• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年04月25日

『近代論-危機の時代のアルシーヴ』安藤礼二(NTT出版)

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著者のいる多摩美の芸術人類学研究所、凄くなりそうね

夏目漱石の1900年代、また萩原朔太郎の1930年代を対象として、未曾有の強度で体感された「近代」をそれぞれあぶりだそうとした博論力作二篇を読んだ後だ。山口昌男流「歴史考古学」の連繋センスと、時にとても中沢新一的な連想誘発型の文体で早くも独自の境地に達した安藤礼二が、「近代」の問題をいかにもというのでない材料で論じた『近代論』を取り上げて、“近代論”書評シリーズの締めとしたい。

日露戦争から戦間時代にかけてといった漠たる表現ではなく、「明治43年(1910)から明治44年(1911)にかけてという、この列島の近代に穿たれた、わずか二年という特異な時空の歪み」のことと断じられては、何ごと、と思わず手に取るしかない。自信ありそう、明快そう。その通り、実に明快だ。意表つく材料の組み合わせながら、読後、「近代」を論じるにこれ以上のものはないと納得させられる目次だ。負けましたっ。

問題の二年間に、博物学者・生物学者の南方熊楠『南方二書』、民俗学者の柳田國男『遠野物語』、哲学者の西田幾多郎『善の研究』が書かれたとすれば、たしかに大変なタイミングである。宗教学者の鈴木大拙は今ではあまり馴染みがないかもしれない。英語で禅を啓蒙し、ジョン・ケージやビート詩人たちの霊感源となった巨人だが、鈴木がスウェーデン最大の偉人、神秘主義思想家エマヌエル・スヴェーデンボリのほぼ全仕事を翻訳する過程で、「西洋の禅」を勉強したことを、ぼくは今頃知ってびっくりし、いろいろ改めて腑に落ちた。そのスヴェーデンボリ最大の傑作『天界と地獄』の鈴木大拙訳も同じタイミングで出たというし、安藤氏に第56回芸術選奨文科大臣新人賞(「評論等」部門)をもたらした驚愕の書『神々の闘争』の主人公である折口信夫は同じ時、卒論『言語情調論』を出しているようだが、安藤氏の紹介から推して、(スヴェーデンボリとの類比で言うなら)ヴィーコの神話論・言語論を思わせる作であるらしい。ともかく大変な二年間だというのは確か。目のつけようが素晴らしい。

こうして各分野から5人の巨人がそれぞれのキーワードを付して、「生命-南方熊楠論」「労働-柳田國男論」「無限-鈴木大拙論」「場所-西田幾多郎論」「戦争-井筒俊彦論」という順に並ぶ。たとえば鈴木大拙と西田幾多郎は高等中学の同級生同士で生涯交友があったというし、鈴木と南方は当時としては珍しく長期にわたって欧米滞留の経験を共有したが、具体的には土宜法龍という学僧を介して交流を持つというふうに、さまざまなレベルで人と人とのつながりが尋常でなく、スリリングに密である。山口昌男『「敗者」の精神史』(〈上〉〈下〉)や岩佐壮四郎『抱月のベル・エポック』にも匹敵する、この意外な人間関係の広がりが、まず本書の魅力と言える。

とにかくアッという「発見」に満ちた組み合わせ、と言ってよいかもしれない。一番驚いたのが、柳田がパレスチナをめぐる国際連盟委任統治委員会の委員を務めたことが、その「常民」観念を深める上で決定的であったという事実。彼が一寸見識ある農林官僚であったことくらいは知っていたが、「アフリカから地中海沿岸にかけて、一神教の故郷を訪ね」歩く見果てぬ夢を抱えていたなんて全く知らなかった。その点にこそ力点を置く著者なればこそ、パレスチナに降り立って砂漠のゲリラたちに共感するジャン・ジュネを柳田と比べる芸当もできるし、イランに赴いたフーコーを井筒俊彦と比較できたりもする。柳田が田山花袋など自然主義作家たちと近いところにあったことくらいは知っていても、おおもとのゾラにまで本職並みに打ち込んだとは普通知るまい。そこにきちんと着目した著者はゾラの『獣人』に対するジル・ドゥルーズの分析へと論を進め、そうした部分がそれぞれフーコー論、ドゥルーズ論としても短簡ながら卓抜という生憎いばかりの贅沢な近代論に仕上がった。

こうして、明治最晩年にできた「危機の時代のアルシーヴ」と呼ぶべき政治と知の一元化への否(ノン)の動きが、当時の「資本主義グローバリズム」への初めての否であり、同様に狂ったグローバリズムの現代への「予言」となって当然なのだから、明治40年代を論じるに、フーコーが論じられドゥルーズが論じられて、何の違和感もないわけだ。

彼らの営為は「富の分析-博物学、一般文法」が内在的な「労働、生命、言語」の探究へと転換したという西欧19世紀に起った人文諸科学の決定的な再編成(ミシェル・フーコー『言葉と物』)を、近代化においては致命的な遅れをもつがゆえに、逆に「近代」そのものの矛盾がより凝縮したかたちであらわにされたこの列島において、集約的に表現したものとなったのである。(p.8)

尖鋭なアクチュアリティが(本当は凄そうな)学殖を隠しているような感じで、ニクい。

井筒俊彦、鈴木大拙が登場する人的交流の精神史となれば、二人を召喚したエラノス会議のことに一言なりと触れるべきだったか。うむ、これはどうしても近々、William McGuire、“Bollingen : An Adventure in Collecting the Past”を訳さずには済まないかも。

