味なもの」のフロイトによるドイツ語原語は“das Unheimliche”で、日本語化された「ハイム」ですぐ見当がつくように「家でない」「家らしくない」、ひいては「くつろげない」という意味の語だからして、家屋論・建築論、さらに風景論・環境論・都市論に横すべりしていかないわけがない。今考えてみると気の利いた人間ならすぐにでも着手しそうなアイディアだが、実にヴィドラーの『不気味な建築』出現まで、建築に潜む疎外や恐怖、不安を論じ切ったものはなかったから、建築好きの人文学の徒はなべて、即とびついたものである。その続篇が『歪んだ建築空間』(原題 “Warped Space : Art, Architecture, and Anxiety in Modern Culture”、同じくMIT Press)で、訳者後書きによると、二冊一緒になった形で出してもよかったとヴィドラー自身語ったそうだ。今回、この続篇を取り上げる。

「歪んだ」に当たる原語は“warped”で、襞(ひだ)になった、褶曲したという意味らしいから、当然ドゥルーズとガタリの思想、殊にドゥルーズの『襞』がフロイトとともに一方の拠りどころになっていることが予想されるが、実際その通りで、バロックを二階建ての館に喩えたこのドゥルーズの記念碑的バロキスム論を建築畑の人間はこう読む、ということが実によくわかる「スキン・アンド・ボーンズ」という一文など、今のところ最高の『襞』論になっている。

全体は2部構成になっていて、第1部は、19世紀末に爆発したさまざまな恐怖症――フォボフォビア(phobophobia [恐怖恐怖症])なんてものまでうみだすほどの盛況ぶり――が公共の建築空間における建設ラッシュと重なるのがいかに偶然などではなかったか、フロイトの心理学と、それを取り込んで美術史・建築史を記述する基本コンセプトとしたドイツ系文化史の丁寧な系譜(ジンメル、クラカウアー、そしてベンヤミン)考が積み上げられていく。ぼくなど迂闊にして、ジークフリート・クラカウアーが建築家あがりだという大切なことをいまさら知って、いろいろ納得がいった次第である。これにギーディオンの空間論、ヴェルフリンのバロック論といったスイス系の空間文化論が重なっていく呼吸など、『建築の書物 都市の書物』で手渡されたシンプルな見取り図にそのまま分厚い肉付けがなされていく感じで、実に嬉しい。先回に続いて今度はヴィドラーを読み進もう、と考えたのは大正解だった。建築を学び、建築をやるとは、建築の部材や技法を知るより何より、まず「空間」観念に目覚めること、というのが建築モダニズムの変わらぬ骨子である。この一見当たり前のことが思想としての建築を知る上でいかに決定的なことであるか、『建築の書物 都市の書物』は一に掛かって教えてくれたわけで、やはりヴィドラーの前に読んでおいてよかった。

深淵を前にした戦慄と言えばパスカルだが、建築モダニズムの論がパスカル伝中の逸話(ベッドや崖から転落していくという悪夢に憑かれていたそうだ)に発して、空間(真空)恐怖と広場恐怖の分析を重厚に進め、先ほど触れた建築心理学のドイツ文化史家たちによる見事なバトン・リレーを描き切り、そして、建築と映画の強い結びつきを論じる。最後はこれも意外ながらジョルジュ・バタイユの建築論を下敷きに、「空間は古典的視覚の法則によって建設されたベンサム流のパノプティコン(円形刑務所)を瓦礫の山にしてしまう」と言い、「空間(エスパース)」は何となく空間というわけでなく、人間の心理的な深みを抑圧して惰性化・自動化する建築群の(いわば軽佻な)空間をむしろ根底から衝つべき永遠に脱構築的、脱権力的な力の場である、とする。建築界の論客たちによる論文の中には、実は不十分な論が能弁饒舌に語られ辟易させられるものも多いが、この点だけ押さえておけばそうはブレない。ヴィドラーのようにそこが明快、というか強靭な論者は珍しく、極端な話、20世紀建築学・建築史についてはこの一冊で十分かという気さえする。それが人々の不安を反映し、人々に不安を与える現代建築の負の局面を論じた本であるというのが、皮肉と言えば皮肉である。

第2部は「不気味なもの」、「歪んだ空間」を意識化した建築や都市計画を、ヴィト・アコンチ、レイチェル・ホワイトリード、マーサ・ロズラー、ダニエル・リベスキンドなどの実作に即して検討し、現下のサイバースペースにまで説き及ぶ。ハードな議論だった第1部の内容がいたるところで解きほぐされていく親切な構成の中で、フランセス・イエイツ流の「記憶術」や、ドゥルーズ一人ではない盛んなネオ・バロック感覚が現代芸術の現場においてどう実現されているか次々とわかって、もはや人文<と>建築など、<脱>領域をうんぬんしている場合ではないと実感できた。

 ぼく等の建築には身体にかかわる
 平面図がない、だが
 心理的な平面図はある。
 壁はどこにも存在しない。ぼく等の
 空間はどきどきしている
 風船だ。ぼく等の心拍は
 空間になる。ぼく等の顔は
 アパートメントのファサードになる。

天体の翼のインスタレーションで有名になったウィーンの建築家集団コープ・ヒンメルブラウによる詩(1968)だそうだ。1960年代、文学をやって建築を知らぬことが許されなくなる時代の始まりだ。“Ut pictura poesis”[文学は絵画に倣う] ならぬ、“Ut architectura poesis”のあり得べき広い新人文教養を、焦眉の急務として促す一冊。

 なぜならぼく等は欲しくはないんだ
 ぼく等を不安にするような
 あらゆるものを排除するような建築なんて。

少し懸念しながら読んだが、実に読み易くて、あるところからは一気呵成だ。「正篇」、即ち『不気味な建築』を少々古いとはいえ推してもよかったが、やはりヴィドラーはこの続篇『歪んだ建築空間』から入ることを勧めよう。『不気味な建築』の邦訳が絶望的にひどく、ほとんど読むに耐えないからだ。フロイトの不気味なもの論を、ネタになったホフマンのゴシック小説『砂男』(1818)に、また、ポー、メルヴィル、ユゴーに遡り、その上でル・コルビュジエ以下のモダニズム建築に秘められた不安と恐怖の心理学をあぶり出した瞠目の一冊を、キーワード“mise en abîme”[入れ子状] を「破産状態」と訳し続けるような無教養によってただのお笑い種に変えてしまった大島哲蔵という人物を、ぼくはいまだに許せない。1948年生まれというからぼくなどとほぼ同世代で、日本建築学界の大立者である由。鹿島出版の雑誌『SD』に書評を頼まれた際、あまりの醜態(一番大事な「序」4~5ページ辺りの日本語を見てすっと読める人がいるだろうか。原文と対照して「採点」してみたら100点満点中、32点!)に、原書は画期的名著、邦訳は画期的悪訳と記さざるを得ず、そう書いたところ原稿ボツになった(ぼくがボツ出したのは30年間で、これともう一本のみ)。個人的に何も含むところないが、建築を文化史の方に開いて成功した稀有の名著が相手である以上、かく致命的な低レベルでの「紹介」は償いの必要な文化的犯罪だ。大島氏は『建築の書物 都市の書物』の中で『不気味な建築』の紹介役を務めている。他にもこの名著に言及している各紹介者が多いが、彼らがぜひ原語で読んでくれていることを願う。ボードリヤール論かまびすしい頃、ボードリヤール邦訳の軒並みの壮烈な誤り(大事な箇所で“en directe raison de”[に正比例して] を「直接的理由あって」と平気で訳すなど普通)を怒ったことがあるが、こういう訳本でのみ議論がやりとりされていることを考えると、ぞっとする。

大島氏は『建築の書物 都市の書物』において「未邦訳ブックガイド――ポストモダン以降/あてどもないリーディングに向けて」というページを担当して、ペレス=ゴメス(Alberto Pérez-Gómez)など褒めるついでに、「デニス・ホリアー」(Denis Hollier)がジョルジュ・バタイユの反建築論を主題にした『反建築』(“Against Architecture : The Writings of Georges Bataille”、MIT Press)を取り上げ、「その内容は実際に訳出しないことには何とも言えないが、訳者の列に加わる者の予感としては最も手強いテクストに分類される」と仰有っているので、ぼくは笑った。そんなに入れ込むなら、これが英訳で、もとはフランス語、著者はれっきとしたフランス人、前衛きわまるメタファー論などで高名なドゥニ・オリエ(Denis Hollier)氏であることくらい知っておいて頂戴よ、とうすら寒い気分になって編集部にそっと知らせ、皆さんお手元の再版本では「ドニ・オリエ」となっている、とひと安心していた。が、今回の『歪んだ建築空間』でも、バタイユの「空間」讃美の論が問題になる大層重要な局面で、これはドゥニ・オリエが出てくるなと思ってページをめくると、これが見事に「デニス・ホリアー」(p.220)。中村氏は“en abîme”については「入れ子状」と訳せている(p.236)のに、のにっ!この業界、大丈夫なんでしょうか。翻訳アラさがしの別宮提督(!)のように、ぼくはえらくはありませんが、それにしても、しても・・・。

今、レヴェルの高い一般読者が読みたい建築論は、このヴィドラーとペレス=ゴメスの二人なのだから、取り扱いにもっと神経を使って欲しいね。それに、ペレス=ゴメスを褒めるなら、大島氏推薦の『建築と近代科学の危機』(“Architecture and the Crisis of Modern Science”、MIT Press)より絶対、“Polyphilo”(MIT Press)だと思うけどなあ。それにしても、兎角全部 MITプレス。1980年前後から、この版元の本は残らず読んでます。

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2007年11月06日

10+1 series 『Readings:1 建築の書物 都市の書物』 五十嵐太郎[編] (INAX出版)

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あの『GS』テイストは今吹かれると一段と気持ちいい

当連載においてここ数回、一昔前に出た素晴らしい本が今年2007年に次々と復刊、重版され再び活字として読めるようになって、という紹介をしてきた。ぼくの趣味も当然あるが、シヴェルブシュの鉄道の19世紀文化史スティーヴン・カーンの19世紀末~20世紀初めモダニズムの『空間の文化史』安西信一氏の英国式風景庭園の18世紀論と、「空間」をキーワードに大なり小なり「建築」の歴史を考えさせるタイプの本が多い。

新千年紀到来直前の10~20年はいわゆるポストモダン各論が大いに盛んだった頃で、その中で一番早く、的確にポストモダンの観念を問題にした栄誉を担う建築――チャールズ・ジェンクスの『ポスト・モダニズムの建築言語』が1977年――が時代思潮の中核となる(普段のなにか理屈っぽく地味なあり方とは似ない)華々しい「言説」をもって跳り出てきていて、およそ「現代思想」を語るのにモダニズムからポストモダンへという建築学・建築史のイロハを知らないではいられないのだという、ほとんど強迫観念がうまれた。浅田彰一人なら何とか「ついていける」が、磯崎新が一枚かむと、もう途端に雲の上、というか拒否反応、というポストモダン・ファンは多かった。浅田氏を核にした伝説的雑誌『GS』ひとつとっても、大体が創刊号にユートピアという建築意志そのものの総特集を立て、ロザリンド・クラウスを本邦に初めて総力紹介し(結果、『GS』が日本の『オクトーバー』誌たらんとしているのだと幻想させ)、気鋭の伊藤俊治、彦坂裕といったところに思いっきり濃密な長大論文を書かせていた。

『GS』が思想誌としては例外的な社会現象となった1990年に生まれた若者がいよいよ大学に入ってくるなど、ぼくなどなかなか信じられない。笑うべき政治道化で終った黒川紀章氏が世界相手のスーパースター建築理論家だったことを知らないどころか、『GS』も浅田彰も知らない世代が登場してきた。

だからこそ、この本の重版は意味がある。初版が出て8年。いろいろ展開めまぐるしい建築学の世界だが、幸いこの間、何かをひっくり返すような理論的展開があったように(素人目にも)見えない(ところが問題か)。

表紙の惹句に「20世紀の建築・都市・文化論ブックガイド。」とある。片手に収まるかっちりした小体(こてい)な本にしては大胆不敵なことを謳うので、目次を見て、感心する。目次構成と流れが生命線という種類の本だ。本のどこにも書いていないが、これはズバリ、浅田彰の下で『GS』編集をやっていた人物がつくった本である。当時は未訳のハル・フォスター編『反美学』を知りもしなかったぼくに失笑した人物。建築の事典をブック・ガイドを口実に一冊編んだというべき本なので、言葉足らずの感は否めないが、確かに『GS』テイストで仕上がっている。

大枠、順に「西洋近代建築」、「西洋現代建築」、「日本近代建築」、「日本現代建築」、「建築史」、「批評」、「都市」、「芸術」、「文学」、「思想」となっており、大きな切れ目には、本のタイトルではカテゴライズしにくい文化他ジャンル(音楽、映画、写真・・・)と建築のつながりをカヴァーするエッセーを「コラム」として入れてある。ブック・ガイド本体も実に錚々たる執筆者が隙間なく並ぶが、『趣都の誕生』でブレークする前の森川嘉一郎氏がアニメ、ゲームと建築を論じたり、大島洋氏が「1968年の都市風景」に触れた「写真‐都市」など、コラムもみっちりである。

本当は目次をすべてここに引用したいくらいのものだ。最初の「西洋近代建築」を見ても、アドルフ・ロース『装飾と罪悪』、ル・コルビュジエ『建築をめざして』、ヴァルター・グロピウス他『バウハウス叢書』(1.国際建築/2.教育スケッチブック/3.バウハウスの実験住宅/4.バウハウスの舞台/5.新しい造形/6.新しい造形芸術の基礎概念/7.バウハウス工房の新製品/8.絵画・写真・映画/9.点と線から面へ/10.オランダの建築/11.無対象の世界/12.デッサウのバウハウス建築/13.キュービズム/14.材料から建築へ/別巻1.バウハウスとその周辺I-美術・デザイン・政治・教育/別巻2.バウハウスとその周辺II-理念・音楽・映画・資料・年表)、エル・リシツキー『革命と建築』、ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開』、ジークフリート・ギーディオン『空間 時間 建築』、レイナー・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』、バックミンスター・フラー『宇宙船「地球」号-フラー人類の行方を語る』、ヘンリー=ラッセル・ヒッチコック+フィリップ・ジョンソン『インターナショナル・スタイル』、ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築-アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』の10冊。ゲップが出るほど古典的と思うが、10冊の枠と言われれば、見事な選択だ。

もうひとつ、最後の「思想」グループの9冊。ベンヤミン『パサージュ論』(第1巻第2巻第3巻第4巻第5巻)、ハイデッガー『芸術作品のはじまり』、アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』『都市革命』、ロラン・バルト『表徴の帝国』、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』、ジル・ドゥルーズ『襞-ライプニッツとバロック』、吉本隆明『ハイ・イメージ論』〈1〉〈2〉〈3〉)、そしてフレドリック・ジェイムソン『時間の種子』。これ以上でも以下でもない最高の立項である。

アンソニー・ヴィドラーの『不気味な建築』が入った「西洋現代建築」のグループも、井上章一『法隆寺への精神史』のある「建築史」も、松浦寿輝『エッフェル塔試論』絶賛の「批評」も、レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』の「錯乱」と女の目線がしっかり地に足つけたジェーン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』が拮抗する「都市」も、とにかくそれぞれのグループが、あれもないこれもないという不満分子のつけ入る隙を与えない。ぼく自身も是非にと言って、「芸術」のグループにグスタフ・ホッケの『迷宮としての世界』について、また、「文学」のグループにフランセス・イエイツ『記憶術』のことを書かせてもらった。

