• 愛読者諸兄諸姉。週2回(火・金)ということで2007年5月にスタートしたぼくの書評ですが、近々100回目を迎えるところで一応決着ということにさせていただきます。

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  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ
    ―ぼくの中に貪婪の書評魔が帰ってきた―

    かつては一日に一冊読んだ。そして気に入ったものがあれば諸誌紙に週二、三冊は書評を載せてもらっていた。書評に名を借りた論文というスタイルで、よくものを書いた。読みについても魔と呼ばれ巧者と言われ、達人の名をたまわった。十年も前のことである。 長い長い中断が入った。

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  • 紀伊國屋創業80年記念・連続セミナー“9 days talk live”
    「学魔・高山宏、知の系譜と人文科学の未来を語る」
    2007/9/8(土) 13:00~15:40 新宿・紀伊國屋ホール
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2007年06月29日

『乾隆帝-その政治の図像学』中野美代子(文春新書)

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マニエリスト皇帝のテアトロクラシー

バルトルシャイティスの『アナモルフォーズ-光学魔術』は、加筆増補が行われなければ、明・清の中国宮廷における驚異の歪み鏡、歪曲遠近法の流行を記述したところで終っていたのである。こうだ。

とまれ表れ方の違いなど、大したことではない。どういう仕方でつくり出されたにしろ、反射光学的アナモルフォーズは、同じ星宿(シー)/空気(ニユ)のもと、いたる所に広がり、いたる所で繰り返される。超自然と現実が渾然と混り合った中国でも、当時、科学自体が一個の驚異(メルヴェイユ)とみなされていたヨーロッパでも、こうした驚異-機械が、人々の偏倚(へんい)なもの、驚くべきもの、不可能なものへの渇望に応じたのである。人々を魅了し、人々を娯しませ、自然の法則およびそれを支配する人工-虚構について思いをめぐらせるよう人々を誘ったのが、まさにこうした光学遊具なのである。それらはまた、現実を融解し歪めて、幻戯(イリュージョン)の世界に取りこんでしまう荒ぶる戦略を通じて、絵画の持つ力を逆説的に差し示し、絵というものの魔的(féerique)な本質を明らかにした。
(高山訳、pp.263-264)

いってみれば、これがあの伝説的名著の最後の一文。余韻が残る。是非にも読みたい、その先を!

間に宣教を任としつつ稀代のエンジニア、理系の天才でもあったイエズス会士たちが介在したことは、周知の如くである。その交渉の結果を少し面白すぎるほどに書いたジョナサン・スペンス『マテオ・リッチの記憶宮殿』(平凡社)の魅力は、いまだに薄れない。

バルトルシャイティスが引く、北京イエズス会布教会館中庭の壁上の混沌絵が、見る人の位置によってはっきりした像になったりならなかったりという典型的なアナモルフォーズを皇帝が見て喜んだとする記述は、デュ・アルド師の『支那帝国会誌』(1735)による。湯若望アダム・シャールの後任として北京天文台長、欽天監をつとめたイエズス会士、南懐仁フェルディナント・フェルビーストの記述によると、そうした天覧アナモルフォーズ企画で名を馳せたのは閔明我ことフィリッポ・マリア・グリマルディであるということなので、好奇心満々の皇帝とは即ち康熙帝のことらしい。

『アナモルフォーズ』一番の魅力は、大アカデミー中庭に文字通り百学が連環する所を描いたセバスチャン・ルクレールの寓意画、『美術・科学アカデミー』(1968)の仔細な分析にあるわけだが、北京イエズス会館がさぞかしそれそっくりであったものと想像されると、バルトルシャイティスに結ばれてみると、確かに「想像」の飛躍は果(はた)てもない。こうして火を点ぜられたまま放りだされる我々の想像力の不完全燃焼を十分に補ってくれたのが、間違いなく中野美代子『カスティリオーネの庭』(文藝春秋)だった。円明園造園を果たした郎世寧ジュゼッペ・カスティリオーネは、雍正、乾隆両帝の殊遇を得た銅版画と土木工学の名手である。

清の皇帝たちは何故こうも機械-マニエリストなのだろうかという興味は、とめどもなく掻きたてられるばかりである。それに「政治図像学」という観点を構えて全面的に答えてくれる逸品登場。それが『乾隆帝』である。

ぼくは江戸の光学趣味を追い、ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチの『大江戸視覚革命』(作品社)を訳す中に、光学狂いの乾隆帝の噂を知らぬ江戸識者などいなかったとあるその事情を、中野女史か、愛弟子武田雅哉氏のどちらかに尋ねようと思った。結局、武田氏から情報を得ることになったのだが、考えてみれば、そもそも『アナモルフォーズ』中の中国を論じた章に目通し願い、焦秉貞(しょうへいてい)の『耕織図』だの「透光鑑」をめぐるバルトルシャイティスの誤りを指摘していただいたのが、他ならぬ中野先生であったのだから、女史との交流もバルトルシャイティスが機縁である。

乾隆帝の自らと自らの為政に対するマニエリスム帝王らしい自意識と計算が「政治図像学」としての「絵」に読みとれるというのが、この小さな大著の眼目であるが、中野氏自ら訳された(共訳)ウー・ホンの『屏風のなかの壷中天-中国重屏図のたくらみ』(青土社)によってさらに洗練された観点であるに違いない。諸事情で一度宙に浮きかけたウー・ホン本実現のため、ぼくも奔走したが、そういうことの成果を一読者としてこうして享受できる、とかとか、女史との縁は思わず深い。

乾隆帝の「だまし絵」的アナモルフォーズ好きの解読が面白いし、円明園はじめ、そのつくりだした空間のいちいちに実現される帝の脳裡の政治-地勢図の解明は、長年の研究の成果の一切を図像解析に収斂せしめることに成功した東方の女バルトルシャイティスひとりに可能な自在無碍(むげ)の手練とみた。まさしく乾隆帝コードを解き続ける読みものとしても第一級の逸品ではあるし、遠近法や造園作庭といった術(アルテ)にこそ顕著な「空間政治学」(マルティン・ヴァールンケ)、「視覚改革の治世学」(タイモン・スクリーチ)の傑作である。