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2008年04月22日

『萩原朔太郎というメディア-ひき裂かれる近代/詩人』安智史(森話社)

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したたかな引き裂かれ?それってマニエリスムじゃん

漱石を取り巻いていたメディア的環境に関する優れた博士論文を読んだ後では、その直後の時代、大正から大東亜戦争くらいの時代にメディアの世界はどうなっていたのか、という関心が湧く。そこに安智史氏の萩原朔太郎論が出た。これも博論である。立教大学に提出。

母語たる日本語にリズムがないという欠陥を、『新古今』他の古典的和歌の「調べ」に回帰しながら克服しようとした朔太郎の「日本への回帰」という、「隠れた」論争で小林秀雄に叩かれた詩論が、前半(第1部「詩語としての日本語と朔太郎」、第2部「声のメディアと朔太郎」)を占める。「声のメディア」とは「ソング」(佐藤惣之助や西条八十などの流行歌の歌詞)と、それを大衆化していくラジオというメディアのことだが、日本には珍しい理論派・高踏派詩人のイメージが強い朔太郎がここまで流行歌に対抗意識を持っていたということに、まずびっくりした。朔太郎はエッセー「流行歌曲について」で「僕は珈琲店の椅子で酒を飲み、大衆と共に<あなたと呼べば>を唄った後で、自ら自分の髪の毛をむしりながら、自分に向って<この大馬鹿野郎奴>と叫ぶのである」と書いたが、いろいろなレベルで「引き裂かれ」を分析される詩人の、これ以上に強烈で愉快なイメージはなかろう。「あなたと呼べば」は古賀政男作曲「二人は若い」の有名な文句。作詞はサトウ・ハチロー。

後半部は、レコードやラジオの歌謡を支えた大衆を「都市化」を動かした「群集」と捉え直し、有名なル・ボンの群集心理学研究の日本紹介などを援用した第3部「大衆社会状況のなかの朔太郎」と、同時代最大の大衆的メディアたる映画への朔太郎の伝説的な入れ込みを論じる第4部「視覚の近代と朔太郎」という構成である。第3部の群集論の間奏曲という感じで入る「猫町温泉――近代(裏)リゾート小説としての『猫町』」の章が非常に面白い。日本に入ってきたばかりの西洋温泉療法を担う「浴医局長」の一人が朔太郎の父・密蔵であったということを出発点として繰り広げられる「Kという温泉」周辺の「U町」のモデル探索が実に面白い。下北沢や代田まで関係あるらしく、近所に住むぼくなど、急に朔太郎を身近に感じた。

群集論はぼくなど(ポーの「群集の人」の大ファンを任ずる者として)迂闊にも知らなかった朔太郎の詩「群集の中を求めて歩く」が20年にわたって改訂改稿されていくプロセスを克明に追跡するというやり方を通して、群集として現れた都市大衆に向かう詩人の好悪の感情の揺れ動きを読み取る。抽象的な都市論でないところが説得力あって良い。

同じことが映画論についても言え、朔太郎と言えばあれと言われる詩「殺人事件」(1914)の高名な犯人イコール探偵説の可か否かをめぐる議論が一本芯にあるから、議論が危うげに拡散することもなく、朔太郎のチャップリン狂いを丁寧に分析した後、彼のベルクソン耽溺、ベルクソン『創造的進化』に言う存在の持続に話が及び、「幽霊」でもありながら長く生命を保つメディアでもある映画同様、詩人自らの詩作品も永く「持続」してあれという詩人の祈念に全巻を落着させる。

読みものとしてもよくできた構成、流れになっているせいか、テキスト改稿を追い続けたり諸家の諸説を比較吟味するといった博士論文の技術的手続きの煩わしさも読後きれいに「止揚」され、あざやかである。朔太郎視覚文化論としては、伝説的な種村季弘「覗く人」(『壺中天奇聞』)以来の刺激的なエッセーだ。イエスと言っていたかと思うとやがてノーに化し、いやなのかと思えばやはり執着しているという「二律背反」を生きた相手についていこうと言うのだから、論も当然うねうねと蛇状曲線を描き、そう思えばむしろ論の紆余曲折はそうあって然るべきと大いに得心がいく。しかし、「一般」読者にはどんどん入れる後半部から読むことを、老婆心ながらお勧めする。

前半は、「たんなる行別けされた散文から区別し、ジャンルの独立性を保証する基準となるものは存在するのか」という、日本現代詩における宿命的な問いを扱う。いわゆる「定型詩」論争の不毛をよく知り、まがりなりにもヨーロッパのアルス・ポエティカを少しは知っている人間として、この辺の論の不毛はうんざりしているので、蜿蜒続くリズムの「調べ」論に付き合うのは少々しんどい。安氏の本の救いは、朔太郎の詩論のねじれが、徳川末期学者たちの「音義説」に直結する「第二次クラチュロス主義」的発想に起因するという実に面白い見方で、ぼくなどが久しく朔太郎をその系譜に入れようと腐心してきた普遍言語・純粋詩路線に朔太郎を取り込もうとしいて、大層有望である。安氏はジュネットの『ミモロジック』に拠っているようだが、ぜひノイバウアーの『アルス・コンビナトリア』に言及すべきである。要するに朔太郎はしたたかなマニエリストなのだから。映画を「幽霊」と見ようというのに、テリー・キャッスルの「ファンタスマゴリア」論(『女体温計-18世紀文化と<不気味なもの>の発明』に収録)を知らないという以上のもったいなさを、ぼくは感じた。それによってこの論文は衝撃書にもなり得たと思うからである。

