• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2008年02月29日

『巨匠の傑作パズルベスト100』伴田良輔(文春新書)

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私たちは毎日パズルを解きながら暮らしているようなものだ

「心霊科学」の優れた研究書を取り上げた先回、シャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイル卿が現実の世界の向こうに不可視の霊界があることを示そうとして、19世紀末を代表するマジックの帝王フーディーニと組んだ話をした。世界が「マジカル」であることを、世紀末、倦怠を持て余した人々は強く望んでいた。とすると、少しだけズラして世界が「パズリング」であることを願うのも、驚異に飢えた世紀末倦怠人として当然であったはず。かくて本書は、「パズル」の黄金時代たる19世紀末から1930年代ハイ・モダニズムのにぎやかな世相と文化のことを語り得るのではなかろうか。

前座はもちろんルイス・キャロル(1832-1898)である。前座というにはあまりにもいろいろとパズル、ゲームをつくってくれたキャロルだから、専門の数学(ユークリッド幾何、数論)と論理学を少しズラしておびただしい数と図形と言葉のパズルを制作した。生前にコンピュータを知っていたらもの凄く創造的なことを成し得たであろう人物として、キャロルとデュシャンが考えられるが、キャロル最晩年の奇作『記号論理学』などは、問題の時期の論理学革命(アリストテレス論理学から記号論理学への転換・パラドックス趣味)の代表的な本格書でありながら、パズル仕立ての悪癖が高じて、専門書としての評価は低い。パラドックス論理学のアポリアに気鋭のコンピュータ工学者が挑み世界的ベストセラーとなったダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(白揚社、1985年)でも、こういうキャロルはストーリーの狂言回しの役どころで、その部分は「語呂つき」を自称する言葉のトリックスター、柳瀬尚紀氏が訳していた。

キャロルこと数学教授チャールズ・L・ドジソンは、アリス他のリデル家姉妹に実にさまざまなパスルを出して楽しんだらしいことが、『不思議の国のアリス』の登場人物と女主人公のやりとりに反映されている。というようなことを、マーティン・ガードナーはその『詳注アリス』や『新注アリス』の厖大な注に書いたし、パズル・メイカーとしてのキャロルを徹底してチェックしたジョン・フィッシャーの名作『キャロル大魔法館』は、考えてみればぼく自身が翻訳した(河出書房新社、1978年)。

「マジック」が19世紀末、「呪術」なのか「奇術」なのか未分化な面白い状況があったように、「パズリング」とは人々を当惑させる新しい生の状況を指すのか、何かのパズルやゲームを指すのか、未分化な表現であるところが面白い。19世紀末を幻想や「お耽美」のパラダイムから少しはずれたところで再考してみようと、百貨店だの、オリンピックだの、ロジェのシソーラスだのを取り上げた「異貌の世紀末」論者のぼく、キャロル研究家、パラドックス研究者のぼくにして、パズルという視点から見た19世紀末論、モダニズム論はなおできていないのだ。

だから、伴田良輔氏のこの最新刊には「ヤラレタッ!」である。生前に世界中の誰もが知っている名作奇作を含め、万という数のパズルをつくったアメリカ人サム・ロイド(1841-1911)と、英国人ヘンリー・アーネスト・デュードニー(1857-1930)、パズル史上の東西横綱の事跡を紹介する。サーカス王フィニアス・バーナムと結びついて巨富を得たサム・ロイドと、学究肌で表に出ることを嫌ったいかにもという英国紳士デュードニーの対照が面白いが、二人は手紙をやりとりする仲で、片方が懸賞パズルを出したものの答えが出せずに困っていると片方が助けるなど、協力し合って19世紀末パズル王国を築き上げたらしい。二人の代表的名作パズルを解きながら、さりげなく間に差し挟まれる簡単な評伝部分が世紀末論に向けてのヒントに満ち満ちていて、さすがポイント押さえの名人伴田の手だれぶりに改めて感心する。

これほど世相や人生そのものを「パズリング」と感じる人間なら、きっとシャーロック・ホームズ・シリーズ大ヒットの時代のこと、自分も推理小説のひとつも書こうと思うのでは、と想像していると、現にデュードニーはそんなことを考えていたらしいと教えられる。名探偵ホームズが一挙に大衆的人気を得た名雑誌『ストランド・マガジン』を有名にしたのが、実は同誌に連載されたデュードニーのパズルの方だったと教えられるに及んで、ヤッパそうかと、改めて19世紀末論を考える上で大きなヒントをもらえ、興奮した。伴田氏は「私たちは毎日パズルを解きながら暮らしているようなものだ」と言うが、19世紀末の人々は特にそうだったのではないか。

サム・ロイドの息子が父親の事跡をまとめた大作について、伴田氏はこう書く。

独特の落語口調で政治や経済に言及した小さなコラムも収録しており、まさにパズルを通してみたアメリカといった趣の本だ。いやアメリカのみならず、19世紀末から20世紀はじめの世界も見えてくる。新聞や雑誌といったメディアが大きく成長する中で、知的娯楽も大きく変化していた。パズルの時代の到来は、マス・メディアの時代のはじまりと無関係ではなかった。

パズル本として面白い(巻末に解答あり)のはむろんだが、長山靖生や伴田良輔の世紀末論の、とにかく意表突く視点の「奇」こそ珍重すべきである。

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2008年02月26日

『フランス<心霊科学>考-宗教と科学のフロンティア』稲垣直樹(人文書院)

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フーコーの「タブロー」が降霊会の「テーブル」に化けた

科学とは何か、その終わりない発展過程を見ていると、それが拠るとされる観察や客観性そのものが時代や文化に規定された「パラダイム」や「エピステーメー」の産物である以上、特殊歴史的なものと知れる。たとえばフェミニズム的関心が急に強大になった1880年前後の性差別的科学が、実はいかに観察と客観性を口実に偏向イデオロギーによってつくりだされた「擬似科学」でしかなかったかを、理論的にはディディ=ユベルマンの『アウラ・ヒステリカ』、素材的にはブラム・ダイクストラの『倒錯の偶像』を通して、驚愕とともに知った。典型はチェーザレ・ロンブローゾの犯罪人類学。名からして既に「学」と呼ぶのはどうかと思われる、“こういう顔の造作の人間には窃盗犯が多い”といった類の「科学」であるが、現にユダヤ人差別や女性蔑視の根拠としてフル活用されたのは、今や周知のところである。

