• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年05月09日

『デーモンと迷宮-ダイアグラム・デフォルメ・ミメーシス』ミハイル・ヤンポリスキー[著] 乗松亨平、平松潤奈[訳] (水声社)

デーモンと迷宮 →bookwebで購入

金余りのロシア団塊がやりだしたら、ホント凄そうだ

いよいよ残り3回ということになったから、また一段と個人的な思い入れ、偏愛を恣にさせていただこう。となると第一弾はミハイル・ヤンポリスキーの最初の邦訳本たる『デーモンと迷宮』(原書:1996年)を措いてない。

ヤンポリスキー氏については、表象文化論学会が立ち上がり2006年に東大駒場キャンパスで第1回大会が開催された時、基調講演(“Metaphor, Myth and Facticity”)をした人と言えば思い当たる方もいるのではないだろうか。『佐藤君と柴田君』のスター教授佐藤良明氏に呼ばれ、ぼくもパネルディスカッションのコメンテーターという役を振られて出向いた。久しぶりに小林康夫大先生の御尊顔を拝し、新鋭田中純氏の御姿を拝見でき、いろいろ得るものがあった中でも最大の収穫が、ヤンポリスキー氏の講演とその時初めて手にした大冊『デーモンと迷宮』だった。なんだかいろいろやる人物らしいと佐藤氏に言われて読み始めるや否や、あまりに自分の仕事と近いのに驚き、ページを繰る毎に苦笑、やがて阿々大笑してしまった。快著。愉快。特に、トゥイニャーノフとバロックを論じた第6章「仮面、アナモルフォーズ、怪物」。「父なるシレノスの像」という文章で始まって、アナモルフォーズ論に展開する。

288ページに26枚の図版をあしらったヴィジュアルがあって、畸型、歪曲遠近法、ダ・ヴィンチ作のカリカチュア、怪物、フィジオノミーと並ぶ図版は、もうそれだけでこの大冊があるはっきりした文化圏に系譜するものであることを示す。もちろん、まずは『幻想の中世』と『アナモルフォーズ』のユルギス・バルトルシャイティスであり、スラヴ語文化圏ということで、フランスで活躍することになるリトアニア人バルトルシャイティスとロシア団塊世代のヤンポリスキーをつなぐものに関心が向く。あるいは、この図版セレクションは、ロジェ・カイヨワが「澁澤」した名作『幻想のさなかに』を思い出させ、歪曲遠近法とバロック身体論ということでは、『見ることの狂気』のビュシ=グリュックスマンを思い出させる。

そのデモーニッシュな図版集の劈頭を飾るのが、超肥満の醜老シレノスも描かれたポンペイ「秘儀荘の壁画」である。これがユーリイ・トゥイニャーノフのバロック極まる小説『蝋人形』の背景にあるというので、ヤンポリスキーお得意の自我の分身たる醜の主題にと話はぐんぐん広がる。

シレノスはソクラテスのせいでパラドックス的思考の祖型となった。ルネサンスとバロックのパラドックス研究、とりわけR・L・コリーの『パラドクシア・エピデミカ』(1966)において、シレノスの筥(はこ)のメタファーは中核的イメージとなっている。外形の醜悪が内なる善美と表裏である――佐藤氏お得意の表現を拝借すると、フリップフラップする――パラドックスなるものの構造を、ソクラテスが自身の似姿ともした伝説的醜男シレノスが絶妙に象徴した。実に変幻自在に、パラドクソロジーに夢中な20世紀カウンターカルチャーの中に出没するメタボ男の神話であり(どうしてサンダー・ギルマンの“Fat Boys”が邦訳されないのだろう)、たとえば名からしてこれもスラヴ系のポール・バロルスキーの『とめどなく笑う』がルネサンス絵画をまさしくヤンポリスキーばりに反転させた時、やはりシレノス図像を核にしていたことなどただちに思い出される。R・L・コリーに発しバロルスキーにまで辿り着いたぼくは、偶然『デーモンと迷宮』に遭遇したのではなく、早晩出会うべき運命にあったのだと思う。

簡単に言えば、シレノスの内と外の不可分(二分法の拒否)にそっくり精神と身体を代入して展開する(もはやお馴染みと言えばお馴染みの)身体論である。まずは当然バフチーンがあり、人の身振りが妙に機械やマリオネットじみる理由をロシア・フォルマリズムの分析を使って論じるゴーゴリ、リルケ(それにしてもリルケとは)論の山口昌男ばりの骨太の着想から入って、ラカン、メラニー・クライン、ドゥルーズ=ガタリのポスト・モダン身体論の繊細微妙まで、身体論の現在を一大展観してみせる。

「デーモン」とはフロイト風に言えば「不気味なもの」、「迷宮」とはハイデッガーの言う「世界内存在」としてのヒトが経験するであろう世界の比喩である。『迷宮としての世界』再来!

畏友沼野充義(ヌマノヴィッチ)はかつて、ぼくをスラヴ圏バロック研究の泰斗チジェフスキーに譬えたことがあり冷や汗をかいたが、ロシアにもぼくの「分身」がいたという嬉し過ぎる驚愕を、ぼくは『デーモンと迷宮』に感じて、ふるえる。同じ団塊でも、ドイツのミヒャエル・ヴェッツェルやホルスト・ブレーデカンプに感じる熱烈共感よりもはるかに強い共感を、この稀にみる博読奇想のロシア団塊人に感じた。ダブつきマネーが文化の方にも少しはまわり出すはずのロシア、面白そう。

問題の東大での基調講演を含む講演三件にインタビューを足した『隠喩・神話・事実性-ミハイル・ヤンポリスキー日本講演集』が同じ水声社から出ている。新刊書ということではこちらを取り上げるべきだったかもしれないが、やはり本格書を。

視覚文化論を身体論へと開く名手、ビュシ=グリュックスマンの次々出る名著大作ともども、あと7、8冊はあるというヤンポリスキーの魅惑的な著書も邦訳されますよう!本書の邦訳、実に読みやすい。文献一覧も一寸した見ものである。

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