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2008年04月18日

『流行と虚栄の生成-消費文化を映す日本近代文学』瀬崎圭二(世界思想社)

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難しそうだが読むととても面白い博士論文、続々

ほぼ一年続けてきたこの書評シリーズでは、極力、評者自身の個人的な経験と近づけたところで議論することを心掛けた点に功も罪もあるはずだが、新刊、瀬崎圭二『流行と虚栄の生成』など、ひとしお個人的感懐なくしては読めない本である。著者より恵送いただき、ハテと思って読み出してナルホドとすぐ得心がいった。

日露戦争直後から第一次大戦期への、ほぼ大正時代と言ってよい期間を舞台にする百貨店(特に三越)の商戦略と、それに大いに助長された「虚栄の女」という表象とを、大所小所からあぶりだす好著である。三越や白木屋が発行していた宣伝誌を克明に点検しているという意味で資料的価値があるし、陳列商品やショーウィンドウの前で人々(特に女性)が示し始めた新しい身振りを興味津々で点綴する文学作品群のしっかりした分析を伴ったアンソロジーとしても、今後の研究の基礎となるべき遺漏なき充実ぶり。漱石の『虞美人草』の藤尾は誰しも思いつくだろうが、『三四郎』の美禰子も「虚栄の女」タイプだったのか、そして問題の時期、問題のタイプは大谷崎、当然『痴人の愛』のナオミに行き着くのだが、『改造』1922年(大正11年)3月号発表の「青い花」など、なかなか渋めの同類作など、百貨店文学といったものを再考する時、落とせないと思われる作品群のあぶり出しが丁寧で、貴重。また、付録に一覧表まで付く三越の『花ごろも』『時好』『三越』、白木屋の『家庭のしるべ』といったPR誌に載った「文芸関連記事」への着目が素晴らしい。

大所小所と言ったが、小所というのがこういう大正期の埋もれた面白そうな一次資料だとすれば、大所はルーマンの『社会システム理論』(〈上〉〈下〉)だったり、もちろんフーコーだのボードリヤールだのの大きな理論だったりする。世間的にはなんぼのもんじゃいと小バカにされても仕方のない、課程博士などといって基準のバーが低くなったシステムのせいでますます増えそうな類の博士論文も多いが、そういうものばかりでないよと言いたくて、既にこの書評欄でもいくつか取り上げてきたが、本書も東大提出の課程博士論文。主査小森陽一、副査にぼくの友人、ロバート・キャンベル氏などを含む審査を通って、山本武利・西沢保共編の名作『百貨店の文化史』を出している世界思想社から加筆単行本化された。

明治三〇年代から刊行され始めた呉服店/百貨店の機関雑誌は、望ましい外見のあり様を流行として紹介するための媒体であったというよりも、ここに語られ、表象されるものこそが流行に他ならないという流行と媒体との緊密な関係を構造化しつつ、月刊という一定の速度のもとに、流行を目に見えるものとして国民国家という共同体の内部に共有させていくような媒体であった。

全巻のキーワードたる「流行」というもののでき方、あり様を見事に突いた結論で、本書前半は、このことの立証に充てられている。この引用文の直後は、こうだ。

言い換えれば、流行なる現象は所与のものとしてあるのではなく、こうした雑誌メディアこそが流行を目に見えるものとし、それを実体化していくことになると言えよう。しかし、こうした流行の可視化と存在の認知は、それを語る媒体にのみよっているわけではない。例えば、流行とは何かと問いかけ、それを分析の対象としていくような知の力学は、それが知の言説としての保証を伴って互いにその差異を訴えつつ増殖していく内に、現象としての流行の実体を担保することになるのである。そこに、流行は流行として認知され、その認知に基づいた自律的な言説の運動の維持が生じていることになる。その言説の運動の中で、常に確保され続けているのが、零度としての流行という現象であることになるだろう。(p.125)

ン?である。三越が森鴎外はじめ時代の<知>を取り込んで「学俗協同」路線で成功した面白い商戦略を言おうとしているのだが、それにしてもこれはずいぶん厄介な日本語だ。博論の約束事でもあるのか。同じことを初田亨氏の屈指の名作『百貨店の誕生』は実に単純な言葉で、倍の説得力を持ってやっている。

しかし、百貨店をめぐる商略とメディアの問題がここまで発展的な研究段階に入ったのを見るのは、個人的にも驚きであり、嬉しくもある。西武系列の流通産業研究所に言われてぼくが百貨店を「文化的」現象として分析し始めた1885年頃は「研究」と呼べるようなものは絶無で、あきれ返った。ぼくの『パラダイム・ヒストリー』(1987)、『世紀末異貌』(1990)が火をつけ、山口昌男『「敗者」の精神史』(〈上〉〈下〉)(1990)や鹿島茂氏のデパート王ブシコーの研究につながっていった。はじめに個人的な感懐と言ったのはそのこと。ぼくの仕事はいつもながらに鼻であしらわれたが、ぼくの訳したレイチェル・ボウルビー『ちょっと見るだけ』は威力のある本だった。さすがに20年の経過、学の成熟かくあらんか、と嬉しく読んだ。『ちょっと見るだけ』も存分に使ってくれていて、ありがとう。

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2008年04月15日

『ニーチェ-ツァラトゥストラの謎』村井則夫(中公新書)

