• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年04月11日

『フランス近代美術史の現在-ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から』永井隆則(三元社)

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新美術史への素晴らしい導入。本当は何もかもこれから、らしい。

「ニュー・アート・ヒストリー」という呼び名を初めて耳にしたのは、ノーマン・ブライソン(Norman Bryson)が編んだ『カリグラム』(“Calligram : Essays in New Art History from France”)で、このアンソロジーを入れたシリーズの名も‘Cambridge New Art History and Criticism’と言った。当時ケント大学にいて、やがてぼくなどを一時虜にした凄い企画力を持つReaktion Booksの名顧問役となるスティーヴン・バン(Stephen Bann)と、建築史そのものを次々大著で書き換えるケンブリッジ大学のジョセフ・リクワート(Joseph Rykwert)の編集になるこのシリーズを、中心になって推進していったのが、ノーマン・ブライソンである。親日家で、森村泰昌のアートを国際的に有名にしたこの人は、たとえば江戸アート研究をかなり前に進めることになるタイモン・スクリーチ氏の直接の師でもある。スクリーチを介して、ぼくもブライソン教授と眤懇になった。

『カリグラム』は、いま見ても凄い。アメリカで『オクトーバー』『リプリゼンテーションズ』、英国で『アート・ヒストリー』『ワールド・アンド・イメージ』といった、画期的に新しい美学・美術史の専門誌が出てきた時代の動向を、ニュー・アート・ヒストリーと名付け、T・J・クラーク、ジョン・バレル、トマス・クロウ、ロナルド・ポールソン、マイケル・フリード、そしてもちろんスヴェトラーナ・アルパースの名を掲げ、芸術の自律性・普遍性ばかり主張する一世代前のフォルマリズム批評の自閉を突破すべき新しい芸術社会学の時代の到来を言った。そして、そういう動きの源泉となったものとしてとして挙げるのは、主に1960年代フランスの当然旧套美術史学の埒外にあった人々の文章群――ムラコフスキー「記号論的事実としての美術」、ボンヌフォア「15世紀絵画の時間と無時間」、クリステヴァ「ジョットの喜悦」、ボードリヤール「だまし絵」、ルイ・マランのプーサン論、フーコーの「ラス・メニーナス」論、バルトから2篇、ミッシェル・セールから2篇――で、どちらかといえば記号論や表象論からというエッセーが多い。

ぼく自身、たとえばこの『カリグラム』の目次と素晴らしい序文に感銘を受け、1960年代末から70年代半ばまで、人文学全体をあれほどリードし得た美術史学が完全に力を失ったのを訝しむばかりではダメで、その間、海彼の美術史学はちゃんと動いているのだという証を得て、軽率を覚悟で「ニュー・アート・ヒストリー」の呼称を「僭称」して丸善の美術関連洋書カタログ『EYES』創刊の「マニフェスト」とした。フランスでは、あちこちで生じていた旧套美学批判をひとつの動きとして総括する動きがなく、ジャン・クレイの歴史的名作『ロマン派』『印象派』の如きテクスチュア分析と芸術社会学が見事にマッチした批評の土壌が醸成される気配もなかったが、英訳アンソロジー『カリグラム』で初めて実現した。新美術史の動向をサーベイするには、第一級の序文も含め、ぜひ日本語にしなければならないが、フランス語の英訳をさらに日本語にという重訳は厄介だ。とかく言葉が壁。

「主体」なるものを少しも疑うことのない美術史が、構造主義のインパクト下、「主体」は世界との相互作用の中でしか生まれないという立場をとると絵がどう見えてくるか、という哲学的実験が綴られるようになり(バルト、フーコー)、それが今、飽くまで社会の諸関係の中でしか絵の意味は捉えられないという厳密な意味でのニュー・アート・ヒストリーの段階に入りつつある。しかし、二元論的モデル(男対女、先進国対開発途上国、人間対自然)を手放さないため、十年一日の差別批判の紋切りに落ち着きそうになっていて、それはそれで頭の痛い状況だ。

こうした知の一般的な流れを、かつてはリーダーだった美術史が遅ればせながら今また捉えた、という確証を持てるのが、「ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から」という衝撃的副題を持つ本書である。それも、日本人好みのフランス印象派に限定しての論集であるところが巧い。ここをやらせれば永井隆則氏と、ぼくなどでも存じ上げる稲賀繁美、三浦篤、天野知香お三人を中心に、まさしく最前線の8人が、クールベ、マネ、ドガ、セザンヌ、モネ、ロダン、ゴーギャン、そしてマティスを厖大な文献資料を基に、いかにも学界人という手堅さで、しかも一般啓蒙を共通の気合いとして、これ以上ない懇切な語り口で説く。素晴らしい永井序文の「あらかじめそのような枠組みを設定して企画された物ではない」と言う説明が本当だとしたら、まことに素晴らしいメンバーだ。フランス専門の人たちの英語音痴が、このメンバーにおいては当然のように解消されているのが非常に嬉しい。

それにしても、ブライソンの名著一点、邦訳なく、稲賀氏の指摘でびっくりしたが、印象派を社会学の対象とした初めての仕事、T. J. Clarkの“The Absolute Bourgeois”の邦訳すらないとは!このタイムラグ、この語学音痴に、改めて驚きを感じる。何も起きていないことに。

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2008年04月04日

『CORE MEMORY-ヴィンテージコンピュータの美』マーク・リチャーズ[写真] ジョン・アルダーマン[文] 鴨澤眞夫[訳] (オライリー・ジャパン/オーム社)

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コンピュータにも「神代の歴史」があった

その由来からして、年代もののワイン、せいぜいでジーンズ、あるいは20世紀初めのクラシック・カーくらいが使用範囲かと思っていた「ヴィンテージ」という言葉が、コンピュータについても使われるのかと一瞬とまどったが、考えてみれば、1930年代、40年代の車をそう呼んでよいなら、同じ頃つくられた計算マシンをヴィンテージと称すのに何の無理もないわけだ。

というので、今のところ類書のないこの一冊。1941年製のドイツZ3カルキュレーターから始まって1999年のGoogle最初の運用サーバまで、全32機種のコンピュータと、集積回路に取って代わられるまでの磁気コアメモリを、実にアングルの良い、痒いところに手の届くような細密かつ妙に生物写真のようにぴかぴか、ぬるぬるした「生気論的」フルカラー写真で、飽かず眺めさせてくれる。コンピュータ史概説書はいくらもあるが、わかり方、「愛着」の湧き方が全然違う。

半世紀経た代物ばかりだから、さすがに塗装があちこち剥落していたり、中には暇つぶしの銃弾による弾痕なんていうものがついていたりして、まるでコンピュータの歴史博物館のようだが、その通り、これはカリフォルニア州マウンテンヴューにあるずばりコンピュータ・ヒストリー・ミュージアムの収蔵品を戦争報道や都市ギャングの写真で有名な写真家マーク・リチャーズが撮った写真に、ハイテク関係といえばこの人と言われるライター、ジョン・アルダーマンが余計な修飾一切抜きに、まるでミュージアムの壁上の解説文のような簡にして明快な文章を添えた、一種の紙上ミュージアムである。変わった、しかし重要な展覧会の図録を取り上げてきた締めに本書を取り上げるのも自然な流れと思う。

コンピュータ史といえば最初のフォン・ノイマン・アーキテクチャーを内蔵したENIAC(1946)から始まり、ソ連機による空襲を警戒するための巨大システムSAGE(1954-63)、地上での戦争に止まらずスペースレースにコンピュータが関わる契機となったApollo Guidance Computer(1965)、ユーザによる自分ひとりの改造が許された「パソコン」のはしりであるDEC PDP-3(1965)、ペイントプログラムの革命とされるSuperPaint(1973)など、噂の重要マシン(やソフト)がほぼ全部取り上げられている。もちろんApple I、Apple II、Macintosh も出てこないはずがない。

主眼はデザイニングの変遷史にある。「何フロアも占有した数トンの巨大マシンから消費者が引きずり回せる何かへ」の歴史が、ページを追うごとにはっきりと理解できる。最初に製品となった機械はどれか(UNIVAC I 1951)、集積回路はいつからか、互換性という概念はいつどの機械からか、パケット交換方式はどこからかなど、コンピュータリズムの基本概念が次々とデザインに生じた変化と併せて説かれていく。

APPLE I のようにいわゆるホビーストたちが木の板を基盤にそれぞれ好みの仕様で組み立てていたところから「見栄えのする箱」のデザインが生まれ、「ケースのカラー戦争」が勃発していったという事情が、見事な写真でよく理解できる。一時なぜベージュ色が流行したのかなど、デザインという点からほとんど考えられたことがないコンピュータを、Minitel(1981)を「触ってうれしいデザイン」と言い切り、DDP-116(1965)の「クリーンなラインと空白部の多様」はそのまま「カリフォルニアの風景」だなどと言ってのけるアルダーマンの時に洒落たコメントに従って眺め直してみることができる。地下200メートルにあって日常生活に不便だったSAGEにはライターと灰皿が組み込んであったなど、イノベーションの連続とも言えるコンピュータ・デザイニング史のちょっとしたエピソードも楽しい。

また、「際立つ才能を最高速マシンを作ることに注ぎ込んだことで知られる」シーモア・クレイ設計のCDC6600はコンピュータ・デザイン史の革命とよく言われるが、「そのスピードをもたらしたのは、特別なハードウェアではなく」コンピュータを「全体論的にデザインする」クレイの才能だと言われて、納得がいった(「単純に超高速のプロセッサに頼るのではなく、全体が効率的であるようにする」)。

一番最初のZ3の写真は、実は再現した機械の写真。1944年のベルリン空襲で原機は灰に帰してしまったからだ。ENIACにしても軌道軌跡計算のために開発されたし、ライター・灰皿装備のSAGEだってソ連相手の冷戦の落とし子である。戦争がデザインを発展させた代表的な分野がコンピュータであることがよくわかってくるにつれ、これがビジネスの具と化し、APPLE II のように「楽しさやゲーム」の具と変わる平和な時代をしみじみとありがたいと思う。

翻訳の鴨澤眞夫氏は、ぼくの知り合いの画家鴨澤めぐ子さんの実の弟さん。その御縁でいただいた本。翻訳書がこんなに面白くなったのも、原書の写真のミスを原著者に質(ただ)して直させるほどの訳者の入れ込みの賜物。「日本野人の会」名誉CEOという。どういう会なんだ!

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2008年04月01日

『アウトサイダー・アートの世界-東と西のアール・ブリュット』はたよしこ[編著](紀伊國屋書店)

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結局「内」なんて「外」の外なんだなあ、ということ

ジャンルも定まり評価さえ決まった作品を「確認」に行くタイプの展覧会にも良いものはあるが、「こりゃ何だ」と認識や常識の転覆を迫ってくるような企画展は貴重で、「GOTH-ゴス-」展などもそういうものとして記憶に残った。しかし何といっても、世田谷美術館の名を一躍有名にした「パラレル・ヴィジョン」展だ。図録『パラレル・ヴィジョン-20世紀美術とアウトサイダー・アート』は、同展覧会開催の1993年頃から少しずつ人々の口の端にのぼり始めていた「アウトサイダー・アート」を知ろうとする者にとってのバイブルであり続けている。

この展覧会のハイライトのひとつが、「戦闘美少女」(斎藤環)の典型ヴィヴィアン・ガールズが子どもの奴隷たちを解放しようとする凄惨な戦争絵巻『非現実の王国で』のヘンリー・ダーガーだった(参考:『HENRY DARGER'S ROOM 851 WEBSTER』)。同展を見て受けた衝撃を作品社編集部の加藤郁美さんが『非現実の王国で』邦訳版に結実してくれ、訳者小出由紀子さんはアール・ブリュット作品のキュレーションにますます力を入れることになり、ダーガー・アートを世に出した研究者ジョン・M・マグレガーのさらなる研究書の邦訳紹介を、といった一連の仕事にぼくも些か関与することになって、すっかりアウトサーダー・アート/アール・ブリュットにはまった時期がある。その後、ユートピックな幻想建築図ばかり描き遺したA.G.Rizzoliのことを教えてくれた加藤さんのアウトサーダー・アートへの入れ込みようには驚いた。何かやって欲しいな。折りしも、渋谷シネマライズにて「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」が始まったこともあり、加藤さんの先進的なカンの良さを改めて確認。

今年、スイスのアール・ブリュット・コレクションと日本のボーダレス・アートミュージアムNO-MAとの連携による企画展「アール・ブリュット/交差する魂」が開催されることになった。北海道立旭川美術館を皮切りに、今は滋賀県のNO-MAで、そして5月24日からは東京で開催される(~7月20日・松下電工汐留ミュージアム)。美術展ブームというが、数ばかり多く、そもそもアートとは何か、ヒトが何かを「描く」とはどういうことか、というところまで考えさせられる攪乱力に満ちた展覧会でないと不満、という諸姉諸兄、ぜひ行ってみるべし。

この『アウトサイダー・アートの世界』は、同展の図録を兼ねた研究書。ジャン・デュビュッフェが1945年のスイス旅行で発見した知的障害者たちの表現力に衝撃を受け、これを「生の芸術」と名づけ、シュルレアリストたち(たとえば以前とりあげたアンリ・ミショー)の絶大な霊感源となっていったという状況、ぼくなど団塊の世代が小学校高学年の頃、学校ぐるみで観に行った映画『裸の大将』の山下清「画伯」の発見から1995年のエイブル・アート・ジャパン出発に至る日本の状況を、キュレーターはたよしこ氏がまとめてくれる文章は、明快かつ「「障害者の作るものは純粋だからすべてよい」というような間違った差別的偏見」をいきなり正してくれる。

はた氏によると、アウトサイダー・アートと呼ばれ始めたものとは、アーティストが「芸術教育を受けていないということ、制作活動や表象の行程に新たな意味付けをすること、独創的かつ一貫性のある表現体系の適用、特定の文化に列しないこと・・・制作活動の自給自足的な発展、受け手の不在、作者がいかなる文化的社会的認知や賛辞にも無関心であること」などが条件だという。こういう基準でスイスのアール・ブリュット・コレクションが日本でアーティストたちを探した結果、知的障害者の福祉作業所やグループホームで「発見」された多岐多様にわたる21人の表現活動が紹介される。

自分で表現しているのでなく、何かに表現させられているらしい彼らのパワーは底知れず、集中力もフツーの人間との比較を絶し、同じことをずっと、いくらでもやり続ける。逸早くこういう世界に目をつけ、レオ・ナフラティルやモルゲンターラーやプリンツホルンの先駆的研究書を消化して、たとえば『ナンセンス詩人の肖像』や『迷宮の魔術師たち』を書いた種村季弘は流石だと、改めて思う。その種村が愛した「聖者」アドルフ・ヴェルフリの真偽ごっちゃの「自叙伝」の厖大からはじめ、交霊会狂いの女霊媒(ジャンヌ・トリピエ、マッジ・ギル)、コラージュ都市風景のヴィレム・ファン・ヘンクなど良く知られたものもチェックされているが、日本中の電車の正面「顔」ばかり稠密細密に描きこむ本岡秀則、平家納経じみて一枚の紙に字と絵がぎっしり交錯する富塚純光、同様に漢字で世界を埋め尽くす喜舎場盛也など、緻密を予想してかかるこちらのはるか上を行く細部と反復がとにかく凄い。一人のアーティストの紹介作品が少なすぎる、もっと見たいと思わせる図録なんて久しぶり。必携。展覧会も必見だ。

「障害者を見てやっと、健常児は画一的なんだと実感できるように」なったという比較行動学者正高信男氏の言葉がすべてであろう。

今回改めて、「日本で唯一の入門書!」を謳った『アウトサイダー・アート-現代美術が忘れた「芸術」』の早々の目配りの良さにも感心した。著者、服部正氏は、長年の友人で元「月刊イメージフォーラム」を編集していた服部滋氏の甥御さんで、兵庫県立美術館学芸員。

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2008年03月28日

『GOTH』横浜美術館[監修](三元社)

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いろいろあるけど、全部許せる表紙にヤラレタッ

旧臘22日よりまる三ヶ月間開催されてきた横浜美術館の「GOTH-ゴス-」展が終わった。記念のトークを頼まれて出かけた日、真冬の荒涼とした風景の只中、美術館前で撮った写真が、当ブログのプロフィール欄に載せた筆者近影である。Dr.ラクラ(Dr.Lakra)が女優クリスティアーヌ・マルテルの美脚をフィーチャーした派手めな作品ポスターの前で、小生、黒ずくめで「ゴス」を気取ってみた。クリスティアーヌ・マルテルの半裸の美肌にブルーで刺青が彫り刻まれていて、故松田修の名著ではないが、「刺青・性・死」を扱うに相違なさそうな不思議な展覧会のストーリー、コンセプトがほぼどういうものか、入口で迎えるこの一作に如実に表れている感じがした。

表面に憑かれていく文化は、そこに生じる表沙汰にならないものをどんどん内側に隠蔽していくしかない。この外なるものを「精神化」される身体と呼び、内に澱のようにたまっていくものを取り残されて悶え呻く昏い身体とでも名付ければ、往生要集や九相詩絵巻さながらな中世ヨーロッパのメメント・モリ [死ヲ忘ル勿レ] のアートに始まり、吉永マサユキがアキバ・ストリートで撮りまくった「ゴス・ロリ」少年・少女の写真まで、一見それらがここに併存するのは何故と思われる展示物にもそれなりに納得がいく。肉塊となって転がり、それこそT・S・エリオットが「生まれ、性交し、死ぬ、生まれ、性交し、死ぬ」と簡単に要約したストーリーに執拗に苦しむ昏い身体が一方で企画の半分を占めるが、ゴス・ロリのコスプレで来館したら割引とかベスト・ドレッサー賞とか、いかにもという誘いにのってやって来たゴス・ロリたちが、それらに直面してどう思ったのか、関心がある。

身体がキーワードであることに間違いないらしいが、兎角ひとつにまとまりにくいこれだけの材料を、ひとつの<物語>にまとめるのにはどうするか、というのが見所の展覧会。というより、展覧会一般が展示物に内在しない物語を<物語>に仕組んでいく政治的な「思想」であることを、我々は知っている。<物語>は何かを生かす代わりに何かを殺す。この生と死のコントラストがメタファーでなく現実に一番はっきりするのが身体であるわけだから、生きる身体、死んだ肉体を材料にする展示は原理的に<物語>をつくり、夥しい生と夥しい死をそこにつくりだす展示(exposition)という営み自体に自己言及せざるを得ない。

1994年夏、町田市立国際版画美術館(企画:佐川美智子)、ついで栃木県立美術館(企画:小勝禮子)で、生と死のコントラストを壮大なテーマにした「死にいたる美術――メメント・モリ Memento Mori : Visions of Death c.1500-1994」展があり、名企画の誉れ高く、大型カタログも傑作と評された。当時、中世の死生観を書かせればこの人と定番だった小池寿子氏が中世のトランジ彫刻について書いた文章を載せ、「死の舞踏」「死と乙女」といったメメント・モリの典型的なテーマがこれでもかと続いて、現代アートにまで流れ込む。中途に「和洋解剖図」のコレクションが挿まれるあたりも抜かりない。柄澤齊、北川健次といったぼくよりひとつ下の世代に至るまで実に周到に並べられた大企画だった。少し縁のあった名キュレーター(のちにフェミニズム・アートの仕事で有名になった)小勝禮子さんからこの企画のことで相談され、相手がまさしく死にゆく身体をテーマにした企画ゆえ、ぼくはぼくなりに、生をどこかで殺さなければ<物語>を捻出し得ない「ミュージアムの思想」というものに逢着して、ぜひそのことを書いた拙文をカタログ冒頭に載せてくれと頼み、実現した。ちょうどぼくが夢中だったF1レーサー、アイルトン・セナが謎めいた衝突死を遂げた直後で、セナに献げられたぼくの文章「<エクスポーズ>するいやはて」は、後にぼくの『綺想の饗宴』に中心的エッセーとして載録された。懐かしい。

今回展もまさしくリッキー・スワローのトランジ彫刻に始まり、それをモダニズムの絵葉書や雑誌に移し替えたDr.ラクラの仕事に続く。そして束芋(Tabaimo)、イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター(出産と死の直截なパフォーマンス)、性同一性障害のピューぴる(真の自分を求めての外観の千変万化)が間に入り、吉永マサユキのコスプレ少年少女の写真が入る。自ずから時系列に沿った「死生観」変換史‐物語ができる。間に入った部分は1970年代ならグロテスクないし「グロテスク・リアリズム」と呼ばれた世界で、この大きな物語の一部としてちゃんと貢献している。

もう一人、こういうスケールの大きい企画ができる名キュレーターに笠原美智子さんがいて、かつて「ラブズ・ボディー――ヌード写真の近現代」展(東京都写真美術館、1998年)を成功させた時のことを、今回改めて思い出した。ピーター・フジャーとデヴィッド・ヴォイナロヴィッチのコンビがエイズで衰弱していく自分たちの身体を撮った写真を中世の教会のカタコンベに積み上げられた人骨と並べることで生じる安寧と慰撫の物語力(?)に抵抗ありと、当時ぼくは、身体と生死をめぐるいくつかの展覧会について同じような印象を記したサンダー・L・ギルマンに力を借りて述べた記憶がある。

『夜想』の今野裕一氏あたり大いに食いつきそうな展覧会であるが(参考:ART iT「劣化コピーの時代」)、ぼくとしては身体と死生観をめぐるこうした一連の優れた企画として大いに楽しんだ。内に抑えられたものが外に出てくることを“expose”と言う。展覧(exposition)、とりわけ内に秘め隠された身体性とそれを外に昇華した「精神性」の弁証法を問題にする展覧とは何、とこれを機にキュレーター木村絵理子氏のミュージアム観のさらなる深まりを期待して館を去った。

それにしても、小谷真理氏の『テクノゴシック』が銀色、この「GOTH」展カタログがピカピカの金色。金色の表紙に自分の顔が映り、しかもそこに頭蓋骨が透けて映る心憎いリフレクション [鏡] の仕掛けに気付き、いやいや敵もさるものと大いに愉快な一冊ではある。

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2008年01月08日

『綺想の表象学-エンブレムへの招待』伊藤博明(ありな書房)

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視覚メディア論、どうして最後はいつもイエズス会?