問題の19世紀末から20世紀初頭にかけての時期に「心霊科学」、というか「科学」の名を帯びたスピリチュアリズムやオカルトが大流行を見たのも、科学をめぐる同じような議論のうねりの表現なのであろう。ぼく個人の英文学的関心から言えば、ルイス・キャロルがいる。大学の数学・論理学の教授が英国心霊現象研究協会のメンバーで、最晩年、理知の極みと言うべきテキスト『記号論理学』を書く傍ら、夢とうつつの「間」を人と妖精が往還する『シルヴィーとブルーノ』正続篇を書いた。理知といえば名探偵シャーロック・ホームズだが、キャロルの妖精たちと同時代人である。名探偵の作者コナン・ドイル卿が晩年にかけてスピリチュアリズムの使徒として振る舞い、奇術師ハリー・フーディーニ絡みで「あなたの知らない霊の世界」の存在を人々に教え歩いた経緯は、チャールズ・スターリッジ監督の知る人ぞ知る名作「フェアリーテイル」で実に面白く撮られている。また、神秘主義結社「黄金黎明団」に出自を持つウィリアム・バトラー・イエイツに至ってはノーベル文学賞を受賞している、などなど例に事欠かない。ドイツ語圏でもロマン派が発見した無意識界が百年尾を引いて、「科学」者フロイト、ユングの「心理学」に噴出した。そのことを先回『フロイトとユング』で徹底して復習することができた以上、いやでも19世紀末フランスではどうだったのか、知りたくなる。そこに稲垣直樹氏の今次の力作新刊である。

エリファス・レヴィ他の薔薇十字思想については、澁澤龍彦氏紹介のおかげでよく知られている。ジャン・デルヴィルの高度に象徴的な絵など、そういう文脈抜きでは全く理解できない。哲学者アンリ・ベルクソン、ノーベル生理学・医学賞を受賞したシャルル・リシェが英国心霊現象研究協会の会長を務めたのはなぜか。そういえば、キュリー夫妻が降霊会に参加し霊世界のファンだったという噂もある。

こういう問題に一挙に答を出してくれるのが、本書である。稲垣氏の名を有名にした『ヴィクトル・ユゴーと降霊術』から十数年。そのユゴーを再びメインに据え、宗教家アラン・カルデック、天文学者カミーユ・フラマリオンと三本の柱を立てて、宗教(カトリック)が説明の力を失った霊界、超越界のことを科学が引き受けようとした「心霊科学」の19世紀末的流行を縷説する。

やはりユゴー論が圧倒的に面白い。『レ・ミゼラブル』が妙に感傷化されたものをこの文豪のイメージとしている我々は驚くほかないほど、実はユゴーはグロテスクや「無意識」の昏い世界にどっぷりの「幻想」作家。空中に自分の名のイニシャルが怪物のように出現する絵をたくさん遺した異様な「幻想」画家でもあった。その辺までは知っていたが、これほどまで「テーブル・ターニング」、降霊の「こっくりさん」集会のマニアだったとは知らなかった。それが綿密なノート『降霊術の記録』を第一次資料として実に克明に分析されるのが、本書のハイライトだ。とにかく、稲垣氏が「創造的シンクレティズムの時空」と呼ぶユゴーと「霊たち」の交渉ぶりが凄い。シェイクスピア、バイロン、ウォルター・スコット、ルソー辺りは当たり前、プラトン、ソクラテス、マキアヴェッリから、モーセにキリスト、マホメット・・・出てくるわ、出てくるわ。彼らとのやりとりで作品推敲が進んでいくプロセスが、要するに強烈な間テキスト空間にも他ならないことを、ジュネット他「物語」論にも詳しい著者が見落としていないところが、一番説得力あり、面白い。

フーコーのエピステーメー論、トーマス・クーンのパラダイム論に19世紀末「科学」を入れようとする構成は骨太かつ大胆で感心したが、やはりユゴー、フラマリオンという「超」のつく奇才の選択と、ユゴーの一次資料に現れる隠秘主義と間テクストの関係の読解に魅力がある。類書なし。

科学者が「非科学的」教義に埋没したオウム・サリン事件にヒントを得た、という事情を伝える「あとがき」で、一挙にアクチュアルになり得た本であろう。

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2008年02月22日

『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』宮澤淳一(みすず書房)

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これでもう一度、一からのマクルーハン

息せき切ったダミ声の大阪弁で、政財界への講演が一回で何百万という噂もあった時局コメンテータ竹村健一氏の名も姿も知らない学生たちの前で、マクルーハンのことを喋るのも妙なものだ。マクルーハンは、竹村氏のアンテナがピリピリ敏感だった絶頂期、その『マクルーハンの世界-現代文明の本質とその未来像』(講談社、1967)で一挙に有名になり、同じ年の「美術手帖」12月号「マクルーハン理論と現代芸術」特集で、大学闘争がいよいよ爆発寸前という時代の、学とアートとがごっちゃになる創造的混沌の季節の代表的ヒーローとなった。1960年代末にかけての世上あげての「クレイジー・ホット・サマー」の何でもミックス、何でもありの、日本と世界の知的状況の中で、マクルーハン・カルトとも「マクルーハン詣で」とも称されたメディア論の元祖を位置付けるチャートの巧さに、宮澤淳一『マクルーハンの光景 メディア論がみえる』の魅力はまずある。

1980年代にはすっかり沈静化していたマクルーハン・ブームの中、マクルーハン没の翌1981年、象徴的にも「たった一人の、マクルーハン追悼」(「早稲田文学」通巻60号)を書いた日向あき子の名など、懐かしいとしか言いようがない。ぼくにとって美術評論家 日向あき子といえば、美術誌「みづゑ」誌上でポップ・マニエリスム」論を展開した天才として記憶されているからだ。恥ずかしいことだが、日向女史が2003年には既に他界されていたことを、宮澤氏に教えられて初めて知った。

個人的には、ジョン・レノン、「サウンドスケープ」のマリー・シェーファー、ハプニングアートのジョン・ケージ、バックミンスター・フラー、そしてとりわけ1960年代的な前衛集団「フルクサス」のアーティストたちとナム・ジュン・パイクといった芸術家集団へのマクルーハンの影響を次々概観する第3講が、発見といまさらながらの驚きに満ちた収穫である。『グレン・グールド論』で吉田秀和賞を受賞した著者のこと、当然グレン・グールドとマクルーハンの交流もきっちり描いてくれる。

妙な縁で、マクルーハンの死後出版、ご子息のエリックとの共著の形で『メディアの法則』の監訳・解説を引き受けた際、メディア論プロパーの世界がこの一種禅坊主じみた宗祖の扱いに手を焼いたまま忘れたがっている風情に、改めて時の流れを感じると同時に少しびっくりした。マクルーハン・メディア論にろくな展開がなく、マクルーハンが自身をポーやジョイスに入れ込む「英文学者」と見てもらいたがっていたことを考え直す余裕も見当たらない。

確かに、マクルーハンは難解だ。いわゆるアフォリズム(マクルーハン流に言う「プローブ(Probe)」だから、前後の文章が、考えないと巧くつながらない。引用モザイクというスタイルも厄介だ。えらそうに論を展開する前に、まずこのスタイル、この英語が問題だ、と言いたげに宮澤氏が持ち出してくるのが、1964年、『メディア論』で世界的にブレークする直前、ある雑誌に載った「外心の呵責」というマクルーハンの記事である。これを英米の大学でやるパラグラフ・リーディングの方法で逐条的に解読してみせる。未来のマクルーハン理論の全体が早くもコアとして出揃っていることが次々わかっていくスリリングな第1講である。