「芸術」グループは、ヴォリンゲル『抽象と感情移入』、ハインリッヒ・ヴェルフリン『美術史の基礎概念』、エルウィン・パノフスキー『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』、ハンス・ゼードルマイヤー『中心の喪失』と続き、それをヴィーン派美術史からもヴァールブルク学派からも最高の恵みを受けたホッケのマニエリスム美術論が受けとめるという流れが、見事に目次の上に実現された。ホッケの名作は「迷宮」を謳うので分明のように、実はマニエリスム建築論なのだ。『マニエリスムと近代建築』のコーリン・ロウやアラタ・イソザキだけがマニエリスム建築理論家じゃあないよ、ね。ぼくの知人にジャンカルロ・マイオリーノがおり、ザビーネ・ロスバッハがいる。彼らのマニエリスム建築論には「ネオ」が付く。一方、「文学」の方は、『記憶術』の隣にイタロ・カルヴィ-ノ『見えない都市』が並び、前田愛『都市空間のなかの文学』を介して、ギブスンの『ニューロマンサー』とつながる。ううむ、この目次案中の「善き隣人関係」(E・H・ゴンブリック)は非常にインスパイアリングだ。

選ばれた100冊は思いついてバラバラにも読めるし(索引のないのが不親切だね、そうなると)、実はしっかりとあるらしい流れに沿って、あるまとまりをもって読むこともできる。いかようにも使える実に便利なハンドブックだ。

小説一本書か(け)ないでも小説理論家という人種はいくらもいて威張っているが、建築は実際に何かを造ってみせてなんぼという特異な世界だ。理屈がいつも、もの造りの「実体論」に揶揄されてしまうなかなか面白い世界の中で、たかだかこの100年一寸という建築「史」、建築「批評」が自虐的に理屈を尖鋭化していく様子が面白いし、痛ましい。建築後進国日本では特に、理論と歴史と批評が、貧しさと国家主義政治にさらされて実に危うい様子が改めてよくわかる(ヴィーン派などの「精神史」の入る余地は、まず限りなくゼロである)。『空間へ』の磯崎新、『風景を撃て』の宮内康両氏の全共闘時代の根源的な否定と、そこからアラタな模索をという状況そのものの仕事を、この本を読んでまず一番初めに読み直してみようと思うぼくもまた、基本的に貧しい文化の人間なのである。

巻末には索引がない代わりに、この100冊からさらに読み進むべき必読書1,000冊のリスト。勉強好きの『GS』テイスト、大爆発っ。

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2007年10月30日

『イギリス風景式庭園の美学-「開かれた庭」のパラドックス』 安西信一 (東京大学出版会)

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そうか、パラドックスを考えるのに庭以上のものはないわけだ

文化史家としてのぼくは、自分では娯しみのために何かの論を始めたつもりが、少し時間が経ってみると意外に大きな問題の糸口だったのかと知れてくる、といった位置づけにあるようで、たとえば小宮正安氏のヴンダーカンマー論など見て少しそうした感慨を抱いた話を前に記した。そのたぐいでは、俊才安西信一氏の博士論文たる本書などが代表的なもので、緻密に問題の所在が洗いだされているのを前に、自分が先立ってした議論がそうした繊細さを見事に欠いた大雑把な<暴論>でしかなかったことを思い知らされて呆然としてしまう。

主にイギリス18世紀について、それを今日際立って有名にしている特異な造園術の理論と実践を徹底して追った上、このテーマにとりついて離れぬ内と外の解決不能なパラドックス性という究極的構造を論旨に一貫させていて、一般になじみの浅いテーマながら紹介三昧から一挙に問題の核心へと、18世紀英国造園史研究が深まった感がある。博士論文と聞けば大体が今どき救いのない「紀要論文」の集積体で、おまけに研究助成の金をもらってというと、まあほとんど読む気がしないものが多い。その中で例外中の例外ともいうべき完璧のできばえである。

18世紀ピクチャレスク美学については、今年既に中島俊郎『イギリス的風景』が出て、この書評の場でも刊行の意義を言祝いだが、博士論文ゆえの執拗さと深い議論ということでは『イギリス風景式庭園の美学』だろう、懐かしいなと思っていたところ、2000年刊のこの本が名著復刊ブームに乗って重版され今年拝めることになったので、そのたぐいの本を3、4冊取り上げ続ける中、ぜひ取り上げ、改めて意義を顕彰してみたい。

最近の流れで言うと、大歴史家サイモン・シャーマの名著“Landscape and Memory”(1995;Hardcover1996;Paperback)を訳しながら(『風景と記憶』)、17世紀英蘭戦争当時、海戦維持に必須の材木確保ということから一大植林ブームがあり、中でもジョン・イーヴリンの『シルヴァ、或いは森林論』(1664)が問題と知らされ、おざなりなピクチャレスク造園論を概術してきただけという純粋培養の「美学者」タカヤマ・ヒロシは大きな衝撃を受けた。ピクチャレスク造園論自体、建築史家デイヴィッド・ワトキンの『イングリッシュ・ヴィジョン』の出る1980年代初めまで英本国にもロクな研究がなく、驚異や好奇ばかりを狙うこの不思議な作庭技法を、文字通り美意識の問題として追うばかりで、いろいろ切り口をつけたように言われるぼくの『目の中の劇場』にしろ『庭の綺想学』にしろ、時代のリアルな経済との関連で庭園史をきちんと記述する作業を怠ってきた。

なにしろピューリタン革命から名誉革命、立憲君主制確立にいたる弩級の「政治の季節」であった時、そこで精密化されていった庭園理論が「政治的」でなかったわけがない。たとえば遠近法という視線のあり方にしても、初期絶対王政期の馬蹄形の私設劇場に採用されて以降、政治の道具と化す。名著『政治的風景』でマルティン・ヴァルンケが列挙してみせたこういう風景政治学の最もけざやかな局面こそ、18世紀英国“horticulture”[造園術] に他ならない。ホイッグ党が政権をとると即トーリー党の庭師を解雇して自派の庭師を入れてまず庭をいじらせる珍妙な「風景政治学」があったことは、ぼくも取り上げて論じたが、ここまで風景と政治、そして経済といった「活動的生活 vita activa」が、じっと緑蔭緑想に耽って人生を、世界を考える「観想的生活 vita contemplativa」の場とされてきた庭に完璧に入り込んでいたのかと、改めて驚かされる大著である。

問題は1960年代に発する。最近落ち目の英文学研究だが、『英語青年』誌最近号でその救済者然と扱われている「文化史」的英文学再編制も、ぼくの仕事を引いてキーパースン圓月勝博氏が言うように、この界隈が当然主標的たるべきだ、とぼくは思う。一言もそうは言わずに安西氏の一著、アーリーモダン英国の「文化史」、もしくはカルチュラル・スタディーズの模範的鴻業となり得た。

史料に遺漏のない点は驚くばかりで、一次資料の博捜、普段顧みられることの少ない原テクストの読み込みはおそれいるし、有難い。ピューリタン革命時の、エデン神苑復興(『エデンの園』のジョン・プレストによると、王政復古とのみ訳される“restoration”は、当時かなりの人に神苑「復興」のニュアンスで受け取られていたという)プラス千年王国待望思想が育んだ庭園讃歌から、アディソン、ポープの二大蝶番を経て、公的利益をも考慮した「シヴィック・ヒューマニズム」なる大人の感覚で英国庭園思想が草創されたのが、18世紀後半にピクチャレスク庭園にいたり、「ケイパビリティー」・ブラウン、レプトン、そしてラウドンの諸理論をくぐることで、内と外との緊張を失い、ひたすら内にオタク化していくか、全世界を自分の庭として取り込む帝国の病に冒されるかに堕していく。庭を通して見た近代帝国成立のドラマが、今までそういう目で見られたこともない庭園理論の中小テクストの徹底した読みほぐしで描かれていく。

「復興」と並ぶもうひとつのキーワードが「協和」であり、そして不可能と知りつつ「協和」を成り立たせる構造(特に「内」と「外」)の「パラドックス」である。副題が謳うように、「開かれた庭」のパラドックスが、まさしく現代の「表層化したピクチャレスクの視覚習慣」を引き摺るランドスケープ・アーキテクチャーや環境芸術の中で危うくも解消されつつある。こういう危機意識が一篇の「博士論文」を、読書子一般が読み込むべきアクチュアルな作に変えた。

 特に庭園について問題なのは、その範囲が拡大し、内部と外部の差異がなし崩しにされることで、美的な貧困化・画一化・平板化に陥る危険である。単純に考えても、大規模な環境設計は自然の美的潜勢力(土地の精霊)を無視する確率が高い。さらに今、世界を席捲しているのが、表層化したピクチャレスクな風景式庭園であるならば、それは往々にして物の実体性を捨象した、単なるグラフィックな表面形式の偏重に陥ろう。そこにはもはや自然と人工の拮抗も、公共圏と私圏、有用性と美の力動的緊張もない。残ったのはただ、基本的に私的な住まい・レジャーの快適さと、それをも呑み込む肥大した私的商品経済である。こうした造園がどれほど拡大しようと、私的利害に貫かれた企業や行政機関等の巨大組織を巻き込むのみで、時間とコストを最小限に切り詰めたものにならざるをえない。その結果われわれが見るのは、暴力的に刻み込まれた貨幣の模像である。(p.245)

あまりに博士論文的予定調和の「危機ぶり」結論かもしれないが、それを導き出す一次資料のこれまた博士論文的な徹底して細かい読みの魅力が大きい。今や「文化史家」と化した感ある英文学者、富山太佳夫氏の言う「文化と精読」という文化史に必須の両輪の絶妙な動きの模範を、ここに見る。

17世紀英文学のキーコンセプトは暴力的「外」と対峙する度はずれた「内」の弁証法だと確信し、今、ロザリー・コリーの『パラドクシア・エピデミカ』(1966)を改めて訳し始めたぼくは、コリーが1660年代に庭の詩をいっぱい書いた詩人アンドルー・マーヴェルのパラドックス偏愛に堂々一冊の研究書を献げていたことを思いだし、天才的英文学者、故川崎寿彦氏の『マーヴェルの庭』を思いだした。川崎寿彦氏と並べ、「高山宏」の名を先蹤として顕彰している「あとがき」。今どき偉いっ。

次回はこの勢いで17世紀英国のパラドックス研究の本を、もう一点取り上げるつもり。

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2007年10月26日

『空間の文化史』(時間と空間の文化:1880-1918年/下巻) スティーヴン・カーン[著] 浅野敏夫、久郷丈夫[訳] (法政大学出版局)

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第一次大戦は「キュビズムの戦場」だった

ヴォルフガング・シヴェルブシュに次いで、今一番あざやかに文化史の現場を伝えてくれる相手としてスティーヴン・カーンの名をあげたい。随分前に文化放送開発センタ-という聞き慣れない版元から『肉体の文化史』というカーンの本が出たが、地味な宣伝が災いして、得て然るべき評価が得られなかった(現在、法政大学出版局りぶらりあ選書に収録)。それが、法政大学出版局から、『時間の文化史』『空間の文化史』、そして『愛の文化史』(〈上〉〈下〉)と続々と訳され、読者の好評に迎えられた勢いで再刊されたりしたので、その気になれば、この優れた文化史家の仕事は、その全貌を日本語で読み知ることができる。

ぼくも、マラルメの詩『賽(さいころ)の一擲』の活字を取り巻く空白部分を、同時代のコンクリート工法による斬新な空間処理と並べて論じるカーンのぶっとんだ議論にすがって、拙著『世紀末異貌』所収の長いマラルメ論を書いてこの方、この人の仕事は大好きで、ずっと追い続けてきている。研究社からロンドンの前衛的出版社 Reaktion Books 刊の文化史の数点を選んで叢書として出す企画を立てた時、カーンの最近刊“Eyes of Love”(1996)に白羽の矢を立て、あまつさえ自ら全訳した(『視線』)。女が男に抑圧されてきた19世紀末以来の男尊女卑文化という図式が一般的な中、当時の多くの美術作品や小説中にしっかりした顔つきで正面を見据えるのはむしろ女の方が多いという現象が無条件に切り捨てられてきた不備と不公平を突き、ラカン心理学に拠るローラ・マルヴィー流の「見る男、見られる女」の二元論的ジェンダー視覚文化研究には偏りがあるとしたゲリラ戦の一書だった。唯我独尊の博読家ながら、作品は今や文化史のメインストリームにある諸書と何遜色ない。二冊も読めばどなたもはまるカーンだ。

シヴェルブシュの代表作と同じく、これも「書物復権」企画で、今年、久方ぶりに店頭で購えるようになった。ファン周知のように、もとは“The Culture of Time and Space 1880-1918”(Harvard Univ. Pr.、1983)として一冊本の大著だったものを、邦訳では前半を『時間の文化史』、後半を『空間の文化史』と二分冊化して刊行した、その一冊である。

一番近いのは、たぶんワイリー・サイファーの名著『文学とテクノロジー』、そしておそらくは『自我の喪失』の二冊である。19世紀末から20世紀初めにかけて、たとえばパースペクティヴ(遠近法)という外界の見方が実は普遍的なものではないことが暴かれ、むしろニーチェやオルテガ・イ・ガセー[ガセット] の有名な「パースペクティヴィズムの哲学」のような、世界を併存する多視点で眺める技術が哲学者に要求された。それがピカソ他のキュビズム美学やガートルード・スタイン等の文学作品にも顕著だというわけで、空間(空白部)の「積極的消極空間」としての評価――妙な用語だが、図に対して消極的なものと見られる地が実は大事とする評価の反転のことだ――を、オルテガ、ニーチェ、ピカソは当たり前として(サイファーは「きちんとした」文化史家らしく、ここまで)、びっくりするような広い守備範囲でやってのける。未来の文化史本の模範だ。

新しい構成要素としての否定性が広い範囲のもろもろの現象のなかに生まれてきた。物理学の場、建築のあき空間、町の広場、またアーキペンコの空無、キュビズムの相互流入空間、未来派の力線、舞台理論、フロンティア、国立公園、コンラッドの暗闇、ジェイムズの無、メーテルリンクの沈黙、プルーストの失われた時、マラルメの空白、ウェーベルンの休止、などである。こうしたさまざまな概念は、広範な領域の生活と思考から生まれ、また逆に生活と思考に影響を及ぼしたのであったが、ともかく、それほど多種多様な概念たちであっても、すべてに共通する特徴があった。従来は主役を補佐するぐらいの役割しか認めてもらえなかった、しいたげられた「空虚な」空間を立て直し、主役と同等に陽の当たる中心に据えたという特徴である。図と地、活字と空白、ブロンズとあき空間、それら両者が等価値になる、あるいは少なくとも意義深い創造に対して等しい貢献をするのであれば、従来のヒエラルキーもまたその価値の見直しにゆだねられる道理である。(pp.73-74)

哲学、物理学、文学、美術、技術、都市計画、群集とプライヴァシーの社会学と、まさしくカーネスク(カーン流)とでも呼ぶしかないおびただしい分野を次々横断しつつ、「空白」に続いては、「形状」が曖昧になる傾向、「距離」が無化されつつ、心理的には逆にいよいよ乖離の生じる傾向、そしてついには上から下へ、東方へと動く視線の「方向」がテーマとして次々に論じられていく。そして引き合いに出されるのが、国家の地理的位置、国家と国家の間の距離と国力の関係を扱う地政学になったところで、当然のように帝国と帝国主義の問題にも相渉る。マルクス、フロイトまでは付き合えても、流石のサイファーもここまで論はのびなかったはず。

カーンはそこまで至っても満足しない。こちらの分冊では当然メインのテーマではない『時間の文化史』の内容をも反映しながら、論の一切が、西欧史上、その時空に生じた最大の事件たる第一次大戦の戦場にと流れ込んでいく。外交処理があまりに高速大量の電信による情報の錯綜についていけなかったがための惨事であり、兵が互いの顔も知らぬ間に殺戮し合う未曾有の長距離砲の恐怖こそがそのポイントたるこの大戦争は、諸分野をひとつひとつカーンがたどってみせてきた時間と空間をめぐる同時代文化の諸相すべての総合的表現であり、行き着くべくして行き着いた凝集点であったことになる。空爆の飛行士が地上を見下ろして目にするであろう風景にガートルード・スタインはキュビズムを見、兵の迷彩にピカソはキュビズムを感じたが、そうだとして別にびっくりすることではなかったのである。