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2007年06月26日

『シェイクスピアのアナモルフォーズ』蒲池美鶴(研究社)

シェイクスピアのアナモルフォーズ →bookwebで購入

マニエリスム英文学を体感

敬愛する編集工学研究所所長、松岡正剛氏の話題の『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)を読んで、背景にミッシェル・セールのライプニッツ研究やジル・ドゥルーズの『襞』を置きながらバロックを先駆的「編集工学」として説くくだりで、ぼくも一昔前、神戸芸術大学大学院で同じような講義をしたことがあり、これが帝塚山学院大学の学生にどこまで理解されたかわからないが、とにかくバロック・マインドを高校生(17歳)に教えようという玄月松岡の意力には拍手を送りたい。

高校までで教わるバロックなど、教科書が一段とヴィジュアルになっただけの話で、理解のあり方そのものは、一昔前、二昔前と全然変わらず、相も変わらずヴィヴァルディのバロック、せいぜいでカラヴァッジョのバロック、音楽美術の一範疇としてのバロック以上のことは全然出ていない。松岡氏のように「関係の発見」の“arte”としてのバロックなんて、とてもとても。

「関係の発見」のための巨大な練習問題集として松岡氏が途方もない大年表『情報の歴史』(NTT出版)を出して、バブル頽唐期にしかありえない贅沢なショックで我々を驚倒せしめたのが、1990年。知も財もすべてが実体より「関係」にシフトし、つまり一文化全体が「バロック」化した。

『17歳・・・』で松岡氏自体、そのために「バロック」という旧套概念をブラッシュアップしてみるか、いっそ耳慣れない(高校生が絶対知らない)「マニエリスム」というキーワードを選ぶかで、一瞬躊躇しているあたりの呼吸が面白い。

高校の教科書にマニエリスムが出てくるとは考えにくいし、ミケランジェロをマニエリストと呼ぶとは書いてあるとしても、今きみの歩いている新宿だって立派に(ネオ)マニエリスムの空間なんだよ、という話なんかになるはずはない。しかし今、たとえば新宿を理解し享楽するに一番必要なのは、まさしく(ネオ)マニエリスム(ないしネオ・バロック)なのに、である。

精神の孤立と世界拡大(の噂)、その中での蒐集と仮装―これがバロック/マニエリスムの標識だとするなら、「アキバ」系なんて、別にある時代のある場所だけが専売特許みたいに威張るものでもない。電気がなかっただけで、16世紀末のプラハにも17世紀末のロンドンにも、いくらでもあった。マニエリスムという極端なハイカルチャーが俗化して現下のサブカルチャーとたいして違わないこの構造って何か、宮台真司を読んでも大塚英志を覗いても、全然教えてくれない。オマール・カラブレーゼやアンジェラ・ヌダリアヌスの過激なネオ・バロック論、翻訳進行の噂さえ聞かない。

マニエリスムには日本語の入門書がない。昔そう謳った新書一点あるも現在入手不可だし、やはりマニエリスムは「入門」という観念と合わない。ひとつあるとすれば、やはり大若桑みどり先生の『マニエリスム芸術論』(現在、ちくま学芸文庫)か。しかし16世紀から出ないオーソドックスなマニエリスム論(なんだか変)には違いない。

ぼくは、蒲池美鶴『シェイクスピアのアナモルフォーズ』(研究社出版)を推したい。マニエリスムがいかに何かを試みながら、それを自意識たっぷりに自分でも見つめながら進行するアートであるか、つまり、いかに鏡でしか比喩されない“reflexive”なアートであるかを、これだけ徹底して説得してくれる一冊は、洋書にだってそうおいそれとは、ない。マニエリスム入門とは、こういう自意識過剰な運動を理解し、共感共振できるかどうかということなのであって、別段XX年にどうしたこうしたという知識の問題ではないのだ。

遠近法的に世界を見せる技術は「理にかなった制作法」と呼ばれていた。それが実はいかに虚構であるかを批判的にあばく技術を、「アナモルフォーズ(anamorphose)」と呼んだ。簡単にいえば、ルネサンスの遠近法にマニエリストたちのアナモルフォーズが対峙した。ひとつ上の世代で一番開かれていた故川崎寿彦氏の『鏡のマニエリスム』(研究社)がチャートを描いた分野、それを蒲池氏が徹底的にやったのが本書。

正面から見るとわけ分からないもやもやの多色の塊が、横や斜めから見ると国王の肖像に見えてくる。一番有名なのはハンス・ホルバイン子の『大使たち』で、二人の外交官の足元に長細い謎の物体があって、横から見ると。これが骸骨。この種の騙し絵の流行が、まさしくイリュージョンどっぷりの世界たる演劇ジャンルに影響を与えなかったはずがなく、シェイクスピアやジョン・ウェブスターといったエリザベス朝・ジェイムズ朝の中心的劇作家が一様に、アナモルフォーズ的に現実が二重化している芝居を作り出した。

背景に薔薇十字結社の動きを配するといったマクロな次元でも斬新な本なのだが、具体的な詩行について、ひとつの文にふたつ以上の意味を析出する著者の有名な英語力に驚くほかない。サントリー学芸賞受賞作。名が示すように松田聖子の縁者だ。

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2007年06月22日

バルトルシャイティス著作集 1 『アベラシオン-形態の伝説をめぐる4つのエッセー』 J.バルトルシャイティス[著]種村季弘、巌谷國士[訳](国書刊行会)

アベラシオンアナモルフォーズイシス探求鏡

デザイン愛への誘惑者

極私的なことでいえば、今年2007年上半期最大の欣快事は、リトアニア出身の幻視家ユルギス・バルトルシャイティス(Jurgis Baltrušaitis)の『アベラシオン』および『イシス探求』が重版なり、久しぶりに、バルトルシャイティス著作集(全4巻)が揃って購え、揃って読めるようになったことである。

極私的というのは、後に企画魔とか知の総合商社とかいわれることになるぼくの最初の「企画もの」が、30になってすぐのこのバルトルシャイティス著作集だったからで、故澁澤龍彦氏の面晤の栄に浴すことができた初めてにして実は終りの唯一の機会を、この企画相談のための北鎌倉行きが恵んでくれたからである。当時国書刊行会にいた宮崎慶雄氏とつれだって鎌倉にお邪魔して夜っぴいての楽しい歓談の様子は、拙著『ブック・カーニヴァル』に懐しく綴ってある。本当に面白い人だった。