有名な「理想の教室」シリーズ中の一冊。双書の約束事として、有名な一文を冒頭に訳載し、それへのコメントという形で本論が進むのだが、宮澤本はそのために精読するテキストの選択で既に意表を突き、成功した。難解なテキストがゆっくりと読みほどかれていくのに付き合う作業は、マクルーハン理論の何かを知るというよりはテキスト講読の手だれの講義を聴いている感じで、快感だ。

第2講「メッセージとメディア」は、マクルーハン・メディア論といえばこれという、たとえば「ホットなメディア/クールなメディア」論や「メディアはメッセージである」という警句の正確な意味を考える、メディア論としては骨子の部分だ。「メディアはメッセージである」。英語の読めるマクルーハン読者ならたぶん意味を取り違えることはないだろうが、現実には中途半端な理解しかされていない。「マクルーハンを中心に扱った本邦初の博士論文」の公開審査の席で、審査官の一人、佐藤良明氏が発した「メディアこそがメッセージである」と訳すべきではないか、という質問をきっかけに、いかにもという「正解」に至る。“a”と“the”の違いだったのだ。“「メディアはメッセージ」解決!”とオビに謳うのもムベなるかな。この一点からマクルーハニズムという巨大なコリが一挙にほぐれていく。そう、「メディアはマッサージ」でもあった!

一番肝心なところが曖昧なまま、もごもごごそごそと積み重なってきた世界が、肝心なところがクリアーになって、あとは次々展開し、近時稀な爽快感を味わった。と同時に、“a”と“the”の違いなど屁とも思わぬ「紹介」や「翻訳」の怖さを改めて痛感させられた。佐藤良明はやっぱり凄いな。宮澤淳一も凄いな。巨大な世界を丸ごとひとつ救い出したのだから。

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2008年02月19日

『フロイトとユング-精神分析運動とヨーロッパ知識社会』上山安敏(岩波モダンクラシックス)

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「モダンクラシックス」の名に愧じぬ呆然の一冊

人文学がだめになったと人は言う。だが、そうでないどころか、上山安敏氏の『神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』、そしてこの『フロイトとユング-精神分析運動とヨーロッパ知識社会』のような名著が現に書かれていたりして、イマイチ輪郭と中身が巧く定まらず厄介な文化史・文化学に、そうした名著群がかなりの実体を与えてくれ始めていることを考えると、人文学のある局面など未曾有に面白くなりそうな気がする。

その局面というのは、たとえば、フロイト・ユング往復書簡(邦訳:講談社学術文庫〈上〉〈下〉)の編集ウィリアム・マクガイアの『ボーリンゲン-過去を蒐める冒険』(1982)が頂点を極めた優れた知性の交流史、スケールの大きい学界史・学問史、文化コロニー興亡の追跡の分野で、あるべきプロソグラフィー(人物研究)としての個人の文化史研究も、こうした個人と個人のダイナミックな関係をちゃんと押さえる人と知の交流史を背景に置くと、一層面白くなるはずだ。誰と誰がどこでどう会ったが故にどうなっていき、その出会いの結果、別の誰がまた他の誰かと出会うことになる、という壮大な連続的・累積的記述。「出会いのアルケミア」!

別に難しいことを言っているわけではない。人文学の優れた本は何を論じていようと、そこに介在した人間関係について卓越した考古学を大なり小なり含んでいる。そのことをたとえばぼくは『ブック・カーニヴァル』でえらく大仰にやろうとしたし、モデルにした山口昌男『本の神話学』も、先達である林達夫氏に敬意を表しつつ戦間時代のワイマール文化やアビ・ヴァールブルク周辺をめぐって大きく切り開いた方法だ。1970年代初めからこういう人的交流の追跡をテーマとし、方法として山口昌男氏はある時点からそれを歴史人類学と名付け、『敗者の精神史』(〈上〉〈下〉)、『挫折の昭和史』(〈上〉〈下〉)、そして極めつけの『内田魯庵山脈』を、力を失いつつある人文学全体へのカンフル剤とした。全ての出発点となった『本の神話学』、それが出発点としたスチュアート・ヒューズやピーター・ゲイの人的交流史、山口氏と雁行するように人的交流そのものの発掘と関連付けで異彩を放った『ヴォルプスヴェーデふたたび』他の種村季弘、そういう知性交流史あまたの主人公の一人、芸術心理学のE・H・ゴンブリッチがヘーゲルやパノフスキー、ホイジンハやフランセス・イエイツといった面々をめぐって知的交流史を記述した“Tributes”(『貢物』)など、今やたちまち十指に余る仕事を思い出すことができる。

この欄でも、ぼくのそういう趣味が働いてその種の本を多く取り上げてきた。菊池氏のドイツ郵便制度論も、ウェブスター辞書を介する明治啓蒙人士たちの動きをめぐる早川勇氏の労作も、実は皆、ダイナミックな人的交流がうみだす知的ムーブメントの記述である。岩佐壮四郎氏による島村抱月をめぐる日欧両舞台での華々しい人と人との交流を明るみに出した仕事など、実はいろいろある。山口門下一の情報通である坪内祐三氏の新刊など、こういった人的交流史の名作・奇作揃いではあるまいか。

それ自体でこうしてひとつの(超)ジャンルになりそうな文化史記述の模範的な傑作が、1989年に岩波書店が出した上山安敏『フロイトとユング』である(現在は岩波モダンクラシックス)。精神分析の祖とその第一の高弟のあまりにも有名な袂別を、二人が属した文化の中の軋みという大きなスケールから捉え直す。いわゆる科学と、いわゆるオカルティズムとの間の線引きが、二人違った、とする。これがこの本の中心主題であるが、世紀末からハイモダニズムにかけての魔都ウィーンのみが可能にした異物混淆の環境に「モデルネ」とそれがうんだ神経科学、「神経小説」を置いてみる克明な作業を通して、上述の呆然とさせるようなスケールの知性交流史、そして当然、都市文化論の名作に仕上がった。

世紀末~1930年代のウィーンが、西欧と中東欧(ユダヤ)ふたつの流れが混じり合う長い歴史(三谷研爾編著『ドイツ文化史への招待』でぼくらはその大体を掴めているはず)の頂点にあり、こういう文化史のこれ以上ない標的たり得ることは、ジャニク、トゥールミンの『ヴィトゲンシュタインのウィーン』を陽とし、ゲルハルト・ロート『ウィーンの内部への旅』を陰とする、ウィーンのKultur-Reisefuhrer を通して見当はついていたが、それにしても異物同士のこの混じり合いのもの凄さは何だ、と上山書を見て改めて呆然とする。神経医学の誕生を都市論の中でやりおおせたデボラ・シルヴァーマンの大著“Art Nouveau in Fin-De-Siecle France : Politics, Psychology, and Style”(邦訳『アール・ヌーヴォー』)と堂々肩を並べ、ひょっとして田中純の『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』を準備した一冊、という位置付けだ。