「肉体」や「愛」をテーマとするカーネスクな文化史も結局、第一次大戦がポイントだった。女たちが従軍看護婦となることで、女がはじめて男の身体をナマで見た、その経験が一切を変えたと言うのだ。考えてみればまさにその通りだが、コロンブスの卵である。ゲルニカの悲劇を描くピカソと、そのゲルニカ空爆をうんだ戦争機械が、「時間と空間の文化史」の同じ地点に立っていることの発見には、アッ!と言う他ない。見事な目次構成である。

カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)や文化史(Kulturgeschichte)本格始動の1980年代、その出発点にしてもはやピークというべき名著をこうして偶然、二点続けて扱えた。着眼そのものの大胆さではシヴェルブシュに、次々出てくる材料や人名の遺漏のなさではカーンに軍配が上がる。当該テーマを追求するにこれは落とせぬという材料が、まさしく残らず出てくる有難い本だ。そういう厖大な材料同士がアレヨアレヨという間にどんどんつなげられていくのは、また言うが、批評的マニエリスムの驚異というべき作である。天才もいいけど、秀才もすてがたいなあ。

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2007年10月23日

『鉄道旅行の歴史-19世紀における空間と時間の工業化』 ヴォルフガング・シヴェルブシュ[著] 加藤二郎[訳] (法政大学出版局)

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マルクスもフロイトもみんなみんなレールウェイ

文化史を名のる本の例に漏れず注が充実して面白いので、そちらを読むうちに、シャルル・ボードレールを「チャールズ・ボードレール」とした表記に繰り返し出合うので、その程度の訳なんだと思った。その通りで本文訳はまずい。かなり直訳体の生硬な訳である。が、読めてしまうのが不思議だし、結構長年の愛読書のひとつである。初めて翻訳で読めたのが1982年。「文化史」とはどういうものか、このアプローチの未来における大きな可能性を学生に示そうにも、これは凄いと思える成功例がなくて困っている時、この本に出遭った。やがて店頭に姿を見なくなってからは重要な文章をコピーして学生たちに配るのが不便で嘆いていたら、今年で11年目となる9出版社共同の名著復刻企画「書物復権」対象書目として、法政大学出版局から、もう一冊のシヴェルブシュ本(『楽園・味覚・理性』)邦訳とともに再版されたので、喜んでとりあげてみたい。二著とも絶品だ。

初めて邦訳が出た時に「北海道新聞」から書評依頼があり、メインタイトルからして何故ぼくに、と訝しんだ。当時大学で同僚で、知らぬ人ない鉄道マニア、小池滋氏にまわるべき仕事と思った。まして「19世紀における空間と時間の工業化」なる副題をみると、小池氏ですら一寸ちがう位だ。だが、ぼくの興味やアプローチをよく知るつもりだと言い張る書評欄担当記者は、いやいや、先生向きと確信しますがねと仰有る。それで引き受けたのだが、その後のぼくなりに築くはずの文化史の行程を思うに、記者氏の功績や大だ。

兎角面白い。このシラけた題や副題にだまされて手を出さなかった人たちに、兎角読めと改めて勧める。19世紀欧米の文化諸相をひたすらに鉄道網の敷設、汽車とくに客車の工学的特徴など、「鉄道」の一点から次々と説き直していく。着眼点さえ見つかれば百年単位で複雑きわまる「文化」がひょっとして丸ごとわかった気分になれる、おそらくはいずれ「文化史」と呼ばれるであろうアプローチの醍醐味を、いきなりこの本で知ったが、当時それに匹敵し得るべきものとしては、エンゲルハルト・ヴァイグルの『近代の小道具たち』(青土社)があり、避雷針といった工業的な何かを手掛かりに近代文化史の魅力を存分に伝えていた。

ドイツの人文学に何か新しい感覚が芽生えつつあるということを伝えるこの二著は、しかし独立した読み物という限りにおいて「面白い本」という評価を得ただけで、大きな学問的胎動としては見られていなかった。それが2007年の今、ドイツ「メディア革命」というメディア論的学の再編成構想の十年を経て、厖大なアウトプットがはっきり21世紀型の文化史、文化学の一大星雲を形成し始めるのを前に、息呑みつつ、ジンメルやベンヤミンをさらに具体化し、面白い読み物にして媒介してくれたヴァイグルとシヴェルブシュの先駆性に改めて驚き、感謝する。

19世紀が鉄道ブームの一世紀であることを疑う者はいまい。産業革命のシンボル的存在だ。まさしくその産業革命の成果たる「工業」的所産としての蒸気機関車や客車、そしてレール敷設の解明が前半を占める。馬から蒸気機関車へ移る時の問題(今なおエンジンの発動力は「馬力」と呼ばれる)からはじめ、欧と米とでは鉄道文化が実はまるで逆の展開を遂げたということまで、創見の鋭さを印象づけない一章だになし。物からアウラを奪っていく「商品」の構造が、「空間と時間の抹殺」をもたらした鉄道システムになぞらえて翻訳されてみると、こんなにも分かり易いものなのか。あるいは精神的トラウマを言い、その療法をめざすフロイトの臨床心理学が、鉄道事故のもたらす外傷なき神経傷害への研究と表裏だったと言う。こうして19世紀末に社会を見るための二大理論と鉄道がこうも密接に関係していることを諄々と説き明かされてみると、もはや学知そのものが一種マニエリスム的組合せ術とさえ思えてくる。ぼくなど常々、死に体(たい)の現行人文学にマニエリスムをと言い続けてきたが、シヴェルブシュは好個の見本と言える。

が、圧倒的に面白いのは後半である。一つはもともと軍事用語だった「ショック(Schock)」という概念が、自らも間断なく振動をうむ厄介な機械でありながら、伝説的ともいえる緩衝機構のモデルにもなったプルマン・カーをはじめとする、豪華なインテリアでも知られる名作列車の構造を通して語られる部分。直近被弾による発狂(いわゆる「シェル・ショック」)とフロイト理論が第一次大戦を背景につながる、とする辺り、うならされる。

フロイトがノイローゼの性欲原因説を発展させていた満ち足りた平和の時期は、トラウマ概念の心理化と同時に、その概念の空洞化を押し進め、そして本来のトラウマ概念を彼に思い出させて、これに関心を抱かせるためには、世界大戦という現実の外傷的集団体験が必要だったのである。19世紀に、もし鉄道とその事故とがなければ、鉄道性脊柱および外傷性ノイローゼに関するショック理論が考えられなかったように、もし世界大戦がフロイトの体験の背景としてなければ、大量のエネルギーによる刺戟保護の破壊に関するフロイトの理論も、同様に考えられまい。(p.185)

専門書の体裁をとっているから少し専門用語に慣れさえすれば、言っていることはこういう大枠からさまざまなディテールまで、実にほとんど知的手品じみて面白い。

新しい概念間の組合せがうむ面白さ――差し当たり、文化史の魅力と呼べるもの――は、百貨店および現代的な「流通」と、駅、鉄道とのパラレリズムの説明で頂点に達する。

車室から見られるパノラマ的眺めは、物的な速度の結果ばかりでなく、同時にそれは鉄道旅行が質的に新たな装いで商品になったという新たな経済関係の結果として理解すべきものなのだ。鉄道旅行における風景の消失とパノラマ的再生とは、それゆえ構造的に百貨店における商品の使用価値としての姿の消滅に相当する。駅につけられた都市名は、商品に値札を張りつけるのと同じ過程を示すものである。(p.241)

たちまち風景論、パノラマ論、百貨店論に分岐発展させていくことができる重大概念錯綜のマトリックスと言うべき見事なまとめではないか。この「百貨店」および「流通」と題されたごく短い文章(pp.234~245)は、19世紀文化史(Kulturgeschichte)を志す者、その全文をしかと暗誦して然るべき卓絶した霊感に満ちた部分であろう。

そこでも、「百貨店の商品の外見と、鉄道の車室から見られた風景の外観という、この全く異なる二つのものを」結びつけることで全てが始まる。そう、文化史はマニエリスムを対象とするだけではない。自らアルス・コンビナトリア実践と化したマニエリスムそのものだということを、この本は教えてくれる。

ここまでやられると、鉄道文化史はもう先がないかと思っていたところ、David Bell, “Real Time:Accelerating Narrative from Balzac to Zola”(Univ. of Illinois Pr.)が出た。バルザック、スタンダール、デュマ、ゾラにおける馬車、電信、鉄道を、ミッシェル・セールの英語圏における第一弟子を任ずるベル氏らしくさらに熱力学を加えて論じる。仏語圏のテーマを英語でというので、おそらく独文の人たちは知らないはずと思い、老婆心でベル追加といこう。

次は全く似たような流れでスティーヴン・カーンの名作だ。

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2007年10月02日

『愉悦の蒐集-ヴンダーカンマーの謎』小宮正安(集英社新書ヴィジュアル版)

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ヴンダーカンマーを観光案内してくれる世代が出てきた

16世紀という不思議な時代の「手」と機械――職人たちのマニエリスム――というテーマで取り組んだ本が、少し見方を変えると期せずして一シリーズとして出てきた動きにつき合ってきたが、その仕上げにぴったりという一冊が、ぴったりのタイミングで読める。それが今回とりあげる『愉悦の蒐集-ヴンダーカンマーの謎』

山本義隆『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉)、また『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』が少々ごってり没入させる大冊であったのに比べると、先回の『ダ・ヴィンチ 天才の仕事』同様、図版フルカラーでとかく見せる/魅せる。16世紀――もう少し今に近い側でいうアーリーモダン――を徹底して見せようという美しい本で、視覚的インスピレーションの宝庫というだけでも一冊買って手許に置いておきたい。これが千円というのが一昔前では信じられない。印刷文化の進歩と新書ブームのお蔭だ。

この書評シリーズでも執拗にチェックしてきたヴンダーカンマーの文化史のさまざまな側面をほとんど余さず要領よく整理してくれるのが有難い上に、今時の美術館めぐりガイドブックのノリで、著者自身がヨーロッパ各ヴンダーカンマー巡礼をして、それぞれの現在のたたずまいで紹介してくれているのが、類書(といっても、そうあるわけでない)に絶対ない魅力だ。ヴンダーカンマー研究書は、ぼく自身、一時かなり蒐めたものだが、肝心の図版類はどれもこれも似たようなもので、あまりインスパイアされることがなくなっていた。見たこともない視覚材料で網膜がおかしくなるのは斯界御大のパトリック・モリエスの"Cabinets of Curiosities"で、2002年。眺めて嬉しいという点では、小宮氏の本はお世辞でなく、それ以来の嬉しさである。文化史ファン必携。タイミングや良し。

驚異博物館と訳されることが多かった“Wunderkammer”は1964年、故澁澤龍彦の『夢の宇宙誌』に「妖異博物館」の訳語で登場し、盟友種村季弘訳のG・R・ホッケ『迷宮としての世界』(邦訳1966年)に「驚異博物館」の訳語として出て、1960年代末からのいわゆる澁種文化最大のキーワードということで、本邦読書界には結構いいタイミングで入り込んだのだが、この珍物収集施設に力を与えていたと例えばホッケが言う、マニエリスムのGeistesgeschichte(精神史)が学者の一部にアピールしだしたのは、やっと1990年代に入ってからのことだ。

ホール天上からでかいワニがぶら下がっている。互いに脈絡ない天然産物、人工産品、天然か人工かもわからない物が、カテゴリーも用途もよく見えないまま一見雑然と集められている。宇宙がそういうものだとするプレニチュード(充満)の神学的宇宙観から、16世紀から一世紀半かけて新旧両価値の大交代中に目覚める世俗的「好奇心」へ、という展開を時系列に沿って追う中に、そういう変化がこれ以上ない形ではっきり読みとれるものとしてのヴンダーカンマーの姿を浮き彫りにする。世界史だの哲学史だので認識されつつあるこうした「歴史」の知識も、見る素材、変わった手掛かりから見直すとこんなにも新鮮、という新歴史学の爽快味も伝わる。これが18世紀半ばの博物学、とりわけ分類学流行を経、ナポレオンの「略奪美術館」(佐藤亜紀氏の名著標題)を経て、ヴンダーカンマーが没落するところまで丁寧に追う。いずれ松宮秀治『ミュージアムの思想』(白水社)を取り上げるが、小宮本もミュゼオロジー(ミュージアム史)として長大な歴史的展望をちゃんと具えていて、図版の売りに引っ張られるばかりの軽薄書とは全然違う。

小宮氏は『オペラ楽園紀行』で集英社新書と縁を持った。オペラ狂いのドイツ文学者だから、ドイツが本場のGeistesgeschichteにいずれ展開せざるを得ない人種。ぼくの周りでいえばモーツァルト狂の原研ニ氏などの同族かと思われる。大体がヴンダーカンマー研究は、ドイツでは1920年代、1950年代に展開され、英米圏などはるかに遅れてやっと1990年代という形勢なのだが、その独語圏で最初にヴンダーカンマーをテーマにしたユリウス・シュロッサーが美術史でいえば「ウィーン派」だったというなにげない指摘に、小宮氏の持つ今後の底知れぬ広がりが窺える。同じウィーン派1920年代を牽引していたのが、ずばりマニエリスム概念を初めて打ち出した『精神史としての美術史』(1924)のマクス・ドヴォルシャック [ドボルザーク] だったことを考え併せてみれば、わかる。

そんな難しいことはよい。ドイツ音楽史家としての造詣が活きるのも、小宮氏の拠る奇著『グロテスクの部屋』(作品社)の原研ニ氏と同じだ。『ダ・ヴィンチ 天才の仕事』で一番驚かされたのは楽器をグロな怪物のデザインにしたという流行だったわけだが、怪物的世界を調和に変えるもの即ち音楽、という構造をデザインに寓意化したのだと著者に言われて、至極納得がいった。中でもびっくりしたのは「自動作曲機」のことで、次のようになる。

・・・宇宙を思わせる巨大な箱の中に、音の高低や長さ、和音を記したカードが入っていた。そしてそれらを自由に組みあわせれば、一つの曲が完成する仕組みになっていた。カードに記されている情報は人間が考え出したものでありながら、組みあわせの過程において多くを偶然性に頼り、人間の思惟が入り込む余地を排する。その結果、おそらく宇宙に鳴り響いているのと同じ音楽を、この世界の存在である人間も享受できるはずだった。
 自動作曲機も、現在からみれば過去の遺物にすぎない。だが一方で、実に現代的な発想のアイテムでもある。情報の組みあわせによって、一篇の曲が出来上がる。それは、コンピュータが自動作曲する様を彷彿させるだけではない。機械が自動的に筆記をしたり作曲をしたりするというアイディアは、20世紀のシュルレアリストたちにとってもインスピレーションの源であり、現代のアート・シーンにも大きな影響を及ぼしてきた。
 ヴンダーカンマーの音楽コレクションに込められた、世界の調和、宇宙の調和への想い。それは、形を変えながらも、尽きることのない力を保ち続けている。
(p.76)

ヴンダーカンマーがマニエリスムのアルス・コンビナトリア原理でできていることを音楽を通して説いた面白い一文で、現代とのつながりも意識されている。ガイドブックというなら、その域を超えている。

と、そこまでは感心一途なのだが、参考文献にどうしても少し文句がある。1990年代いっぱい、このテーマの欠落を一人で補ってきたつもりの高山宏のかなり多量なはずの材料に一言の言及もないのは、度量の狭さか、ただの無知か。エルスナー、カーディナルの『蒐集』はどうしたのかな?1969年という、このテーマの未来にとってなかなか印象的な年に生まれたこういう新世代のためにという一心で訳したスタフォードの『アートフル・サイエンス』にしても、ウィーンの薬種屋のキャビネットに生じたヴンダーカンマーの最期を扱い、まさしく小宮正安のような人のための材料提供だったのに、この無視もしくは無知って何だ。無念である。パトリック・モリエスの驚異博物館論は見たのだろうか。あるいはアダルジーザ・ルーリの(挙げられているものより後の)遺稿は?ルーリのこの本はたぶん小宮書のデザイニングに影響あったはず、そう、R・J・W・エヴァンズは?