一時、エルメスのエンブレムなどといって、随分フツーに「エンブレム」という言葉が使われた。実は16、17世紀ヨーロッパ文化が一挙に視覚文化の色合いを強めていった時の尖兵となった画期的な画文融合メディア、伊藤博明氏の言う「イメージとテクストの両者に訴えかけた中世・ルネサンスのある文学ジャンル」(p.158)であったものが、今日なんとまあ軽くエンブレムなんて呼ばれて、と嘆くこともない。たとえばEveryman's Libraryのワールド・クラシック叢書などによく付いている大きな船の錨にくねくねっとからみついた海豚も実は立派にエンブレムだ。立派にエンブレム、とは?

本書によると「錨にからみつく海豚というヒエログリフ」を自社の社標として最初に選んだのは1501年、ルネサンス・イタリアのアルドゥス・ピウス・マヌティヌスであるという。時代はダ・ヴィンチの死、そしてローマ却掠を間近に控えたマニエリスム前夜だ。この書肆と眤懇だった大エラスムスが、「錨は船を遅らせ、留め置くので<遅さ>を表す。海豚は、これよりも速く、敏捷に動く動物なので<速さ>を表す」と説明したそうだ。「もしこれらが巧みに結合されるならば、<常にゆっくり急げ>という格言が出来るだろう」。なるほど、なるほど。長年の謎、というか謎であることさえ知られなかった社標、商標のいわれが氷解。

「ヒエログリフ」はいまさら言うまでもないが古代エジプトの絵文字。ルネサンス期にホルス・アポッロ(ホラポッロ)『ヒエログリフィカ』が「発見」されて(1419)一挙、ルネサンスに時ならぬエジプトマニアとヒエログリフィックス熱が生じたことは周知のところ。「普通の文字で記されたものはいつか忘却される」(L.アルベルティ)のに対し、「絵」はその曖昧/多義な性格のまま持続力ありというので、古来というのでもなく新時代の日常に根ざす意味や新解釈が加えられ、コロンナ『ヒュプネロトマキア・ポリフィリ』のような画文一体の幻夢建築奇譚(1499)などがうまれた。故澁澤龍彦が偏愛を隠さなかった『ポリフィルスの夢』のことである。こうして日常化されたヒエログリフに、さらにインプレーサが加わって、これがエンブレムの材料になっていくのだ、と『綺想の表象学』は言うが、類書ではもうひとつ歯切れの悪いこの三者の関係についての説明が非常に明快で良い。

「インプレーサ(impresa)」というのは飽くまで一人の個人の鴻業、野心、性格がそれを見るとわかる図柄で、説明の文句(「モットー」と言う)が付く(“motto”“legend”“device”など皆、この辺の面白い意味を持つことを、辞書で改めて確認した)。これがその個人を含む一族といった集団によって繰り返し使われエンブレムと化していくのだとか、個人的意味を卒業してもっと普遍的な意味、万人向けの道徳的教訓を持つとエンブレムなのだとか、いろいろ細かい例外はあるにしろ、副題に「エンブレムへの招待」を謳う入門書にはぜひ必要な枠組の、類書に見ぬこの明快さは非常に貴重だ。

著者自身、今まで日本人に馴染みのないこのテーマの「入門書」を心掛けたと言っている。ヒエログリフ復権、インプレーサ流行、そしてエンブレムの各方面での発展、宗教そして聖俗の「愛のエンブレム」といったサブジャンル化を経て、イエズス会の視覚的布教戦略に説き及び、すると当然、日本への到来(司馬江漢)という章立てはゆるやかに時系列にも沿い、ポイントになる話柄も過不足なく取り上げられていて、まさしく入門書としては文句なし。

インプレーサにしろエンブレムにしろ、絵を言葉が解き、言葉を絵が文字通り絵解きしている画文融合の面白いジャンルである。何かの具合で文字がなくなれば、絵はエニグマ(謎)と化すという関係。もっとも説明の文字があっても、然るべき古典や聖書の知識がないとやはりこじつけめき、謎めいたままで、そこの解釈の面白みがエンブレム研究の、ひいては本書の一番の面白さであろう。

自分の尾を咬む蛇はウロボロスといって、ゆっくり、しかし確実に進む故に時間を表す、くるっと円環する時間、つまり季節の巡りを表すといった単純なものから、そういう単純な要素の累重によってめちゃくちゃ複雑になったケースまで、学説の隘路に入らず、次々そういう読みの具体例でページが埋まるので、解き明かされる感覚を楽しめるゲーム感覚のある読者なら、浩瀚500ページ、さしたる苦ではない。というより想像通り、エンブレムを作るのはルネサンス宮廷内で奇想とこじつけの頭を競う、ダンスなどと同じ「一種の遊戯」であったかもという指摘で、読者は研究などと構える気負いから救われる。

変わった世界のように見えるが、たとえばぼくが大学・大学院でシェイクスピアなど勉強していた1970年前後にはイコノロジーという大名目の下で文学、特に演劇をエンブレムの計算ずくの集合体と見る研究がむしろ主役じみて、岩崎宗治、藤井治彦といった秀才たちの研究が若者たちを驚かせたものだが、なんだかそれきり。エンブレム探しゲームに終わる本ばかりの中、ロイ・ストロングの『宮廷繚乱』のように、時代におけるエンブレムの装置を明快に書いた名著もあり(『ルネサンスの祝祭』として平凡社より邦訳)、そしてその一著で全てという例の「プラツェスコ」(プラーツ的)な書、マリオ・プラーツの『綺想主義研究』も日本語で読めるのだから、昨今マンガやアニメをやればヴィジュアル・カルチャー研究と思い込んでいるそれはそれで少々情けない風潮に抗して、言葉と物(つまり絵)の関係――「ウット・ピクトゥーラ・ポエーシス(詩は絵のごとく)」ともエクプラーシス(ecphrasis)とも呼ばれる画文融通の異ジャンル――を、ここいらから一度本気で鍛え直した方が良いのではなかろうか。

それにつけても、もの凄いシニョール・イトウである。プラーツ『綺想主義研究』も伊藤氏に訳させてしまった書肆ありな書房である。ありな書房にプラーツとイタリア異美術史学の路線を始めさせたのは、かく申すぼくであるが、ここまで「暴走」してくれるとは想像だにつかず、いよいよこれからが大事という本邦の視覚文化論鍛え上げ、叩き直しのための重要拠点であるという自覚を、この名版元には固めて欲しいと願う。

本書に扱われる縁遠そうな文献、ホラポッロの『ヒエログリフィカ』、ジョーヴィオ『戦いと愛のインプレーサについての対話』、パラダン『英雄的インプレーサ集』から、ついには伝説のチェーザレ・リーパ『イコノロジーア』まで、そのあらかたがありな書房から「邦訳が進行中」だそうで、プラーツ選書、ヴァールブルク著作集に次ぐ「英雄的」企画と讃えたい。記憶術テーマの鍵、G・カミッロの『劇場のイデア』も訳し、J・シアマンの(名作『マニエリスム』より実は凄い)『オンリー・コネクト・・・』まで訳そうというありな書房、そして伊藤博明の今年には、またまた目が離せないだろう。

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2007年12月18日

『江戸絵画入門-驚くべき奇才たちの時代』~「別冊太陽」日本のこころ150号特別記念号 河野元昭[監修] (平凡社)

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夢の美術館から戻ってきた感じ

その世界のバイブルとなった『奇想の系譜 又兵衛‐国芳』の著者辻惟雄氏を中心とした日本美術史研究の新風・新人脈で、江戸260年の長大な展望を試みた。『奇想の系譜』は1970年刊(初出)。当時、マニエリスムだグロテスクだと騒いでいた一般識者にしてもほとんど知らなかった若冲や蕭白を教えられた衝撃は大きかったし、まして狩野山雪や岩佐又兵衛など存在すら知らなかった。本書は、不遇なる南画家祇園南海の言った「奇」の趣味(「趣は奇からしか生まれない」)、同じく芥川丹邱(たんきゅう)の「狂」の趣味が、辻氏名著以来もう40年経とうとしている今、江戸美術を見る目としてなお有効かを問う一大紙上展覧会である。意図や壮。

当然、若冲や蕭白に割かれる紙数は多いし、逆に一人一作の扱いも多くなるが、人選は過不足なく、一人一作で選ばれる作品も画工の特徴がよく出ているものなので感心した。紙面デザインもこの四半世紀のヴィジュアル本編集の精華というべき達者な出来栄えで、「別冊太陽」のノウハウが生きたお世辞抜きの永久保存版。まさしく『奇想の系譜 又兵衛‐国芳』の余波というべき1970年代初めの「みづゑ」800号記念の若冲蕭白大特集(1971年9月号)以来の保存版である。江戸が、やりたいっ!

過不足ないのは見事である。やればやるだけややこしい狩野各分派の動きがはじめてよくわかった気がするし、画期的だったRIMPA展で発見された光琳周辺の斬新も改めて衝撃的。さほど奇でも狂でもないはずのフツーの絵師の作までどこか奇矯と感じられてくるところが、実は本書の眼目なのである。

監修の河野元昭氏との対談で辻氏は「江戸時代の絵画のイメージ変革というのか、奇想派の方が逆に表に出てきてしまうのは、あまりにもやりすぎかもしれない(笑)」とおっしゃっているが、どうやら今が正念場、江戸美術はもう少し「奇」に引っ張っていってもらわねばならない。個人的には伝俵屋宗雪の菊花図簾屏風のイリュージョニズムに魅了された。

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2007年12月14日

『広重と浮世絵風景画』大久保純一(東京大学出版会)

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そっくりピクチャレスクと呼べば良い

今年2007年夏、芸大美術館で広重の《名所江戸百景》展を見た。しばらく洋ものアートの展覧会ばかりだったのでえらく新鮮に感じたが、同時に久方ぶりに、18世紀末から19世紀劈頭にかけて洋の東西がThe Picturesqueの動向においてやはりもの凄くパラレルの関係にあるのだ、という思いを新たにした。このヒロシゲの切れの良いモデルニテって何?

直後、第19回国華賞を受賞した広重論の噂を聞けば、そりゃ黙ってはいられない。著者は1959年生まれ。十歳くらい下の世代の頭の中が今どうなっているか知りたくてたまらないので、早速読んでみた。東大大学院の博士論文というからどうしようかと思ったが、前例に安西信一氏の英国庭園文化論あり、なかなかのものだったので、今回もう一度トライ。

『名所江戸百景』という揃いものを中心に歌川広重の風景画について、よく広重ファンの言う「抒情性」ではなく「空間造形力」「空間構築力」の方から評価したいとする意欲作で、現にそういう分析をするところは、それを北斎についてやり抜いた中村英樹『北斎万華鏡』の広重版とも感じられる爽快な切れ味を堪能できた。浅野秀剛、岸文和、岡泰正、内山淳一、ヘンリー・スミス、ジャック・ヒリアー・・・と、参照される研究者が皆、ぼくなどでも良く知る世界標準の日本美術史家ばかりだし、日本人ジャパノロジストとしては今たぶんナンバーワンの稲賀繁美氏の仕事をも巧く利用しながら、「浮絵研究の多視点化は、その担い手がもはや美術史家だけにとどまらなくなったことを物語ってもいる」と言えるような相手なので、大いに安心して読み始めた。

まずは「浮絵の精神史」。奥村政信などのいわゆる「浮絵」の流行を、それを通して異界を「覗き込む」ための枠、窓として捉え、室内風景専門だったのが歌川豊春によって外の風景に応用されていったという風に江戸パースペクティヴィズム [遠近法絵画] 小史が綴られ、大きな窓があるところに天井から大きな亀が吊り下げられている広重の奇作「深川万年橋」の分析になだれこむ。パースペクティヴと言えば、中央が此方に迫ってきて、左右両端がそれぞれ向こうに後退していく「二点透視法」に冴えを見せるのがひとり広重のみだそうで、表紙にその名作、「東都名所 吉原仲之町夜桜」という一幅をあしらっている。

ディテールの面白い広重のこと、大旅行家と思いきや基本的に粉本画家、つまりネタ本があるというのが、次の話題。面白い。淵上旭江の『山水奇観』、斎藤月岑らの『江戸名所図会』など、夥しい名所図会、風景絵本を駆使して、「自らは訪れたこともないであろう」場所について却って斬新無類の風景画を量産した(作品数千点は凄い)。他人の材料を相手に、自らのオリジナリティといえばひたすらに視座、視点である。「広重はかなり早い時期から、名所図会の挿絵をもとにしつつ、透視図法や空気遠近法、あるいは視点の移動などによって、俯瞰による図会の挿絵の説明性を払拭し、画中の景観のリアリティーを高めるという絵づくりをおこなっている」とする。「視点を低く取り、極端に拡大した近景の物体越しに遠景を見せる」、成瀬不二雄氏のいわゆる「近像型構図」の妙に、広重のオリジナルな才幹があるという。

批評の用語は違っても広重論として、少し気が利いた人間ならこの辺までは言える。さらに先があるので、この本は面白い。斜線というか対角線の構図があって、これがつまらぬ均衡を破って運動感をもたらし、かつ余白の美学をももたらすのだとする明快な分析が第二弾に控えており、何か「洋風」だなと思えば実はこれが広重や国芳に対する四条派の影響だというので、一驚を喫する。発見した大久保氏自身、驚いているあたりが嬉しい本だ。「従来、江漢や田善の銅版画から、北斎・広重らの浮世絵風景画へと単線的に発展すると語られてきた江戸後期の風景画史に対して、筆者は四条派の影響も加えた複線的な視点が重要であると考えている」として、本書が「多少は新たな視点を付け加えること」ができたのではないかとするが、ぼくなど仰天したのであるから、所期の目的は果たされている。

ところで、そういう全体のまとめに当たることを著者は次のように書いていて、ぼくは少し思うところがあったので、引いてみる。

 これまで述べてきたような考察が正しければ、四条派の作画手法は、相当に広範、かつ深く、天保期以後の江戸の浮世絵に影響を及ぼしていたことになる。ことにその大胆な構図法が、広重や国芳らの描く風景画、あるいは風景画的背景を有する物語絵の構図の上に、積極的に利用されていたことは驚きでさえある。これまで江戸末期の浮世絵の風景画の展開は、概して秋田蘭画から江漢・田善の銅板画、そして北斎一門の洋風版画といった、洋風表現の流れの中で位置づけられてきた観があるが、対角線構図や近像型構図といった構図法には、むしろ四条派の影響を想定するほうが合理的なものも少なくなかったのである。そもそも時流に敏感な浮世絵師たちが、同じ時代に上方で隆盛をきわめていた四条派の画風に無関心でいたはずはないのだから。今後は従来からの洋風表現の消化吸収という文脈に加えて、新たに四条派絵本の影響という視点を加えれば、江戸末期の風景画の成立を考察する上でより大きな成果が得られるように思われる。(p.239)

実に圧倒的なマニフェストである。ぼくは四条円山派については、英国人ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチ氏の『定信お見通し』の邦訳を手伝った限りでのことくらいしか知らないが、今まで四条派、円山派に大久保氏が指摘されるような低い評価しか与えられてきていないのだとすれば、ひょっとしてこれは一寸した革命書なのかもしれない、と思う。

ところで、大久保氏のテーマの半分、「枠の意識」をぼくが敢えてパースペクティヴィズムと「洋風表現」してみたことで想像していただけるかと思うが、ここで「浮絵の精神史」と呼ばれているものはずばり、マニエリスムの中心的論点なのである。「小さな窓」から「覗き込む」こと即ちマニエリストたちの「原身振り」(G・R・ホッケ)であったことを、よもや1980年代(マニエリスム論再燃の十年)に猛勉強されていたはずの大久保氏がご存知ないとは信じられないが、本書の言うことが本当なら、ばりばりのマニエリストたる広重や芳年をどうしてマニエリストとただの一度も呼ばないのだろう。もっと面白くなるのに。

この本の残る半分、風景を「大胆なトリミング」と「遠景との極端な対比」をもって見ていく美学、「枠」で世界を切り取る技術と快感に溺れた文化は、北斎や広重とまさしく同時代のヨーロッパにも生まれ、「ピクチャレスク」と呼ばれ、世上を席捲していた。均衡を破り、運動を好み、余白と戯れる。まるで18世紀ピクチャレスクそのものの定義ではないか。円山応挙が目指した「新意」即ちマニエリストたちの“diségno interno”ではないか。綺想・奇知で受け手を驚かせようと、かつて16世紀マニエリスム、そして18世紀ピクチャレスクは同じことを主張した。世界そのものより、それを見る「視座」「視点」に狂うパースペクティヴィズムにおいても、ひたすらにアイディアの斬新と受容者の驚愕を企てることにおいても、マニエリスム/ピクチャレスクはまるで双生児のようで、現に18世紀末には間然なく合体していた。

