• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年04月01日

『アウトサイダー・アートの世界-東と西のアール・ブリュット』はたよしこ[編著](紀伊國屋書店)

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結局「内」なんて「外」の外なんだなあ、ということ

ジャンルも定まり評価さえ決まった作品を「確認」に行くタイプの展覧会にも良いものはあるが、「こりゃ何だ」と認識や常識の転覆を迫ってくるような企画展は貴重で、「GOTH-ゴス-」展などもそういうものとして記憶に残った。しかし何といっても、世田谷美術館の名を一躍有名にした「パラレル・ヴィジョン」展だ。図録『パラレル・ヴィジョン-20世紀美術とアウトサイダー・アート』は、同展覧会開催の1993年頃から少しずつ人々の口の端にのぼり始めていた「アウトサイダー・アート」を知ろうとする者にとってのバイブルであり続けている。

この展覧会のハイライトのひとつが、「戦闘美少女」(斎藤環)の典型ヴィヴィアン・ガールズが子どもの奴隷たちを解放しようとする凄惨な戦争絵巻『非現実の王国で』のヘンリー・ダーガーだった(参考:『HENRY DARGER'S ROOM 851 WEBSTER』)。同展を見て受けた衝撃を作品社編集部の加藤郁美さんが『非現実の王国で』邦訳版に結実してくれ、訳者小出由紀子さんはアール・ブリュット作品のキュレーションにますます力を入れることになり、ダーガー・アートを世に出した研究者ジョン・M・マグレガーのさらなる研究書の邦訳紹介を、といった一連の仕事にぼくも些か関与することになって、すっかりアウトサーダー・アート/アール・ブリュットにはまった時期がある。その後、ユートピックな幻想建築図ばかり描き遺したA.G.Rizzoliのことを教えてくれた加藤さんのアウトサーダー・アートへの入れ込みようには驚いた。何かやって欲しいな。折りしも、渋谷シネマライズにて「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」が始まったこともあり、加藤さんの先進的なカンの良さを改めて確認。

今年、スイスのアール・ブリュット・コレクションと日本のボーダレス・アートミュージアムNO-MAとの連携による企画展「アール・ブリュット/交差する魂」が開催されることになった。北海道立旭川美術館を皮切りに、今は滋賀県のNO-MAで、そして5月24日からは東京で開催される(~7月20日・松下電工汐留ミュージアム)。美術展ブームというが、数ばかり多く、そもそもアートとは何か、ヒトが何かを「描く」とはどういうことか、というところまで考えさせられる攪乱力に満ちた展覧会でないと不満、という諸姉諸兄、ぜひ行ってみるべし。

この『アウトサイダー・アートの世界』は、同展の図録を兼ねた研究書。ジャン・デュビュッフェが1945年のスイス旅行で発見した知的障害者たちの表現力に衝撃を受け、これを「生の芸術」と名づけ、シュルレアリストたち(たとえば以前とりあげたアンリ・ミショー)の絶大な霊感源となっていったという状況、ぼくなど団塊の世代が小学校高学年の頃、学校ぐるみで観に行った映画『裸の大将』の山下清「画伯」の発見から1995年のエイブル・アート・ジャパン出発に至る日本の状況を、キュレーターはたよしこ氏がまとめてくれる文章は、明快かつ「「障害者の作るものは純粋だからすべてよい」というような間違った差別的偏見」をいきなり正してくれる。

はた氏によると、アウトサイダー・アートと呼ばれ始めたものとは、アーティストが「芸術教育を受けていないということ、制作活動や表象の行程に新たな意味付けをすること、独創的かつ一貫性のある表現体系の適用、特定の文化に列しないこと・・・制作活動の自給自足的な発展、受け手の不在、作者がいかなる文化的社会的認知や賛辞にも無関心であること」などが条件だという。こういう基準でスイスのアール・ブリュット・コレクションが日本でアーティストたちを探した結果、知的障害者の福祉作業所やグループホームで「発見」された多岐多様にわたる21人の表現活動が紹介される。

自分で表現しているのでなく、何かに表現させられているらしい彼らのパワーは底知れず、集中力もフツーの人間との比較を絶し、同じことをずっと、いくらでもやり続ける。逸早くこういう世界に目をつけ、レオ・ナフラティルやモルゲンターラーやプリンツホルンの先駆的研究書を消化して、たとえば『ナンセンス詩人の肖像』や『迷宮の魔術師たち』を書いた種村季弘は流石だと、改めて思う。その種村が愛した「聖者」アドルフ・ヴェルフリの真偽ごっちゃの「自叙伝」の厖大からはじめ、交霊会狂いの女霊媒(ジャンヌ・トリピエ、マッジ・ギル)、コラージュ都市風景のヴィレム・ファン・ヘンクなど良く知られたものもチェックされているが、日本中の電車の正面「顔」ばかり稠密細密に描きこむ本岡秀則、平家納経じみて一枚の紙に字と絵がぎっしり交錯する富塚純光、同様に漢字で世界を埋め尽くす喜舎場盛也など、緻密を予想してかかるこちらのはるか上を行く細部と反復がとにかく凄い。一人のアーティストの紹介作品が少なすぎる、もっと見たいと思わせる図録なんて久しぶり。必携。展覧会も必見だ。

「障害者を見てやっと、健常児は画一的なんだと実感できるように」なったという比較行動学者正高信男氏の言葉がすべてであろう。

今回改めて、「日本で唯一の入門書!」を謳った『アウトサイダー・アート-現代美術が忘れた「芸術」』の早々の目配りの良さにも感心した。著者、服部正氏は、長年の友人で元「月刊イメージフォーラム」を編集していた服部滋氏の甥御さんで、兵庫県立美術館学芸員。

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