• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年03月21日

『美術館の政治学』暮沢剛巳(青弓社)

美術館の政治学 →bookwebで購入

「オー・セゾン!」。改めて「熱いブクロ」を思いだした

この本は2007年4月初版。同じ月に横須賀美術館ができ、その直前に国立新美術館が開館していた。六本木ヒルズや東京ミッドタウンといった新しい文化の中心が出発する時、美術館とそこで開催される展覧会のクオリティがPR効果を発揮し、誰もこういうあり方を不思議とさえ思わなくなっている。一体、今や都市文化の代名詞と化したこの「ミュージアム」とは何なのか、広い意味での人文学さえはるかに越える超の付く「横断的」アプローチが必要な相手なのに、全体を見渡す手掛かり、概説書がない。前回読んだ松宮秀治『ミュージアムの思想』は「ミュージアム」を西欧中心の「思想」、イデオロギーそのもとして捉え、西欧におけるその発生と意味を説く点ではほぼ完璧だったが、後発の日本のミュージアムについては、そういう西欧流を模倣する歴史が批判されるべきだと言うばかりで、実態や処方箋は守備範囲ではなかった。いわばそこを補う書き手として、こういうニューミュゼオロジーという新動向に通じ、かつ経営的側面からミュージアムを考えていく感覚にも優れ、「第一人者」(ご本人は「人一倍自覚的」という言い方をされている)を任じる暮沢剛己氏の『美術館はどこへ?』と今回の『美術館の政治学』は貴重だ。

ぼく個人もこの数年、石原都知事が個人的にもリキを入れた美術行政と関わらざるを得ない立場で、東京都歴史文化財団と接触し、都立の大学と都立の各ミュージアム施設との制度的・教育的連繋の可能性を探らされてきたが、導入予定の指定管理者制度なるものにピリピリし出したミュージアム側の「守り」の態勢を前に、結局たいして積極的な提案もなし得ぬまま、それ以上の勉強を諦めた。「採算」や「収益率」が先行して、それ以上、話が進まなくなるのだ。大学でもそういう情けない状況の進行に日々さらされているものだから、同じことが美術館でも起こっていることを知って妙に共感し、それ以上「ご迷惑」をお掛けできないと考えたのだ。『美術館の政治学』は、雑誌「美術手帖」に2004年から一年一寸連載された記事をまとめたもの。まさしくその頃、大学改革の騒ぎの中で、ミュージアムの教育能力をどう取り込むべきか考えろという課題を負わされたぼくは、この暮沢連載を、ほとんどすがるように貪り読んだ。切迫感をもって読まれる本がいつもそうなるように、今回単行本化された本書も掛け値なしの名著だ。

ミュージアムと「政治学」となれば当然出てくる万国博覧会と遊就館に、それぞれ一章が割かれる。「戦前から地続き」の皇紀二千六百年博覧会実現をという悲願がいかに大阪万博を支えたパワーになったか、という分析には改めて驚いたし、坪内祐三『靖国』で既に充分びっくりさせられた戦争博物館(遊就館)が高橋由一絡みで本当は美術館としても素晴らしいはず、という指摘にも驚かされた。柳宗悦の日本民藝館の平和主義と、裏腹のオリエンタリズムの「偽善」という指摘はひりひり痛い。歴史に関わる章では、ミュージアム蝟集の神話的トポスとしての上野公園、その彰義隊怨念の地の130年に亘る「敗者」のトポス論が、典型的敗者として東京国立博物館創建に文字通り一命を賭した町田久成の事跡を含め、実に面白い。山口昌男や坪内祐三の筆かと思う展開である。

しかし、政治史におけるミュージアムを論じた先の4つの章以上に面白いのが、第5章、第6章で、それぞれ、「セゾングループの文化戦略」中に占めた西武(セゾン)美術館の位置、またNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)の栄光と閉館の危機を扱っている。美術館とアートブック専門の大書店が合体した池袋西武アール・ヴィヴァンやリブロの世界は、西武(セゾン)美術館開館から閉館の1975年~1999年に「知的」人生のほとんど全部が重なるぼくなどにとって興奮して死にそうな神話空間だった。「私事で恐縮だが、私が1980年代後半の東京で過ごした学生生活は西武セゾン文化との蜜月時代だったといって過言ではない。」と始まる暮沢氏の熱い文章は、冷静な研究書を一挙にどきどきする「読み物」に変える。「セゾングループの文化戦略」(pp.128-134)は、都市文化の可能性に賭けようとする人間にとっては長く忘れ難い文章になるだろう。周知のように西武系文化事業の「黄昏」はショッキングな出来事だったが、流れは森美術館の「アーテリジェント・シティ」構想に引き継がれると暮沢氏は見ているし、メディア・アートを核にした同様にハイブリッドな新時代文化の熱狂状態をつくり出したICCの先見性を讃えた文章も熱っぽい。

構想力かジリ貧か。地方のミュージアムの苦闘と成功の報告と、独立行政法人化他の採算優先、愚かなハコモノ行政への苦言。こちらの冷徹な分析もよくできている。ちゃらちゃら「視覚文化論」などやる前に、あるいはやる一方で、必ず一読すべき最強にリアルなガイドブックである。椹木野衣や北澤憲昭、吉見俊哉や北田暁大、そして浅田彰の偉さが改めてよくわかる。

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