大久保氏が学恩を受けたとおっしゃっている辻惟雄氏が若冲や又兵衛を曖昧に「奇想」の画家と呼んだ同じ1970年代初め、故種村季弘氏は若冲についてはっきり江戸のマニエリストと呼んだ。江戸のあり得べきグローバルな評価の中で、マニエリスムは間違いなく大きな手掛かりになるだろう。そのことに気付いてぼく自身、『黒に染める』を「本朝ピクチャレスク事始め」なる副題の下に世に送り、服部幸雄氏や田中優子氏などとそのことで対談を重ねてきた。タイモン・スクリーチ氏を半ば使嗾(しそう)して、旧態依然の江戸学をニュー・アート・ヒストリーの風にさらしもした。四年か五年、そうやって集中的に新しい江戸学の可能性をスケッチしてみたのだが、そちらの世界のフロント・ランナーがこれではね。ヘンリー・スミス・ジュニアまでは読めているのだから、もう一歩出てくれないかな。もったいないよ。

「従来の洋風表現の消化吸収」という方向からではなく、と言うが、その「洋」の部分についての知見が今、飛躍的に拡大しつつあるのだからと、これだけの相手だから、ついつい言いたくなる。そうではなくて四条派なんだと言われるかもしれないが、たとえば円山応挙の描く岩や滝がめちゃめちゃピクチャレスクだとしたら、議論はどうなっていくんだろうね。

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2007年12月04日

『秘密の動物誌』 ジョアン・フォンクベルタ、ペレ・フォルミゲーラ[著] 荒俣宏[監修] 管啓次郎[訳] (ちくま学芸文庫)

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ホモ・フォトグラフィクムが一番性悪だった

いわゆる奇書である。二人のスペイン人写真家が1980年、取材で赴いたスコットランドの小さな村でペーター・アーマイゼンハウフェンという動物学者が遺した古い木製の棚を発見する。「剥製標本、地図、デッサン、写真、記録カード、X線写真その他の雑多な品物」を収めたその棚は、要するにポストモダンに蘇った「ヴンダーカンマー」である。家の持ち主の縁者に邪魔もの扱いされたそのキャビネに大いなる霊感を得た二人はそっくり譲り受けるが、そこには現在まで知られている動物のいずれとも違う奇妙奇天烈な動物たちのキングダムが、写真と「フィールドでのデッサン」を通して、確かな「存在」を主張していた。それが「<実在するもの>は、存在しうるものの小さな一部分にすぎない」というバルセロナ国立自然史博物館館長ペレ・アルベルクの言葉がエピグラフ<題辞>になっていることの意味である。

ちょうど20の「新種」が紹介される。ソレノグリファ・ポリポディーダは、この文庫本邦訳版の表紙に選ばれた脚をたくさん持つ蛇で、「爬虫類と飛べない鳥類との混合形態」と、その“description”[動植物の新種登録時の記載事項。「描写」ではない] にあり、タクソノミカル [分類学的] には脊索動物門・脊椎動物亜門・爬虫類、和名はダソククサリヘビ。表紙に掲載された写真は「攻撃直前の体勢」というキャプションの付いた一枚。影までちゃんと写っていてリアルな反面、12本の脚を妙にきちんと揃えたえらく真っ直ぐな姿は妙に変でマガイっぽい。そういえば20世紀最大のフェイク写真だったネス湖のネッシーに似た感じがある。和名の方だって「ヘビ」のくせにわざわざ「ダソク」なんて、「蛇足」でシャレ言ってんのか。

という具合で、もとのスペイン語原書の20種に日本語版でさらに3種が加わった23種の動物は、そのなかなか説得力あるヴィジュアルな「証拠」を通して、真実とは何、存在する/存在しないとは何、専ら存在するものを相手に真を語ってきた科学とは何、そして科学的真理を真理一般のひな型として妄信してきた我々の存在と非在をめぐる感覚そのものを問う。狙いは難しいが、やり方としては誰にでも一番わかり易い、愉快この上ないメタフィクション。実は大きな文化史的問題をいっぱい抱えたジョークブックである。「蛇足」と卑下した表象論の傑作だ。

バルセロナ生まれの写真家コンビは11年かけてこの本を出した。1991年刊。あのグリーンブラットの、「驚異」のマニエリスム美学が周縁に対する中心のいかなるコロニアリズムのアリバイであったかを指弾した“Marvelous Possessions : The Wonder of the New World”(1991;Hardcover1992;Paperback/邦訳『驚異と占有』)と同じ年である。自然(ここでは動物界)をポゼス(略取)する文化を、洒落な写真家コンビは、しかつめらしいカルチュラル・スタディを介せず、いきなりこみあげてくる笑いでやる。

生息地、捕獲年月日、全般的特徴、形態、習性の順にディスクリプションが典型的な記述で綴られる。問題の蛇足なヘビで言えば、その「全般的特徴」は「骨性の内骨格。肺呼吸。脊椎動物固有の神経系が見られる。生殖系を確認することはできなかったが、あらゆる点から見て卵生有性生殖・・・」といったスタイルで書かれていく。いくのだが、途中に、食べる相手に消化液をかけて相手が融けていく間に「特徴的な<グロブ・ト>という鳴き声を3拍:休止:1拍のリズムで声高に発しながら」相手の周囲をぐるぐる回るとか、そんな奴いねえよ、と言いたくなる珍妙な記述が挿まれる。ニセワルモノモリウサギの和名通り牙を持つウサギ、ペロスムス・プセウドスケルスは「毎日30回交尾するが、交尾に際して雄は奇妙な憂愁をただよわせたメロディーのある歌をうたう」んだと。カタルーニャヒクイオオトカゲなる和名のピロファグス・カタラナエは口から火を吐き出すのだが、「口から吐き出す火の大部分は、自分が息を吸いこむたびにふたたび飲みこまねばならず」これが自分でも「不快らしく」、また火事にならぬよう消火に便利な水際を好む。真面目なディスクリプションのどこかに必ずニ、三行挿まれる、どこか愚かなホモ・サピエンスの営みを思いださせる逸脱部分がおかしくてたまらない。

このピロファグス・カタラナエが火を吐く現場写真が一枚、「消火に努める」お笑い写真が一枚、掲載されている。バカバカしいと思っても写真があるとまず信じてしまう(この場合なら、その後に笑ってしまう)我々のメディア的惰性が笑われていることになる。「存在するとは写真にうつるということである」というボルヘスの言葉がこの本の出発点だと書かれているが、二人の写真家のウィットからこの本がうまれた意味はひとえにそこにある。アーマイゼンハウフェン博士の突然の失踪ということもあり、キャビネの資料はかなり不完全で、ディスクリプションが全然ないのに写真やデッサンがあったりする。どういう相手か知りたいが言葉とヴィジュアルのどちらを欠いても何か物足りない、と感じさせられる時、我々は「言葉と物」(M.フーコー)、言語中心主義と視覚中心主義の均衡や緊張の問題に見事に絡めとられており、この本が1980年代に形づくられて1991年に出た理由がよくわかる。上述のグリーンブラットもそうだし、例えばバーバラ・スタフォードの仕事(“Voyage into Substance” 1984/『実体への旅』として拙訳進行中)と雁行し、我々が既に読み知っているところで言えば、ローレンス・ウェシュラーの『ウィルソン氏の驚異の陳列室』とのあまりの相似形ぶりに驚くはずである。なんだか馴染み深い世界だ。

写真や絵を見てフウンこういうものかと思う相手に名がつくと、ミコストリウム・ウルガリス、アナレプス・コミスケオス、ポリキペス・ギガンティス、ヘルマフロタウルス・アウトシタリウス・・・と舌を噛みそうな言語表象の一大迷宮である。エドワード・リアが『ナンセンス博物学』(“Nonsense Botany”)で嗤いのめしたこの世界は、1750年代にかのリンネが発明したニ名法に基づいて学名が設定される世界である。その1750年代初めに大英博物館法ができ、つまりはヴンダーカンマーのマニエリスム文化が終わった。そこからはじっくり時間をかけて自然界万般への「略取」が始まった。動物園や植物園の歴史、ぼくがこれからしばらく付き合おうと思うミュージアム一般の歴史を見、図鑑の文化史、ペット狂いの歴史を見れば一目瞭然だ。名作『見るということ』において激しい動物園批判をしたジョン・バージャーは『イメージ』中にキャプションの付かぬ写真だけの章を構えて読者を揺さぶったが、彼のこの二つの仕事をそっくり一冊でやり遂げた『秘密の動物誌』を読むことで、その意味が改めてよくわかった。この本は一方でウェシュラーに、もう一方でジョン・バージャーに非常に近いところにある。

いわゆる偽書である(かどうかは貴方の受け取り方次第だ)。動物を離れたところではロミの『突飛なるものの歴史』に似ているし、なぜか同じくドイツ系の博物学者を著者に擬した(天才伴田良輔氏の)『女の都』に極めて近い。いきなり擬書・偽書と知れてしまうが、動員されるメタフィクティヴなニセ写真の類の面白さを楽しむことができる。

言葉のいい加減さを悪く言いながら、言葉のないヴィジュアルだけのケースでも我々がいかに不安になるか、いくつかの動物の項でわかる。エレファス・フルゲンスなんて、写っているのはどう見てもただの象なのに、本が本だから何かきっと変な動物だと思いたがってしまう我々。リアのナンセンス博物学を相手にした時と同じで、ただアハアハとだまされ読みでも全然かまわないのかもしれないが、やはり著者がウィッティなフォトグラファーである点にこの本の究極の意味があると、もう一度繰り返しておこう。例えば心霊写真がそうだが、相手の存在、不在と重なるように、ないものを<視>を介して存在せしめるメディア(巫女/媒体)の策略の方が気掛かりになってくるのである。

どこまでがフェイクなのか段々わからなくなる。二人のスペイン人はそもそも実在するのか、ボルヘスは本当に如上の名文句を吐いたことがあるのか、これひょっとしてアラマタールム・ヒロショールムの脳髄の産物ではないのか。確かだと自信を持って言えるのは、「原著者」二人による巻末の「製作ノート」に示された

<リアリズム>ならびに<写真イメージの信憑性>だけではなく、さらには<科学的言説>ならびに<あらゆる認識形成メカニズムに潜む技術や策略>までをも考え直してみよう

という真っ当な提案は見事に伝わってくる、ということだ。

ケンタウルス・ネアンデルタレンシス。半猿半馬の怪獣の誇り高い雰囲気を伝えるニセ写真は遠くへヒトが捨て去ってきた気高さを伝えて、個人的にはこの数頁だけで一冊買う。

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2007年11月30日

『潜在的イメージ-モダン・アートの曖昧性と不確定性』 ダリオ・ガンボーニ[著] 藤原貞朗[訳] (三元社)

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曖々然、昧々然たる(ポスト)モダニズムの大パノラマ

曖昧さ、曖昧性を指すアンビギュイティ(ambiguity)という言葉は、心理学で愛と憎のふたつがひとつ心の中に併存することを指す語、アンビヴァレンス(ambivalence)と一緒に流行った。両語に共通する「アンビ(ambi)」について、本書本体の冒頭でダリオ・ガンボーニはいきなり、こうまとめている。

曖昧性とは、反則的に「複数の解釈を受け入れる性質」として定義される。また「二つの範疇に属するもの」、「正確さを欠き、困惑させるもの」とも定義される。曖昧性に二つの要素が関与することは、語源に暗示されている(ラテン語の「アンボ ambo」は、「同時に二つ、二つ一緒に」を意味する)が、二つ以上の場合に意味を拡大適用することもある。この場合には、特殊な例があり、肯定的性質を表す際に、反語的に否定的な含意を示すことがある。その結果、否定的な含意が主要な意味となることも多い。類義語には、「定義、確定、境界づけを明確になしえないものの性質」を表す「不確定性」、「複数の内容、複数の意味を有する記号の性質」を表す「多義性」、「両義性」、「漠然性」、「不正確さ」などがある。(p.19)

日本語の「あいまい」は未だにこういう広がりある「曖昧」の多元多重の意味合いを勝ち取れず、専ら「否定的な含意」でのみ通用している。従って広義に、肯定的にそれを使おうとして、例えばズバリ、『文化と両義性』他の著作で山口昌男氏は「両義性」の訳語を採った。現実の多重性・多元性という言い方もする山口象徴人類学(『文化の詩学』〈1〉〈2〉、他)ではあるが、つまりは同じことを言っているのである。中沢新一氏が故河合隼雄氏などと「あいまい」概念をめぐる論叢を岩波書店から出した(『「あいまい」の知』)ことは以前に紹介したが、これも同じ流れである。いっとき「ファジィ」という少々難しい概念が「ゆらぎ」という訳語とともに流行したのも、ごく最近のように感じるが、こちらはもはや死語である。ぐっと俗化した「アバウト」という妙な言い方は今なお元気で、よく使われている。

アンビギュイティおよびアンビギュアスは、ぼくのように1960年代末の世代に属する英文学者が最も強烈に影響を受けた観念である。1930年代から約20年ほどかかって、ほとんど初めてといってよい強度を持つ英文学関連の批評理論としてニュークリティシズムという大きな動向があり、文学作品を評価する客観的基準として、パラドックス、アイロニー、アンビギュイティの三本柱を提示した。表向き言われていることとは違う、あるいは少しズレた別の意味を併せ持った発想および修辞を指す、互いに重なり合う三本の柱ということである。

決定的なのは、数学畑出身の大批評家ウィリアム・エンプソンの“Seven Types of Ambiguity”(1930年初版/邦訳『曖昧の七つの型』〈上〉〈下〉)である。順列組合せ(combinatrics)の数字を専門としている秀才らしく、並び合う語と語の間で生成される意味の可能な形を列挙し、そのうちのただひとつだけを正しい「解釈」と唱える傲慢を嗤う。多元的解釈の可能性を残せというニュークリティシズムの旗手の主張は、1960年代の、たとえばウンベルト・エーコの『開かれた作品』(原題“opera aperta”)の論旨を早々と先取りしていたことになるし、いわゆるコンスタンツ学派の「受容理論」と早くも呼応していたことになる。詩人が一篇の詩を、一語一語多義的たるはずの言葉を組み合わせてつくりあげていくということが、いかに大変な力わざであるか、慄然とする他ないこの歴史的名著が、なんと岩波文庫で上下2冊となって読める。1960年代末には考えられない欣快事である。ガンボーニも当然ながら、エンプソンの鴻業を改めて讃え、同じことを視覚芸術の分野でやろうとしたジェイムズ・エルキンズの仕事に触れて全巻の幕開けとしている。この際、エンプソンの『曖昧の七つの型』(〈上〉〈下〉)と一緒にガンボーニを読むことを勧める。

ウィリアム・エンプソンの名を思いだしたのは、そういうまあ常識に類するレヴェルの連想によるものだけではない。例えば、アンビギュイティの本場と今なら誰しもがまず言うバロック、そしてマニエリスムがそもそも文化史概念として成立したのは、1880年代(ヴェルフリンのバロック論)から1920年代(ドヴォルシャックのマニエリスム論)にかけてのことだが、考えてみればこの19世紀末の最後の20年、そして20世紀劈頭の20年ほどは同時に、いわゆる世紀末アート(象徴派、印象派)~モダニズム諸派(キュビズム、シュルレアリスム)、アートの大革新の半世紀でもあって、その凝縮された時間の中で、模倣を良しとするアート観にピリオドが打たれ、アーティスト側の内面が投影/表現されたものこそアートだという基本的なアート観がほぼ確立した。文学批評のみか、哲学、心理学から数学、論理学、はては量子物理学といった多分野が互いに意識し合いながら、要するに統一的に「曖昧性」「不確定性」などと呼ばれ得る異世界の全面的な出現を言祝いだ。ニュークリティシズムもその一環だったし、エンプソンの名作はそうした知的趨勢のシンボル的存在だった。

1880年代~1920年代の理論実践一如といったアートや学知のそうした華々しい展開についてパノラミックに書ける書き手がすっかりいなくなった。ガンボーニのこの本はワイリー・サイファーの『自我の喪失-現代文学と美術における』(原題“Loss of the Self in Modern Literature and Art”)に匹敵する視野の広さをもって問題の時期の曖昧性/両義性ずっぽりなアートの百態を追う。サイファー、松岡正剛、中沢新一などを通して、文系理系を問わぬ20世紀初頭の「曖昧性」と「不確定性」の文化環境について、ある程度、我々は既に知っているが、当該テーマ初の「包括的研究」を豪語している通り、おおよそこのテーマで考えつく限りの網羅を実現している本書の目次案には何度見ても喫驚するばかりだ。

もともとオディロン・ルドン研究で知られるガンボーニだから、ルドンを中心にスーラやゴーギャンから始めてキュビズム、抽象、レディ・メイド、シュルレアリスムのアート史が、「曖昧性」に関わる各分野――「大衆向けイメージや科学的イメージ、写真や初期の映画、文学、美術批評や美学、哲学、心理学、医学、オカルト研究、自然科学など」――の展開の中で追跡されていく。ルイス・マンフォード、ワイリー・サイファー、アーノルド・ハウザーといった特別にパノラミックな怪物批評家にのみ許された、一時代の文化を包括したスケールの大きい仕事を実に久々に読めて、感動し、ため息を吐いている。当然、一昔前の大先達たちの知らなかったドゥルーズは出てくる、エーコは出てくる。参照すべき同時代美術史家として登場するのはディディ=ユベルマンであり、我々のこの書評空間では批評の名手として既に紹介した故ダニエル・アラスである。それだけでガンボーニ氏の趣味の良さはわかる。20世紀アートが実践面でもマニエリスムを蘇らせたという感覚があって、今ならそのことでミシェル・ジャンヌレの『永久機関』(“Perpetuum mobile : Métamorphoses des corps et des oeuvres, de Vinci à Montaigne”/英訳“Perpetual Motion : Transforming Shapes in the Renaissance from Da Vinci to Montaigne”)が参照されるべきだが如何、と思いながら読み出すと、レオナルド・ダ・ヴィンチの「曖昧性」趣味を縷説する段で議論をジャンヌレから出発させていることがわかり、すっかりぼくはこの書き手を百パーセント、ぼくの確かな同時代人として安心して読み進める。今年刊行された16世紀関連の何冊かを既に紹介してきたが、ジャンヌレの必読の一点を自らの論に取り込めている本邦の書き手は今のところ絶無である。

レオナルドが壁の上の染み(ミショー本を想起しよう)をじっと見ながらそこに何かのイメージがうまれるのを、訓練して自らの創作に活かそうとした、厳密にマニエリスム的な「偶然性」への応接を出発点に、アンビギュイティをキーワードにしたモダン・アートのネオ・マニエリスムとしての再整理が途方もない迫力とスピードをもって遂行された。これだけの「精神史としての美術史」を読めるのは実に久々のこと。快挙だ。

類書にすぐサイファーが思い出せるように、狙いはそう圧倒的に独自のものというわけではない。例えば『西洋思想大事典』(平凡社)にはトム・タシロの書いた「曖昧」の一大長文項目が入っていて、ほぼガンボーニ路線(逆に言えば、ガンボーニは「曖昧」という観念の優れた「観念史」をやり遂げた、ということになるだろう)。予定調和の結論でもあるのだが、この遺漏許さぬ守備範囲の広さにはやはり驚嘆する他ない。これだけのものをどんどん読ませてくれる訳文に拍手。

素晴らしい(タカヤマ流の?)索引に望蜀の一言。事項索引が実によく立項されているのだが、人名索引には配慮されている欧語原綴りがない。藤原君はわかると思うが、利用価値が半減してしまうのですよ。

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2007年11月20日

『ファンタジア』 ブルーノ・ムナーリ[著] 萱野有美[訳] (みすず書房)

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人は70才でこんなやわらかいファンタジアを持てるものなのか

