• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
    盛況のうちに終了しました。 講演レポートはこちらから-->

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2007年07月31日

『スナ-ク狩り』ルイス・キャロル[作] 高橋康也[訳] 河合祥一郎[編] (新書館)

スナ-ク狩り →bookwebで購入

虚無の大海もトリヴィア泉の一滴に発す

マーティン・ガードナーのファンである。1914年生まれというから、少し頑張ってもらえばめでたい百歳も夢でない。アメリカ版・竹内均先生と大学生に紹介しても、肝心の竹内氏が科学雑誌『ニュートン』他を宰領したポピュラーサイエンティストの大物だったことさえ知らない時代だから、ガードナーの偉さはなかなかわかってもらえない。『自然界における左と右』(紀伊國屋書店)で、DNAやアンチマターの説明を、ごく卑近のたとえ話を駆使して巧みにやる啓蒙科学の名手。それもそのはず、最先端科学を一般読者に紹介する名雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』誌の伝説的編集長だった。繰りだす話柄に事欠くはずもない。整数論や幾何学にみられるパラドックス現象のコレクションや解説が『ガードナーの数学サーカス』、同『数学カーニバル』で余りに見事なものだから、数学の万年落第生の身も顧みず、訳しながら大いに勉強させてもらったりした。

一般的には、1960年代キャロル・ブームに先鞭をつけた『詳注アリス』"The Annotated Alice : Alice's Adventures in Wonderland and through the Looking Glass" の編注者として余りにも有名。やはり理系の注が異色で、『鏡の国のアリス』冒頭の鏡像をめぐる長い注は『自然界における左と右』を凝縮した感のある逸品であった。アノテーション(注釈)が本性上、どうしても自己目的化し自己増殖してしまいがちなことを、頭かきかき吐露しているガードナー老、読者からの新アイディア投稿がたまって困るということも漏らしていたので、きっとと思っていたら、1990年、"More Annotated Alice : Alice's Adventures in Wonderland & through the Looking Glass" 巨大本がお目見え、早速『新注アリス』2巻として訳した。

まさかと思っていたら、また増補版が出た。『決定版注釈アリス』 "Annotated Alice : The Definitive Edition" (W.W.Norton, 1999)。おそるおそる読んだが、基本は前の2点の合本。追加注も付録の類もそう目新しいものなく、旧著訳者としては妙にホッとした。

それが、同じキャロルのノンセンス詩の奇作『スナーク狩り』にガードナーが注を入れた『詳注スナーク狩り』の方も、<決定版>の名を付したもの "The Annotated Hunting of the Snark : The Full Text of Lewis Carroll's Great Nonsense Epic the Hunting of the Snark" (W.W.Norton, 2006) が登場した。もとの『詳注スナーク狩り』も傑作である。理系で通るガードナーのロマン派文学へののめり込み方がそこいらの英文学者まっ青の 『詳注老水夫行』 "Annotated Ancient Mariner : The Rime of the Ancient Mariner" と併せて邦訳すべき逸品である。以前『ルイス・キャロル詩集』(筑摩書房)が出て、「スナーク狩り」が訳され、一定量の注が付いた時も、ガードナー注から一部かすめとっただけのものだった。この際、久しぶりにガードナー詳注本に訳者として改めて付き合ってみるかと思った。

そこへ河合祥一郎編注の今回作だ。東大ばかりかケンブリッジ大学で博士号を取った稀にみる秀才の英語力は、この詩をめぐる韻律への深い理解をさりげなく披瀝する「解説」に十分明らかだから、最近も『リチャード三世』の斬新訳で世間をアッと言わせた河合氏自ら訳してもよかったのだ。

訳本体は高橋康也氏生前の旧訳。周知のように河合氏は高橋氏の娘婿に当たる。「スナーク狩り」は『鏡の国のアリス』収中の「ジャバウォッキー」詩とも密接な関係があるが、そのこともあって父君の「ジャバウォッキー」訳詩と名著『ノンセンス大全』収中の「ジャバウォッキー」、『スナーク狩り』をめぐる文章の悉くを収める付録を非常に有難く思う読者は少なくないだろう。この「付加価値」は絶大だ。

注はどれも文句なく面白い。宮部みゆきの『スナーク狩り』が引き合いに出されてきたりの絶妙は、当然、ガードナー本に望むべくもない。日本のキャロリアンたちの研究も進化しているらしい。そこをよくすくい取っている。これからスナークなる謎の怪獣退治に行くという時の荷造りされた荷のひとつに42という数字が描かれている(挿絵ヘンリー・ホリデイ)。『スナーク狩り』を書き始めた1874年にキャロルが42歳だったからなどという通説は、こう吹き飛ぶ。

四十二という数字は、キャロルには特別な意味を持っていたらしい。楠本君恵氏は『出会いの国の「アリス」』(未知谷。2007)にこう記す。――「キャロルは1832年生まれだった。アリスが1852年生まれだと知ると、数学者キャロルはまさに運命的なものを感じたのかもしれない。ふたりの生年の下二桁の32と52の間にくる数列上の数字42をマジック・ナンバーとして(約数、倍数も含め)、作品の中に文字にして散りばめた」。たとえば本書の「序文」には航海規則第42条への言及があり、『不思議の国のアリス』第12章ではハートの王様が「第42条。身長一マイル以上ノモノハ全員法廷から退去スベシ」と読み上げるし、キャロルが37歳で上梓した詩集『幻想魔景』第1歌16節には、作者自身とおぼしき「42歳の男」が登場する。また、最初のアリス本には挿絵が42点あり、二番目の本も最後に変更されたが当初は42点の挿絵を入れるはずだったという・・・。

いちいちフウン、へエーッの良質な「トリヴィアの泉」感覚の愉しい小発見である。詳注の自己増殖ということで言えば、日本キャロル協会員木場田由利子女史のホームページにリンクしてみると面白い。アリスと一緒に地下に行く白兎が数字化してみると42になるという奇怪な読み方に発し、アリス・ストーリー全体に42が遍満する様子を次々明らかにするばかりか、キャロルがE・A・ポーと数秘術的にも深く繋がっていたとする呆然の論に至るのだ(キャロル協会機関誌 Mischmasch 第5号 [2001年] )。河合氏の折角のほどよいバランスの先へと突き抜けてしまいかかっている。「詳注」はこうして焼酎に通ずで、ほどほどに酔うが肝心。詳注好きのぼくなど、いつも書き込み過ぎて失敗してきた。