これを法学部の有名教授がやりおおせたという事態が凄い(退官記念)。法学部の授業にユングやヴァールブルクが出てくる。うーん、脱帽です。

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2008年02月15日

『ドイツ文化史への招待-芸術と社会のあいだ』三谷研爾[編] (大阪大学出版会)

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ドイツ文学かて、やる人、ちゃんとおるやないの

ドイツ起源の悠々たる文化史(Kulturgeschichte)を英米圏でマスターし、それをドイツ文化史の側へ恩返しし、カフカ研究を一新したマーク・アンダーソンの『カフカの衣装』(1992)は、例によって英米と独に相わたる上、完全に新しいタイプの「学際的」著作だから、邦訳が急がれるにしろ、一体誰がやるか興味津々だったところ、三谷研爾氏がおやりになり(共訳ではある)、鷲田清一リードによる大阪大学大学院文学研究科が新人文の台風の目になりつつある新しい地図の確かな拠点のひとつが、この人であるのかな、と思っていた。

「いまや若い人たちには縁遠い存在となってしまったドイツ」にもう一度関心を持ってもらおうというオーガナイザー三谷氏の言い分はわかる。ぼく自身関わっている幾つかの大学で、若い人たちの文学離れは目を覆うばかりのものがあるが、とりわけドイツ語がひどいのは何故だろう。思うに、研究者の独りよがりの怠慢と保守保身の感覚に一因があるのではないか。英語と違ってドイツ語は初学という学生がほとんどなのに、ドイツ語教師は、教師としての立場が保証されている(フランス語の世界でも、しばらく「知の最前線」をデリダやドゥルーズが「にぎやかし」ていたため、「頑張っている!」という幻想は確かにあった)ためか、全くサービス精神を欠いている。

部外者なりに見て、この十五年ほどドイツ人文学の動向のスピードと絢爛は一寸凄いものがある。先回、菊池良生氏の最新刊に触れてそのことを書いたが、そうした動向の適当な紹介者がなかなかいない現状はあまりと言えばあまり。唯一例外が田中純氏だが、彼だって表象論の人。ドイツ文学・文化史研究者はどうなっているんだ。と思う時、必ず脳裡に閃くのが、『カフカの衣装』に目をつけた三谷氏のことである。

それで今回作。三谷氏含む12人が分担執筆して独墺を含む広大な中東欧世界の文化史を17世紀から21世紀の今に至るまで概観し、「ドイツ文化史」げ「招待」しようというフェストシュリフト(論叢)である。いろいろな事情から、論叢形式の本が大流行で、本欄でも既に何点か取り上げたが、結局はオーガナイザーの構想力と、分担決定のイニシアティブが成否を分ける。それが弱いと、ひょっとしてかなりのレベルの寄稿エッセーが孤立して死んでしまう。この点から言えば、この『ドイツ文化史への招待』は実に見事な成功作と見た。

序では「中東欧」という地域を設定し、「文化」とは「芸術を軸として作り手と受け手、制度、意識がたがいに関連して織りなす活動のまとまりをいう」とし、「社会と文化、政治と芸術がときに相携えて、ときに鋭く対立しながらすすんでいった歴史を、あくまで文化や芸術の側から考えて」いきたいと述べる。一見、誰にでも言えそうなことだが、なかなか。この枠組みがないと各論文は四散してしまう。

第一部は「市民社会」がつくられていく時に印刷メディアや発掘された歌や口承文化が果した役割をテーマに5篇。四分五裂の「領邦」が雑誌文化や読書の普及を核に統一されていくプロセスを巧く描いた吉田耕太郎「啓蒙のメディア」は、菊池氏の郵便論と重ねて読んだせいもあって、実によくわかった。活字文化とくれば口承文化は?と思うとちゃんと「声の始源」(阪井葉子)が用意されており、民謡の発見が「イデオロギー装置」としての混声合唱協会をうむというところまでくると、音楽をめぐるビーダーマイヤー期の男女差別の印としての「ピアノのある部屋」(玉川裕子)が扱われ、一見関係薄に見えた昔の女流博物図絵師マリーア・シビラ・メーリアンを巡る赤木登代論文(「近代への飛翔」)が扱うロンダ・シービンガーのいわゆる「科学史から消された女性たち」のジェンダー問題につながっていたことがわかる。書き手が互いに何をどう書いているか知悉して、前の章で誰が言っているように、というスタイルで書いているので、コントロールの利いたバトンタッチが行き届いている。巽孝之編集の論叢について言ったのと同じことを、三谷人脈と三谷編集にも感じる。メディアの介在がナショナリズム勃興に決定的だったドイツと言えば、真打ちはやはりワーグナーだろう。藤野一夫「祝祭の共同体」がそれを務める。

第二部は「中東欧」の「文化」といえば避けて通れぬユダヤ人の存在を、樋上千寿氏の明快な概論(「聖書の民」)と、同化ユダヤ人といえばこの三人と言うべき作曲家メンデルスゾーン(小石かつら「対話から同化へ」)、詩人ハイネ(中川一成「境界の文学」)、そしてカフカの簡素な評伝(三谷研爾「存在と帰属」)で構成。これだけ限られた紙数で同化ユダヤ人問題のほぼ全貌を洗い出せていることに感心した。

第三部はモダニズムから現在まで。11名の同志を打って一丸とする三谷という人の真の関心は、知性と知性の交流史――山口昌男氏流に言う歴史人類学的コロニー論――であるはずと思って読むと、三谷研爾「カウンターカルチャーの耀き」、それと雁行してフランクフルト社会研究所と亡命知識人について論じた原千史「越境する批判精神」がそれを担っている。「ドイツ文化史」と聞いて期待したドイツ文化圏に固有の華やかな知性交流史への期待が十分に満たされた。アドルノやホルクハイマーといったレベルでの交流のみか雑誌編集というメディア世界での「交流」がフォトモンタージュをうむ、とする小松原由里氏のハンナ・ヘーヒ論は『キッチンナイフ』一点に絞った細密な解析が楽しい。楽しいばかりでなく、フランクフルト社会研究所が味わった苦しみ(原千史「越境する批判精神」)や、統一後の旧東ドイツの人々が背負うことになった十字架(國重裕「オスタルジーの彼方へ」)についても、十分リアルに伝わってくる。

「招待」のレベルを遥かに超え、全体としてなぜ「公共圏」(ユルゲン・ハバーマス)というメディアの工夫を重ねての意見交換の空間が「中東欧」にとって死活問題だったかの歴史が、実によくわかった。滅多にお目にかかれぬこのレベルの概説書をドイツ語で「クルトゥーア・ライゼフューラー(文化旅行ガイド)」と呼ぶそうだが、その見本のような一冊。