画期的といわれた「東西庭園譚」他、澁澤氏の文章のいたる所に顔を出すバルトルシャイティスという異様な名が気掛りでならず、手に入れた『アナモルフォーズ』の目次構成と溢れる図版のもの珍しいことに仰天し、そのどんぴしゃのタイミングで、某版元での澁澤監修バルトルシャイティス作品集企画が頓挫したという噂を聞いたぼくは、ぼくなりの腹案をもって澁澤氏と向い合ったのである。そうか、では『アナモルフォーズ』は君が、『イシス探求』は詩人学究の有田忠郎氏が適任だと澁澤氏はいい、『アベラシオン』を自分と種村[季弘]氏で、『幻想の中世』(Le Moyen Age fantastique : antiquités et exotismes dans l'art gothique)は辻佐保子氏でいこうと仰有った。そして、書き込みがあちこちにある貴重なバルトルシャイティス本を、コピーをとったら返してくれればよいからといって、若造二人にどんっと貸してくれた。

辻邦夫夫人はいかにも手堅い美術史家らしく、面白おかしそうな後のバルトルシャイティス本ばかりやるのは変だ、古代・中世の東中欧域の図像学を試みた初期の作品をこそと仰有って、バルトルシャイティスの<今>性をはっきり売ろうとしていたぼくの意図とはいきなりずれ、では人選を改めてといってのんびりしている間に、別の版元から『幻想の中世』が出てしまった。第一、やがて澁澤氏が他界されてしまい、企画自体腰くだけになりかかったところで、『アベラシオン』の独訳(Imaginare Realitaten, 1984)を入手、これを種村氏にプレゼントしたところで一挙に愁眉を開き、巖谷國士氏との夢のコンビの共訳なった。企画進行中の1978年に出た老大家の新刊『鏡』を、『幻想の中世』の代わりに入れることに決め、当時急に親しくなっていた才人美学者の谷川渥氏に頼んで、企画は体をなした。

遅れて却って良かったのは、1980年代に入って、大詩人イヴ・ボンヌフォワが監修してバルトルシャイティスを改めて世に出そうというガリマール社の「逸脱の遠近法」叢書が出たからである。ぼく担当の『アナモルフォーズ-光学魔術』(1984)に一番大きな増補が加わり、長い歪曲遠近法の歴史が中国の話で尻切れとんぼに終る感のあった旧版を一挙にジャン・コクトーや『セミネール』(1973)のジャック・ラカンへと開いた絶対不可欠な文章が出て、『アナモルフォーズ』は画竜点睛をとげた。

澁澤・種村ブームと俗称される映像的想像力に満ちた百学連環の知に決着のついた1990年を迎えてすぐのバルトルシャイティス著作集全4巻は、世界的にみても最高最良の幻想文学・文化論をつくりだした澁澤・種村両大人(うし)の文業にも画竜点睛をとげさせたものであるということが、監修者としてのささやかな誇りと自負である(勿論、澁澤氏亡き後にぼくに監修者を名乗る意力のあったはずはない)。心残りは『幻想の中世』の続巻たる『覚醒と驚異』を積み残したことで、後、親しい大仏教学者でオリエンタリズム研究の第一人者、彌永信美氏に頼んで平凡社刊をめざしたが、もうかなり経ってしまっている。

ロマン派を<学>として今日に媒介するゲーテの、<今>に生きるべき最大の業績は、形態学(morphologia)である。それは実は古代の学ないし術だったのを16世紀マニエリスムがロマン派に媒介したものだったことをバルトルシャイティスが明らかにした。だから同じ西欧月光派の精神史を循環史観として掘り起こそうとしたG・R・ホッケの『迷宮としての世界』(1957)の最有力の霊感源が『アベラシオン』(1955)や『アナモルフォーズ』(1957)であるのは当然なのだ。と書くだに、A.ブルトンの『魔術的芸術』(1957)を含め、1950年代後半に爆発したこのモルフォロジカルな知とは何だったのか。

動物に似る人の顔、聖像に似る石の模様、森に似るカトリック聖堂、そして楽園に似る18世紀ピクチャレスク庭園――「形態の伝説をめぐる4つのエッセー」と副題される『アベラシオン』を、デジタルを装う永遠の「類比・類推」の術(アルテ)たるべきデザインを愛する人たちに、改めてお奨めしよう。





バルトルシャイティス著作集

アベラシオンアナモルフォーズイシス探求鏡

  1. 『アベラシオン-形態の伝説をめぐる4つのエッセー』
    種村季弘・巌谷國士 訳
    ---“Aberrations : essai sur la légende des formes”

  2. 『アナモルフォーズ-光学魔術』
    高山宏 訳
    ---“Anamorphoses ou Thaumaturgus opticus”

  3. 『イシス探求-ある神話の伝承をめぐる試論』
    有田忠郎 訳
    ---“La quête d'Isis - essai sur la légende d'un mythe”

  4. 『鏡-科学的伝説についての試論、啓示・SF・まやかし』
    谷川渥 訳
    ---“Le miroir : essai sur une légende scientifique, révélations, science fiction et fallacies”


2007年06月19日

『猫はなぜ絞首台に登ったか』東ゆみこ(光文社新書)

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猫と新歴史学

大変象徴的な標題だが、フェリシティ・ナスボーム、ローラ・ブラウン共編の『新しい18世紀』という論叢が出たのが1987年。ジェンダーの逆転とか監獄改革とかをテーマにカルチャル・スタディーズから見た18世紀各局面の総覧を試みている。監獄改革といえば、いわゆるパノプティコン、一望監視の非人間的監獄のことを見られるのが、先般みんなに惜しまれつつ急逝された村山敏勝氏の訳で読めるD・A・ミラー『小説と警察』(国文社)であるが、そのような視点で肝心の18世紀を見るとどうなるのかという望みをかなえてくれたジョン・ベンダーの『想像の懲治監獄-18世紀英国における小説と精神‐建築』が、これも1987年。別にカルチャル・スタディーズに限るわけでもないのだが、とにかく18世紀研究がその辺で急速に「新しい」何かに見えてきた。