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中央公論新社にあの二宮隆洋が移ったことの意味

ツァラトゥストラは齢(よわい)30にして、故郷と故郷の湖をあとにして山に入った。ここで彼は、彼の精神と彼の孤独を楽しみ、10年間飽きることがなかった。

ニーチェの“Also sprach Zarathustra”(『ツァラトゥストラはこう語った』〈上〉・〈下〉)の出だしである。これが「哲学書」、それも哲学史上に燦然と輝く第一級の哲学書と言われている作と知らねば、この出だしは何かの物語、あるいは小説の冒頭かと思われるかもしれない。作り手のある精神的な状態が形になる時、ある場合には小説と呼ばれ、別のケースでは「哲学」と言われる、その境目はいったい何なのか、と考える。ジャンルが違うと言うが、ではそのジャンルとは何か、そもそもいつどのようにしてジャンル分けなるものが生まれたのか、“genre”の語源である”genus”の演じる何かを“generate”する作用とは何か、といった結構哲学的でいて現行の哲学ではなかなか扱わない大、大、大問題に話題が広がっていくだろう。ニーチェ極めつけの問題的著書『ツァラトゥストラはこう語った』を相手に、最大級のスケールの(反)ジャンル論に挑んだ大作が出たことを喜びたい。

前に取り上げた中央公論新社の「哲学の歴史」シリーズは(不徹底とはいえ)時代のヴィジュアルを掲げて哲学理解の一助とするという方針でお目見えして面白かったが、同じ版元の同じ編集感覚が生きている(あの神がかりの編集者、二宮隆洋氏が介在している)とおぼしい村井則夫『ニーチェ-ツァラトゥストラの謎』は、まず冒頭のアート紙口絵のデザインが、哲学史祖述にも新時代、新感覚が到来したことを言祝いでいるように感じる。マニエリスム研究者誰しもに馴染みのパルミジャニーノの『凸面鏡の自画像』と、バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』で一挙に有名になったグレゴワール・ユレのアナモルフォーシス画が掲げられて出発するニーチェ論。画期書か、それともこけおどしの外連(けれん)か。旧套哲学史を旧套とも思わぬ人にとっては、おそらく物知りポストモダン哲学者のよた話が始まるという感じなのだろうが、ぼくは来るものが来たという喜びと爽快感を味わった。

何年か前、文学の視覚作用に熱中していたぼくは、そういう観点で世界文学史記述を再編成してみようと、「文学を見よ」をキャッチに週刊朝日百科「世界の文学」を毎週、三年にわたって構成し続けた。「エクプラーシス(exphrasis)」という観念もあり、文学と美術をごっちゃに提示する方式は、それなりに受けた。さて、哲学と美術の境界線突破、ジャンル越えは?という興味がふつふつと湧く。かつてヴィジュアルを結集・編集してあらゆる知を視覚化する企てが松岡正剛氏のところで進みかけた折り、カント哲学の黒崎政男氏が「みんなはいいな、哲学じゃそんなことありえないもの」とぼやいた話が、ぼくの『ブック・カーニヴァル』への氏の寄稿文中にあって、おかしい。たしかに、たしかに。しかし、ブレーデカンプのライプニッツ論(『モナドの窓』現在、原研二氏が邦訳中)をモデルに、根本的にヴィジュアルなある種の哲学をヴィジュアルな文章と編集で見せる「哲学を見よ」という新しい時代が、村井則夫ニーチェによってたしかに幕を開けた、と言いたい。

そう思ってぱらりとめくると、想像通りロレンス・スターンの奇作『トリストラム・シャンディ』(〈上〉〈中〉〈下〉)中の、脱線に次ぐ脱線で混乱を極める筋を一応明快化するという有名な作中解説図が引かれているのが目に入る。

なるほど、そうだよね。言語に対するイメージの優位が爆発的に言われ出した19世紀末、モダニズム前夜に、ニーチェは生き、死んだ。イメージ優位とは、当然、言語への一点集中と相容れぬものへの評価を意味するが、言語の中でそれが起こるとすれば、即ちそれがパラドックスであり、その系としての曖昧、アイロニー、パロディといった表現形式であるからだ(そこまでわかるなら、なぜドイツロマン派の「アラベスク」修辞学にまで触れないのか、ということはあるが)。そこまでわかると、ぱらぱらめくるだけで相当なヴィジュアル・センスの持ち主とわかる村井ニーチェが、ついに日本人によって著わされた「パラドクシア・エピデミカ」であることが想像でき、しして一読、まさしく日本語で書かれた未曾有のパラドックス文学論であることがわかった。パラドックス文学の肉感的側面たる「メニッペア」をもって、村井氏はニーチェに「哲学」と「小説」のジャンル分けを楽々と越えさせている。

パラドクシア・エピデミカ。言語や人格が同一化し、単一なものへと収縮していくのを、違うだろうと感じて、意図的に曖昧さをつくりだす逆説家たちの猖獗(しょうけつ)がエピデミックス(流行病)のように時代を狂わせる、そういう16世紀マニエリスム精神をロザリー・L・コリーが命名した呼称である。ワイルドやチェスタトン、カントールやラッセルのいた時代がもうひとめぐりしてきたパラドクシア・エピデミカでないわけがない。ということを、この『ニーチェ』はあまりにも雄弁に、学問的手続きにも手抜かりなく明らかにした。ぼくの友人、秀才の神崎繁氏の『ニーチェ-どうして同情してはいけないか』にも目からウロコだったが、バフチーン的に「笑うニーチェ」(T・クンナス)の魅力的主題は、村井ニーチェで一挙にはじけた。新書の概念と相容れぬ大著というのもパラドクシカルで、びっくりさせる。

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2008年04月11日

『フランス近代美術史の現在-ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から』永井隆則(三元社)