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2008年02月12日

『ハプスブルク帝国の情報メディア革命-近代郵便制度の誕生』菊池良生(集英社新書)

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速く、速く、速く、昼も夜も一刻も失うことなく

慶應義塾大学でドイツ文化を研究している人が「文化史興隆への期待」という一文を草して、ドイツでなら文化史(Kulturgeschichte)、文化学(Kulturwissenschaft)とでも呼ばれる領域横断的感覚の広義の人文学こそ高山宏の新境地なのだと書いてくれていて、そこまでは自画自賛し切れなかった(当時の)ぼくは快哉を叫んだものだった。ぼくの仕事を、ぼくがかつて熱愛したエンゲルハルト・ヴァイグルの『近代の小道具たち』や、ドイツロマン派の文人たちの少女愛を「文学のみならず、教育学、自然科学、植物学、蝶字、神話学、図像学、病理学などの分野から」追跡した、Michael Wetzelの“Mignon. Die Kindsbraut als Phantasma der Goethezeit”(『ミニョン-ゲーテ時代のファンタスマとしての少女花嫁』)などと比べ、ついこの間まで冷遇ないし無視されてきたこういう新しい人文学感覚が、いよいよ表に姿を現し始めてきたようだと書いて、さらに和泉雅人氏はこう結んでいた。

 現代ドイツで先端的な研究のひとつは、コンピュータをはじめとするテクノロジー、映像、音声、活字、演劇、経済、政治、さらにはサブカルチャーをも含めたメディア全体を横断的・歴史的・考古学的に研究していこうとする、要するに何でもありのメディア美学研究かもしれない。現在、「メディア美学研究所」を設立したドイツ・ジーゲン大学の主導で、2006年に研究成果を発表する文化史ジャンルの巨大研究プロジェクト「メディア革命」が進行中である。「ドイツの高山宏」が出てくる日もそう遠くはない。

普通、いくらなんでも過褒だとか言って頭掻くところだろうが、ぼくは「具眼の士よな、よし、よし」と至極悦に入ってしまった。

ミレニアムの変わり目をはさむ十年、丸善のカタログ誌「EYES」の選書・編集のため、世界中のメディア批評とヴィジュアル本のカタログを日々熟読しながら、ドイツ語文献の日増しに大きくなるウェイトに驚き、また、そういう動きを英語圏でパラレルに始めたバーバラ・スタフォードが、もともとウィーン人で、クラウスベルク、ブレーデカンプなど「メディア革命」を担うドイツの人脈と密接に連携して大活躍していることなど、よくわかってきた。周りが異端としか評し得ないぼくの仕事は、どうもホルスト・ブレーデカンプやザビーネ・ロスバッハの仕事の仕方と、どうしてと思うほど重なっているが、これは何かと考え始めていた時、上述の和泉氏評を得、大いに意を強くした。こういう大きなメディア論としての文学という議論について、いずれ何かの本で触れようと思う。

そう、そう、例えばこの紀伊國屋書店「洋書・基本図書リスト」2007年2月号「書き込みのシステム2000―デジタル的転回と人文知の行方―」(※)が、今のところ、そうした「転回」とその中でのドイツ新人文学の威勢をよく伝えていて、結構衝撃的だ。ぜひ!フリードリヒ・キットラーはじめ、この動きは確かに凄い。

メディア論の下に新しい人文学を、なんて言っても日本じゃあね、と思いかけた矢先、ズバリのタイトル『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』に出会った。新書の「軽み」と菊池良生氏の俗に通じ軽口も滑らかなテンポの良い口調に騙されてはいけない。

メディア中のメディア、メディアの祖ともいうべき郵便と手紙という、ついこの間の郵政民営化で世間が沸いたタイミングにでも出ていればかなりな話題になったテーマで、15世紀末から19世紀いっぱいにかけてのヨーロッパ史をそっくり辿る。メインは、今の日本ではおそらく菊池氏が研究の第一人者たるハプスブルク家と、その下で郵便制度を取り仕切ったタクシス一族(トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』でお馴染み)との関係だ。三十年戦争はある、ネーデルランドを挟んでの二つのハプスブルク家の統一・分裂はある、ハプスブルク家を崩壊せしめたフランス革命はある。我々がフツーに知っている西洋近大史の一コマ一コマが郵便制度の改革や再編成と実に密な表裏一体の関係になっていたことが説かれる。

まるで郵便制度が世界史の動向を決めていったかのような気分にさせられるのは、菊池氏の目次案と語りの巧妙さによるものだ。特に蜿蜒19世紀半ばまで割拠する領邦国家の四分五裂に苦しんだハプスブルクのドイツを語るに、情報の重要さそのものの郵便をどこがどう押さえるかというテーマが、一番手早く、かつ面白いということを、本書一読、しみじみと知った。こういう着眼のコロンブスの卵ぶりでは一寸、『鉄道旅行の歴史』のヴォルフガング・シヴェルブシュや『古代憧憬と機械信仰』のホルスト・ブレ-デカンプの読後感に通じる。

旧知の菊池氏が少しハプスブルクに詳しいという歴史家に終わるはずなしと思っていたところ、案の定、「ドイツの菊池良生」と期待される第一級の「文化史」家に一挙大バケ中。次は「警察成立史」だそうで、大爆発が愉しみである。

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紀伊國屋書店洋書部(yk01@kinokuniya.co.jp)作成の選書リスト「書き込みのシステム2000―デジタル的転回と人文知の行方―」をご覧いただけます。 こちらから―>
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2008年02月08日

『画文共鳴-『みだれ髪』から『月に吠える』へ』木股知史(岩波書店)

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学と遊びが共鳴するこういう本をエロティックスと呼ぶ

ギリシア神話の記憶の女神ムネモシュネの9人の娘がそれぞれ芸術の9分野を1つずつ担当したことから、例えば詩と絵はシスターアーツ [姉妹芸術] と呼ばれ、もとをただせばムネモシュネなる「集合記憶」に発する同一の「表現衝動」(G・R・ホッケ)、同一の「芸術意思」(A.リーグル)が、たまたま違う表現形式をとったに過ぎない。こういう「精神史としての美術史」 (M.ドボルシャック)と呼ばれるアート観の中心的主題がシスターアーツ論であり、ホラティウスが発祥とされる“ut pictura poesis”[詩ハ絵ノ如クニ] というアプローチである。こういう大掛かりな比較芸術論のバイブルとされるマリオ・プラーツの大著『ムネモシュネ』を拙訳した時、ぼくはさんざん頭をひねって“ut pictura poesis”に「画文一如」という訳語を充てたが、木股知史氏考案の「画文共鳴」の方がアイオロスの琴めいて断然良い。今後は皆、これで訳語統一するように!