デザインに革命をもたらすイタリア人デザイナーには、流石レオナルド・ダ・ヴィンチを輩出したお国柄だけのことはあり、何でも知って何でもやってみようという多面万能、西周(にしあまね)流に言う「百学連環」(現在「百学連環-百科事典と博物図譜の饗宴」展開催中)の普通人(homo universalis)の血脈がたっぷり流れ込んでいる。代表格といえば右にピエロ・フォルナセッティ、左にこのブルーノ・ムナーリをあげたい。どちらも日本人のデザイン感覚が大好きという知日派、親日派であるのも素敵。二人とも、単にヤカンの格好がどうしたこうした、こういう場所には何の補色が良い・悪いなどということにかかずらう狭義のプロダクト系デザインとは大きくかけ離れた一種の総合芸術を目指し、従って例えばマニエリストと呼んで差し支えない稀有な存在である。

実はぼく自身、杉浦康平氏の口利きで神戸芸術工科大学(「日本のバウハウス」?)で教鞭をとる機会にいろいろと恵まれた際、まずデザイン概念の広義化を目指し、故に「ディセーニョ(diségno)」、それも模倣すべき対象を外界から人間の頭の中の内容物に転換したディセーニョ・インテルノ(diségno interno)の解明を言って、しかもその実践まで体系化しようと図った16世紀イタリア・マニエリスモの言い分に一つのモデルを求めたことがある。その時念頭にあったのが、少し商売気あり過ぎるフォルナセッティである。『マニエリスト』、『驚異の部屋』(“Cabinets de curiosités”/英訳“Cabinets of Curiosities”)のパトリック・モリエスが大著『フォルナセッティ』“Fornasetti : Designer de la fantaisie”/英訳“Fornasetti : Designer of Dreams”)を書いたことで分明のように、彼はバリバリの(ネオ)マニエリストたるデザイナー。教育熱心という肝心なところで格がひとつ上なのは、ブルーノ・ムナーリの方である。昨年邦訳が出た『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』は近来のデザイン教育論の傑作。

そういう一見バリバリの大学生向け講義とは違って、そうだなあ、中高生レベル相手に「デザイン」とは何かを説明しようという構えのどこまでも易しい(優しい)『ファンタジア』の方に、ぼくは深い魅力を感じているので、邦訳刊行は昨年であるが、取り上げたい。

シュルレアリストたちの堂々たるアート作品から中世のブロードサイド(瓦版)の絵、生物や鉱物結晶の写真から下手うまな子どもたちの手描きのデッサンまで、雑多にしか見えない図版満載。全部黒白なのが、ものがものだけに残念至極(中野美代子『綺想迷画大全』でフルカラーを堪能した「多頭怪ラーヴァナ」と同趣向の絵も入っているが黒白は駄目だ)だが、そのぶん安く手に入るわけだから我慢しよう。

猛烈な図版ラッシュの合間に綴られる言葉が伝えようとしていることは途方もなく凄い。例えば「ファンタジア(Fantasia))」、英語でファンタジー。簡単に幻想と訳して、幻想的だの幻想文学だの言うが、ファンタジーって何?と問われるとほとんどまともには答えられないだろう。それに「イマジネーション」との関係は?想「像」力という西周級に絶妙の訳語を持つ割には、我々はこれが「イメージ」をうみだす視覚的作用だということを忘れている。実に半世紀にもわたるあのロマン派文芸たるや、イマジネーションとファンシー/ファンタジーの重なりと齟齬をめぐって大騒ぎしたにすぎないとさえ言える。そしてひと巡り早く来たマニエリスムの中核にあったのが――例えばそれを見るのに一番ぴったりなG・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』(1957)によれば――デザイン(「ディセーニョ」)であり、「ファンタジア」であり、「イマジナツィオーネ(immaginazióne)」であったはず。発明と訳される「インヴェンツィオーネ(invenzióne)」も実はそう簡単な概念ではない。文芸寄りのところではさらに「コンチェッティ(concetti)」もある。英語でウィット(wit)。フロイトが本気で論じた「witz(機智)」である。

これら錯綜必至の哲学・美学的概念の区分けに今も美学の最先端は苦労し続けている。西欧近代の美の問題の粋というべき課題だが、議論百出、百家争鳴状態で、どうにもならない。こういう観念の一方的入超国たる我が国では事態はさらに絶望的で、例えばルイス・キャロルやハリ・ポタで論文を書いている人間と話していて、「ファンタジー」という語についてOEDさえ引いていないというので話は終わり、ということばかり重ねてきた。ファンタジアの究極の源はギリシア語の「ポス」、光であることを知るだけで状況は一新されるのに、など思う。

それが流石はムナーリ。教育現場に活かせる幻想論、想像力論のモデルを手際よくつくりあげる。ファンタジアとは「これまでに存在しないものすべて。実現不可能でもいい」もの。インヴェンツィオーネ(invenzióne)は「これまでに存在しないものすべて。ただし、きわめて実用的で美的問題は含まない」。クレアツィオーネ(creazióne)は「これまでに存在しないものすべて。ただし、本質的かつ世界共通の方法で実現可能なもの」。イマジナツィオーネ(immaginazióne)は「ファンタジア、発明、創造力は考えるもの。想像力は視るもの」。簡便過ぎて罠かもしれない(アインシュタインのE=mc²の罠?)。しかしその基本中の基本からアッという間に「ファンタジアと発明を利用する方法である創造力」とか、自分の目指すのは「ファンタジア、発明、創造力の操作方法について適切な方法論によって整備」することとか、<現場>を目指して理論がどんどん目の前で立ち上っていくのは、新しい内容を他の人間(特に子ども)に伝えていく<教育>に携わる者としては教えられること多く、大袈裟でなく息を呑む。昔、ユング心理学がよくわからなかった時に、フォン・フランツやアニエラ・ヤッフェといった超プロがゼロから説明してくれた『人間と象徴』(〈上〉〈下〉)で一から全部わかった爽快な気分になったことを、久しぶりに思いだした。解説書として危ういまでに善意に満ち、かつスマート。プロの仕事である。

こういう枢軸概念の相互作用で出来上がる「デザイン」の概念は、想像通り見事である。

創造力とは、発明と同様ファンタジアを、いやむしろファンタジアと発明の両方を多角的な方法で活用するものである。デザインは企画設計をする手段であり、創造力はデザインの分野で活用される。デザインはファンタジアのごとく自由で、発明のごとく精密であるにもかかわらず、ひとつの問題のあらゆる側面をも内包する手段である。つまりファンタジアのイメージ部分、発明の機能部分だけではなく、心理的、社会的、経済的、人間的側面をも含みもつものなのである。デザインとは、オブジェ、シンボル、環境、新しい教育法、人々に共通の要求を解決するためのプロジェクト・メソッド等々を企画設計することだと言ってもいいだろう。(p.22)

見事だ。この透徹した簡便さをぜひ原語で味わいたいと思う。翻訳者はむろん大健闘だ。

こうした理論的な部分に続く約3分の1は要するに異質な観念や次元の意識的な結合の仕方の類型学である。「コルクのハンマー」、「広場にベッド」、「五線譜のランプシェード」等々、男子用小便器を「泉」に変えたデュシャンの精神に倣って面白く続くこの「あべこべの世界」とは要するに“ars combinatoria”のわかりやすい解説である。残る3分の1が本書の白眉で、それは子どもたち相手のワークショプにおける実験実践のいくつかの写真入り解説の体(てい)であるが、既成の概念やオブジェがいかに別ものに変わっていくか目のあたりにした子どもたちの<驚異>の念が伝わってくる工夫の記録である。ぼくは大学が石原都政につぶされていく中、ぎりぎりの夢を抱き、教育の場にマニエリストたちの<驚異 meraviglia>をと唱えて大方の失笑を買ったが、例えばその時、ぼくの念頭にあったのが、ムナーリの奇跡的な絵本『きりのなかのサーカス』と、それを支えた優しいデザイナーが教えるマニエリストの心意気だった。

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2007年11月16日

『アンリ・ミショー ひとのかたち』東京国立近代美術館[編著](平凡社)

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「汚点(しみ) 心を迷わせるための」

今年2007年もいろいろな展覧会が見られた。東京はその気になれば世界一、さまざまなアートを一遍に楽しめる稀有な場とつくづく思う(料理にも言えるだろう)。模倣と具象に即(つ)いて市民社会に媚びる「文化的芸術」はいくらも見られるし、狂気や幻覚を追求する一種向精神薬的な「生(ナマ)の芸術(ア-ル・ブリュット)」だっていつもどこかで展示されている。後者を代表する――といってもご本人は、シュルレアリストだ、アンフォルメルだと他人様の貼るレッテルなど恬として知らぬ素振り――アンリ・ミショー(1899-1984)の展覧会が東京国立近代美術館ギャラリー4で開かれたのを最終日に見に行った。詩画集『アンリ・ミショー ひとのかたち』は、その会期中に同時出版されてカタログの役を果たした本である。英語タイトルは『Henri Michaux/Emerging Figures』。装丁の美しさ!

ミショーといえば、向精神薬メスカリンによる幻覚体験を自動書記した汚れやしみだけの絵で有名だ。汚れを意味するフランス語「タッシュ(tache)」から派生したタシスム(tachisme)の代表格のように言われる。イタリア語では「マキュラ」。ミショーがメスカリンや、さらにきついサイロシビンを飲んで描いたデッサンも当然載っている。そこにあるしみを見ていると必ず何かの「かたち」に見えてくる。なぜか「ひとのかたち」に見えてくる。

他方でミショーを有名にしているのは、詩画集『ムーヴマン』中の、誰が見てもずばり人の形が一種カリグラフィックに描かれた絵である。中国や日本の絵とも書ともつかぬ墨による筆勢・筆触の世界。あるいは洞窟壁画の人物表現にインスパイアされたかのように動く線の戯れがヒトに見えてくる、不思議な絵のグループである。詩人アンリ・ミショーは歌う。

 汚点(しみ)の祝祭、腕の音階
 さまざまな運動
 人は<無>の中に跳びこむ
 旋回するさまざまの努力
 人はただひとりでありながら、大勢群がっている
 何という数えきれないほどの人類が前進し
 つけ加え、広がり、広がっているのだろう!
 疲労よ さらば
 橋の基台の棲息地のつましい両足動物よ
 引き抜かれた鞘よ さらば
 人は どんな他者でもいいが (on est autrui
 とにかく他者だ          n'importe quel autrui)

(小海永ニ氏の名訳である。考えてみれば、宮川淳クラスに業績総覧が長く待望されていた小海氏の著作集が今年刊行されたのも、何かの機縁である。故宮川淳がアンフォルメル運動を指して言った「表現過程そのものの自己目的化」という言葉を改めて思いだす。やはり宮川は早いし、凄いね。)

そこにあるのは明確に記された線による「かたち」である。それを「フィギュール」と呼ぶ人がいても良いが、ぼくは例えば「カラクテール」、英語で「キャラクター」と呼びたい。ぼくがこだわっていることを知っている人には敢えて言うまでもないが、“character”はもともとは木石から何かの形をうみだす具、あるいは物質としての(大工や彫刻の道具たる)ノミを指し、転じて文字・記号全体を指し、然るのちに性格(人となり)を意味するようになった。いわば自然・天然がしみ状、斑点状につくりだした原-記号が、ヒトの頭を介在して「擬人化」されていくプロセスが、この「キャラクター」という観念の展開そのものに示されている。『ムーヴマン』中の、まさしくポーや、傑作『踊る人形』のコナン・ドイルを思いださせる人形(ひとかた)どもは、ノンセンシカルな線の戯れになぜヒトは自らの姿(「ひとのかたち」)を見てしまうのかを問う。「キャラクター」観念をめぐり、一段と難事だがその先の「フィギュール(figure)」観念をめぐる精神史が記述される時、アンフォルメル(形なし)な斑点やしみからフォルムをつくりだすヒトの頭の病を問うミショーは、こういう広義の反「文化的芸術」論の中にこそ、今後は確かに大きい位置を占めるだろう。

アンフォルメルがどうしたこうしたという狭い美術史学の議論から、例えばぼくが大きくはみだしてしまいそうなのは、非ヨーロッパに広く旅した人々がヨーロッパ的人間(homo europens)をどう捉えるようになるかということに深い関心を抱く中、1920~30年代モダニズムの時代のそうした典型的な世界旅行家だったアンリ・ミショーと出会ったからである。『エクアドル』という名作紀行を書き、かつて『みづゑ』 (1971年8月号に、ぼくが日本のミショーと呼びたい元永定正の特集記事もあり。時代やねえ) の飯島耕一氏をしてその日本嫌いを大いにいぶからせた『アジアにおける野蛮人』(1933)を遺したミショーを、18世紀半ばから出てきた「他者(autrui)」との出会いを深いレベルで突き詰めようとした旅行者たちの系譜の中で捉える作業は、大きなスケールでは全然進んでいない。ポーの『ゴードン・ピム』の主人公が南洋絶域の洞窟中に見出した壁の「ひとのかたち」とも見える謎-文字に、近代西欧人の表象観、擬人的世界観の栄光と悲惨を読み取ろうとした未聞の大著、バーバラ・スタフォードの『実体への旅』の拙訳が予定通り今年夏に刊行されていれば、きっとミショー展を全く別の見方でご覧になった方もいたはず、と少し口惜しい気がする。同邦訳は明年すぐ刊行予定につき、また改めて。

要するに、こういういかにも小洒落た、こじんまりとした展覧会が、近代西欧の巨大な時空を猛烈に激しく受けとめている、その小体(こてい)さの逆説が面白くて、取り上げた。自然はフェノミナ、ただ単なる現象である。創世記に、神も、その神が自分の姿に似せてつくったヒトも「ひとのかたち」をしていることが記されている。ヒトは結局、自然を「ひとのかたち」に変え続けて来た。生きるのに便利だからであるが、物質としての現象界との絶縁は必至だった。絵を描く営みも、紙や画布の上に線が走り顔料が盛られていくその物質的なあり方と「表現過程そのもの」を忘れ、「透明」なメディアである振りを始めた。

それが行き詰まったのが1920~30年代と、そしてとりわけ第二次大戦直後の1950年代である。二つの大戦は300年ほど続いた西欧近代の限界点を示した。その二つの脱近代の動きを誰よりも激しく体現したのがミショーだと思う。1920年代からしばらく続く南米、北アフリカ、そして日本を含むアジアへの大旅行でまず脱欧の試みに出た。その直後から、しみだらけのデッサン画が描かれ始める。脱欧、脱近代は1950年代のサイクルにあって一層内攻した。ユング心理学やエラノス学派のサイキック科学の流行という一事を考えても良いが、もっとミショーに近いところで言えば、1952年にいわゆる精神薬理学が本格的にスタートしたことを思いだすべきだ。メスカリンを典型とする精神展開薬、いわゆる「向精神薬(psychotropic)」の研究が市民権を得た。同じ1952年にミシェル・タピエの『別の芸術』がマニフェストとして出ることでアンフォルメル芸術がスタートしていることの意味をちゃんと教えてくれる(反)美術史・精神史が書かれなければならない。

ミショーが麻薬メスカリンを実験的に服用し始めたのは1955年。直後、続けざまに傑作詩集『みじめな奇蹟』、『荒れ騒ぐ無限』が発表された。文字とデッサンが絵か文字かも曖昧というレベルで最高度のウット・ピクトゥーラ・ポエーシス(“Ut pictura poesis”[詩は絵のごとくに])を究めた。けだしその前年には同様に向精神薬を使ったオルダス・ハクスレーの『知覚の扉』が書かれている。例えば医学全体の話として、20世紀までは身体のための薬の時代、21世紀は全面的に向精神薬の時代と予測されている。司直とのぎりぎりの駆け引きの中でコカインやアンフェタミンをやりながら、アーティストたちは物質と「ひとのかたち」の間を行き来する。

このノンセンスの絵本からセンスを引き出そうとする自分の営みが、読者の前に明らかにされんことを。

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2007年11月13日

『綺想迷画大全』中野美代子(飛鳥新社)

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ディテールの神に嘉されて永久に年とる暇などない

めちゃめちゃ知識を強いるポストモダン批評満載の建築学の本が続いて流石に頭が痛い、少し楽しいビジュアル本で目を楽しませようというか、同じ痛いのでも目に痛いタイプの本を新刊で何冊か選びたいと考えていたところ、そういう仕事なら今現在ナンバーワンたる第一人者シノロジスト[中国文化史家]、中野美代子先生の『綺想迷画大全』が出てきた。以前『乾隆帝-その政治の図像学』を取り上げたが、大新聞のドケチ書評欄みたいに一著者は一年通じて一度のみというようなことをぼくは言う気などさらさらないし、それに中野先生といえばビジュアル本、それも作品社叢書メラヴィリア収中の『肉麻(ろうまあ)図譜』で特に色彩絢爛の中国図譜に関して一体どれだけ未知な材料を持つ人なのかと常々びっくりさせてくれるお仕事ぶり、なのに新書版の限界で『乾隆帝』はビジュアル華麗という印象を残してはいない。そこで今回はビジュアル本の真骨頂ということで『綺想迷画大全』を読んでみよう。

丁寧に数えてみたわけではないが、使われた図版は150点に近い。時々モノクロームのものがあるが、わざわざカラーの適当なものがなくてと著者が申し訳ながるように、収録図版のほぼ全部が華やかなカラー図版。しかもほとんどの読者が目にしたことのない中国、東南アジア、インド、ペルシアといった地域の歴史古いビジュアルである。多くの資料源の中に杉浦康平氏の本もあるし、先般他界された若桑みどり先生が教材に使うのに最高と仰有って全巻愛読していた平凡社「イメージの博物誌」シリーズからも何点か採られている。その種のジャンルに入る本だ。杉浦康平氏の宇宙樹(『生命の樹・花宇宙』)や宇宙太鼓(『宇宙を叩く-火焔太鼓・曼荼羅・アジアの響』)といった一連のアジアの図像学をめぐる傑作群に類する。

とは言い条、口上にもあるひたすら極私的な「快楽」に動かされるまま、気随気ままを地で行った肩凝らぬ本である。今時、これだけのフルカラー大型ビジュアル本を「快楽」のまま形にでき、本にできる人はそうそういまい。目に痛いと先に言ったが、帯の惹句に「この絵は眼にしみる!」と書いてある。初出はクインテッセンス社刊の雑誌『歯医者さんの待合室』に「この絵は にしみる」という題で三年間36回連載したものを加筆・再編成したものとあって、笑えた。本当にカラーが「目にしみる」。

その36回を「交錯する異形」「空間のあそび」「動物たちの旅」、そして「いつものできごと」の四部に分ける。ふたつ繋がる回もあれば、てんでばらばら、自在にどこから眺めてもよいというルースな構成。印象としては図版は150できかず、もっとずっと多いはず、と思って眺めだすと、ひとつの図版が部分図としてどんどん増殖していくので、実はもの凄い数になるのだ。

それもそのはず、ディテールにこだわることで一見ワケの分からない絵の意味を解き明かす中野流図像学のエクササイズ、という本なのだ。龍を射とうとしている射手の体が当の龍の体と繋がっているのはなぜか、「ふしぎを解いてくれるかもしれない鍵が、つぎの図6のなかにかくされています」(p.56)というやり方で、どんどん「つぎの図」に拡大されていく「部分」図に読者は誘い込まれていく。思うに中野女史の頭の中には少々信じ難い量のビジュアルの集積があり、それが徹頭徹尾、熊楠や澁澤ふうのアナロジー感覚で次々と繋がれていく。澁澤、熊楠のみか、キルヒャー、バルトルシャイティス、エーコ、そしてピーター・グリーナウェイと、中野女史偏愛の人々が本書にも繰り返し召喚されるわけだが、考えてみれば、皆、バーバラ・スタフォードのいわゆる「ビジュアル・アナロジスト」たちである。得がたい系譜だ。