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新美術史への素晴らしい導入。本当は何もかもこれから、らしい。

「ニュー・アート・ヒストリー」という呼び名を初めて耳にしたのは、ノーマン・ブライソン(Norman Bryson)が編んだ『カリグラム』(“Calligram : Essays in New Art History from France”)で、このアンソロジーを入れたシリーズの名も‘Cambridge New Art History and Criticism’と言った。当時ケント大学にいて、やがてぼくなどを一時虜にした凄い企画力を持つReaktion Booksの名顧問役となるスティーヴン・バン(Stephen Bann)と、建築史そのものを次々大著で書き換えるケンブリッジ大学のジョセフ・リクワート(Joseph Rykwert)の編集になるこのシリーズを、中心になって推進していったのが、ノーマン・ブライソンである。親日家で、森村泰昌のアートを国際的に有名にしたこの人は、たとえば江戸アート研究をかなり前に進めることになるタイモン・スクリーチ氏の直接の師でもある。スクリーチを介して、ぼくもブライソン教授と眤懇になった。

『カリグラム』は、いま見ても凄い。アメリカで『オクトーバー』『リプリゼンテーションズ』、英国で『アート・ヒストリー』『ワールド・アンド・イメージ』といった、画期的に新しい美学・美術史の専門誌が出てきた時代の動向を、ニュー・アート・ヒストリーと名付け、T・J・クラーク、ジョン・バレル、トマス・クロウ、ロナルド・ポールソン、マイケル・フリード、そしてもちろんスヴェトラーナ・アルパースの名を掲げ、芸術の自律性・普遍性ばかり主張する一世代前のフォルマリズム批評の自閉を突破すべき新しい芸術社会学の時代の到来を言った。そして、そういう動きの源泉となったものとしてとして挙げるのは、主に1960年代フランスの当然旧套美術史学の埒外にあった人々の文章群――ムラコフスキー「記号論的事実としての美術」、ボンヌフォア「15世紀絵画の時間と無時間」、クリステヴァ「ジョットの喜悦」、ボードリヤール「だまし絵」、ルイ・マランのプーサン論、フーコーの「ラス・メニーナス」論、バルトから2篇、ミッシェル・セールから2篇――で、どちらかといえば記号論や表象論からというエッセーが多い。

ぼく自身、たとえばこの『カリグラム』の目次と素晴らしい序文に感銘を受け、1960年代末から70年代半ばまで、人文学全体をあれほどリードし得た美術史学が完全に力を失ったのを訝しむばかりではダメで、その間、海彼の美術史学はちゃんと動いているのだという証を得て、軽率を覚悟で「ニュー・アート・ヒストリー」の呼称を「僭称」して丸善の美術関連洋書カタログ『EYES』創刊の「マニフェスト」とした。フランスでは、あちこちで生じていた旧套美学批判をひとつの動きとして総括する動きがなく、ジャン・クレイの歴史的名作『ロマン派』『印象派』の如きテクスチュア分析と芸術社会学が見事にマッチした批評の土壌が醸成される気配もなかったが、英訳アンソロジー『カリグラム』で初めて実現した。新美術史の動向をサーベイするには、第一級の序文も含め、ぜひ日本語にしなければならないが、フランス語の英訳をさらに日本語にという重訳は厄介だ。とかく言葉が壁。

「主体」なるものを少しも疑うことのない美術史が、構造主義のインパクト下、「主体」は世界との相互作用の中でしか生まれないという立場をとると絵がどう見えてくるか、という哲学的実験が綴られるようになり(バルト、フーコー)、それが今、飽くまで社会の諸関係の中でしか絵の意味は捉えられないという厳密な意味でのニュー・アート・ヒストリーの段階に入りつつある。しかし、二元論的モデル(男対女、先進国対開発途上国、人間対自然)を手放さないため、十年一日の差別批判の紋切りに落ち着きそうになっていて、それはそれで頭の痛い状況だ。

こうした知の一般的な流れを、かつてはリーダーだった美術史が遅ればせながら今また捉えた、という確証を持てるのが、「ニュー・アート・ヒストリー以後の視座から」という衝撃的副題を持つ本書である。それも、日本人好みのフランス印象派に限定しての論集であるところが巧い。ここをやらせれば永井隆則氏と、ぼくなどでも存じ上げる稲賀繁美、三浦篤、天野知香お三人を中心に、まさしく最前線の8人が、クールベ、マネ、ドガ、セザンヌ、モネ、ロダン、ゴーギャン、そしてマティスを厖大な文献資料を基に、いかにも学界人という手堅さで、しかも一般啓蒙を共通の気合いとして、これ以上ない懇切な語り口で説く。素晴らしい永井序文の「あらかじめそのような枠組みを設定して企画された物ではない」と言う説明が本当だとしたら、まことに素晴らしいメンバーだ。フランス専門の人たちの英語音痴が、このメンバーにおいては当然のように解消されているのが非常に嬉しい。

それにしても、ブライソンの名著一点、邦訳なく、稲賀氏の指摘でびっくりしたが、印象派を社会学の対象とした初めての仕事、T. J. Clarkの“The Absolute Bourgeois”の邦訳すらないとは!このタイムラグ、この語学音痴に、改めて驚きを感じる。何も起きていないことに。

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2008年04月08日

『イギリス炭鉱写真絵はがき』乾由紀子(京都大学学術出版会)

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炭鉱、写真、絵葉書の「普通考えつかないような結合」

港千尋さんなど写真を撮る人の文章は巧いものが多いが、今どきの写真論となるとどうもパターンに入っていて、最後は必ずベンヤミン、バルト、ソンタグの三題噺に結び付けられてチョ~ン。しばらく写真誌や写真論の類から遠ざかっていた。唯一の例外が、2005年秋にメトロポリタン美術館で催された「完全なメディア、写真とオカルト」展の大カタログ“The Perfect Medium”くらいだが、やはり心霊だのオドだのエクトプラズムだのの写真は、写真論の「王道」に成り上がってはいけないところがある。やっぱ怪しすぎっ!