『新しい18世紀』に収められた12篇の論文中で、ゴシック小説『ユドルフォの謎』の「他者の幽霊化」を論じたテリー・キャッスル(Terry Castle)の斬新がひときわ目を惹いた。同じ1987年、18世紀に限らずいわゆるアーリーモダン全体を標的に台頭中の新歴史学の牙城、『リプリゼンテーションズ』第17(冬)号に載ったテリー・キャッスルの「女体温計」は、有名な画家、ウィリアム・ホガースの風俗画中に一ディテールとして描きこまれた珍妙な計器-女の情愛を目盛りで測る「女体温計」-の分析を通して新歴史学の極みという腕前を見せて、表象文化論が視覚史料を駆使することを特徴のひとつとした「新歴史学」の醍醐味を味わわせてくれた。たしか秀才、後藤和彦による全訳が、雑誌『現代思想』1989年2月「ニュー・ヒストリシズム」号に掲載されていた。

ちなみにこの『現代思想』の特集は、英語圏がマニエリスム驚異博物室の社会学をやった一番早い例たるスティーヴン・マレイニーの論文を、スティーヴン・グリーンブラットやテリー・キャッスルと並べて紹介していて、誰の宰領かと思えば、やはり大勉強家、冨山太佳夫氏であったように記憶している。

翌1988年に『クリティカル・インクワイアリー』15(秋)号に発表された「ファンタスマゴリア」には文字通り一驚を喫し、ぼく自身、とるものもとりあえず、『幻想文学』誌に英国幽霊物語の特集を組んでもらい、全訳して巻頭に掲載してもらった。「見過ごされたもの」(N.ブライソン)としてのマイナーな視覚素材を通して「新しい18世紀」像を追求するという手法で、これ以上の見事な手練のものは他に一寸見当たらない。

「女体温計」「ファンタスマゴリア」を含む11論文を集めたキャッスル女史の『女体温計-18世紀文化と<不気味なもの>の発明』(1995)が出た時には、だからほとんど狂喜乱舞のていであった。まさしくこの紀伊國屋書店から邦訳の話をいただきながら、版元のオックスフォード大学が編集権料という珍妙なものをふっかけてきたために中断した苦い思い出がある。時が経った。是非もう一度トライするに値する絶品であると思う。

懇意だったありな書房から、ピーター・ストーリーブラス、アロン・ホワイトの『境界侵犯-その詩学と政治学』邦訳の企画を立て、友人だった本橋哲也氏を動かして訳を出したのが、その1995年のこと。キャッスルの名著と並べば、威力抜群の「新しい18世紀」イメージを日本の読者に有無をいわさず納得してもらえたはずで、失われたタイミングを今でも非常に口惜しく思うのである。

ストーリーブラスとホワイト(惜しくも早逝)の本は書誌一覧すればわかるが、英語圏で最も徹底してバフチン批評万般を読みこんだ書誌になっている。キャッスル歴史学は一巻に編むに際して持ち出したフロイトの「不気味なもの」論が少女、いかにもという感じでスカスカしてしまうのに対して、こちらはバフチン・カーニヴァル論全開でいくしかない18世紀固有の肉感と猥雑を切り捨てない、古くて「新しい」18世紀論で、やはり18世紀はこれでなくては、ね。

それで今回の一冊は、久方ぶりの(山口昌男象徴人類学)の才媛、『クソマルの神話学』の東ゆみこの『猫はなぜ絞首台に登ったか』である。まさしくホガースの風俗画中のディテール-逆さに吊るされて虐待される猫-を、18世紀にまで蜿々尾を引いたカーニヴァル、さらには穀物霊崇拝の伝統の中に遡行して位置づけ、滅びぬ「神話の力」を析出してみせる。

猫の虐待といえば、新歴史学の少し風変わりな旗手ロバート・ダーントンの『猫の大虐殺』(1984、岩波書店1990)だが、結局、資本家対職工たちという安手の二項対立を出ることのないダーントンの見かけのにぎやかし(?)を東女史は痛烈に批判する。

どちらが正しいかとは問わないが、英国18世紀の肉感性を一身に担ったホガースだけは、やはり東ゆみこの対応でなくてはならない。

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2007年06月15日

『大英帝国という経験』井野瀬久美惠(講談社・興亡の世界史16)

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絵解き歴史学の魅力

英国史家、井野瀬久美惠の語り口がどんどん巧くなっている。最新刊『大英帝国という経験』を見て、そう思った。講談社の人気叢書「興亡の世界史」の一冊ということで、できるだけリーダブルに、まるで良くできた受験参考書みたいに簡略化のための図表処理が入ったりといった全体的方針があるのだろうが、ある議論を虚を突く面白い逸話で導入する「つかみ」の巧さは著者独自のものであるし、絵画を含む「モノ」のイメージを史料として提示する勘の良さは新しい歴史学のひとつの方向を示していて、たとえばぼく愛好の大歴史家サイモン・シャーマに似てきた。

そのサイモン・シャーマが、ちょうど2000年にBBC連続番組で「ブリテンの歴史」を組み立て、それが2000年から2001年にかけて同名の三分冊(※)として出て、ベストセラーになった。ぼくは自分の趣味で同じシャーマの『風景と記憶』"Landscape and Memory"、1995)と『レンブラントの目』("Rembrandt's Eyes"、1999)の訳を引き受けて力尽き、『ブリテンの歴史』に手がつかなかったのだが、紀元前3000年から1603年を分かれ目にして2001年まで語り抜く活字も、ヴィデオ映像もすばらしかった。そして同じ2000年には、類書中に図抜けたリンダ・コリーの『ブリトンズ』("Britons:Forging the Nation, 1707-1837")が『イギリス国民の誕生』という訳で名古屋大学出版会(良書好著の連続)から出たのを耽読できた。
※A History of Britain.
 1.At the Edge of the World? 3000BC-AD1603(hardpap.
 2.The British Wars, 1603-1776(hardpap.
 3.The Fate of Empire, 1776-2001(hardpap.