ま、望蜀の妄言か。自らの足でヨーロッパに飛び、自らの目で見てきた絶対の強みは、爽やか、かつ貴重だし、参考資料書目の最期にウェブサイトが紹介されるあたり、この世界にも当然の新世代の風だ。老兵去るべし!原とか小宮といった人たちに、いま爆発中のドイツ「メディア革命」の息吹きをどんどん伝えてほしいなあ。

それにしても「現代版人間ヴンダーカンマー」こと編集者椛島良介って、どういう人なんだろう。アラマタの他にそんな人、いたんだ!ヴンダーバール!

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2007年09月25日

『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』池上英洋[編著](東京堂出版)

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レオナルドを相手に本を編むことのむつかしさ

山本義隆氏の大労作『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉)の読後、その勢いのまま読むに格好の大冊が出た。レオナルド・ダ・ヴィンチの「多岐にわたる活動を、あますところなく網羅したはじめての<レオナルド全書>」(帯の惹句)たる本書である。前書きも何もなくいきなりレオナルドの解剖学、レオナルドと数学・・・と、理科系のルネサンス文化史において、文献一本の先行史がレオナルド・ダ・ヴィンチ[以下レオナルド]の「詳細な観察と計測」しか信じない態度によって一撃くらい、文化が大きくガリレオの時代に向かって舵を切られていくことをいう各論は、世紀のとば口にあっていきなり「十六世紀文化革命」のヒーローたるべきこの天才の姿を浮上させる。

三部構成で、第一部「自然科学」、第二部「芸術」、第三部「人と時代」として、各部が「解剖学」「数学」「工学」「天文学と地理学」というふうに、また「絵画・素描」「音楽」「演劇」「彫刻」という具合に細分化されて、全部読むと、改めてアルベルティやレオナルドといった、一人で百学連環をやり、アルベルティはそのうえ第一級のスポーツマンたり、レオナルドは結婚プランナーまでやったというような万能ぶりを可能にしたルネサンスとは何だったのか驚く他ない。こういうの、「普遍人(homo universalis)」といった。細分狂いの現代からは夢の夢だ。

圧倒的に面白いのは「レオナルドと工学」の田畑伸悟論文。全員大学関係者の中、唯一、日本アイ・ビー・エム株式会社勤務の現場人感覚がはつらつとして、ぼくが人文系読者のせいもあろうが、あっという指摘多し。なんとなく工学者レオナルド、技術者レオナルドというのでなく、工学と技術の観念規定をはっきりさせたうえ、この両者の間を自由に行ったり来たりできつつ、しかしその生彩は「物づくり」の技術者としての方にある、という論旨は明快極まる。「現場」ふうの言い方では「品質向上、大量生産、コスト削減」に意を用いる卓抜せる「問題発見能力」と「問題対応能力」というような評価になるらしいのだが、そういう議論が、「技術者の需要が高い状況では技術者として、技術者の需要が低い状況では芸術家として振る舞った人生」という、他の論者がもてあまし気味の万能天才の多面ぶりをあっさり総括しきる視野と修辞の見事さを以って、この論文が、欠落した序章を補う完璧な序文。二度目読む時はここから入る。

工学におけるレオナルドの第一歩は、機械を機械要素という機能単位に分けて論じたことにある。機械は、様々な部品の組み合わせで構成されているが、どの機械にも共通した要素ごとに機能性をまとめておけば、それらを組み合わせることで様々な新しい機械を容易に製作したり、他の人間に説明したりできるはずである。だが中世までの世界では、機械ごとに説明されることはあっても、機械と機械の共通点について論じられることはなかった。機械要素は、その時代の技術レベルに応じて様々なものが考えられるが、レオナルドの時代には、歯車、ネジ、梃子(てこ)、くさび、滑車、輪軸、バネ、カム、リンクなどが存在していた。(p.64)

こういう「機械要素の認識」によって「機械の動作の数値的な定量化が可能となり、機械の複雑化と効率化を可能にしていく」ことになり、「このような技術の一般化と集成が、その後の工学の体系化という方向へ繋がっていく」というふうに田畑論文はまとめられるのだが、本人識らぬ間に、16世紀マニエリスム文芸を支配した“ars combinatoria”[組み合せ術]を工学的に説明しおおせている。「ちなみにレオナルドが生きていた時代、彼に対する呼称はイタリア語で“ingegnere”、あるいはラテン語で“ingeniarius”とされていた」というさりげない指摘までが、今やその中で<文>と<理>が重なろうとしているありうべきマニエリスム文化論の人間にとっては泣いて喜ぶ一撃なのだ。ご本人がそういう脈路を知らず坦々と語り進むのが爽快だ。

レオナルドの天文学・地理学を扱った小谷太郎エッセーも楽しい。自分の論は「正直いって心許ない」が、自分は「はっきり言って無知」だから、「開き直って」「きままに」書くなどと言いながら、レオナルドという「難儀な性格」のうんだ「まちがいだらけ」の手稿相手に「筆者はもう疲れました」と笑わせておいて、「その思考に瞬発力はあるが持続力はなく、記述にひらめきはあるが首尾一貫していない。月や太陽の光についてすぐれた洞察をしながら、発表せずに暗号のような手稿の中に埋もれさせてしまう。実験で理論を検証するという近代科学の原理を見通したようなことを述べながら、どうも自分ではあまり実験をしていない」等身大のレオナルド像は、他のどの論文よりもクールで説得力がある。

もうひとつ印象深かった一文が、レオナルドの「変形(strasformazione)」嗜好を言った金山弘昌氏の「レオナルドの手稿について」中のもので、とても楽しい。

このようにレオナルドは自らの眼による観察によって、多様な現象の中に統一的な体系性を見出していたわけだが、そのもう一つのわかりやすい例が「水」である。水のテーマは、彼の膨大な手稿の至る所、すべての分野に一貫して登場している。例えばそれは、機械工学・建築の分野では<モナリザ>の背景のモティーフとなったりする。しかし現実の背後にある共通原理を「類比」によって理解するレオナルドは、表面的な類比に留まらず、水が自然という大きな装置を動かす重要な要素のひとつであることを見抜いていた。彼は水の渦巻きからレダの渦巻く髪型を連想し、鳥の飛翔における気流が水流と類似した性質であることに気付き、河川などの水流が人体における血液循環と同一の原理に基づくことを直観する。そしてついには、宇宙論のレベルにおいて、血液が巡る人体と水が循環する地球が同様の有機体組織であると考えるのである。

すばらしい。「レオナルドの独自性をもっとも明白かつ詳細に示してくれるのが手稿なのである」とも言っていて、レオナルドの生涯にわたる「膨大な量のメモやノート、素描や図面の類」の一大集積体たる手稿相手なればこそ、こういう見事な批評が可能だと言いたげだ。

この面白さがそっくり第二部「芸術」の厖大ページの重さにはねかえる。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の大ヒットにもたれる形で、結局、美術史を名乗る部分のみ、相変らずア・プリオリに対象分野が確在するかの細々しい専門的議論にのめりこみ、学会で先行する大物連の仕事に敬意を払いつつの典型的な論文が次々と続くのである。ぼくが文系読者でどうしても理系・工系に甘く、なまじ遠近法と絵画の関係に詳しいが故の、こうした感想になるのかと考え、何度も読み直したが、第二部は全体におとなしい。専門領域の中ではそれなりの発見もあるのだが、第一部にみなぎった驚きには及ばない。

第三部では、フロイトによるレオナルド観が、文字の世界に難点持つレオナルドの発達障害の指摘ともども、いまさらながら面白いし、「レオナルドと近代日本」は資料的価値がある。

相手が細部と全体の関係そのものを生きた人間であることから、本書の編集ないし目次構成もが歴たる<内容>とならざるをえない困難な本なのだが、どうやら編者氏にその認識の緊迫感がないから、第一部「自然科学」、第二部「芸術」、第三部「人と時代」といった、今あるべきレオナルドと仰有りたい相手の像とはおよそちぐはぐな目次構成におさまったものと思う。「分野を細分化してレオナルドについて論じることのナンセンスさを知った上で、しかしこうしたアプローチが現代では最も有効」といったラチもない言い訳ばかり書き連ねた序文自体、笑止千万のナンセンスである。すぐれた各論なのに統一像は読み手に丸投げ。「無理に統一見解」ははからないと言う。はかれよ、無理に。それがレオナルド・ダ・ヴィンチを「あますところなく網羅」するということだろう。ただの並列ではすまない。ホッケの『迷宮としての世界』の本としての中心――迷宮の原案――に何故レオナルドがひそむのか、「現代」を口にするレオナルド論なら、「16世紀文化革命」をネオ・マニエリスムに蘇らせようとする動きの中で、レオナルドを「編む」ことの意味、その困難とスリルとを思え、ということである。大変な労作なのに、「本書、画集、評伝といったものがひと通り揃って」からレオナルドがわかるという、謙遜なようでただ愚かしい序文のひとくだりで、ぶちこわし。執筆メンバーに悪いだろう。細部と全体という実にレオナルド的なテーマを編集作業で悩む逆説の書となった。意図したちぐはぐなら、凄いのだが。

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2007年09月21日

『一六世紀文化革命』〈1〉〈2〉山本義隆(みすず書房)

一六世紀文化革命〈1〉
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それって要するに職人たちのマニエリスムなのである

17世紀の「科学革命」(トマス・クーン)を大掛かりに論じた『磁力と重力の発見』(〈1〉古代・中世〈2〉ルネサンス〈3〉近代の始まり)で2003年の出版界最大の成果をもたらした著者が、それには16世紀の「文化革命」が先行した筈だが、次にそこを詰めてひとつの文化史を完結させると漏らした「約束」が、こうして丸三年の歳月をかけて果たされた。

大部二巻。堂々たる読みでのある作品だが、主張は単純にして骨太い。芸術理論を枕に、外科学、解剖学と植物学、冶金術と鉱山業、算術と代数学、力学と機械学、そして天文学と航海術と地図制作と、目次を順にたどるだけで、文書偏重・文字崇拝のスコラ的思弁から出ようとせぬ中世来の旧守の諸学が、黒死病その他の流行病とか、火砲主体に変貌した戦場とか、広がる世界の未知の経験を前にお手上げになる中、大学アカデミーの外にあって蔑視されていたギルド的職人たちが新時代に即応する知を、印刷術というハードウェアの展開にのって外部に、ラテン語でなくヴァナキュラー(俗語)をもって公開し共有するというやり方で突破していった大きなうねりが、もう既にほのみえてくる。

 以上、個別の学問分野での「16世紀文化革命」の展開を通覧したきた。それは外面的には学問の担い手の交代とその表現言語の変化として現れている。つまり職人や芸術家や商人たちが、俗語でもって自己表現を始め、それまでラテン語が専一的に支配していた文学文化の領域に越境したことで、知の独占の一角を崩したのである。しかしそれだけには止まらない。それは基本的には、視覚芸術における表現技法や技術者や職人の自然への働きかけの手順、そして商人による資本や商品を管理する手法、とりわけ的確な観察と精密な測定と正確な記録、総じて自然と世界に向き合う彼らの姿勢そのものが自然にかんする知識の獲得に有効であるという新しい認識であり、ひいては自然について知がいかなるものであるべきかという真理観の根本的な転換を意味していた。(p.621)

これに尽きている。こういうマクロ・スケールのまとめが山本氏は実に巧い。厖大な具体的データも必ずこういう展望が挟んでくれるので、読後、一片の散漫感もない。グラン・テーズ(大論文)の構成をよく知る、近頃の学者には珍しいほどきちんとした立論の空間は壮観だし、たわみも緩みもなく快い。

要するに、エリート貴族の子弟がラテン語でやる「韜晦(とうかい)体質」に凝り固まった大学アカデミーの「自由学芸(artes liberales)」が現実的な威力を何も持ちえなくなったとき、「機械的技芸(artes mechanicae)」を担う職人たちの「手でおこなわれる」知の営みが一世紀間、世界をつなぎ、世界を救った。文字通り世界を救ったのが医学アカデミーから締め出された理髪外科医たちで、大学の医学教授から賤業視された彼らが自らの一命を賭して悪疫禍の街区にとどまり、少しずつ対処法を模索していく間に、ガレノスべったりの「典籍医学」の方は為すすべもなく、尻まくって逃げ出す他ないという長々と続く逸話は、まさしく今日の大学ないし初中等教育が多くの場面において畳の上の水練以上のものでない状況にそっくりはね返ってくるようで、文書偏重のアカデミーに距離を置く山本氏は、はっきり現下の日本のアルテス・リベラレス(教養教育とも訳せる)の行き詰まりの構造を寓話として語っているのだ。自ら英会話できぬ英語教師、キーボード打てないメディア論教授の授業。この本で改めて“auctoritas”が権威/文庫の両義語であることを思い出させられたが、ロゴサントリックな教育現場が視覚文化的(oculocentric)な現実にブレーキにしかなっていない状況を、山本氏自身いらいらしながら描く16世紀ヨーロッパにどうしても透かし見てしまう。結局は例えば『アートフル・サイエンス』のB・M・スタフォードと同じ激しい現代批判を16世紀に仮託して綴った、と見るのが最高の読み方かと思う。

スタフォード本と、印刷書籍に複製される図像・図版への圧倒的評価でも通じる。タッコラやフランチェスコ・ディ・ジョルジョの機械製図法が見事な「グラフィック・デザイナー」たるレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図やアゴリコラの『デ・レ・メタリカ』の鉱山断面図に継承され、かくて「芸術性を有する科学資料というジャンル」がつくりだされるのだが、「美術史」はこれを評価できないでいる。いや、こういう文字通りの「アートフル・サイエンス」については既に荒俣宏の『想像力博物館』や「ファンタスティック12」シリーズが存分に切り込んでいると思うのだが、山本氏の文章や文献一覧にはスタフォードも荒俣もまるで出てこない。

ここまでゲリラ戦に出た相手にだから言ってもよいと思うのだが、あまりにもひと昔前の参考書ばかりなのに喫驚。そりゃ偉大な人とは思うが今さら下村寅太郎でもあるまいに、と感じた。今、『磁力と重力の発見』を書くに、Hélène Tuzet, "Le cosmos et L'imagination"(1965)もなく、Fernand Hallyn, "La structure poétique du monde : Copernic, Kepler"(1987)なくてどうする?『十六世紀文化革命』綴るに、Michel Jeanneret, "Perpetuum mobile"(1997)なく、Jessica Wolfe, "Humanism, Machinery, and Renaissance Literature"(2004)なくてどうする?結構不可欠な本ばかり。

全巻のキー・イメージは「手」である。スコラ学者どもの「頭」に対峙、ということなのだが、アルス・メカニカエの「メカネー」の語源も「手」ということである。そして全巻、技師・職人たちの「文化革命」はまず「芸術家にはじまる」という素晴らしい出だしを構えたのなら、何故「マニエリスム(mannerism)」が「マヌス(manus 手)」に由来し、そのマニエリスムがまさしく16世紀精神史において今最大のキーワードたることに、これだけ浩瀚厖大の本にしてただ一言の言及もないのか。さかんに狂言回しに登場する悲劇の陶工ベルナール・パリッシーにして、現在はまずそのマニエリスムが話題になるはずだ。この本で紹介された奇人ラメッリは、ホッケの16世紀マニエリスム美学の研究『迷宮としての世界』(1957)に、その「読書機械」という奇怪なメカが紹介されていておなじみだが、そこでのホッケの説明も不備。『迷宮としての世界』は山本著と併せて読むと異様に面白かったりする。

もと東大全共闘の、ぼくなど仰ぎ見ていたトップだった著者。アインシュタインの再来と言われ、勿体ながられたがキャンパスに残らず、潔く駿台予備校講師に。最新情報に疎くなりがちな氏を、ファンのネットワークが支えてきた。素晴らしい。今日インターネットは下手な大学百個に勝る。ネットワーキングが偉大な学を成り立たせた最右翼が山口昌男人類学、そして最左翼が山本義隆科学史/文化史、という印象である。