人物を撮り風景を写したれっきとした写真を、その置かれたイデオロギー的状況から克明に論じ尽くす堂々の写真論で面白いものがないとまずいのだが、ここに数年来の傑作が登場した。それが乾由紀子『イギリス炭鉱写真絵はがき』だ。筑豊の元炭鉱夫・写真家、本田辰己氏とのコラボレーションで名を上げた著者が、その目を20世紀初頭の英国に転じ、絵葉書の黄金時代(1900~1918)が英国石炭産業の全盛期と重なることの意味を問い、その結びつきがつくり出した様々なメディア的事象を追う。英国へ行って炭鉱関係者たちと親しく交わり、厖大な量の炭鉱絵葉書を収集した地に足の着いたフィールドワーカーの筆は、飽くまで事実やモノに即(つ)いて生き生きと具体的で、今までに何点か取り上げた博士論文と同じ正格の学問的手続きを踏む堂々の論の運びながら、息をつがせず一挙に読ませる。バルトの「プンクトゥム」論あり、ブルデューの「階級的ハビタス」論あり、多木浩二あり、柏木博あり、とかく読んで面白いのだ。

まず、豊富に掲載される鉱夫や炭鉱事故の写真、絵葉書を飾る男女の労働者の姿そのものが面白い。と感じる時、きみ、僕はまさしく当時、中産や上流の人間が炭鉱写真を集め愉しんだ視線をそっくり追復していることになるだろう。写真の抱える階級性と権力構造への目線が一度もブレない、しっかりした写真論である。たとえば、こうある。

 イギリスの初期写真史を包括するヴィクトリア朝の拡大する視覚が、「科学性」や「客観性」という信仰のもとに、戦場や植民地のほか世界各地の観察、研究、国内の社会調査、ドキュメンタリー、慈善などを目的としていたことはよく知られている。ジョン・タッグは、写真と歴史の章でロラン・バルトが指摘した、写真の「かつてそこにあったもの」を「証言する力」を取り上げ、それは「複雑な歴史的産物」であり、「ある特定の制度的実践」と「歴史的諸関係」のなかでのみ行使される、それゆえに、写真を囲む歴史、社会制度、権力関係に注目することが重要であると述べた。このことを念頭に置けば、19世紀後半のイギリスほど直接的に写真のあり方が社会のそれを体現した例も少ないだろう。(p.36)

こうして英国中産階級が社会的弱者、犯罪者、植民地の原住民、病人、狂者、そして労働者階級をひたすら好奇の目で対象化したスペクタクル志向の視覚文化が強く浸透した。「写真は、社会のヒエラルキーが大勢の上昇志向によって震撼した時代における、中産階級が<他者>を再認識することによってみずからの存立基盤を確認するための道具」となる他ない。今あるべき写真表象論としては当たり前の言い分のように思われもするが、これが実にしっかりしていればこそ、たとえばジョナサン・クレーリーの言う「観察」は「さまざまな約束事や価値に対し、自分の視界を一致させる行為」のことだとか、同様に絢爛と拡散するスーザン・スチュワート『憧憬論』(“On Longing : Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection”)のキーワード「スーヴェニア」について「ある場所にちなむ品ではあるが、その起源的な場所にあっては余り価値なく、ある場所への、そしてある場所からの移動によってはじめてその意味が保証される」品目だと言い切って、どんどん自分の論に取り込む異様な頭の切れを示す。炭鉱労働者の移動がこうしてスーヴェニアをただの思い出の品、お土産以上の何かに活性化し得る、それこそが炭鉱労働者自らが、もはや単なる対象ではなく収集・消費する側に「参入」し始めた新しい段階としての炭鉱写真の意味なのだ、という議論につながる。

バルトやベンヤミンレベルの写真論の使い方が巧いのは今や当たり前かもしれないが、「会社の巧妙な細工」としてうまれた労働者の「類型」化の議論にメアリ・カウリングの究極書『人類学者としての芸術家』(“The Artist as Anthropologist”)を、またノスタルジーの議論にスチュワートの『憧憬論』ただ一点を持ってくるカンのよさは並みのセンスでないとみた。しかも、炭鉱労働者たちが命を与え直したスーヴェニア絵葉書によってスチュワートのスーヴェニア観が越えられていくという展開の仕方で、ポストモダン批評のバイブルとさえ言われる『憧憬論』をさえ、きちんと組み立てられた自らの論に拠ってバッサリ、という膂力に感心する。

「クレイ・クロス社の広告絵葉書シリーズ」「ウィガンの女性炭鉱労働者の絵葉書」「ハムステッド炭鉱事故の絵葉書」等々、ローカルな一次資料の駆使はひたすら読んで面白いが、「他者」を「類型」化することで安全なものに変えてしまう構造に対するカルチュラル・スタディーズの切れ味、同じように風景を無害な書割に変えてしまうピクチャレスク美学と、それを切り裂く「プンクトゥム(傷)」としての「山」の分析の切れ味。現在、文化史記述として望み得る批評の最高の快楽を惜しみなく与えてくれる傑作だが、手間暇かけて集めに集めた、煤煙で汚れた無数の絵葉書たちの精彩が、傑作をもはや古典に変えたと断言する。

