• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年02月12日

『ハプスブルク帝国の情報メディア革命-近代郵便制度の誕生』菊池良生(集英社新書)

ハプスブルク帝国の情報メディア革命 →bookwebで購入

速く、速く、速く、昼も夜も一刻も失うことなく

慶應義塾大学でドイツ文化を研究している人が「文化史興隆への期待」という一文を草して、ドイツでなら文化史(Kulturgeschichte)、文化学(Kulturwissenschaft)とでも呼ばれる領域横断的感覚の広義の人文学こそ高山宏の新境地なのだと書いてくれていて、そこまでは自画自賛し切れなかった(当時の)ぼくは快哉を叫んだものだった。ぼくの仕事を、ぼくがかつて熱愛したエンゲルハルト・ヴァイグルの『近代の小道具たち』や、ドイツロマン派の文人たちの少女愛を「文学のみならず、教育学、自然科学、植物学、蝶字、神話学、図像学、病理学などの分野から」追跡した、Michael Wetzelの“Mignon. Die Kindsbraut als Phantasma der Goethezeit”(『ミニョン-ゲーテ時代のファンタスマとしての少女花嫁』)などと比べ、ついこの間まで冷遇ないし無視されてきたこういう新しい人文学感覚が、いよいよ表に姿を現し始めてきたようだと書いて、さらに和泉雅人氏はこう結んでいた。

 現代ドイツで先端的な研究のひとつは、コンピュータをはじめとするテクノロジー、映像、音声、活字、演劇、経済、政治、さらにはサブカルチャーをも含めたメディア全体を横断的・歴史的・考古学的に研究していこうとする、要するに何でもありのメディア美学研究かもしれない。現在、「メディア美学研究所」を設立したドイツ・ジーゲン大学の主導で、2006年に研究成果を発表する文化史ジャンルの巨大研究プロジェクト「メディア革命」が進行中である。「ドイツの高山宏」が出てくる日もそう遠くはない。

普通、いくらなんでも過褒だとか言って頭掻くところだろうが、ぼくは「具眼の士よな、よし、よし」と至極悦に入ってしまった。

ミレニアムの変わり目をはさむ十年、丸善のカタログ誌「EYES」の選書・編集のため、世界中のメディア批評とヴィジュアル本のカタログを日々熟読しながら、ドイツ語文献の日増しに大きくなるウェイトに驚き、また、そういう動きを英語圏でパラレルに始めたバーバラ・スタフォードが、もともとウィーン人で、クラウスベルク、ブレーデカンプなど「メディア革命」を担うドイツの人脈と密接に連携して大活躍していることなど、よくわかってきた。周りが異端としか評し得ないぼくの仕事は、どうもホルスト・ブレーデカンプやザビーネ・ロスバッハの仕事の仕方と、どうしてと思うほど重なっているが、これは何かと考え始めていた時、上述の和泉氏評を得、大いに意を強くした。こういう大きなメディア論としての文学という議論について、いずれ何かの本で触れようと思う。

そう、そう、例えばこの紀伊國屋書店「洋書・基本図書リスト」2007年2月号「書き込みのシステム2000―デジタル的転回と人文知の行方―」(※)が、今のところ、そうした「転回」とその中でのドイツ新人文学の威勢をよく伝えていて、結構衝撃的だ。ぜひ!フリードリヒ・キットラーはじめ、この動きは確かに凄い。

メディア論の下に新しい人文学を、なんて言っても日本じゃあね、と思いかけた矢先、ズバリのタイトル『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』に出会った。新書の「軽み」と菊池良生氏の俗に通じ軽口も滑らかなテンポの良い口調に騙されてはいけない。

メディア中のメディア、メディアの祖ともいうべき郵便と手紙という、ついこの間の郵政民営化で世間が沸いたタイミングにでも出ていればかなりな話題になったテーマで、15世紀末から19世紀いっぱいにかけてのヨーロッパ史をそっくり辿る。メインは、今の日本ではおそらく菊池氏が研究の第一人者たるハプスブルク家と、その下で郵便制度を取り仕切ったタクシス一族(トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』でお馴染み)との関係だ。三十年戦争はある、ネーデルランドを挟んでの二つのハプスブルク家の統一・分裂はある、ハプスブルク家を崩壊せしめたフランス革命はある。我々がフツーに知っている西洋近大史の一コマ一コマが郵便制度の改革や再編成と実に密な表裏一体の関係になっていたことが説かれる。

まるで郵便制度が世界史の動向を決めていったかのような気分にさせられるのは、菊池氏の目次案と語りの巧妙さによるものだ。特に蜿蜒19世紀半ばまで割拠する領邦国家の四分五裂に苦しんだハプスブルクのドイツを語るに、情報の重要さそのものの郵便をどこがどう押さえるかというテーマが、一番手早く、かつ面白いということを、本書一読、しみじみと知った。こういう着眼のコロンブスの卵ぶりでは一寸、『鉄道旅行の歴史』のヴォルフガング・シヴェルブシュや『古代憧憬と機械信仰』のホルスト・ブレ-デカンプの読後感に通じる。

旧知の菊池氏が少しハプスブルクに詳しいという歴史家に終わるはずなしと思っていたところ、案の定、「ドイツの菊池良生」と期待される第一級の「文化史」家に一挙大バケ中。次は「警察成立史」だそうで、大爆発が愉しみである。

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紀伊國屋書店洋書部(yk01@kinokuniya.co.jp)作成の選書リスト「書き込みのシステム2000―デジタル的転回と人文知の行方―」をご覧いただけます。 こちらから―>
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