• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2007年07月24日

『体位の文化史』 アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ[著] 藤田真利子、山本規雄[訳](作品社)

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「エロティックなサーカス」の俗流マニエリスム

「古今東西の性典や史料を蒐集し、すべての体位と性技の歴史を辿った、世界初の“体位の文化史”」と帯に謳われては、「文化史」の権威と呼ばれるぼくとしては、この一冊、目を通さずにはすまない。『ヴァギナの文化史』『ペニスの文化史』『お尻とその穴の文化史』 を既に入れた作品社「異端と逸脱の文化史」叢書(?)の新刊となれば、是非にも読みたい。

ロミの『悪食大全』『おなら大全』『でぶ大全』 を高遠弘美の抱腹絶倒訳で入れたこの叢書は、さらに石川弘義『マスタベーションの歴史』だの、ジョルジュ・ヴィガレロ『強姦の歴史』だの、この『体位の文化史』の直前には、ロベール・ミュッシャンブレ『オルガスムの歴史』だの、どこまで行けば気がすむのといいたくなるほどのセレクションで此方を喜ばせてくれる。そのほとんどに手を付けて、なかなか達者な文体で笑わせてくれる訳者、藤田真利子氏と、編集の内田眞人氏の、よくもこんな疲れるテーマで頑張りが続くねと、労を多としたい。原書にない閨房秘技の解説書、『フランスの聖職者に捧げる愛の四十手』(18世紀末)を入れ、『鴛鴦閨房秘考』など「参照して」江戸の「四十八手秘戯」図解をまとめた「付録」は訳者・編集者の創意らしく、原書より威力倍増である。

テーマがテーマだから「訳者あとがき」が面白い。「動作を文章で説明するというのは、なかなかにたいへん」とあり、「図解し、自分の手足を動かし」とあるのには、そうだろうそうだろうと共感しつつ微苦笑したが、だから当然、本自体にも300の図版が溢れる。

本体は、「宣教師」の体位(いわゆる正常位)から、「牡のグレーハウンド犬」の体位(後背位)、フェラチオ、クンニリングス、ソワサント・ヌフ、獣姦、「ヘクトルの馬」(騎乗位)・・・と型通りに並んで、同性愛や自慰といった体位プロパーより少し社会学寄りのテーマにも広がり、最後は体位なき生殖としての「クローン」という「恐怖のシナリオ」の味気なさや危険を訴え、そうした「生物学の奴隷にされている状態を脱するために、われわれは、ふたたび<体位の文化史>をひもとくべきだ」という主張で締める。普通だったら気が散って仕様がないほど不埒に「挿入」される図版が少しも苦にならないのは、「動作」を「文章で説明」しにくいこの本の性格上、仕方のないことなのである。

「異端と逸脱の文化史」一般にいえることだが、フランスのアカデミーの人文・社会系の最先端の人間が人類の最低(最底)の「肉体的物質的基層」(M・バフチーン)をどう扱うかの妙味がある。たとえば『オルガスムの歴史』のミュッシャンブレはアナル派(といっても、あちらのアナルではない!)ばりばりのミクロ歴史家。「感性歴史派」が感性の中の感性(「感じる~う!」)に「口を挿んだ」!わけだ。『体位の文化史』のアンナ・アルテールは天体物理学博士号を持つ『マリアンヌ』誌科学技術部部長、共著のペリーヌ・シェルシェーヴは同誌社会部部長というから、淡々としつつ、随所のユーモアも悠々たる読者サーヴィス、読みものとしても面白いし、雑談のトリヴィアねたとしても格好である。正常位を「ミッショナリー・ポジション(宣教師の体位)」と呼ぶことの理由がよくわかった。ブラックアフリカの野蛮を宣教を口実に制圧していった「驚異と占有」(S・グリーンブラット)戦略そのものの名だったのだ。

洞窟壁画をめぐる「古人類学の正教授」の御託宣は何だか「芸術人類学者」中沢新一の口調で面白いし、繰り返されるフランス国立人口統計学研究所その他の統計数値、「オートミクシス」「アポミクシス」(おわかり?)といった「生殖」の生物学の用語で語られるところに、愛の国フランスが一方で啓蒙主義の母国であることに思い当たって、おかしい。愛の国がそれらしくなったのは1968年のいわゆるパリ五月革命以降という話には驚かされた。シャンソニエ、セルジュ・ゲンズブールの「69年はエロな年」、さがして聴いてみよう。

しかし、「体位もの」なればこその面白さは、やっぱり体位というものの持つ「アルス・コンビナトリア(組合せ術)」としての性格に尽きるだろう。サド侯爵の「電報のような文体」が「四人の道楽者と四十二人の淫楽のなぶり者」が順列組合せを次々織りなしながらからみ合う『ソドムの百二十日』は、澁澤龍彦の名篇「愛の植物学」(『思考の紋章学』河出文庫に収録)が示したように、組合せの倦怠を新たな組合せ(人と人、器官と器官の)で突破していくクールなマニエリスム以外の何か。禁句を別の語でどんどん言い換える隠語の百態が本書の魅力だが、それって直截にマニエリスムの修辞法だろうし、「トリオリズム」(3P、4P・・・)の、人が性器で人と繋がっている図版はマニエリスム得意の「蛇状曲線」でしかない。

想像通り、体位類型学は最後に「アクロバティックな体位」「突飛なる体位」に行き着く。こういう「ラヴ・ホ」文化が16世紀マニエリスム(マルカントーニオ)の版画 『イ・モーディ(体位集)』 の末裔たることを、こともあろうにプリンストン大学出版局から出た Bette Talvacchia, "Taking Positions : On the Erotic in Renaissance Culture"(1999)によって、ぼくらは知っているが、実はそこいらのコンビニに月毎に並ぶ『ビデオボーイ』だ『URECCO』だのの紙面に溢れるのが、この俗流マニエリスムの編集感覚だと思い知るべきかもしれない。

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