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2008年04月04日

『CORE MEMORY-ヴィンテージコンピュータの美』マーク・リチャーズ[写真] ジョン・アルダーマン[文] 鴨澤眞夫[訳] (オライリー・ジャパン/オーム社)

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コンピュータにも「神代の歴史」があった

その由来からして、年代もののワイン、せいぜいでジーンズ、あるいは20世紀初めのクラシック・カーくらいが使用範囲かと思っていた「ヴィンテージ」という言葉が、コンピュータについても使われるのかと一瞬とまどったが、考えてみれば、1930年代、40年代の車をそう呼んでよいなら、同じ頃つくられた計算マシンをヴィンテージと称すのに何の無理もないわけだ。

というので、今のところ類書のないこの一冊。1941年製のドイツZ3カルキュレーターから始まって1999年のGoogle最初の運用サーバまで、全32機種のコンピュータと、集積回路に取って代わられるまでの磁気コアメモリを、実にアングルの良い、痒いところに手の届くような細密かつ妙に生物写真のようにぴかぴか、ぬるぬるした「生気論的」フルカラー写真で、飽かず眺めさせてくれる。コンピュータ史概説書はいくらもあるが、わかり方、「愛着」の湧き方が全然違う。

半世紀経た代物ばかりだから、さすがに塗装があちこち剥落していたり、中には暇つぶしの銃弾による弾痕なんていうものがついていたりして、まるでコンピュータの歴史博物館のようだが、その通り、これはカリフォルニア州マウンテンヴューにあるずばりコンピュータ・ヒストリー・ミュージアムの収蔵品を戦争報道や都市ギャングの写真で有名な写真家マーク・リチャーズが撮った写真に、ハイテク関係といえばこの人と言われるライター、ジョン・アルダーマンが余計な修飾一切抜きに、まるでミュージアムの壁上の解説文のような簡にして明快な文章を添えた、一種の紙上ミュージアムである。変わった、しかし重要な展覧会の図録を取り上げてきた締めに本書を取り上げるのも自然な流れと思う。

コンピュータ史といえば最初のフォン・ノイマン・アーキテクチャーを内蔵したENIAC(1946)から始まり、ソ連機による空襲を警戒するための巨大システムSAGE(1954-63)、地上での戦争に止まらずスペースレースにコンピュータが関わる契機となったApollo Guidance Computer(1965)、ユーザによる自分ひとりの改造が許された「パソコン」のはしりであるDEC PDP-3(1965)、ペイントプログラムの革命とされるSuperPaint(1973)など、噂の重要マシン(やソフト)がほぼ全部取り上げられている。もちろんApple I、Apple II、Macintosh も出てこないはずがない。

主眼はデザイニングの変遷史にある。「何フロアも占有した数トンの巨大マシンから消費者が引きずり回せる何かへ」の歴史が、ページを追うごとにはっきりと理解できる。最初に製品となった機械はどれか(UNIVAC I 1951)、集積回路はいつからか、互換性という概念はいつどの機械からか、パケット交換方式はどこからかなど、コンピュータリズムの基本概念が次々とデザインに生じた変化と併せて説かれていく。

APPLE I のようにいわゆるホビーストたちが木の板を基盤にそれぞれ好みの仕様で組み立てていたところから「見栄えのする箱」のデザインが生まれ、「ケースのカラー戦争」が勃発していったという事情が、見事な写真でよく理解できる。一時なぜベージュ色が流行したのかなど、デザインという点からほとんど考えられたことがないコンピュータを、Minitel(1981)を「触ってうれしいデザイン」と言い切り、DDP-116(1965)の「クリーンなラインと空白部の多様」はそのまま「カリフォルニアの風景」だなどと言ってのけるアルダーマンの時に洒落たコメントに従って眺め直してみることができる。地下200メートルにあって日常生活に不便だったSAGEにはライターと灰皿が組み込んであったなど、イノベーションの連続とも言えるコンピュータ・デザイニング史のちょっとしたエピソードも楽しい。

また、「際立つ才能を最高速マシンを作ることに注ぎ込んだことで知られる」シーモア・クレイ設計のCDC6600はコンピュータ・デザイン史の革命とよく言われるが、「そのスピードをもたらしたのは、特別なハードウェアではなく」コンピュータを「全体論的にデザインする」クレイの才能だと言われて、納得がいった(「単純に超高速のプロセッサに頼るのではなく、全体が効率的であるようにする」)。

一番最初のZ3の写真は、実は再現した機械の写真。1944年のベルリン空襲で原機は灰に帰してしまったからだ。ENIACにしても軌道軌跡計算のために開発されたし、ライター・灰皿装備のSAGEだってソ連相手の冷戦の落とし子である。戦争がデザインを発展させた代表的な分野がコンピュータであることがよくわかってくるにつれ、これがビジネスの具と化し、APPLE II のように「楽しさやゲーム」の具と変わる平和な時代をしみじみとありがたいと思う。

翻訳の鴨澤眞夫氏は、ぼくの知り合いの画家鴨澤めぐ子さんの実の弟さん。その御縁でいただいた本。翻訳書がこんなに面白くなったのも、原書の写真のミスを原著者に質(ただ)して直させるほどの訳者の入れ込みの賜物。「日本野人の会」名誉CEOという。どういう会なんだ!