ぼくはスタフォードの一連の視覚文化論の大冊を片端から邦訳しながら、彼女の純欧系の作業を、東アジア域、あるいは特に中国・日本についてやって欲しいものと念じつつ、最高の読者として杉浦康平、荒俣宏、松岡正剛、田中優子各氏ともう一人、真芯に中野美代子を想定しながら訳を進めていた。だから本書序文(「前口上」)で、いきなりスタフォードの『ボディ・クリティシズム』と『実体への旅』を念頭に「ひるがえって中国では?」というのがこの本のアイディアであると宣せられて、いやはや虚脱するくらいびっくりし、かつ嬉しかった。スタフォードとか同系統のロレイン・ダストンとか、確かに中野女史が指摘されるように、アーリー・モダンの「驚異」の文化をめぐるこのところの欧米の研究と出版の活況はもの凄い。その辺の新刊を極力チェックし通した丸善の美術関連洋書新刊案内『EYES』の最高の読者がミヨコ・ナカノであったことを、カタログ・メイカー高山宏はいつも念頭に置いてビジュアル洋書紹介に努めてきた。そちらの新しい動向を実によく押さえている気配が、この新刊にもパリッと如実である。そのあたりのどこかで先生はドリス・レッシングにそっくりだと、ぼくは中野女史に申し上げたことがある。レッシング、本年度ノーベル文学賞。先生、まだまだやるお仕事、いっぱいありますよ。

西欧ビジュアルについてはそれこそ澁澤的文化を介してかなりよく知られてきたし、そのアジアとの繋がりでは例えば荒俣宏の功績大だ。がやはり、殊に中国については、つらつら見るに中野女史のストックが断トツ。

この『綺想迷画大全』でも、まくらに置かれる洋ものは今や例外なく我々熟知のものだ(それにしてもクリヴェッリとウッチェルロへの偏愛ぶりは本書でも改めてよくわかる)。やはり、当然ながら中国の材料が面白い。面白過ぎる。

山川に都邑に悠々たる時間が流れ・・・といったイメージが中国ビジュアルの基本としてあるが、そういう山水画、仙人画、そして都市パノラマにも中野女史のディテール狂いの目が入り込んでいく。そういう文章がとりわけ面白い。伝・馬麟『三宮出巡図』(p.76「かわいい魚介たち」)とか伝・仇英『群仙会祝図』(p.84「仙人飛行図」)とか、それこそ見ても見ても次々にディテールに目が移ってきりがない。空間恐怖と悠々の弁証法が面白い。定規でびっしり線を引いた建築図(界図・宮室というジャンル)にもびっくりしたが、余白があると後世のコレクターたちが自分の架蔵印をあとからあとからベタベタ捺していくというハンコの真空恐怖の話(『鵲華秋色』図)が、長年の謎が解けたという意味で個人的には一番勉強になった。

全巻白眉は「いつものできごと」という部立ての27・28・29章であろう。18世紀宮廷のフィギュア・スケート式閲兵式のパノラマ図(清代の『冰嬉図』)は材料の斬新にあっけにとられる。それよりも、タテ35.6センチ、ヨコ11.5メートルの壮大な画巻(絵巻)、清院本『清明上河図』(12世紀)が絵としても面白いし、右から左へ巻物相手に移動していくいわゆるローリング・パノラマの都邑風景に中野女史が付していく説明文が面白い。ひとつの材料で『歯医者さんの待合室』の連載2回分つぶした唯一のケースで、いかにこの材料が本書のメインであるか納得がいく。絵のディテールと中野女史の言葉による描写の往還のうちに、我々は識らず“Ut pictura poesis”(画文一致)の典型例を見ることになる。当然文章が一番多い章になり、絵はたった一点。それが「部分」図に分解されてはディテール分析の材料になる。「まちなみ散策」で概述された後、虹橋なる橋(表紙の橋だ)の上のマーケット、橋のつけ根の橋市の賑わいが一章縷述される。わが源内が『根無草』四の巻冒頭に記した両国橋上の殷賑ぶりを思いださぬわけにはいかないが、帝室が下々のことを知りたくて禁城内に巷の市そっくりの仮設市街を虚構したというマイマイジュ(買売街)を中野女史が連想している文章が、壺中天のミニチュア趣味、パラドックス愛好に目のない先生らしくて面白い。まるで江戸古典落語の「二階ぞめき」の面白さだ。

この本に一番似ているのは田中優子『江戸百夢』だ。同書でも一番面白かったのは、江戸都市観相学の霊感源となった昔の中国の都邑パノラマと橋市の賑やかしについての文章だった。これは一体、なんだろう。

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2007年09月28日

『ダ・ヴィンチ 天才の仕事-発明スケッチ32枚を完全復元』 ドメニコ・ロレンツァ、マリオ・タッディ、エドアルド・ザノン[著] 松井貴子[訳] (二見書房)

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現代アニメの描画法もマニエリスムの末裔と知れた

『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉)、そして『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』と読み継いで、知識と絵、というかグラフィズムとの関係が、ルネサンス、とりわけレオナルド・ダ・ヴィンチ[以下レオナルド]の知的営為にとって究極のポイントであることがよくわかった。その場合、絵というのはいわゆる美術絵画でなく、アトランティコ手稿をはじめとする手稿約8,000点の紙面上に溢れるインクやチョークによる厖大なデッサンなのだが、上ニ著とも別にそこに焦点を当てて一意専心という本ではないから、そうしたデッサンの振る舞いがモノカラーの小さい説明図では理解しきれない。そこを完璧に補ってくれるすばらしい一冊が、上ニ著と同じタイミングで邦訳刊行された『ダ・ヴィンチ 天才の仕事』である。「数あるレオナルド本とは一線を画する内容の広がり」を序文に誇るが、まことにその通りだ。

合計32点の機械デッサンを、飛行機械、武器、水力関係、作業機械、式典演出機械、楽器に大別して紹介していくのだが、ミラノ工科大学で工業デザインを学びコンピュータ・デザイン事務所で仕事をしながら大学でも教えているデザイナー二人が、三次元CG画像にレオナルドの設計図を再現していくというやり方がなんとも斬新で、何度眺めても面白い。

レオナルド・マニアというほどではないがレオナルドにフツーより少しは上というくらいの関心をもつぼくのような人間には、ヴィジュアルで理解するレオナルドといえば、いまだにラディスラオ・レティ編『知られざるレオナルド』(1974)である。八ヶ国共同出版、日本語版は翌年、岩波書店から邦訳。研究としても第一級の水準だが、大型豪華本に溢れる図版が珍しく(多くは手稿)、その説明の仕方、そのための図版構成も、いまなお新鮮。組版は写研と聞いて、さもありなんと思う。当時の値で12,000円は貧書生には痛かったが、モナリザでばかり馴染みのレオナルドとはまるで違う「知られざる」レオナルドの相貌が、衝撃とともに伝わったものである。

アトランティコ手稿紙葉の一枚に自転車そっくりな機械のデッサンがあって流石はレオナルド、という一章が『知られざるレオナルド』にある。大真面目な議論だったが、1969年の編纂の過程でいたずらな現代人が入れた落書きと判明。今ではお笑い種である。

日進月歩ということだ。「壁画<最後の晩餐>の修復」という最近最大の美術史学上の事件については『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』中にもきちんとした報告文があったように、元はどうやら、派手な色を投入した、我々が長年イメージしていた作とは全然違う絵だったらしいのだ。ブルーノ・タウトが日本的わび・さびの極致とした桂離宮が実は金ピカだったのが歴史の塵芥で汚れていただけというのに似たショックが、新千年紀の変わり目にレオナルド学全体を強撃した。コンピュータ・グラフィックスが美術史を変え始めた代表的ケースとして長く記憶されるだろう。

二人のデザイナーは手稿のありようを考えつつも、あくまで手稿上のデザインに集中して、それをCGに移す。その過程で今まで問題にならなかったようなレオナルドの特徴が見えてきたりする。こういうことも起こる。「完璧に再現したつもりの構造や仕掛けが、最後の最後になって見つかった小さな部品のおかげで根底からくつがえされ振り出しに戻」った。「自走車」のケースだが、その入れこみから、「連射式大砲」の図解(108-115)と並ぶ、同書図解中の華である。

レオナルドのデッサンを凝然精査して、立体模型をつくる代わりにCGに立ちあげていく。さまざまなアングルから連続的に見るとか、一部を断面化して向こうを透視させるとか、やりたい放題なわけだが、ふと考えてみれば、16世紀当時、レオナルドの機械図や解剖図を断然ユニークたらしめていた作画技法を、今そっくりコンピュータが随分と楽になぞり、実現しているのにすぎないとも言える。「ほかならぬレオナルドも、考察や思考のプロセス、斬新なアイデアを視覚化してスケッチで伝えようとしたのである。装置の複雑な仕組みや構造を余すところなく伝える本書のCGは、まさにレオナルドの夢の実現と言えるだろう」とあるし、「天賦の才能が醸しだす魔法のような魅力こそはないかもしれないが、機械の全貌をしっかりと伝えるという点では、原画を超えたと言ってもいいだろう」。大変な自負だ。

逆に、こうしてCGが多様なアングル、無数の部分に分けて見せなければならぬ内容を二次元の紙葉にハッチングやインクウォッシュだけで封じ込め、多様な解釈をクラスター爆弾(その図解もある)のように閉じ込めたレオナルドの<絵>とは全体何か、ということである。「機械の設計画を――他者に伝えるために絵で表現したというよりも――分析と研究のための手段ととらえた」(パオロ・ガルッシ)。絵は実物にひとしいとか、あえて実験をする必要がないほどの絵のリアリティといった不思議な<絵>観の背後に、「芸術家であり技師でもあるという新知識層の出現によって・・・<知的な>創造行為だと考えられるようになっていた」動きがある。それこそはマニエリスム・アートの定義ではないか。ヴァザーリのマニエリスム絵画論を引くドメニコ・ロレンツァの巻頭言はだてではない。「思考や判断は精神によって成しとげられ、それを手を使って表現したものが絵画」だ、と。

分解して一つ一つの部品までていねいに描いた画像は、さまざまな想像を呼び起こす。レオナルドの機械を頭の中でバラバラにしたり組み立てたり、自由にイメージをふくらませて楽しんでもらいたい。(p.7)

「機械要素」の組み合せを、『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』書評でぼくはアルス・コンビナトリアと呼んでおいた。現代最強のCGデザイナーが16世紀マニエリストの(たぶん無自覚な)末裔たることを証すというのが、この近来稀な美しさの本の(たぶん無自覚な)スマッシュヒットである。持っているだけで嬉しい一冊。

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2007年09月18日

『シンボルの修辞学』 エトガー・ヴィント[著] 秋庭史典、加藤哲弘、金沢百枝、蜷川順子、松根伸治[訳] (晶文社)

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読む順序をまちがわねば、笑う図像学、きっと好きになる

絵の意味がわかる、と簡単に言うが、そもそも絵に、ちょうど小説や詩に意味を求められるのと同様のレヴェルで<意味>を求めることができるようになったのは、一代の歴史家・美術史家のヤーコプ・ブルクハルト(1818‐97)のお蔭だ。芸術史は芸術そのものとその種類に従った叙述であるべきで、芸術家たち自体の歴史であってはならない、としたし、同様に文化史も人間精神の形態学をめざすのでなければならないとした。

あくまで対象に即き、その記述に徹する大ブルクハルトの弟子が、今日のバロック論を出発させるバロック<対>ルネサンス概念の提起で名を残すハインリヒ・ヴェルフリンであり、さらにアーロイス・リーグル以下のいわゆるヴィーン派美術史学である。個々の作品よりもそうしたものに共通する「形式」を「数学のようなやり方で」抽象する論理的傾向が快い反面、作品を「現実経験のコンテクストから切り離した」という批判の対象になりうる。

そこをブルクハルト本流に戻って「美術的な視覚というものは、この一つの全体としての文化の中にあってはじめて必要な機能を果たす」としたのが、昨今再評価めざましいアビ・ヴァールブルクである。こうして美術史学が文化学(Kulturwissenschaft)、精神史と接続されていく今現在の西洋美術史学を、広く「メディア革命」という人文学の21世紀的再編成の大枠に取り込む上で必須の見取図と教養の内容が見えてくる。展望を与えてくれているのはエトガー・ヴィントの大著"The Eloquence of Symbols : Studies in Humanist Art"(1983、邦訳『シンボルの修辞学』)、その第2章「ヴァールブルクにおける<文化学>の概念と、美学に対するその意義」である。以上の紹介文中の引用の括弧はこの文章から引いてきたものだ。

ヴァールブルクがキリスト教美術の中に「古代の残存物」を発見していった画期的な仕事は、その研究所・図書館たるヴァールブルク文庫に流れ込み、所長エルヴィン・パノフスキーの"Studies in Iconology"(1939/1972;Paperback/邦訳『イコノロジー研究』ちくま学芸文庫〈上〉〈下〉)に象徴的な、プラトン主義哲学など異教テクストに対応する内容をルネサンス絵画に追求するイコノロジー(図像学)をうんだ。パノフスキーの名著はじめ、クリバンスキー、ザクスル、ウィットコウワー等々、ヴァールブルク図像学の精華が1970年代から一時集中的な邦訳紹介をみて、図像学者に非ずば美術史家に非ずという風さえあり、シェイクスピア劇はじめ文学作品にも図像学の成果を援用するのが一時大流行した(岩崎宗治氏の精妙な業績他)。

兎角、面白いように絵の<意味>が析出されてくる。以前、故ダニエル・アラスの『モナリザの秘密』で絵の意味がわかってきた時の快を我々は味わったが、アラスが極力素人向けに語ってくれたところを、思いきりプラトニズム、ネオプラトニズムの哲学を導入し援用しながらの説明で、とっかかり気骨は折れるが、少し辛抱して付き合う間に面白くて仕様がなくなる。その意味では、具体作に即して話が進む第3章「ドナテッロの<ユディット>」、4章「ボッティチェッリ<デレリッタ(見捨てられた女)>」から9章「キリスト者デモクリトス」までをまず一挙通読するのがよい。プラトンが芸術を理想国家から追放すべしとした真の理由を述べる第1章は、プラトンが意外やな専制君主にもてたいわれを分析する最終第10章と対応しており、オリゲネス異端説のルネサンスにおける復活を芸術に追う第5章と併せ、この三つの章は3~9章一気読みで具体的解読の妙味を知って後、帰ってくる方が良いと思う。

個人的にいえば第7章「グリューネヴァルトの寓意的肖像画」が出色に面白かった。大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクが聖マウリティウスと語らう聖エラスムスとして自らを描き込んでもらっているが、後には聖ヒエロニムスとしての自画像も描いてもらっている。エラスムスとヒエロニムス。うっ、似ている。何かあるのか。何か、ある!

 こうした音声に基づく思考方法は、中世の伝統に深く根ざすもので、人文主義者たちにとりわけ訴えるものがあった。言葉遊びは彼らの職掌に含まれ、巧言も機知も語呂合わせが明敏に悟られなければ始まらない。メディチ(Medici)家は、その名前が乞食(mendici)に似ていたので、変わることなく乞食に親切だったと伝えられる。ミケランジェロ(Michelangelo)[天使ミカエルの意]は「アンジェル・ディヴィノ(Angel Divino)[神の天使]」と呼ばれ、アルベルト・ピオ(Alberto Pio)は「敬虔(pious)」であらざるをえず、エラスムスはモルス(Morus)[トマス・モア]のために『痴愚 Moria』を著したのである。こうした駄洒落の類から、愛や信頼や信仰を伝える深遠な表現にいたるまで幅広い。「名前に何があるかって?・・・名前でもローズが含まれていれば、甘く香るだろうよ」。こうした言葉が、その根底からどうしようもなく発する風合いを感じることができるのは、音声的関連づけの秘密の力を、その核心において知る者だけである。
 こうした「名前への信頼」があればこそ、アルブレヒトは聖エラスムスを自らの守護聖人に選んだにちがいない。こうした彼の信仰の音声的側面には、機知と言わないまでも、「創意」という要素がある――人文主義者の楽しみごとが、司教の気に障ろうはずはなかった。(pp.207-208)

「キリスト教的プラトン主義」の緻密難解の議論にこうして「笑い」の風穴があちこちあくところに、エトガー・ヴィント図像学の魅力がある。

ルネサンス期に語呂合わせが楽しまれていたことは、文学史家や社会史家に非常によく知られていることなので、ルネサンス美術史にその記述がないとなれば、そのことこそ注目に値する。私見の及ぶかぎり、語呂合わせを主題にした美術史的研究は現れていないのである。

本当だろうか。この本("The Eloquence of Symbols: Studies in Humanist Art")が1983年刊とすれば、ヴィントは何故ポール・バロルスキーの"Infinite Jest : Wit and Humor in Italian Renaissance Art"(1978、邦訳『とめどなく笑う-イタリア・ルネサンス美術における機知と滑稽』ありな書房)を知らずにいたかと、バロルスキー訳者のぼくは首をかしげたが、むろん御大、既にこの世にいなかった。『ヴァールブルク研究所紀要』の第1号(1937)に初出の一文であったので、そうなるとむしろ、1930年代好きな山口昌男道化学に通じる先駆的センスを感じる。この「笑い」は第9章「キリスト者デモクリトス」の、道化キリストの図像学で一層鮮明となる。むしろ、『とめどなく笑う』を訳す時にこの『シンボルの修辞学』のヴィントを知らなかった我が不明をこそ恥じるのだ。

五人共訳とはいかがなものか。五人もかかれば日本語にムラ多く、直訳体のこなれぬ訳文がつらいところも多いし、訳者の教養にもムラがある。五つのプラトン立体(Platonic solids)をいきなり五つの「プラトン的固体」と訳されては(p.42)、プラトニズムのイロハであるだけに、その先、実は結構シラけて読み出すしかない。二宮隆洋の編集なら、大目玉くらっているところだ。伝説的な碩学相手の訳業は、もちょっと死に物ぐるいでよかあないか。

16世紀の哲学と、そして美学に付き合ってきた。次は少し16世紀の機械学にいくつか触手をのばしてみよう。

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2007年08月17日

『大発作-てんかんをめぐる家族の物語』 ダビッド・ベー[作] 関澄かおる[訳] (明石書店)

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『大発作』pp.304-305
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フランス版『ガロ』が、ベー・デーを転倒させてのデー・ベー

日本のマンガ、アメリカのコミックスとともに20世紀漫画史のひとつの極とされてきたフランスのバンド・デシネ、いわゆるB.D.(ベー・デー)は、「現代思想」を推進した理屈好き・論争好きのお国柄を反映して、ちょうどピーク時(伝説の編集長・長井勝一)の我が『ガロ』そのもののハードな思想性と、それが要求しやまぬ描法の実験性に大きな魅力を持つ世界であった。だから、大友克洋のAKIRAに一番大きく流れこんだ霊感の源がBDであり、AKIRAから流れ出るものに一番大きな霊感をさずかったのがまたBDのアーティストたちだったと聞いても、全然不思議じゃない。ダビッド・ベーが中心になって、フランス版『ガロ』というべきラソシアシオン社を1990年に創設せざるを得なかったのは、そういうBDが本来のハードなメッセージ性を喪って、極東のマンガやアメリカのコミックスに押されても仕方のない無力な状況に陥っていたことの証しだ。

本名ピエール=フランソワ・ボシャール(1959~ )、愛称ファフー少年が癲癇(てんかん)の兄ジャン=クリストフの発作発症(1964)から作品刊行時(2003)までの「大発作」にずっと付き合う闘病記録だが、幼少時からファフーは絵が巧く、また途中から20世紀後半の本好き少年の常道のように幻想文学のとりこになった挙句、兄との確執と深い共感の物語を世界に発信しようとする。