河合氏による注の数は42(「なお、本書の注釈の数も42」)。節度と遊びのこのバランスは妙に父君に似たものがあって、なかなかの親子鷹本である。

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2007年07月27日

『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』ルイス・キャロル[作]/ヤン・シュヴァンクマイエル[挿画](エスクァイアマガジンジャパン)

ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展
~アリス、あるいは快楽原則~

2007.8/25(土)~9/12(水)
11:00~20:00 (最終日~18:00)
ラフォーレミュージアム原宿 TEL.03-3475-0411

不思議の国のアリス 鏡の国のアリス
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動きだす絵、それがアニメーションの定義と思い知れ

まさしく20世紀半ばの東中欧みたいな上意下達、朝令暮改の大学「改革」の密室政治で、制度というもののグロテスクリーを日々いやというほど味わわされた2006年の年度末だったから、ルイス・キャロルの専門家にしてヤン・シュヴァンクマイエルのアニメの紹介者の一人ということになっているぼくにして、シュヴァンクマイエルが『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』に改めてオリジナル挿絵を提供したアリス本が出たことを知るのに少し手間暇がかかった。2007年が明けてアワをくって探本したが、『不思議の国のアリス』はアッという間に在庫切れ。が、噂の本のこと、すぐ初版二刷として落掌、『鏡の国のアリス』と併せて、2007年最初にページを繰った一冊とはなった。

いまシュヴァンクマイエル・ファンである人の過半が、シュヴァンクマイエルの『アリス』(1987)をきっかけにファンになってしまったのではないかと思う。アリスが迷いこんだ世界を何と呼ぶか、多くの評者がそれをグロテスクと呼んでいることを知ってはいても、具体的にどういう事態がグロテスクなのか、人間が人形になり、登場人物がぺらぺらの紙人形に化ける、この東欧版『不思議の国のアリス』で実感としてわかったという気さえした。

試みに世界の文学のことなら一応全部わかるはずの集英社版『世界文学事典』で「グロテスク」の項を調べて一驚を喫したことがある。それが地下宮殿に由来し、その宮殿の壁を飾っていた唐草模様の絵柄を呼ぶ名となった、といった語源縁起からはじめて、そういうデザインに対応した文学になら、たとえばラブレーあり、ゲルデロードあり、安倍公房ありといったようなことを、1960年代の「グロテスク」研究ブームの中で一応頭に入れていたわけだが、問題の大事典の「グロテスク」の項は、ラブレーも何も吹っ飛ばして、ひたすらポーランドをはじめとする東中欧の混沌と倒錯という現代文化の一局面のみ概説している。グロテスク観念をもっぱらドイツ・ロマン派の専売特許にしようとしたヴォルフガング・カイザー『グロテスクなもの』(1957。ホッケの『迷宮としての世界』と同年だ!)すら、形無しの体である。東中欧精神史が必要だ。

グロテスク観念と表裏にあるマニエリスムにしてからが、その観念を発見し、16世紀と20世紀を繋ぐ<乗数>とする契機をつくったのは、マックス・ドヴォルザークの『精神史としての美術史』(1924)であり、『ホガース』や『フュッスリ研究』を通してのフレデリック・アンタルのマニエリスム研究であり、そしてマニエリスムの芸術社会学を一手に引き受けたアルノルト・ハウザー。皆ハンガリーとかルーマニアとかの人間である。

もっと有名どころでは、まさしくグロテスクなシェイクスピア像を照射して20世紀後半演劇をアングラ劇場に変えたポーランド人、ヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』があり、そしてそういうシェイクスピアを20世紀不条理演劇と繋ぐその繋ぎ目にキャロルを配したハンガリー人、マーティン・エスリンの『不条理の演劇』を忘れることができない。皆1960年代に書かれ、ほんの少しのラグで日本語になっていった。

この身体と混沌に深くなじむ諸観念をたぶんグローバルに混ぜ合い駆使できた1960年代の相貌を、デジタリティの中にどうやって回復できるかに、凋落のみ言われる21世紀人文学蘇生の大ヒントがあり、そしてその中での<東中欧>マインドの果たした巨大な役割があるのだと思う。そう、ジョナス・メカスだって、いる。

ビデオ『妄想の限りなき増殖』中に「プラハからのものがたり」という短篇がある、ジェイムズ・マーシュ監督。ヤン・コットの『わたしの生涯』そのまま、ヒトラーとの悪戦、スターリンとの抗争、共産主義独裁と「プラハの春」・・・と、まさしく世界史的な政治的抑圧の時代を、ヤン・シュヴァンクマイエル(1934-)が経験し、その中でいかにシュルレアリスムがプラハに生ぜざるを得なかったか、そして「魔のプラハ」(アンジェロ・リッペリーノ)ではそれがいかにアルチンボルドのマニエリスムに遡らざるを得なかったかが、シュヴァンクマイエル自伝とないまぜに語られる。バルトルシャイティスもそうだったが、東中欧人文主義の異様な博識ぶりとは何かを、『シュヴァンクマイエルの世界』『シュヴァンクマイエルの博物館』(いずれも国書刊行会)の鮮烈なページを繰って考えよう。博学が可能にする混淆。それが即ちシュルレアリスムをマニエリスム直系の裔(すえ)としている。

天才アニメ監督による『アリス』は、キャロル原作の地下にグロッタ(洞窟)とヴンダーカンマーのマニエリスムを見せようとした。そのアニメから動きを奪うはずの今回の紙の上のアリス挿画の世界。マックス・エルンスト真似のコラージュの<静>を、下手ウマな動物たちの粗描きデッサンの<動>がアニメートさせる。そう、それ即ち“animation”の根本義に他ならない。本とビデオを往復すべき珍しい読書体験をすべし。


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2007年07月24日

『体位の文化史』 アンナ・アルテール、ペリーヌ・シェルシェーヴ[著] 藤田真利子、山本規雄[訳](作品社)

体位の文化史 →bookwebで購入

「エロティックなサーカス」の俗流マニエリスム

「古今東西の性典や史料を蒐集し、すべての体位と性技の歴史を辿った、世界初の“体位の文化史”」と帯に謳われては、「文化史」の権威と呼ばれるぼくとしては、この一冊、目を通さずにはすまない。『ヴァギナの文化史』『ペニスの文化史』『お尻とその穴の文化史』 を既に入れた作品社「異端と逸脱の文化史」叢書(?)の新刊となれば、是非にも読みたい。