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2008年04月01日

『アウトサイダー・アートの世界-東と西のアール・ブリュット』はたよしこ[編著](紀伊國屋書店)

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結局「内」なんて「外」の外なんだなあ、ということ

ジャンルも定まり評価さえ決まった作品を「確認」に行くタイプの展覧会にも良いものはあるが、「こりゃ何だ」と認識や常識の転覆を迫ってくるような企画展は貴重で、「GOTH-ゴス-」展などもそういうものとして記憶に残った。しかし何といっても、世田谷美術館の名を一躍有名にした「パラレル・ヴィジョン」展だ。図録『パラレル・ヴィジョン-20世紀美術とアウトサイダー・アート』は、同展覧会開催の1993年頃から少しずつ人々の口の端にのぼり始めていた「アウトサイダー・アート」を知ろうとする者にとってのバイブルであり続けている。

この展覧会のハイライトのひとつが、「戦闘美少女」(斎藤環)の典型ヴィヴィアン・ガールズが子どもの奴隷たちを解放しようとする凄惨な戦争絵巻『非現実の王国で』のヘンリー・ダーガーだった(参考:『HENRY DARGER'S ROOM 851 WEBSTER』)。同展を見て受けた衝撃を作品社編集部の加藤郁美さんが『非現実の王国で』邦訳版に結実してくれ、訳者小出由紀子さんはアール・ブリュット作品のキュレーションにますます力を入れることになり、ダーガー・アートを世に出した研究者ジョン・M・マグレガーのさらなる研究書の邦訳紹介を、といった一連の仕事にぼくも些か関与することになって、すっかりアウトサーダー・アート/アール・ブリュットにはまった時期がある。その後、ユートピックな幻想建築図ばかり描き遺したA.G.Rizzoliのことを教えてくれた加藤さんのアウトサーダー・アートへの入れ込みようには驚いた。何かやって欲しいな。折りしも、渋谷シネマライズにて「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」が始まったこともあり、加藤さんの先進的なカンの良さを改めて確認。

今年、スイスのアール・ブリュット・コレクションと日本のボーダレス・アートミュージアムNO-MAとの連携による企画展「アール・ブリュット/交差する魂」が開催されることになった。北海道立旭川美術館を皮切りに、今は滋賀県のNO-MAで、そして5月24日からは東京で開催される(~7月20日・松下電工汐留ミュージアム)。美術展ブームというが、数ばかり多く、そもそもアートとは何か、ヒトが何かを「描く」とはどういうことか、というところまで考えさせられる攪乱力に満ちた展覧会でないと不満、という諸姉諸兄、ぜひ行ってみるべし。

この『アウトサイダー・アートの世界』は、同展の図録を兼ねた研究書。ジャン・デュビュッフェが1945年のスイス旅行で発見した知的障害者たちの表現力に衝撃を受け、これを「生の芸術」と名づけ、シュルレアリストたち(たとえば以前とりあげたアンリ・ミショー)の絶大な霊感源となっていったという状況、ぼくなど団塊の世代が小学校高学年の頃、学校ぐるみで観に行った映画『裸の大将』の山下清「画伯」の発見から1995年のエイブル・アート・ジャパン出発に至る日本の状況を、キュレーターはたよしこ氏がまとめてくれる文章は、明快かつ「「障害者の作るものは純粋だからすべてよい」というような間違った差別的偏見」をいきなり正してくれる。

はた氏によると、アウトサイダー・アートと呼ばれ始めたものとは、アーティストが「芸術教育を受けていないということ、制作活動や表象の行程に新たな意味付けをすること、独創的かつ一貫性のある表現体系の適用、特定の文化に列しないこと・・・制作活動の自給自足的な発展、受け手の不在、作者がいかなる文化的社会的認知や賛辞にも無関心であること」などが条件だという。こういう基準でスイスのアール・ブリュット・コレクションが日本でアーティストたちを探した結果、知的障害者の福祉作業所やグループホームで「発見」された多岐多様にわたる21人の表現活動が紹介される。

自分で表現しているのでなく、何かに表現させられているらしい彼らのパワーは底知れず、集中力もフツーの人間との比較を絶し、同じことをずっと、いくらでもやり続ける。逸早くこういう世界に目をつけ、レオ・ナフラティルやモルゲンターラーやプリンツホルンの先駆的研究書を消化して、たとえば『ナンセンス詩人の肖像』や『迷宮の魔術師たち』を書いた種村季弘は流石だと、改めて思う。その種村が愛した「聖者」アドルフ・ヴェルフリの真偽ごっちゃの「自叙伝」の厖大からはじめ、交霊会狂いの女霊媒(ジャンヌ・トリピエ、マッジ・ギル)、コラージュ都市風景のヴィレム・ファン・ヘンクなど良く知られたものもチェックされているが、日本中の電車の正面「顔」ばかり稠密細密に描きこむ本岡秀則、平家納経じみて一枚の紙に字と絵がぎっしり交錯する富塚純光、同様に漢字で世界を埋め尽くす喜舎場盛也など、緻密を予想してかかるこちらのはるか上を行く細部と反復がとにかく凄い。一人のアーティストの紹介作品が少なすぎる、もっと見たいと思わせる図録なんて久しぶり。必携。展覧会も必見だ。

「障害者を見てやっと、健常児は画一的なんだと実感できるように」なったという比較行動学者正高信男氏の言葉がすべてであろう。

今回改めて、「日本で唯一の入門書!」を謳った『アウトサイダー・アート-現代美術が忘れた「芸術」』の早々の目配りの良さにも感心した。著者、服部正氏は、長年の友人で元「月刊イメージフォーラム」を編集していた服部滋氏の甥御さんで、兵庫県立美術館学芸員。

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