18世紀から19世紀一杯、世界に覇権を拡げたツケが帝国各部分からの猛烈な数の非白人移民の流入という「帝国の逆襲」を受け、ロンドン地下鉄爆破未遂犯のように英国生れ英国籍のパキスタン人といった「イギリス人」を一杯つくりだしてきたが、新千年紀、ますますこの「イギリス人とはだれか」というアイデンティティ不安が強烈になってくるだろうと思われた。そこに9.11。一挙に「帝国」が「現代思想」最大のキーワードと化す。

カボットのニューファンドランド島「発見」から語り起こし、そうした新千年紀劈頭のブレア政権の抱えた非白人英国人排斥か、問題の「内在化」かという選択肢まで、たかだか400ページ弱でよくもここまでと感心する目次構成で大英帝国を疾走した井野瀬氏のこの最新刊で、その思いを改めて強くした。

スコットランドとアイルランド、当然一番多くの紙幅の割かれるアメリカ、そしてカナダ、アフリカと、地理的にも実に巧みに帝国各部分の抱えた問題をすくうのみか、移民、奴隷貿易といったテーマでも切りこみ、そのテーマもヴィクトリア女王の表象、フェミニズム(「女たちの大英帝国」)、青少年文化と、いわゆるカルチャル・スタディーズが「帝国」を切る切り口の総覧の観もある。植物が植民地支配の「緑の武器」に化す「植物帝国主義」も語られる。井野瀬氏を一躍ポピュラーにしたのは朝日選書の『大英帝国はミュージック・ホールから』だが、最新刊でもちゃんと復習される。今まで刊行された仕事のエッセンスがきちんと取りこまれ、一種「井野瀬ワールド」のオンパレードというでき方で、着実に進む学問の好ましい見本である。

ヴンダーカンマーの「驚異」の背後に他文化に対する「占有」があったように、第一回ロンドン万国博やホワイトリー百貨店の背後にインドやアフリカの苦しみがあることを、飲茶の習慣やショッピングの快楽を分析しながら語る「モノの帝国」の賞が出色である。嗜好や視覚的娯楽といった文化史の局面を欠いたら、もはやただの帝国政治史にしかならない。

ぼくなど、リチャード・オールティックの『ロンドンの見世物』やリン・バーバーの『博物学の黄金時代』を訳しながら、珍奇興行施設「エジプシャン・ホール」や博物学という「理に叶った娯楽」の浸透を、誰かが帝国の文化史として綴ってくれないかなと願っていた。それが今、真芯に井野瀬氏の仕事だ。

文化史、「モノ」をめぐる感性史に敏感ということと絶対相関していると思う氏のもうひとつの強みは、絵に対する感受性である。開巻すぐの口絵グラビアに「イギリスの想像力」と題して、ジョン・エヴァレット・ミレイの『ローリーの少年時代』等5点の絵が並んでいて、「膨張しすぎた大英帝国にとって、絵画とは、時として国民のアイデンティティの支柱となり、またある時には植民地のイメージを伝えるメディアの役割を担うものであった」というキャプションがある。何故この5点かを読者なりに考え抜いてから、本文中の説明を読むことを勧める。いかにこの視覚的史家(?)の絵画感覚が卓越しているか、よくわかるだろう。勿論その一枚は井野瀬氏の名作『黒人王、白人王に謁見す-ある絵画のなかの大英帝国』(山川出版社、2002)一巻の主題だった絵。美術史の専門家に不可能な読みをこの絵に試みた女史を、コロンビア大学で「アート・ヒストリー・アンド・ヒストリー」を講じているサイモン・シャーマにたとえたことがあるが、『風景と記憶』の「大英帝国」論を、シャーマも『ローリーの少年時代』で語りはじめていたのが面白い。

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2007年06月12日

『表象のエチオピア-光の時代に』高知尾 仁(悠書館)

表象のエチオピア-光の時代に →bookwebで購入

高知尾仁の「人類学精神史」

本当に心から良いと思った本をとりあげるのが良心的な書評ということだと、戦略的翻訳家でもあるぼくはひとつのパラドックスに捉えられてしまう。英独仏伊の洋書で自分が良いと思ったものは、しかし全然というくらい訳されていないので、自分が訳してしまうものだから、出版や書評界の仁義として翻訳者が書評者になるのがおかしいとされる以上、大体において自分の大好きな本の書評が原理的に許されていない。だから一種の「書評」として予め訳本の中に内臓されているぼくの「訳者あとがき」の伝説的な長さ、となる。

20世紀の人文科学を統合整理し、それをそっくり21世紀のデジタル人文学に編制しようという壮大な構想を年一冊、着実に形にし、理工系MITの「人文化」戦略の看板にさえなっている美術史家、バーバラ・マリア・スタフォードの場合がそれである。処女作『象徴と神話』(1979)は、フランス革命の頃にユングの元型的イメージ論を先駆したスイス人記号論者を復権させようという相当マニアックな大著だから無視黙殺も仕方なかったが、それぞれが出版史に残る名著大冊である『実体への旅』(1984)、『ボディ・クリティシズム』(1991)がどんっと刊行されても、風景論、身体論、両分野で、反応どころかまともな言及ひとつ出てこない。少々フォローが遅れてどうこうない大きなスケールの本ではあるが、スタフォードは時代と伴走し、時代の変わり目を反映して仕事するタイプなので、できればリアルタイムに近い形で日本語にしたいというので、『アートフル・サイエンス』『グッド・ルッキング』『ヴィジュアル・アナロジー』を極力迅速に訳した。そして遡行する形で『ボディ・クリティシズム』を訳し、『実体への旅』早々に脱稿、現在は『象徴と神話』に掛っている。

『実体への旅』も今夏には店頭に訳は出るが、残念、ぼくはこの大好きな本を書評できない。まことに珍妙なパラドックスではないか。

ぼくは一方で、ロンドン王立協会の研究を、主にその普遍言語構想について進めていた。そして一方では、ぼくの名を世に出したピクチャレスクの研究。ふたつ、ぼくが面白くやる以上、必ずどこかで結びつくものと思っていたが、『実体への旅』に先を越された。そうと認識した瞬間、軽い眩暈を感じたのを覚えている。自分の中でふたつの力が合体した、と。ふたつがぼく独自の大きな表象論―「高山学」―を支える強力分子として合体した。