であるが、それにしてもそのネットに、まさしく「芸術家にはじま」ったマニエリスム・ムーヴメントのデータが何ひとつ引っかかっていないらしいのが口惜しい。マニエリスムこそは、芸術家の「頭」と職人の「手」の間で激しく交錯した16世紀きっての問題的現象だった。ジャック・ブースケの『マニエリスム美術』(1964)を覗いても、エウジニオ・バッティスティの『反ルネサンス』(1989)を見ても、山本氏がとりあげた画家や職人の仕事が片端から「マニエリスム」と呼ばれている。月刊『ユリイカ』誌「マニエリスムの現在」特集号にわざわざ人を頼んで、マンリオ・ブルーサティン「厖大なる労働」という職人マニエリスム論の傑作を訳載したのに、山本さんの目には触れていないみたい。

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2007年08月31日

『さかさまの世界-芸術と社会における象徴的逆転』 バーバラ・A・バブコック[編] 岩崎宗治、井上兼行[訳] (岩波モダンクラシックス)

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人文学生のだれかれに、コピーして必ず読ませてきた

バーバラ・A・バブコック(Barbara A.Babcock)という人類学者に興味を惹かれた頃のことが懐かしい。近代オリンピック成立の神話的背景を扱った大冊で騒がれたマカルーンという人が、祝祭と自己言及を二大テーマにパフォーマティヴィティを広く扱った論集を、あまりの充実に瞠目してただちに今福龍太氏以下、当時最強の布陣を組んで邦訳したが(『世界を映す鏡』平凡社)、ぼくが担当することになったのがバブコックの全巻、現代思想そのものを上述のテーマに沿って一挙略取、それも思想家たち自身の言葉の引用で全面構成という、なんだか今福氏が筑摩書房刊『山口昌男著作集』巻一解題で明らかにしたアンソロジスト、山口昌男そっくりのスタイルの不思議な文章だった。

なので、そのバブコックが今度は中心になって編んだ象徴人類学の好著 "The Reversible World"(1978) を落掌した時には欣喜雀躍という奴で、秩序逆転の言語的・文化的装置を、文学系6、人類学系6、都合12篇の力作論文で総覧させる相手を、文学系をぼく、人類学系をそちらに強い英文学の富山太佳夫氏で分担するプランを立て、企画化する前に少し試訳しているところに、既に版権とられているという話があって、随分口惜しい思いをした。だから著編者の諒解を得てとはいえ、理由も明らかにせず12篇を一遍に半分の数に減らした訳書を見て、若気の至りで少し毒づいてみたりもした。その辺の、いよいよ行くぞっという頃の自分のとんがった様々の構想や覇気が懐かしいのである。

その訳書『さかさまの世界-芸術と社会における象徴的逆転』は、いつ読んでも溜息の出る序文のためだけにでも一本購う価値がある。ベルグソンの笑い論からケネス・バーク、グレゴリー・ベイトソン、クリフォード・ギーアツといった言語や文化の根本的な身振りを追って、軽々と哲学や文学、社会学の枠を越えていった、既成学界への<否定>の陣営を、例によってそれら思想家自身のおびただしい発言の周到なモザイク模様で見せる。いうまでもなく、この恐るべき手だれは編者バブコックである。全巻のテーマがいきなり冒頭に示されるが、ケネス・バークの口吻の借用。

 文化の研究は、人間を人間たらしめる特性――記号をつくり用いること、「他の生物に優越する精神の卓越を表現する・・・言葉」(*)をもっていること――をふまえて行われる。だが、ケネス・バークが思い出させてくれるように、「言葉を使う動物としての人間の研究は、否定というこのふしぎな特質にとくに注意をはらわなくてはならない」。「世界へのこの巧妙な附加物はまったく人間の記号体系の産物」だというだけではなく、記号の使用そのものが「否定の感情(事物を表わす語は事物そのものではない、というコージブスキー的警告に始源をもつ)を要求する。とくに記号を常用する動物は、必然的にすべての経験に記号的要素を導入する。したがって、あらゆる経験に否定性が浸透する」。(岩崎宗治氏訳)

引用のカギ括弧だらけに注だらけ。ちなみに(*)の注は、シェイクスピア同時代の喜劇作者ベン・ジョンソンの言葉を、喜劇舞台の逆転テーマの古典的名作、ドナルドソンの『さかさま世界』が引いたものを引いた、と注記されている。万事この調子で、引用モザイクによる20世紀思想史の面目躍如。ベンヤミンからマクルーハンを貫く、おびただしい情報のリシャッフリングに、山口とかバブコックといった象徴人類学は断然系譜している。

論理一貫したアカデミックな記述法への、これはこれで戦略一杯の<否定>かつ<逆転>であるわけで、バブコックの叙述スタイル自体、たとえばパリ大学博士論文の荘重な書式を嘲笑したドミニック・ノゲーズの奇作『レーニン・ダダ』(ダゲレオ出版)のようにさえ見えてくるのが、たまらずおかしい。

「学術」書としては、むろん第一級品だ。古代以来の、男と女、人と動物の役割逆転を扱うアデュナタ(逆転世界)、インポシビリア(不可能事)の大主題から、脱構築といった<脱>の構造自体、このうえない<否>の力である20世紀の主たる反-知、反-哲学の流れまで、とりあげるべき人とテーマを実に要領良く、ほとんど完全に遺漏なく並べて、<否定>という磁場に厖大な引用を一挙帯電させ、大きな方向を与えていく手際にはまいる。その先は、同じ岩波書店から邦訳されながらなぜか今は読めないラディカル神学のマーク・C・テイラーの『さ迷う』が引き継ぐ。テイラーの『ノッツ nOts』(法政大学出版局)もある。

マニエリスム修辞学に顕著な聖俗、賢愚の逆転や融通を「パラドックスの文学」として総覧するロザリー・コリー『パラドクシア・エピデミカ』(1966)は本書の中核的アイデア源だが、こんなのあるわよと同僚寄稿者(第3章「女性上位」)のナタリー・ゼモン=デイヴィスに教えられてびっくりしているバブコックの姿が、信じられないが、可愛い。

バブコックは「この世のものはうしろ向きに見るときはじめて真に見える」という『エル・クリティコン』のバルタサール・グラシアンの名文句を全巻のエピグラフにしている。この明察ひとつを蝶番に、20世紀脱構築思想がマニエリスムの問題であったことが一挙に啓示される。バブコックさんたら!

山口昌男の仕事はバブコックの仕事そっくりだ、というぼくのオマージュを、「解説」の山口氏が「ぬけぬけと」引いている。本当に双生児みたいなのだ。そのことを山口氏はN・Z・デイヴィス女史との英語対談で再び言っていて、よほど嬉しいのかなと思う。バブコックにはもうひとつ、記号論 Semiotica を使った自己言及性の総力特集編集のすばらしい仕事があり、折りを見て日本語にして御覧にいれたく思う。

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2007年08月28日

『道化と笏杖』 ウィリアム・ウィルフォ-ド[著] 高山宏[訳] (晶文社)

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人文学が輝いた栄光の刹那をそっくり伝える聖愚著

『老愚者考』のグッゲンビュール=クレイグが神話をめぐる日常的エピソードをスイスのローカルな話からとるのが珍しく、面白かったのだが、要するにスイスの心理療法家だし、チューリッヒのユング・インスティテュートの所長経験者だった大人物なので、至極当然のことである。河合隼雄氏や、ぼくも親しくお付き合いさせていただいた故秋山さと子女史など皆、チューリッヒのこの伝説的研究所に集って、セラピストの免状をもらっている。

そういう『老愚者考』であるからには、一人前の読書子が即思い浮かべねばならない文章がある。

 少し前のことだが、一人の男がチューリッヒの市街電車に乗り込んでくると、ハーモニカをとり出し、あちこち踊り回りながら愉快な演奏を始めた。時々休んでは窓から首を突き出して、通行人をひやかし、明け方の雄鶏のような鳴き声をあげるのだった。同乗の人々は振り向いては爆笑した。車掌は別段男に料金を要求するでもなく、さりとて追い払うでもなく、まるでその鶏男が以前からずっとそこにいて、何ごともない普段の風景の一部分なのだといった感じで、見て見ぬ振りをしている。乗車賃も払わぬまま跳びはね続けて、鶏男は車掌の前で歯をむいて下品に笑うと、かくて突然ひとつの舞台と変じたこの空間で二人、今や二人のフールと化したわけである。男はそれからその視線に我々をとらえると、もう一度鶏のように鬨(とき)をつくった。まるで我々の中に自分自身の姿を認めたのが嬉しくてたまらないといった風情で、その鳴き声が我々の笑い声の只中に響きわたった。

何故スイス、何故チューリッヒなのか。今時一寸おかしい人間がいて電車の中を少しだけ剣呑な小祝祭に変えるくらい、どの都会でもいくらも起こりうる事態である。しかし、いかにも聖霊降臨会が発祥し、トリスタン・ツァラのチューリッヒ・ダダが立ち上ったチューリッヒに相応しい鶏男出現だね、と流石のことを言ったのは、故種村季弘氏であった。ウィリアム・ウィルフォ-ド一世一代の名著、『道化と笏杖』冒頭の一文。それに対する名書評家、種村の余人にはあり得ぬ的確な指摘だった。ウィルフォードは名からしてゲルマン系ではない。カナダはシアトルの心理療法家なのだが、チューリッヒのユング研究所に行ってセラピストになった。秋山先生がたしか同時期に見かけたことあり、と仰有っていた。

ユングのいわゆる分析心理学、元型論は、用語も難しいし、第一、目に見えにくい現象を定型モデルを当てはめて説明するところが浮世ばなれしていて、なかなか学としても認められにくい。箱庭をつくらせるだのマンダラを描かせるだのといった「療法」に果たしてどれだけの効力があるのかも、実は見えにくい。自分たちの分かられにくさを意識して、やたらと一般向けにかみ砕いて説く解説書が多い。『老愚者考』など典型。かみ砕き過ぎて、本当は難しく理解せねばならないところ、簡単なたとえ話でスッと行く。結局、何だかふわふわして、理解できたのかどうか少々おぼつかない。

その対極にある硬派のユング派の絵解きが『道化と笏杖』である。1969年刊。ということは、山口昌男氏による道化論の画期「道化の民俗学」が雑誌『文学』に連載されたのと同時期。面白いことに全世界的に道化論がはじける四、五年間の、そのとば口に当たる。

集合無意識が沈殿するアーキタイプ(元型)と呼ばれる魂の領域がある。人間の自我を一個の球に譬えると、その昏(くら)い中心におどむ領域。表面に浮く日常的な自我を誤つこと常の小我とすれば、この深い異域にひそむもう一人の自我は大我なり、と、話は完全にウパニシャッド印度哲学のアナロジーである。小我の致命的誤りを元型が夢の中に元型的イメージを送ってよこすことで正そうとする。このイメージの解読者が即ちセラピストということになる。ユングが発見したアニマ、アニムス、老賢者といった元型に、後続のユンギアンが時々別の元型をつけ加える。『老愚者考』は最近稀なその成功例というわけだが、妙にエージング論ブームに媚びた「老」の要素をとっ払ったところで堂々一人立ちしたウィルフォード発見の「道化という元型」論は、遥かに普遍的なスケールの仕事だ。

1960年代後半、「魂の心理学」に人文科学全体が総力戦で当たった人文学栄光の刹那の、アプローチの自在、選ばれる対象の脱領域ぶり――シェイクスピア劇からサーカス・クラウン、北米インディアンから禅僧の機法一体まで、見境なし――両面における極致である。随分前の本だし、第一ぼく自身の訳で、書評者として少し心苦しくはあるが、『老愚者考』という格好な手掛かりを得た今こそ、じっくり読み込めるはず。こういう機縁も、この書評空間では大切にいたしたいと念ずる次第だ。

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2007年08月24日

『働かない-「怠けもの」と呼ばれた人たち』 トム・ルッツ[著] 小澤英実ほか[訳] (青土社)

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「働いて自由になれ」、アウシュビッツの門にそう書いてあった

グッゲンビュール=クレイグの『老愚者考』は、老人は老い故の愚行にどっぷりで少しも構わないのに何でこんなに「若いもんに負けるか」と気張るのか、と言う。「彼らは方向を見失っているのは若い人びとだと思っています。学生は何が大事なのかをもはやわかっていない、すべての価値は解体している、と老教授が嘆くのを、何度も耳にします」として、「しかし最も深い意味において、不安定になっているのは老人の方なのです」と、痛烈であった。特にこの老人の気張り方は、商売熱心なマスコミにあおられた、最近還暦通過の団塊世代、ニューシルバー・エイジに気恥ずかしいほど顕著だと笑っていたら、こういう気骨の折れる「老人のもつ集合的世界、集合的価値とイメージは、四十年前に支配的だったものです」とされていて、どうやらグッゲンビュール=クレイグのスイスあたりでも、団塊世代が老賢者という「腐敗した神話」を担っている悪者らしくて、笑える。

自分が賢者だと信じこんでいるこの世代が「カウチポテト」な息子娘を目にしたら、どうなるか。

それは全身反応だった。ドアを開けたり、地下の仕事場から上がったりした瞬間、私の顔はさっと赤くなり、鼓動は早まり、体内にはアドレナリンが氾濫した。たいていは踵を返してキッチンに入り、タイル張りの流し台を指でカツカツと叩くか、仕事場に戻って座り、気持ちを落ち着けるかしたものだ。私の父親の怒りは、彼を行動に、ときには暴力的な行動に駆り立てたが、私の怒りは私を困惑させ、身動きできなくさせた。どうしても怒らずにはいられなかったし、その怒りが私には理解できなかった。

これはアメリカ人社会学者トム・ルッツの好著『働かない』の冒頭部である。自分に対して自分の父親が持っていた怒りをいつのまにか今度は自分の息子にぶつけようとしている、ということにうっすら気付いて少し反省し、すると一体この怒りの正体とは何かという歴史的展望の中で見てみたいと思って(さすが学者だ)、怠けというテーマで史料を集め、怠け者の文化史にまとめたのが、この本なのである。いまどき一つの学問ができあがっていく理想的なあり方を示す本体の前に、親と子をめぐる日常の怒りと苛立ちのドラマが二流のホームドラマ然として蜿蜒と続くのが、一寸『リーダーズ・ダイジェスト』風で、凄く面白い。

某大学で、指定のテーマでレポートを書けないと観念した諸君はこの一年くらいで読んで面白かった本や映像についての感想文を書いて出せと言っておいたら、『働かない』を選んで、「気が楽になった」という感想を書いてきた者が随分いて、びっくりした。よく働く大学のよく働く学生たちじゃないか、と。

「節約の論理」(ワイリー・サイファー)がうまれた17世紀ピューリタニズムあたりが出発点かと思う。ぼくが英語で何かを勉強している人に一度は必ずする話だが、「リアル」という単語は1601年、「ファクト」は1632年、「データ」は1647年に初めて使われる。現実が数量化でき、断片的情報の蓄積が可能になった瞬間、無駄を出さぬ「節検」と、日々孜孜(しし)として倦まずたゆまずの「労働」が、エシックス(倫理)として確立したのであろうとは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』など読んでいなくても、大体の見当はつく。

それを裏の「働かない」という切り口で明快にしてくれたのは、本書が最初だ。1990年代にアメリカでニートやフリーターが問題になり類書がいろいろ出たとは言っているが、「ポスト・フォーディズム」の現代に向けての歴史的展望をここまで拡げた目配りは初めて目にするものである。「活力」に対する「倦怠」というテーマでは、Rinehart Kuhn,"The Demon of Noontide" という極めつけの名著があるが、「労働」に対する「怠惰」というテーマでは本書が画期。18世紀に英米文化史上初めて、怠惰こそ文化と称するアイドラーという族(うから)が登場して後、ラウンジャーやローファー、ボヘミアン、ソーンタラーにフラヌール、20世紀のビートニック、バム、ヒッピー、そして現在のニートに相当するスラッカーへと、系譜は連綿と続く。

