• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年03月18日

『ミュージアムの思想』松宮秀治(白水社)

ミュージアムの思想 →bookwebで購入

美術館が攻撃的で暴力的だなんて感じたこと、ある?

現在、大新聞の文化欄の過半がミュージアム(美術館/博物館)の催事案内で埋まっている。落ち目と言われる人文方面でも、いわゆるミュゼオロジー、展示の方法論・社会学だけは、美術史を巻き込む形で、ひとり元気に見える。我々の文化がほとんど無自覚・無批判に「美術館」と「博物館」に分けて対峙させてしまった西欧的「ミュージアム」とは何か、コンパクトに通観した傑作を、日本人が書いた。ミュージアムの歴史の中では典型的な非西欧後進国である日本だからこそ、「コレクションの制度化」をうむ「西欧イデオロギー」をきちんと相対化できた、画期的な一冊である。

そういう本である以上、キーワードが「帝国」であることはすぐ想像できるが、何となくというのではなく、「ミュージアムの思想」そのものがいわば「文化帝国主義」と同義であるという指摘と、我々がイメージする19世紀列強の帝国主義をはるか遡るハプスブルクの神聖ローマ帝国という包括的長射程の「帝国」とその文化戦略を相手にする腰の据わり方で、類書を抜く。

類書は実は多い。本欄お馴染みのヴンダーカンマー、クンストカンマーが「視覚政治学」の一部に取り込まれていく話がメインだから、1908年刊のフォン・シュロッサーの最初の驚異博物館論から、エリーザベト・シャイヒャー『驚異の部屋』、クシシトフ・ポミアン『コレクション』、フランセス・イエイツ『十六世紀フランスのアカデミー』、ロイ・ストロング『ルネサンスの祝祭』(〈上〉〈下〉)、R・J・W・エヴァンズ(本欄第2回目に新刊紹介)『魔術の帝国-ルドルフ二世とその世界』(現在、ちくま学芸文庫〈上〉〈下〉)およびトマス・D・カウフマン『綺想の帝国』と、本邦の欧風文化史書の黄金時代を築いた(二宮隆洋氏のいた)平凡社、工作舎による精神史・文化史路線の名著好著が片端から出てくるパノラミックな疾走感は、流石のぼくにして完全に脱帽だ。凄い。

こういう西欧でのミュゼオロジー史の急激な隆盛がほとんどまともに紹介されていないことを怒り、一定の状況紹介と資料紹介をしたのはぼくだ、という自負と確信はある。「政治の視覚化」についてもぼくは『目の中の劇場』収中の「星のない劇場」他の文章で、ルネサンス宮廷文化の「劇場政治学」「視覚政治学」の華やかな現状(フランセス・イエイツ、ロイ・ストロング、スティーヴン・オーゲル)を紹介した。1980年代半ばのことである。しかし別に威張るほどのことでなく、ぼく自身ポンポン出すだけで、もうひとつ大きな視野でまとめ損なっていたものが、この松宮書一冊に全てまとめ上げられていることに、心底感動した。ぼくなりの戦略があって訳したリチャード・オールティックの『ロンドンの見世物』(〈1〉〈2〉〈3〉)もリン・バーバーの『博物学の黄金時代』も、片端から引用され、批評されている。

「邦訳のあるもののみ」と粋な素振りの「参考文献」リストを見て唸った。たった4ページのリストだが、活字組みからも山口昌男『本の神話学』巻末の文献リストを想起させ、著者の抜群の着眼を改めて思い知らされる。おぬしできるな、と。素晴らしい資料をただアハアハと楽しむのが限界というぼくなどと決定的に違って、ポミアンやブレーデカンプらの新しく見えるミュゼオロジー研究にさえ、「自分たちが新しい「文化帝国主義」のイデオローグ」と化していることに気付かないのが浅はかにもおそろしいと、透徹した目を向けていて、これで松宮<対>タカヤマの勝負は決まった。メタヒストリーの視野と次元が違う!

エヴァンズの名著中の名著『魔術の帝国-ルドルフ二世とその世界』(〈上〉〈下〉)の次くらいに、エルスナー、カーディナル共編『蒐集』(高山宏監訳)をたくさん引用してくれていて、ここでも報われたと嬉しい反面、あらかたの論文が「ミュージアムとコレクションの制度化という思想のなかに深く内在した文化的帝国主義」に自らも染まっていることに気付いていない、その「独善性にあきれるというより、驚きさえおぼえてしまう」と指摘されて、紹介者自身が今頃なるほどと深く感心し、着眼の次元の彼我の差に戦慄を覚えたほどである。

もうひとつの大きな特徴は、あくまで王権論に徹した点で、「神聖ローマ帝国の皇帝権と領邦君主の地域支配権」のせめぎ合い、王権と教権の確執のあわいに、「戦う王」ならぬ「考える王」の「新しい威信装置」としての宮廷コレクションが圧倒的に充実していった、とする。自らの弱体を補償しようとした「ハープスブルク家」諸皇帝の「レノウァティオ(帝国革新)」理念が独墺から英仏各宮廷に広がり、現在のユネスコのミュージアム法にまで伝わった、とする。何という射程の長大!先般紹介した菊池良生本と併せ、メディア史におけるハプスブルク家の位置に豊かな再考を促す精神史の名作である。

ごく最近落掌した山路勝彦『近代日本の植民地博覧会』は、ヨーロッパの「ミュージアムの思想」を日本がいかに朝鮮や台湾、関東州に向けたかを鮮烈に追うもので、今回、改めてこの『ミュージアムの思想』を併せ読み直すこととなった次第である。吉見俊哉『博覧会の政治学』もだが、こういう「エクスポジション」をめぐる政治学ということで、次回、もう一冊、名作を取り上げよう。

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