『実体への旅』の副題に「1766年から1840年にいたる美術、科学、自然と絵入り実録旅行記」とある。キャプテン・クックやブーガンヴィル、ヴァンクーヴァーといった名でおなじみの世界周航者、太平洋探検家たちが見なれぬ風土や異様な気象現象を記録し、王立協会はじめ支援の各アカデミーに報告する言語に、折りから流行中のピクチャレスク・トラヴェルの旅行記の大仰でいて紋切り型の景観描写のうそをあばく「真正」と「平明」への「男性的」意力というものを認め、そこに王立協会がめざした真正、平明の言語イデオロギーとの直接の系譜を認めようという仕掛けの本である。キャプテン・クックは王立協会の全面援助を受けた。南オーストラリア中に溢れる「バンクシア」名の多様な植物種の命名者ジョゼフ・バンクスはクック航海に随伴したが、王立協会総裁になる人物である。

異論はある。しかも根本的な異論だ。西欧人が反合理の「理想の風景」ということでオリエントを見てつくった反合理のピクチャレスク風景を他者に逆に読みこみ、そういう意味で他者を征圧し、消滅させたのが、アーリーモダンから20世紀初めにかけての「表象としての旅」の問題なのだとすれば、平明な言語の背後にある「男性性」を太平洋に運んだクック、アフリカに持ちこんだジェイムズ・ブルース、皆、E・サイードの批判したオリエンタリズムの暴力ということでは、ピクチャレスクの他者無比の構造と実は全然異ならない。それが熱帯や極地での「エントロピック」な、熱や空気が予測不可能な気象現象をうむ環境の中で行きづまり、瓦解の様相を見せる。スタフォード自身、『実体への旅』最後の部分でそのことに気付いており、次作『ボディ・クリティシズム』は「啓蒙」の男性意志が空気学や電気化学の中に解消されていく18世紀像を正面切って描く。

旅行表象論で N. Leaske, "Curiosity and the Aesthetics of Travel Writing 1770-1840"(2002)をうみ、描写論で Cynthia S. Wall, "The Prose of Things"(2006)をうむことになる「スタフォード・スフィア(圏)」は、我々の近くでは高知尾仁『表象のエチオピア』をうんだ。『幻想の東洋』(ちくま学芸文庫〈上〉〈下〉)の彌永信美氏などと組んだ『表象としての旅』の編集人でもある高知尾氏の意欲作は、他者消滅の構造分析ではスタフォードより繊細かつ周到。実に誇らしい。

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2007年06月08日

『食卓談義のイギリス文学-書物が語る社交の歴史』圓月勝博[編](彩流社)

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「卓」越する新歴史学の妙

学問史といってもよいし、知識形成論、知識関係論といってもよいが、才物たちの離合と集散の中から新しい知識が算出される様子を描く本はどれも面白い。田中優子『江戸の想像力』は「連」のそうした出会いの産出力を描いて魅力的だったし、山口昌男歴史人類学はそもそもの『本の神話学』から『内田魯庵山脈』まで、要するに大小のコロニーの中で生じるパラダイム変換の記述誌といってもよいほどだ。

洋書には無数にあるが、フロイト・ユング往復書簡(邦訳:講談社学術文庫〈上〉〈下〉)編集で有名なウィリアム・マクガイアの書いた『ボーリンゲン』(1982)以上のものはない。分析心理学のC・G・ユングが世界中の知性を領域横断的に周りに集めたいわゆるエラノス・ターグンク(エラノス会議)が、アメリカにそのディヴィジョンとしてボーリンゲン基金・出版をいかにして創設したかを、20世紀を変えた百有余名の傑出した知性の、一共有空間を舞台にした交渉の積み重ねとして活写した。今ぼく自身が翻訳中だ。

そういう一共有空間の具体的イメージは、間違いなく丸いテーブルである。人と人が集まり、しかもメンバーに価値的上下関係のない発言の平等性・循環性が保証されているという条件をクリアできるコミュニケーション・ツールとして、円卓以上のものはない。絶対にそのはずだと思って貴重写真満載の『ボーリンゲン』を眺めると、石の巨大円卓が緑蔭に快く、周りにまさしく人文学やサイ科学の世界的傑物がずらりと坐って会食している究極の一枚が、さもありなんと目に入ってくる。第一、エラノスという名自体が地名でもあろうかと思っていたら、ギリシア語で「丸い卓」を意味する語と知れて、思わず膝を打った。

人ひとりにできることには自ずと限界がある。ふたり集まると一足す一以上の何かが出てくるのが、こういうコロニー文化史の面白いところだ。1930年代ワイマールとか1960年代のグリニッジ・ヴイレッジとか、いろいろ書ける。種村季弘の隠れた名著『ヴォルプスヴェーデふたたび』もおそろしく魅力的だった。

知の円卓が光彩陸離としたのは18世紀も同じだった。諷刺の黄金時代ということで古代アテーナイ以来といわれていることが、いろいろ異なる見解を許容したデモス(民主)精神の成熟度を示しているわけだ。議論百出をそのまま各人の口から出る「意見」として記述していく文字通りの観念小説の発明家として、トマス・ラヴ・ピーコックに着眼し、ローレンス・スターンに目を付けたというのが、たとえばぼくの処女評論集『アリス狩り』の根本的テーマである。

主人公たちが対峙して卓の周りで語り合う場面が現にあるからというだけのことではない。多様な価値が互いに競合しながら決して一点に収斂することを許さない作品自体の構造がそれ自体円卓的なので、ノースロップ・フライが「百科事典的」と呼ぶ「アイロニー」の文学、たとえば『白鯨』や『重力の虹』が典型であり、円卓イメージが究極的には人間の身体そのもの(物質的下層原理)とも巧く合致するので、身体融合の祝祭と対話を支柱とするミハイール・バフチーンの文学・文化批評をも、円卓文学論はそっくり取りこむことになる。そして哲学的淵源としてソクラテスその他、古ギリシアの「食卓を囲む哲人たち」を位置付ける研究が、当然のように出てくる。