ロミの『悪食大全』『おなら大全』『でぶ大全』 を高遠弘美の抱腹絶倒訳で入れたこの叢書は、さらに石川弘義『マスタベーションの歴史』だの、ジョルジュ・ヴィガレロ『強姦の歴史』だの、この『体位の文化史』の直前には、ロベール・ミュッシャンブレ『オルガスムの歴史』だの、どこまで行けば気がすむのといいたくなるほどのセレクションで此方を喜ばせてくれる。そのほとんどに手を付けて、なかなか達者な文体で笑わせてくれる訳者、藤田真利子氏と、編集の内田眞人氏の、よくもこんな疲れるテーマで頑張りが続くねと、労を多としたい。原書にない閨房秘技の解説書、『フランスの聖職者に捧げる愛の四十手』(18世紀末)を入れ、『鴛鴦閨房秘考』など「参照して」江戸の「四十八手秘戯」図解をまとめた「付録」は訳者・編集者の創意らしく、原書より威力倍増である。

テーマがテーマだから「訳者あとがき」が面白い。「動作を文章で説明するというのは、なかなかにたいへん」とあり、「図解し、自分の手足を動かし」とあるのには、そうだろうそうだろうと共感しつつ微苦笑したが、だから当然、本自体にも300の図版が溢れる。

本体は、「宣教師」の体位(いわゆる正常位)から、「牡のグレーハウンド犬」の体位(後背位)、フェラチオ、クンニリングス、ソワサント・ヌフ、獣姦、「ヘクトルの馬」(騎乗位)・・・と型通りに並んで、同性愛や自慰といった体位プロパーより少し社会学寄りのテーマにも広がり、最後は体位なき生殖としての「クローン」という「恐怖のシナリオ」の味気なさや危険を訴え、そうした「生物学の奴隷にされている状態を脱するために、われわれは、ふたたび<体位の文化史>をひもとくべきだ」という主張で締める。普通だったら気が散って仕様がないほど不埒に「挿入」される図版が少しも苦にならないのは、「動作」を「文章で説明」しにくいこの本の性格上、仕方のないことなのである。

「異端と逸脱の文化史」一般にいえることだが、フランスのアカデミーの人文・社会系の最先端の人間が人類の最低(最底)の「肉体的物質的基層」(M・バフチーン)をどう扱うかの妙味がある。たとえば『オルガスムの歴史』のミュッシャンブレはアナル派(といっても、あちらのアナルではない!)ばりばりのミクロ歴史家。「感性歴史派」が感性の中の感性(「感じる~う!」)に「口を挿んだ」!わけだ。『体位の文化史』のアンナ・アルテールは天体物理学博士号を持つ『マリアンヌ』誌科学技術部部長、共著のペリーヌ・シェルシェーヴは同誌社会部部長というから、淡々としつつ、随所のユーモアも悠々たる読者サーヴィス、読みものとしても面白いし、雑談のトリヴィアねたとしても格好である。正常位を「ミッショナリー・ポジション(宣教師の体位)」と呼ぶことの理由がよくわかった。ブラックアフリカの野蛮を宣教を口実に制圧していった「驚異と占有」(S・グリーンブラット)戦略そのものの名だったのだ。

洞窟壁画をめぐる「古人類学の正教授」の御託宣は何だか「芸術人類学者」中沢新一の口調で面白いし、繰り返されるフランス国立人口統計学研究所その他の統計数値、「オートミクシス」「アポミクシス」(おわかり?)といった「生殖」の生物学の用語で語られるところに、愛の国フランスが一方で啓蒙主義の母国であることに思い当たって、おかしい。愛の国がそれらしくなったのは1968年のいわゆるパリ五月革命以降という話には驚かされた。シャンソニエ、セルジュ・ゲンズブールの「69年はエロな年」、さがして聴いてみよう。

しかし、「体位もの」なればこその面白さは、やっぱり体位というものの持つ「アルス・コンビナトリア(組合せ術)」としての性格に尽きるだろう。サド侯爵の「電報のような文体」が「四人の道楽者と四十二人の淫楽のなぶり者」が順列組合せを次々織りなしながらからみ合う『ソドムの百二十日』は、澁澤龍彦の名篇「愛の植物学」(『思考の紋章学』河出文庫に収録)が示したように、組合せの倦怠を新たな組合せ(人と人、器官と器官の)で突破していくクールなマニエリスム以外の何か。禁句を別の語でどんどん言い換える隠語の百態が本書の魅力だが、それって直截にマニエリスムの修辞法だろうし、「トリオリズム」(3P、4P・・・)の、人が性器で人と繋がっている図版はマニエリスム得意の「蛇状曲線」でしかない。

想像通り、体位類型学は最後に「アクロバティックな体位」「突飛なる体位」に行き着く。こういう「ラヴ・ホ」文化が16世紀マニエリスム(マルカントーニオ)の版画 『イ・モーディ(体位集)』 の末裔たることを、こともあろうにプリンストン大学出版局から出た Bette Talvacchia, "Taking Positions : On the Erotic in Renaissance Culture"(1999)によって、ぼくらは知っているが、実はそこいらのコンビニに月毎に並ぶ『ビデオボーイ』だ『URECCO』だのの紙面に溢れるのが、この俗流マニエリスムの編集感覚だと思い知るべきかもしれない。

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2007年07月20日

『モスラの精神史』小野俊太郎(講談社現代新書)

モスラの精神史 →bookwebで購入

人的交流というメタモルフォーゼ

近時、これほど驚き入った本はない。新書なのに戦後日本の政治と文化の関係を考えるエッセンスを余さず凝集してみせようという覇気が凄いが、それを映画銀幕に飛翔した一匹の巨大蛾の意味論をもって語り尽くそうという野心がさらに凄い。大成功している。表題にいう「精神史」は、厳密にいえば、ドイツ観念論由来のなかなか難しく、また一般の史学から受け入れられていない批評の方法ないし感覚なのだが、それが文化史と結びついてでき上がる、いま人文学で一番面白く豊穣な局面たりうることを、何よりもこの小さな大著がこうして現に目の前で立証している、と感じる。

都市を破壊する巨大な蛾を思いついた原作者たちの脳裡に生まれたものを、著者はしきりに「奇想」というが、この書そのものが批評的奇想に満ちたマニエリスム感覚いっぱいの仕事なので、マニエリスム好きのこの書評読者に、マニエリスムが批評的に発動するとこういう仕事になるというなかなか華麗な例として、とりあげてみた。