ヨーロッパでもプラーツ書より十年以上も早く、Jean H.Hagstrumの“The Sister Arts”(初版1958年)という基本的名著がある。ジャンル区分や超ジャンル論争の主戦場だった18世紀に紙数が費やされているせいもあり、その革命的意義がなかなか理解されない。シスターアーツ論など、たまたまこの詩とこの絵が似ている・似ていないという思いつきの集積で、とても文芸批評の名に値しないという、ルネ・ウェレックとオースティン・ウォーレンの共著『文学の理論』が、ウェレックのビッグネーム故に影響力を発揮して、いまだに詩や小説の「説明」に似たような絵を並べてみせるのは好事家的学者の「趣味」程度にしか見られない。英文学でいえば河村錠一郎、由良君美といった先人たちの敢為がそういう評価で今に至る。ぼく自身その一人と言われてもいて、つまりは文学研究の正統から見ると所詮、邪道外道なのである。そうでないはずということを示したいこともあって、当ブログで、荒木正純氏の芥川論を紹介したり、アメリカ文学に場を借りたマダム入子などの優れた画文共鳴論を続けて取り上げたりした。今後どうなるかというところに、実に見事なシスターアーツ論の大冊が出現。欣快事である。

「1900年代から10年代にかけて」の日本における「文学と美術をつなぐ表現史」を、自ら「開拓的」と号する300余ページの労作がやり抜いた。本当にシスターアーツ論の心得ある人間が日本を相手にするなら、問題になるべきは(1)宝暦・明和の江戸、そして(2)明治四十年前後すなわちこの『画文共鳴』が真芯に捉えた20年ほどのヤマである。画文共鳴の濃密なり切迫において、のんびり古臭い絵巻物など論じている場合ではない。このふたつの時期は、いうまでもなく出版メディアに「大」の付く変革が発生したタイミングである。(1)は錦絵をうみ、源内と応挙をうみ、(2)は木股氏言うところの「装幀や書物の形態、挿画などのイメージ的表現」の実験を許す出版メディアをうんだ。同じ紙葉上に文と絵とを併せ載せるメディアの仔細を巧みに論じさえすれば、ウェレック、ウォーレンのなんとも古臭い「絵と文学は別物」論などあっさり論駁できる。その辺の理論的せめぎ合いを一切知らない風情でいきなり核心をわしづかみする木股式は爽快だ。本書が示す通り、マスメディアの欲望と技術が、共鳴する画文にさらに共鳴した、まさしくそういう時代をバッチリ選び取った直観(プラス研鑽)の勝利だ。

第I部は与謝野鉄幹・晶子夫妻をめぐる動き、第II部は「象徴主義再考」を謳うなら避けられぬ蒲原有明周辺の動き、第III部は「装幀や書物の形態」といった木股氏のいわゆる「画像世界」の創出と言えばこれに尽きる『月に吠える』を舞台にした朔太郎と版画家田中恭吉、恩地孝四郎の深々とした交渉を、それぞれ縷説する。日本近代におけるシスターアーツと言えばロセッティ狂いの蒲原有明ははずせないし、『月に吠える』の画文共鳴ぶりは神話的ですらある。『みだれ髪』については先達芳賀徹氏によるシスターアーツ論の傑作『みだれ髪の系譜-詩と絵の比較文学』があり、「詩は絵の刺戟から生まれたが、その詩は別の絵を生み、その絵はまた詩の別様の解釈をうながす、という詩画間の世紀末的近親相姦」なる、これ以上は無駄というシスターアーツの決定的「定義」さえあった。

目次としては革命的といえるほどのものはない。例えば漱石。木股氏には花のシンボリズムで息が詰まりそうな『それから』について『イメージの図像学-反転する視線』という見事な成果があるのだから、『草枕』ピクチャレスク論、『抗夫』サブライム論など、真にポップな画文共鳴論も、氏ほどの切れ者にはお願いしたい。それから、鏡花の『春昼』になぜ一行の言及もないのかなど、ぼく個人としては、これだけ1900~1920年の画文共鳴をやるなら少しだけ紙葉メディア論から逸れたところも、と求めたくもあった。ま、いずれ。

メディアが繋ぐ詩と絵という視覚については完璧だ。『みだれ髪』が三六変形判だったことの意味とか、石版木版の「版の表現の展開」をめぐる濃密な議論とか、もう一度言うが、長い間シスターアーツ論者を苦しめてきたウェレック、ウォーレンの呪いなど、「詩画集」という絶妙の場で工夫される印刷・出版のメディアの実験をきちんと論じさえすれば、すらすらと解けてしまう。これがおそらく著者が知らぬ間にやりおおせた最大の功績だ。竹久夢二ひとりとっても、夢見の美女を描いた絵師としてでなく、「文字の代りに絵の形式で詩を画いてみたい」という絶妙の台詞を吐くメディア・マンとして登場する。

象徴主義文芸のイメージ分析の最高水準は種村季弘がホッケの『迷宮としての世界』の「姉妹」本と勝手に見立てて訳したハンス・H・ホーフシュテッターの『象徴主義と世紀末芸術』に尽きるが、これを実によく消化した木股氏の、驚くべき資料博捜とバランスする「筆者の推測」がどれも唸る他ないほど面白い。『みだれ髪』の判型が「お経のかたち」に似ていると仰有る。なんだあと思っていると、次のように木股節としか称しようのない見事な修辞の寝技に持ち込まれてしまうのだ。

 ところで『みだれ髪』には、次のような歌が収められている。

 笛の音に法華経うつす手をとどめひそめし眉よまだうらわかき
 うら若き僧よびさます春の窓ふり袖ふれて経くづれきぬ

 青年僧は、仏道に帰依し、道を志す修業者であるが、経をくずす「ふり袖」や、写経の手をとめる「笛の音」は、彼を誘惑する記号として表現されている。道成寺伝承に代表されるように、修行に励む青年僧と誘惑する女人という組合せは、物語の発想の基本形の一つだと言ってもよいだろう。青年僧は、誘惑を拒み、「ふり袖」や「笛の音」が暗示する女人の影は、その拒絶を突き崩そうとする。

なるほど。しかし素晴らしいのはここから。

女性の官能の勝利を肯定的に高らかにうたう『みだれ髪』が、お経と同じかたちをしているとすれば、それはとてもアイロニカルな発想だと思う。なぜなら、誘惑者(歌集『みだれ髪』)と、それを拒むもの(経典)が、同じかたちとして表現されているからである。

ううむ、ううむ。こういう批評的エロスいっぱいの一冊。大好きだ。

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2008年02月05日

『ウェブスター辞書と明治の知識人』早川勇(春風社)

