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2011年05月21日

『若者の現在 政治』小谷敏 土井隆義 芳賀学 浅野智彦【編】(日本図書センター )

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「政治の観点から見た若者・若者論の現在」

若者に関連する本の出版が相次いでいる。若年雇用環境の悪化に関する議論がひとしきり行われ、「可哀想な若者が増えつつある」ことは広く人々に知られることとなった。ではどうするか、という段階に議論が移行していることを示すものだろう。
この「若者の現在」シリーズは、「労働」「政治」「文化」の3巻構成になっており、「労働」はすでに刊行されている。続いて「政治」がこのたび刊行の運びとなり、後日「文化」が刊行される予定である。 ここで取り上げる「政治」の巻には、私自身も「『若者の右傾化』論の背景と新しいナショナリズム論」という小論を寄せさせて頂いている。

本書は三部構成をとっている。第一部(一~三章)は「時代閉塞の現状」と題し、若者を中心とした閉塞感のありかを考察するパートである。
第二部(四~六章)は「右翼・左翼・ナショナリズム」と題し、そうした閉塞感が「右傾化」「排外主義」の方向へ向かっているという危惧について考察したものである(三人の著者がそれぞれ、こうした形の危惧に必ずしも同意していないのが特徴となっている)。
第三部(七~十章)は「社会を変える力を求めて」と題し、そうした閉塞感を打破する可能性についての考察が並んでいる。
本書冒頭に、編者4人による解説が置かれているので、これを読んで見取り図を頭に入れてから各論に進むのが良い読み方ではないかと思う。

以下、各章の内容を概観してみよう。
第一章・小谷敏「若者は再び政治化するか」は、本書全体のモティーフを含みこんだ総論と呼ぶべき部分であり、「若者」を「悪魔化」する論調に厳しい批判を加え、若者自身が運動などの形で声を上げ始めたことを歓迎する。しかしこうした新しい動きにも欠けている視点として、「グローバリズム批判」、「労働者としての権利意識」などの点を挙げている。

第二章・草柳千早「若者と大人たちの簡単で安全で優しい関係」は、ポストモダン・アイデンティティ論の筆致で、「若者」というカテゴリーが言説として構築されることの問題点を考察している。

第三章・土井隆義「キャラ化する政治意識の行方」は、政治観・選挙行動として「政治のアマチュア」を無条件に肯定する風潮を「キャラ化する政治意識」と名付け、その問題点を考察している。

第四章・辻大介・藤田智博「『ネット右翼』的なるものの虚実」は、辻が以前にウェブ上で発表した調査結果を主に参照しながら、ネット右翼という条件を満たすものが一般に想定されているよりも少数派であること、「愛国心」と「排外心」は連動していないこと、アメリカの調査との比較から、日本ではネット自体に対する信頼度の低さと排外主義的態度が相関するという特徴がある、などの知見が紹介されている。

第六章・萱野稔人「あえて左翼とナショナリズムを擁護する?」は、ナショナリズムを否定しながら国民の間の格差拡大を批判する、既存の左派リベラルの思考を欺瞞であると批判し、かといって排外主義へと「ヒステリー化」しないナショナリズムの可能性を考察している。

第七章・栗原彬「21世紀の『やさしさのゆくえ』」は、本書でもっとも分量が多いだけでなく、読者の期待がもっとも集まっている論考なのではないだろうか。
栗原は言うまでもなく、後年に小熊英二が『1968』において「現代的不幸」と名付けた、ベビーブーマー世代が青春期に直面した高度成長期における内面的危機と、それに基づく社会への異議申し立てへの志向を、同時代の年長者として発見し共感した数少ない社会学者の一人である。彼はそれを「やさしさ」と名付けたが、その「やさしさ」が時代の下った現代でも無視のできない社会的機能を果たしていると論じている。

第八章・渡辺潤「若者文化から政治をみる」は、文化研究などで論じられてきたサブカルチャー研究の知見を概観しながら、日本においてはサブカルチャーと政治の関係が希薄だという問題を指摘せざるをえないとしている。

第九章・今野晴貴「格差問題をめぐる若者たちの政治的実践」は、NPO法人「POSSE」代表である著者が、各種の新しい非正規労働の登場が正社員との代替圧力を強め、正規雇用の内部にも各種の「限定正社員」を生んで正社員の側の労働強度をも強める要因になっている状況を概観する。
また、解雇規制が有名無実化しており、違法行為やパワハラに直面しても「自己都合退職」扱いにされることが増えており、若者の側もそれに対抗する手段が見当たらず「諦念」へ至ってしまうケースが多いことが指摘される。これにより企業が被雇用者を全人的に支配する「無限の指揮命令」と、「雇用の不安定性」(本来両者はトレード・オフの関係にあるはずにも関わらず)両立する場面が増えているという(258)。こうした状況に対し個人加盟ユニオンの行っている活動などが、新たな政治参加のかたちとして紹介されている。

第十章・中西新太郎「アンダークラスでも国民でもなく」は、「可哀想な若者」という形で行われるカテゴリー化言説の限界を指摘し、「無力性や弱さのありようにそくした生存権理念の深化」という視点が必要であると説く。

私の論考は読者のご判断にゆだねるとして、私自身は今野晴貴の考察を最も興味深く読んだ。狭義の「政治」のみに留まらず、広い視野をもった論集であり、若者の問題にご関心の向きには、ぜひ手に取って頂きたく思う。

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2011年05月09日

『全貌ウィキリークス』ローゼンバッハ,マルセル シュタルク,ホルガー【著】 赤坂 桃子 猪股 和夫 福原 美穂子【訳】(早川書房)