怪獣映画の名作『モスラ』を、ぼくなど中一か中二で観た。団塊世代は小学生時代を通して黒白の陰惨なゴジラ映画、翼竜の破壊獣ラドン、そして「総天然色」巨大画面のモスラを一系列として体験したわけだが、この頃の、伴走してくれる批評というものがあるわけでなし、ただ何とはなしのノスタルジーで思い起こす以上のものではない。だから、中沢新一の「ゴジラの来迎」や長山靖生による怪獣が何故「南洋」から来るのかを説くエッセーには、心からびっくりした。『幻想文学』誌の「ロストワールド文学館」特集以来、恐竜をめぐる文化論が可能という斬新な方向があることは知っていたが、そこいらの穴が小野氏の新刊で一挙に埋まったという感じがする。

モスラがモス(蛾)という英語から来たと知って驚くようなことでは、その先が大変だ。南洋インファント島に、水爆実験下、赤いジュースの効力で元気に暮らせている人間たちがいると聞いて探検隊が行くが、唯一女性の花村ミチが、華村美智子とイメージできさえすれば、これが60年安保で命を落とした樺美智子を隠した暗号であることくらい自明だと指摘されて、驚くほかない。文学をまず暗号として解けという遊び心満点の――とは完全にマニエリスム的な――脱構築批評に著者が一時どっぷりだったことを知るぼくなど、思わずニッコリ微苦笑してしまうが、どっこい1961年、60年安保闘争の翌年というタイミングで封切られた『モスラ』の究極の意義を、日米安保条約と地位協定、沖縄をめぐる政治情勢を突く非情に政治的な映画であるという一点に求める揺るがぬ視点に立つと、花村ミチは当然のように樺美智子でしかなくなるのである。さまざまな批評方法の遊びが怪獣のカルチュラル・スタディーズとして立ち上る――というか、蛾だけに舞い上る――プロセスを楽しめる。

何よりも驚いたのは、子供向け怪獣映画『モスラ』に堂々の原作があり、しかもそれを書いたのが戦後「純」文学を代表する中村真一郎、福永武彦、堀田善衛のトリオであったということだ。低迷する文学の現状打破、文学と大衆文化の繋がりの模索という前衛的な文学実験であった原作は、そのことも反映して、メタモルフォーゼ(旧套からの変容、と同時に主役の巨蛾が幼虫からサナギになり成虫と化す、いわゆる「変態」をも指す)テーマの奇作となった。

これにシナリオ作者・関沢新一が係わり、本多猪四郎、円谷英ニという映画サイドの人間が係わり、作曲家・古関裕而が係わり、フランキー堺やジェリー伊藤(つい先日他界。祈御冥福。低い渋い声と歌声の大ファンだった)といった怪優が係わる。東宝としての思惑だの、東宝(これが東京宝塚劇場の略だと今回初めて知った!)の持つ歌や踊りのレパートリーという財産だのが絡まって、「シナリオ作成と編集の過程で」原作がどんどんスペクタクルに変えられていく、原作歪曲の「変態」ぶりへの分析が主軸。この軸のめざすものは「50年代から60年代が持っていた人的つながりに由来する豊穣な生産力」への絶対的賛美である。関係者一人一人が、南方戦略への応召だの、飛行機好きだの、それぞれの人生の特徴をどこかで『モスラ』の変態に反映させているという。そうした「少なからぬ因縁」の大糸細絲を次々たぐりにたぐる小野その人の、文化批評家としての急速なメタモルフォーゼに感動した。氏が大いに依拠する長山靖生や、ひょっとして鬼才・井上章一の域に確実に迫りつつある。

なぜ蛾なのかを日本養蚕業の古層と「女工哀史」と結びつけ、モスラを中島飛行場や国産プロペラ機開発史と結びつけ、関沢新一と宮崎駿との隠れた関係を追うことで『風の谷のナウシカ』のオーム(王蟲)がモスラの末裔だといい切る。「溶ける」「並べる」が小野批評のキーワードのようだが、異物結合による認識開眼をマニエリスムというなら、ここにあるのは近時稀な批評的マニエリスムといわいで何というのだろう。胸、すいた。

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2007年07月17日

『レンブラントのコレクション-自己成型への挑戦』尾崎彰宏(三元社)

レンブラントのコレクション-自己成型への挑戦 →bookwebで購入

サムライの兜をレンブラントが描いた秘密

アインシュタインの再来といわれながら東大全共闘議長ゆえ野に在る傑物、山本義隆の前著『磁力と重力の発見』(〈1〉古代・中世〈2〉ルネサンス〈3〉近代の始まり)を読んで、もし野になければ不可欠の一作、エレーヌ・テュゼの『宇宙と想像力』を読めていただろうにと思ったが、強烈第二弾、『十六世紀文化革命』(〈1〉〈2〉)を読んで、やはり、たとえばエウジェニオ・バッティスティの『反ルネサンス』を読めていればと望蜀のあじきなき思いにかられた。冶金だの機械学だの解剖学だの「十六世紀文化革命」の過半を「マニエリスム」の名で掘り起こし称揚する動きは、2007年の今、独仏伊のアカデミーでは(やっとのことだが)市民権を獲得しつつあるからだ。残念、日本ではこの点、学界も在野も等しく、怖ろしく鈍感。山本氏が在野であることを惜しむこともなく、在野での研究がむしろインターネットという巷の強力アカデミーを通して盛んになっていけばよいかと思う。科学史、もっと興隆してほしい。

物の生産と流通が文化の中で占めるウェートからすれば、16世紀はたぶん我々が迎えたばかりの世紀にも匹敵する。イエズス会の活躍のように布教ひとつとっても合言葉はグローバリズムである。市場経済は辟遠のオリエントまで含み、かくてマニエリストたち愛好の「驚異」も中南米征圧の「占有」の経済戦略とぴったり表裏の関係にある。幼児退行的自閉症(16世紀のオタクっ!)のようにいわれるマニエリスムのコレクター貴族たちが偏愛したオブジェも、天然もの(naturalia)は東方交易と異文化征服から、人工もの(artificilia)は台頭中の鉱工業から提供されたものでしかない。こうしてマニエリスムも澁澤龍彦という在野の象徴的存在が「気質」や「趣味」に引きつけて語っていた段階から、1990年代以降一挙に、新歴史学やカルチュラル・スタディーズが一番得意とするテーマにと変わっていく。