しかし何しろ問題はアーリーモダンの英国だろう。ピューリタン革命以後、名誉革命からホイッグ、トーリー二大政党による議会民主制の成立まで、随分な量の議論百出が想像されるが、まさしく嗜好文化史に冠絶するコーヒーハウスの百年であろう。一番初めに、政治論が飛び交い、商人ダニエル・デフォーや文豪ジョン・ドライデンの耳学問の舞台となり、最後にはロマン派の文学談義の白熱の場になだれこんでいった人と人を会わせ、喋り合わせるテーブルの百年。その18世紀末にかけて、『ジョンソニアーナ』といった不思議なジャンルの「文学」が登場する。人の名に「・・・アーナ」という語尾が付いて、誰それの言動録という意味。『ジョンソニアーナ』なら大文豪サミュエル・ジョンソンが有名な「文学クラブ」でほとんど一日中喋り続けていた芸談時俗の噂話などの集大成である。

通に有名なところではジョン・セルデンの言動録があるが、かつてぼくに「今に高山さんの播いた種、つくった子供たちがいろんな所で出てきますよ」と嬉しいことを言い続けた圓月勝博氏が、以上記したようなぼくの直観に過ぎない円卓文化論を、このセルデンについて見事にまとめているのに感心した。

というか、アーリーモダンの英国文化で主たる業績をあげつつある新歴史学、その気鋭が七人寄って、政治のみか演劇や活字印刷メディア全体に「卓」の比喩的機能が溌剌と生動していた様を描いた。流行のアンソロジーという形式を「紙上の饗宴」と結論付けるあたり、「紙」と「宴」にこだわりぬいてきたぼくなど、思わずして快哉を叫んだ。快挙である。

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2007年06月05日

『イギリス的風景-教養の旅から感性の旅へ』中島俊郎(NTT出版)

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高校生がピクチャレスクを学ぶ日

旧式な人文科学が気息奄々とする一方、メディア論を核に新しい人文科学が醸成されつつあるのはたしかだし、ぼくなども教育現場にそうした趨勢を反映したカリキュラムを工夫しようと、柄にもなく「教育者」として腐心している。バブル崩壊前夜まで知の前衛だった人たちが一定の年齢になっての初中等教育熱が面白い。

松岡正剛氏の『17歳のための世界と日本の見方』の好調が典型だし、松岡氏の「70年代最大の発見」だった荒俣宏氏がダーウィンのビーグル号航海記を小学生を相手に漢字総ルビで訳した仕事なども思い出す。「関係の発見」というバロックやマニエリスムの構造こそ、ぼくのいう「編集」です、という松岡氏の主張や材料がとても高校生に通じるとは思えず、今時の大学新入生にだってかなりきつい内容と思うのだが、難しいことを易しくいい続けることには、それはそれで松岡氏クラスの能弁と透徹が必要だと知れる。

新人文科学は「電子リテラシー(digiteracy)」と同じくらい、ダイナミックに議論の舞台として再編さるべき世界史(あるいは日本史)の知識を必須とする。たとえばまたしても松岡氏だが、氏が主宰する編集工学研究所で編集した大年表『情報の歴史』(NTT出版)の中で必要に応じて自由自在に再編集される世界史。実に全国の高校の約一割強における履修漏れ騒ぎもなお苦々しく記憶に新しいが、「地理歴史」が一番ネグられていたわけで、望まれる教養と現実の実力の差は凄いものがある。新人文学に歴史教養は必須だ。

こういう高校と(生き延びるためにとにかく工夫はする)大学の開き、というか不連続はどんどんひどくなりそう。というので、たとえば東大駒場で新二千年紀あけてすぐから「高校生のための金曜特別講座」というのを始めたのだが、2005年度のそれが『高校生のための東大授業ライヴ』にまとまった(東大出版会、2007)。求心力がもうひとつという印象だが、ぼくにとって面白かったのは第9講。安西信一先生の「イングリッシュ・ガーデン誕生の裏側-その美学と政治学」講義。今から20年くらい前には高校生はおろか、大の大人でも学びようのないテーマだったわけで、大袈裟でなく感無量である。

イングリッシュ・ガーデンといって我々が普通に思い浮かべるのは、19世紀末からのケイト・グリーナウェイ の可愛い絵にあるような小綺麗なハーブ・ガーデンだが、実際には、18世紀一杯、反フランス造園術として異様な姿を歴史に刻んだ風景式庭園(landscape garden)を指す。ピクチャレスク・ガーデンという呼び方も可能。今日そのあらかたがなくなったり、ゴルフ場に変貌したりして、見ることができない。もう一人のグリーナウェイ、ピーター・グリーナウェイの映画『英国式庭園殺人事件』で見られる。あるいは、スタンリー・キューブリックの長尺『バリー・リンドン』でも終りの方に壮麗なピクチャレスク・ガーデンが見られる。18世紀文化の象徴である。

フランス絶対王政(ルイ王朝)がヴェルサイユ式という左右均衡・求心構造の作庭に、その「空間政治学」(ヴァルンケ)を実現したのに対して、イングリッシュ・ガーデンは中心を欠く多視点多核の一種のジャングルをめざした。フランス的美意識がつるつる滑らかなものを良しとする以上、英国人は「ラフ」で「ラギッド」なものを愛でなければならない。端的には、直線路がそれも放射状に展開するフランス式庭園に対して、「サーペンタイン」式、即ち蛇行を重ねる曲線の園路に執す。中尾真理『英国式庭園-自然は直線を好まない』(講談社。叢書メチエ)の副題はそのことを意味している。蛇状曲線の作庭術だ。

独自の風景観を持たなかった18世紀初頭の英国紳士たちはイタリアを美の理想の標的に決め、イタリア風景を絵の形で輸入し、それを英国という異土で立体的に立ち上げるという倒錯を演じた。英国華紳の教養の印がイタリア風景にどれほど通じているかで測られた。歩きながら、これは画家某が描いたイタリアのどこそこの風景と見抜いていくのが、教養の印。極端なのはウェルギリウスの永遠の名作『アイネーアス』の歌枕めぐりを庭を歩きながら行う。名作からのさわりがそこここに碑銘となって散りばめられていた。辟易するね。

