• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2007年08月07日

『記憶の部屋-印刷時代の文学的‐図像学的モデル』 リナ・ボルツォーニ[著] 足達薫、伊藤博明[訳] (ありな書房)

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やっぱ好きでたまらぬ人が訳さなくては、ね

記憶術、いろいろな呼称があるが、たとえばアルス・メモラティーウァ。書物が超貴重だった古代・中世を通して、学者や雄弁家たちは諸学説、古代典籍の行句をひたすら記憶し続けるしかなかった、何しろいつでも気楽に当たることのできる参考書が身の周りにないから――という当たり前の現実を、我々は実は全然意識することなく、中世やルネサンスに栄えた知識や論争のことを考えているが、ちがうのではないか。

というので、イタリア・ウマネジモ(人文学)の雄、パオロ・ロッシが決定的な名著『普遍の鍵』を出したのが1960年。記憶術の方法的精密化から必然的に観念の分類の必要がうまれ、ライプニッツ他の百科全書主義やアルス・コンビナトリア復権の動きにつながっていく、そのライプニッツ考案の0/1バイナリーを基にするコンピュータリズム全盛の今現在の人文学に一番必要な文化史的認識の透徹。

ちょうど16~17世紀のその辺の動きを勉強中だった若き荒俣宏が、師匠の紀田順一郎と二人で編んだ国書刊行会の画期的な「世界幻想文学大系」に、幾多の幻想小説の間にそっと挿むという感じで、マージョリー・ニコルソンの『月世界への旅』と一緒に『普遍の鍵』を入れた、時代をリードするアンテナの感度に改めて、アラマタさん有難うと言わねばならない。

現在、記憶術の研究といえば、フランセス・イエイツの『記憶術』が嚆矢のように言われる。しかし、1966年に出て斯界に大騒ぎを起こしたこの本が邦訳されたのは、何と1993年のことである(水声社)。訳書の「訳者解説」を読むと、「二十年近く腹を立てながらも信頼して待ち続けて下さった」水声社(書肆風の薔薇)社主に有難うとか言っている。人文学を一変させる任を帯びた画期的大著に、さめ切ったつまらない短い後書きを付してしまった最悪例としては、A・O・ラヴジョイの『存在の大いなる連鎖』に匹敵する問題ある後書きである。イエイツ女史の仕事全体は晶文社に目利きの小野二郎氏一人あって、完璧といってよい邦訳紹介が施されたが、こと記憶術テーマに関してのイエイツ紹介の迫力のなさは、もはや文化的犯罪の名に値する。イエイツがシェイクスピア研究に力を転じたところを捉えて、日本ではシェイクスピア研究者がイエイツ研究の受け皿となったことの大不幸。「当時味わっていた思想史研究への幻滅」から、「幻視的歴史家」イエイツへの疑問を抱えた有名な「実証派」研究者が、わざわざ「批判的な」後書きを準備しようとして鬱々としている間に二十年が経ってしまった、と問題の嘔吐的後書きにある。じゃあ、わざわざ訳すなよ!これも画期書、S.アルパースの『描写の芸術』(ありな書房)の訳者解説にも匹敵する愚かなわざくれだ。

中世・ルネサンス記憶術が18世紀の解剖図譜の世界に繋がり、ついには今現在の脳科学とも繋がっていることを史料とオブジェで説得した画期的展覧会(La Fabbrica del Pensiero 「思考建築」)が1989年上半期にフィレンツェで催され、これがその後の記憶の文化史研究の爆発的盛行の起爆剤となった。考えるほどに受け皿のない日本で、仕方なくぼくが『魔の王が見る』から『カステロフィリア』にかけての本で、パオロ・ロッシに発する記憶術研究のイタリアにおける怒涛の進展ぶりを紹介し、その過程でライナルド・ペルジーニの記憶術-建築論の名作、『哲学的建築』(1983。邦訳ありな書房)などが早々と日本語にできたりもしたのだ。

ぼくは「思考建築」展カタログの邦訳を企てたが、カタログは図版版権の厄介があって結局挫折したことも思いだす。挫折の苦汁といえば、こうした1980年前後の華々しい記憶術研究の展開を視野に、イエイツの最重要書の邦訳が遅いのに苛立って、ぼく自身、パオロ・ロッシを名訳で送りだした清瀬卓氏に頼んでイエイツ本も日本語にしていただき、これを国書刊行会から出すことにしたが、案の定、横槍が入って水泡に帰した。ぼくしか読むことのなくなった清瀬卓訳のイエイツは伊藤博明と並ぶ中世思想史の雄の意力に満ちた充実訳だった。嗚呼、翻訳企画の難しさ!

問題の「思考建築」展にインスパイアされたことを隠さないイタリア人文主義の若き華、リナ・ボルツォーニの『記憶の部屋』(1995)の邦訳紹介は、そんなもやもやした過去のいきさつを一挙払拭の爽快書である。明らかに既紹介のポーラ・フィンドレンのヴンダーカンマー論にも、即タイトルからしていきなりジョルジオ・アガンベンの『スタンツェ(部屋)』にもインスパイアされ、マニエリスムをコンピュータ・メディア論と結ぶ新人文学の典型的一局面へのマニフェストとも感じられる、素晴らしい本。

これらの本を順次、一定の戦略をもって邦訳し続けている書肆ありな書房と、古典語とイタリア語に強い翻訳狂、伊藤博明の結託に、心から乾盃。記憶術を16世紀にローカルに実践した未知の実験家たちの紹介に、尽きせぬ魅力のある画期書であろう。

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