スティーヴン・グリーンブラットの『驚異と占有』 "Marvelous Possessions : The Wonder of the New World"(1991;Hardcover1992;Paperback)さまさまといってよい転換だが、アーノルド・ハウザーの名著『芸術と文学の社会史』"Sozialgeschichte der Kunst und Literatur"(1951)が相当前に実はやっていたマニエリスムの社会学・経済学ではないだろうか。テュゼの本も、バッティスティの本も、実は1960年代の仕事。マニエリスム機械学という点では、ジャック・ブースケの『マニエリスム美術』(1964)が既に要点はすっかり押さえていたのを知らない者のみが、マンリオ・ブルーサティン『驚異のアルテ』(1986)が「ヴェネツィアの造船蔽」をマニエリスムと呼ぶ視点を奇異と観ずるだけだ(『ユリイカ』1995年2月「マニエリスムの現在」中に訳載)。要するに「十六世紀文化革命」としてのマニエリスム観が本邦にはずっと絶無だった。たとえば「驚異博物室」一点に集中することでそれを言い続けてきたぼくは、完全に異端扱いで来た。

もうひとつは、フーコー表象学の目で、そうした16世紀から17世紀にかけてモノの流通を象徴する代表的文化となったオランダないしフランドルの視覚文化を記述し直すこと。要するに江戸時代、我が国が唯一公的に相手にできた地域の文化への評価が、どうやら1980年代から大きく変わりつつあることの実感が、此方にないらしいのだ。S・アルパースの『描写の芸術』 "The Art of Describing"(1983;Hardcover1984;Paperback)邦訳を昵懇のありな書房からプロデュースした時の邦訳者の反応の鈍さに驚いた。アントウェルペンやハールレムに猖獗したフランドル独自のマニエリスムをフーコー/アルパースの表象論に繋げられる目線の人間がいないのだ。ぼくは、タイモン・スクリーチという英蘭日文化的三角貿易を研究しようという異才を発見、早速「改造」に乗り出した(!?)

尾崎彰宏の存在を知ったのは、テーマからということもあり、氏の『レンブラントのコレクション』による。副題に「自己成型への挑戦」とあって自明のように、グリーンブラットの自己成型論に乗る形で、誰よりも自画像をたくさん残したことで有名なレンブラントの自画像にたどることのできる自己成型を見る。有名な議論なので、その限りでは特筆に値することもないが、何しろすばらしいのはコレクション論である。

ぼく自身、上述のようなオランダ美術研究学界のスローモーにいらいらし、ちょうど河出書房新社創立120周年というタイミングとレンブラント生誕四百年記念の年(2006)が重なったこともあって、サイモン・シャーマの『レンブラントの目』を邦訳し始めていたが、レンブラントがコレクターとして大変貪欲で、かなり充実した。芸術品貯蔵室を所有しており、そこに収集した絵やモノに取材して絵画制作をした経緯を面白く書いてある。ルーベンスについては1989年にJ・M・ミュラーの蒐集家ルーベンス論があるが、肝心のレンブラントについては、と探したら、尾崎彰宏の決定書が見つかった。収蔵品一覧が有難い。「表象の古典主義時代」(フーコー)の「蒐集」をテーマにぼくの行ってきた述作や訳業が無駄でなかったことをその書誌注に確認して、ぼくは非常に嬉しかった。レンブラントが「不一致の一致」の隠秘哲学を絵画表現したとするラルセン『風景画家レンブラント』(法政大学出版局)の訳者、尾崎彰宏は間違いなく「精神史としての美術史」派であるらしい。らしいなどと言いながら、秀才ポール・バロルスキーの『とめどなく笑う』(ありな書房)の続巻として、彼の『庭園の牧神』(ありな書房)を邦訳する時、尾崎氏をちゃんと充ててもいたわけで、流石だね、と我ながらおかしい。

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2007年07月13日

『自然の占有-ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』 ポーラ・フィンドレン[著] 伊藤博明、石井朗[訳] (ありな書房)

自然の占有 →bookwebで購入

英語でキルヒャー

「驚異の部屋」は基本的に珍物(curiosities)蒐集に凝りあげる好奇心の問題だから、研究書は自ずからカラー図版満載の美麗書となる。かつて平凡社の記念出版で、ほとんどコスト無視してエリーザベト・シャイヒャーの『驚異の部屋』が訳された時には、それで驚かされた。今ひょっとして手に入りそうなものでいえば、パトリック・モリエス(Patrick Mauriès)の"Cabinets de curiosités"(Gallimard, 2002)。ぼくは英訳で眺めたが、大型本全巻フル・カラーは一寸した偉容というか、まさに異様で、ヴンダーカンマーに対する認識を少し変えさせられた気さえした。こういうことを平気でやってのけるガリマールだから、入門書レヴェルでもパトリシア・ファルギュイエールの美麗マニエリスム書をちゃんと出す

大著『マニエリスト』("Maniéristes")を出したらすぐ、今度は偏倚な博学デザイナー、東京にも店を出しているピエロ・フォルナセッティをめぐる超美麗書"Fornasetti : Designer of Dreams (Piero Fornasetti) "を出したモリエスの評価が、日本では低過ぎる。スティーヴン・キャラウェイの『バロック! バロック!』が現代服飾モードのバロック性を言って説得的だったように、大都会のモード万般のマニエリスム性を突くこういう仕事が全然紹介されないから、今サブカルチャーを一番「文化的に」高く評価しうる視点が少しも育たない。

その対極で、「驚異の部屋」論はアカデミーの中には入ってきた。マニエリスム美術論として入ってきたが、1970年代末にはもうほとんど忘れ去られている(日本では、だ)。それが他者征服の文化装置を批判、という形で、今度はカルチュラル・スタディ化した。それがスティーヴン・グリーンブラットの、それはそれで画期的な『驚異と占有』"Marvelous Possessions : The Wonder of the New World"(1991;Hardcover1992;Paperback)だったわけである。新人文学最前線だ。

ポーラ・フィンドレンの『自然の占有』"Possessing Nature : Museums, Collecting, and Scientific Culture in Early Modern Italy"(1994;Hardcover1996;Paperback)は、刊行タイミングからみても第一タイトルからしても、このグリーンブラットの名作の衝撃波の産物であることは間違いないが、「驚異の部屋」プロパーに近いということでは、フィンドレンの本の方が徹底していて貴重だ。蒐集を「嗜(たしな)み」とした貴族階級の感性の歴史学、ないし社会統計学ということで、その限りではクシシトフ・ポミアン『コレクション』"Collectionneurs, amateurs et curieux, Paris, Venise : XVIe-XVIIIe siècle"(英訳 1990、邦訳 平凡社)の影響下にあると言えるかもしれない。