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「ウィキリークスの実態紹介」

朝日新聞が、沖縄の米軍普天間基地移設に関係する、海兵隊のグアム移転費用を水増しする「密約」が存在していたことなどを、アメリカ外交公電から暴露する報道を行った。Wikileaks(以下WL)が2010年に入手した外交公電のデータには、日本に関するものも含まれており、これまでも散発的には報道されてきた。
WLが入手した外交公電のファイルは巨大なものであり、一人がすべてを読み通すことはほぼ不可能である上、大部分は他愛もない内容である。よってその中から有益な情報を抽出し、かつ「裏取り」をするというプロセスが必要となる。WLは、当初ウェブの集合知システムによってこれを行おうとしていたが、中途で放棄し、ヨーロッパ・アメリカの「伝統的」新聞社と提携して、彼らにそのプロセスを託すことになった。

日本において彼らがパートナーとして選んだのは朝日新聞だったようである。ヨーロッパの新聞社との共同作業のように、新聞社にデータの相当部分を渡して精査・分析をまかせ、まとまった形で報道されたケースとして、日本初のものだろう。

その内容そのものについては、すでに多くの速報や論評が表れている。報道を受けて、日本側の関係者は多く沈黙を守っており、アメリカ側からは「外交には国民に公開されない秘密の部分も必要である」と、従来通りとも見えるコメントなどが出されている。
有識者を含めた反応は、密約の存在を悪として公開を歓迎する見方もあれば、WLなど信用できないとして賛否問わず深刻に取り上げない見方、さらにはWLの行動を脅威と見て「これでは外交が不可能になる」というものなど、多様である。

ここでは、その内容そのものというより、WLそのものについて概説した著作がすでに複数あるので、そのうち表題のものを取り上げて概観することとしたい。

本書は、WLと最初期に接触した新聞三社のうち、ドイツのシュピーゲル紙に在籍し、実際にWLおよびJ.アサンジ編集長との交渉と共同作業を行った記者が、その取材結果と、共同作業の顛末を書き記したものである。

まず、アサンジの破天荒な前半生が、彼自身の回想などを元に振り返られる。オーストラリアのヒッピーで、結婚を繰り返した母親と暮らす。カルトにはまった継父と母の離婚トラブルで逃亡生活を余儀なくされ、転校を繰り返す中で、13歳で初めてPCを手に入れてのめり込むことになった。
若い頃すでに著名なハッカーとして活動しており、逮捕歴もある。また結婚して一男を設けてすぐ離婚し、親権争いも経験した。1998年頃から、定住地を持たないバックパック生活に入り、アメリカ、ヨーロッパ、中国などを放浪する。
こうしたアサンジを評し、著者たちは「ハッカーの視点と68年世代を親に持つ子のアナログな政治的関心が混ざり合って、国家に対する批判的な態度が生まれた」(129-130)と評している。

WLが創設されたのは放浪生活の途上の2006年だった。それからケニア大統領選挙への介入、ユリウス・ベア銀行の顧客データ=「エルマー文書」の公開などの活動を通し、相次ぐ裁判に直面すると同時に、支持者を拡大させていった。
2010年になると、イラク戦争時の米軍による民間人殺傷事件の映像=「コラテラル・マーダー・ビデオ」、アフガンおよびイラク戦争日誌、さらに膨大な外交公電の公開に踏み切る。WLが大きな話題を呼び、論争の焦点となるのはこの時からである。

2010年の3つの案件のデータは、イラク駐留情報分析官だったマニング上等兵を通して得たものである。彼は、自らの行動をプライベートチャットであるハッカーに明かし、そのハッカーが当局に通報したため、すでに逮捕されている。
本書は相手方のハッカーへの取材などを通じ、マニングが未曾有の情報流出をするようになった背景や、その作業の様子、また逮捕されるまでの様子も描いている。
ちなみにマニング上等兵の逮捕後、その収監先の環境があまりに苛烈であるという抗議活動が世界的に拡大していたが、つい先日、より環境の良い場所へ移送されるというニュースも流れた。

アサンジがマスメディアとの連携を考えたのは、2010年の3つの案件のうち最初に公開した「コラテラル・マーダー」ビデオが、思ったほどには話題にならなかったのと同時に、当初構想されていた「クラウンドソーシング」の手法が機能せず、プロの記者の技能の必要性を認識するようになったからだと言う(374)。
また著者たちも、WLが新しかったのは、情報公開そのものというより、秘密文書を安価・匿名で送信するその「技術上の可能性」にあったと言う。
本書には、むろんアサンジの強姦容疑事件とその裁判や、WLの内部分裂、さらに彼の気まぐれで直情な性格により難航した各社との交渉なども描かれている。

これまでのWLの活動を網羅的に概観した本書を読むと、WLの主要な業績が、マニング上等兵との偶発的な出会いによって得た情報を元にしており、WLのインフラから継続的に蓄積されてきたものではないことが分かる。リークサイトというのは、WLの前にも後にも複数存在していたが、WLがここまで話題になった理由は、何よりこの偶発的な出会いにあった。

今回の日本外交に関する情報も、提供された文書は7000件あるとされており、それを新聞社側で精査した結果、公開の価値があり、また公開が可能であると判断されたものがニュースとして報道されたものである。今回の報道に含まれるのは主に2006年の日米交渉にまつわる部分だった。
むろん2010年までの時期に限っても、膨大な公電の海の中には、まだいくつもニュースが発見されることだろう。しかしながら、WLがその後(マニング上等兵の逮捕後)も、継続的な「リーク」を受け続けている訳では、どうやらないらしいことを留意する必要があるだろう。
WLが何か大きなパラダイム転換をもたらしたのか、もたらしたとしたらそれは何かを考えるには、もう少しの時間が必要であるように、評者には思える。

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