• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
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2007年07月10日

『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)

先生とわたし →bookwebで購入

由良君美という「敗者の精神史」

もう60冊は簡単に越えているのだろうか、四方田犬彦氏の仕事には無条件に脱帽してきた。とにかくアクチュアルであることに憑かれてパレスチナへ、クロアチアへ、韓国へと飛ぶ。どこまで知っているのかという博読ぶりにも驚くが、だから現地ルポがルポルタージュに終るはずもない。過激な政治的スタイルで文章が荒れる虞(おそ)れなどなく、『摩滅の賦』を頂点とする、澁澤龍彦ぶりの小さな対象へ感入していく微細玄妙の感覚と文体を放すこともない。つい先日も阿部嘉昭氏が『摩滅の賦』収中の「オパールの盲目」の精緻を激賞していたが(『d/SIGN』14号)、本当に主題の自在、観察の巨細、驚くばかりで、ぼくは実は世間的に言えば氏の「先輩」ということになるが、この「後輩」にはずっと頭が上がらないで今日に至っている。

中でも特別の才と感じるのが、『モロッコ流謫』に極まる評伝の書き方であり、それを巧く融かしこんだ(山口昌男氏のいわゆる)歴史人類学そのものを四方田風に発明し直した『月島物語』のデータ処理の経済と巧妙である。

それが、また一段と直接、一段ともの凄い相手を選んで繰り展げられたのが、『先生とわたし』である。著者の自伝『ハイスクール 1968』に続く時代をめぐる「自伝」第二弾という位置付けにもなる。東大入学を果たした四方田青年は、駒場キャンパス1970年代に伝説として残る「由良ゼミ」に難関突破して入る。まずはこの時の講義ノートを改めてめくりながら、四十代、脂の乗り始めた若き天才英文学者の年毎に新たなゼミの、びっくりするように斬新なテーマの紹介と、ゼミの様子を述べる冒頭に、同世代の脱領域・脱構築(両語とも由良氏発明の訳語だ)をキーワードに、ひょっとしたら沈殿する人文・社会科学に面白そうな明日が開けるかとワクワクしていた気分を多少とも知る団塊と、団塊直下の世代は、結構胸を熱くするかもしれない。構造主義的民話・物語分析があり、マニエリスムがあり、かと思えば気の利いた学生が調達してきたフィルムの実写を伴うドイツ表現主義映画の分析あり、つげ義春ほかの漫画の記号論的分析あり、学生の発表を悠然とダンヒルをくゆらせながら聴く美男ダンディ由良君美(きみよし)の姿が、まるで眼前にホーフツする。エルンスト・ブロッホを読み、ミルチャ・エリアーデを講じるこのゼミとは、つまるところ、1960年代後半から約十年強続いた「学問の陳立ての再編」(由良氏自身の言葉)の大きな――しかし改革を迫られていた大学が巧妙にやり過ごした――うねりの余りにも見事な縮図であることを、このどきどきする百何十ページかをめくりながら改めて再認識した。

教育や出版のポイントの所にこういう人々がいて、それが巧く連関し合ってこそムーヴメントになる。そういう瞬間を絶妙に切りだしてひとつの物語にする醍醐味を歴史人類学(山口昌男)と言い、ぼくなら知識関係論と呼ぶのだが、この本の魅力は、こうして学生とのつき合いで、また優秀なエディトリアル感覚の人間との交渉で、由良君美が時代の寵児となっていったトータルな脈路を絶妙にあぶりだしてくれている点で、特に当時、そこから出た本をぼくなど無条件で全点購入したせりか書房や現代思潮社その他の背後に「暗躍」した知的企画人、久保覚の存在をクローズアップしたのは、読書人たち全体に対する四方田発の熱いメッセージ。素晴らしい。

やがて由良君美(1929・2・13~1990・8・9)という英文学者の出自とつくられ方がたどられる。ぼくも取材を受けたが、目の前で進む四方田氏の質問の巧さと、メモの要領良さには感心させられた。こうして由良家存命の血縁者をも含む多くのインタヴューと資料の山から、由良家が「南朝の遺臣の血を引く」「神官の家系」であり、母方の吉田家は「代々幕府に仕えた教育者」の家系であって、その一人が「福沢諭吉の盟友」でもあればこそ、由良君美の慶應義塾との相性の良さもわかる、とかとか、びっくりするような脈路が見えてくる。由良の父、由良哲次のことが面白い。ハイデガーやディルタイ、カッシーラのドイツに留学しながら、やがてナチズムに傾倒していったこの父親の圧倒的影響力に対するアンビヴァレンツとして、由良君美のダンディズムの裏に貼りつく非情や奇癖奇行が説明されていく。説得力がある。同年生れのジョージ・スタイナーへの異様な共感も「父からの解放」という物語で解明される。由良ゼミで北畠親房『神皇正統記』を読まされた不可思議が、こうして謎解きされる。

良き弟子へのこの良き師の一発の鉄拳で袂別が訪れる。外国へ出たことがなく、客観的に自分と日本を見る展望を持ち損ねた師が老いを迎えて、新時代の潮流に身をさらし、英語もイタリア語も韓国事情も自由自在という弟子に「嫉妬」という物語では、わかりすぎて少々艶消しで、師弟というものをめぐる山折哲雄の深い思索への目配りが救いだ。由良の弟子の一人として、複雑な思いではあるが、よくぞ書いてくれました。「さながら悪魔祓いのように」、と四方田は記している。

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