労働と怠惰は弁証法的関係にあり、硬ばったり弛んだりの繰り返しである。ルッツ教授のカウチ息子もやがてハリウッドに職が見つかると、一日14時間のモーレツ勤労を平気でこなすようになったようだ。めでたし。

フロイトの「人間が労働を通して、地球上における己の運命を改善する力を手中に発見した時、別の人間が自分とともに働く者か否かという問題に無関心でいることができなくなった」(『文化とその不満』、1930)という言葉がすべてであろう。労働もまた「一面的な神話」以上のものではなかった、と『老愚者考』の著者とともに言おう。

ともかく、自分の日常に出発し、未聞のテーマを立ち上げていく学問や批評の一番健全なあり方のすがすがしいお手本を、久しぶりに見た気がする。

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2007年08月07日

『記憶の部屋-印刷時代の文学的‐図像学的モデル』 リナ・ボルツォーニ[著] 足達薫、伊藤博明[訳] (ありな書房)

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やっぱ好きでたまらぬ人が訳さなくては、ね

記憶術、いろいろな呼称があるが、たとえばアルス・メモラティーウァ。書物が超貴重だった古代・中世を通して、学者や雄弁家たちは諸学説、古代典籍の行句をひたすら記憶し続けるしかなかった、何しろいつでも気楽に当たることのできる参考書が身の周りにないから――という当たり前の現実を、我々は実は全然意識することなく、中世やルネサンスに栄えた知識や論争のことを考えているが、ちがうのではないか。

というので、イタリア・ウマネジモ(人文学)の雄、パオロ・ロッシが決定的な名著『普遍の鍵』を出したのが1960年。記憶術の方法的精密化から必然的に観念の分類の必要がうまれ、ライプニッツ他の百科全書主義やアルス・コンビナトリア復権の動きにつながっていく、そのライプニッツ考案の0/1バイナリーを基にするコンピュータリズム全盛の今現在の人文学に一番必要な文化史的認識の透徹。

ちょうど16~17世紀のその辺の動きを勉強中だった若き荒俣宏が、師匠の紀田順一郎と二人で編んだ国書刊行会の画期的な「世界幻想文学大系」に、幾多の幻想小説の間にそっと挿むという感じで、マージョリー・ニコルソンの『月世界への旅』と一緒に『普遍の鍵』を入れた、時代をリードするアンテナの感度に改めて、アラマタさん有難うと言わねばならない。

現在、記憶術の研究といえば、フランセス・イエイツの『記憶術』が嚆矢のように言われる。しかし、1966年に出て斯界に大騒ぎを起こしたこの本が邦訳されたのは、何と1993年のことである(水声社)。訳書の「訳者解説」を読むと、「二十年近く腹を立てながらも信頼して待ち続けて下さった」水声社(書肆風の薔薇)社主に有難うとか言っている。人文学を一変させる任を帯びた画期的大著に、さめ切ったつまらない短い後書きを付してしまった最悪例としては、A・O・ラヴジョイの『存在の大いなる連鎖』に匹敵する問題ある後書きである。イエイツ女史の仕事全体は晶文社に目利きの小野二郎氏一人あって、完璧といってよい邦訳紹介が施されたが、こと記憶術テーマに関してのイエイツ紹介の迫力のなさは、もはや文化的犯罪の名に値する。イエイツがシェイクスピア研究に力を転じたところを捉えて、日本ではシェイクスピア研究者がイエイツ研究の受け皿となったことの大不幸。「当時味わっていた思想史研究への幻滅」から、「幻視的歴史家」イエイツへの疑問を抱えた有名な「実証派」研究者が、わざわざ「批判的な」後書きを準備しようとして鬱々としている間に二十年が経ってしまった、と問題の嘔吐的後書きにある。じゃあ、わざわざ訳すなよ!これも画期書、S.アルパースの『描写の芸術』(ありな書房)の訳者解説にも匹敵する愚かなわざくれだ。

中世・ルネサンス記憶術が18世紀の解剖図譜の世界に繋がり、ついには今現在の脳科学とも繋がっていることを史料とオブジェで説得した画期的展覧会(La Fabbrica del Pensiero 「思考建築」)が1989年上半期にフィレンツェで催され、これがその後の記憶の文化史研究の爆発的盛行の起爆剤となった。考えるほどに受け皿のない日本で、仕方なくぼくが『魔の王が見る』から『カステロフィリア』にかけての本で、パオロ・ロッシに発する記憶術研究のイタリアにおける怒涛の進展ぶりを紹介し、その過程でライナルド・ペルジーニの記憶術-建築論の名作、『哲学的建築』(1983。邦訳ありな書房)などが早々と日本語にできたりもしたのだ。

ぼくは「思考建築」展カタログの邦訳を企てたが、カタログは図版版権の厄介があって結局挫折したことも思いだす。挫折の苦汁といえば、こうした1980年前後の華々しい記憶術研究の展開を視野に、イエイツの最重要書の邦訳が遅いのに苛立って、ぼく自身、パオロ・ロッシを名訳で送りだした清瀬卓氏に頼んでイエイツ本も日本語にしていただき、これを国書刊行会から出すことにしたが、案の定、横槍が入って水泡に帰した。ぼくしか読むことのなくなった清瀬卓訳のイエイツは伊藤博明と並ぶ中世思想史の雄の意力に満ちた充実訳だった。嗚呼、翻訳企画の難しさ!

問題の「思考建築」展にインスパイアされたことを隠さないイタリア人文主義の若き華、リナ・ボルツォーニの『記憶の部屋』(1995)の邦訳紹介は、そんなもやもやした過去のいきさつを一挙払拭の爽快書である。明らかに既紹介のポーラ・フィンドレンのヴンダーカンマー論にも、即タイトルからしていきなりジョルジオ・アガンベンの『スタンツェ(部屋)』にもインスパイアされ、マニエリスムをコンピュータ・メディア論と結ぶ新人文学の典型的一局面へのマニフェストとも感じられる、素晴らしい本。

これらの本を順次、一定の戦略をもって邦訳し続けている書肆ありな書房と、古典語とイタリア語に強い翻訳狂、伊藤博明の結託に、心から乾盃。記憶術を16世紀にローカルに実践した未知の実験家たちの紹介に、尽きせぬ魅力のある画期書であろう。

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2007年07月24日

『体位の文化史』 アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ[著] 藤田真利子、山本規雄[訳](作品社)

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「エロティックなサーカス」の俗流マニエリスム

「古今東西の性典や史料を蒐集し、すべての体位と性技の歴史を辿った、世界初の“体位の文化史”」と帯に謳われては、「文化史」の権威と呼ばれるぼくとしては、この一冊、目を通さずにはすまない。『ヴァギナの文化史』『ペニスの文化史』『お尻とその穴の文化史』 を既に入れた作品社「異端と逸脱の文化史」叢書(?)の新刊となれば、是非にも読みたい。

ロミの『悪食大全』『おなら大全』『でぶ大全』 を高遠弘美の抱腹絶倒訳で入れたこの叢書は、さらに石川弘義『マスタベーションの歴史』だの、ジョルジュ・ヴィガレロ『強姦の歴史』だの、この『体位の文化史』の直前には、ロベール・ミュッシャンブレ『オルガスムの歴史』だの、どこまで行けば気がすむのといいたくなるほどのセレクションで此方を喜ばせてくれる。そのほとんどに手を付けて、なかなか達者な文体で笑わせてくれる訳者、藤田真利子氏と、編集の内田眞人氏の、よくもこんな疲れるテーマで頑張りが続くねと、労を多としたい。原書にない閨房秘技の解説書、『フランスの聖職者に捧げる愛の四十手』(18世紀末)を入れ、『鴛鴦閨房秘考』など「参照して」江戸の「四十八手秘戯」図解をまとめた「付録」は訳者・編集者の創意らしく、原書より威力倍増である。

テーマがテーマだから「訳者あとがき」が面白い。「動作を文章で説明するというのは、なかなかにたいへん」とあり、「図解し、自分の手足を動かし」とあるのには、そうだろうそうだろうと共感しつつ微苦笑したが、だから当然、本自体にも300の図版が溢れる。

本体は、「宣教師」の体位(いわゆる正常位)から、「牡のグレーハウンド犬」の体位(後背位)、フェラチオ、クンニリングス、ソワサント・ヌフ、獣姦、「ヘクトルの馬」(騎乗位)・・・と型通りに並んで、同性愛や自慰といった体位プロパーより少し社会学寄りのテーマにも広がり、最後は体位なき生殖としての「クローン」という「恐怖のシナリオ」の味気なさや危険を訴え、そうした「生物学の奴隷にされている状態を脱するために、われわれは、ふたたび<体位の文化史>をひもとくべきだ」という主張で締める。普通だったら気が散って仕様がないほど不埒に「挿入」される図版が少しも苦にならないのは、「動作」を「文章で説明」しにくいこの本の性格上、仕方のないことなのである。

「異端と逸脱の文化史」一般にいえることだが、フランスのアカデミーの人文・社会系の最先端の人間が人類の最低(最底)の「肉体的物質的基層」(M・バフチーン)をどう扱うかの妙味がある。たとえば『オルガスムの歴史』のミュッシャンブレはアナル派(といっても、あちらのアナルではない!)ばりばりのミクロ歴史家。「感性歴史派」が感性の中の感性(「感じる~う!」)に「口を挿んだ」!わけだ。『体位の文化史』のアンナ・アルテールは天体物理学博士号を持つ『マリアンヌ』誌科学技術部部長、共著のペリーヌ・シェルシェーヴは同誌社会部部長というから、淡々としつつ、随所のユーモアも悠々たる読者サーヴィス、読みものとしても面白いし、雑談のトリヴィアねたとしても格好である。正常位を「ミッショナリー・ポジション(宣教師の体位)」と呼ぶことの理由がよくわかった。ブラックアフリカの野蛮を宣教を口実に制圧していった「驚異と占有」(S・グリーンブラット)戦略そのものの名だったのだ。

洞窟壁画をめぐる「古人類学の正教授」の御託宣は何だか「芸術人類学者」中沢新一の口調で面白いし、繰り返されるフランス国立人口統計学研究所その他の統計数値、「オートミクシス」「アポミクシス」(おわかり?)といった「生殖」の生物学の用語で語られるところに、愛の国フランスが一方で啓蒙主義の母国であることに思い当たって、おかしい。愛の国がそれらしくなったのは1968年のいわゆるパリ五月革命以降という話には驚かされた。シャンソニエ、セルジュ・ゲンズブールの「69年はエロな年」、さがして聴いてみよう。

しかし、「体位もの」なればこその面白さは、やっぱり体位というものの持つ「アルス・コンビナトリア(組合せ術)」としての性格に尽きるだろう。サド侯爵の「電報のような文体」が「四人の道楽者と四十二人の淫楽のなぶり者」が順列組合せを次々織りなしながらからみ合う『ソドムの百二十日』は、澁澤龍彦の名篇「愛の植物学」(『思考の紋章学』河出文庫に収録)が示したように、組合せの倦怠を新たな組合せ(人と人、器官と器官の)で突破していくクールなマニエリスム以外の何か。禁句を別の語でどんどん言い換える隠語の百態が本書の魅力だが、それって直截にマニエリスムの修辞法だろうし、「トリオリズム」(3P、4P・・・)の、人が性器で人と繋がっている図版はマニエリスム得意の「蛇状曲線」でしかない。

想像通り、体位類型学は最後に「アクロバティックな体位」「突飛なる体位」に行き着く。こういう「ラヴ・ホ」文化が16世紀マニエリスム(マルカントーニオ)の版画 『イ・モーディ(体位集)』 の末裔たることを、こともあろうにプリンストン大学出版局から出た Bette Talvacchia, "Taking Positions : On the Erotic in Renaissance Culture"(1999)によって、ぼくらは知っているが、実はそこいらのコンビニに月毎に並ぶ『ビデオボーイ』だ『URECCO』だのの紙面に溢れるのが、この俗流マニエリスムの編集感覚だと思い知るべきかもしれない。

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2007年07月20日

『モスラの精神史』小野俊太郎(講談社現代新書)

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人的交流というメタモルフォーゼ

近時、これほど驚き入った本はない。新書なのに戦後日本の政治と文化の関係を考えるエッセンスを余さず凝集してみせようという覇気が凄いが、それを映画銀幕に飛翔した一匹の巨大蛾の意味論をもって語り尽くそうという野心がさらに凄い。大成功している。表題にいう「精神史」は、厳密にいえば、ドイツ観念論由来のなかなか難しく、また一般の史学から受け入れられていない批評の方法ないし感覚なのだが、それが文化史と結びついてでき上がる、いま人文学で一番面白く豊穣な局面たりうることを、何よりもこの小さな大著がこうして現に目の前で立証している、と感じる。

都市を破壊する巨大な蛾を思いついた原作者たちの脳裡に生まれたものを、著者はしきりに「奇想」というが、この書そのものが批評的奇想に満ちたマニエリスム感覚いっぱいの仕事なので、マニエリスム好きのこの書評読者に、マニエリスムが批評的に発動するとこういう仕事になるというなかなか華麗な例として、とりあげてみた。

怪獣映画の名作『モスラ』を、ぼくなど中一か中二で観た。団塊世代は小学生時代を通して黒白の陰惨なゴジラ映画、翼竜の破壊獣ラドン、そして「総天然色」巨大画面のモスラを一系列として体験したわけだが、この頃の、伴走してくれる批評というものがあるわけでなし、ただ何とはなしのノスタルジーで思い起こす以上のものではない。だから、中沢新一の「ゴジラの来迎」や長山靖生による怪獣が何故「南洋」から来るのかを説くエッセーには、心からびっくりした。『幻想文学』誌の「ロストワールド文学館」特集以来、恐竜をめぐる文化論が可能という斬新な方向があることは知っていたが、そこいらの穴が小野氏の新刊で一挙に埋まったという感じがする。

モスラがモス(蛾)という英語から来たと知って驚くようなことでは、その先が大変だ。南洋インファント島に、水爆実験下、赤いジュースの効力で元気に暮らせている人間たちがいると聞いて探検隊が行くが、唯一女性の花村ミチが、華村美智子とイメージできさえすれば、これが60年安保で命を落とした樺美智子を隠した暗号であることくらい自明だと指摘されて、驚くほかない。文学をまず暗号として解けという遊び心満点の――とは完全にマニエリスム的な――脱構築批評に著者が一時どっぷりだったことを知るぼくなど、思わずニッコリ微苦笑してしまうが、どっこい1961年、60年安保闘争の翌年というタイミングで封切られた『モスラ』の究極の意義を、日米安保条約と地位協定、沖縄をめぐる政治情勢を突く非情に政治的な映画であるという一点に求める揺るがぬ視点に立つと、花村ミチは当然のように樺美智子でしかなくなるのである。さまざまな批評方法の遊びが怪獣のカルチュラル・スタディーズとして立ち上る――というか、蛾だけに舞い上る――プロセスを楽しめる。

何よりも驚いたのは、子供向け怪獣映画『モスラ』に堂々の原作があり、しかもそれを書いたのが戦後「純」文学を代表する中村真一郎、福永武彦、堀田善衛のトリオであったということだ。低迷する文学の現状打破、文学と大衆文化の繋がりの模索という前衛的な文学実験であった原作は、そのことも反映して、メタモルフォーゼ(旧套からの変容、と同時に主役の巨蛾が幼虫からサナギになり成虫と化す、いわゆる「変態」をも指す)テーマの奇作となった。