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明治行く箱舟、平成の腐海にこそ浮けよかし

本書は、アメリカン・ルネサンスを代表する作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』冒頭を一種の引用辞典にして、それによって「クジラ」を定義するなど、辞書と辞書メタファーに敏感なところを示している。メルヴィルが日常使っていた字引の代表格がノア・ウェブスター編纂のウェブスター大辞典であることに間違いなく、まるで大きな箱のような形態と編集者当人の名に引っ掛けて、この大辞典を「ノアの箱舟」と譬え、それが捕鯨船ピークォド号と二重映しになってなかなか笑えるウィットを思いついたりしている。

ノア・ウェブスター(1758-1843)は生没年を見るまでもなく、アメリカがイギリスから独立する長い戦争の顛末とそっくり重なる時代の国民的スターの一人である。印紙税、ボストン茶会事件から南北戦争前夜に向けての非常に政治的な季節に、イギリスとの袂別を英語ならぬ「米語」の確立を通して実現しようとした大変愛国主義的な仕事が彼のウェブスター「米語」辞典である。宗主国イギリス本家の英語の大権威たるジョンソン博士の有名な『英語辞典』(1755)への徹底批判から、この仕事は出発している。

移民に文盲が多いこともあり危難の国家を、ピューリタン道徳で求心力あるものとして維持発展させようとして、ウェブスターの綴り字教則本、文法書、そして読本の「英語文法教本」3点セットができ、その成果が1828年の『大辞典』に爆発したのだが、本書は1806年にアメリカ初の国産英語辞典として出発したウェブスター辞典がさまざまな簡約版を錯綜させながら、1890年には国際版に至る幾多の系列を持つ「ウェブスター」辞書群に発展するまでの離合と集散の歴史を、まず第一部として手際よく概観する。接触言語学の中心人物・早川氏の学殖は確固としてよどみない。

が、何と言っても興味深いのは、江戸末期から明治いっぱいかけて長年の蘭学研究が急速に「エゲレス」へと関心を転じていく日米交渉のレキシコグラフィー [辞書学] 史である。日本における英語辞書編纂にのみか、日本語辞書(大槻文彦の『言海』)や『漢和大字典』にまでウェブスター辞書が大きな方向性を与えていったことを縷説する。それはそれとして専門家には面白いだろうし、素人にとっても、ペリー来航から生麦事件、大政奉還から北海道開拓使、日清日露戦争に日英同盟といった波瀾万丈の世相と数々の通詞通弁や産学官各界のアントルプルヌール [起業家] たちの着想・企画が絡み合いながら進行していく有りようは、実に息詰まるほど面白い。『経営者の精神史』の山口昌男とか『黄金伝説』の荒俣宏のような歴史人類学、産業考古学のセンスが著者にあれば、さらに一段とわくわくするような明治知性図になったはずの素材ながら、この淡々と記述されていくデータだけでも、なにしろ福沢諭吉、前島密、札幌農学校のクラーク博士、野心抑えがたくアメリカに密出国して帰国後に同志社大学の「学祖様」と化す新島襄など、主人公が主人公なだけに面白くないはずがない。

辞書史の中にしか出てこないはずの通弁の類にも結構破滅型や驚くべき奇才がいたらしく、区々が幕末や維新の奇人伝となる。破滅型は福地桜痴。岩倉遣欧使節団の通弁。『大英字典』を計画しながら、「芸名」の示すが如く桜なる芸妓と「痴」情交す間に見事に未完。いいねえ、いいねえ。奇才の方は『附音挿図 英和字彙』の子安唆(たかし)。語の定義を説明するのでなく、日本文にそのまま挿入すれば良い、カチッと対応する日本語を示す他、挿絵という画期的な方法も採ったすばらしい英和辞典の編集者は、和文モールス信号を案出し、『読売新聞』を創業し、かと思えば日銀の初代監事でもある。一体どういう頭をしているのと一番驚くのは前島密。郵便や鉄道関係その他八面六臂の活躍とはこの人のためにある言葉だが、福沢諭吉に始まる国語国字改革論(言文一致・漢字全廃)の急先鋒だったことは、ぼくなど不明にして全く知らなかった。石井研堂や大橋佐平といったメディア界の奇才の列伝を面白く試みた山口昌男・坪内祐三師弟のトンデモ明治は、英学・辞書学の世界でも面目躍如である。こうした明治的奇才の元祖たる福沢諭吉は中津藩の、また一番しんがりの田中不二麿は尾張藩の旧幕臣の子であるということで、明治英学史も山口氏言うところの「敗者の精神史」であったのかと至極納得がいった。そういう人々が当然のように交錯して相関図ができていくこの熱血の明治英学史の二百ページ弱(第二部「ウェブスター辞書と日本の夜明け」)は刀を英語に置き換えた草莽志士、奇才官僚の列伝としてむちゃくちゃ面白い。

その最後は『英和双解字典』他の棚橋一郎。政教社を組織してナショナリズムをこととしたが、当然世界事情を知り抜いた上での国粋主義であった。それこそまさしく19世紀初めにウェブスターが抱懐した烈情であった。それが教育勅語発令(1890)され、「<柔術>や<剣術>は<柔道>や<剣道>と呼ばれるようになった、元々の中国語には<~道>という考えはなく、日本的概念である。洋学者を中心にすすめられた漢字廃止論は陰を潜め、漢字漢文が復活した。同時に<国語><国文>の概念が確立」という時代になっていく。

もはやつまらぬ、敢えて「明治の」と断りを入れたのはその辺のことである、と著者は言う。同じアマースト大学に留学しても、英学をやることが天恵のようだった新島襄の世界から、悉く幻滅を重ねる内村鑑三の環境への変化と言ってもよいが、そのアマースト大学こそノア・ウェブスター創始になるものであり、クラーク博士ゆかりの大学であることを知らされると、確かに明治はウェブスター辞書で語り得ると納得させられるしかない。

「大学」と「英語」が「行き詰まり教育界」の二大キーワードたる今、日本人必読の名著。こういう地に足のついたアメリカ研究もある、ということで今回とりあげた。最近訳されて話題のクリストファー・ベンフィーの名作の名を借りるなら、ここにも「グレイト・ウェイヴ」の小さな波ひとつ、という感じがした。

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2008年02月01日

『視覚のアメリカン・ルネサンス』武藤脩二、入子文子[編著](世界思想社)

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いまさらながら巽孝之には「おぬし、できるな」である

入子文子氏氏の「覇気」に触れた機会に、氏も共編者となった『視覚のアメリカン・ルネサンス』という論叢を紹介したい。「アメリカン・ルネサンス」とは薄幸の巨人的批評家F.O.マシーセンが19世紀中葉、やがてD.H.ロレンスがトルストイ、ドストエフスキー時代のロシア文学にも匹敵するとして、田舎ぶりと貶下されていたアメリカ文学に初めて高い評価を与えることになる、ホーソーンやメルヴィルの文学を総称して用いた巧妙な呼び名である。そのマシーセンの巨著“American Renaissance”は、1941年という超のつく早い時期に、この時代のアメリカ文学の特徴として、見ることと認識することの相同・乖離という非常に哲学的な問題をメインに抱え込んでいることを、冒頭に取り上げていて印象的であった。