パリにひとりで生きている今、僕はすべてを語りたい。兄のてんかんのこと、医者のこと、マクロビオティックのこと、交霊術のこと、宗教指導者のこと、共同体のこと―

絵の巧いファフーのこと、この物語はBDにならざるを得ないだろうし、ファフーによれば「世界を代表する漫画になる予定だ」というので、プルーストの『失われた時を求めて』やアンドレ・ジッドの『贋金つくり』そっくりの入れ子箱の形になっている。まさしくBD版『失われた時を求めて』といってよい。現に作中のBD作家志望のファフーが、受難の民ということで急に好きになったユダヤ民族の代表的名ということからダビッド[ダビデ]の名を名乗り、かくて本当の人気BD作家ダビッド・Bとなって、ほらお手元のこの『大発作』を描いた、とそういう入れ子になっている。商業化したBDをもう一度転倒してしまうという気合がBDを逆しまにしたDB[ダビッド・ベー]の筆名になった、ともいえよう。なかなか洒落(しゃらく)な人物と見受けられる。

描かれている内容は洒落どころではない。発作がきて全身の強直性痙攣でどこにでもひっくり返ってしまう兄ジャン=クリストフが、近代医学の最先端治療(「気体脳造影撮影法」)から、それに批判的なドゥルーズ=ガタリ流の「反精神医学」までモダンな治療、ポストモダンな医学すべてに見放され、禅式「マクロビオティック」という食餌療法からシュタイナー学校からモーツァルト音楽療法、スウェーデンボルグ主義、薔薇十字、錬金術から、果てはヴードゥー教まで、エソテリック[秘教的]と呼ばれるありとあらゆる療法に手を出すが、どうやら自分を守るために癲癇を利用し始めさえしているジャン=クリストフには、すべて何の効果ももたらさないばかりか悪影響を及ぼし、癲癇と精神障害が交互に、また複雑に絡み合って、優しく看護してくれる一方の父母にさえ危害を加えるようになる。

物語の3分の1はこの兄の症状を追う。症状が巻を追うごとに悪化していくのに応じて、この兄の挙措表情を描く描線が太く粗く真っ黒になっていくのが、異様にプリミティーフな版画みたいで迫力がある。また3分の1は、身体の健康をめざす共同体が必ず精神の自己啓発を唱える動きと化し、そして階級をつくりだす権力闘争に堕し、教祖の自殺や逮捕に至るおなじみの行程を、飽きもせず繰り返し追う。フーコーやドゥルーズをうんだお国柄と時代であろう。

そして残る3分の1が、そういう不治の病の兄と関わる主人公/語り手の側に起こる変化をゆっくりと描く。どうやら弟にも癲癇の素因があるが、彼は早々とそれを絵の世界に「昇華」するコツを体得していた。それから夜の森の世界に魔じみた対話者を呼び出して対話することで日々の圧から逃げる術も得る。夜こそ我が鎧だと。

もはや想像がつくように、最後に癲癇という回路を通じて兄弟に深い和解が訪れるが、天空を行く馬上での対話が深く黙示録的で、ダビッド・ベーが『蒼ざめた馬』(1992)以降ずっとこの世界を引きずっていることを思い出させる。得体の知れぬ病が一貫して黙示録的なドラゴンとして描かれる。時にはそれは瘴気の渦流に変じて人の身体と化す。

そう、『ヨハネの黙示録』また癲癇者による作とされている(いま改めて注目のドストエフスキーも、そしてエドワード・リアまた)。そのこともあって、かつてこの病は“morbus sacer”[神聖病]と呼ばれた。神聖でも何でもない、脳内の機能障害として、ひたすら脳波波形の類型学に矮小化されてきたのが現下の対癇癪観である。そういう癇癪観が無力なのは、虎や兎として描かれるオリエンタールもしくはジャポネな(「僕らの新しい世界では、日本の物はすべてよしとされている」!)整体や気功の術が無力なのと同じなのだ。

大発作とは面白がって付けた名ではなく、癲癇の典型的症状を指す医学用語“haut mal”[全般性強直間代発作]の訳である。では、この原作の原題"L'Ascension du Haut Mal"の“ascension”とは何か。文字通りには「昇り」のことで、作中一貫して癲癇発作の進行が山登りに譬えられている。しかし、この語は何といってもキリストや聖母の「被昇天」を意味しないではおかないだろう。「至高の悪の高み」とか、文字通りにとればとれるし。深刻だが、洒落といったのは、この辺の面白さである。

全体の3分の1が、1880年から1964年に至る戦争の歴史の回顧である。この分量は意味深い。癲癇は個人的素因にやはり社会的変動が歪みを加えて生じるものとDBはいいたいのだ。そういう社会的病を一家族の「聖」史劇に「昇華」しようとした力わざだ。

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2007年08月10日

『美術愛好家の陳列室』ジョルジュ・ペレック[著] 塩塚秀一郎[訳](水声社)

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全美術史を壺中に封じる、これも「記憶の部屋」だ

大きな部屋の壁一杯に何十枚かの絵が掛けられている、考えてみるほどに奇妙な絵の一枚や二枚、誰しも目にしたことがことがあるだろう。壁の一部がいわゆる加速遠近法でぐっと奥に向かってへこんでいく、その筒状の奥まる壁面上もびっしりと絵でおおわれている。空間に隙間を残すのを嫌がる近代ヨーロッパ文化の<真空恐怖>をそっくり絵にしてみせたようなこの画題を、ガレリア(ギャラリー)画、画廊画といって、17世紀から19世紀にかけて長く流行した。一番有名なのは、18世紀中葉、ローマ画壇の最高位を極めたジョヴァンニ・パオロ・パンニーニの一連の画廊画。これを表紙にあしらった Annalisa Scarpa Sonino, "Cabinet d'amateur"(Berenice)なる巨大画集一冊繙読すると、ほとんど、お願いもう許してモードになること必定である。有名な絵を何十枚もミニチュアにして模写したものをびっしり詰め込んでみせる大型の絵を何百点か、描きこまれたミニチュアの一点一点が誰の何という絵か同定しながら見させられると、西欧近代とは何なのかという大きな問いにまで行かざるを得なくなる気分だ。

現在の視覚文化論隆晶のきっかけをつくったジョン・バージャーの名著"Ways of Seeing"(1972;Hardcover1995;Paperback『イメージ』が、レヴィ=ストロースを引きながら「所有形式としての」油絵、そしてその堆積としての画廊画を論じた1970年代初めにして、画廊画がブルジョワ階級の所有欲の表れだということを指摘済み。そして最近、そうやってうまれた絵画が自らが所有形式のひとつであることへの自意識を深め易いメタフィクショナルな制作行為であったことが、たとえばルーマニアの美術批評家、ヴィクトル・I・ストイキツァの『絵画の自意識』(1993。邦訳ありな書房;2001)で動かぬ事実となった。パンニーニのピクチャレスクなローマと16世紀のアントウェルペン・マニエリスム画派が<画廊画>への関心であっさり通底する。絵とは何、描くとは何、それを評するとは何、美術史学とは何。絵画という表象をリフレクト(反省)するに、考えてみればこれだけぴったりの画題はないだろう。

そこにきちんと照準を合わせたのが、想像通り<ウリポ Oulipo>グループの鬼才、ジョルジュ・ペレックの"Un cabinet d'amateur"(初版1979/1997;Broché2001;Poche)だった。今回翻訳の原作。ウリポとは順列組合せ数学に高度の知識を持つ文学者集団。『文体練習』で同一情景を何十通りかの文体で書き分ける芸当に出たノーベル文学賞受賞者レイモン・クノーが中心。周縁には『宿命の交わる城』と『マルコ・ポーロの見えない都市』、「文体練習」的文学の二大名作を書いたイターロ・カルヴィーノ。そのカルヴィーノが、次は美術館展示の絵を自在にリシャッフルすることで、順列組合せ小説を書いてみたいと言い遺したまま、他界。残念でならなかったところ、この『美術愛好家の陳列室』がその遺志を完全に実現してくれた。

物語は、醸造業者ヘルマン・ラフケ所有の一枚の画廊画に誰の何の絵が描きこまれているかの分析と描写がコアである。描いた画家はハインリヒ・キュルツ。どこかで誰かが描いた絵をキュルツがミニチュア化して、問題の『美術愛好家の陳列室』という絵の中に模写していくのだが、模写といっても原作とどこか微妙に違っている、それはどこか探せという趣向もあるらしい。しかも、ミニチュアにして入れられた絵もまた一幅の画廊画になっていて、その中に何十枚かの絵を含んでいたりする。

画家は絵の中にこの絵自体も描き込んでおり、陳列室に腰かけた蒐集家が、部屋の奥に視線を向けて見ているその絵には、絵画コレクションを眺めている蒐集家自身が描かれているうえ、彼が眺めている絵もすべてあらたに模写されているといったぐあいで、絵画コレクションは精確さをいささかも失うことなく、第一次、第二次、第三次と縮小してゆき、ついにはカンヴァス上に見えるのはあるかなきかの筆跡だけになってしまう。

縮小が内向するばかりか、蒐集家の死に際しては、部屋自体がこの絵と寸分違わぬ(蒐集家その人をも含む)状況にされて永久封印される。絵が絵の外に向かって増殖しもするのが面白い。

問題の絵が贋物だったことが判明、というのが、この作品のアクションと言えば言える。そうなると一種推理小説風だから、粗筋にはこれ以上触れない。大体が“amateur”(「素人」という意味ではない)という存在が面白い。“cabinet”の文化史が面白い。両方とも豊かな文化史的観念であったことが判ってきたのが、やっとこの四半世紀。「キャビネ(ッ)ト」ひとつとっても、たとえばマニエリスムの驚異博物室から電子ブリコラージュの箱型デヴァイスとしてのPCまで何とか一本の線に繋げようとしている一大文化史家バーバラ・M・スタフォードの批評の鍵語がいつも「キャビネット」だ。

全美術史の営みを130ページに封じ込めたこの作自体がキャビネットだという壺中天のパラドックスが「パラドックスの文学(R・L・コリー)」の一大痛快作をうんだ。

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2007年08月03日

『キャンディとチョコボンボン』収録「いまあじゅ」大矢ちき(小学館文庫)

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「いまあじゅ」pp.254-255
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名作「いまあじゅ」で、マニエリスムがメディアの問題になった

小学館文庫に大矢ちきが二冊入った。『おじゃまさんリュリュ』『キャンディとチョコボンボン』。日本漫画史がマニエリスムと交叉した一瞬を見せつける貴重な逸品「いまあじゅ」が『キャンディとチョコボンボン』で再び読めることの興奮。今回文庫でたった16ページの「いまあじゅ」を、いってみれば漫画漬けの大量消費状態の中、メディアとしてのコミックスが内容ばかり、それも漫画社会学といった観点でばかり問題にされている今、若い読者が見て、何をどう感じるかに、ぼくはとても興味がある。世代の差ありや、と。

一人の美少年が、想像したことがそのまま現実となる幼児期の万能感覚を喪って――それは左眼の事故による失明を通して起こる――青年になってしまい、いつもこの喪失感とノスタルジアに苦しんでいるという、いかにも「青い」話。それを一人の少女も出てこない、「花の24年組」好みの女人結界ギムナジウム世界で、明るい一方の少年と、暗い本好きの「委員さま」の対立と、甘くも狂おしい融合の物語として描くといえば、やおいのはしりかという具合だが、こともあろうにマンガを通してゼーレ(魂)の冥府降下という神話的・元型的な物語を追ってみるという、およそ物語なるものの根源とでもいうべきでき方をしているので、今頃の腐女子マンガ読者たちが「いまあじゅ」をどう読むか、これは是非にも知りたい。

実存主義という深み志向の哲学が1950~60年代に流行ったが、これと漫画が交叉したのが岡田史子(ふみこ)だとすれば、マニエリスムと漫画が接点を持ったのが大矢ちきということになる。たどん目の主人公たちが生きることの意味を前に重くたたずんでしまう岡田史子が、主題の要求する絵としての下手さでぼくなどを魅了したのとぴったり裏腹に、大矢ちきは空前絶後の絵の巧さで“impressive”だった。紙の上に線を圧し刻むプレス(圧)も、そして読者の脳裡にインプレッションを彫り刻む圧力においても、という意味である。

愛知芸術大学で大矢ちきが線の扱いと伝説的な色の巧みな扱いを勉強していた頃は、ぴったりマニエリスムのブームに当たっている。「いまあじゅ」で、自分の甘美なるべき幼児の頃をいま自分の内なる迷宮として抱える主人公は、自らの裡に降下していくわけだが、自らその説明をして、「ぼくはぼくの鏡のうちへと降りる。死者がその開かれた墓へと降りていくように」というシュルレアリスム詩人ポール・エリュアールの詩を引くのだが、雑誌『りぼん』新年号に「いまあじゅ」が初出された1975年という象徴的なタイミングでは、身芯にG・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』(1957。邦訳1966)を思いだした読者が少なくなかったはずである(それは、まさしくエリュアールのこの一行から始まっていた)。

ダ・ヴィンチ構想の八角形の迷宮を究極の標的として、迷宮と化す人間の世界内存在の意識を、ハイデッガーやヤスパースの存在分析哲学の手法をもって追う『迷宮としての世界』が、1970年代初めの才媛画学生の座右になかったとは考えにくい。主人公の分身とおぼしき美少年が主人公に「ねえ知ってる?ダ・ヴィンチは八角形(オクタゴン)の鏡の迷宮を築こうとしたのを?」と言い放ちさえしているからである。ここまで徹底してやられながら、大矢ちき(は勿論、岡田史子)に一言の論及もなかった澁澤龍彦の存外な感度の悪さを何だろうと思うのだ。

そしてその分、改めて愛すべき橋本治先生の批評的感度の鋭敏に脱帽する。大矢ちきの人物たちの唇に、『ガラスの仮面』の人物たちの髪の色に、『クリティック』の四方田犬彦が加えた透徹した分析に匹敵する分析を加えた名作、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(1979。のち河出文庫)で、橋本治は大矢ちきの「ポップ・マニエリスム」を論じている。ホッケだの、ハウザーだの、ワイリー・サイファーだの、詳しくはそちらを読んでとか、一見無責任だ。

「私はメンドクサガリ屋なのだ。だからそれを、当の大矢ちき嬢御本人に説明していただく――
“らららものすごい寝ぞう みんながひっちゃかめっちゃかにもつれてるよ マニエリスムね” “ぎゃっ鍵が髪の中にまじゃこじゃになっている マニエリスムだ!” “よいさ よいさ まるでちえの輪みたい マニエリスム・・・ムス” 出典 『ルージュはさいご』
――要するにマニエリスムとは、ゴチャゴチャのことなのだ」

といった軽い口調だが、「美しき手法」の域に達した大矢ちきのコマ割りの奇想、絵と字の絶妙な離合と融解など、マニエリスムをメディア論、「フィグーラ」論に開く天才の所業としか形容しようのない世界をマニエリストと断じたのは、さすがに「大」橋本治ならではのスマッシュ・ヒットである。ぼくがNTT出版の論集『コミック・メディア』で日本漫画のマニエリスムを論じて、男は宮西計三、女は大矢ちきを取りあげることになるのも、下敷きとして橋本治の大矢ちき論「世界を変えた唇」が先行していたればこそであった。

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2007年07月27日

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』ルイス・キャロル[作]/ヤン・シュヴァンクマイエル[挿画](エスクァイアマガジンジャパン)

ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展
~アリス、あるいは快楽原則~

2007.8/25(土)~9/12(水)
11:00~20:00 (最終日~18:00)
ラフォーレミュージアム原宿 TEL.03-3475-0411

不思議の国のアリス 鏡の国のアリス
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動きだす絵、それがアニメーションの定義と思い知れ

まさしく20世紀半ばの東中欧みたいな上意下達、朝令暮改の大学「改革」の密室政治で、制度というもののグロテスクリーを日々いやというほど味わわされた2006年の年度末だったから、ルイス・キャロルの専門家にしてヤン・シュヴァンクマイエルのアニメの紹介者の一人ということになっているぼくにして、シュヴァンクマイエルが『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』に改めてオリジナル挿絵を提供したアリス本が出たことを知るのに少し手間暇がかかった。2007年が明けてアワをくって探本したが、『不思議の国のアリス』はアッという間に在庫切れ。が、噂の本のこと、すぐ初版二刷として落掌、『鏡の国のアリス』と併せて、2007年最初にページを繰った一冊とはなった。

いまシュヴァンクマイエル・ファンである人の過半が、シュヴァンクマイエルの『アリス』(1987)をきっかけにファンになってしまったのではないかと思う。アリスが迷いこんだ世界を何と呼ぶか、多くの評者がそれをグロテスクと呼んでいることを知ってはいても、具体的にどういう事態がグロテスクなのか、人間が人形になり、登場人物がぺらぺらの紙人形に化ける、この東欧版『不思議の国のアリス』で実感としてわかったという気さえした。

試みに世界の文学のことなら一応全部わかるはずの集英社版『世界文学事典』で「グロテスク」の項を調べて一驚を喫したことがある。それが地下宮殿に由来し、その宮殿の壁を飾っていた唐草模様の絵柄を呼ぶ名となった、といった語源縁起からはじめて、そういうデザインに対応した文学になら、たとえばラブレーあり、ゲルデロードあり、安倍公房ありといったようなことを、1960年代の「グロテスク」研究ブームの中で一応頭に入れていたわけだが、問題の大事典の「グロテスク」の項は、ラブレーも何も吹っ飛ばして、ひたすらポーランドをはじめとする東中欧の混沌と倒錯という現代文化の一局面のみ概説している。グロテスク観念をもっぱらドイツ・ロマン派の専売特許にしようとしたヴォルフガング・カイザー『グロテスクなもの』(1957。ホッケの『迷宮としての世界』と同年だ!)すら、形無しの体である。東中欧精神史が必要だ。

グロテスク観念と表裏にあるマニエリスムにしてからが、その観念を発見し、16世紀と20世紀を繋ぐ<乗数>とする契機をつくったのは、マックス・ドヴォルザークの『精神史としての美術史』(1924)であり、『ホガース』や『フュッスリ研究』を通してのフレデリック・アンタルのマニエリスム研究であり、そしてマニエリスムの芸術社会学を一手に引き受けたアルノルト・ハウザー。皆ハンガリーとかルーマニアとかの人間である。

もっと有名どころでは、まさしくグロテスクなシェイクスピア像を照射して20世紀後半演劇をアングラ劇場に変えたポーランド人、ヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』があり、そしてそういうシェイクスピアを20世紀不条理演劇と繋ぐその繋ぎ目にキャロルを配したハンガリー人、マーティン・エスリンの『不条理の演劇』を忘れることができない。皆1960年代に書かれ、ほんの少しのラグで日本語になっていった。

この身体と混沌に深くなじむ諸観念をたぶんグローバルに混ぜ合い駆使できた1960年代の相貌を、デジタリティの中にどうやって回復できるかに、凋落のみ言われる21世紀人文学蘇生の大ヒントがあり、そしてその中での<東中欧>マインドの果たした巨大な役割があるのだと思う。そう、ジョナス・メカスだって、いる。