これにシナリオ作者・関沢新一が係わり、本多猪四郎、円谷英ニという映画サイドの人間が係わり、作曲家・古関裕而が係わり、フランキー堺やジェリー伊藤(つい先日他界。祈御冥福。低い渋い声と歌声の大ファンだった)といった怪優が係わる。東宝としての思惑だの、東宝(これが東京宝塚劇場の略だと今回初めて知った!)の持つ歌や踊りのレパートリーという財産だのが絡まって、「シナリオ作成と編集の過程で」原作がどんどんスペクタクルに変えられていく、原作歪曲の「変態」ぶりへの分析が主軸。この軸のめざすものは「50年代から60年代が持っていた人的つながりに由来する豊穣な生産力」への絶対的賛美である。関係者一人一人が、南方戦略への応召だの、飛行機好きだの、それぞれの人生の特徴をどこかで『モスラ』の変態に反映させているという。そうした「少なからぬ因縁」の大糸細絲を次々たぐりにたぐる小野その人の、文化批評家としての急速なメタモルフォーゼに感動した。氏が大いに依拠する長山靖生や、ひょっとして鬼才・井上章一の域に確実に迫りつつある。

なぜ蛾なのかを日本養蚕業の古層と「女工哀史」と結びつけ、モスラを中島飛行場や国産プロペラ機開発史と結びつけ、関沢新一と宮崎駿との隠れた関係を追うことで『風の谷のナウシカ』のオーム(王蟲)がモスラの末裔だといい切る。「溶ける」「並べる」が小野批評のキーワードのようだが、異物結合による認識開眼をマニエリスムというなら、ここにあるのは近時稀な批評的マニエリスムといわいで何というのだろう。胸、すいた。

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2007年07月13日

『自然の占有-ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』 ポーラ・フィンドレン[著] 伊藤博明、石井朗[訳] (ありな書房)

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英語でキルヒャー

「驚異の部屋」は基本的に珍物(curiosities)蒐集に凝りあげる好奇心の問題だから、研究書は自ずからカラー図版満載の美麗書となる。かつて平凡社の記念出版で、ほとんどコスト無視してエリーザベト・シャイヒャーの『驚異の部屋』が訳された時には、それで驚かされた。今ひょっとして手に入りそうなものでいえば、パトリック・モリエス(Patrick Mauriès)の"Cabinets de curiosités"(Gallimard, 2002)。ぼくは英訳で眺めたが、大型本全巻フル・カラーは一寸した偉容というか、まさに異様で、ヴンダーカンマーに対する認識を少し変えさせられた気さえした。こういうことを平気でやってのけるガリマールだから、入門書レヴェルでもパトリシア・ファルギュイエールの美麗マニエリスム書をちゃんと出す

大著『マニエリスト』("Maniéristes")を出したらすぐ、今度は偏倚な博学デザイナー、東京にも店を出しているピエロ・フォルナセッティをめぐる超美麗書"Fornasetti : Designer of Dreams (Piero Fornasetti) "を出したモリエスの評価が、日本では低過ぎる。スティーヴン・キャラウェイの『バロック! バロック!』が現代服飾モードのバロック性を言って説得的だったように、大都会のモード万般のマニエリスム性を突くこういう仕事が全然紹介されないから、今サブカルチャーを一番「文化的に」高く評価しうる視点が少しも育たない。

その対極で、「驚異の部屋」論はアカデミーの中には入ってきた。マニエリスム美術論として入ってきたが、1970年代末にはもうほとんど忘れ去られている(日本では、だ)。それが他者征服の文化装置を批判、という形で、今度はカルチュラル・スタディ化した。それがスティーヴン・グリーンブラットの、それはそれで画期的な『驚異と占有』"Marvelous Possessions : The Wonder of the New World"(1991;Hardcover1992;Paperback)だったわけである。新人文学最前線だ。

ポーラ・フィンドレンの『自然の占有』"Possessing Nature : Museums, Collecting, and Scientific Culture in Early Modern Italy"(1994;Hardcover1996;Paperback)は、刊行タイミングからみても第一タイトルからしても、このグリーンブラットの名作の衝撃波の産物であることは間違いないが、「驚異の部屋」プロパーに近いということでは、フィンドレンの本の方が徹底していて貴重だ。蒐集を「嗜(たしな)み」とした貴族階級の感性の歴史学、ないし社会統計学ということで、その限りではクシシトフ・ポミアン『コレクション』"Collectionneurs, amateurs et curieux, Paris, Venise : XVIe-XVIIIe siècle"(英訳 1990、邦訳 平凡社)の影響下にあると言えるかもしれない。

そして16世紀のマニエリスム世界そのものの反映だった、マクロコスモスをそっくり凝集する「驚異の部屋」が17世紀末にはゆっくりと合理的知性の反映物に変えられていくという大括りの図式は、もはや予定調和と言うべきかもしれない。なにしろ大部である、わざわざ貴重な時間をとられるのもいやだなあと思いながらパラパラやったのが運の尽き、一読魅了という体(てい)となった。

主人公が二人いて、二人の具体的な驚異の部屋のたどった運命の物語が面白過ぎるのである。アタナシウス・キルヒャーとアルドルヴァンディ。我々はキルヒャーの名をまさしく澁澤の『夢の宇宙誌』(1964、現在 河出文庫)で知り、ホッケの『迷宮としての世界』の種村訳(1966)で知った。ジョスリン・ゴドウィンのキルヒャー伝『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)も読めた。マニエリスムとキルヒャーについては1960年代日本の感性アンテナは鋭いものがあったと改めて驚く。何故かと言えば、英語圏がマニエリスムを自由に論じるようになるのは1990年代以降のことだからである。そのほとんど第一号がポーラ・フィンドレンの『自然の占有』であり、ごく最近も『アタナシウス・キルヒャー』と号する大型論叢が出て、英語なので欣喜して入手したら、覿面に編者はポーラ・フィンドレンであった。新人文学の風。時代は面白くなる。

アタナシウス・キルヒャーは17世紀ドイツのイエズス会学僧である。ブッキッシュに各国語をマスターし続けた博言趣味を活かして、オリエント文物をヨーロッパに紹介し、中国に入ったキリスト教(景教)の碑文まで解読した。教会の人間だから自然の中に神の摂理を見ようという自然神学の本であるはずのところ、図満載の厖大な著作には自然そのものに対する好奇心が独走し始めているような時代の勢いが満ち満ちている。きっと荒俣宏がイエズス会士ならこうなんだろうな。『迷宮としての世界』の名訳者はキルヒャーの業績に対して「百学連環」の訳語を当てたし、「八宗兼学」の訳語をひねりだしたが、イエズス会士だったからである。もう一人のアルドロヴァンディについては荒俣宏によって、同類のショイヒツァーと一緒に我々は教わった。

アルドロヴァンディ、キルヒャー、ショイヒツァー、そして(『プロトガエア』を著した博物学者としての)ライプニッツを、英米圏のアカデミシャンが当たり前のようにこなし始めた。一旦点火されればとことんやる世界だけに面白くなる。代表選手はバーバラ・M・スタフォード。今年2007年を彼女の年にするつもりで、フィンドレンはその絶好の先駆けだ。

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2007年06月19日

『猫はなぜ絞首台に登ったか』東ゆみこ(光文社新書)

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猫と新歴史学

大変象徴的な標題だが、フェリシティ・ナスボーム、ローラ・ブラウン共編の『新しい18世紀』という論叢が出たのが1987年。ジェンダーの逆転とか監獄改革とかをテーマにカルチャル・スタディーズから見た18世紀各局面の総覧を試みている。監獄改革といえば、いわゆるパノプティコン、一望監視の非人間的監獄のことを見られるのが、先般みんなに惜しまれつつ急逝された村山敏勝氏の訳で読めるD・A・ミラー『小説と警察』(国文社)であるが、そのような視点で肝心の18世紀を見るとどうなるのかという望みをかなえてくれたジョン・ベンダーの『想像の懲治監獄-18世紀英国における小説と精神‐建築』が、これも1987年。別にカルチャル・スタディーズに限るわけでもないのだが、とにかく18世紀研究がその辺で急速に「新しい」何かに見えてきた。

『新しい18世紀』に収められた12篇の論文中で、ゴシック小説『ユドルフォの謎』の「他者の幽霊化」を論じたテリー・キャッスル(Terry Castle)の斬新がひときわ目を惹いた。同じ1987年、18世紀に限らずいわゆるアーリーモダン全体を標的に台頭中の新歴史学の牙城、『リプリゼンテーションズ』第17(冬)号に載ったテリー・キャッスルの「女体温計」は、有名な画家、ウィリアム・ホガースの風俗画中に一ディテールとして描きこまれた珍妙な計器-女の情愛を目盛りで測る「女体温計」-の分析を通して新歴史学の極みという腕前を見せて、表象文化論が視覚史料を駆使することを特徴のひとつとした「新歴史学」の醍醐味を味わわせてくれた。たしか秀才、後藤和彦による全訳が、雑誌『現代思想』1989年2月「ニュー・ヒストリシズム」号に掲載されていた。

ちなみにこの『現代思想』の特集は、英語圏がマニエリスム驚異博物室の社会学をやった一番早い例たるスティーヴン・マレイニーの論文を、スティーヴン・グリーンブラットやテリー・キャッスルと並べて紹介していて、誰の宰領かと思えば、やはり大勉強家、冨山太佳夫氏であったように記憶している。

翌1988年に『クリティカル・インクワイアリー』15(秋)号に発表された「ファンタスマゴリア」には文字通り一驚を喫し、ぼく自身、とるものもとりあえず、『幻想文学』誌に英国幽霊物語の特集を組んでもらい、全訳して巻頭に掲載してもらった。「見過ごされたもの」(N.ブライソン)としてのマイナーな視覚素材を通して「新しい18世紀」像を追求するという手法で、これ以上の見事な手練のものは他に一寸見当たらない。

「女体温計」「ファンタスマゴリア」を含む11論文を集めたキャッスル女史の『女体温計-18世紀文化と<不気味なもの>の発明』(1995)が出た時には、だからほとんど狂喜乱舞のていであった。まさしくこの紀伊國屋書店から邦訳の話をいただきながら、版元のオックスフォード大学が編集権料という珍妙なものをふっかけてきたために中断した苦い思い出がある。時が経った。是非もう一度トライするに値する絶品であると思う。

懇意だったありな書房から、ピーター・ストーリーブラス、アロン・ホワイトの『境界侵犯-その詩学と政治学』邦訳の企画を立て、友人だった本橋哲也氏を動かして訳を出したのが、その1995年のこと。キャッスルの名著と並べば、威力抜群の「新しい18世紀」イメージを日本の読者に有無をいわさず納得してもらえたはずで、失われたタイミングを今でも非常に口惜しく思うのである。

ストーリーブラスとホワイト(惜しくも早逝)の本は書誌一覧すればわかるが、英語圏で最も徹底してバフチン批評万般を読みこんだ書誌になっている。キャッスル歴史学は一巻に編むに際して持ち出したフロイトの「不気味なもの」論が少女、いかにもという感じでスカスカしてしまうのに対して、こちらはバフチン・カーニヴァル論全開でいくしかない18世紀固有の肉感と猥雑を切り捨てない、古くて「新しい」18世紀論で、やはり18世紀はこれでなくては、ね。

それで今回の一冊は、久方ぶりの(山口昌男象徴人類学)の才媛、『クソマルの神話学』の東ゆみこの『猫はなぜ絞首台に登ったか』である。まさしくホガースの風俗画中のディテール-逆さに吊るされて虐待される猫-を、18世紀にまで蜿々尾を引いたカーニヴァル、さらには穀物霊崇拝の伝統の中に遡行して位置づけ、滅びぬ「神話の力」を析出してみせる。

猫の虐待といえば、新歴史学の少し風変わりな旗手ロバート・ダーントンの『猫の大虐殺』(1984、岩波書店1990)だが、結局、資本家対職工たちという安手の二項対立を出ることのないダーントンの見かけのにぎやかし(?)を東女史は痛烈に批判する。

どちらが正しいかとは問わないが、英国18世紀の肉感性を一身に担ったホガースだけは、やはり東ゆみこの対応でなくてはならない。

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2007年06月12日

『表象のエチオピア-光の時代に』高知尾 仁(悠書館)

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高知尾仁の「人類学精神史」

本当に心から良いと思った本をとりあげるのが良心的な書評ということだと、戦略的翻訳家でもあるぼくはひとつのパラドックスに捉えられてしまう。英独仏伊の洋書で自分が良いと思ったものは、しかし全然というくらい訳されていないので、自分が訳してしまうものだから、出版や書評界の仁義として翻訳者が書評者になるのがおかしいとされる以上、大体において自分の大好きな本の書評が原理的に許されていない。だから一種の「書評」として予め訳本の中に内臓されているぼくの「訳者あとがき」の伝説的な長さ、となる。

20世紀の人文科学を統合整理し、それをそっくり21世紀のデジタル人文学に編制しようという壮大な構想を年一冊、着実に形にし、理工系MITの「人文化」戦略の看板にさえなっている美術史家、バーバラ・マリア・スタフォードの場合がそれである。処女作『象徴と神話』(1979)は、フランス革命の頃にユングの元型的イメージ論を先駆したスイス人記号論者を復権させようという相当マニアックな大著だから無視黙殺も仕方なかったが、それぞれが出版史に残る名著大冊である『実体への旅』(1984)、『ボディ・クリティシズム』(1991)がどんっと刊行されても、風景論、身体論、両分野で、反応どころかまともな言及ひとつ出てこない。少々フォローが遅れてどうこうない大きなスケールの本ではあるが、スタフォードは時代と伴走し、時代の変わり目を反映して仕事するタイプなので、できればリアルタイムに近い形で日本語にしたいというので、『アートフル・サイエンス』『グッド・ルッキング』『ヴィジュアル・アナロジー』を極力迅速に訳した。そして遡行する形で『ボディ・クリティシズム』を訳し、『実体への旅』早々に脱稿、現在は『象徴と神話』に掛っている。

『実体への旅』も今夏には店頭に訳は出るが、残念、ぼくはこの大好きな本を書評できない。まことに珍妙なパラドックスではないか。

ぼくは一方で、ロンドン王立協会の研究を、主にその普遍言語構想について進めていた。そして一方では、ぼくの名を世に出したピクチャレスクの研究。ふたつ、ぼくが面白くやる以上、必ずどこかで結びつくものと思っていたが、『実体への旅』に先を越された。そうと認識した瞬間、軽い眩暈を感じたのを覚えている。自分の中でふたつの力が合体した、と。ふたつがぼく独自の大きな表象論―「高山学」―を支える強力分子として合体した。

『実体への旅』の副題に「1766年から1840年にいたる美術、科学、自然と絵入り実録旅行記」とある。キャプテン・クックやブーガンヴィル、ヴァンクーヴァーといった名でおなじみの世界周航者、太平洋探検家たちが見なれぬ風土や異様な気象現象を記録し、王立協会はじめ支援の各アカデミーに報告する言語に、折りから流行中のピクチャレスク・トラヴェルの旅行記の大仰でいて紋切り型の景観描写のうそをあばく「真正」と「平明」への「男性的」意力というものを認め、そこに王立協会がめざした真正、平明の言語イデオロギーとの直接の系譜を認めようという仕掛けの本である。キャプテン・クックは王立協会の全面援助を受けた。南オーストラリア中に溢れる「バンクシア」名の多様な植物種の命名者ジョゼフ・バンクスはクック航海に随伴したが、王立協会総裁になる人物である。

異論はある。しかも根本的な異論だ。西欧人が反合理の「理想の風景」ということでオリエントを見てつくった反合理のピクチャレスク風景を他者に逆に読みこみ、そういう意味で他者を征圧し、消滅させたのが、アーリーモダンから20世紀初めにかけての「表象としての旅」の問題なのだとすれば、平明な言語の背後にある「男性性」を太平洋に運んだクック、アフリカに持ちこんだジェイムズ・ブルース、皆、E・サイードの批判したオリエンタリズムの暴力ということでは、ピクチャレスクの他者無比の構造と実は全然異ならない。それが熱帯や極地での「エントロピック」な、熱や空気が予測不可能な気象現象をうむ環境の中で行きづまり、瓦解の様相を見せる。スタフォード自身、『実体への旅』最後の部分でそのことに気付いており、次作『ボディ・クリティシズム』は「啓蒙」の男性意志が空気学や電気化学の中に解消されていく18世紀像を正面切って描く。