そして16世紀のマニエリスム世界そのものの反映だった、マクロコスモスをそっくり凝集する「驚異の部屋」が17世紀末にはゆっくりと合理的知性の反映物に変えられていくという大括りの図式は、もはや予定調和と言うべきかもしれない。なにしろ大部である、わざわざ貴重な時間をとられるのもいやだなあと思いながらパラパラやったのが運の尽き、一読魅了という体(てい)となった。

主人公が二人いて、二人の具体的な驚異の部屋のたどった運命の物語が面白過ぎるのである。アタナシウス・キルヒャーとアルドルヴァンディ。我々はキルヒャーの名をまさしく澁澤の『夢の宇宙誌』(1964、現在 河出文庫)で知り、ホッケの『迷宮としての世界』の種村訳(1966)で知った。ジョスリン・ゴドウィンのキルヒャー伝『キルヒャーの世界図鑑』(工作舎)も読めた。マニエリスムとキルヒャーについては1960年代日本の感性アンテナは鋭いものがあったと改めて驚く。何故かと言えば、英語圏がマニエリスムを自由に論じるようになるのは1990年代以降のことだからである。そのほとんど第一号がポーラ・フィンドレンの『自然の占有』であり、ごく最近も『アタナシウス・キルヒャー』と号する大型論叢が出て、英語なので欣喜して入手したら、覿面に編者はポーラ・フィンドレンであった。新人文学の風。時代は面白くなる。

アタナシウス・キルヒャーは17世紀ドイツのイエズス会学僧である。ブッキッシュに各国語をマスターし続けた博言趣味を活かして、オリエント文物をヨーロッパに紹介し、中国に入ったキリスト教(景教)の碑文まで解読した。教会の人間だから自然の中に神の摂理を見ようという自然神学の本であるはずのところ、図満載の厖大な著作には自然そのものに対する好奇心が独走し始めているような時代の勢いが満ち満ちている。きっと荒俣宏がイエズス会士ならこうなんだろうな。『迷宮としての世界』の名訳者はキルヒャーの業績に対して「百学連環」の訳語を当てたし、「八宗兼学」の訳語をひねりだしたが、イエズス会士だったからである。もう一人のアルドロヴァンディについては荒俣宏によって、同類のショイヒツァーと一緒に我々は教わった。

アルドロヴァンディ、キルヒャー、ショイヒツァー、そして(『プロトガエア』を著した博物学者としての)ライプニッツを、英米圏のアカデミシャンが当たり前のようにこなし始めた。一旦点火されればとことんやる世界だけに面白くなる。代表選手はバーバラ・M・スタフォード。今年2007年を彼女の年にするつもりで、フィンドレンはその絶好の先駆けだ。

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2007年07月10日

『先生とわたし』四方田犬彦(新潮社)

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由良君美という「敗者の精神史」

もう60冊は簡単に越えているのだろうか、四方田犬彦氏の仕事には無条件に脱帽してきた。とにかくアクチュアルであることに憑かれてパレスチナへ、クロアチアへ、韓国へと飛ぶ。どこまで知っているのかという博読ぶりにも驚くが、だから現地ルポがルポルタージュに終るはずもない。過激な政治的スタイルで文章が荒れる虞(おそ)れなどなく、『摩滅の賦』を頂点とする、澁澤龍彦ぶりの小さな対象へ感入していく微細玄妙の感覚と文体を放すこともない。つい先日も阿部嘉昭氏が『摩滅の賦』収中の「オパールの盲目」の精緻を激賞していたが(『d/SIGN』14号)、本当に主題の自在、観察の巨細、驚くばかりで、ぼくは実は世間的に言えば氏の「先輩」ということになるが、この「後輩」にはずっと頭が上がらないで今日に至っている。

中でも特別の才と感じるのが、『モロッコ流謫』に極まる評伝の書き方であり、それを巧く融かしこんだ(山口昌男氏のいわゆる)歴史人類学そのものを四方田風に発明し直した『月島物語』のデータ処理の経済と巧妙である。

それが、また一段と直接、一段ともの凄い相手を選んで繰り展げられたのが、『先生とわたし』である。著者の自伝『ハイスクール 1968』に続く時代をめぐる「自伝」第二弾という位置付けにもなる。東大入学を果たした四方田青年は、駒場キャンパス1970年代に伝説として残る「由良ゼミ」に難関突破して入る。まずはこの時の講義ノートを改めてめくりながら、四十代、脂の乗り始めた若き天才英文学者の年毎に新たなゼミの、びっくりするように斬新なテーマの紹介と、ゼミの様子を述べる冒頭に、同世代の脱領域・脱構築(両語とも由良氏発明の訳語だ)をキーワードに、ひょっとしたら沈殿する人文・社会科学に面白そうな明日が開けるかとワクワクしていた気分を多少とも知る団塊と、団塊直下の世代は、結構胸を熱くするかもしれない。構造主義的民話・物語分析があり、マニエリスムがあり、かと思えば気の利いた学生が調達してきたフィルムの実写を伴うドイツ表現主義映画の分析あり、つげ義春ほかの漫画の記号論的分析あり、学生の発表を悠然とダンヒルをくゆらせながら聴く美男ダンディ由良君美(きみよし)の姿が、まるで眼前にホーフツする。エルンスト・ブロッホを読み、ミルチャ・エリアーデを講じるこのゼミとは、つまるところ、1960年代後半から約十年強続いた「学問の陳立ての再編」(由良氏自身の言葉)の大きな――しかし改革を迫られていた大学が巧妙にやり過ごした――うねりの余りにも見事な縮図であることを、このどきどきする百何十ページかをめくりながら改めて再認識した。

教育や出版のポイントの所にこういう人々がいて、それが巧く連関し合ってこそムーヴメントになる。そういう瞬間を絶妙に切りだしてひとつの物語にする醍醐味を歴史人類学(山口昌男)と言い、ぼくなら知識関係論と呼ぶのだが、この本の魅力は、こうして学生とのつき合いで、また優秀なエディトリアル感覚の人間との交渉で、由良君美が時代の寵児となっていったトータルな脈路を絶妙にあぶりだしてくれている点で、特に当時、そこから出た本をぼくなど無条件で全点購入したせりか書房や現代思潮社その他の背後に「暗躍」した知的企画人、久保覚の存在をクローズアップしたのは、読書人たち全体に対する四方田発の熱いメッセージ。素晴らしい。