ビデオ『妄想の限りなき増殖』中に「プラハからのものがたり」という短篇がある、ジェイムズ・マーシュ監督。ヤン・コットの『わたしの生涯』そのまま、ヒトラーとの悪戦、スターリンとの抗争、共産主義独裁と「プラハの春」・・・と、まさしく世界史的な政治的抑圧の時代を、ヤン・シュヴァンクマイエル(1934-)が経験し、その中でいかにシュルレアリスムがプラハに生ぜざるを得なかったか、そして「魔のプラハ」(アンジェロ・リッペリーノ)ではそれがいかにアルチンボルドのマニエリスムに遡らざるを得なかったかが、シュヴァンクマイエル自伝とないまぜに語られる。バルトルシャイティスもそうだったが、東中欧人文主義の異様な博識ぶりとは何かを、『シュヴァンクマイエルの世界』『シュヴァンクマイエルの博物館』(いずれも国書刊行会)の鮮烈なページを繰って考えよう。博学が可能にする混淆。それが即ちシュルレアリスムをマニエリスム直系の裔(すえ)としている。

天才アニメ監督による『アリス』は、キャロル原作の地下にグロッタ(洞窟)とヴンダーカンマーのマニエリスムを見せようとした。そのアニメから動きを奪うはずの今回の紙の上のアリス挿画の世界。マックス・エルンスト真似のコラージュの<静>を、下手ウマな動物たちの粗描きデッサンの<動>がアニメートさせる。そう、それ即ち“animation”の根本義に他ならない。本とビデオを往復すべき珍しい読書体験をすべし。


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2007年07月17日

『レンブラントのコレクション-自己成型への挑戦』尾崎彰宏(三元社)

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サムライの兜をレンブラントが描いた秘密

アインシュタインの再来といわれながら東大全共闘議長ゆえ野に在る傑物、山本義隆の前著『磁力と重力の発見』(〈1〉古代・中世〈2〉ルネサンス〈3〉近代の始まり)を読んで、もし野になければ不可欠の一作、エレーヌ・テュゼの『宇宙と想像力』を読めていただろうにと思ったが、強烈第二弾、『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉)を読んで、やはり、たとえばエウジェニオ・バッティスティの『反ルネサンス』を読めていればと望蜀のあじきなき思いにかられた。冶金だの機械学だの解剖学だの「十六世紀文化革命」の過半を「マニエリスム」の名で掘り起こし称揚する動きは、2007年の今、独仏伊のアカデミーでは(やっとのことだが)市民権を獲得しつつあるからだ。残念、日本ではこの点、学界も在野も等しく、怖ろしく鈍感。山本氏が在野であることを惜しむこともなく、在野での研究がむしろインターネットという巷の強力アカデミーを通して盛んになっていけばよいかと思う。科学史、もっと興隆してほしい。

物の生産と流通が文化の中で占めるウェートからすれば、16世紀はたぶん我々が迎えたばかりの世紀にも匹敵する。イエズス会の活躍のように布教ひとつとっても合言葉はグローバリズムである。市場経済は辟遠のオリエントまで含み、かくてマニエリストたち愛好の「驚異」も中南米征圧の「占有」の経済戦略とぴったり表裏の関係にある。幼児退行的自閉症(16世紀のオタクっ!)のようにいわれるマニエリスムのコレクター貴族たちが偏愛したオブジェも、天然もの(naturalia)は東方交易と異文化征服から、人工もの(artificilia)は台頭中の鉱工業から提供されたものでしかない。こうしてマニエリスムも澁澤龍彦という在野の象徴的存在が「気質」や「趣味」に引きつけて語っていた段階から、1990年代以降一挙に、新歴史学やカルチュラル・スタディーズが一番得意とするテーマにと変わっていく。

スティーヴン・グリーンブラットの『驚異と占有』 "Marvelous Possessions : The Wonder of the New World"(1991;Hardcover1992;Paperback)さまさまといってよい転換だが、アーノルド・ハウザーの名著『芸術と文学の社会史』"Sozialgeschichte der Kunst und Literatur"(1951)が相当前に実はやっていたマニエリスムの社会学・経済学ではないだろうか。テュゼの本も、バッティスティの本も、実は1960年代の仕事。マニエリスム機械学という点では、ジャック・ブースケの『マニエリスム美術』(1964)が既に要点はすっかり押さえていたのを知らない者のみが、マンリオ・ブルーサティン『驚異のアルテ』(1986)が「ヴェネツィアの造船蔽」をマニエリスムと呼ぶ視点を奇異と観ずるだけだ(『ユリイカ』1995年2月「マニエリスムの現在」中に訳載)。要するに「十六世紀文化革命」としてのマニエリスム観が本邦にはずっと絶無だった。たとえば「驚異博物室」一点に集中することでそれを言い続けてきたぼくは、完全に異端扱いで来た。

もうひとつは、フーコー表象学の目で、そうした16世紀から17世紀にかけてモノの流通を象徴する代表的文化となったオランダないしフランドルの視覚文化を記述し直すこと。要するに江戸時代、我が国が唯一公的に相手にできた地域の文化への評価が、どうやら1980年代から大きく変わりつつあることの実感が、此方にないらしいのだ。S・アルパースの『描写の芸術』 "The Art of Describing"(1983;Hardcover1984;Paperback)邦訳を昵懇のありな書房からプロデュースした時の邦訳者の反応の鈍さに驚いた。アントウェルペンやハールレムに猖獗したフランドル独自のマニエリスムをフーコー/アルパースの表象論に繋げられる目線の人間がいないのだ。ぼくは、タイモン・スクリーチという英蘭日文化的三角貿易を研究しようという異才を発見、早速「改造」に乗り出した(!?)

尾崎彰宏の存在を知ったのは、テーマからということもあり、氏の『レンブラントのコレクション』による。副題に「自己成型への挑戦」とあって自明のように、グリーンブラットの自己成型論に乗る形で、誰よりも自画像をたくさん残したことで有名なレンブラントの自画像にたどることのできる自己成型を見る。有名な議論なので、その限りでは特筆に値することもないが、何しろすばらしいのはコレクション論である。

ぼく自身、上述のようなオランダ美術研究学界のスローモーにいらいらし、ちょうど河出書房新社創立120周年というタイミングとレンブラント生誕四百年記念の年(2006)が重なったこともあって、サイモン・シャーマの『レンブラントの目』を邦訳し始めていたが、レンブラントがコレクターとして大変貪欲で、かなり充実した。芸術品貯蔵室を所有しており、そこに収集した絵やモノに取材して絵画制作をした経緯を面白く書いてある。ルーベンスについては1989年にJ・M・ミュラーの蒐集家ルーベンス論があるが、肝心のレンブラントについては、と探したら、尾崎彰宏の決定書が見つかった。収蔵品一覧が有難い。「表象の古典主義時代」(フーコー)の「蒐集」をテーマにぼくの行ってきた述作や訳業が無駄でなかったことをその書誌注に確認して、ぼくは非常に嬉しかった。レンブラントが「不一致の一致」の隠秘哲学を絵画表現したとするラルセン『風景画家レンブラント』(法政大学出版局)の訳者、尾崎彰宏は間違いなく「精神史としての美術史」派であるらしい。らしいなどと言いながら、秀才ポール・バロルスキーの『とめどなく笑う』(ありな書房)の続巻として、彼の『庭園の牧神』(ありな書房)を邦訳する時、尾崎氏をちゃんと充ててもいたわけで、流石だね、と我ながらおかしい。

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2007年07月06日

『断片からの世界-美術稿集成』種村季弘(平凡社)

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種村季弘の「散りつつ充ちる」

澁澤龍彦の蔵書目録が故人のエッセンスなのかもしれない。引用とアンソロジーが全てと御本人が仰有っていた通り、書名のみずらりと並び続けていくのを、読み手がたどりつつ自分なりにさまざまな脈路をつけて、自分なりの「澁澤」をつくりあげていく作業自体が即ち澁澤世界だから、である。

澁澤蔵書のさらに数倍も大変であるにちがいないが、たとえば山口昌男蔵書目録完成の暁にも、似たようなことが起こるだろう。厖大な相手を精査したあと、澁澤なら「魔的なものの復活」ただ一篇に収斂するように、山口なら有名な「失われた世界の復権」に帰着するだろうという、なんだかネオプラトニックな読書のエマナチオといったあり方も二人よく似ていて、面白い。「魔的なものの復活」を書かせた「H氏」とは間違いなく林達夫であろうし、山口エッセーの背後にも「チェチェローネ」林達夫の「精神史」がある。

そういえば、「現代思想」全般を毛嫌いし、「パラダイム変換」という時代流行語を嘲っていた澁澤が、ではパラダイム論の急先鋒の感のあった山口昌男を嫌いかと思えば、蔵書目録を見て明らかのごとくに、17点といえば断然多い方で、要するにロジェ・カイヨワやミルチャ・エリアーデを読むように、フォションやシャステルを読むように、引用とアンソロジーの術(アルテ)において互角の相手のアネクドータル、というか話すること自体、楽しくてたまらんという語り口を楽しむ中に、山口昌男を数えていたということで、至極納得がいった。『書物の宇宙誌』を眺めて一番大きな印象を受けた点のひとつである。

筑摩書房の山口昌男著作集第一巻に改題を付けた今福龍太氏の山口学アンソロジー論はさすが山口山脈(山口組?)随一の気鋭の一文だが、そっくり澁澤の文業にも当てはまるものと見た。アカデミーにいようがいまいが、結局アカデミーの周縁より、そろそろ死に体(たい)のアカデミーを衝くという位置にいて、知がぶのみ中の若者のバイブルだった。

とまで記せば、種村季弘は?と問うのはごく自然の流れだろう。澁澤には礒崎純一あり、山口に川村伸秀あって、先達の所有した書の名までいちいち言えるのは驚きだが、種村に「種村季弘のウェブ・ラビリントス」というウェブサイトがあって、著作データを管理しているという噂を聞くだに、さもありなんと思う反面、ちがうなあと感じてしまうのが面白い。

これは鹿島茂に対して荒俣宏の持つスタンスとも思えて、なお面白い。古書の利用について荒俣が、読み終われば本のマーケットにもう一度投げ込むのが当然と言い放ち、現に厖大な本の離合と集散を氏が実践している現場をこの目で見てきた人間を心底驚駭させたのは、実際感動的ですらある。著作もう三百に近いと思わせる荒俣にしろ、百点は遺したはずの種村にしろ、その読んだ材料の仔細を別に知りたいとは思わない。捨て聖の風情が、好き嫌いはあろうが、ぼくには格が一段上のように思われる。体調を崩した山口氏の介護の人が、先生を書店に連れて行ったところが、「夢遊病者のような手つきで」次々と新刊に触れ、買っていくのに驚くと仰有っているのを聞いて、非常におかしかった。書痴書狼にだって、はっきり二種類あるか、と。

種村季弘のエッセンスとは何か。それぞれがひとつの世界を切り開き、地平を変えたという意味では、『怪物の解剖学』、『薔薇十字の魔法』、そして『壺中天奇聞』三点に尽きる。前二著、独訳成れば、そっくり「種村化」中の現下の「メディア革命」プロジェクトのドイツ人たちさえ改めて呆然という名作だろうし、ぼくなど安心して江戸・東京に相手をシフトできたのも『壺中天奇聞』一巻を懐に抱いてのことである。

しかし結局は、どの一冊、いやどの一文をとっても、種村ミニマル・エッセンシャルであるという印象が強い。この人に「全集」は合わない。翻訳まで「全集」として出た澁澤。二人、本当は根元的にちがう、とつくづく思うのだ。

死後まとまった何冊かのうちの一点、『断片からの世界』が良い。「外国人美術家について書いた単行本未収録作品による美術評論集」(「編集後記」)。書くもの全てに出てくるマニエリスムについて故人がプロパーに書いたものが少ない中、貴重なG・R・ホッケ邦訳二点の抜かりないあとがきを収め、西欧文化論をどう日本文化論にシフトするかの模範的実験となり得て、ぼく自信、『黒に染める』刊行の勇気をそこに汲んだ傑作、『みづゑ』全巻を通しての記念碑的一文、「伊藤若沖-物好きの集合論」を収めたという点だけでも、究極。狭隘な美術史家のいうマニエリスムと隔絶した今日に生きるマニエリスム・マインドにこそ関心ある読者には、これ一冊で旱天の慈雨だ。しかも種村氏の第二の「学問的」寄与たるノイエ・ザハリヒカイト(Neue Sachlichkeit [新即物主義])の一連の手堅い論もあり、1960年代同時代の仲間の仕事への熱いオマージュもある。種村エッセンス。しかも他人がつくったところが凄いのである。澁澤ではあり得ぬことだろう。

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2007年06月29日

『乾隆帝-その政治の図像学』中野美代子(文春新書)

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マニエリスト皇帝のテアトロクラシー

バルトルシャイティスの『アナモルフォーズ-光学魔術』は、加筆増補が行われなければ、明・清の中国宮廷における驚異の歪み鏡、歪曲遠近法の流行を記述したところで終っていたのである。こうだ。

とまれ表れ方の違いなど、大したことではない。どういう仕方でつくり出されたにしろ、反射光学的アナモルフォーズは、同じ星宿(シー)/空気(ニユ)のもと、いたる所に広がり、いたる所で繰り返される。超自然と現実が渾然と混り合った中国でも、当時、科学自体が一個の驚異(メルヴェイユ)とみなされていたヨーロッパでも、こうした驚異-機械が、人々の偏倚(へんい)なもの、驚くべきもの、不可能なものへの渇望に応じたのである。人々を魅了し、人々を娯しませ、自然の法則およびそれを支配する人工-虚構について思いをめぐらせるよう人々を誘ったのが、まさにこうした光学遊具なのである。それらはまた、現実を融解し歪めて、幻戯(イリュージョン)の世界に取りこんでしまう荒ぶる戦略を通じて、絵画の持つ力を逆説的に差し示し、絵というものの魔的(féerique)な本質を明らかにした。
(高山訳、pp.263-264)

いってみれば、これがあの伝説的名著の最後の一文。余韻が残る。是非にも読みたい、その先を!

間に宣教を任としつつ稀代のエンジニア、理系の天才でもあったイエズス会士たちが介在したことは、周知の如くである。その交渉の結果を少し面白すぎるほどに書いたジョナサン・スペンス『マテオ・リッチの記憶宮殿』(平凡社)の魅力は、いまだに薄れない。

バルトルシャイティスが引く、北京イエズス会布教会館中庭の壁上の混沌絵が、見る人の位置によってはっきりした像になったりならなかったりという典型的なアナモルフォーズを皇帝が見て喜んだとする記述は、デュ・アルド師の『支那帝国会誌』(1735)による。湯若望アダム・シャールの後任として北京天文台長、欽天監をつとめたイエズス会士、南懐仁フェルディナント・フェルビーストの記述によると、そうした天覧アナモルフォーズ企画で名を馳せたのは閔明我ことフィリッポ・マリア・グリマルディであるということなので、好奇心満々の皇帝とは即ち康熙帝のことらしい。

『アナモルフォーズ』一番の魅力は、大アカデミー中庭に文字通り百学が連環する所を描いたセバスチャン・ルクレールの寓意画、『美術・科学アカデミー』(1968)の仔細な分析にあるわけだが、北京イエズス会館がさぞかしそれそっくりであったものと想像されると、バルトルシャイティスに結ばれてみると、確かに「想像」の飛躍は果(はた)てもない。こうして火を点ぜられたまま放りだされる我々の想像力の不完全燃焼を十分に補ってくれたのが、間違いなく中野美代子『カスティリオーネの庭』(文藝春秋)だった。円明園造園を果たした郎世寧ジュゼッペ・カスティリオーネは、雍正、乾隆両帝の殊遇を得た銅版画と土木工学の名手である。

清の皇帝たちは何故こうも機械-マニエリストなのだろうかという興味は、とめどもなく掻きたてられるばかりである。それに「政治図像学」という観点を構えて全面的に答えてくれる逸品登場。それが『乾隆帝』である。

ぼくは江戸の光学趣味を追い、ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチの『大江戸視覚革命』(作品社)を訳す中に、光学狂いの乾隆帝の噂を知らぬ江戸識者などいなかったとあるその事情を、中野女史か、愛弟子武田雅哉氏のどちらかに尋ねようと思った。結局、武田氏から情報を得ることになったのだが、考えてみれば、そもそも『アナモルフォーズ』中の中国を論じた章に目通し願い、焦秉貞(しょうへいてい)の『耕織図』だの「透光鑑」をめぐるバルトルシャイティスの誤りを指摘していただいたのが、他ならぬ中野先生であったのだから、女史との交流もバルトルシャイティスが機縁である。

乾隆帝の自らと自らの為政に対するマニエリスム帝王らしい自意識と計算が「政治図像学」としての「絵」に読みとれるというのが、この小さな大著の眼目であるが、中野氏自ら訳された(共訳)ウー・ホンの『屏風のなかの壷中天-中国重屏図のたくらみ』(青土社)によってさらに洗練された観点であるに違いない。諸事情で一度宙に浮きかけたウー・ホン本実現のため、ぼくも奔走したが、そういうことの成果を一読者としてこうして享受できる、とかとか、女史との縁は思わず深い。

乾隆帝の「だまし絵」的アナモルフォーズ好きの解読が面白いし、円明園はじめ、そのつくりだした空間のいちいちに実現される帝の脳裡の政治-地勢図の解明は、長年の研究の成果の一切を図像解析に収斂せしめることに成功した東方の女バルトルシャイティスひとりに可能な自在無碍(むげ)の手練とみた。まさしく乾隆帝コードを解き続ける読みものとしても第一級の逸品ではあるし、遠近法や造園作庭といった術(アルテ)にこそ顕著な「空間政治学」(マルティン・ヴァールンケ)、「視覚改革の治世学」(タイモン・スクリーチ)の傑作である。

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2007年06月22日

バルトルシャイティス著作集 1 『アベラシオン-形態の伝説をめぐる4つのエッセー』 J.バルトルシャイティス[著]種村季弘、巌谷國士[訳](国書刊行会)

アベラシオンアナモルフォーズイシス探求鏡

デザイン愛への誘惑者

極私的なことでいえば、今年2007年上半期最大の欣快事は、リトアニア出身の幻視家ユルギス・バルトルシャイティス(Jurgis Baltrušaitis)の『アベラシオン』および『イシス探求』が重版なり、久しぶりに、バルトルシャイティス著作集(全4巻)が揃って購え、揃って読めるようになったことである。

極私的というのは、後に企画魔とか知の総合商社とかいわれることになるぼくの最初の「企画もの」が、30になってすぐのこのバルトルシャイティス著作集だったからで、故澁澤龍彦氏の面晤の栄に浴すことができた初めてにして実は終りの唯一の機会を、この企画相談のための北鎌倉行きが恵んでくれたからである。当時国書刊行会にいた宮崎慶雄氏とつれだって鎌倉にお邪魔して夜っぴいての楽しい歓談の様子は、拙著『ブック・カーニヴァル』に懐しく綴ってある。本当に面白い人だった。

画期的といわれた「東西庭園譚」他、澁澤氏の文章のいたる所に顔を出すバルトルシャイティスという異様な名が気掛りでならず、手に入れた『アナモルフォーズ』の目次構成と溢れる図版のもの珍しいことに仰天し、そのどんぴしゃのタイミングで、某版元での澁澤監修バルトルシャイティス作品集企画が頓挫したという噂を聞いたぼくは、ぼくなりの腹案をもって澁澤氏と向い合ったのである。そうか、では『アナモルフォーズ』は君が、『イシス探求』は詩人学究の有田忠郎氏が適任だと澁澤氏はいい、『アベラシオン』を自分と種村[季弘]氏で、『幻想の中世』(Le Moyen Age fantastique : antiquités et exotismes dans l'art gothique)は辻佐保子氏でいこうと仰有った。そして、書き込みがあちこちにある貴重なバルトルシャイティス本を、コピーをとったら返してくれればよいからといって、若造二人にどんっと貸してくれた。