時代の哲学的側面を一人代表したネオプラトニスト、エマソンの1836年のエッセー“Nature”(各版あるが例えば“The Essential Writings of Ralph Waldo Emerson”に収録/邦訳『自然について』)など、ぼくはアメリカ文学研究を志していた初学生時分、ほとんど全文を暗誦できたほど、その一行一行を熟読したものである。余りにも有名な“Eye=I”という「語呂合わせ」を基に主体と世界の関わりを論じたこの一文が既に、ジョン・ダンのマニエリスム・イングランドと19世紀アメリカ文学の深い共鳴関係を示しているもののように思われる。

であるにも拘らず、アメリカン・ルネサンスにおける「視覚的」文学の研究は遅れに遅れた。もっとも例えば先行すべき英国の同種研究自体、デイヴィッド・ワトキンによる久々のピクチャレスク研究が1982年刊ということだから、アメリカ文学研究ばかり責めるいわれはない。英国ピクチャレスクについてはたまたまその役が回ってきたので、拙著『目の中の劇場』(1985)でその辺総覧すると同時に、E.A.ポーとヘンリー・ジェイムズに触れて、アメリカにおける視覚的な文学の研究が差し迫った課題であると提案した。顧みて信じられないが、当時、“Picturesque”を「画趣ある」「美しい」などと平気で訳す訳文が多くて呆れかえった(本当は「荒涼とした」という凄愴美のことである)。

それから約20年、状況の一変は驚くばかり。エンブレム文学テーマで独走する入子氏は別格として、1980年代からは本国アメリカでのまさしく汗牛充棟の研究書刊行を反映して、アメリカン・ルネサンスの視覚的文学の研究は伊藤詔子、野田研一両氏を中心にあれよあれよという急進展ぶり。却って御本家英国のそちら方面の脆弱が恥ずかしいほど勢いのある世界となっている。認識と視とは骨がらみであり、認識のフレームワークを一貫したテーマに挙げる鷲津浩子氏も、この動きを引っ張る一人だ。

この論叢にしても、第70回日本英文学会全国大会の「アメリカン・ルネッサンスと視覚芸術」部門(司会は入子女史。実はぼくもゲスト参加)の口頭発表、『英語青年』誌でのその活字化(1998年10月号)を基にしている。また、本書の執筆者は、さまざまな学会誌や『英語青年』などに各自発表したエッセーを基にしたり加筆したり、いろいろな学会での口頭発表の積み重ねであったりする旨、それぞれ記していて、英文学界一般の低調に比し、アメリカ文学界のこの方面における精彩はたいしたものだ。

収録13篇のうち4篇がホーソーン論というのは、たぶん入子効果だろう。重いモラルを引きずる暗い文学というホーソーン文学のイメージが絵大好きな方法論の書き手というイメージにチェンジするのが、今どきの一般読者にとっては貴重だが、やはり入子氏の綿密な『痣』の紋章学・図像学的読みが圧巻。『ホーソーン・《緋文字》・タペストリー』を知らずにいきなり本書を読んでいたら、本当にびっくりしたはずである。

ポーが排されているのはマシーセンが「アメリカン・ルネサンス」概念からポーを締め出したからなのか。ピクチャレスク風景を巨大単眼と化したエマソンが見るという絵柄で“Nature”を論じた野田論文、このところのアメリカン・サブライム研究の隆昌をきちんと復習させてくれる伊藤論文など、バランス良い目次案だが、ポーにはもっと紙幅を割いて欲しいし、メルヴィル論はあまりにもおざなりであるまいか。概して、やはり世代が上になるほど方法意識がないということが判る。ヘンリー・ジェイムズ関係は2本。ジェイムズと写真の関係を追う中村善雄論文は手堅く、かつ必須のテーマだが、Adeline R. Tintner女史のジェイムズ研究三部作(“The Museum World of Henry James”等)こそアメリカ視覚文学研究の近来の枠なのに、肝心の絵画との関わりがズボ抜けなのはいかがなものだろう。収穫は水野眞理氏の「挿絵は誰に何を見せるか」。読者が一緒に考えられ、入り易い素材を選んだのが良い(議論はハイレヴェルだ)。

やはり桁が一つ違ったのが「超絶時代のフィルム・ノワール――エミリー・ディキンスンの形見函――」の「大」巽孝之氏である。鷲津氏をインスパイアしたアレン・カーズワイルの“A Case of Curiosities”(邦訳『驚異の発明家(エンヂニア)の形見函』〈上〉〈下〉)を下敷きにして、その家屋敷に異様に執着したディキンスンのヴンダーカンマー詩学とでも呼べそうなものを論じるのかとドキドキしながら読み始めたら、想像通りキャビネ [袖出し] の中に「ポートフォリオ」状態で書き溜められていくディキンスンの詩のありようが、ジョゼフ・コーネルの有名な「箱アート」以下多くのアーティストを、ウィリアム・ギブスン、デニス・アッシュボウ共作の書物芸術『アグリッパ』(1992)までインスパイアした経緯を辿る。文章にエレガンスが要求される展開だが、「まさしくポートフォリオ形式に関する理論こそが、書物以前の原書物が備えるジャンクアートの理論として、ディキンスン作品がいったいなぜ以後の作家はおろか、とうにモダニズムを超えたポストモダニズムの視覚芸術家たちにまで絶大な影響を与えていったかを、解き明かすよすがになる」とか、なんとまあ巧いものだし、材料にしても要するに持っているものが違うということなのだろう。文学とアートが本質的に通じざるを得ないことを「解き明か」し得たのは結局、巽論文のみ。今後あり得べきekphrasis [画文融通] 論のモデルとなるだろう。以前取り上げた『人造美女は可能か?』中の巽氏による一文とも併せ、一度ディキンスンを読み込んでみようかと思わせる。『人造美女は可能か?』同様、本書も巽氏が編集したら良かったのだろう。

総論が弱いと論叢は求心力を欠く。いろいろあって論叢ブームの世情ながら、全巻を巧くオーケストレートできている論叢があまりに少ない。改めてそう思ったのも、Takayuki Tatsumi が中心になって編んだ“Robot Ghosts and Wired Dreams : Japanese Science Fiction from Origins to Anime”を併せ読んでいるからだ。日本語での仕事の凄さがそっくり英語で世界発信の段階に入った巽、まさしくやりたい放題の自在無碍。あっばれである。

入子氏には藤田實氏との共編の最新刊『図像のちからと言葉のちから-イギリス・ルネッサンスとアメリカ・ルネッサンス』もあり、副題に謳われるように「文学的図像学」の領域ではアメリカはイギリスと堂々と肩を並べるに至ったようで、見るところ入子文子ひとりの獅子奮迅によるものだから驚く他ない。

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