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2011年02月07日

『日本人が知らないウィキリークス』小林 恭子 白井 聡 塚越 健司 津田 大介 八田 真行 浜野喬士 孫崎 亨(洋泉社)

日本人が知らないウィキリークス →bookwebで購入

「多角的なウィキリークスの入門書」

2010年、メディアの世界で最大の話題の一つとなったウィキリークスであるが、いまでもその内実をよく分からない人間は、私自身を含めて多いだろう。
本書は、分野を異にする7人の論者たちが、このウィキリークスを多角的に解説した、タイムリーな本である。時系列的な事実関係の整理から、その理論的な背景に至るまで、網羅的な解説を行っている。

まずは内容を概観してみよう。
第一章では、政治社会学者の塚越健司が「ウィキリークスとは何か」(11-54)と題し、ウィキリークスをめぐる事実関係を簡便に解説している。
その組織形態、メンバー、主宰者ジュリアン・アサンジの略歴、組織成立の背景から2006年の立ち上げの経緯、さらにウィキリークスが関係した事件の数々がつづられている。

特に重要だった事件の一つがタックス・ヘイブンでのマネーロンダリングの疑いを暴露した「ジュリアス・ベアー銀行」の内部情報のリーク(2008年初頭)だった。
銀行側の訴えを認めた裁判所は、ドメイン使用禁止命令を出した。しかし合衆国憲法修正第一条(表現の自由の基礎として知られる)違反であるとして、大手メディア・各種政治団体などがこれに反対したことにより、のちにドメインが復活し、銀行側は訴訟を取り下げることとなった。

この事件は:
1)「言論の自由」が争点となったことにより支持者・団体が多数現れたこと
2)訴訟がニュースになることにより、暴露された情報がさらに広まってしまうという、企業がウィキリークスを訴えることの困難さ
3)一度公開された情報は、たとえ元々のドメインを閉鎖しても閲覧可能な形でネット上に残り続けるという、消去の実質的な不可能性
……を明らかにしたと塚越は言う(27-8)。

2010年はウィキリークスが大きな話題になった年であり、4月のイラク戦争における米軍誤射映像公開、7月にアフガニスタン紛争における民間人死亡事件の情報公開、そして2010年11月のアメリカ外交公電の公開と、重大事件が相次いだ。
アサンジの逮捕・保釈、またウィキリークスから独立したメンバーも含む他のリークサイトの登場までを踏まえたうえで、塚越は「リーク社会化」という概念を提唱する。各種法整備が進み、実際に国内外で(日本では食品偽装問題など)リークが活発化しているが、ウィキリークスは情報提供者の匿名性を完全に守り抜くことのできる完全なリークツールであることが、先行例と異なる(50-51)。善悪の問題ではなく、こうしたリークが当たり前になった社会に我々は生きていると、塚越は言う。

紙幅も限られているので、あとの各章は駆け足での紹介となるが、関心のある読者はぜひ本文を参照して頂きたい。
第二章では、在英ジャーナリストの小林恭子が、ネット登場以前を含めたジャーナリズムの歴史から「リーク」とは何かを考えている。特に重視されるのはアメリカ政府がベトナム戦争を故意に長期化させていたことなどを暴露した「ペンタゴン文書事件」(1971年)との対比である。ウィキリークスをめぐる議論でもよく論じられる「報道の自由」と「国家機密」・「公益」との軋轢はこの時代から話題になってきたという。

第三章では、著名なITジャーナリストの津田大介が、現在におけるジャーナリズムに求められる機能の面から解説を加えている。
ネット・ソーシャルメディア上にある「ニュースの種」が、ツイッターのような波及力の大きいリアルタイムメディアによって拡散するというのが、今の情報の流れである(97)。しかし玉石混交であるそうした情報を精査し加工するために、既存メディアに籍を置くジャーナリスト、とりわけ調査報道部門の役割も大きいという。
寄付やアプリケーション販売などを通じたマネタイズの方法の模索なども紹介しつつ、むしろ既存の大手メディアによる監視・検証機能はウィキリークスなどの登場により増大しており、「権力監視の分散化」と「メディアによる検証機能の再評価」が今後のキーワードになるだろうと津田は言う(109)。

第四章では、経営情報論を専門とする八田真行が、技術的な側面から見たウィキリークスの特性を概観する。八田によれば、ウィキリークスの技術の核心は、内部告発者の匿名性の確保を徹底したということであり、Torという具体例を挙げながらその方法を解説している。
また八田は、こうした匿名性の確保という問題はウィキリークスだけでなくインターネットの思想の重要な一部として存在してきた系譜上にあるものであるとし、「サイファー(暗号)パンク」と呼ばれるその系譜を概観している。

第五章では、外務省出身の元防衛大学校教授である孫崎亨が、大使を歴任した経験を踏まえ、漏洩の報じられた「公電」とはそもそも何か、また外交の現場における情報の取り扱いなどを解説した上で、これまで「本音ベース」と「表向き」の交渉が両方存在してきた中で、なるべく公開を前提とした交渉へと移行せねばならないのではないかと提言している。

第六章では、哲学者の浜野喬士が、ウィキリークス以後、従来の内部告発や情報漏洩を論じる際に自明となっていた「公益とは何か」が不透明となり、特定の利害関心や「市民」「民主主義」といった概念ではもはや分析できない「純粋公益」とでも言うべきものが問題になりつつあると言う。
第七章では、社会学者の白井聡が、ボリシェヴィキ革命との類似性や、インターネットを胚胎した「カリフォルニア・イデオロギー」との関係などを参照しつつ、ウィキリークスの活動は近代政治を常に構成してきた「主権国家の溶解」という問題系から見る必要があると主張している。

筆者の個人的な感想としては、2011年以後もおそらく話題となり続けるであろうウィキリークスについて、入手しやすい入門書が出るのはありがたい。またそれに留まらず、しばしば「ネットとマスコミ」という問題系につなげて考えられがちなこの話題について、時期的にも、また地理的にも、広い範囲の現象との比較の視野を持っているのが、この本の大きな強みになっている。やや統一感に欠けるきらいが否めないのは、その副作用と言うべきだが、ぜひ多くの人に手に取って頂きたい一冊である。

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