辻邦夫夫人はいかにも手堅い美術史家らしく、面白おかしそうな後のバルトルシャイティス本ばかりやるのは変だ、古代・中世の東中欧域の図像学を試みた初期の作品をこそと仰有って、バルトルシャイティスの<今>性をはっきり売ろうとしていたぼくの意図とはいきなりずれ、では人選を改めてといってのんびりしている間に、別の版元から『幻想の中世』が出てしまった。第一、やがて澁澤氏が他界されてしまい、企画自体腰くだけになりかかったところで、『アベラシオン』の独訳(Imaginare Realitaten, 1984)を入手、これを種村氏にプレゼントしたところで一挙に愁眉を開き、巖谷國士氏との夢のコンビの共訳なった。企画進行中の1978年に出た老大家の新刊『鏡』を、『幻想の中世』の代わりに入れることに決め、当時急に親しくなっていた才人美学者の谷川渥氏に頼んで、企画は体をなした。

遅れて却って良かったのは、1980年代に入って、大詩人イヴ・ボンヌフォワが監修してバルトルシャイティスを改めて世に出そうというガリマール社の「逸脱の遠近法」叢書が出たからである。ぼく担当の『アナモルフォーズ-光学魔術』(1984)に一番大きな増補が加わり、長い歪曲遠近法の歴史が中国の話で尻切れとんぼに終る感のあった旧版を一挙にジャン・コクトーや『セミネール』(1973)のジャック・ラカンへと開いた絶対不可欠な文章が出て、『アナモルフォーズ』は画竜点睛をとげた。

澁澤・種村ブームと俗称される映像的想像力に満ちた百学連環の知に決着のついた1990年を迎えてすぐのバルトルシャイティス著作集全4巻は、世界的にみても最高最良の幻想文学・文化論をつくりだした澁澤・種村両大人(うし)の文業にも画竜点睛をとげさせたものであるということが、監修者としてのささやかな誇りと自負である(勿論、澁澤氏亡き後にぼくに監修者を名乗る意力のあったはずはない)。心残りは『幻想の中世』の続巻たる『覚醒と驚異』を積み残したことで、後、親しい大仏教学者でオリエンタリズム研究の第一人者、彌永信美氏に頼んで平凡社刊をめざしたが、もうかなり経ってしまっている。

ロマン派を<学>として今日に媒介するゲーテの、<今>に生きるべき最大の業績は、形態学(morphologia)である。それは実は古代の学ないし術だったのを16世紀マニエリスムがロマン派に媒介したものだったことをバルトルシャイティスが明らかにした。だから同じ西欧月光派の精神史を循環史観として掘り起こそうとしたG・R・ホッケの『迷宮としての世界』(1957)の最有力の霊感源が『アベラシオン』(1955)や『アナモルフォーズ』(1957)であるのは当然なのだ。と書くだに、A.ブルトンの『魔術的芸術』(1957)を含め、1950年代後半に爆発したこのモルフォロジカルな知とは何だったのか。

動物に似る人の顔、聖像に似る石の模様、森に似るカトリック聖堂、そして楽園に似る18世紀ピクチャレスク庭園――「形態の伝説をめぐる4つのエッセー」と副題される『アベラシオン』を、デジタルを装う永遠の「類比・類推」の術(アルテ)たるべきデザインを愛する人たちに、改めてお奨めしよう。





バルトルシャイティス著作集

アベラシオンアナモルフォーズイシス探求鏡

  1. 『アベラシオン-形態の伝説をめぐる4つのエッセー』
    種村季弘・巌谷國士 訳
    ---“Aberrations : essai sur la légende des formes”

  2. 『アナモルフォーズ-光学魔術』
    高山宏 訳
    ---“Anamorphoses ou Thaumaturgus opticus”

  3. 『イシス探求-ある神話の伝承をめぐる試論』
    有田忠郎 訳
    ---“La quête d'Isis - essai sur la légende d'un mythe”

  4. 『鏡-科学的伝説についての試論、啓示・SF・まやかし』
    谷川渥 訳
    ---“Le miroir : essai sur une légende scientifique, révélations, science fiction et fallacies”


2007年05月29日

『はじまりの物語-デザインの視線』松田行正(紀伊國屋書店)

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「図説」文化史はどうしてこんなに面白い

ぼく自身、一時自分でつくって自分ではまってしまった、たとえばヴィジュアル・エッセーとでも名づけられる文化史エッセーの理想的な完成形を、気鋭のデザイナー、松田行正氏が前著『眼の冒険-デザインの道具箱』(紀伊國屋書店、2005)に引き続き、続行中という一冊である。

斬新な文化史的主張がもの凄い量のヴィジュアルに助けられて一段と説得力を増すというタイプの批評で、活字中心の冊子メディアがそろそろ本格的にデジタル化の大波に洗われだし、かつ文化の全面で「言語中心主義」の制度疲労を縫ってヴィジュアルな説得力が言われだしたタイミングで、松岡正剛+杉浦康平『全宇宙誌』(1979)を突破口に、ヴィジュアル感覚、本そのものを内容に見合う形に「マッチング」させるデザイン感覚の本や雑誌が一杯出てくるようになった。

創元社「知の再発見」双書の元になっているガリマール社の「デクーヴェルト・ガリマール」(Découverte Gallimard)叢書が、いかにもという主題、意表突く題名で次々出してくるポケット本などが、この内容、この厖大な図版でこの安さというすばらしさで、こういう動向のモデルとなってきたが、絵が字の内容を説明する補助の地位に甘んじている状態は、一部例外(本書評ブログで一番初めに取りあげたファルギュイエールの『マニエリスム』等)を除いて、案外旧態依然である。もっとも、現在早500点になんなんとするデクーヴェルト(Découverte)叢書全巻を揃えることを勧めてはおきたい。かつての平凡社「イメージの博物誌」叢書同様、ヴィジュアルの知的活用、先回紹介のダニエル・アラス流に言えば「思考する絵画」の一挙集積ということで、これ以上のものは他にないからである。

ぼく自身、この種のヴィジュアルで見る文化史という感覚の著者たちに実験の場を開くことになる編集者、山内直樹氏宰領のポーラ文化研究所の季刊誌『is』(36~49号50~69号70~88号)で、ヴィジュアル・エッセーが一ジャンルとして可能かどうかの実験を繰り返し、たとえばぼく自身、文化史としては極限的と自負する『テクスト世紀末』(1992)がその成果である。

きっかけは『is』リニューアルに際しての食卓というテーマの原稿依頼だった。テーブルという語はタイムテーブル(時刻表)というように元々図表・図示という意味なのが、どこからか家具の「卓」になっていく、それが文化にどう反映されていくかというアイディアを形にしようとすれば、テーマ上、厖大なヴィジュアル(まさしくタブロー[絵]としてのテーブル)を結集せざるをえず、いきなり自己言及性をめいっぱい抱えこんだ論と紙面構成にならざるをえなかった。ちょうど文学を広く文化の中で捉え直さなければ旧套な文学研究では早晩行き詰まると感じて、たとえばいわゆる美術史に色目をつかいだしていた1985年に、いきなりテーブル論の原稿依頼は、だからぼくにとって結構決定的だった。ぼくが一時的に集中したもの狂いじみた『終末のオルガノン』『痙攣する地獄』、(目次案のみで未完に終った)『エキセントリック・アイズ』(いずれも作品社)は、本を内容と形式のマッチングのアートとみるデザイン感覚がない素人が、それなりに一生懸命工夫したヴィジュアル・エッセーの集積なので、今見ても懐かしい。

それが松田行正氏は、まさしくばりばりのデザイナーである。ぼくが『表象の芸術工学』(工作舎、2002)で、こういう学殖あるデザイナーがいれば嬉しいねという話を、まさにその世界の大先達、杉浦康平氏の肝煎りでした"pictor ductus" [学ある画家] の理想形を松田行正が実現した。

「物質が集まってできている本という夢想によって本はオブジェとなる」と言い切る真のブック・デザイナーが満を持して出す「本」が、それ自体「レディメード」のアートでないわけがない。本というありふれた一物を見慣れないものに変えて、読む者につまりは見方が変れば斬新でないものは何もないということを告げる「オブジェ」、「レディメイド」として、松田氏の「本」は差しだされている。(何といってもカラー図版の発色にびっくりさせられる。)

実に魅力的な目次だ。対(つい)、速度、遠近法、縦か横か、グリッド、螺旋、反転、直線、混淆、聴覚の視覚化・・・と、一章で一冊のできそうな大テーマの連続。「混ぜる文化」の章なら、新聞・ポスターがそうだという話から「貼る」アート、マニエリスム、スーラ、パピエ・コレ、モンタージュ、大竹伸朗のコラージュ日記と、連想から連想への疾走感が驚異的だ。「ラインと連続」では直線と鉄道敷設の類推から、鉄道の疾走感とタイプライターの文字打ち感覚が似、何故武器会社レミントンがタイプライターを扱ったかという驚くべきヒントを出す。全巻こういうヒントの固まりで、読んで一向飽きない。

いま人文科学が実は一番必要としている「あえて広く浅く」の滑空感、疾走感は、こういうジャンルの草分け、『空間の神話学』等の海野弘氏にそうやって連なりながら、最後は「レディメイド」「デフォルメ」「オブジェ」という自己言及する本というデザイナーなればの三章でしめるあたりの計算にもうならされる。文字・活字・版型といった松田氏専門の領域の話題は流石に年季が入っている。

中沢新一氏の「芸術人類学」から、環境考古学、児童心理学、あらゆる分野を結集しようとしている「今の美術史」のモデルにもなりえているし、洞窟画からナチ美術まで、美術史の問題的時代を網羅する結果になっているのは流石という他ない。若い覇気の必要なジャンルだ。ぼくも松田氏に刺激されて、季刊誌『アイデア』に再び試みたが、挫折。旬のものの輝きにはかなうはずがない。気鋭にも「飽きる」時が来るのだろうか。

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2007年05月25日

『モナリザの秘密-絵画をめぐる25章』ダニエル・アラス[著]吉田典子[訳](白水社)

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21世紀という16世紀をこそ

イタリア美術史の世界がアダルジーザ・ルーリ(1946-95)に次いで、その最良の部分をダニエル・アラスの死によって失ってしまったということだろう(1944-2003)。というか、20世紀後半のフランス美術史界がその最良の部分を、というべきかもしれない。その年代の秀才にはありうることとはいえ、アンドレ・シャステルからルイ・マランへ論文指導教官を替え、ピエール・フランカステルの『絵画と社会』(1965)とフランセス・イエイツ『記憶術』(1966)に決定的刻印を受け、ユベール・ダミッシュを友とし、マイケル・フリードを耽読するという履歴からして、人文科学の中心に美術史がなり、諸批評百家争鳴の成果を美術史そのものが吸収して実に豊かなものになっていったプロセスを、ほぼ一身に体現している。

この半世紀に特異な16世紀美術史最大のテーマ――マニエリスム――の復権ということでも、パトリック・モリエスと並ぶ大きな存在だったし、これだけ面白くわからせながら背後に想像を絶する教養を感じさせる点では、シャステルの『ルネサンスの危機』(邦訳:平凡社)、ジャン・クレイの『ロマン派』(邦訳:中央公論新社) 『印象派』(邦訳:中央公論新社)以来の超の付く名作が、このアラスの『細部-近接美学史のために』(1992)である。イヴ・ボンヌフォワ監修「観念と思考」叢書に入って、バルトルシャイティスの「逸脱の遠近法」三冊とともに、この叢書の名を一段と高からしめた。「細部」と「絵画の縁」に注がれるほとんど偏執狂的な目は、確かに唯一、バルトルシャイティスに似ている。改めて物故が口惜しい。

似ているといえば、今回作『モナリザの秘密』は、元々ラジオの連続講話ということもあって、ジョン・バージャーのBBC連続レクチャー『ものの見方』邦訳『イメージ』)によく似ている。アカデミーから出たことのない美術史家一統のたわごとを信じず、「自ら直接の対峙」をと呼びかけた上、それを実践してみせ、結果として美術体験の最良のガイドにもなっている。本の真中にあって前半後半を分ける「盗まれた博士論文」の章をみて、元々「文学畑」のアラスが美術史は「独学」であるが故、「美術史の王道から少しはずれたところにあるもの」に関心が向くようになったとあって、一切非常に納得がいった。

学問的には実感派で歴史考証にうるさく、パノフスキーの遠近法批判、フーコーの「ラス・メニーナス」論批判、アルパース『描写の芸術』批判など、実にまともな批判で、シャステルやフランカステルの良きアカデミーの感覚もしたたかに持っている。その上での「王道はずれ」であるから、そこいらの素人の思いつき「だれでもピカソ」遊戯とは全然ちがう。「新しい美術史学がそっくり」うみ出される。

白眉は前半の8章分を使った遠近法論である。遠近法の意味の間断ない変化、本場15世紀のフィレンツェにおいてさえ「またたくまに時代おくれ」になった事実を知れとか、「騒乱を起こさない」遠近法がのっけから孕んだ政治的役割(「チョンピの乱」)を忘れるな、とかとか、語り尽くされたかと思える遠近法になおこれだけ知られざる重要側面があったかと驚く話題の連続である。遠近法について一種観念の地殻変動を起こさせたということではサイファーの『文学とテクノロジー』以来といってよいかと思う。

圧巻は、遠近法と「受胎告知」主題の必然的な結び付きを指摘し、アラス偏愛のアンブロージョ・ロレンツェッティやフランチェスコ・デル・コッサの受胎告知画の空間構成や、天使のする「ヒッチハイカー」の手振り、画面前縁を這う巨大カタツムリといった細部を克明に分析し続けていく数章で、素人をいきなり美術史の核部分にむんずと引きこんでいく面白さは、帯にいささか陳腐な「推理小説を読むような」スピードと興奮がある。「形象化できないものが形象のなかに、無限が尺度のなかにやって来ること、それがすなわち<受胎告知>における<受肉>である」として、「遠近法は<受肉>を表象/再現することはできないけれども、<受肉>の神秘を例証するような遠近法の乱れによって、内的な逸脱によって、不均衡によって、<測定不可能性>によって、それに形を与えることができる」という逆説が答である、とする。門や柱、あるいは建築そのものがキリストや聖母の寓意であることに着眼する受肉教義と遠近法の交叉の分析は、"contemplate"(凝視)の中に "temple"(神殿)があることの深い意味をさぐる結論に至る。虚空(riem)が物(res)に淵源するという着眼といい、眩惑的に深い。『襞』 同様で、原文見たい。

とにかく細部に徹する。そこに新発見があって驚くことで出来上る「一種絵画のミクロ歴史学」を、アラスは「近接性(proximité)」の絵画史」と呼ぶ。こうやって微視で迫っても、2007年最大の話題作、山本義隆『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉、みすず書房)のように巨視で迫っても、16世紀は面白い。全てが今、マニエリスムを指向し始めたようで痛快である。

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2007年05月18日

Falguières, Patricia, "Le maniérisme; Une avant-garde au XVIe siècle" (Gallimard, 2004)

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マニエリスム最強の入門書

今年2007年は、1957年から数えて50年目。だから、A.ブルトン『魔術的芸術』刊行50周年とか、N.フライ『批評の解剖』50周年とか、あって悪くないが、そういうセンスある世の中とも思えないが、G・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』50周年は是非祝いたい。

マニエリスムが美術史で、16世紀末のある時期の世界危機に対応する芸術を指した概念というにすまず、超越的な倫理が見失われて(「神の死」)、地上が欲望と戦争に溢れた(「地獄の世俗化」)、時にはいつでも繰り返される常数として、マニエリスムは今現在の東京にだって存在するという捉え方がされるようになった。そういう新しい倒錯芸術観をホッケが代表した。何かが狂っている、何かがズレていると、たちまちマニエリスムではないかというので、一寸変わった文化現象を何でもマニエリスムと呼ぶことになりかねず、たとえばザビーネ・ロスバッハの『現代マニエリスム』(2005)等、面白いが、はっきりそういう膨満傾向にある。

ただいわゆる美術ばかりか、絶望を理性で抑えこもうという「冷えた熱狂」というのなら、たとえば機械への強烈な関心だってマニエリスムだ、とホッケは言い、コンピュータやオートメーションの現代をマニエリスムと呼びうる根拠を『迷宮としての世界』で探る。こうした21世紀向きの斬新な感覚を、しかもきちんと16世紀末にのみ見出そうとした、旧美術史も文句を言えず、しかも新しいマニエリスム感覚にも合う本は、澁澤・種村の究極のネタ本、ジャック・ブースケの『マニエリスム美術』(1964。仏語未訳)とエウジェニオ・バッティスティの『アンチ・リナシメント』(1962)のみ。危機を前に異様に繁茂していく機械と蒐集趣味を前面に出して、レオナルドやパルミジャニーノの絵を期待してページを繰る読者をアッといわせた。

『ダ・ヴィンチ・コード』ベストセラーに『受胎告知』来日で一挙盛り上がったレオナルドの、理系・工学系人間としての大きな側面。しかし一人彼のみの問題でなく、16世紀マニエリスト達全体の問題だった。宗教改革や「永遠のローマ」崩壊の危機を人々は過激に知性を使って生き延びようとする。そこでは理系も文系もない。絵だって完全に理系のものであり、遠近法もアナモルフォーズも技術者の計算の産物だった。そういう危機の生む新観念発明の頭脳の働き方をインゲニウム(ingenium)と称した。今でいうエンジニアの語源でもある。

面白い世界だし、変わった材料を用いての説得だからヴィジュアル的になる、ブースケの本もバッティスティの大著も面白い挿絵に溢れるが、いかんせん高価だし、第一、現在入手不可能。というところに天の恵み。それが、Patricia Falguières, "Le maniérisme; Une avant-garde au XVIe siècle"(Gallimard, 2004)である。マニエリスム研究はテーマを「驚異の部屋」(最近「澁澤龍彦の驚異の部屋」展あり、久しぶりにこの懐かしい言葉を耳にした)に絞ってやっていたアダルジーザ・ルーリを希望の星にしていたが、新千年紀直前に急逝。その跡を継ぐかと期待されているのが、そのものズバリの Les chambres des Merveilles(Bayard, 2003)を出したパトリシア・ファルギュイエール女史である。とかげのエナメル細工でマニエリスム洞窟美術を代表した陶工ベルナール・パリッシー等の研究あり。

そのファルギュイエールがガリマールの「知の再発見」叢書の求めに応じて書き、図版構成したのが、問題の『マニエリスム』。叢書番号457。パルミジャニーノの雅な絵もあれば、怪物庭園ボマルツォの絵もあり、ヴンダーカンマーもあるし、「機械の劇場」もある。小冊ながら各ページ、スキラ社と覇を競う美しさのカラー印刷のIME社の図版が少しの隙間も許さぬという気合で、みっちりと溢れる。

そもそもガリマール社の "Découverte Gallimard" という叢書自体を先ず強力に褒めておく。創元社が「知の再発見」という邦訳叢書として出しているが、白水社クセジュ文庫と同じで、ピラミッドの秘密だ、シェイクスピアだの俗受けするものから訳されていくわけで、クセジュでいえば『イリュージョン』、「知の再発見」でいえばこの『マニエリスム』あたり、なかなか日本語で読めないだろうゲリラ的名著である。

フランス語ではあるが、分量の三分の二が貴重なカラー図版。おまけに、この叢書一般の特徴だが、巻末の付録が、ブリガンティやパノフスキーのマニエリスム論のさわり、パゾリーニ映画マニエリスム論など素晴らしいの一語。そして、1980年以降すっかりなりをひそめている本邦マニエリスム研究の盲点を補ってくれる、2000年以降の研究文献の一覧表が、ううむ。旱天の慈雨。

安い。美しい。いっそ珍奇な図版を見ながら、この際、フランス語の勉強の材料にしたら。

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