旅行表象論で N. Leaske, "Curiosity and the Aesthetics of Travel Writing 1770-1840"(2002)をうみ、描写論で Cynthia S. Wall, "The Prose of Things"(2006)をうむことになる「スタフォード・スフィア(圏)」は、我々の近くでは高知尾仁『表象のエチオピア』をうんだ。『幻想の東洋』(ちくま学芸文庫〈上〉〈下〉)の彌永信美氏などと組んだ『表象としての旅』の編集人でもある高知尾氏の意欲作は、他者消滅の構造分析ではスタフォードより繊細かつ周到。実に誇らしい。

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2007年06月08日

『食卓談義のイギリス文学-書物が語る社交の歴史』圓月勝博[編](彩流社)

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「卓」越する新歴史学の妙

学問史といってもよいし、知識形成論、知識関係論といってもよいが、才物たちの離合と集散の中から新しい知識が算出される様子を描く本はどれも面白い。田中優子『江戸の想像力』は「連」のそうした出会いの産出力を描いて魅力的だったし、山口昌男歴史人類学はそもそもの『本の神話学』から『内田魯庵山脈』まで、要するに大小のコロニーの中で生じるパラダイム変換の記述誌といってもよいほどだ。

洋書には無数にあるが、フロイト・ユング往復書簡(邦訳:講談社学術文庫〈上〉〈下〉)編集で有名なウィリアム・マクガイアの書いた『ボーリンゲン』(1982)以上のものはない。分析心理学のC・G・ユングが世界中の知性を領域横断的に周りに集めたいわゆるエラノス・ターグンク(エラノス会議)が、アメリカにそのディヴィジョンとしてボーリンゲン基金・出版をいかにして創設したかを、20世紀を変えた百有余名の傑出した知性の、一共有空間を舞台にした交渉の積み重ねとして活写した。今ぼく自身が翻訳中だ。

そういう一共有空間の具体的イメージは、間違いなく丸いテーブルである。人と人が集まり、しかもメンバーに価値的上下関係のない発言の平等性・循環性が保証されているという条件をクリアできるコミュニケーション・ツールとして、円卓以上のものはない。絶対にそのはずだと思って貴重写真満載の『ボーリンゲン』を眺めると、石の巨大円卓が緑蔭に快く、周りにまさしく人文学やサイ科学の世界的傑物がずらりと坐って会食している究極の一枚が、さもありなんと目に入ってくる。第一、エラノスという名自体が地名でもあろうかと思っていたら、ギリシア語で「丸い卓」を意味する語と知れて、思わず膝を打った。

人ひとりにできることには自ずと限界がある。ふたり集まると一足す一以上の何かが出てくるのが、こういうコロニー文化史の面白いところだ。1930年代ワイマールとか1960年代のグリニッジ・ヴイレッジとか、いろいろ書ける。種村季弘の隠れた名著『ヴォルプスヴェーデふたたび』もおそろしく魅力的だった。

知の円卓が光彩陸離としたのは18世紀も同じだった。諷刺の黄金時代ということで古代アテーナイ以来といわれていることが、いろいろ異なる見解を許容したデモス(民主)精神の成熟度を示しているわけだ。議論百出をそのまま各人の口から出る「意見」として記述していく文字通りの観念小説の発明家として、トマス・ラヴ・ピーコックに着眼し、ローレンス・スターンに目を付けたというのが、たとえばぼくの処女評論集『アリス狩り』の根本的テーマである。

主人公たちが対峙して卓の周りで語り合う場面が現にあるからというだけのことではない。多様な価値が互いに競合しながら決して一点に収斂することを許さない作品自体の構造がそれ自体円卓的なので、ノースロップ・フライが「百科事典的」と呼ぶ「アイロニー」の文学、たとえば『白鯨』や『重力の虹』が典型であり、円卓イメージが究極的には人間の身体そのもの(物質的下層原理)とも巧く合致するので、身体融合の祝祭と対話を支柱とするミハイール・バフチーンの文学・文化批評をも、円卓文学論はそっくり取りこむことになる。そして哲学的淵源としてソクラテスその他、古ギリシアの「食卓を囲む哲人たち」を位置付ける研究が、当然のように出てくる。

しかし何しろ問題はアーリーモダンの英国だろう。ピューリタン革命以後、名誉革命からホイッグ、トーリー二大政党による議会民主制の成立まで、随分な量の議論百出が想像されるが、まさしく嗜好文化史に冠絶するコーヒーハウスの百年であろう。一番初めに、政治論が飛び交い、商人ダニエル・デフォーや文豪ジョン・ドライデンの耳学問の舞台となり、最後にはロマン派の文学談義の白熱の場になだれこんでいった人と人を会わせ、喋り合わせるテーブルの百年。その18世紀末にかけて、『ジョンソニアーナ』といった不思議なジャンルの「文学」が登場する。人の名に「・・・アーナ」という語尾が付いて、誰それの言動録という意味。『ジョンソニアーナ』なら大文豪サミュエル・ジョンソンが有名な「文学クラブ」でほとんど一日中喋り続けていた芸談時俗の噂話などの集大成である。

通に有名なところではジョン・セルデンの言動録があるが、かつてぼくに「今に高山さんの播いた種、つくった子供たちがいろんな所で出てきますよ」と嬉しいことを言い続けた圓月勝博氏が、以上記したようなぼくの直観に過ぎない円卓文化論を、このセルデンについて見事にまとめているのに感心した。

というか、アーリーモダンの英国文化で主たる業績をあげつつある新歴史学、その気鋭が七人寄って、政治のみか演劇や活字印刷メディア全体に「卓」の比喩的機能が溌剌と生動していた様を描いた。流行のアンソロジーという形式を「紙上の饗宴」と結論付けるあたり、「紙」と「宴」にこだわりぬいてきたぼくなど、思わずして快哉を叫んだ。快挙である。

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2007年06月05日

『イギリス的風景-教養の旅から感性の旅へ』中島俊郎(NTT出版)

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高校生がピクチャレスクを学ぶ日

旧式な人文科学が気息奄々とする一方、メディア論を核に新しい人文科学が醸成されつつあるのはたしかだし、ぼくなども教育現場にそうした趨勢を反映したカリキュラムを工夫しようと、柄にもなく「教育者」として腐心している。バブル崩壊前夜まで知の前衛だった人たちが一定の年齢になっての初中等教育熱が面白い。

松岡正剛氏の『17歳のための世界と日本の見方』の好調が典型だし、松岡氏の「70年代最大の発見」だった荒俣宏氏がダーウィンのビーグル号航海記を小学生を相手に漢字総ルビで訳した仕事なども思い出す。「関係の発見」というバロックやマニエリスムの構造こそ、ぼくのいう「編集」です、という松岡氏の主張や材料がとても高校生に通じるとは思えず、今時の大学新入生にだってかなりきつい内容と思うのだが、難しいことを易しくいい続けることには、それはそれで松岡氏クラスの能弁と透徹が必要だと知れる。

新人文科学は「電子リテラシー(digiteracy)」と同じくらい、ダイナミックに議論の舞台として再編さるべき世界史(あるいは日本史)の知識を必須とする。たとえばまたしても松岡氏だが、氏が主宰する編集工学研究所で編集した大年表『情報の歴史』(NTT出版)の中で必要に応じて自由自在に再編集される世界史。実に全国の高校の約一割強における履修漏れ騒ぎもなお苦々しく記憶に新しいが、「地理歴史」が一番ネグられていたわけで、望まれる教養と現実の実力の差は凄いものがある。新人文学に歴史教養は必須だ。

こういう高校と(生き延びるためにとにかく工夫はする)大学の開き、というか不連続はどんどんひどくなりそう。というので、たとえば東大駒場で新二千年紀あけてすぐから「高校生のための金曜特別講座」というのを始めたのだが、2005年度のそれが『高校生のための東大授業ライヴ』にまとまった(東大出版会、2007)。求心力がもうひとつという印象だが、ぼくにとって面白かったのは第9講。安西信一先生の「イングリッシュ・ガーデン誕生の裏側-その美学と政治学」講義。今から20年くらい前には高校生はおろか、大の大人でも学びようのないテーマだったわけで、大袈裟でなく感無量である。

イングリッシュ・ガーデンといって我々が普通に思い浮かべるのは、19世紀末からのケイト・グリーナウェイ の可愛い絵にあるような小綺麗なハーブ・ガーデンだが、実際には、18世紀一杯、反フランス造園術として異様な姿を歴史に刻んだ風景式庭園(landscape garden)を指す。ピクチャレスク・ガーデンという呼び方も可能。今日そのあらかたがなくなったり、ゴルフ場に変貌したりして、見ることができない。もう一人のグリーナウェイ、ピーター・グリーナウェイの映画『英国式庭園殺人事件』で見られる。あるいは、スタンリー・キューブリックの長尺『バリー・リンドン』でも終りの方に壮麗なピクチャレスク・ガーデンが見られる。18世紀文化の象徴である。

フランス絶対王政(ルイ王朝)がヴェルサイユ式という左右均衡・求心構造の作庭に、その「空間政治学」(ヴァルンケ)を実現したのに対して、イングリッシュ・ガーデンは中心を欠く多視点多核の一種のジャングルをめざした。フランス的美意識がつるつる滑らかなものを良しとする以上、英国人は「ラフ」で「ラギッド」なものを愛でなければならない。端的には、直線路がそれも放射状に展開するフランス式庭園に対して、「サーペンタイン」式、即ち蛇行を重ねる曲線の園路に執す。中尾真理『英国式庭園-自然は直線を好まない』(講談社。叢書メチエ)の副題はそのことを意味している。蛇状曲線の作庭術だ。

独自の風景観を持たなかった18世紀初頭の英国紳士たちはイタリアを美の理想の標的に決め、イタリア風景を絵の形で輸入し、それを英国という異土で立体的に立ち上げるという倒錯を演じた。英国華紳の教養の印がイタリア風景にどれほど通じているかで測られた。歩きながら、これは画家某が描いたイタリアのどこそこの風景と見抜いていくのが、教養の印。極端なのはウェルギリウスの永遠の名作『アイネーアス』の歌枕めぐりを庭を歩きながら行う。名作からのさわりがそこここに碑銘となって散りばめられていた。辟易するね。

たとえば、18世紀半ばの憂愁趣味や感傷傾向に染まり、特にバークの「崇高」論(1757)に染まって、庭と歩く散策者の間の相互反映の構造を介する形で、どんどんゴシックな気分、恐怖や戦慄を演出するマニエリスム色の強い庭に化していった事情が面白い。

ピクチャレスク・ガーデンをそれとして再点検した建築家デイヴィッド・ワトキン 『イングリッシュ・ヴィジョン』(1984)を、ぼくの 『目の中の劇場』 『庭の綺想学』 が安西信一『イギリス風景式庭園の美学』(2000)に媒介したものを、中島俊郎『イギリス的風景』(2007)が「教養の旅から感性の旅へ」という巧いコンセプトで整理した。

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2007年05月22日

Evans, R. J. W. & Marr, Alexander (eds.), "Curiosity and Wonder from the Renaissance to the Enlightenment"(Ashgate, 2006)

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「驚異の部屋」の新歴史学

先回、マニエリスム本の紹介にかこつけて「澁澤龍彦の驚異の部屋」展の話をした。建石修志はじめ澁澤狂いでは人後に落ちないと号する異才アーティストが、いかにも澁澤世界というイメージ・オブジェの競演をした。

「驚異の部屋」の存在を、我々はまず澁澤の異端文化・文学研究のマニフェスト、『夢の宇宙誌』(1964)で知り、澁澤夫人・故矢川澄子と盟友種村季弘共訳のホッケ『迷宮としての世界』邦訳(1966)で知り、実はあまたあった16世紀末の驚異の部屋中、最強のものであった神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世のプラハ宮廷の、国庫を傾けての珍獣奇物の蒐集ぶりを初めて知って唖然とした。

ホッケの言葉によると、「世界を遊びの相の下に」見る政治もあり得たのか、と驚いた。我々は政治を主に政治力学としてしかみないが、世界を魔術的に統一しようとする見果てぬ夢があり得た。「日出処の天子」神話がいきなり西欧近代の入口に生きていたことに感動した。薔薇十字神秘主義やフリーメイソンとレアルポリティックスの関係の入口にルドルフ2世はいた。近くはオウム真理教の挙が記憶になお生ま生ましい。

ルドルフは珍物を蒐め、奇才異能を集め、集められたジュゼッペ・アルチンボルドはアルチンボルデスクと呼ばれる諸物総合による寄せ絵肖像で、この変った文化自体の肖像を残したと言える。ばらばらな世界に直面した人間の「原‐身振り」としての異様な蒐集癖として、ホッケは歴史のあちこちにマニエリスム現象をさぐりあてるための指標ということで「驚異の部屋」の存在を使った。

ホッケもそうだが、第一次世界大戦直後のドイツと東中欧、第二次世界大戦直後のドイツ、東中欧がマニエリスム研究の高頂期だったことは絶対偶然ではない。「なによりだめ」になったドイツが戦後荒廃から立ち直るために負を正に転換する支えとして、マニエリスム理論は熱く機能した。それを少しクールにやり始めたのが意外と英語圏で、顕著なのは、1973年、新進気鋭を絵に描いたような歴史学者 R. J. W. エヴァンズの 『ルドルフ2世とその世界』、邦訳 『魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界』(現在ちくま学芸文庫 〈上〉〈下〉)と、1981年、Oliver Impey and Arthur MacGregor, "The Origins of Museums" であった。

人や物の動きの具体的データに即して、文化史(Kulturgeschichte)というどちらかというと理屈先行に陥りがちな新しい歴史学のめざましい先行例となった前者、「驚異の部屋」が16世紀末からいかにヨーロッパ全体にわたるものだったか、国別に総覧した後者。ドイツ語だのハンガリー語だのが不自由で歯ぎしりしていた身にはまさしく旱天の慈雨。こうしてマニエリスムが、「驚異」が学の、社会学や歴史学の対象になり得ることがわかり、澁澤マニアのお耽美愛好趣味から離陸した。

いうまでもないが、これに1991年、またしても英語圏からスティーヴン・グリーンブラッドの"Marvelous Possessions : The Wonder of the New World" (1991;Hardcover1992;Paperback/邦訳『驚異と占有』)が追いうちをかけ、驚くべき奇物珍鳥を見てヨーロッパ人が感じた快感や美意識が実は中南米古文化のスペイン人による略奪品のうんだものと断じて、お耽美マニエリスム・ファンは一挙に「新歴史派」のにわか歴史学者に転じて、今にいたっている。

今日のミュージアムは、そうやって16世紀末に驚異博物室(Wunderkammer, cabinet of wonder, chambre de merveille)と呼ばれていた施設が18世紀半ばに公的管理の啓蒙空間に化けて出来上ってきたものである。その変化で喪われたものが「驚異」の念ということになると、マニエリスムの歴史学、好奇心の社会学が、ミューゼオロジー、即ち蒐集と展示の記号論に興味をもたざるを得ない。1887年あたり、「アルチンボルド効果」展、「メドゥーサの魔術」展に端を発して5年ほど頻発した大企画展の過半がマニエリスム関連であった異様現象を説明できたのは、残念、ぼくひとり。

さて、そんなぼくの今回お勧めの一冊。先にあげた R. J. W. エヴァンズがインピー、マグレガーの役どころを演じることになった、"Curiosity and Wonder from the Renaissance to the Enlightenment"(2006)である。汎欧的に生じたアーリーモダンの「驚異の部屋」を、しかも単に総覧ではなく、各論者好みの着眼で追うので、読み物としても楽しい。

相変らず独墺圏のマニエリスム研究は凄いが、ほとんど紹介されない。イタリア語圏は全然来ない。フランス語圏はダニエル・アラス一人気を吐いていたが、物故。『モナリザの秘密』(白水社) に片鱗の伺えるアラス肝心の『デタイユ』 と 『マニエリスム』 は先の話。そこが英語で一挙に埋められる。上に述べたマニエリスム研究の展望が得られる上に、我々の見失った1980年代以降の研究状況が根こそぎ整理されていて、有難い。

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