やがて由良君美(1929・2・13~1990・8・9)という英文学者の出自とつくられ方がたどられる。ぼくも取材を受けたが、目の前で進む四方田氏の質問の巧さと、メモの要領良さには感心させられた。こうして由良家存命の血縁者をも含む多くのインタヴューと資料の山から、由良家が「南朝の遺臣の血を引く」「神官の家系」であり、母方の吉田家は「代々幕府に仕えた教育者」の家系であって、その一人が「福沢諭吉の盟友」でもあればこそ、由良君美の慶應義塾との相性の良さもわかる、とかとか、びっくりするような脈路が見えてくる。由良の父、由良哲次のことが面白い。ハイデガーやディルタイ、カッシーラのドイツに留学しながら、やがてナチズムに傾倒していったこの父親の圧倒的影響力に対するアンビヴァレンツとして、由良君美のダンディズムの裏に貼りつく非情や奇癖奇行が説明されていく。説得力がある。同年生れのジョージ・スタイナーへの異様な共感も「父からの解放」という物語で解明される。由良ゼミで北畠親房『神皇正統記』を読まされた不可思議が、こうして謎解きされる。

良き弟子へのこの良き師の一発の鉄拳で袂別が訪れる。外国へ出たことがなく、客観的に自分と日本を見る展望を持ち損ねた師が老いを迎えて、新時代の潮流に身をさらし、英語もイタリア語も韓国事情も自由自在という弟子に「嫉妬」という物語では、わかりすぎて少々艶消しで、師弟というものをめぐる山折哲雄の深い思索への目配りが救いだ。由良の弟子の一人として、複雑な思いではあるが、よくぞ書いてくれました。「さながら悪魔祓いのように」、と四方田は記している。

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2007年07月06日

『断片からの世界-美術稿集成』種村季弘(平凡社)

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種村季弘の「散りつつ充ちる」

澁澤龍彦の蔵書目録が故人のエッセンスなのかもしれない。引用とアンソロジーが全てと御本人が仰有っていた通り、書名のみずらりと並び続けていくのを、読み手がたどりつつ自分なりにさまざまな脈路をつけて、自分なりの「澁澤」をつくりあげていく作業自体が即ち澁澤世界だから、である。

澁澤蔵書のさらに数倍も大変であるにちがいないが、たとえば山口昌男蔵書目録完成の暁にも、似たようなことが起こるだろう。厖大な相手を精査したあと、澁澤なら「魔的なものの復活」ただ一篇に収斂するように、山口なら有名な「失われた世界の復権」に帰着するだろうという、なんだかネオプラトニックな読書のエマナチオといったあり方も二人よく似ていて、面白い。「魔的なものの復活」を書かせた「H氏」とは間違いなく林達夫であろうし、山口エッセーの背後にも「チェチェローネ」林達夫の「精神史」がある。

そういえば、「現代思想」全般を毛嫌いし、「パラダイム変換」という時代流行語を嘲っていた澁澤が、ではパラダイム論の急先鋒の感のあった山口昌男を嫌いかと思えば、蔵書目録を見て明らかのごとくに、17点といえば断然多い方で、要するにロジェ・カイヨワやミルチャ・エリアーデを読むように、フォションやシャステルを読むように、引用とアンソロジーの術(アルテ)において互角の相手のアネクドータル、というか話すること自体、楽しくてたまらんという語り口を楽しむ中に、山口昌男を数えていたということで、至極納得がいった。『書物の宇宙誌』を眺めて一番大きな印象を受けた点のひとつである。

筑摩書房の山口昌男著作集第一巻に改題を付けた今福龍太氏の山口学アンソロジー論はさすが山口山脈(山口組?)随一の気鋭の一文だが、そっくり澁澤の文業にも当てはまるものと見た。アカデミーにいようがいまいが、結局アカデミーの周縁より、そろそろ死に体(たい)のアカデミーを衝くという位置にいて、知がぶのみ中の若者のバイブルだった。

とまで記せば、種村季弘は?と問うのはごく自然の流れだろう。澁澤には礒崎純一あり、山口に川村伸秀あって、先達の所有した書の名までいちいち言えるのは驚きだが、種村に「種村季弘のウェブ・ラビリントス」というウェブサイトがあって、著作データを管理しているという噂を聞くだに、さもありなんと思う反面、ちがうなあと感じてしまうのが面白い。

これは鹿島茂に対して荒俣宏の持つスタンスとも思えて、なお面白い。古書の利用について荒俣が、読み終われば本のマーケットにもう一度投げ込むのが当然と言い放ち、現に厖大な本の離合と集散を氏が実践している現場をこの目で見てきた人間を心底驚駭させたのは、実際感動的ですらある。著作もう三百に近いと思わせる荒俣にしろ、百点は遺したはずの種村にしろ、その読んだ材料の仔細を別に知りたいとは思わない。捨て聖の風情が、好き嫌いはあろうが、ぼくには格が一段上のように思われる。体調を崩した山口氏の介護の人が、先生を書店に連れて行ったところが、「夢遊病者のような手つきで」次々と新刊に触れ、買っていくのに驚くと仰有っているのを聞いて、非常におかしかった。書痴書狼にだって、はっきり二種類あるか、と。

種村季弘のエッセンスとは何か。それぞれがひとつの世界を切り開き、地平を変えたという意味では、『怪物の解剖学』、『薔薇十字の魔法』、そして『壺中天奇聞』三点に尽きる。前二著、独訳成れば、そっくり「種村化」中の現下の「メディア革命」プロジェクトのドイツ人たちさえ改めて呆然という名作だろうし、ぼくなど安心して江戸・東京に相手をシフトできたのも『壺中天奇聞』一巻を懐に抱いてのことである。

しかし結局は、どの一冊、いやどの一文をとっても、種村ミニマル・エッセンシャルであるという印象が強い。この人に「全集」は合わない。翻訳まで「全集」として出た澁澤。二人、本当は根元的にちがう、とつくづく思うのだ。