たとえば、18世紀半ばの憂愁趣味や感傷傾向に染まり、特にバークの「崇高」論(1757)に染まって、庭と歩く散策者の間の相互反映の構造を介する形で、どんどんゴシックな気分、恐怖や戦慄を演出するマニエリスム色の強い庭に化していった事情が面白い。

ピクチャレスク・ガーデンをそれとして再点検した建築家デイヴィッド・ワトキン 『イングリッシュ・ヴィジョン』(1984)を、ぼくの 『目の中の劇場』 『庭の綺想学』 が安西信一『イギリス風景式庭園の美学』(2000)に媒介したものを、中島俊郎『イギリス的風景』(2007)が「教養の旅から感性の旅へ」という巧いコンセプトで整理した。

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2007年06月01日

『暗号事典』吉田一彦、友清理士(研究社[創立100周年記念出版])

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暗号はミリタリー・マニエリスム

一方に電子メール、電子マネーの飛躍的発達があり、他方に北朝鮮による拉致の問題があって、時代はまさしく「暗号」の時代だ。暗号と聞いて思い浮かべられるほとんどあらゆるテーマを拾いあげる面白い本が出た。その「北朝鮮の暗号」という項目を見ると、日本にいる工作員にいろいろ指示した乱数表読み上げ放送のことが詳しく出ている。

今みたいにNHKが終夜放送をしていなかった頃、深夜0時に放送終了の君が代が流れた後の無音の空白に、ラジオのダイアルを少しずらすと、不気味に平坦な女の声で数字を読み上げる電波が入ってきた。いわゆる乱数表で、解読に手を焼いている自衛隊が懸賞金を出しているという噂もあって聴いていた時期もある。その中に日本人拉致の指令もあったわけだ。理由はいろいろ取り沙汰されているが、2001年のある瞬間からふつりと途絶えた。戦争とばかり結びつくと思っていた暗号がこの平和時にちゃんと機能しているという感じは気味悪かった。平和ボケの日本は伝統的に諜報・防諜に弱い。紫暗号をきれいに解読されたまま、珊瑚海で、ミッドウェーで負けた。スパイ・ゾルゲにもしてやられた。連合艦隊司令長官山本五十六を南の空に喪った。いわゆる「海軍甲事件」である。

電子時代の暗号についての技術的説明が半分である。AES(高度暗号化標準)とかDES(データ暗号化標準)から、変体少女文字や少女たちのポケベル暗号(「7241016」で「なにしている?」)まで、徹底を極めるし、そうした世界を支える技術と数学の説明にも存分の紙数が割かれる。どの言語で一番使われる文字は何といった「頻度分析」や「乱数の割り出し」くらい、何とかついて行けるが、モジュラー算術だ、通信解析だ、楕円曲線と楕円曲線暗号など、素人には手に余る。

なにしろ面白いのが、電子時代の経済や認証制度といった局面に入る前の、もっぱら単純に軍事に関わった暗号史の項目である。日清・日露戦争で日本軍の暗号発達は著しかったが、信濃丸発信の「ネネネネ」「タタタタ」という暗号無線がバルチック艦隊撃破をもたらしただの、親日派米人による「人形暗号」だの、「風通信」だの、鹿児島弁で電信したらそのまま暗号として通用しただの、びっくりするような初耳逸話がいくらもある。親日派で愛嬌ある人柄で人気の高かった駐日大使エドウィン・ライシャワーが諜報の出だったと知って、いささか考えこんでしまったりする。

つい先日、上海領事館で日本人要員が自殺して安部普三内閣に衝撃を与えたが、色仕掛けで身動きとれなくされての自裁だった由。「蜜の罠」と、こういうやり方を言うのだそうだ。そういう諜報・防諜の話題を単に「暗号」というところを超えてカヴァーする。野放図だが、読みものとして歓迎すべき幅が出た。

個人的な関心で言えば、異様なページ数が割かれている江戸川乱歩が、暗号小説の名作『二銭銅貨』で、チャールズ2世治下の英国から暗号技術は発達するとした指摘が、「フランシス・ベーコンの二文字暗号」「アーガイルの暗号」「薔薇十字の暗号」「ピューリタン革命時の暗号」「ジョン・ウィルキンズ」「ジョン・ウォリス」「ジャコバイトと暗号」等の項目を読むと改めて正しいと確認できた。カトリック王党派が命懸けで通信した手紙の中で暗号が発達した。小説家サッカレーがこの時代に取材した作品『ヘンリー・エズモンド』が、その辺、巧く書いていると知らされて、今頃不明を恥じてしまう。

英国17世紀末を「表象」の整備期として捉え直せといってきたぼく、改めて、フーコーの『言葉と物』に「暗号」が全然扱われていなかったことに、「大」歴史家ゆえの限界を感じた。アルファベットをいじくり回した王党派のナンセンスな書簡は、その実、一命賭しての表象行為だったことがわかる。現にチャールズ1世は妃への書簡を押さえられ、ジョン・ウォリスに解読されたものを証拠に斬首台に落命したのである。

ことは英国に限らない。アメリカの独立戦争・南北戦争周辺もやたら暗号が発達したし、「鉄仮面と暗号」「ナポレオンと暗号」を読むとフランス史がそっくり暗号史に見える。

著者の一人は、パノラマ館を舞台の幻想小説を書いて皆川博子を感嘆させた文学教養派だけに、「文学における暗号」「小説に登場する暗号」の項が面白い。E・A・ポーと乱歩、『クリプトノミコン』(〈1〉〈2〉〈3〉〈4〉)のニール・スティーヴンスン、そしてもちろん『ダ・ヴィンチ・コード』のダン・ブラウンがメインとなる。谷崎潤一郎のイメージを狂わせる暗号趣味だとか、阿川弘之が「対敵通信諜報暗号解読機関」出身だとか、面白いトリヴィアにも事欠かない。

「カバラ」や「魔方陣」、「象形文字といった項目を見て、ホッケの『文学におけるマニエリスム』(1959)を思い出した。グロンスフェルト暗号を考案したカスパール・ショット。デルラ・ポルタにアタナシウス・キルヒャーと並ぶと、暗号とは数学という名のマニエリスムだと改めて確信できた次第である。

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