死後まとまった何冊かのうちの一点、『断片からの世界』が良い。「外国人美術家について書いた単行本未収録作品による美術評論集」(「編集後記」)。書くもの全てに出てくるマニエリスムについて故人がプロパーに書いたものが少ない中、貴重なG・R・ホッケ邦訳二点の抜かりないあとがきを収め、西欧文化論をどう日本文化論にシフトするかの模範的実験となり得て、ぼく自信、『黒に染める』刊行の勇気をそこに汲んだ傑作、『みづゑ』全巻を通しての記念碑的一文、「伊藤若沖-物好きの集合論」を収めたという点だけでも、究極。狭隘な美術史家のいうマニエリスムと隔絶した今日に生きるマニエリスム・マインドにこそ関心ある読者には、これ一冊で旱天の慈雨だ。しかも種村氏の第二の「学問的」寄与たるノイエ・ザハリヒカイト(Neue Sachlichkeit [新即物主義])の一連の手堅い論もあり、1960年代同時代の仲間の仕事への熱いオマージュもある。種村エッセンス。しかも他人がつくったところが凄いのである。澁澤ではあり得ぬことだろう。

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2007年07月03日

『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』国書刊行会編集部(国書刊行会)

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もっとストイックなドラコニアをという欲ばり

そもそも2006年が読書好きにとってとんでもない「驚異の年」になったのは、松岡正剛『千夜千冊』(求龍堂)『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会)二点の刊行のせいである。貪欲な博読家松岡正剛が毎日毎日書きだめ、編集工学研究所の電子環境から数年がかりで発信したものに、千冊の区切りをつけて猛烈に加筆して巨大冊子体に変性せしめた異様な企画は、十万円にも手が届くものであるにもかかわらず、早々に重版した。

大企画は大企画ながら、故澁澤龍彦蔵書の目録は一万余点の書目の一覧表であって、一点一点がレヴュー・アーティクルとなっている『千夜千冊』と比べようがないが、1960年代から幾つか山を迎えつつ世紀末にいたるあたりの書物界について雄弁に証言してくれるという点では、両者何径庭も遜色もない。

澁澤邸書目は全体何のジャンルなのだろう。数年前、ぼくは以前書いた推理小説関係の文化史評論を『殺す・集める・読む』という一冊にまとめて、編集者ともども仲々の野心をこめて、幾つかの関係の章を狙ったことがあり、特に江戸川乱歩章狙いだったのを、『幻影の蔵-江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』にもっていかれた。乱歩の蔵書目録とあって、此方に勝目などあるはずはなかったにしろ、「批評」部門なのになぜ「目録」と同じ土俵で甲乙つけられるのかと、釈然としない。いろんな賞で全部次点に終った。

蔵書一覧て、そんなに面白いものなのか。たとえばかつて本狂いという伝説のあったぼく。図書館の司書まがいの仕事をしたこともあり、図書館派である。勿論、他の人間と異なる専門的分野の本は自分で蔵する他はなく、愛書家蔵書家一人前くらいの本は、別に一軒、床の頑丈な家をそのために借りたことはあるが、もともとためこむのに向いたたちでないらしく、その上に家内のごたごたや、子供たちにも空間を次々と宛がわないといけないという子沢山(愛書家には致命傷)の身ということもあって、新千年紀を越えたあたりからは、とにかく当面喫緊の本以外は買わないというばかりか、蔵書を解体し、多くは近所の公共図書館何館かに寄贈したり、売り払ったりした。

澁澤邸蔵書目録は、付録の、龍子未亡人による読み手としての故人の思い出話が爽やかで小気味よい。本と中身のことで神の如き記憶力を誇った澁澤氏が、日常生活の中では一人では何もできない「博士の愛した数式」状態であったという逸話の連続が、ささやかながら全く同族のぼくなどからみて、そうだそうだと、甚だ痛快なのだ。この思い出話で、澁澤氏が本を買うことにいかにストイックで、一旦買った本についてはいかに大事にし、どこに置いてあるか完全に把握していたかという話が、いかにもと感じられて実に面白かったが、ぼくが死んだ後、少なくとも二人の女が(複雑な事情あり)ぼくと本の付き合いについて、これときっと逆のことを言うのだろうと思って、ひとり苦笑してしまった。

若き日の澁澤氏の手元不如意はよく知られている。その頃読んだ本が、この目録にどう残っているのだろう。もうひとつの付録が、故人に一番近しかった松山俊太郎・巖谷國士両氏の対談で、これで印象的だったのは、書いているものの割に蔵書が少ない、というより、どこかでちらりと見た雑誌の片々たる記事といったものを巧みにつないで文章にすることが多かったのではないかという話である。この一万五千にも近い本や雑誌の集積が澁澤氏の書きものを支えたには違いないとしても、これがそのまま澁澤氏の書の趣味を反映しているともいい切れない。そこが残念。

痛烈なのは、知人(あるいは澁澤ファンにすぎないもの書き)からの寄贈本をチェックしマークを付けた工夫である(ぼくの本なども随分ぼくから送ったものである)。架蔵点数が一番多い三島由紀夫、中井英夫、埴谷雄高、種村季弘など、皆友人なので、互いに寄贈し合っている。だから寄贈のマークが付いていても澁澤偏愛の本はいっぱいあるわけなのだが、「ストイックな」澁澤氏が敢えて身銭は切らなかったであろう寄贈本も実は随分混じっている様子だ。一定量処分はしたということだが、本はもらったものでも大事にしたと龍子夫人の言葉にある。本当は一寸膨満気味な一覧表だ。

勿論、澁澤氏にとってぎりぎり大事な本と著者たちはすぐチェックできる。澁澤邸の本棚毎に書目を追う仕掛けだが、結構混沌たる部分があるのを、巻末の索引が救う。花田清輝や林達夫は全集があるのに、花田と仲が悪かった吉本隆明は果然少ない。熊楠や石川淳は全集が2セットもあるとか、蓮實重彦はあるのに柄谷行人は一点のみとか、中沢新一、四方田犬彦はあるのに浅田彰ゼロとか、フーコーやルフェーヴルはいっぱいあるのにデリダ皆無とか、澁澤趣味がよくわかって実に面白い。海野弘とかコリン・ウィルソンとか、猛烈な学知を巷へと開く書き手が好きだったようだ。

悲しむべき1987年8月(逝去)以前の一番娯しみ多かった読書界のエッセンス。それ以降の寄贈本一切排除という礒崎純一氏の編集方針や良し。
「創作ノート影印」には、撫でながら、はまった。

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